コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


たまものさうし

 
 それは、滅入りそうになるほどの長雨の降る、薄暗い日の夕方だった。
 いつものように閑古鳥ばかりが鳴いていた三上事務所のドアを、女が静かに開けたのだった。
 女は透き通るような真白な肌に、夜闇にも似た黒髪を揺らし、深淵を思わせる黒い双眸をゆるりと揺らすと、丁寧な動きで頭をさげた。
「こちらに、狐に通じる方がいらっしゃると聞きました」
 開口一番にそう発すると、女は真っ直ぐに三上可南子を見据えて首を傾げた。

「近頃私の家の離れに、狐が出るようになったのです」
 中田の案内で接客用のソファーに腰を落ちつかせると、女は意を決したような目で三上の顔を見上げた。
「……ほう、狐とな」
「狐ですか。可愛いらしいでしょうねえ。しかし、それが何か問題なんですか?」
 どこか緊迫した面持ちの二人をよそに、麦茶の入ったコップをテーブルの上に並べつつ、中田はのんきな笑みを浮かべる。
その中田を軽く睨みつけると、三上はゆっくりと女へと目を移し、紫色の眼をそっと細ませた。
「見たところ、おぬしも狐じゃな? わしよりも幾らか年は上だと見える」
「――――二百を超えるほどでございます」
「そうか、なるほどのぅ」
 頷き、細めていた眼を開いて身を乗り出す。
「して、同胞が同胞に関する依頼とは、なにやら物騒な話じゃが、依頼とあらば引き受けよう。如何した?」
 麦茶に砂糖を投下していく中田にため息をこぼしつつ、三上は女にそう訊ねた。
女は少し言葉に思案した後に小さく頷き顔をあげる。

「私は数十年ほど前より人の姿を成してひっそりと暮らしてまいりました。捨てられていた家屋に手を加え、雨風をしのぎ、縫い物や畑仕事などをしてきたのです」
 
 現れ出したのは狐の霊なのだという。
 おそらくはそれなりに古い史を持つ妖狐であったのだろう。死してなお、その妖力は女のそれを上回っているらしい。
 狐の霊は女の住む家屋の外れ、小さな林道より現れ、消えていく。姿を見せるごとに、狐は人間を襲い、その肉や魂を食らっていくのだ。
 
「人を襲い食らうのはマナー違反じゃな」
 三上はそう返して小さく唸り、腕組みをして眉根を寄せた。
「同胞同志、ここはわしが行ってみるのも良かろうが……わしよりも年上であるおぬしが敵わぬ相手であれば、わしが行ったところで事態の改善はせんだろうしのう」
 唸りながらそう呟くと、三上はちらりと女の顔を確かめる。それから中田に視線を移し、
「数人ほどに声をかけ、助力を願うのじゃ。ほれ、とっととせんか」
 片手をひらひらと動かして、嘆息をついた。


