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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


祟られ姫の初恋

 九条アリッサ、17歳。九条財閥のうら若き跡取り娘。実際は既に財閥を牛耳っているとも言われる才媛でもある彼女から、事もあろうに三下忠雄にラブコールが来た所から物語、いや、事件は始まった。幼い頃より関わる者も皆に不幸(もしくは死)をもたらしてきたと言われる災厄の姫君。『祟られ姫』などと称される彼女の招待を、編集長命令によって半ば強引に受けされられた三下は、虚ろな瞳で部屋の面々を振り向いた。
「誰か…どなたか一緒に行ってくれませんかね…」
 か細い声に皆がそれぞれに反応した。すいと視線を逸らしたりにやにやと笑ったままバイバイ、と手を振ったのは勿論、編集部の面々だ。だが幸運な事に、この時部屋には数人の来客及び臨時アルバイトが居た。

「あの…俺でよければ、行きましょうか?」
 まず手を上げたのは、大和嗣史(やまと・しふみ)。この優しげな面差しの好青年は、とあるバーの経営者だ。散歩ついでに集金に訪れた所に、この話題が持ち上がっていたのだ。おずおずと手を上げた所を見ると、どうやら皆に見捨てられそうな三下を哀れに思ったらしい。性格も見た目通りで、三下にも無条件に親切にしてくれる、数少ない人材だ。次に勢い良く手を上げたのは、海原みあお(うなばら・みあお)だ。銀色の髪に同じ色の瞳をした可愛らしい少女は可哀想、と言うより興味津々と言った感じで目を輝かせている。
「みあおも行くよ?三下がお婿入りなんて見逃せないもん!!」
 みあお嬢がそう叫べば、臨時バイトで校正をしていた村上涼(むらかみ・りょう)もなるほど、と手を上げる。就職活動の合間の小遣い稼ぎには丁度良いとも思ったのだろう。
「いいよ、行ったげる。三下さんと一緒なら安全だし…私は」
 こうなると、参加しない訳にも行かない。水城司(みなしろ・つかさ)も仕方ないなと呟きながら手を上げた。
「水城さんも来てくださるんですかっ」
 三下がちょっと嬉しそうな声を上げたのは、彼の本業が『トラブル・コンサルタント』だからだろう。別にだからと言って特別な働きをするつもりもなかったが、まあ三下に護法をつけてやるくらいはしようかと、司は密かに思った。そして、最後に手を上げたのはセレスティ・カーニンガム。三下を可愛がっている彼は、ゆったりと微笑むと、言った。
「良いでしょう。私も参りますよ。三下がそれ以上怪我でもしては、可哀想ですから」
 そう。セレスティの言う通り、交通事故に遭ったと言う三下の右足は既に包帯ぐるぐる巻きだ。初めての慈愛に満ちた発言に、うっと瞳を潤ませた三下だった。

「それにしても、三下さんがもてたなんてねえ。妙だわ」
 と言ってうーん、と首を傾げた涼に、皆も同感の意を示す。
「怪奇雑誌の編集者をわざわざ呼びつけるってのも、何か不自然だしな。何か企んでたりするんじゃないのか?」
 司が言うと、隣で考え込んでいた大和嗣史も頷いた。
「確かに、そう言う可能性も捨て切れませんね…。事故が全て単なる事故なのか、と言う点も含めて、調べておいた方が良さそうですね」
「ええ。全部が、とは思いませんが、仕組まれたものもあるかも知れません」
 とセレスティが言い、みあおがぴっと手を上げた。
「はーいっ!じゃあみあお、碇にちょっと聞いてくるね!事故の資料とか、きっと持ってると思うよ?」
「あ、俺も。事故にあった人の中で、生きている人が居たら話を聞いてみたいので」
 と、嗣史も腰を上げると、涼も続いた。
「じゃあ私はDBを当たろうかな。ちょっと気になる事もあるし」
仕事が入っていたセレスティと当日の段取りを打ち合わせた後、涼とみあお、そして嗣史、司は碇麗香のデスクに向かった。

