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<東京怪談ノベル(シングル)>


窮トナカイ、サンタクロースを噛む





「冷房は寒くはございませんか?」
「い、いいえ! 丁度いいです」
 家の前に横付けにされたのは、黒塗りのリムジンだった。思わず触れる事も躊躇われるほどに磨き上げられたボディーに、赤い絨毯の室内。挙句に紳士な運転手までついてくる。車と同じ黒のダブルのスーツに、白い手袋が、恐ろしいほどに高級感が漂う。
 一応一般的な女子中学生としては、冷房の温度で気遣われたりすると、嬉しくなるより先に恐縮してしまうのが妥当な反応だろう。
「あ、でも、ありがとうございます」
 気遣いへの感謝を述べると、バックミラーに移ったその男性は、少し赤い鼻をかきながら、軽く微笑した。
「いいえ。御気になさらず」
 好印象のその態度に、彼女はほっと一息吐く。とりあえず、移動中に厄介な事はなさそうだ。
 本日一日、バイトの予定である。父から拝み倒されて「サンタクロースのお手伝い」という怪しげというか胡散草そうというか、そのどっちも凌駕して、冗談でしょ、と笑い飛ばしたくなるほどに真実味のないバイト。季節外れもいいところだ。現在初夏。そろそろせみ時雨も聞こえてこようかという季節である。しかし、残念ながら彼女は知っていた。父の伝というものに、まとものはないのだと。それでも引き受けてしまったのは、若気の至りと言える。
 青い髪を耳にかけながら、海原みなも(十三歳)は、覚悟を決めた青い双眸を前に向けたのだった。そりはどうしたのかは、尋ねない方向で。






