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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


さくらのもりのまんかいのした



──さくらのもりのまんかいのした。そこにいるのはだあれ。



 黄金週間を迎え、陽気はますます夏めいてきた。
 暑い、と何度目かも分からぬ呟きを口にし、草間は事務所の窓から射し込む陽射しに眼を細めた。
 応接用のソファには各々部活帰りだという葉室穂積と初瀬日和が、零の用意した麦茶と和菓子に舌鼓を打っている。
 どうやら穂積が見た映画の話をしているらしい。あの監督はこうで、音楽は誰で、と語る穂積の話を日和は楽しげに聞いていた。
 その姿にここは溜まり場じゃないんだぞ、という台詞が喉元までせりあがってくるが、それを言うのも今更か、と思いなおし草間は一つ溜息を吐き出した。
我ながら悲愁のこもった溜息だな、と草間が自嘲の笑みを口元に浮かべたその時。
 まるでそれが合図だったとでもいうように事務所のドアが静かに開いた。
 

「やあ」
 にこやかな笑顔を浮かべて事務所の入り口に立つ青年の姿を目にして、草間は眉を顰めた。
 出来ることならもうしばらく見たくない男の顔がそこにはあった。
「帰れ」
「毎回毎回、第一声がそれだよね、草間。もっと応対にバリエーションを持った方がいいんじゃないかな」
 穏やかに提案する青年の言葉に草間の眉間の皺が深くなる。
「うるさい。とにかく帰れ」
 旧知の仲とは云えども、持ってくる依頼は怪奇現象がらみばかりという青年に、草間の対応は冷ややかだ。
 そんな所長の姿に穂積は目を丸くし、日和は小さく笑いを洩らした。
「初瀬、あの依頼人の人知ってるの?」
「ええ、明生さんの依頼の……あちらは津森明生さんっておっしゃるんですけど……調査のお手伝いをさせて頂いたことがあるので」
 草間さん、明生さんに対していつもあんな感じなんです、と日和は続ける。
「そうなんだ」
 数少ないお客さんなんだから大切にすればいいのに、と呟いた穂積に日和は苦笑で応えた。
 
 
「ああ、明生さん、ごめんなさい。ご依頼ですね、お話私が伺います」
 奥から現れた零が微苦笑を浮かべながら青年に空いたソファを勧める。
「兄さんも、もう開き直ればいいんですけれど」
 零は仏頂面の兄を見つめ、困ったように小首を傾げた。
「そうだよねえ」
 小声で笑いあう二人を、草間は不機嫌そうな顔を隠しもせず睨みつけた。
「それでご依頼は?」
「例のごとくで申し訳ないんだけれどね……」
「またあいつか!」
 声を荒げた草間に、明生は乾いた笑いを洩らす。
──どうやら肯定らしい。
「あいつ?」
 穂積の声に日和が答える。
「明生さんの……大切な人って言えばいいのかしら。同棲……というか同居してる女性なんですけれど、不思議なことによく巻き込まれる方で」
「トラブルメーカーだと云ってくれて構わないよ、日和さん」
 日和を振り返り笑顔を向ける明生に少女は恥かしげに顔を赤らめた。
「まあ、そんなわけで今度は旅先で何かに巻き込まれちゃったみたいでさ」
「……お前一人で何とかしろよ」
 ぶっきらぼうな草間の口調を明生は氣にした様子もなく話を続ける。
「そうしたいのはヤマヤマなんだけど、俺、ゼミの研究旅行でしばらく身動き取れないんだよね」
 そのあまりに暢気な口振りに、草間は自分のデスクから立ち上がった。
「お前らなあ!」
「まあ、まあ、兄さん、起こってしまったことは仕方ないですから。それで今回どのような?」
 溜息をつきながら先を促した零に、明生が語った詳細はこうだった。

 彼女は今回友人と共にT地方のある村に旅行に出た。
 その場所が、今の時期ちょうど桜や春の花が咲き誇るという場所で、本人は花見旅行なのだと笑っていたという。
 ところが昨夜、泊まっていた旅館から友人と彼女が散策に出たまま帰らないという連絡が入った。