「良いわよ。事故についてはこれを見て」
 話を聞いた麗香は一冊のファイルをみあおに渡し、涼にはノートパソコンを渡した。資料についてはみあお達に任せ、司は涼の隣に立った。
「えーっと…」
 向かいのデスクで資料を覗き込むみあおと嗣史の会話を聞きながら、涼が麗香のパソコンから、九条財閥関連のDBを開いていく。それによれば、彼女の祖父母はかなりの人物だったらしい。中堅の海運業だった九条海運を、一挙に財閥と呼ばれるまでに成長させたのは、先代の力だ。現在は食品関係から旅行関連までを手がける九条グループだが、その3分の2はアリッサの祖父の代に着手した事業だ。無論、今もそれを発展させ続けているのだから、2代目も大したものだと言えるのだが。
「先代は、洋平氏にはあまり期待してなかったらしいな」
 と言うと、涼がどうして、と顔を上げた。
「彼の経歴を見れば何となく分かる。最初の数年は仕方ないとしても、跡継ぎとして育てようってんなら、普通はすぐに自分の傍に置くさ」
九条洋平は九条海運に入社したものの十年で関連企業に出向になっていた。出向先はグループ企業相手の旅行会社。グループ企業相手の営業しかなく、企業努力の必要も無い代わりに、野心を満たすような展開も望めないそんな会社だ。先代は出来の悪い息子を、安穏とした籠に入れておく事にしたらしい。
「なるほどねえ」
 と、溜息交じりに呟いた涼の傍を離れて、麗香のデスクに寄った。
「あれ、三下くんは?」
 三下を探して見回すと、麗香が顔を上げた。
「病院行ったわよ。一応怪我人だから休みは取ってるし」
「交通事故って言うから、ちょっと気になったんだけど」
 と言うと、麗香がぷっと吹き出した。
「もう災厄が降りかかったんじゃないかって?それは無いわよ。だって彼女から連絡が来るより前の事ですもの。三下がドジでマヌケなのは、良く知ってるでしょう?だって、あれは…」
 くすくすと笑いながら麗香が話してくれた事情に、司がやれやれと肩をすくめた所で、みあおと涼の話が聞えてきた。既に大和嗣史は出かけ、今はみあおが一人で資料を読み上げている。
「死んじゃったのは3才の時の乳母さん、おじいちゃんおばあちゃん、それから家庭教師さん。後は…行方不明…か。葛城昇って…?」
「婚約者。っ言っても勿論、親が決めた相手だけどね」
 画面から顔を上げて涼が答える。
「でも、こいつに限って言えば、行方不明になってくれて正解ね」
 葛城財閥の没落は、以前ちょっとしたニュースにもなった。葛城省吾郎と言う男が一代で築きあげた新興財閥が、今は数個の子会社に名の一部を残すだけになっている。
「昇の父親、一仁ってのが典型的なボンボンでね。婚約も一仁とアリッサ嬢の父親の間で決められたらしいわ」
 涼の言葉に、司があれ、と振り向いた。
「って、彼女の父親って、ずっと帰国して無い筈じゃ?」
「ヨーロッパで会って、父親同士意気投合した、って感じみたいよ?まあそりゃ、利害も絡んでるとは思うけど。息子の方も父親似でね。どうせ婚約者は決まってるし、とか言って遊びまくってたみたい」
「おいおい。15歳だろ、そいつが行方不明になったのって…」
 呆れる司を、涼はじろりと睨んだ。
「人の事言えるか、蛸足が…」
 いわれの無い突っ込みを無視して彼女の隣に戻ると、司はキーボードに手を伸ばした。
「ふうん。葛城グループの基幹企業がその前後にばたばた倒産、か。計画的倒産及び一家離散て奴かもな」
「うん。今残ってるのは葛城個人の借金だけみたいだけど、それでも1億は下らないわ。当然、葛城夫妻も失踪中」
「縁が切れて御の字」
 司は軽い溜息を吐いた。みあおは何やら考え込んでいる。
「あとは、気になるのはおじいちゃんとおばあちゃんの事故だけど…」
 涼が素早く開いた書類を見て、司は少し眉をひそめた。
「それについては、ちょっと問題があるみたいだな」
 司が言うと、涼も頷いた。
「二人にかけられた保険金の額、並みじゃないもの」
「ふーん」
 みあおも資料を置いて、涼の手元を覗き込む。アリッサの祖父母、九条宗太郎とシズの保険金は二人合わせて3億を越えていた。受取人はアリッサの父、九条洋平。資料によれば、シズは長い間患っていて、定期的に病院へ通っていた。宗太郎はいつも自ら運転して妻を病院に送っており、毎週火曜、二人が車で出かける事は屋敷の誰もが知っていた。事故は病院への道中、踏み切りで起きた。原因はブレーキの破損。事故、事件の両面から捜査されたようだが、立件するに足る証拠は見つからず、事故として処理されている。九条洋平は既に海外に居たが、同時期に傾いていた彼の会社が立て直された事、そしてこれは三流週刊誌から出た話ではあるが、彼に横領の噂があったと言うのも無視できない。そして…。アリッサ嬢にも、高額の保険がかけられていた。総額、2億。涼と司は、顔を見合わせて、頷いた。