「こちらが、サンタクロース様のお家となっております」
 どこをどう通ったのか。まったくもって定かでないが、気がつけば一面の草原を走っており、小学生の落書きのレベルの太陽と雲が、ペンキをぶちまけたような青空から見下ろしてきている。まさしく冗談のような光景であった。そして、その草原のど真ん中に、何故だか日本家屋が立っている。黒い瓦が高級感をかもし出した。
 外からドアを開けてもらい、みなもは手を貸してもらって外へと導き出される。あの太陽は何時沈むんだろうと、少しばかりむなしい事も考えながら、招かれるままにその日本家屋の前に立つ。
『サンタクロース日本本部』
 何か、夢を壊す事を書いてあるが、そこは見なかった事にして。
 気がつけば、恰幅の良い体を見覚えのある赤い服で包み、どっしりとマッサージチェアに腰掛けた初老の男性の前に通された。真っ白な髭が床に届かんばかりだ。
 子供達が夢に描くサンタクロースそのままの姿である。みなもは感動した。たとえテレビから流れているのが朝の連ドラでも、効きすぎた冷房で身震いしようとも、『一蓮托生』と大きな字の額縁がかけてあったとしても、だ。
「お越しいただきました」
「ご苦労。お前はもう下がるが良い」
「は……しかし……」
「下がれ、と申しておる」
「は……」
 ここまで案内してくれた黒いスーツの運転手は、申し訳なさそうにみなもに視線を流した。その唇が、「ご武運を」と綴ったのは気のせいだったのだろうか。彼は完璧なまでの一礼を施して、その部屋を去っていった。
「さて、名を名乗られよ」
「あ、はい。海原みなもです。今日は一日よろしくお願いいたします」
 ぺこ、と頭を下げる。ふむ、と感心した声が降ってきた。
「面を上げられい」
 顔を上げて、相手を見る。
「気に入った。我が名はサンタクロース。そなたに、新人研修を頼みたい」
 威厳に満ちた物言いで、みなもは恐らくこの人が一番偉い人だろうと辺りをつける。長老といったところか。もしかしたら日本本部本部長、という俗物的な肩書きがつくのかもしれないが、あえて考えを至らせない。
「新人研修、ですか?」
「その通り。この四月から新人が五人入ってきたのだがな、どうも、研修の為のトナカイがストライキを起こしてしまって、まるで進まん。そこで、そなたの父に相談を持ちかけたのだ」
 どこかで聞いた話だ。特に、従業員がストライキを起こしている、という下りの辺り。
「具体的に、何をさせていただけばいいんですか?」
「そうじゃな。裏の人工スキー場で新人たちにそりの扱い方、荷物の積み込みやトナカイと呼吸を合わせて空を飛ぶこと、などを教えたい。そなたにはトナカイ役を演じてもらい、彼等に少しでも経験を積ませてやってもらいたいのだ」
 どうじゃ? と頼まれて、みなもは覚悟を決める。どうでもいいが、この夢の世界に人工スキー場などという俗な言葉を持ち込まないで貰いたい。
「はい、解りました。出来る限りがんばって見ます」
「その心意気、至極満悦である。そこの机の上にあるものに着替えてくだされい。隣の部屋を使うが良い」
 第一印象は悪くなかったようだ。みなもは机の上の紙袋を取り上げ、一礼して隣の部屋へと移動する。広げてみると、それは全身タイツだった―――否、着ぐるみであった。
「気持ちい手触りですね」
 思わず呟いてしまうほどに手触りのいいそれ。体のラインが余すことなくさらけ出されるが、仕事の制服である以上着ないわけには行かない。袖を通すと、手の先が蹄になっている。請ったつくりだと感心しながら、足も通してみると、足のほうはピンヒールで、やはり蹄を象ってある。そして、気がついた。トナカイの角と耳を象ったカチューシャがあるのだが、蹄ではつかめない。暫く四苦八苦して、両手でそれを持ち上げ、頭に装着。
 姿見で確認すると、ぴったりしたタイツは毛皮のように光沢があり、立派とは言いがたい角は可愛い。耳をちょいちょいと触って、みなもは満足した。ふすまを開けるのがやはり大変だったが、こつを掴んで難なくサンタクロースの前に戻った。
「よく似合われるぞ」
「ありがとうございます」
 似合うとか似合わないとか言うデザインではない気がするが。
「では、さっそく」
 みなもが微妙なツッコミを心の中で思っていると、サンタクロースの長老は、すい、と手を振り上げた。ただ、それだけのことだったのに。
 次の瞬間みなもを襲った激痛は、生半可ではなかった。
「きゃぁ……ぐ…」
 大声で悲鳴を上げそうになり、それをかみ殺す。歯を食いしばった。そうしなければ舌を噛んでしまうだろう。
 頭が痛い。剣山の上を転がりまわっているように、全身に細かい痛みが走る。だがそれより何より頭が痛い。みなもは自分の両肩を抱いてその場に崩れ落ちた。
 硬い何かで頭を何度も殴られているような痛み。視界をちかちかと星が飛んで、眩暈がした。その場に倒れ伏してもなお、頭痛は治まらない。震える手で、頭を押さえた。そして、異常に気がつく。耳が、あるのだ。先ほど触ったカチューシャの感触ではない。確かに、耳がある。何かが耳に触れた、という感触が、ある。
 ぞっとして、みなもは慌てて先ほどの部屋の姿見を覗き込んだ。
「い、や………」
 首を振った。何かを拒絶するように左右に。それと同時に、頭から生えてきていた角がゆっくりと揺れる。その視界の中で、じわじわと目が離れていき、鼻面が隆起してくる。
「やめ……」
 拒絶するように手で押さえた。そのはずだったのに、鏡に現れたのは、手ではなく前足。その蹄はフェイクではない。
 慌てて自分の全身を見やり、とうとう、彼女は悲鳴を上げた。
「やぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁあっ!!」
 そこには彼女の細身の体は存在しなかった。人間としての。
「やだ! どうして!」
 叫んだ声が、低くくぐもって、人の声ですら、なくなって。言葉も意味も、消えて。
 鏡の前に、一頭のトナカイが姿を現した。
「ふむ。中々良い出来じゃな」
 どういう事ですか、と叫びだしたいのに声は出ない。サンタクロースの長老は、何か納得したように頷き、指を鳴らした。何人かの赤い服を着た男性が現れ、手にした手綱や鞍のようなものを装着される。口に無理矢理何かを噛まされて、首を振って抵抗する。それしか出来ない自分がもどかしくて仕方がない。
「では、裏へ連れてゆけ。新人どもに、研修を始めると連絡しろ」
「は!」
 彼女の意思とはまったく無関係に、手綱を引かれ、連行される。父がまともな仕事を頼んだ試しはないが、こういうことかと、奇妙な納得が胸を締めた。






