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<白銀の姫・PCクエストノベル>


女神たちの迷宮【ダンジョン1:アリアンロッド】

ACT.0■PROLOGUE

 探偵は、酒場にいた。
 廃材を削り上げて組んだ無骨なテーブルは、ワインの染みと散った獣脂で汚れている。
 真ん中に置かれた石造りの灰皿に、山のような吸殻があふれているところをみると、この世界にも紙巻き煙草は存在するらしい。
 困惑した表情で肘をつき、酒場に集う勇者や冒険者たちと情報交換をしているさまは、あの興信所におけるおなじみの光景に見えなくもない。勇者たちは、衣服や装備こそアスガルドに適応したものに変わってはいても、そのほとんどが、この探偵と何らかのかかわりを持つ面々だったからである。
「探したぞ、草間武彦」
「こ、こんにちはー」
「失礼いたします」
 どっしりした無垢材の扉が、突然開けられた。
 つむじ風のように現れたのは、黒い鎧を纏った騎士と、巨大な救急箱を抱えたナース、見事な肢体を扇情的な衣装で包んだ踊り子という、珍妙な三人組である。
 草間は驚くでもなく、新しい煙草に火をつけた。
「よう。弁天に蛇之助にデューク。おまえたちもこのゲームに取り憑かれたか。まったく、やっかいなことになったもんだ」
「……冷静だな」
「知り合いの変貌にいちいち驚いてたら身が持たん。まあ、性別転換までやらかしてからここに来る変わり者は初めてだが」
「偽装度を高めたほうが、ゲーム世界では有利な気がしてな。ゆえに、われはここでは、騎士シヴァ・ドゥルガ、蛇之助はブランシュ・セルバン、デュークはデュエラ・アイゼンと名乗っておる」
 弁天――騎士シヴァは、手持ちの剣を横たえて、テーブルに直接腰掛けた。
「それで、調査は進んでいるのか?」
「いや。先日、邪竜クロウ・クルーハの覚醒イベントが始まったんだが……しかし」
 紫煙を吐き、探偵は言葉を濁す。金の瞳を細めて、騎士は笑った。
「先が、読めぬか」
「ああ」
「このゲームは、謎が多いのう。未完成のゲームだからということを抜きにしても」
「というと?」
「女神は4人いる。まず、それが解せぬ。ゲームの根幹プログラムが、どうして4つも必要だったのか」
 ともかく――と、シヴァは勇者、冒険者と呼ばれる人々を見回した。
「われの調べたところでは、この世界にはいくつか隠しダンジョンが存在する。手近なところから探索してみようと思うが、誰か同行せぬか? アヴァロンに繋がる鍵が、見つかるやも知れぬぞ」

ACT.1■勇者集結……?

「どうする、シュライン?」
 草間はかたわらを見る。あの興信所のデスクで、事務処理にいそしんでいる頼もしい存在をうかがうときと変わらぬ調子で。
「ダンジョンねぇ。マッピングに燃えた日々を思い出すわ。ゲーム本編とはあまり関わりのない、付加的なものだとは思うけど」
 顎に指を当てて思案するシュライン・エマの姿は、まるで膨大な情報量と演算能力を誇るスーパーコンピューターが、女性に変化したようにも見える。
「もしかしたら役に立ちそうなアイテムや、一般のNPCさんたちを助ける手掛りがあるかも知れないわね。行ってみましょうか」
「おお。ともに出かけてくれるか。おぬしがいれば百人力じゃ」
「……おいっ! 男の姿で気安く触るな!」
 うろたえる草間を無視し、シュラインの手を取ったシヴァは、ずずいと顔を寄せる。
「アスガルドではもっと親密な関係になりたいのう。どうだシュライン、これからモリガンの豪華なベッドルームで、一緒に午睡としゃれこまぬか?」
「昼寝してる暇なんかないでしょ!」
 シヴァの後頭部を烈風のような勢いで叩いたのは、ポニーテールの剣士だった。
「あたた……。これ、しえる。何も剣の柄で殴らずともよかろうに」
「まったくもう。性別転換だなんて、ややこしいことを」
 短剣状態の蒼凰をきらめかせ、嘉神しえるはシヴァを睨んだ。蒼地に藤を散らした和服を小粋に短く着こなし、半透明の薄絹を羽織ったさまは、ファンタジックな「くノ一」を思わせる。
「で、蛇之助のこの格好は、私への嫌がらせなの? 弁……シヴァ?」
「そんなことはないぞ。実はわれは前々からおぬしを愛しておったのだ。さぁ、胸に飛び込んでくるがよい」
「――それはともかくとして」
 大げさに両腕を広げたシヴァをさっとかわし、シヴァはブランシュに囁く。
「仕方ないわねえ。ダンジョンだか何だか知らないけど、つきあってあげるからさっさとクリアしましょ」
「どうもありがとうございます〜〜。……すみません、久しぶりにお会いできたのにこんな姿で」
「そうね。ま、似合ってるからいいけど」
 あはは、と爽快にしえるは笑う。ブランシュは救急箱を落とし、がっくりと膝をついた。
 広げた腕の行き場をなくしたシヴァは、同じテーブルに静かに腰掛けているガンナー――その冒険者は見事な銃を携えていた――に視線を移した。
「香都夜ではないか。久方ぶりだのう」
 黒いロングコートに身を包んだガンナーは、美しい青年に見えた。しかし、シヴァこと弁天には、それが男装の麗人、津田香都夜であることがわかった。 なぜならば、かつて夢の中の学園で、彼女と邂逅したことがあったからである。
 だが香都夜のほうは、シヴァを見ても記憶が蘇らないらしく、心もち首を傾げる。
「ここは、ゲームの世界なのか。私は、普通にサイトを巡っていただけなのに」
「われが判らぬと」
「……? どこかでお会いしたことがあっただろうか?」
「海キャンプでアバンチュールしたではないか。今はこんななりだが、われは夢の中では美貌の美術部長であった」
「……よく、覚えていない」
「構わぬ。夢は忘れても、新たな想い出をつくれば良いだけのこと。ささっ、香都夜も一緒にゴージャスな昼寝を」
「だから、やめなさいって言ってるでしょっ!」
 しえるの制止に、少し離れたカウンターから反応があった。
「お? そのよく通るなつかしい声は、嘉神のしえる嬢か?」
 カウンター内には、マスターよろしく筋肉質の男がひとりいた。先ほどからしきりにシチュー鍋をかき混ぜている。その隣で薬草売りのルチルアが、カウンター席の冒険者のために取り皿を配っていた。
「お久しぶり、武田さん。……ねえ、聞こえてたんなら、何か言ってやってよ」
「ははは。弁天はどうでもいいとして、蛇之助とデュークはえらい変身ぶりだな」
 レトロにも斬新にも見える不思議な形状のカメラを脇に置き、カメラマンというよりは闘士のようなたくましい腕で、武田隆之は木のしゃもじを持ち上げる。
「ダンジョン探索か。ゲームにはあんまり詳しくないんだが、それなら何とかなるかな。シチュー食ってからなら行ってもいいぞ。ほい、和馬と、そこの……シオンだっけか、おかわり分だ」
 時々この酒場では、ルチルアが材料を提供し、特製の薬草シチューがサービスされる。
 できばえはそのときの食材や、調理を手伝った者によって左右されるのだが、漂っている香りの香ばしさから察するに、今日のシチューの味はまずまずのようであった。
「あ、どうも。ダンナが料理上手で助かります。この前食べたシチューときたら、薬草どころか猛毒……」
 言いかけて、藍原和馬は恐ろしそうに身を震わせた。何か凄惨な目に遭ったことがあるらしい。
 ここでのいでたちは全身黒ずくめではあるが、いつものスーツではなく、鎖帷子の上から黒装束を着込み、胸の隠しポケットに手裏剣と小太刀をおさめた――忍者スタイルであった。ちらっとシヴァたちを見、コスプレかと思ったら性別まで変えてんのかよ……と、シチューにむせる。
「おかわり? いただけるんですかおかわりをっ? それはありがたいです。冒険はお腹空きますよね」
 シオン・レ・ハイは差し出された皿を押しいただくように受け取った。シヴァのような即席騎士など足もとにも及ばない、育ちも人柄も良さそうな印象である。さりげなく着崩した上質の衣服は隅々まで意匠を凝らしてあり、しかるべき地位と身分を持つ男性が、わけあって身をやつしているかのようなドラマを感じさせた。
 スプーンは使わず、素晴らしい箸さばきでシオンはシチューをたいらげる。その膝には、青い兜をつけた愛らしいうさぎがちょこんと座っていた。
「ごぶさたしております、隆之どの」
 カウンターに近づいたデュエラが深々と頭を下げた。その拍子に、胸まわりの布がずれる。ただでさえ露出過多な胸が、あられもないことになった。
「挨拶はいいからっ! 見えてるぞ、しまっとけ」
「これは、不調法なことを。なにぶんにも、まだ慣れないもので」
 服を直すデュエラを前に、隆之はびっしりと汗をかいている。ブランシュは、救急箱のふたを開けた。
「ここではミネラルウォーターが手に入りにくいのではありませんか? 宜しかったら、これを」
「あ……。ああ。用意がいいな」
 ブランシュから『南アルプスの天然水』を渡され、隆之は微妙な顔で、女性化したふたりを見る。
「顔見知りの野郎どもでも、妙齢の美女になってると落ち着かんなぁ」
「言っておくが、デュエラもブランシュも、おぬしの再婚相手にはやらんぞ?」
 横合いから、シヴァが口を出す。隆之はカウンターに突っ伏した。
「……頼む。誰かこの女神さま……じゃなかった、騎士さまをおとなしくさせてくれ……」
 シュラインとしえるは顔を見合わせ、香都夜は困惑して眉をひそめる。
 和馬とシオンは、ノーコメントでシチューを食べ続けた。
「それは、このゲームを完成させるより難しいんじゃないかしら」
 やがてそう言ったのは、シュラインであった。