「旅館の人の話を聴くと、どうやらその辺りって鬼の伝説が残る場所らしいんだよね。彼女、そっち系に好かれるの得意だからねえ」
 笑う明生に零がぽろりと呟く。
「笑い事じゃないんじゃ……」
「笑ってないとやってらんないよ、あの子の御守なんて。ということで、例によって例のごとく宜しく、草間」
 明生はにっこりと微笑んだ。
 
 

「ちわっ。花屋でござーい……ってあれ、どうしたのさ難しい顔して」
「こんにちは、臨時花売り娘でーす、ってあれ」
 明生が立ち去り、数分と立たぬうちに開いたドアに、草間は胡乱な眼差しを向ける。
 そこにたっていたのは、花工房「Nouvelle Vague」の店主高台寺孔志と、どうやら臨時アルバイトらしい赤星壬生だった。
「……花を頼んだ覚えはないんだがな」
 ぼそりと呟くように言い捨てた草間に、孔志は朗らかな笑顔で応える。
「くさまくーん、今日は何の日かな?」
「四月二十九日だ」
「日付を聞いてんじゃないっての。みどりの日だろうが。ということで、花屋な俺としては日頃のお礼も兼ねてお得意さん回りしてるとこなのさ。ほら、アルバイト、日和ちゃんと零ちゃんに渡して。こんにちは。良ければどうぞ」
「はいはい。こんにちわーっ。詰まらないものですが、どうぞー」
 花篭を抱えた壬生は元気な返事を返しながら、和紙で包装をされたチューリップの花を一輪ずつ渡す。
「おーい、壬生ちゃん、おまえさんが詰まらないって言っちゃダメでしょうが」
「ああ、そっか。ごめん、ごめん」
 明るい笑い声をたてる壬生に、
「有難うございます」
 日和と零はにっこりと微笑み返す。
「おれにもちょうだい」
「あんた、花好きなのー?」 
 穂積と壬生の遣り取りを尻目に、孔志は温かな陽射しの射し込む事務所を見回し、見慣れた顔がいないことに気付くと、あれ、と声をあげた。
「シュラインさんは?」
「セレスティのところだ。以前の調査で借りた資料を返しに行っているんだが……ちょうどいい、あそこのデータベースを使わせてもらうか」
 後半呟くように紡がれた言葉に、耳聡く孔志は反応する。
「ってことは、なんかまた調査が入ったってことか?」
 星が宿ったかのように期待に満ち溢れたその双眸に、草間は深い嘆息を洩らす。
「……首を突っ込むな、といってもつっこむんだろな、お前……らは」
「「当然」」
 声を揃えるように応えた孔志と壬生のほか、穂積と日和もにっこりと笑みを浮かべながら頷いた。
 草間は何かを呪うような唸り声を立てると、調査内容を知らない二人に要所を掻い摘んで説明をする。
 概要を聞き終えた孔志は、それなら、と呟いた。
「槻島さんあたりとかにも聞いてみるといいかもな、あの人旅行エッセイとか書いてるから、そこらへんの話詳しいんじゃないか」