 スキー場で面会したサンタクロースの新米たちは、最低だった。
 みなもは少しでも良いところを見つけようとしたが、徒労に終わる。
「何をサボってんだよ!」
 嘆息を吐いていると、また怒鳴りつけられた。
 とにかく、一々物言いが横柄なのだ。こちらがトナカイだからと言って、完全に見下してきている。慣れる為に、とまず乗せてやったのはいいのだが、またがる為に角は掴むわ、落ちそうになって手綱にしがみ付くわ、首を絞めるわ、で、トナカイとしては真面目にやれ、と悪態の一つもつきたくなる。
 否、最初はみなもだって、慣れていないから、と根気良く付き合う気でいた。それが仕事ならそうする。
 だが、彼等は何度同じ事を繰り返しても、上達の兆しが見えない。それはもう、完膚なきまでに見えない。
「やる気ありますか?」
 口が利けたら、そう尋ねたことだろう。
 背の上のサンタクロース見習いに怒鳴りつけられ、みなもは少し足を速めた。途端に、「うわぁ」と情けない悲鳴を上げて手綱にすがりつく。それをされると首が後ろから引っ張られて苦しいのだ。そして速度を落とす。怒鳴られて急ぎ足。以上、エンドレス。
 そんな事を五人分も繰り返していたら、幾ら温厚なみなもとはいえ、腹に据えかねてくる。様子を見に来た現場研修員を目にするなり、いきなりサンタクロース見習いたちの態度が変わるのも納得いかない。
「進んでいるか?」
「は! 一同、誠心誠意トナカイに慣れる為に努力中であります!」
「トナカイの背に乗るのは難しいだろう?」
「は! しかし、ようやくコツがつかめてまいりました!」
 つい先ほど、乗ろうとして鞍から滑り落ちたサンタクロース見習いが、言う。その台詞、背中の雪を払ってからの方が説得力が在るだろう。
「自分もです」
 言い募ったのは落ちそうになると首にすがり付いてくるサンタクロース見習いだ。本当ですか、と意地悪く聞きたくもなる。
 全員の賛同を聞き、研修員は納得したように頷いた。
「では、そりの説明にうつろう」
 研修員も、どうやら実際している所は見ないらしい。見れば次の段階に進めるわけがないのが解るのに。
 トナカイたちのストライキの理由を深く悟って、みなもは溜息一つ。自分は今日だけ―――まだ日は高いが―――だから何とか耐えられるかもしれない。実際問題、彼等が上達しようとしまいと関係ない。しかし、本職のトナカイたちは、彼等に実技を教え、運悪くパートナーに選ばれてしまったりすると、今年の冬は惨劇を迎える事になる。
 その事実を研修員、ひいてはサンタクロース長老に知ってもらうべくの、ストライキであったのだと。
 研修員のあまり熱意のないそりの説明を手伝いながら、みなもはそりを装着され、その重みに足を踏みしめた。背中に掛かる圧力は、先ほど人を乗せたときの比ではない。本職のトナカイは大変だろうと彼女は同情を深くする。
 そして、また研修員が去ってしまって、サンタクロース見習いたちの態度が一変する。
「ったく、だりー。やってらんねぇな」
「だよな。俺たちの華麗な活躍はクリスマスだろー?」
 違いない、とお世辞にも上品とはいえない笑い声が起こり、みなもは痺れを切らして、後ろ足で辺りの雪をサンタクロース見習いたちにぶちまけた。
「な……」
 突然のことで、言葉もないサンタクロース見習いたちに、そりを前足で叩いて、研修を促す。まずはそりをスムーズに着脱できるようになってもらわなければならないのだ。自力で。
「そりをつけろって?」
 一人がぼそりと呟く。
「ふざけんなよ! あぁ!? トナカイ風情が何いきがってんだ!」
 激昂したその一人の肩を、一人が止めた。
「いいじゃん、つけてやろうぜ」
 にやり、と浮かんだ笑顔は好印象からかけ離れている。そして、全員がみなもを押さえ、無理矢理そりをつけた。そのつけ方も間違っている。全員で出来ないのに、一人で出来るわけがない。彼女はそれを指摘するべく暴れたが、そりにかかった負荷に気がついて振り返った。
「!」
 声が出たら叫んだだろう。彼等は、その場にあった有りっ丈の荷物を積み込んでいるのだ。逃げ出そうとしたが、重くて動けない。
「ご希望通り、そりをつけてやったぜ! おら、走れよ!」
 こっちが身動き取れないからと言って、後ろからサンタクロース見習いたちは喚きたて、挙句に鞭を打って来る。しかし、みなもは重みで動けない。
「走れつってんだよ!」
 誰かがそりに乗り込んで、思い切り掌でみなもの尻を叩いた。その瞬間、何かがはじけ飛ぶ。空を掻く感触。風が頬を撫でる。視界がどんどん高くなって、背にかかった重みもなくなった。
 自分が空を飛んでいる、と彼女が気がついたのは、後ろから聞こえる悲鳴のせいだった。折角の初飛行も台無しである。