 □□ □□
 
 シチューが底をつきかけたころ、シオンの膝から、うさぎがぴょんと飛び降りて走り出した。
 雑然と広い酒場の片隅には、小さな舞台がある。取り囲む人だかりと、ずっと店内に響いていた歌声に興味を引かれたらしい。うさぎの後を追いかけるシオンにつられて、一同は移動した。
 舞台には、歌姫らしき赤毛の貴婦人と、猫に似た踊り子がいた。
 貴婦人は、超絶技巧の歌い手だった。天上でさえずる鳥はかくもあろうかというような、豊かな表現力を持つ透明な歌声である。纏うチャイナドレスは、黒地に金糸で龍の刺繍がほどこされ、品の良い黄金細工のイヤリングと、細い金鎖を幾重にも巻きつけたブレスレットが、声量の変化に合わせて揺れている。
 他に音響設備があるわけでもない舞台で、その歌声だけを伴奏とし、踊り子は舞っていた。高く掲げた右手に持った鈴が、しゃらんしゃらんと神秘的な音を放つ。
 ふっさりと耳元で切りそろえられた黒髪には赤いリボンと――大きな猫耳。表情豊かな瞳を見る限りでは人間の少女だが、その両手と両足は敏捷な猫のものだった。
 踊り子の動きに沿うように、白く優しい風がゆっくりと回る。よくよく見れば、その風は、小さな精霊たちで構成されていた。
「おふたりとも、なんて素敵なんでしょう。わたくし感激いたしました。握手していただいてよろしいですか? あとでサインもくださいませね」
 曲が終わり、舞台から降りた歌姫と踊り子に、頬を紅潮させて話しかけたのは、最前列で鑑賞していた女性だった。
 すらりとした長身に、ウェーブがかった栗色の長い髪がよく映える。赤くゆったりとしたドレス風のローブは、貴族の令嬢といった雰囲気だ。
 ――が。
 シヴァはまず、踊り子を見て目を丸くした。次に歌姫に視線を移して驚愕し、さらに令嬢風の女性の顔をのぞき込んで、腰を抜かさんばかりになった。
「なななな何じゃおぬしらはぁ〜〜〜!!!」
「おや? 美猫どのではありませんか」
 踊り子はコンバートした中藤美猫であった。同じ職業であるところのデュエラが声を掛ける。
「うわぁ、公爵さま? 女の人になってる……」
「私も一応踊り子ではありますが、とても美猫どののようには踊れません。お時間があります時にご教授くだされば幸いです」
「美猫が教えるの? 照れくさいなぁ。これ、綺麗な扇ですね。どうやって使うんですか?」
「滑空させれば敵を切り裂く武器に、かざせば多少の物理攻撃や魔法攻撃ならはね返せる防具になります。使用して踊れば、敵を魅了して呪縛する効果があります」
「それって、美猫にも出来そう?」
「技量足らずの私よりは、美猫どのがお持ちになるほうが効果的かも知れませんね」
 話し込むデュエラと美猫を、シヴァは横目でちらっと見る。
「何でこの状況で、踊り子同士がほのぼのできるのか判らぬが、美猫はまあ良い。これ蘇鼓! 鈴人! どうしておぬしらまで女性化しておるのだっ!」
「ほっとけ。てめぇらこそ、歯止めの利かん格好しやがって。なあ帝鴻?」
 歌姫の肩の上で、小さなティアラをつけておめかしした羽つき肉団子が手を振っている。見かけだけは上品な貴婦人の正体は、変身した舜・蘇鼓だった。
「ブランシュ、というか蛇之助のパソコンを、またもや誰かがいじった後があったから、気になってはいたのだが……。まさか、ひとあし先にアスガルドへ来ておったとは」
「ここも、慣れりゃそれなりに楽しいぜ? 酒場で歌えばノリのいい勇者や冒険者が踊ってくれるし、暇なときはルチルアと薬草取りに行ったり、ネヴァンと茶ァ飲んだりすりゃいいし。マッハの酒にはつきあえねぇけどな」
「……満喫しておるようだの。そんなに心の余裕があるなら、ダンジョンにも同行してもらおうか」
 シヴァはぐいと蘇鼓の耳を引っ張る。と、その途端。
 ぼぼん! と七色の煙が蘇鼓を包んだ。華麗な歌姫の姿はかき消え、代わりに全長約5mの極彩色の妖鳥が出現した。
「おい。あんまり刺激すんなよ。どうもゲーム世界のバイオリズムと俺とは相性悪いらしくてさ、同じ変身状態をキープしづらいんだよなぁ」
 虹色の羽毛を散らして、蘇鼓はぼやく。その横で、赤いローブの令嬢が両手を組み合わせていた。
「お話は今、ブランシュさまから伺いましたわ。シヴァさま、わたくしも同行させていただきとうございます。わたくしは火炎魔法の使い手、サティと名乗っております」
「あのなあ鈴人」
 その令嬢が、何を隠そう、某大学外国語学部の学生でサッカー部レギュラーの赤星鈴人であることが判ってしまったシヴァは、唸って天を仰ぐ。
「何というか、もっと自分を大事に……いやこれは、いつもの蛇之助の台詞だな。う〜ん」