「家屋の修繕をする際に、何かを動かしたとかしていませんか? 例えば置き石等があって、邪魔だったから場所を移動させた、ですとか」
 件の林道を歩きつつ、尾神七重は依頼人である女の顔に目を向けた。狐が化けた姿とはいえ、女のいでたちはごくありふれた洋装であり、一見すると多少陰湿な印象を放っているだけの人間にしか見えない。
 女はしばし思案した後にふるふるとかぶりを振って七重を見やる。
「いいえ、そのような事はございませんでした。……私もこのような身でありますし、そういった事象を引き起こすであろう物などには手を触れぬようにしておりますから」
 そう返す女の言葉に、七重の後ろをしずしずと歩んでいた少女が首を傾げて微笑する。
「その幽霊様にお会いしまして、なぜ人の魂を食さねばならないのかと、お訊ねしてみたく思います」
 漆黒の髪は艶やかな色を浮かべ、微笑する眼差しもまた闇の色を映している。少女は名を海原みそのと名乗った。
「幽霊様にお会いできました時を思い、相応しい装束を身につけてまいりました。……お話を伺えればよろしいのですけれども」
 そう続けてふわりと頬をゆるめるみそのの着流しもまた、滑らかな夜を映した漆黒色で染め上げられている。
 みそのの言葉に同意をみせると、七重は林道の奥へと目を向けて口を閉ざす。
「この林道には、もしかしたら何らかの結界だとか、そういったものが張られていたのではないでしょうか」
「結界ですか?」
 七重の言葉に、女が足を止めて振りかえる。
「この奥には何があるのですか?」
「この林道の奥、ですか?」
 女はすいと顔をあげて林道の奥へと目を向けた。
「私が居つく前になくなってしまったそうですが、昔お社があったとか。でもその跡地には怪異なんかはないんです」
「まぁ、お社ですか」
 着物の裾を風になびかせつつ、みそのが片手で口許を覆い隠し、鈴のなるような声で笑う。
 七重はみそのの微笑に目を配った後に、小さなため息を一つついて林道の奥を真っ直ぐに見据える。
「僕はその跡地に行ってみます」
「それでは、わたくしもご一緒させてくださいませ。何かお役にたてるかもしれません」
 歩き出した七重のあとを、みそのが静かについていく。
 女は二人が林道を行くのを見送って、ふと吹きぬけた風に目を細ませた。土の匂いと草の匂いが辺りにたちこめて、伸び放題になったままの緑がざわざわと大きく揺れた。
――――と、何者かの気配を感じ、女はついと振り向いた。すぐ後ろに、それまでは確かにいなかったはずの女が一人立っている。
「三上可南子から話を聞いてきたのじゃが、どうやら出遅れてしまったかのう?」
 和を思わせる面立ちながら、華奢な体躯にまとっているのは今時の洋装。血の色ともとれる眼差しを林道の奥へと向けて、その女は小さな息を一つつく。
「申し遅れた。私は威伏神羅。三上や中田とは、まぁ多少なりと縁で繋がれた関係よ」
「あなたが神羅さん。ええ、伺っております。音楽をたしなんでおいでだとか」
「なぁに、気ままにあちこち流しておるだけの事。……して、此度の依頼は、器を持たぬ狐霊に関する事だと聞くが」
 吹きぬける涼やかな風に黒髪を躍らせながら、神羅は女を見やって笑んだ。
「ええ、そうです」
 女の確認する声を耳にして、神羅は再び林道の奥へと目を向けて双眸をニマリと細ませる。
「なるほどのぅ……。お主のような妖狐もあれば、まれ人の世の理を歪めんとする妖狐もおる、ということか。……然り」
 喉の奥を鳴らすように笑んでみせると、神羅はひょいと片足を蹴り上げた。
 風が吹き、女は不意に瞼を閉じる。そして次に目を開けた時には、すでに神羅の姿はそこになかった。

 女の家がある位置からほど近い場所にある郷土資料館で、セレスティ・カーニンガムは、ふむと小さくうなずいた。
「つまり、その森で、かつて狐が奉られていたということは間違いはないのですね」
 涼やかな眼差しを笑みの形で整え、セレスティは館長の視線を真っ直ぐにとらえる。館長である初老の男は何度かうなずいてみせた後、一冊の史書をセレスティにさしのべて口を開ける。
「もう数百年ほど前の事だといわれています。旅の僧侶を助けた狐の死後、僧侶が狐を奉じ上げたのが始まるであると」
「……なるほど。それで、今はそのお社は?」
「100年ほど前までは、僧侶の末裔の方がお社をまもっていたようですが、それも絶え、今では痕跡さえも残されてはいません」
「末裔?」
 館長の言葉に訊ね返しながら、セレスティは史書のページに指をかける。
「お社があった場所の近くに、ちょっとした林道があるんですよ。その林道の入り口に、さびれた古い家があります。今は若い方がお一人で住まわれているようですが、そこが僧侶の末裔が住んでいた場所であるようですね」
 自分の言葉にうなずきながら、館長はそう答えてアルミ缶の茶を口にした。
「――――なるほど、ありがとうございました」
 華やかな笑みを添えて史書を館長の手へと戻し、セレスティはかつりと踵を返す。


