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<東京怪談ノベル(シングル)>


空梅雨に鼬は踊る

 あやかし荘の今にも崩れそうな塀に腰掛けて、鈴森鎮はぼんやりと空を眺めていた。とてもいい天気である。青空にぽっかり一つ浮かんだ雲は、膝の上で丸くなっているくーちゃんに似ている。ひくひく、と鼻をうごめかせ空気の匂いを嗅ぐと、乾いた土の香ばかりが飛び込んできた。
「せっかく新しい傘、買ってもらったのになあ」
梅雨に入る一週間ほど前だったろうか、鎮はそれまで使っていた傘を思いきり壊してしまった。振り回しながら走っていたら電柱にぶつかって、骨を折ってしまったのだ。仕方ないと言いながら、兄が新しいのを買ってくれた。雨が降ればあの傘をさして歩けるのに。
 六月の頭に、全国では梅雨入りが宣言された。東京も例に漏れず、季節は梅雨なのである。なのに、雨が降らない。こんなの初めてだ、と鎮は思った。
「このまま雨が降らなかったら、どうなるだろ」
背骨が下から上にかけて、撫で上げられるような感じがした。このぞくりとした感覚が沸くときは大抵、嫌な前触れなのだ。
 ・・・・・・とはいえ、この男が嫌なのではない。
「鈴森くん、そんなところに座っていると危ないですよ」
「さんした」
アトラス編集部の使いっぱしり、三下忠雄が大きな鞄とコンビニのビニール袋を下げて、門のほうから鎮を見ていた。鼻の上のバンソウコウは、またなにかへまでもやらかしたのだろう。
 昼下がりの時間から彼があやかし荘に戻ることなど珍しいので、くびにでもなったのかと聞いてみた。すると三下は情けない声で笑い
「それはいくらなんでもひどいですよ。僕は明日出張なので、準備のために帰ってきたんです」
半日なければ出張の準備もできないだろうと、敏腕の女編集長には思われているらしい。
「鈴森くんは、なにをしているんですか?」
「雨を待ってるんだ」
ああ、確かに降りませんよねえと三下も太陽に向かって手をかざした。

 雨が降らないということは、三下にとってはどちらかといえば喜ばしい出来事である。湿気が増えると編集部の書庫は蒸し暑くなるし、紙は重くなるし、なによりスーツが駄目になる。雨というやつは、三下が傘を持っていないときばかり狙って降ってくるのだ。
「今年は用心して、いつも折りたたみを鞄に入れているんですけど」
そういうときに限って降らないのだと、三下はうなだれる。もしかすると、東京に雨を降らせるには三下から傘を奪えばいいのかもしれない。
「雨が降らないと困りますよねえ。このままじゃ、秋のお米が心配です」
秋を心配している余裕なんてないよ、と鎮は心の中で答えた。このまま雨が降らないと秋が来る前に自然のバランスが崩れ、どこかで大津波や台風といった大災害が起こりそうな気がする。
「さんした、雨を降らせるぞ」
「はい?」
どうやって、と三下の目が眼鏡越しに訊いていた。目は口ほどにものを言う、が三下のは言い過ぎる。最初から窺うような目つきが、女編集長を苛立たせるに違いない。
「雨を呼ぶんだから、雨乞いだ。庭に祭壇作るから手伝え」
即断即決がモットーの鎮、塀の上から庭のほうへ軽やかに飛び降りると、あやかし荘の庭にある大きな物置へ駆け出した。膝の上のくーちゃんは、鎮が塀から飛び降りたとき身軽に宙を飛び、鎮の頭の上に乗っていた。
 あやかし荘の物置は四次元空間に繋がっている、と言われている。なんだって入っている、という意味でもあるしいらないものばかり入っている、ということでもある。祭壇の材料は、すぐに見つかった。物置の入口から恐々中を除いている三下に声を飛ばし、鎮は手早く組み立てさせる。ついでに、三下がコンビニで買ってきた今日のおやつらしいプリンも供物として奪った。

「準備できたか」
「はい」
スーツを埃まみれにして、すでに半泣きの三下。引き換え鼬姿に変身し、くーちゃんとおそろいの神子衣装を纏った鎮はやる気に溢れていた。ちなみに鼬姿のときの衣装は、兄弟の手作りである。
「じゃあ祭壇に火をつけて、踊るぞ!」
「も、燃やすんですか?」
「馬鹿。護摩だ」
祭壇の中には確かに、四つ木に組まれた壇がある。この中に火を入れるのである。雨乞いのときに火を炊くのは常識だった。
 空気が乾燥しているだけあって、護摩はよく燃えた。そばにいるだけで汗が吹きだしてくるような熱気の中で、鎮とくーちゃんは雨を念じて踊った。なにがなんだかわからない三下も、鎮に言われるがまま不器用に手足を動かしていた。
「なんだよ、その踊り」
「これでも一生懸命やってるんですよ」
三下曰く、鼬姿の鎮が小さすぎて真似が難しいらしい。とはいえ、違いすぎた。なにも知らない人には日曜大工にうっかり火をつけてしまい、うろたえている三下に見えるだろう。
 そんな三下の踊りがどうにか様になってきたのは二時間後。
「こ、これ、いつまで続けるんですか?」
「雨が降るまでだ」
雨乞いをすれば必ず雨が降る、というのは要するに、雨が降るまで雨乞いを止めないからである。勝負に負けたことがないと豪語する男が実は、勝つまで止めないのと同じだった。
「僕、明日、出張、なんですが・・・・・・」
三下の手足はすでに気力で動いている。鎮とくーちゃんの動きは綺麗に揃っている。これは若さの違いだろう、三下も年齢的には充分若いのだが、気力が老化していた。
「だらしないなあ、ちゃんと踊れよ」
いや、二時間踊っていて平気な顔をしている二人のほうが、尋常ではないのかもしれない。
 ともかく、彼らの雨乞いは夜まで続いた。

 明日は全身筋肉痛間違いなし、と確信できる疲労に全身を襲われ、庭に這いつくばっている三下の頭にぽつりとぬるいものが落ちてきた。同時に、鎮とくーちゃんの柔らかな毛皮を濡らすものが降ってくる。
「あ」
鎮が声を上げるのと一緒に、くーちゃんが嬉しそうな声で鳴いた。
「雨ですね」
三下は本当に泣いていた。
「やっぱり、雨乞いは効くな!」
星のない空から降ってくる雨で、護摩壇の火がゆっくりと消えていく。雨粒の滴る毛皮を震わせ、これでもう大丈夫だと鎮は人間の姿に戻る。戻った途端、お腹が鳴った。
「・・・・・・あ、しまった。早く帰ってご飯にしなきゃ」
くーちゃんを拾い上げポケットに入れると、鎮はまた身軽に塀を飛び越えた。今から家に帰って夕食を作り、風邪をひかないよう風呂に入って、宿題もしなければならない。小学生は多忙なのだ。だから、祭壇の後片付けをしている暇などなかった。
「さんした、あとは頼む」
「・・・・・・鈴森くん・・・・・・」
僕、明日出張なんですという三度目の主張は当然、家路を急ぐ鎮には聞こえなかった。
 約半月ぶりの雨は、本当に微量ではあったが東京の乾いた表皮を潤わせ、草木を喜ばせた。が、翌日の朝になるともうすっかり止んでしまっていた。
「なあんだ、あれだけか」
やっぱりさんしたじゃ効き目ないのかなあと朝食を食べながら鎮は思った。
「誰と一緒に雨乞いすれば、効くのかなあ」
どうやら、梅雨の雨乞いはまだまだ続くらしい。