「まさかわたくしまで性別転換してしまうとは思いもしませんでしたが、これもひとつの運命でしょう。あるがままを受け入れて、シヴァさまたちに助力させていただきます」
 鈴人――火炎魔法使いサティが、いとも優雅に礼をしたとき。
「まあ。皆さまもこちらにいらしてたんですの。騎士シヴァ様、ナースのブランシュ様、踊り子のデュエラ様でよろしいんですのね」
 舞台を取り囲む人だかりをしなやかに縫い、長い髪をなびかせて新たな勇者が現れた。
「おぬし……。デルフェスか。……これはまた」
 やわらかく優美な声と、あたりをはらう気品は確かに鹿沼デルフェスである。しかしそのコスチュームは、いつになく妖艶なものだった。
 なめらかな曲線が際立つ軽鎧は大胆にカッティングが施され、あらわになった肢体が眩しい。
「先の邪竜の覚醒イベントに参加した後、ゲームが進まなくなって困ってましたから、お会いできて嬉し――どうなさいましたの?」
「いや。あまりにも刺激的で鼻血が」
 シヴァは絶句して、片手で顔を覆った。騎士にあるまじき態度だが、デルフェスは頬を染めてにっこりした。
「ゲーム内のことですので、衣装は少し冒険してみましたわ。女神モリガンさまの思想に共鳴いたしまして、軽戦士として仕えさせていただいております。……シヴァさま」
「うむ?」
「ここではお互い異性ですから、何の障害もありませんわね。恋人関係にも愛人関係にもなれますわ」
「もちろんだとも。さあ、早速モリガンのもとで午睡を」
「デルフェスさん、早まってはいけません。シヴァさま〜。セクハラにばかり明け暮れていますと、永遠にダンジョンには出発できませんよぅ?」
 救急箱を抱え、ブランシュは嘆く。
 構わずデルフェスの手を握り締めたシヴァの前に、ふたりの冒険者が進み出た。
「大変残念ですが、女神モリガンは今日の午睡をお早めに切り上げられました」
 にこやかにそう言ったのは、十字架のついた錫杖を杖代わりに持ったセレスティ・カーニンガムである。高位の聖職者が騎士を兼任しているかのような、静謐な風情だ。
「女神様もダンジョンの存在には興味をお持ちで、これから知恵の輪で調べものをなさると仰っていました。探索前にお話をお伺いするのも良いかもしれませんね」
 あるじの隣で、モーリス・ラジアルは相槌を打つ。乗馬服を思わせる衣装をきっちりと着こなし、威力のありそうな鞭を手にしたさまは、魔物使いのように見えなくもない。
「おおセレスティ、おぬしもここに。……はて、その従者どのとは初めてお会いするが、お抱えの調教師かな? ゲーム内での職業は、モンスターハンターと見た。どんぴしゃであろう?」
「惜しいですねえ。少しだけ違います」
 微笑んだまま、セレスティはゆるりと首を横に振った。
「少しだけ……ですか……?」
 小さく呟くモーリスを、ブランシュは気の毒そうに見る。何かシンパシーを感じたらしく、救急箱からそっと『即効気合ドリンク(無糖)』を取り出し、セレスティやシヴァに気づかれぬよう無言で手渡した。
「して、何ゆえにおぬしらは、モリガンの本日の予定を知っておる?」
「つい先刻まで、ベッドルームにて午睡させていただいてましたので」
 いともあっさりと微笑むセレスティに、シヴァが絶叫した。
「何ぃぃぃぃぃ〜〜〜!!!」
「セレスティ様は、女神の膝枕ですやすやとお休みでした」
 ため息混じりに、モーリスは目を伏せる。
「うらやましい……。まざりたかったのう」
「えーと。盛り上がってるとこすみませんが、ダンジョンにはいつ行くんスか?」
 額に汗を滲ませつつ、仕方なさげに声を掛けた和馬に蘇鼓は感心し、翼を羽ばたかせて風を送った。
「偉いなぁ。あんたオトナだなぁ」
「いやァ。そんなことは。……んん?」
 頭を掻いた和馬の袖を、つんつんと引っ張る小さな何かがいた。
 見れば、3歳くらいの幼い子どもだ。丸い半袖のエプロンドレスに白いリボンつきカチューシャをしたコスチュームは、いわば不思議の国のアリスの超小型バージョンである。
「だんじょんー。いっしょ、いくー」
 うさぎ型のリュックを大事そうに抱え、たどたどしく訴える。どうやら、ダンジョン探索同行希望者らしい。
「うーん。そりゃちょっと危険だぞ」
「おおい、どこのどいつだ、酒場に子供を連れてきたやつは」
 和馬と蘇鼓が店内を見回して呼びかける。どれどれと近づいたシヴァが、ミニアリスをひょいと抱き上げた。
「おぬしがアスガルドで産んだのではないのか、蘇鼓?」
「そこまで器用じゃねぇぞ」
「むぅ? よくよく見れば馴染み深いミラクルキュートな顔と、ピンブローチ並の軽量ぶり。……もしや月弥か?」
「そー」
 やっと気づいてくれたかと、石神月弥は嬉しそうに笑った。ちなみにその縮みっぷりは、過去最高記録を更新した模様である。