「え、またなの?」
 携帯電話の向こうで盛大な溜息を繰り返しながら依頼内容を告げる草間に、シュライン・エマは眉を顰めた。
 世話しなく手帳に何事かを書き込んでいく友人の姿を見つめながら、セレスティ・カーニンガムは優美な面に微苦笑を浮かべる。
 資料の返却も終え、先日の調査の後日談などを聞きながら紅茶を楽しんでいたのだが、それもどうやらお開きにしなければならなさそうだ。
「どうしました?」
 軽い溜息とともに通話をきったシュラインにセレスティが問いかけると、彼女は肩をすくめてみせる。
「津森彩子さんって覚えてるかしら。彼女がまた妙なことに首を突っ込んだらしくて帰ってこないんですって。今回は本当の意味で姿を消したって意味なんだけれど」
 セレスティは、既知の間柄の女性の姿を思い出し、小さな笑い声をたてる。
「彼女のはもう……体質なんでしょうね」
「そうね、そういうしかないわね」
 続けて依頼の概要を語るシュラインの言葉に耳を傾け、粗方を聞き終えるとセレスティも軽く溜息をつく。
「それで草間さんはうちのデータベースで資料を探してこいと?」
「そう。話が早くて助かるわ」
「彼とも長いお付き合いですからね」
 執事にテーブルの上を片付けさせるとともに、セレスティは端末を用意させる。
 T地方、桜、で検索をかけると程なくして、両手の指の数に足らない程度の記事が表示された。
 そのすべてが行方不明に関する記事で画面を見つめる二人は表情を険しくする。
 年代はバラバラだったが、地元の子供、夫とともに花見に来ていた女性、あるいは行楽帰りにふらりと立ち寄った少女、子供と女性ばかりが行方不明になっている。そしていずれも数日から数週間の間に発見されたとの追記事が参考として添付されている。
「奇妙な行方不明事件ね。被害者はいずれも怪我一つなく救助されてる。……だからかしら、今回明生さんが暢気にしてたっていうのは」
 セレスティの背後から液晶画面を覗き込みながらシュラインが呟く。
「そうかもしれませんね。けれどそれなら調査依頼を態々出さなくとも良いように思いますが……」
「そうよね。でも彩子さんだから……」
 話がどう転ぶか分からないとい零したシュラインに、セレスティは柔らかな笑みを浮かべる。
「あなたのその懸念を明生さん自身も抱いたのかもしれませんね」
「まったく」
 シュラインもまた雇用主と同様に、知り合いの女性の笑顔を脳裏に描きながら、深い溜息をついた。
 
 

「T地方? うーん、俺だとちょっとわかんないですねえ」
 若い編集者は首をひねる。
 孔志から連絡を貰った槻島綾は、雑誌用の原稿を届けるついでに知り合いの編集者数名に、件の地について何かしらないかと尋ねて回っていた。だが、芳しい答えはなかなか返って来ない。
「あ、ちょっと待っててくださいね。おーい、おやっさん。東北のさあ、T地方って聞いてなんか思い出すことありませんかね?」
 綾にお茶を勧めながら、彼は煙草を片手に休憩所から戻ってきた年嵩の男に声をかける。
「ああ?」
 白髪の男は綾の姿を認めると、小さく頭を下げた。旅行ガイドや旅行記を手がけるこの編集部で、小柄な彼がもっとも古参であるということを綾も知っていた。
「すみません、お忙しいところ。少しお話を伺いたいのですがよろしいでしょうか」
「どういったことです?」
 目の前のソファにドサリと座り込んだ男は、綾の話を難しげな顔をしながら黙って聞いていた。
 そして、
「そりゃ、秘密の花園のことじゃねえかな」
 ぽつりと呟く。
「何でバーネットが出てくるんだい」
 思わず口を挟んだ若い編集者の言葉に、彼は苦虫を潰したような表情を浮かべる。
「お前はそういや、文芸あがりだもんなあ。知らないねえか。花の名所でも絶対に紙面で紹介するなって場所がいくつかあるんだよ。それが秘密の花園って呼ばれてんだ。T地方にも確かあった覚えがある。あそこは……桜じゃなかったか」
「……どういうことですか?」
 綾の問いかけに男は小さく咳払いをして居住まいを正す。
「そのT地方には確か見事な桜の森があるらしいんですがね、なにやら……人を食っちまう桜とかで」
「人を食う?」
「花見に行った客が行方不明になるそうです。それで人食いの桜って噂がたって。いくら見事な桜だからって人には早々教えられない場所だからって、ガイドにも載せてないような場所なんですよ」
「……だから、秘密の花園」
「ええ。だけどなあ」
 老年の編集者は苦笑を浮かべる。
「今はこっちが自粛していてもインターネットっていうもんがあるでしょ。探せばもしかしたらあそこの情報も載ってるかもしれません。無選別の情報ってのも、よしあしですなあ」



