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<東京怪談・PCゲームノベル>


■アトラスの日に■


■風の架け橋■

 ウ――――ュルルルルル――――――ウウウウ、
 オゥ――――ルルル、
 ヒューユユユルュルョルルルル――、


 凍てついたレンの灰土が揺らめき、時折、空を渡るものにべつの世の地上を見せる。
 彼自身であり、彼の父でもある風は、ここが宇宙を映す鏡なのだと呟いた。
 星がまたたく灰の海が荒野に広がる。
 或いは、コンクリートで出来た灰の街並みが現れたりもする。
 地面から突き出ているのは、塔か、巨人か、ただの立ち枯れた樹木か。
 さらに次の瞬間には、そこは得体の知れぬ獣たちが闊歩する黒々とした草原と化す。

 レンは意志を持った、もしくは白痴の、一枚の銀幕であるのかもしれない。『レン』と呼ばれながら、他の世界そのものでもある。つながっている。混ざりあっている。

 はっきりと意志を持った風は、ぼろぼろの黄衣をかき合わせ、塔のように孤独なひとつの山の頂に舞い降りた。そうして、しばらく、広大な銀幕が映し出す幻灯に無数の視線を注いでいた。
 けれどもそのうち強い風が吹き、ぼろぼろの衣をまとった彼を、事も無げに、何処ともない場所へ、さらっていったのである。

 彼はレンの向こう、無表情なカダスの山並みを眺め、さらにそれを超えた先にある縞瑪瑙の城を同時に見た。
 まばたきじみた行動に身を任せると、ただそれだけで、彼を取り巻く景色は変わる。変わっていってしまう。彼の意思は、どこへ消えたか。

 ――風だ。いま俺、風と一緒にいるんだ。
 ――ちがう、俺が風なんだよ。俺はこうして空まで変えられる。空が見下ろすすべてのものだ。目には見えなくたって俺ははそこにいる、ここにいる、あそこにいる。あの、守り神みたいに。

「ハスター! (ハストゥール!)(Hastur!)」

 ふと、彼の目の前に、光り輝く冠を頂いた黒い偉丈夫が現れた。
「さても、気ままな風にはそぐわぬ深謀遠慮かな。そちはそうして絶対善の戒めを逃れるか。そちの魂、そちの視線は、すでにハリの底には無い。人間と結ぶことで、山岡風太と云う架け橋を得たのだな。そちは落とし子にしてハスターそのもの。宇宙の風はすべてがそちに従おう。何故ならば、風がそちであるからだ。己を律せよ! 真理と復活は近いぞ! かのクトゥルフのように、そちはまたしても目覚めるのだ!」
 黒い混沌はけたたましい笑い声を上げた。笑い声と、それを修飾する笛の音は、風を貫き、ほんの悪戯心で導いていく。

 ――架け橋?
 彼は、小首を傾げた。つい最近、聞いたことがあることばだ。
 ――俺が、架け橋?
 ――ちがう。
 ――架け橋は……。
 風がごおうと凪いで、その目にとらえたのは、棺のような函で眠る少女だ。黒髪の……死んだ肌の……彼女は、はっと目を開く。瞳は、生気を失った金色だった。ああ。

「風太さん」
 彼女は言った。
「門は開いたままになっちゃったの……橋も架かってて……いつだって、戻って来れるんだよ。風太さんがそれを望めば、いつだって」
「俺が戻ったら、みさとちゃんはどうなる?」
 彼の言葉が、自然と彼女の名前を紡いだ。
 そうだ、彼女は蔵木みさとというはずだ。忌まわしきグラーキの毒棘にかかり、すでに彼女は水の虜。彼女は架け橋であると同時に、水のもの。貌無き守り神は、風と土と水とは平等に接する。時と場所に気分によれば、激しく嫌う火にさえ力を貸すだろう。
 守り神はきっと、風と水の饗宴を楽しんでいるのだ。
「そうだ、俺が戻ったら、みさとちゃんは壊れてなくなっちゃうよ」
「風太さん、あたしを殺すの?」
「だって、もうきみは死んでるんだもの、生きていたって仕方ないよ」

「俺、だけど、帰らなくちゃ……。みさとちゃんと一緒に生きていきたいから」

「俺、きみをばらばらにしないといけないんだし……」

「夢の中に戻らないと。きみにもう一回、『好きだ』って言うんだ」


 ブラァァァァァァアアアヴォ!!!!