 ――そして。
 居合わせた総勢13名は、心ならずもシヴァによってダンジョン探索の『勇者』に任命されてしまった。
「じゃあまあ、みんな頑張れよ、と言っておこうか。俺はちょっと別の調査があるんで、一緒には行けん」
 酒場を後にする勇者たちは、草間に見送られた。
「ほう。個人で暗躍とは、珍しい」
「安楽椅子探偵ってわけには、いかないだろう?」
 振り返るシヴァに、探偵は苦笑するのだった。

ACT.2■旅は道連れ世は情け

 セレスティとモーリスによれば、今日、知恵の輪で調べものをしているのはモリガンだけではないらしい。アリアンロッドもネヴァンもマッハも書物の検索をしているそうだ。
 敵対する女神4名が図らずも知恵の輪に集結するという、希有な事態の発生である。
「ちょうどいいじゃない。これから行く予定のダンジョンについて女神さまたちに聞いてみましょう」
 大通りに出るなり、そう決断したのはシュラインだった。
「そうですね。予備知識がないよりは前もって調べておいたほうがいいでしょう。事前に準備すべきものも判断できますし」
「安全面も心配ですからね。生息するモンスターの属性や出現場所について調べておきたいところです」
セレスティとモーリスが同意し、デルフェスも頷く。
「4人の女神の中では、モリガン様が一番ダンジョンにお詳しいと思いますわ。わたくしからもお伺いしてみます」
「私も行きたいです。女神さんたちにどうしても教えていただきたいことがあるので」
 思い詰めた顔で言うシオンが少々意外だったため、シュラインが目顔で問うと、
「今は言えません……。とても重要なことです」
 秘密めいた口調で、声を落とすのだった。
「めがみさまー? あいたい」
 月弥も、大きな瞳を輝かせる。
「では、月弥さんは私がお連れしましょう。ここにお座りください」
 ブランシュが救急箱を示す。月弥はその上にちょこんと腰掛けた。
「全員で知恵の輪に行く必要はねぇよな? 俺は待機してていいか? どっちみち、鳥の姿じゃ調べものはできねぇし」
 皆の歩調に合わせ、空中を羽ばたきながら蘇鼓が言う。その脚を、しえるがぽんと押した。
「同感だわ、蘇鼓先輩。私、情報収集が必要なRPGって苦手なのよね。どっちかっていうとシミュレーション派」
「んなこと聞いてねえよ。先輩言うな! そしていきなりどつくなっ! 不安定なんだよ、ナイーブなんだよっっ!」
 Booom! 派手な効果音とともに、蘇鼓はまた変化した。
 
 ……全長2kmの、巨龍に。

「あらやだ」「おわっ? 勘弁」「びっくりしたぁ」「……」「まあ、スペクタクル」「おいおい」
 順番に、しえる、和馬、美猫、香都夜、サティ、隆之による、龍の巨体につぶされかけてのひと声である。
 しえるは素早く、和馬は身軽に、美猫は敏捷に、香都夜はさりげなく、本来スポーツマンであるところのサティは反射的に、隆之は命からがら、難を逃れた。
「出おったな、クロウ・クルーハー! いざ尋常に勝負!」
「シヴァどの。この方は蘇鼓どのでいらっしゃいます」
「外に出てからの変身で良かったね。酒場、壊れちゃうとこだったよ」
 こちらはシヴァとデュエラ、そして何故か後をついてきたルチルアの反応であっった。