「うっわあ、大きな家〜」
 涼が思わず歓声を上げたのも無理は無い。九条家の屋敷は一瞬公園かと思うほどの広さで、今時見かけない見事な洋館だ。これを見て平然としているのはセレスティ・カーニンガムだけだった。6人が門を潜ると、すぐに執事らしき人物が出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました。執事の仁藤です」
「あの、三下です」
 しゃちほこばった三下に続いてそれぞれ自己紹介をすると、執事はにこやかに5人を案内してくれた。みあおだけは、前日に一人で九条家を訪問していたが、後は皆初めてだ。門から玄関までは少しあって、薔薇が植え込まれている。
「見事ですね」
 褒めたのはセレスティだ。嗣史も頷いている。彼の背後から覗き込もうとした三下の頬を、薔薇の陰から飛び立った蜂が掠めた。ひい、と悲鳴を上げる三下の背を、涼とみあおがばんばん!と叩いた。大丈夫、あんたなら何があっても死なないから。多分、そう言う意味だろう。念の為三下には護法をつけていた司だったが、その必要は無いかも知れない、とも思い始めていた。この屋敷、少し荒れてはいるものの、霊的には綺麗だ。と言う事は…。
「ま、行って見ますか」
 誰に言うともなく司が呟いたその時、うひゃあ、と情けない声がして、三下が地面に激突していた。無論、祟りではなくいつも通りだ。

 応接室は広かった。20畳はあるのではないだろうか。飾り棚の壷には薔薇が活けてあり、大きめのソファは3人がけどころか5人は座れそうで、その右端から三下、みあお、涼の順に座り、司と嗣史の男性コンビは彼らの両側に置かれた二人掛けに、セレスティだけは車椅子に掛けたままだった。右足の包帯も痛々しい三下は、ここへ来るまでに数個のかすり傷を負っていた。門を入ってすぐに蹴躓き、重厚なドアには挟まれ、壁に激突したお陰だ。どれも大した怪我ではないが、とどめに出された紅茶をひっくり返してソーサーとテーブルをびしょびしょにしてくれた。
「さすが」
 皆の気持ちを代弁した司が、ハンカチでさっと紅茶をふき取ってやる。すぐに代わりを、と言う年配の女中に、三下が力なく首を振り、
「僕はもう、何もしない方が良いみたいですから」
と言ったその時、ドアが開いた。現れたのは九条財閥の実質当主、九条アリッサ嬢だ。長い黒髪を腰までたらし、淡い緑のワンピースからはほっそりとした手足が伸びている。顔立ちは清楚で可憐。ぱっちりとした黒目勝ちの瞳には、十年間屋敷に引きこもったままとは信じられないような生き生きとした光があった。評判どおりの美少女だ。ちらとみあおに微笑みかけた後、ソファの片隅で小さくなっている三下を見つけた彼女は、ぱっと表情を輝かせた。
「三下様っ、三下様ですのね?」
 どうやら三下を気に入っている、と言う話は嘘ではないらしい。はい、三下です、などと気の聞かない返事をしつつ、月間アトラスの最新号を差し出す三下を横目に、涼が首を傾げて呟いた。
「事実は小説より奇なり、って奴?」
「まあいいや、三下がこんなすごいお屋敷にもらってもらえるなら。幸せになってねっ」
 と、何故か嬉しそうなみあお。それから付き添い5人も自己紹介をした後、アリッサが話し出した。
「今日は、碇さんからお話は聞いてます。皆さんは、この家・・・いえ、私にまつわる怪異を解いて下さると」
「まあ、そのつもりでは居るけど」
 涼が言うと、みあおも
「だって三下死んじゃったら可哀想だし?」
 と頷いた。
「祟りってのは、色々とありましてね。現場を調べないとわからない事もあるんですよ」
 司が言い、皆の様子を見渡したセレスティが、にこやかに提案した。
「申し訳ないのですが、アリッサ嬢、私たちに少しお屋敷の中を調べさせていただけませんか?使用人の方々にお話を聞く事も、許していただければと思うのですが」
 アリッサ嬢は少し目を丸くした後、三下をちらりと見て、お願いしますわ、と微笑んだ。