 空を行くガレー船に、彼の身体がぶつかった。船はばらばらに砕け散り、木っ端とともに水夫が落ちていく。船を貫いた風は、少しもその勢いをゆるめることはなく、平らな世界の空を我が物顔で飛び続けた。実際に空は、彼のものなのだから。
 ガレー船の水夫たちは祈るばかりだ。吹き荒れる風がマストやオールを折ったとしても、呪うような真似はしなかった。この世界では神こそが絶対である。生きとし生ける、命という境界にくくられたものたちは、神々を忘れることさえ出来ない。

「風太さん、もうやめて!」
 死んで渇いた白い手が、彼の山吹のパーカーを掴んだ。
「帰りましょう。ほら、門はすぐそこにあるの。あたし、風太さんに帰ってきてほしい。お願い、お願いだから、風太さん……!」
 彼女は泣いていたのだ。山岡風太と呼ばれしもののために。

 山岡風太。
 己の生い立ちを知らぬ者。
 何も知らぬままに私立第三須賀杜爾区大学に通っている。
 ごく普通の父親と母親に、ごく普通に愛されて育てられ、少し生意気な妹も持っている。
 親の仕送りばかりに頼っていてはと、大学に通うようになってからアルバイトを始めていた。そのバイト先のひとつであるアトラス編集部で、彼は、蔵木みさとと出会ったのである。
 マサチューセッツや東京の片隅、そして夢の世界を経て、彼は風になってしまった。
 山岡風太は、少しずつ、廃れた風にみじん切りにされて、煮込みにされ、溶けて消えていくばかりなのだ。

 ばらばらにほどけていくその身体を、彼女の手が掴んで、引き寄せ、縫い合わせた。氷の針と水の糸で、乾いた黄衣がつながっていく。
つぎはぎだらけのその身体が、大きく口を開けた門の向こうに引きずりこまれていく。


 ひゅううう。


 パジャマ姿の蔵木みさとが、彼を見下ろしている。
 彼女は幼い子供のようにしゃくり上げて、涙をこぼした。
 風太はいつもの山吹のパーカーを着て、靴を履いたままの姿で、彼女の足元に倒れている。彼は夢を見ていた。けれども、身体は人間のもので、その右手で錫の鍵を握りしめていた。
「風太さん」
 泣きながらみさとは呼びかける。
「風太さん、あたし、何にも見なかったから……何にも見なかったことにするから……だって、ぜんぶ見てたけど……何が何だか、わからないんだもの……」
 彼女はそこに崩れ落ちて、流れ落ちる涙を拭い続けた。
「お願い、風太さん。今度は、風太さんが、秘密を教えて。あたしにわからないことだっていい。先生も知らないことだっていいの。
 ねえ、教えてほしいの。風太さん。

            風太さん。
                           風太さんって、なに?」


 けれども答えは、まだ夢の中にある。
 けれども最早、はっきりとしている。
 荒れ狂う風、ぼろぼろの黄衣のように見えるその皮膚、骨のない両腕。恐るべき声。宇宙をも渡る従者が、やかましい声で囀り、その足元で騒々しい祈りを捧げる。水という水を憎み、ナメクジやタコをかさかさに渇かしては、けらけらと嗤い声を上げた。
 それが、山岡風太なのだ。

 夢の中で風は骨のない手を伸ばし、蔵木みさとの白い首を掴んだ。ばりばりと音を立てて彼女の身体は水分を失い、砕け、ばらばらになって、壊れてしまった。
「これでいいんだ、これが未来だ、俺たちの未来だ、これこそが風だ。
 でもこれは、夢なんだよ」


 涙が頬に落ちても、涙が閉ざされたまぶたの間から流れ落ちても、山岡風太は目を覚まさなかった。


 ブラァァァァァァアアアヴォ!!!!
 ブラァァァァァァアアアヴォ!!!!
 ブラァァァァァァアアアヴォ!!!!
「美しきかな! 美しきかな! 美しきかな!」


<了>


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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2147/山岡・風太/男/21/私立第三須賀杜爾区大学の3回生】

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               ライター通信
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 モロクっちです。うつし世に、ようやくおかえりなさいませ風太さん(笑)。
 けれど『架け橋』みさとは、夢の中の夢で一連の事件を見てしまっていたのです。父親化した風太さんをしっかり目撃してしまった様子。さて、事態はまたあらぬ方向へと動き始めている様子です。一体どうすれば……。
 って、書いたのは紛れもなくわたしなのに、こんな弱気な発言をするとは(笑)。