 集まったメンバーの顔をぐるりと見回しながら、シュラインは手早く資料を配る。
「出発は明日。それまでには資料には目を通しておいて頂戴。彩子さんとそのご友人の顔も覚えておいて。駅の集合時間には遅れないこと」
 その声に資料に軽く目を通していた日和がおずおずといった体で声をあげる。
「あの、明生さんは鬼の伝説があるとおっしゃっていたんですけれど、こちらにはそれについての資料がありません」
 その言葉にシュラインは小さく頷く。
「そうなの。残念ながらネットやリンスターのデータベースでは鬼というキーワードではヒットしなかったのよ」
「もしかしたら土地の方しか知らないものなのかもしれません。口承というのも考えられます」
 資料から視線をあげて綾が告げる。
「その可能性が高いと思うわ。旅館の女将さんに確認したら鬼が出るといわれている桜の森が確かにあるそうだから。村の古老を紹介していただいて話を伺う予定」
「なあ、その他に地元の図書館をあたってみるのはどうだ」
 孔志の意見にセレスティも笑みを浮かべながら同意を示す。
「財閥のデータベースも、マスメディアを基本としていますから。地域性の高いものに関してはそちらで調べた方が良いでしょう」
「そうなのよね、でもネックが一つ」
「え、もしかして普通に本を見るのができない図書館とか? ほら、閉架式っていうの?」
 目を丸めた穂積を壬生が笑う。
「そんなはずないじゃない。田舎の図書館で」
「そう。問題は図書館の形態ではなくて今が黄金週間だってことなの。公営の図書館はお休みなのよ。だから鬼については地元の方々からのお話が肝要になってくるわ」
 よもや黄金週間に調査の邪魔をされるとは思わなかったと、シュラインは資料の影で小さく溜息をついた。



「そんなに心配せんでもよほどのことがなけりゃあ、帰ってらっしゃるじゃろ」
 語り部を務めるというその老婆は調査員一同を目にしても臆することなく、言葉を噛み締めるようにゆっくりとしたテンポで語った。
「どうしてそう思われるんですか?」
 シュラインの言葉にその人は相好を崩す。
「チナリさまと遊んでいらっしゃるんじゃろ。あのヒトはなぁいつまでたっても童だからの、加減っちゅうものを知らんだけじゃ。ほれ、じゃから散ることも忘れてまだ花を咲かせとる」
 緩慢な動作で窓の外に見える白い桜の姿を指差す。
「チナリ、というのが、鬼の名前なのですか?」
 セレスティの問いかけに、否と小さな頭を左右に振った。
「他のもんは子供を隠す桜の鬼じゃなどと言うがな、あのヒトはなあ、やさしいさびしい童なだけじゃ」
「え、童ってことは鬼って子供なんですかっ?」
 幾分残念そうな表情の壬生に、老婆は頷き、むかーし、むかしな、としゃがれた声で語りはじめた。
 この村の外れに一人の美しい女が住んでおった。
 女はこの里の名主の囲いモンで、それまではそれなりの暮らしをしていたんじゃが、名主が死んで代替わりすると、一変してその日の糧にも困るような貧しい生活になった。
 村人は女を哀れと思うたが、新しい名主を恐れてだぁれも手を差し伸べたりはせん。
 それでも細々と畑を耕し、手持ちの着物やらを売ってその日の活計(たつき)にしておった。
 女には小さな子供がおった。
 十にも満たない、可愛らしい娘だった。女は娘を愛し、娘も母を愛した。
 じゃがの、おそろしい飢饉が来た年に、とうとうその子を食わすこともままならんようになってな。
 女は娘を死なせてしもうた。
 女は娘の躯を家の近くの桜の下に埋めたんじゃ。桜の森の中心にな。
 子供の墓を花で飾ってやりたかったのか、それとももっと別の理由があったのか、それは誰にも分からん。
 悲しみにくれた女もほどなく病に倒れたという。女の躯は新しい名主が手厚く葬ったという話じゃ。
 不思議なことにの、娘が眠る木の周辺で春になると女子供が姿を消えるようになった。
 いくら探しても見つからん。
 じゃがの、桜が散る頃になるとひょっこりと帰ってくる。
 えらい坊さんに供養してもらっても、なんも変わらん。
「帰ってきたもんが云うにはな、子供が不憫で帰れんかったという。ひとりで母親を待ってる子供と遊んでおったのだとな」
「それがチナリさん、ですか」
 書記を務めていた綾が眼鏡の奥の瞳を痛ましげに細めながら尋ねると、老女はやんわりと笑い頷く。
「そうじゃ」
「亡くなった方はいらっしゃらないんですか……その、チナリさんのために」
「だぁれもおらん」
 老婆は優しげに笑いながら、哀しい寂しいお人なんじゃよ、と繰り返した。