「ふうん、ここから落ちたの…」
 涼がテラスからひょいと首を出し、すぐに引っ込めた。家庭教師が転落したゲストルームは、2階にあった。頑として動こうとしない三下と、その護衛役として大和嗣史を一人残して、涼と司はアリッサに案内されて事故現場を見せて貰っていた。ここは応接間のある本館からは少し離れていて、この真上がアリッサの部屋になっている。
「結構高いわね。2階くらいって思ってたんだけど」
涼が言った。司も頷く。
「天井が高いからな。以前は下、コンクリだったそうだし」
家庭教師の転落事故については、あらかた編集部でも調べてきたが、すっきりはしなかった。事故が起きたのは夜中で、目撃者も居なければ、アリバイのある人間も居ないのだ。何より、夜中に彼女がバルコニーなぞに登った理由がわからない。彼女の事故の後、下のコンクリは花壇に変わっていた。
「どんな方だったんですか?その家庭教師さん」
 司が聞く。
「T大生の方にしては少々派手な雰囲気で、でも気さくな良い方でした。確かお母様のお知り合いの娘さんとかで」
「お母様って、ご両親はその頃もう…」
 涼が言うと、アリッサはええ、と頷いた。
「当時はフランスに。でも、優秀な方だから、と」
「仲は良かったんですね」
 と、司。
「はい。私は一人っ子ですから。お姉さんが出来たみたいで。転落したのはそのバルコニーから身を乗り出し過ぎたせいだろうと、警察の方は仰っていたのですが」
 アリッサはそこでふと哀しげに目を伏せた。
「もしかすると、私のせいかも知れないのです。そう思うと辛くて」
 涼と司は素早く目配せをした。
「と、言うと?」
 司に促されてアリッサが語った事実は、二人の予想を裏付けるものだった。