「うわ! だ、誰が跳べって言ったんだ! 下ろせ! 降りろ! 早く降りろよ!」
 そりにしがみ付いて情けなく眉を下げながら、それでもサンタクロース見習いは偉そうに言う。みなもはかちん、ときて辺りを駆け回った。空を走るのは気持ちがいい。
「わぁぁっぁぁあ! 助けて、ママ!!」
 恐らくママは空までは助けにきてくれまい。いい加減哀れになったので下ろしてやろう、としたとき。つけ方を間違えたそりが傾いだ。止め具が弾け飛び、そりはまっ逆さまに落ちていく。実際問題、それほど高い場所を飛んでいたわけではないので、けが人は出ないだろう。下は雪が降り積もっている。
 若干冷淡な視線でそりが落ち、サンタクロース見習いたちが喚いているのを見やりながら、みなもは無視して少し散歩を楽しむ事にした。彼女の感覚では既に丸一日が経過しており、一時間ほどの休憩は許されるとの判断だ。
 見つかって即刻首にされても構わない。
 重石のない足は軽く、文字通り天まで駆け上がる。一面の草原。遠くに見える瓦の屋根。サンタクロース見習いたちの赤い服は視界にも入らなくなった。
 そこまで行ってから、やはり戻るか、と考える辺り彼女の真面目さが窺える。上達しようとしまいと関係ない。しかし、仕事を任され、クリスマスには日本全国の良い子のみんなが、プレゼントを心待ちにしているのだ。
『やぁ』
 いきなり隣から話しかけられ、みなもは驚いて視線をやる。空には自分ひとりしかいないと思い込んでいたために、油断していた。
『中々痛快だったよ』
 そこにいたのはトナカイだった。黒に近い灰色の毛皮に、立派な角が牡である事を示している。黒い瞳は理知的に輝き、気品の感じられる物腰は、どこかのサンタクロース見習いたちの比べ物にもならない。
『俺は研修担当のトナカイ。君は?』
 ストライキ中のトナカイらしい。
 話しかけられている、という事はこちらの言葉も通じるはず、とみなもは口を開いた。
『私、今日一日だけ臨時で雇われた、海原みなもと申します』
『そうか。君にはしなくてもいい苦労をかけたね。すまない』
 紳士に詫びられ、みなもはいいえ、と慌てて言った。そのとおりだったのだが、謝られると「はいそうです」とは言いにくいものだ。
『君は、暮らしていく金銭に困っているのかい?』
 いきなりぶっちゃけた事を聞かれ、みなもは言葉に詰まった。裕福であるとは言わないが、義務教育中であるから、収入がないのが普通の状況である。
『実は、俺たちは今から宣戦布告をする所でね。君がいると戦いに巻き込まれる事になる。だから、できれば退避して欲しい』
『宣戦布告?』
『あぁ』
 トナカイは研修中のサンタクロース見習いたちがいる方向を見た。
『彼等に、働く上での礼儀という奴を、教えてやらなくては気がすまないんだ。たとえ、明日の食卓に並ぶ事になってもね』
 軽い口調だったが、その言葉に含まれた真実身に、みなもは思わず身震いした。
『君のような綺麗なお嬢さんが居る場所じゃないよ。ここは。その美しい毛皮を乱し、その青い瞳を曇らせる事はないんだ。できるだけ早く、自分の世界にお帰り』
 言い聞かせるような優しい口調。
『隊長! 準備が整いました!』
 後ろから、一糸乱れぬ陣を引いたトナカイたちが整列した。隊長と呼ばれたトナカイを先頭に彼等は空中で綺麗に姿勢を正す。
『長老に合ってその旨を伝えれば、直ぐに無事に返してもらえるはずだよ。それじゃ、気をつけて』
 優しい瞳でいい置いて、彼は体を翻し真っ直ぐに駆け下りていく。その後姿は、毅然としていて美しい。礼儀を守る術を知っている。命を賭して仕事をする事を知っている。彼等がそこまでするのは、誇りがあるからに違いない。サンタクロースのそりを引くトナカイとして、彼等は誇りを持っている。
 その仕事を全うする為なら、命を失う事も辞さない―――
『待ってください!』
 みなもは彼等を追いかけた。咄嗟のことで言葉が出ない。
『どうしたんだい?』
 黒い瞳に問いかけられ、みなもは深呼吸一つ。決然と前を見据えた青の双玉。
『私も、戦います』
 たった一日だけの、アルバイト。けれど、その仕事を全うしたい。新人サンタクロースの研修が彼女に与えられた仕事で、トナカイになれさせる事が、与えられた職務。ならば、最後まで全うして見せようと彼女は決めた。
 彼はその決意を読み取ったに違いない。
『戦うと言っても、別に角を突き合わせるわけじゃない。サンタクロースの長老の立会いの下、研修内容をどちらがより正確に理解しているかを競うだけだよ』
『私の仕事は、新人サンタクロースの研修です』
 それだけ、言った。
『……解った。俺の隣に』
 それだけ、帰ってきた。
 トナカイの、決死の戦闘が始まる。