 その村は既に瑞々しい若葉の緑に包まれていた。
 春の華やかな花々は散り去り、昼顔やオオイヌフグイ、露草をはじめとした初夏の草花が田畑の隅のあちらこちらで密やかに息づいていた。
 ただ背の低い山の裾野には、残雪のように白いものが残っている。
 ──桜の花だった。
「事前の調査では危険は薄いと見てるんだけど、何があるか分からないから気をつけて。。優先順位は彩子さんとご友人の救出よ……武彦さん、そう不服そうな顔しないの。出来たら鬼……チナリさんもどうにかしてあげられたらとは思うけど」
 桜の森を眼前にして告げたシュラインの言葉に一同が頷く。
「じゃあ、行きましょう」



 普段立ち入り禁止となっているこの周囲も、やはりその花の見事さから禁を犯して立ち入る者が多いのだという。淡く儚いこの花々は人の心の琴線に触れるものを持つ。
 人は花に迷わされるのか。それとも花に迷うのか。
 その境界はひどく曖昧だ。
 ふいに前を歩いていた少女が立ち止まり、セレスティは思索を中断し、周囲に視線をめぐらす。
 いつの間にか空は暮れなずみ、空気の色が変わっていた。桜の作る異界に入ったようだった。
「初瀬?」
 隣を歩いていた穂積が訝しげな声をかけると、日和はしっと口元に指をあてる。
「聞こえませんか、女の人の歌声」
「声? 声なんて」
 一同は桜の花を見上げながら、そっと耳を澄ます。
 葉擦れの音に混じり聞こえてくるのは、包み込むような柔らかな女声。
「この声、彩子さんて人の声なの?」
 彩子と面識のない壬生が傍らのシュラインを見上げ尋ねる。
「いいえ、違うわ。彩子さんの声より随分と低いもの」
 声を辿り道の先に進むと、木の幹に身体を預け、座りこむ女性と子供の姿が見えた。
 藤色の着物を纏った女性はこちらに気付くとにっこりと微笑み、おびえたように自らに抱きつく子供の頭を、宥めるように撫でる。
 五十路近いだろうその人は穏やかな声音で、草間興信所の方かしら、と言った。
「彩子さんが迎えがくるならそちらからだろうといっていたのだけれど」
「……さんでいらっしゃいますか?」
 シュラインの言葉に婦人は頷き、視線を膝元と向ける。それにつられるように皆の視線が幼い少女へと向けられた。子供は向けられた視線におびえ、顔を隠してしまう。
「この子がチナリちゃん……ですか?」
 膝をつき柔らかな笑みを浮かべる綾に女性は頷き、少女はますます身体を硬くする。
「ずっと前から母親を探しているのだそうです。……いやな思い出があるらしくて、男の人が怖いらしいんですよ」
「だから姿を消すのは子供や女性の方ばかりだったんですね……」
 少女の頭に手を伸ばしかけ、綾は苦笑を浮かべそれを断念する。
「あの、ところで彩子さんの姿が見えないんですけれど……」
 周囲を見渡し告げる日和に婦人は小さく頷き、森の奥を指し示した。
「彼女はこの先にある桜の大木の下にいるはずです。ごめんなさい、ちょっと様子を見てもらっていいかしら。気の短いところがある子だから」
 何を仕出かすか分からないわ、と続けられた言葉に津森彩子の人となりを知る人間は、内心で溜息をつく。
「壬生さん。行くわよ」
 シュラインが壬生の手をとり、引っ張るようにして走り出す。
「えっ、ちょっと何っ」
「今回のメンバーの中で壬生さんが一番武闘派なの。いざという時はお願いね」
「彩子さんっていったいどういう人なのよっ。あたしは鬼退治に来たのよーっ」
「頼りにしてます、壬生さん」
 日和も力強く頷き、走り出す。
 壬生を引きずるように森の奥に走っていく女性陣の後ろ姿を見送りながら、セレスティは苦笑を浮かべながら私も先に行っていますね、とその場に残るメンバーに告げる。
「あのメンバーだけでは心もとないですから」