「どうでした?」
 と聞く嗣史に、ばっちり、と笑って見せたのは、涼だ。そこに、みあおとセレスティが戻ってきた。どうだった?と聞く涼に、みあおは元気良く頷き、
「変なコレクションなら、別に問題無いみたいだよ?」
 と、答えた。セレスティもそのようです、と頷く。
「お屋敷の中にも、変なモノは居ない感じ。祟られ姫、なんて言うから、もっとすっごいモノが居るのかと思ったけど」
「ええ。問題は無さそうですね」
 嗣史が同意すると、みあおはぽん、とソファに腰を下ろした。
「それでは、これまでのは全部偶然だったと…?」
 アリッサの言葉に、皆、一瞬困ったように顔を見合わせた。互いの意見を確認するのに、少し時間を貰った後、再びアリッサを交えて席に着き、まずは司が話し出した。
「これまでの事故については、…そう、半々と言うのが正解かな」
「半々?」
 アリッサが首を傾げる。
「人の意思によるものと、そうでないもの、と言う事ですよ」
 と、セレスティが補った。途端にアリッサの表情が曇ったのを、あえて無視して彼は話を続けた。
「まず、最初の乳母の事故死、あれは本当に事故だったのでしょう。とても不幸な事ではありましたが…。けれど、それを利用しようとした人間が居たんです。死者が一人ならば事故、でも続けばジンクスにもなる」
「利用って、まさか祖父達の…」
 信じられない、と言った顔で後退るアリッサの手を、みあおがきゅっと握る。司が答えた。
「その件については、当時の保険調査員も最後まで疑惑を持っていたようです。でも証拠が出てこなかったし、目撃者も居ない。疑惑の域を出ません。けれど」
「次の事件では、そうは行かなかったんです」
 後を引き取った嗣史が言った。
「次って…。まさか、結花さんの…」
「いえ。結花さんは事故です。…無関係ではありませんが。問題はその後の新渡戸さやさんの事故です。ただし、狙われたのは…」
 嗣史の視線が、アリッサに向けられる。彼女の瞳が見開かれ、みあおが握っていた手に力を込めた。
「そう。貴女ですよ、アリッサ嬢。さやさんが落ちたバルコニーの手すりは、錆びていたのではなく、予め切れ目が入っていたんです。さやさんははっきりと覚えていました。ただ、怖くて結局、言い出せなかったのだそうです」
 涼が後を引き取り、続けた。
「そして彼女は以後1度も出勤しないまま翌月には退職。勿論、警察がちゃんと入れば、バルコニーの手すりの細工なんてすぐに見抜かれたでしょう。でも、そうはならなかった。元々ここは錆びていたから、と証言した人が居たからよ。その人はさやさんにも多額の賠償金を支払い、そのまま退職を促したようね」
 涼の視線を皆が辿る。僅かに開いていたドアを開けたのは、先刻、紅茶を持ってきた女中だった。
「そうですね、信楽蔦子さん」
 嗣史が言うと、彼女は強張った表情で目を伏せた。
「私達は最初、貴女が洋平氏の命を受けて、彼女の命を狙っていたのかと考えたの」
 涼の言葉に、蔦子がぴくりと頬を動かす。
「けれど、途中でそれは妙だと気付いたわ。来客の体調不良、外出先でのちょっとした事故。どれも彼女の行動を制限する結果にはなっても、命を脅かす程の事ではなかった」
 それでも答えない蔦子に、嗣史が言った。
「蔦子さん。貴女はもしかして、彼女を守ろうとしたのではありませんか?」
 皆の視線が蔦子に注がれる。
「あのね、おばさん。アリッサ本当は知ってるんだよ。お父さん達が帰ってこられないのは、祟りのせいなんかじゃないって。病気になったって言うのは嘘だったって」
 アリッサの手を握り締めたままのみあおが言った。
「病気になったって言うから、心配してドイツの病院にも電話したんだって。だから…」
 みあおの表情は悲しみに歪んでいる。信楽蔦子は信じられない、と言うようにアリッサを見た。
「もう良いんだよ」
 途端に、信楽蔦子はわっと声を上げて泣き崩れた。皆が一様にほっと息を吐く中、三下だけがきょとんと周囲を見回していた。