「この戦いの勝者の言い分を叶える事を認める!」
 朗々と長老が宣言した。


 第一回戦。
「トナカイへの騎乗!」
 当然ながら、見習いサンタクロースたちにもトナカイがつく。彼等が見習いサンタクロースに不利益な事をした場合は直ぐ、負けを認めなければならない。彼等は、角を掴まれようが手綱を引き絞られようが、毛皮を抜かれようが、耐えた。
 それを見ていればこちらとて奮い立たないわけもなく、みなもはペアを組んだあの黒い瞳のトナカイの上に、曲芸とばかりに飛び乗った。彼女の方が一回りほど小柄だからこそ出来る技である。
 そもそもトナカイは空が飛べるので、こんな事はお手の物だ。結果としてサンタクロース見習いたちが四苦八苦して背中にしがみ付いているのに比べ、はるかに高度な馬術まで披露した。


 第二回戦。
「トナカイへのそりの取り付け!」
 今度はみなもは立っているだけである。あのトナカイは、非常に器用にそりを取り付けていく。前足と歯を使って、ちゃきちゃきと。止め具のベルトまで締めて見せるのだから、凄いとしか言い様がない。
『そっちを抑えていてくれるかい?』
 と、時々指示もあるが、それは決して難しいことではなかった。周りを見回すと、どのトナカイも非常に慣れた手つきでそりを装着。サンタクロース新人たちは、トナカイたちの倍以上の時間をかけて、間違えた装着を披露した。長老が唸ったのを聞いて、微かに勝利感を感じる。


 第三回戦。
「そりへの荷物の積み込み!」
 お手の物である。どう積めば崩れにくいかまで彼等は熟知しており、人一人が乗る場所を空けることも忘れない。どのそりも一杯になり、トナカイたちは空を飛んで、荷物の安定感をアピール。みなもは一番最初に空に上った。さすが、あのトナカイは隊長と呼ばれるだけの事がある。