「行っちゃったよ……チナリちゃんは男がダメだって云ってんのに。やっぱり俺女装してきた方が良かったかなー」
 困ったように頭をかく穂積に綾も困惑したように笑みを口元に浮かべた。
 そして先程から黙り込んでいる孔志へと視線を向ける。
「高台寺さん……どうしました?」
「あ、うん、見事な桜だと思ってさ」
 孔志は遠い昔を懐かしむような眼差しを周囲に向ける。
「見てると感傷的な気分になるよな」
「チナリさんの話を伺ったばかりですしね……」
「それだけじゃなくて……いや、なんでもない」
 小さく首を左右に振り、そうだ、と呟いて身近の桜の木へと駆け寄っていく。
「高台寺さん……?」
「チナリちゃん、確かにな、世の中には悪い男はたくさんいるけど、いい奴だってたくさんいるんだぜ。おれみたいに」
 かたや穂積はチナリとコミュニケーションを取ろうと必死になって言葉をかけている。
「そうよ、チナリちゃん、このお兄さんたちは怖くないわよ」
 優しく背を撫でられ、チナリは隠れ見るように二人の表情を窺う。
「こわく……ない? おこら……ない?」
 かすれた声で尋ねる少女に穂積も綾も温かな笑みを浮かべて応える。
「そんなことしないよっ」
「大丈夫ですよ。……僕らに顔を見せてもらえますか?」
 チナリはそれでもまだ迷っているようだったが、女性の大丈夫という声に励まされて、ゆっくりと身体を起こす。
 小さな子供だった。今で言うなら小学校に入学するかしないかといった年齢だろう。
 粗末な着物に身を包み、髪の毛は不揃いだ。だが瞳が大きく、困ったような表情も愛らしい。
 綾が微笑んでみせるとはにかむように笑う。
「お、チナリちゃん、頑張ったな、じゃあ、お兄さんがちょっといいもんをやろう」
 戻ってきた孔志がにっこりと微笑む。すっと差し出したのは桜の花と葉で出来た簡素な髪飾りだった。
「もうちょっと道具があれば、もう少し色々できたんだがな」
 孔志はそれを婦人にわたすと、彼女の髪に飾ってもらう。
「かわいいわ」
「うん、すげー可愛いよ。高台寺さんもすげー、どうやって作ったの?」
「俺のポケットは四次元ポケットなのさ」
 孔志は笑いながらぽんぽんとジャケットのポケットを叩いてみせる。
 チナリは嬉しそうな笑顔を見せると、ありがとう、と小さく呟いた。
「チナリさん、僕たちと一緒にあちらの方に行ってもらえますか」
 綾が手を差し出すとその上に小さな手がそっと重ねられた。
 
   