 数100Mほど続いた林道を抜けると、そこは広い野原だった。伸び放題になった草花が風に揺らぎ、その上で、灰色の雲がわずかな日差しを降り注いでいる。
「お社があったというのはこの場所でしょうか」
 野原の全容を確かめながら七重がそう口を開くと、その後ろでみそのがやわらかな笑みを共にうなずいた。
「このあたり一面に、人ならざる気の流れが感じられます。幾分か古いものではあるようですが……。それに、この匂いは獣のそれであると思いますわ」
 瞼をおろして鼻を動かすみそのの言に、七重もまた同様に暗紅色の目を閉じ、うつむく。
 そうしてみれば、確かに、草むらに見え隠れする何者かの気配が感じられるようだ。
「食するという事は罪ではございません。しかしながら、もしも狐様がなにがしかの理由もなしに人様を殺めていらっしゃるのならば、それは許し難いことです」
 笑みを浮かべつつも毅然とそう述べるみそのの言葉が、吹く風によって流されていく。
「そうですね。僕は、狐霊が本意で人を襲っているのかどうか、伺えるならば伺ってみたいと思います」

 灰色の空から、ぽつぽつと雨が降り出した。それは見る間に草野を染めあげ、地を潤していく。しかしそれは、みそのの能力によって操られ、七重とみそのは雨に打たれることなく野の上に居続けることができた。
「――――狐様がいらっしゃったようですわ」
 みそのが小さな笑みをこぼす。同時に、風がつむじを描いて草花を散らした。

 ――――――ォオ――ン

 風の声にも似た声が響き、雨はいよいよその勢いを強め、地をたたきつける。
「ほう、随分と美しい銀色の毛並みじゃ」
 不意に背後にあらわれた気配と声に、七重は大きく振りかぶる。
「海原とか申したか。いつぞやは世話になったのう」
 七重の視線に映ったのは、どこか艶然とした微笑みを浮かべる神羅の姿。神羅は七重に微笑してみせるとすぐに、やんわりと笑って頭をさげるみそのの顔を見とめた。
「良い花の宵でありました。威伏様の笛の音のお話、わたくしの主が大層お悦びになっておいででした」
 年端に見合わぬ艶やかな唇で笑みをつくり、みそのもまた真っ直ぐに神羅を見とめる。
「お二人とも、お知り合いだったということはわかりました。ですが今は――――」
 どこか呑気な風の二人を諌め、七重が口を挟むと、神羅とみそのは二人揃って前方に顔を向けて目を細ませた。
「大丈夫、だと思います」
 みそのの言葉に神羅が続く。
「少なからず、同胞である者を襲い食らうという真似はしておらぬ。ゆえに、」
「理性が残されているということですよ」
 雨の中、セレスティの声が行き渡る。雨は、姿をみせた妖狐の周りに細く糸状のものをつくり、それは狐の動きを制してとどまった。
「セレスティさん……」
 まだ見えぬセレスティの姿をさがして宙に視線を向けた七重の前に、舞い立つようにセレスティがあらわれた。
「遅くなりました。……が、だいたいの事情は調べてまいりました」
 やわらかな笑みを浮かべるセレスティに、七重が首を傾げる。
「事情ですか? それはあの妖狐が人を襲っていたことの理由が、でしょうか?」
「それは、直接伺ってみないことには確証を得られません。私が調べてまいりましたのは、依頼人である方――正しくはその住居というところでしょうか。それと、あちらの狐との関係などです」
「ほう。家との繋がりとな?」
 腕組みをしつつ神羅が訊ねると、セレスティは三人の顔を順に眺めて首を傾げた。
「あの狐のお社をつくり、まもってきた代々の方が住んでいらっしゃったお家なのですよ」
 言いつつ、セレスティの青い眼差しが、水輪に縛められている狐の方に向けられる。
「――――それがあの依頼人の女性が住む場所と狐霊との繋がりだったのですね」
 セレスティの視線を追って狐を眺め、七重もまた呟く。
「見れば、狐様はセレスティ様の戒めに抵抗なさるでもなく、おとなしくなさっておいでです。ここはひとつ、なぜ人の血肉を欲していらしたのか、真相をお訊ねしてみては」
 微笑むみそのがその手を軽く揮えば、途端に雨がやんだ。
 神羅が狐に近付いて片手を伸べ、少しばかり威嚇してみせている狐の顔に指を這わせる。
「そなたがまだ言葉の通ずる者であると見こみ、訊ねる。そなた、何故人間を襲っておったのだ?」
 神羅の白い指が、実体を持たない狐の顔を優しくなぞる。狐は少しばかり威嚇した後に、神羅の赤い眼を確かめて萎縮した。
「血肉を得ることで、再び実体を得ることが出来る、と、お考えになられたのではないのですか?」
 神羅の後ろで、セレスティが言葉を挟む。みそのはセレスティの隣であごを撫でながら、薄い笑みを浮かべている。
 セレスティのその言葉に、少しの間沈黙していた七重が、ふと顔をあげて目を輝かせた。
「現し身……それを得て、成したいことでもあるのですか?」
(――――我が社を)
 七重の言葉に、狐のものらしい声が応じた。
(我が社の復興を――――)
 ざわざわと風が抜け、草野の上に波がたつ。
 狐の言葉に、目を細ませたのは神羅だった。
「ふむ、そなた、帰すべき場所を欲っしておったか」
「……キミの社は、キミが助けた僧侶が建てたのだと聞きましたが」
 セレスティがうなずきつつ歩みを進める。
(我が社の復興を――――)
 狐は再びそう述べて、うなだれるように頭をたれた。
「もしや、再び血肉を得て身を得られれば、同じようにお社を建てていただけるのではと、お考えになられたのでは?」
 薄い笑みをはりつかせたまま、みそのがつと首を傾げる。狐は応とも否とも返すことなく、沈黙のままにうなだれている。
「……お社が……あなたの帰すべき場所が欲しかったのですか?」
 みそのの言葉に続き、七重が問うと、狐はうなだれていた頭をちらと持ち上げて七重を見やる。それを確かめると、セレスティが穏やかな微笑と共に片手を動かした。
その手の動きに合わせ、狐を戒めていた水輪が解かれ、狐は同時に姿を消した。
「再びこの場所にお社を建てましょう。僧侶の血族はもはや途絶えているとのことですが、その屋敷跡に同胞の方が居ついたのも、なにがしかのご縁でしょうし」
 消えていった狐の軌跡を追いながら、セレスティは頬をゆるめて前髪をかきあげる。
 風が吹き、何もない草野を大きく揺らした。その上に広がる雲間から、一筋の陽が地に降り注ぐ。