 女中頭の信楽蔦子は、翌日、九条家を去った。アリッサはひきとめたが、彼女は聞かなかったのだそうだ。元凶はアリッサの父、洋平のつまらぬ嫉妬だった。事業の才を全く受け継がなかった息子を早々に見捨てた父への恨み、まだ幼いが既に才能の片鱗を覗かせていたアリッサへの羨望。自分の受けるべきものが全て娘に注がれた事に、我慢がならなかったのだろう。乳母が死んだ時、お前さえ居なければ、と繰り返し責められた記憶は、その後の彼女に大きな影響を及ぼした。海外に出かけた両親の帰国が延期になったのは、最初は無論偶然だったが、アリッサはそうは思わなかった。婚約者の家が没落したのも自然の成り行きだったが、彼女はそうは思わなかった。一方、父はそんな彼女に多額の保険金をかけ、命を狙うようになっていったのだ。
「不運と悪意と、思い込み、か。祟りの正体って、何だか哀しいもんだったわね」
 涼が言った。週明け、編集部に報告に訪れた5人は、再び応接室でテーブルを囲んでいた。先代夫婦の事故については、蔦子は最後まで違うと言い通した。
「事件として成立するものも、無かったな。藤家結花の場合も未遂で、本人は死んでる訳だし」
 と、司。バルコニーの手すりに薬を使って切れ目を入れた犯人は家庭教師の藤家結花だった。結花に誘われて、アリッサはよく、夜中にバルコニーで話をしたのだそうだ。彼女の部屋は、結花の宿泊するゲストルームのすぐ上だった。いつも、結花が下から紙縒りを投げて合図し、上下のバルコニーでそれぞれ星を見ながら話をしたのだとアリッサは言っていた。だが、藤家結花が転落した夜、彼女は熱を出していつもより深く眠っていたのだ。それを知らない結花は苛立ち、いつもより身を乗り出したのだろうと言うのが、皆で出した結論だった。結花はアリッサの母の遠縁で、高学歴は事実だがあまり評判の良い娘ではなかった。ブランド好きで、カードの借金が山のようにあったと言う。検死の結果、彼女の体内からアルコールが検出された事については、罪の意識からか、単なる習慣だったのか議論の分かれる所だったが、真実は闇の中だ。バルコニーの細工に気付いた蔦子は、同時に洋平の企みにも気付いた。彼女は洋平を諌めたが聞いては貰えず、洋平は引き続き娘の命を狙った。自分はヨーロッパに滞在したまま、あらゆる手段で娘を殺そうとしたのだ。蔦子はその都度、それとなく事前に警告し、アリッサを守った。
「嫌よねぇ、粘着質の男って」
 涼がうんざりしたように言うと、セレスティも苦笑して頷いた。
「まあ、粘着質、と言うのは事業家の資質としては悪くないんですけどね」
 アリッサが外部の人間との接触を避けるようになってから、洋平は方針を変えた。今度は屋敷に、自分の息のかかった人間を送り込む事にしたのだ。だが、これもすぐに気付いた蔦子が片端から防いだ。彼女が使用人達に厳しかったと言うのはその為だ。来客に関しても同じで、三下がひっくり返した紅茶には、実は下剤が仕込まれていたらしい。
「アリッサ嬢に、全部話してしまえば楽だっただろうに」
 司がぽつりと呟く。
「そうしたら、アリッサが悲しむもの。…でも、良かった」
 と言ったみあおに、皆の視線が向けられる。
「だって。親はちょっと困った人たちだけど、アリッサはちゃんと、愛されてたんだから。だからきっと、これから幸せになれる」
 幸せ。みあおの言葉が、ふと皆の記憶を呼び起こした。そういえば。
「そうね。三下さんもきっと…」
 思い出したように涼が呟く。
「いや、それはどうかな」
 司が目を逸らす。
「うーん」
 嗣史も微妙な表情だ。
「だと良いのですが…」
 セレスティも困り顔だ。
「…みあお、信じてる」
 と言った彼女の表情は既に哀しげだ。アリッサが三下に恋心を抱いていたのは、事実だった。が、問題はそのきっかけだ。どうして彼を、と聞いた涼に、アリッサが頬を染めつつ語った所によると…
「先週のことですわ。うちの飼い猫のクロが、車にはねられそうになりましたの。そこに三下様が…。クロをかばって、お怪我をなさいましたの。お陰であの子は傷一つ無く、お礼を、と思いまして、救急車の搬送先をお聞きしたのですけれど。既にお帰りになったと…。きっとお優しくて控えめな方なのだと。落として行かれた封筒から、会社を突き止めましたのよ。どうしてもお会いして、お礼をして、それから…」
 だそうなのだが。これは事実とはかなりかけ離れていた。三下によれば、クロは道を横断しようとした彼の前にひらりと現れ、威嚇したのだ。普段ならばそこで引いてしまうのが三下だったが、何故かその時に限って、負けるもんかと思ったのだと言う。彼は駆け出し、戦おうとした所に、運悪く車が突っ込んできたのだ。三下に驚いてひらりと飛びのいた猫は無事。三下は跳ねられ全治2ヶ月。猫の飼い主がお礼をしたいと来ている、と聞いた三下は、全て見られていたと思い込み、居ないと言ってくれと看護婦に懇願した。騙し通す事が出来れば『逆玉』も夢ではない。が。
「無理、かなあ…」
 みあおの言葉に、皆、激しく頷いたのは言うまでもない。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【4971 / 大和 嗣史(やまと・しふみ) / 男性 / 25歳 / 飲食店オーナー】
【0381 / 村上 涼(むらかみ・りょう) / 女性 / 22歳 / 大学四年】
【1415 / 海原 みあお(うなばら・みあお) / 女性 / 13歳 / 小学生】
【0922 / 水城 司(みなしろ・つかさ) / 男性 / 23歳 / トラブル・コンサルタント】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

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■         ライター通信          ■
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水城司様

ライターのむささびです。二度目のご参加、ありがとう御座いました。お楽しみいただけたでしょうか。護法をつけて犯人をいぶり出す予定でしたが、三下がどうしても嗣史を放してくれなかったのでそこまでは至りませんでした。すみません。紅茶をふき取って置いたのは、後で使えるかも知れないと言う考えからでしたが、調べるより早く蔦子女史が話してくれました。 それでは、水城氏のご活躍と幸せと共に、またお会い出来る事を願って。
むささび