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<東京怪談ノベル(シングル)>


女王陛下のヒールの下に

「あー、もう、ダメよダメ。まるで話にならないわ」
 碇麗香が資料を放り出した。会議室の、紫煙でよどんだ空気の中を、却下された企画書が舞う。
「これだけ雁首揃えて何だっていうの! どれもこれもダメ、ダメ、ダメ! 全員、練り直し。明日、同じ時間にもう一度会議をするわ」
 有無を言わさぬ口調であった。
 『月刊アトラス』は、この出版不況の最中にあっては、さほど業績の悪い雑誌ではない。むしろ白王社のような弱小出版社としては健闘していると言える。だが、この美人編集長は、あくまでも、クオリティの追求、読者のあくなきニーズに応えることにこだわった。その意味で、美人編集長は、真の編集者魂を持った頑固一徹編集道の追究者であったし、編集部員たちにしてみれば、鬼編集長なのであった。
 ゆえに、その日も、『月刊アトラス』の次号の編集会議は、編集部員たちが出す企画、出す企画、どれもがバッサバッサと斬り捨てられ、すべての企画が彼女のゴーサインを出されることなく、次号の目次は白紙のままで仕切り直しということになった。
 そこまでは……、彼女が編集長の座についてからは、ときおり起こることである。
 ただいつもとちょっと違ったのは、会議室のドアがすこしだけ隙間が開いていて、そこから中をうかがっているあやしい男がいたことである。
(ああ……なんていう傲岸で高圧的な態度! ま・さ・に・クールビューティー!)
 長身に波打つ金髪、そしてどういうわけかパンツ一丁の男、ハットリ・リュウイチだ。
 彼の熱っぽい瞳から放たれる視線は、じっと、編集長へと注がれている。
「外から企画を募集してもいいわ。とにかくもっと斬新で先鋭的で洗練された企画を提出してちょうだい」
 言いながら立ち上がった麗香の全身を、精緻に画像を走査するカメラアイのように、リュウイチは見つめた。
(ふ……)
 そして思うのだった。
(踏まれたい……!!)
 どういうロジックによってそういう結論に至るのかは、リュウイチ以外の余人には知ることができない。ただ、麗香は、会議室のドアを開けたところの床に、服従姿勢の犬のように、仰向けに寝転がっている男の姿をみとめた。
「…………」
 普通なら悲鳴をあげるところだが、さすがに月刊アトラスの編集長は怯むこともたじろぐこともなく、ただひややかに見下ろすのみだ。
「…………」
 リュウイチは全身から、踏まれたいオーラを発しつつ、期待をこめたうるんだ瞳で彼女を見上げた。だが。
「…………」
 まるでなにも見なかったかのように、ひょい、と、麗香はリュウイチをまたぐと、表情ひとつ変えずにツカツカと去っていくのみ。
「ああっ、麗香さん、ちょっと待――おぶっ」
 その後から、どやどやと出てきた編集部員たちの革靴が、リュウイチを踏み付けにしていくのだった。