「わかりました。それでは、私がお社をおまもりしていきます」
 依頼人である女は、セレスティの言葉に丁寧に頭をさげてそう答えた。
「望みのためとはいえ、人を殺めたという事実はまげられん。人々の間には、恐ろしいものを祭った社であるとささやき続けられるやもしれぬぞ」
 神羅が声をひそめそう言えば、女は弱々しい笑みをにじませてかぶりを振る。
「そうではあっても、私の同胞であることには変わりありませんから……」
 女の答えに目を細ませて、神羅はわずかにうなずき、踵を返した。続き、みそのも女に向けて恭しく礼を残し、神羅の後を追っていく。
「それではまた、ご縁がありましたらお会いしましょう」
 セレスティはそう言い残して迎えの車に乗りこみ、神羅とみそのを呼び止めている。
「……戻る場所があるというのは、やはり素晴らしいことだと思います」
 最後までその場にいた七重が、ふとそう述べて頭をさげた。女は七重の言葉に微笑みを浮かべると、肩を竦めて口を開く。
「かつて同胞を奉ったという方が住んでいた場所に、私が今こうして根をおろしているのも、また何かの縁だと思います。……私の帰すべき場所は、この地より他にありません」
 七重と女の会話とは、会話というには奇妙なものであったかもしれないが、二人は視線を合わせて小さく笑う。
 七重を呼ぶセレスティの声が、静かな林道を涼やかに流れた。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【1388 / 海原・みその / 女性 / 13歳 / 深淵の巫女】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生】
【4790 / 威伏・神羅 / 女性 / 623歳 / 流しの演奏家】



□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

いつもありがとうございます。また、毎回のことながら、お届けが納期ぎりぎりになってしまいまして、まことに申し訳ありません…。
「たまものさうし」、いかがでしたでしょうか。玉藻が出てきていないじゃないかというツッコミはなしの方向で(笑

狐というモチーフも好きです。それだけで、なにやら和な雰囲気を象れそうな気がします。
尾の数によってその力の大小も違ってくるっていう話ですとか、興味深いものであると思ってみたり。

少しでもお楽しみいただけていれば幸いに思います。
またご縁がありましたら、依頼やシチュノベ等でお会いできればと願いつつ。