 彩子は桜の木の下に佇み、慰霊碑らしきものをじっと眺めていた。
 見知った草間興信所メンバーたちの姿を認めると、遅いわよー、と叫ぶ。
「……今、とっても武彦さんの気持ちが分かったわ……」
「シュライン、それは今更ですよ」
 シュラインとセレスティは助けがいのない人だと溜息をつく。
「チナリには皆会った? そう。じゃあ、細かい説明は要らないか。あの子、この桜の花と半ば同化しちゃってるみたいなの。花の咲く季節に目覚めては母親探して、散ると眠りにつくっていうのを繰り返してるみたいなのよね。この桜燃やしちゃうのが手っ取り早いかな、と思ってたところなんだけど」
 彩子の発言に壬生が目を丸くする。
「うーん、確かに剛毅なお姉さんだね」
「壬生さん、そこは感心するところじゃないですよ。彩子さんそれだといくら何でも乱暴すぎます。……空気中の水分を冷やして温度を下げて、花を散らすっていうのはどうでしょうか? 雪を降らせるのでもいいと思うんですけれど」
 慌てた日和の提言にセレスティが首を振る。
「確かにできないことではないですが、それだと根本的な解決にはなりませんね。結局あの少女はここに囚われたままですし。今後行方不明事件も続くでしょう」
「だから焼いちゃおうかなーと思って」
「壬生さん、いざとなったらその人宜しくね」
 シュラインの言葉に、了解、と壬生が応える。
「鬼を投げ飛ばす気で来たんだもん、細っこいお姉さんの一人や二人まかせて!」
「そんなこと云うなら、備えあれば憂いなし、用意周到なシュラインさんは何か使えそうな道具をお持ち?」
 膨れた彩子は視線をシュラインが抱えるバッグへと向ける。
「この中に入ってるのは菖蒲に柊の葉、豆……それに式神ね」
「「式神?」」
 疑問の声をあげた面々に、シュラインは頷いてみせる。
「目くらましくらいになるかしらと思って知り合いの陰陽師に用意してもらったのよ」
「式神、式神かあ。……その式神ってこういう使い方しちゃだめかな……」
 彩子が難しい顔をしながら声をあげた。



「あれ、何か聞こえませんか?」
 先導とばかりに前を歩く穂積が声をあげ、皆が耳を澄ます。
 ──チナリ。チナリ。
「女の人の声だなあ。これが彩子さんの声ですかね」
「俺は直接彼女に会ったことがないから分かんねえんだよな……」
 穂積の問いかけに孔志が小さく首を振って答える。
 ──チナリ、どこに行ったの? おうちに帰りましょう。
 綾の手を握り不思議そうな顔をしていたチナリが驚いたような表情を浮かべ、周囲を見渡す。
「……おかあさん?」
 ──チナリ、チナリ。
「えっ、これチナリちゃんのお母さんの声なの!?」
 穂積のあげた声ももうチナリには届いていないようだった。
 綾の手を振り払って駆け出す。
 ──チナリ、迎えにきたわ。
「チナリさんっ?」
「追いかけよう」
 孔志の声に皆がいっせいに走り出す。
 
 

 足場の悪い桜の並木を抜けると、そこにはひと際大きな桜の木があった。
 その木のもとに着物姿の女性の姿が見える。
 夕闇のなかにぼんやりと浮かび上がるその姿は若い女のものように見える。
 ──チナリ、チナリ。
「おかあさん? おかあさん」
 チナリは泣きながら一目散にその女性に駆け寄り抱きつく。
 ──ごめんなさい、随分と待たせてしまったわね。
「あれってほんとにチナリちゃんのお母さんなのかな」
 囁いた穂積に綾はしーっと口元に指を当てる。
 ──お母さんと一緒に行きましょう。もうずっと一緒よ。
 チナリがひと際大きな泣き声をあげ、しがみつく腕に力を込める。
 ──チナリ、チナリ。
 徐々に少女の泣き声がか細くなり、それとともに輪郭が薄れていく。
 やがて、少女の姿は夕闇に溶けるように、姿を消した。
 