 そしてパーティは、いったん二手に分かれる。
 すなわち、調査組と――ティータイム組に。

 □□ □□

☆調査組【シュライン/セレスティ/モーリス/デルフェス/シオン/月弥/付き添いとしてブランシュ】

 兵装都市ジャンゴの中心には、天を突くような螺旋の塔がそびえている。
 吹き抜けの内部をぐるりと巡る階段には無数の本が収納されており、その内容はリアルタイムで変化する。
 いわばアスガルドにおける情報センターに、4人の女神たちはいた。
「ジャンゴの東にある『白銀の洞窟』のことを、お聞きしたいのですが。とある騎士が入り口を探し当てて入りかけたものの、少人数での探索は無理と判断したほど大きな迷宮のようです」
「出現するモンスターの種類や頻度について記載してある書物の場所を、教えていただけるだけでも有り難いのですけれど」
「戦闘時の対策や、前もって購入しておくべき薬草類等、ご存じであれば」
「どういう傾向のダンジョンなのでしょうか。アヴァロンに通じる何かが、見つかりますかしら?」
 シュラインはアリアンロッドに、セレスティはネヴァンに、モーリスはマッハに、デルフェスはモリガンに問うた。
 しかし女神たちから返ってきたのは、いずれもそっけない返事だった。
「何も存じません」
 アリアンロッドはにべもなく言い、
「ごめんね。よく知らないんだ」
「戦闘は強い方が勝つ。それだけだ。他に言うことはないね」
 ネヴァンはすまなそうにうつむき、マッハは肩をすくめる。
「ですが皆様は、隠されたダンジョンのことを調べるために、ここにお集まりになったのではありませんの?」
「デルフェスはお利口ねえ」
 赤い瞳をふっと緩ませて、モリガンは髪を掻き上げる。
「あのね。あなたたちが行こうとしているそこは、本当はダンジョンではないはずなのよ」
「おっしゃる意味が、判りかねますが?」
 像は結ばぬものの、知性に満ちたセレスティの双眸が、きらめく。
「ゲーム序盤で訪れる、神託を聞く場所。そこでプレイヤーは、この世界にクロウ・クルーハという邪竜が存在することを知るの。だけどその洞窟は通過地点だから、さして重要な場所ではないのよ」
「では何故、そこがダンジョン化したのでしょうか」
 考え込むモーリスに、モリガンはふふっと笑う。
「だからみんな、慌てて調べに来たんだけど。……たぶん、アリアンロッドの責任だと思うの。ねえ、アリア? あらあら、顔色が悪いこと」
「私は――アリアではありません。アリアはまだ、東京に」
 アリアンロッドは唇を噛む。モリガンは強い口調でたたみかけた。
「何もかもあなたのせいよ! あなたが現状維持なんか望むから、事態がますまます悪化してるんじゃないの」
「知恵の輪で喧嘩はやめてよ。こんなの、嫌だよ」
「面倒くさいなあ。ぐだぐだ言い合うより、びしっと戦ってケリつけようぜ」
 ネヴァンは涙ぐみ、マッハは拳を握りしめる。
「……困ったわね。これじゃ何も聞き出せないわ」
 シュラインが小声で、セレスティに言ったとき。
「めがみさまとあそぶー」
 成り行きを見ていた月弥は、不穏な空気をものともせず救急箱の上から飛び降りた。
 うさぎ型リュックから、激辛スナック菓子「暴君パパはネロ」を取り出すと、小さな手で袋を開き、とてとてと女神たちに近づいては差し出す。
「どぞー」
 女神たちはきょとんとし、一気に場が和んだ。
「だんじょん、いっしょ、いく?」
「……え?」
 いきなり言われて、アリアンロッドは目を丸くする。
「それは……ちょっと」
「どーして? おねがい」
「ですが、私は……」
「良い考えですね。女神アリアンロッドは何かご存じのようですし、ご同行願えれば幸いです」
 微笑むセレスティに、アリアンロッドはまだ迷っている。
 ここぞとばかりに、シオンが勢い込んで口を開いた。
「あの。女神さんたちにどうしてもお伺いしたいことが」
 シオンの両手には、いつの間にか怪しい果物がこんもりと乗っていた。懐にしまってあったとおぼしきそれは、さくらんぼに似てはいるが小さな目鼻がついていて、限りなく不気味である。
「広場の花壇の前で拾ったんですけど、これ、食べられますか?」
 アリアンロッドもネヴァンもマッハもモリガンも、言葉に詰まって黙り込む。
「遠くを見つめてないで答えてください! 生死に関わる大事なことなんです」
「聞きたいことってそれだったの。それは『雑草殺しのチェリー』って言って、食べられないわよ。いわば除草剤ね」
「何でそんなことまでご存じなんですかシュラインさん。もしやあなたも女神ですか」
「……ここでちょっと検索すればわかるわよ」
「いやぁ、来てよかったです。さあ、シヴァさんたちと合流しましょうか。アリアンロッドさんもご一緒に」
 急に陽気になって、シオンはアリアンロッドの背を押すのだった。

☆ティータイム組【蘇鼓/しえる/香都夜/和馬/隆之/美猫/サティ/シヴァ/デュエラ/何となくルチルア】

「酒場に入る前に目をつけていたのだ。確かこの近くに、美味そうな紅茶とケーキを出すカフェテラスが……おお、ここだここ。入るぞ、皆の者」
 女神からの情報収集は調査組にまるっとおまかせを決め込んで、シヴァは一休みするつもりのようだった。
「シュラインさんたちに悪いような気もするけど、あのひとたちのことだから、うまくやるわよね」
 あとに続く一同の思いは、しえるが代弁した。
 もっとも、蘇鼓は巨龍のままではお茶どころではないので、再度しえるに叩かれ、香都夜に銃口を突きつけられ、和馬に手裏剣を飛ばされ、隆之にフラッシュをたかれ、美猫に引っ掻かれ、サティに鱗を焦がされ、ようやく人間の女性型に戻ってからのことである。
 カフェテラスは、緑鮮やかな植物と色とりどりの花々であふれていた。しばらく座っていると、ここが兵装都市の内部であることを忘れそうになる。
 とはいえ、床がところどころドット単位で欠けていたり、草花のデザインが一環してないところなどを見ると、つまりここは作りかけの施設――未完成のゲーム内における、開発途上のまま放置された場所であるらしかった。
「アスガルドで香都夜さんにも再会できるなんて、夢にも思いませんでした。海キャンプ、楽しかったですね」
 運ばれてきたティーカップから立ち上る湯気と香りに目を細め、サティは思い出話に花を咲かせる。
「酒場でも言われたが……。私は、夢の中の学園とやらのことは、よく思い出せない」
 使命を負ったエージェントのような悲愴感を崩さずに、香都夜はブラックコーヒーに口をつけた。
「みんなで美術部員になっちゃって、面白かったよね。学園祭が終わってから、合宿に行ったりして――わあ!」
 白い皿を彩るデザート盛り合わせの美しさに、美猫は歓声を上げた。
「まー、夢ン中で会ったときとは、ずいぶん変わっちまってるやつが大半だけどなァ」
 和馬は頬杖をついて、珍しくもチョコレートパフェなどを頼んでいた。
「うんうん。誰とは言わないけどな。おねーさん、烏龍茶ある?」
 ちゃっかりと席についてウエイトレスを呼ぶ蘇鼓に、
「一番盛大に変わってる人が何言うのよ!」
「失礼ながら、蘇鼓どのの変化が、一番著しいかと」
 しえるとデュエラが同時に突っ込みを入れた。
「デュエラにまで言われるようでは問題だぞ、蘇鼓」
 ぼそっと呟き、シヴァはクラシックショコラにフォークを立てる。美猫に、ちょっと手を貸せいと言っては、その肉球をぷにぷにしながら。
「ははぁ。あんたらは、噂に聞く妙な夢を見たクチか。何にせよ、想い出があるってのはいいことだ」
 幻影学園の影響を受けることのなかった隆之は、取りあえず、手持ちの南アルプスの天然水をぐびりと飲んだ。
 隣の席で、ルチルアはじっと隆之の横顔を見つめる。どこかしら淋しそうに思えたらしく、まばたきしてから自分の鞄を開き、キャンディをふたつ取り出した。
「食べる?」
「……いや。気を使ってくれなくていいから」
「いっこ150スターにまけとく」
「有料かよ!」

 □□ □□

 やがて、アリアンロッドを伴って、調査組は戻ってきた。
 途中でセレスティが、全員が乗れる大きな馬車を調達してくれた。必要な食材や休息用のテント、ダンジョン探索中に食べるためのお菓子(シオンが涙目で切々と訴えたので)が満載され、アリアドネの糸さながらに、ダンジョン内部で進んだルートをマークする為の小さな色石まで購入するという、行き届きぶりである。
 モーリスは念を入れて、さらにロープとランタンを追加していた。