「斬新で先鋭的で洗練された企画、って言われてもなぁ」
「編集長、最近、どんどんキツくなってね?」
「企画にこだわるのはいいけど、そうしてるうちに進行押しちまうからな。また来月も入稿地獄だぜ」
「前の焼き直してお茶濁すか」
「バカ、こんどお気に召さないの出してみろ、踏まれるぞ〜」
「そりゃ勘弁」
「じゃあちょっくら、外部のライターさん方に頼ってみますか」
 給湯室である。
 愚痴を言い合いながら、コーヒーを注いだマグカップを手に手に、編集者たちが出てゆく。
 誰もいなくなった給湯室の、流しの下の物入れがガタン、と開くと、そこに潜んでいたらしい男が、なにか得体の知れないあやしい生物のような動きでするすると這い出てきた。もちろんそれがリュウイチである。
「ふっふっふっふっ……聞きましたよ、聞いちゃいました」
 にやり、と唇の端を吊り上げた。
「『気に入らない企画を出したら踏まれる』……、そう、麗香さんにダメな企画を提出したら踏んでもらえるのです!」
 その頭の中で、またも、不可解な歯車が回っているらしかった。
 そのまま、かさかさっ、と這い進んでゆく。
「ええ、ええ、そうなんスよー。なにかいいネタあったら、お願いできません?」
 編集者たちが電話にかじりついている。
 最終的に、アトラスの誌面をつくっているのはかれら、白王社の社員である編集者たちだが、実際の制作には社外の、フリーランスの編集者やライターたちも数多く携わっている。麗香は、実際に現場で取材に動き回っているそうした外部のスタッフたちからも、いい企画があれば募集して構わないとの触れをだしていたのである。
「頼みますよ。ええ、そう、そうなんです。じゃあよろしくお願いします」
 ひとりの編集者が受話器を置いた。――と、その背後から、
「あのー、すみません」
「うわ、びっくりした」
「わたしにも、お手伝いさせていただけませんか?」
 格好に目をつぶれば、さわやかと見えなくもない笑顔で、リュウイチが話し掛けるのだった。

 そして、再度の企画会議の日だ。
「ええと、それじゃあ、誰から発表してもらおうかしら」
 と、顔をあげた麗香の視界の中に、なにか肌色をしたものがうごめいていた。
「…………」
 冴えない表情の、顔色の悪い編集者の群れの中に、ひときわ血色のよい肌の、金髪の中年の男が裸で混じっていて、元気よく手を挙げて目をキラキラさせているのである。
「じゃあ、まず、サン――」
 と、いちばん青い顔をしている青年を指そうとした瞬間、その男が泣き出さんばかりに瞳をうるませるので、麗香はやむなく、
「仕方ないので、そこのピンクっぽい人」
 と指名(?)する。
「はいッ。それではハットリ・リュウイチ、企画を発表させていただきますッ!」
 すたっ、と機敏な動作で立ち上がる。長身に、ゆたかな金髪が揺れた。
「こちらです!」
 高らかな宣言とともに、パチン、とその指が鳴らされる。
 すると、どういうわけか、会議室の照明がピンク色に切り替わり、どこからともなくムーディなBGMが流れ出した。
 そしてするりと、壁に横断幕が垂れ下がる。そこにはデカデカと墨文字で、

  東京都内 人面犬 台調査

 と、書かれてあった。
(今頃、人面犬……!?)
(台調査って……大調査の誤字?)
(ってゆうか、なに、その企画)
 編集者たちの生ぬるい視線が交錯する。
(こ、こんな阿呆な企画を出したら……)
 ガタン、と麗香が椅子から立ち上がる。
「くるぞ……」「くるぞ……!」「くるぞ……!!」
 編集者たちは思った。
「きた……」「きた……!」「キターーーーー!!」
 リュウイチは思った。
(「ダメよ、ダメダメダメ! こんな企画で読者の心をつかめると思ってるのーーーッ!?」)
(「ああっ! へ、編集長! もっと! もっと踏んでください!!」)
 あふれでるドリームそのものを抱き締めようとするかのように、リュウイチは両腕を広げ、麗香の足蹴が飛んでくるのを待った。その厚い胸板から、ピンク色のエナジーが迸るかのようであった。
 だが。

「あら、いいんじゃない」

「………………え?」
「面白いかも。いいわね、これ、いきましょう」
 一同は言葉を失った。
「はい、それじゃあ、次」
「…………」
「どうしたの。ほら、次」
「あ……、えっと、じゃあ、これ企画書です。あの……高名な霊能者の日常を密着で追うっていうルポで……」
 そして会議は進行してゆく。
 壁際では、期待のゲージがMAXまで高まったところでお預けをくらった男が、なにかのメーターが振り切れたように、真っ白くなっているのだった。

(了)