「上手くいきましたね」
 木陰から現れたセレスティたちに孔志たちは駆け寄る。
「あれは、いったいどうやったんだ?」
「シュラインが式神を持っていたので、それを使ったんです」
「あそこに石碑があるでしょっ。あれ慰霊碑でお母さんとチナリちゃんの名前とか生没年とか書いてあってね。それを式神の紙っていうの? あれに書き付けたの」
「式神というよりは形代として使う、っておっしゃってましたけれど」
 三人の説明に後からやってきたメンバーが耳を傾けていると、チナリが消えた桜の木の陰からシュラインと彩子が現れる。
「あくまでも形代だったからね、声はアテレコでした。声の魔術師、シュラインさんに拍手」
 そんなおちゃらけた様子の彩子をシュラインが軽く睨みつける。
「上手くいってよかったわ。もういつ気付かれるかとヒヤヒヤよ」
「なあでも本当にあれでチナリちゃんは成仏したのか」
 来年また現れるってことはないのかと、首を傾げる孔志に彩子が大丈夫でしょ、と呟いた。
「危ないから木から離れて」
 頭上を見上げると、桜が風もないのに散り始めている。
 次第に雪のように不自然に散り始めたそれとともに枝がきしむ音が聞こえ、しまいにはいくつもの太い枝が花をつけたまま折れては地に落ちた。
「すざまじい早さで枯れてるのか?」
 それはこの桜と同化していた彼女がもういないことを知らせている。
「良かった」
 誰のものとも知れない呟きが花吹雪に紛れて聞こえた。
 
 

 桜の残骸のその下で。
 穂積が慰霊碑の前に佇み、その表面を撫でながら微笑む。 
「おやすみ、チナリちゃん」







 ──寂しい花の森にはもう誰もいない

END



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 草間興信所事務員 】
【 2200 / 赤星壬生 / 女性 / 17歳 / 高校生 】
【 3524 / 初瀬日和 / 女性 / 16歳 / 高校生 】
【 4188 / 葉室穂積 / 男性 / 17歳 / 高校生 】
【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥 】
【 2226 / 槻島綾 / 男性 / 27歳 / エッセイスト 】
【 2936 / 高台寺孔志 / 男性 / 27歳 / 花屋 】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、またはお久し振りです、ライターの津島ちひろです。
皆様、この度はご参加下さいまして有難うございました。
今回もお待たせしてしまって申し訳ありません。
今回はルート分岐なし、総勢7名さまで会話を主体に物語を進行させて頂きました。
少しでも楽しんでいただけると幸いです。
ご縁がありましたら、またどうぞ宜しくお願い致します。

シュライン・エマさま
いつも有難うございます。今回も唯一の草間興信所職員ということで色々頑張って頂きました。
毎度ご迷惑をおかけしております……。

赤星壬生さま
二度目まして!是非その豪腕をふるって頂きたかったのですが、今回は妙な役どころをお願いしてしまいました。
コメント&ご参加有難うございました。

初瀬日和さま
いつも有難うございます。日和ちゃんがいると場面がとても華やぎます。音楽の描写が入れられずちょと残念でした。彩子サンについての補足説明を今回担っていただきました。

葉室穂積さま
初めまして! 是非とも女装をしたシーンを入れたかったのですが、申し訳ありませんでした……。
明るく、まっすぐなお兄ちゃんでとても描きやすかったです。

セレスティ・カーニンガムさま
いつも有難うございます。リンスターのデータベースは半ば草間興信所用資料室と化しております。
毎度ご迷惑をおかけしております……。

槻島綾さま
二度目まして。ご参加有難うございます。今回はご職業の方を絡めて調査に参加して頂きました。
眼鏡は私もとても好きです。機会がありましたらお願い致します。

高台寺孔志さま
いつもありがとうございます。今回は花屋である孔志さんに所々で頼らせていただきました。
因縁の花でもある桜の物語にご参加下さいまして有難うございました。