 ジャンゴの城門を抜け、東に向かって馬車は出発する。
 ルチルアは「新しい薬草採りにいかなきゃ」と言うなり、姿を消してしまった。

ACT.3■ダンジョン・アワー

 どこまでも続くかと思われた荒野がぷつりと切れ、猛々しい山脈に突き当たる。
 目的のダンジョン『白銀の洞窟』は、邪竜のあぎとのように禍々しく口を開いていた。
 馬車の中ではずっと無言を通し、微動だにしなかったアリアンロッドが、真っ先に立ち上がる。
 洞窟の前に臨む女神の顔は、強ばって青ざめていた。
「シヴァ、と仰いましたね。あなたはどうやって、ここがダンジョン化していることを見抜いたのですか」
「どうやっても何も。ゲーム内をふらっと彷徨っておったら、偶然行き当たったうちのひとつだ。他にもいくつか見つけたぞ――それが何か?」
「いえ」
 目を伏せたアリアンロッドに、決意の色が浮かぶ。
「モリガンの言ったとおり、これは私の責によるもの。皆様には関係のないことです。探索なさった場合、命の保証はできません。ジャンゴにお戻りください」
 アリアンロッドは、目にも止まらぬ早さで駆けだした。全身を包む銀の鎧が、洞窟の中に吸い込まれていく。
「待て! いくらおぬしが女神でも、ひとりでは危ないぞ!」
 シヴァが叫んだが、すでにアリアンロッドの姿は、迷宮の闇に呑まれて見えない。

「……ねぇ。そこまでは聞いてないわよ。そんな危ないところへ、私たちを誘ったわけ?」
「ていうか、弁天さまって、命がけになるほどダンジョン好きだったんスね」
 しえるに睨まれ和馬にあきれられても、シヴァはどこ吹く風である。
「はっはっは。ほれ、入り口からも奥のほうの宝箱が見えるだろう? あれが気になって気になって。いや、こほん、アリアンロッドが心配だ、行け、エンジェリック・クノイチにシュリケン・ウルフ!」
「勝手に名前つけないでよっ!」
 それでもしえるは、蒼凰を長剣にチェンジさせて構えると、果敢に言った。
「まあいいわ。迷宮内のルート記憶はまかせて頂戴。でも、罠とかの探索は誰かがやってね」
「よし。魔法系の罠の判別は、俺が担当しよう」
 愛用カメラのアスガルド版『魔法寫眞機』を抱え直し、隆之が頷く。
「弱いモンスターなら封印もできるぞ。こんな感じに」
 一歩足を踏み入れれば、ひんやりと湿った空気に包まれる。すぐさま、壁を這っている毒トカゲと、眠りの胞子を放つスイミンゴケに遭遇した。
 隆之は、それらに向かってシャッターを切った。フラッシュに照らされたとたん、モンスターたちの姿はかき消えて、代わりにポラロイドのように「写真」が吐き出される。それが、封印状態であるらしい。
「その写真、見せていただけますか?」
 モーリスが興味深げに手を伸ばす。
「ああ、スイミンゴケはこんな構造なのですね。一度、じっくり観察したかったのです。しばらくお預かりしても?」
「構わんが、破ると封印が解けるから、気をつけてな」
「宝箱はどのあたりにあるのでしょうか?」
 セレスティがすっと先頭に歩み出て、片手で壁をなぞりながら進んでいく。その足取りは思いのほか早く、モーリスは慌てて後を追いかけた。
 通路は十分な広さを持ち、内部構造はさほど複雑ではないらしい。壁が淡い白銀の光を放っているので明かりもいらず、その点は救いだった。
「セレスティ様。あまり先に行かれては」
「少しくらいなら大丈夫ですよ。マッピングの得意な方がいらっしゃいますし、道しるべの色石も必要ありませんから」
「これ、宝箱はわれが先に開けたいぞ。のうモーリス、セレスティは割とマイペースだのう」
 モーリスと並んで、シヴァも足を速める。
「はい。そのうえ、結構アバウトでもいらっしゃるんですよ」
 ため息をつく従者に、後ろからシオンがうんうんと同意した。
「人は見かけによらないですからね。ああっ!」
 いきなり大声を出したシオンに、デルフェスとサティが駆け寄る。
「どうなさったんですの?」
「モンスターですね?」
 デルフェスは、『還襲鎖節刀・双石華』をショートソード状態にして進み出た。場合によっては、自ら囮となる構えである。その隣でサティも、右手を横に差し伸べた。空中にぽうと、炎の槍が浮かび上がる。
 しかし、戦闘の覚悟を決めたふたりの女性戦士は、シオンの次の台詞によって目を点にすることになった。
「この果物、食べられるでしょうか?」
 見れば、洞窟の岩を割って、無数の人の手を組み合わせたような、あからさまに怪しい植物が生えている。その指に似た枝に、いちごのような赤い実がいくつも下がっているのだ。
「食べられないと思います」
「んなの、見りゃわかるだろうよ。不用意に触らん方がいい」
「……やめておけ」
 美猫と蘇鼓、香都夜までもが止める。しかしシオンは、額に汗を浮かべ、胸をどきどきさせながらそお〜っと手を伸ばした。
 ――突然。
 キシャァァァァ! と、赤い実がいくつも割れた。実全体を口にして大きく牙を剥き、シオンの指に噛みつく。
「うおぁー! そんなぁ〜!」
「動かないでください」
 モーリスの放った数本のメスが、赤い実の首ねっこを切り落とす。隆之がシャッターを切り、封印は完了した。
 危うく食いちぎられるところだったシオンの指は、何とか半分は繋がっている。
「シオンさん、大丈夫ですか?」
 月弥を座らせた救急箱を持って、ブランシュが駆けつける。
「……たい? たい?」
 痛い? と、月弥は聞いているらしい。
「い、痛く、ない……です」
 最初はやせ我慢だったが、月弥に手を添えられているうちに本当に痛みは引いてきた。傷口も、みるみるうちに塞がっていく。
 怪我の痕さえもなくなった大きな手で、シオンは月弥の頭を撫でた。
「ありがとうございます。いい子ですね」
「えへへー」
「何だ、この宝箱はー! 変身しおったぞ」
 シヴァはシヴァで、自ら窮地に陥っていた。
 誰よりも早く宝箱までたどり着いたはいいものの、よく確認もせずに開けてしまったのだ。
 定番といえば定番の宝箱型モンスターは、初期レベルのキャラクターなら瞬殺されてしまうほどの強敵である。
「お守りいたします」
 両手の中で魔法陣を作り、デルフェスはシヴァに放つ。換石の術だ。
 しかし宝箱はめげることなく、石化したシヴァの頭をがりがりと囓り始めた。
「ああ〜! シヴァさまが宝箱に食べられてしまう。どうしましょう」
「まかせなさい!」
 おろおろするブランシュの肩を叩いてから、しえるは蒼凰を振るおうとした。が、一瞬早く、美猫が床を蹴って飛び上がる。
 手には、デュエラから一時借用した『夢魔の扇』を持っていた。
 美猫は召還士でもある。踊りによって、さまざまな精霊を召還して戦うのが通常だ。しかし一刻を争う今、美猫が取った戦法は。

 すぱこーん!