 第四回戦。
「トナカイからそりの取り外し!」
 みなもは気がつけばそりから開放されていた。早業過ぎて目にも留まらない。


 以上四回に及んだ研修内容を、トナカイたちは優位に進めた。
「見事」
 サンタクロース長老が頷き、勝負は終る。彼はトナカイを整列させ、びし、と礼をする。それを見ていたサンタクロース見習いたちも、慌てて並んだが遅すぎる感が否めない。礼もそろわずに今一だ。
「この勝負、どう贔屓目に見てもトナカイたちの圧勝である! 何より、真正面から挑んでくるその心意気に痛く感服した! ぬしらに、新人たちへの心配りが足りなかった事を詫びよう」
 言いながら、サンタクロース長老が手を振る。隊長と呼ばれたトナカイが、見る間に人の形を取った。黒い髪に黒い瞳。すらりと長身の彼は、もう一度深く礼を施した。
「では、望みを言うが良い」
「……誇りを」
 彼は、それだけ言った。周りが首を傾げる。彼はそれ以上言葉を重ねようとせず、頭も上げない。トナカイたちもそれに習った。
「埃?」
 サンタクロース見習いがぼそりと呟く。みなもは神聖な何かを馬鹿にされた気がして、きっと睨みつける。そして、サンタクロース長老に自分も戻してくれるよう訴えた。その望みは叶えられた。
「みなもとやら。何か、言いたい事が在るようだな?」
「はい」
 みなもは一度礼をして、しっかりと頭を上げて周りを見回す。
「私たちは、働く事に誇りを持っています」
 まるで彼等の代表のように、言う。
「サンタクロースのそりを引くトナカイとして。子供たちに夢を与える存在として。貴方たちの手助けをすること。それに、誇りを持っています」
 一息置いて、サンタクロース見習いたちに目をやった。
「その誇りを、穢さないでください。その誇りを、踏みにじらないでください。言葉が話せないからと言って、どうして傷つかないと思えるんですか? 鞭は痛いです。でも、それ以上に、仕事を馬鹿にされる事が、何より痛いのだと、どうして気がつかないんですか?」
 貴方たちがかわいそうです。
 そっと、呟いた。
「彼等は、貴方たちに、本気で、立派なサンタクロースになって欲しいと思っています。そのために命を賭ける事を厭わないほど、誇りを持っています。だから、どうか、その思いを解ってください。少しでも答えようとしてください。貴方たちも、サンタクロースとしての誇りを持ってください」
 少し沈黙した。涙が溢れそうだ。けれど、まだ、前を向いて。
「それが、『働く』って事じゃないですか?」
 問いかけは、静かに消えていく。そっと肩を抱かれたのが解って顔を上げる。そこにはあのトナカイがいて。彼の後ろでは、トナカイたちが、これ以上なく誇らしげに角を掲げて立っていた。
「ありがとう。俺たちの伝えたい事を、解ってくれて」
 優しく涙を拭われ、留まらなくなった嗚咽を手で隠す。
「サンタクロース長老。俺たちは、この研修に命をかけています。彼等が立派なサンタクロースになる事を、ここにいる誰より。本人たちより。その期待が重いかもしれない。だけど、俺たちはそうするでしょう。そうしたい。この仕事が、誇りを持つに十分だと知っているから」
 彼は、穏やかにいった。
「君達は、どうしてサンタクロースになりたいと思ったんだい?」
 サンタクロース見習いたちに語りかける。少し間が開いて、一人が「おれは」と口を開いた。
「ずっと、信じてたんだ。サンタクロースを。馬鹿にされて、馬鹿だと思って。でも、本当に、ずっと……あの夜、見上げた空に合ったそりの影を………だから」
「僕は……父さんが、この仕事をしてたから……たとえ給料が安くても、その後姿が大好きだったから」
「俺は」
「オレは」
 口々に彼等はそう言って。やがて、「わかった」と彼が言った。
「俺たちは容赦しない。君達がうんざりするほど、基礎を叩き込もうとするだろう。だけど、それは君達の命が関わってくるからだ。そりの止め具を一つ止め忘れるだけで、そりはバランスを崩して落ちていく。この仕事は、何時だって危険なんだよ」
 それでも、と彼等は言った。
「サンタクロースに、なりたいんだ」
 初めて知ったような、口ぶりで。
 みなもは顔を上げた。トナカイたちが彼等に近寄り、鼻面を押し付ける。愛情の篭った仕種に、思わず微笑んだ。
「なれるよ。俺たちの研修を、真剣に受けてくれたらね」
 サンタクロースの長老が笑って。太陽は相変わらずでたらめで、空は青すぎて。
 そこは、確かに異質な世界で。
 みなもは、一足先にクリスマスに染まった世界に笑った。
「どうでもいいけど、その恰好、随分とセクシーだね?」
 くす、と笑った彼が腰に手を回し、みなもは自分が全身タイツとも言える格好をしていた事を思い出し、思い切り悲鳴を上げる。
 響いた笑い声。穏やかな雰囲気にやがて彼女も笑み崩れて。
 こうして、ストライキは終った。





 揺れる感触に、みなもは呻いた。気持ちよいまどろみ。ふと、目を開ける。
「寝ておってよい」
 祖父が孫に言い聞かせるような口調。また、眠気が襲ってくる。うとうとと夢の世界を漂いながら。
「今日は、ご苦労じゃったな。ぬしのお陰でようやくあの小僧たちが本気になりおったわ」
 それは良かった、と微笑んで。
 そこで彼女は慌てて跳ね起きた。あの後のお祭り騒ぎの後、眠ってしまったのだと思い出す。いつものベッドで、窓まで駆け寄って夜空を見上げた。
 金の軌跡。
 空を駆るトナカイのシルエット。
 虚空を滑るそり。
 東京の星空すらかき消すような街の光を受けながら。
 しゃん……しゃん……
 季節外れの鈴の音が響く。
 体を乗り出して手を振った。幻惑の世界の住人たちに。そっと振り返ったトナカイの、赤い鼻が印象的。
 それを最後に、その姿は夜明けの空に消えていった。
 枕元に、緑の包みに赤いリボンをかけられたプレゼントが、密かに置かれている。




END