 畳んだ扇をハリセン代わりにして、宝箱を地にたたき落とした……のだ。
「……よし」
 黒いロングコートを翻し、香都夜が銃を構える。ぱかぱかと蓋を開け閉めする哀れな宝箱モンスターに、照準がぴたりと合った。
「……悪いが。出会った事を不運と思って、潔く死んでくれ」
 クールな殺し屋にも似た的確さで、銃弾が連射された。

「あのねえ。できれば、パーティメンバーに敵の位置特定担当がいることを思い出してくださると嬉しいわ」
『妖精の髪飾り』に手を添えて、シュラインはシオンとシヴァを交互に見る。
「シオンさん。珍しい果物を見つけたからって、すぐに触ったりしないの。ちゃんと確かめてからよ」
「は、はい……」
「シヴァさんも。無闇やたらに宝箱に突進するのは、おっちょこちょいプレイヤーの証明よ。もっと注意深くしないと」
「う、うむ……」
 叱られて、しょぼーんとふたり並んでたそがれながら、シヴァは足元の小石を蹴る。
「だが、ダンジョン探索の妙味は、やはり宝箱の回収ではないか」
「何か珍しいものがあると、つついてみたくなりますよねえ」
 シオンもつられて、小石を蹴ってみる。大きくバウンドした小石は、迷宮の奥に飛び――何かに、当たった。
 金属製の、高い音が響く。
「敵が近いわ。これは――ジェノサイド・エンジェルよ」
 シュラインが言うなり、長く尖った耳と大きく広がる翼を持ったモンスターが、迷宮の影から現れた。
 二度三度、羽ばたかせた翼からは、ミサイルランチャーにロケット砲に自動小銃、その他ありとあらゆる銃器が覗いている。
「げっ。上級モンスターじゃねえか。てめぇら、心してかかれよ。援護すっから」
 蘇鼓はダンジョンに入るなり人型から妖鳥に変化したのだが、何とか気合いでその姿をキープし続けていた。
 圧倒的な声量の歌声が、迷宮中に響く。それは勇者や冒険者たちの能力を、飛躍的に向上させる効果があった。
「はい! 頑張りますっ」
 言ってシオンは、さっと香都夜の背の後ろに隠れる。
「……?」
「いえ、このモンスターだと、あなたが一番強そうな気がして。あ、でも、危なくなったら私も力を振り絞りますから」
 懐から『Myおはし』を取り出したシオンは、奇妙なポーズを決めた。
「……いや。私のことは気にするな」
 ロングコートを広げ、香都夜は立った。蘇鼓やシュラインや隆之、月弥やセレスティら、能力補助と回復をになう冒険者たちを庇うように。
 構えた銃で、ジェノサイド・エンジェルの眉間を狙う。そのそばでモーリスが、見えない檻で全員のガードを高めてから、しなやかな鞭を振るった。
「まいります! 時間差で一撃離脱戦法を取りますから、お構いなく攻撃を!」
 双石華を手に、デルフェスは跳躍する。モンスターの砲撃から守るため、デュエラとブランシュは石化済みである。
「及ばずながら、わたくしもご助力します」
 強大な炎の槍をいくつも空中に浮かべ、サティは一気に集約させる。
 精霊召還の踊りを終えた美猫は、風霊を呼び出した。刃物のような鋭い風が、瞬く間にモンスターを包む。
「何と。かっこいいぞ、香都夜! モーリス! デルフェス! サティ! 美猫! ひゅーひゅー」
 シヴァが和馬の後ろから声援を飛ばす。
「あんたも戦えよッ! ええい、シュリケン・アターック!」
 放たれた手裏剣が、ジェノサイド・エンジェルの喉に刺さる。
「……和馬。必殺技の名称は、もっと練ったほうが良いぞ」
「わざとダサくしてるんスよ」
「弁天サマにだけは、ネーミングについてあれこれ言われたくないわよね。その『陽光の聖女の剣』、宝の持ち腐れだから私に貸しなさい!」
 最後にとどめを刺したのは、しえるによる、蒼凰&陽光の聖女の剣の二刀流であった――が。

 モンスターは倒れる瞬間、最後の弾丸を放った。
 弾道には、皆を庇って立つ香都夜がいた。
「危ない!」
 隆之が叫び、手元の写真を引き裂いて投げる。封印が解け、赤い実のなる凶暴な植物『カミツキイチゴ』が宙を飛び、香都夜の真正面に落下した。
 だが銃弾はカミツキイチゴをすり抜け、香都夜を直撃――
 ――は、しなかった。
 お箸を持ってポージンク中のシオンが超人的なスピードで動き、キャッチしたからである。
「掴んだ?」
「銃弾を?」
「箸で?」
 ざわりと驚愕する一同を前に、シオンはカミツキイチゴにお箸を向ける。
 凶暴な赤い実は、キシャァと口を開け、銃弾をごくりと呑み込んだのだった。
 
ACT.4■EPILOGUE(1)

 ようやく一同は、アリアンロッドに追いついた。
 迷宮の際奥の部屋、行き止まりの場所に、女神は茫然と佇んでいる。
 正面の壁は映画のスクリーンにも似た、横長の長方形だった。白銀の光が一層強く、壁からこぼれている。
 ふと眉を寄せ、シュラインは壁に近づいた。こんこんと叩き、反響を確かめてみる。
「これは……液晶?」
「はい」
 無表情のまま、アリアンロッドは立ちつくす。巨大な液晶画面いっぱいに映るのは、一同にはおなじみの、アンティークショップ・レンの女主人。そして、女神のコピー、アリア。
「私が現実世界に干渉しすぎたせいです。異界の揺れが大きくなってしまった。存在しないはずのダンジョンが出現するほどに」
 アリアンロッドは、一同の背後を指さす。振り返れば、そこには通路はなかった。
「これは、バグです。私たちは、この未完成の迷宮から出られません。何故ならばここは、『白銀の姫』のゲームクリア後に出現するはずのダンジョンなのですから」
 だから、ジャンゴに帰りなさいと言ったのに。
 呟いた女神は、少しだけ哀しそうに見えた。

ACT.5■EPILOGUE(2)

「それで、よく戻ってこられたな。みんなもアリアンロッドも無事か。そりゃ良かった」
 得意げに経緯を話すシヴァの前に特大ジョッキを置いて黙らせ、探偵は一同を見回した。
「当然よ。草間興信所の調査員は、『勇者』が揃ってるもの」
 そう言って、音魂使いは肩をすくめる。
「そーそー。出口がないなら、作ればいいのよ」
 剣士は嫣然と微笑んだ。彼女が蒼凰を振るい『奥義・砕壁斬』を発動し、加えて妖鳥が巨龍に変化することにより、未完のダンジョンは破壊されたのである。
「だが、この調子でダンジョン探索を続けるのもどうかと思うぞ、騎士さま?」
 魔法カメラマンに言われ、シヴァはむうと腕を組んだ。

 ――ともあれ。
『魔法寫眞機』は普通の写真を撮ることもできるらしい。
 一同は探偵を囲み、記念撮影に臨んだ。

 探偵が独自に行った調査は、別のダンジョンの物語である。
『勇者』たちの今後の運命は――まだ誰も知らない。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】 →音魂使い
【1466/武田・隆之(たけだ・たかゆき)/男/35/カメラマン】 →魔法カメラマン
【1533/藍原・和馬(あいはら・かずま)/男/920/フリーター(何でも屋)】 →忍者(シュリケン・ウルフ)
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】→賢者
【2181/鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)/女/463/アンティークショップ・レンの店員】→軽戦士・モリガンの勇者
【2199/赤星・鈴人(あかぼし・すずと)/男/20/大学生】 →女性化・火炎魔法使いサティ
【2269/石神・月弥(いしがみ・つきや)/無性/100/つくも神】 →幼女化・無限回復アイテム
【2318/モーリス・ラジアル(もーりす・らじある)/527/男/ガードナー・医師・調和者】 →幻術師
【2449/中藤・美猫(なかふじ・みねこ)/女/7/小学生・半妖】 →踊り子(召還士)
【2617/嘉神・しえる(かがみ・しえる)/女/22/外国語教室講師】 →剣士
【3164/津田・香都夜(つだ・かつや)/女/26/喫茶店従業員】 →ガンナー
【3356/シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい)/男/42歳/びんぼーにん(食住)+α】→お箸拳闘士 (注:構えのみ)
【3678/舜・蘇鼓(しゅん・すぅこ)/男/999/道端の弾き語り/中国妖怪】 →女性化・妖鳥化・巨龍化・魔法歌手

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、神無月です。
この度は、白銀の姫内でのダンジョン巡り、アリアンロッドの回にご参加いただき、まことにありがとうございます。
13名の、勇者・冒険者さまがたに女神の祝福あれ。

イベント期間中は、自らゲームに巻き込まれて右往左往しているWRとして(ぇ)、PCさまがたのご助力を仰ぎながら手探りで進めていければと思っております。
あと4つばかりダンジョンを探索する予定でおりますが、皆さまの冒険の合間に、お気軽に覗いてみていただければ幸いでございます。

□■シュライン・エマ@音魂(おとだま)使いさま
最初は、ゲーム内職業を「音撃師」にしようとして、でもよぉく考えてみましたら、それだと現在放映中の仮面ラ○ダー某の設定に通じるモノがありますね(笑)。音霊か音魂か、今でも悩んでおりますが、他にもっといい表現がありそうな気がしなくもなく。

□■武田隆之@魔法カメラマンさま
隆之さまはおそらく料理がお得意(それも、いわゆる男の料理)だろうと踏み、酒場でルチルアちゃんと薬草シチュー作成という、異色の登場をしていただきました。ルチルアちゃんだと、ぎりぎり緊張しないのではないかと思うのですが、どんなものでしょうか。

□■藍原和馬@シュリケン・ウルフさま
ゲームにお詳しい和馬さまのこと、アスガルド世界も余裕でお楽しみになっている感じがします。ゲーム内コスチュームは素敵な設定ですね(笑)。書きながら、思わず笑みがこぼれました。

□■セレスティ・カーニンガム@賢者さま
アスガルドの貨幣単位はどうなっておるのじゃろう……? と私も思っておりました。迷ったあげくに「スター」を採用(…)。作中には出てきませぬが、ジャンゴ内にリンスター銀行のATMを設置させていただいたことをご報告申し上げます。

□■鹿沼デルフェス@軽戦士さま
ひとりの女神に属する冒険者を勇者と呼ぶのなら、まさしくデルフェスさまは勇者でございます。妖艶な衣装にWRもときめきました。シヴァはてきとーにあしらってくださいまし。

□■赤星鈴人@サティさま
歯止めの利かない連中にお付き合いくださり、性別まで変えてくださってありがとうございます(涙)。美しい女性に変化しても爽やかなスポーツマンでいらっしゃるのは人徳ですね!

□■石神月弥@無限回復アイテムさま
おおチャレンジャー。この姿でご登場とは盲点でございました。せっかくですから、もっと取っ替え引っ替え皆様にだっこしていただきたかったのですが、救急箱の上が定位置で申し訳ないです。

□■モーリス・ラジアル@幻術師さま
依頼では初めまして。セレスティさまとのコンビはいつも絶妙だなと思いつつ、他納品物を拝読しておりました。ゲーム内職業は(セレスティさまも)、コンバート図のイメージから勝手に設定してしまいました……。

□■中藤美猫@踊り子さま
アスガルドでお会いできて光栄でございます。海キャンプで一緒だった方々が多いのは奇遇でございますね。つい、思い出話に花が咲いてしまいましたことをお許しくださいまし〜。

□■嘉神しえる@剣士さま
実は、どなたか剣技の達者なかたに、シヴァの剣を活用していただければな〜と漠然と思っていましたので、プレイングを拝読してにんまり。二刀流&ダンジョン破壊、お疲れ様でした!

□■津田香都夜@ガンナーさま
香都夜さまも海キャンプでご一緒でしたね。どうもありがとうございます。クールな香都夜さまですが、感情を表に出さないだけで、実際はとても優しい女性ではなかろうかと、戦闘シーンを書きながら思いました。

□■シオン・レ・ハイ@お箸拳闘士さま
おおお、初めまして! このようなとんでもクエストにご参加いただいて感謝感激です〜。お箸使いの綺麗な男性は、育ちの良さを感じるのでとても好みでございますよ(真顔)。

□■舜・蘇鼓@魔法歌手さま
ダイナミックでスペクタクルなプレイングに惚れ惚れです。巨龍状態の蘇鼓さまと、クロウ・クルーハの勝負を見たいかも……などと妄想してみたり。怪獣映画のよ(以下自粛)。