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オベロンの翅音
「旦那様、お迎えはいつになさいますか?」
「夕方になると思いますが、その時に連絡します」
「かしこまりました」
見送ったリムジンの外は熱気が満ちていて、私は少し目眩がした。
固体化したような熱の世界に、ステッキを握る手もこわばってしまう。
セレスティ・カーニンガムと私が人の世界で名乗ってから、何度目の夏だろう。
アイルランドの短くも鮮やかな一瞬の夏。
私はそれを愛しているけれど、最近は夏のひと時を日本で過ごす事も多くなった。
日本の夏も一年を通してみれば、とても短い期間だ。
けれど、暑く湿気の多いこの国の人々はそれを楽しむように、涼しくなる夜に花火を上げ、祭りを催し、川辺に船を浮かべ、大人も子供も遊んでいる。
そんな――風情とでもいうものが、私には好ましく映る。
最近の私は和風の小物を見るのが楽しくなっていた。
ふとした縁で知った、得物処・八重垣。
そこに置かれた武器を実際に使う者がいると聞いて、私は早速連絡を取った。
よく考えれば、突然で不躾な気もしないではないけれど……。
私は気を取り直して、結城探偵事務所の呼び鈴を鳴らした。
「芳人くんからも聞いてますよ。どうぞ、外は暑かったでしょう?」
「いえ、こちらも突然で申し訳ありません」
好奇心の歯止めが、私は年々きかなくなっている気がする。
所長の結城恭一郎は白髪の壮年の男で、とても狭間狩りに名を連ねているとは思えない、物腰の柔らかな人物だった。
飼われているのか、人懐こそうな白い狼が結城の後を付いてまわる。
純白の毛並みと赤い瞳が、狼なのに兎を連想させて可愛らしい。
案内された応接スペースは六角に張り出しており、風が時折吹き抜けて自然な涼しさを運んでいた。
大きく天井まで取られた窓で、白のレースのカーテンが淡い影をひるがえしている。
上まで視線を伸ばせば、優美な曲線を描く壁の装飾、程よく華美さを抑えた照明が見える。
事務所として使っている机以外は、家具もアンティークで揃えられていた。
「初めまして、所長の結城恭一郎です。こちらは調査員の和鳥鷹群。
もうご存知と思いますが、二人とも八重垣の物を使っています」
書類をまとめていた青年が立ち上がってぺこりと頭を下げた。
黒目がちの大きな瞳と癖のない黒髪が幼い印象で、左に泣き黒子がある。
和鳥は壁に立てかけていた緋色の日本刀を取り上げた。
「俺が使うのはこの剣精……日本刀に人工精霊を載せたものです。
八重垣で作られたものですけど、いつ頃作られたかはわかりません」
緋色の鞘と、それに続く鍔は桜が透かし模様であしらわれている。
八重垣の人工精霊は、先だって倉庫で見たような存在だろうか。
「ええと、見てもらった方が早いですね」
見つめる私に和鳥が微笑んで、刀を鞘から引き出した。
涼やかな金属音に重なり、長い髪をうなじでまとめた浴衣姿の女性が実体化する。
「……お初にお目にかかります。我が名は剣精が一騎、紅覇。
古の約定により、鷹群様の刃となりて全てを屠る者。以後お見知りおきを」
ほんのわずかに身体の向こうが透けて見える以外は、普通の女性に見える。
青地に萩をあしらった浴衣が爽やかだ。
紅覇は私、ついで結城ににっこりと微笑みかけた。
「結城様もお元気そうで何よりです」
「夏らしくて良いね、その浴衣。うん、似合っているよ」
結城と紅覇の間に割って入るように、和鳥が口を挟んだ。
「所長にはこの前も会ったろ! その格好は何だよ紅覇」
礼儀正しい初めの印象が変わり、まるで姉に対する弟のような口調だ。しかも反抗期の。
「先日鷹群様のお母様が、夏ですから浴衣姿も良いのではと仰いまして」
「あのバ……ッ!」
真っ赤になって肩を震わせている和鳥にはお構いなしで、紅覇は私に話しかけてきた。
完全に思考も独立した存在らしい。
「お客様もそう思いませんか?」
「そうですね。夏しかできない装い、というのもありますし。
女性の華やかなお姿は見ていて嬉しいものです」
「そうですよね」
紅覇は瞳を細めると、少女のような微笑みを浮かべた。
器物に宿る人工精霊といえども、美しく装いたい女心はいじらしいと思う。
「もう良いだろ。しまうぞ」
和鳥の肩口を掴むようにして、紅覇が私の方を振り返った。
「ああ、お待ち下さい鷹群様。お客様のお名前を伺っていません」
「セレスティ・カーニンガムです」
「ごきげんようセレスティ様……またお会いできる日まで」
そう言うと、紅覇は頭を下げ掻き消えた。
光る刀身はすでに鞘へと納められている。
「……口数の多い女ですいません」
気まずそうに和鳥は頬の辺りをかいているが、きっとその言葉には照れ隠しも含まれているのだろう。
「興味深い方でしたよ。お美しいですしね」
「調子に乗りますから、紅覇にそんな言葉かけないで下さい」
「ところで、結城さんも剣精を使ってらっしゃるんですか?」
結城は懐から革製の鞭を取り出し、足元に寝そべる雪狼の頭を撫でた。
「俺のは咆哮鞭です。これも咆哮鞭で実体化させたものですよ。
実は視力のほとんどをこの雪風で補っているんです」
少しソファから離れ結城が咆哮鞭を振るうと、粉雪が舞う中に三体の雪狼が出現した。
部屋の温度も一気に下がり、吐く息が白く煙る。
「最大で9体まで出せます。
今八重垣に置いているものは3体までに実体化が制限されてますが、これは初期型ですから制限なく使えますよ」
結城はもう一度咆哮鞭を振るい、雪狼を一体だけに戻した。
そして眠そうに欠伸をした口元を押さえた。
「ああ、失礼。もっとも、その分疲れますけどね」
「所長、寝不足ですか?」
気遣うように和鳥が声をかける。
「この頃暑い夜が続くしね」
照れたように笑って、結城は「心配ないよ」と続けた。
「夜になると……多分羽虫だろうけど、窓を叩く音がするんだ。それが気になってね」
すると和鳥が私と結城に向かって高らかに宣言した。
「俺がセレスティさんと一緒に何とかします!」
「え? 確かに物音は気になりますが……」
「鷹群、多分羽虫の仕業だから……」
私と結城の言葉は和鳥の耳に届いていないようだ。
「今晩は俺もセレスティさんもここに泊まります! だから所長は安心して下さいっ」
「ええ?」
「いや、きっと羽虫……」
私はこうして成り行き上、結城探偵事務所に一泊する事が決定してしまった。
「……レ・ブロンダンの赤を冷して、軽くつまめるチーズをいくつかと……」
私は屋敷に連絡をするついでに、夕食を運ばせるよう手配した。
夏の夜は短いというけれど、それを楽しむのが日本で言う『粋』なのではと思う。
「鷹群の我侭に付き合う事はないですよ」
「心配なんです!」
口を尖らせた和鳥に、結城は苦笑した。
事務所を閉め、二階のリビングに私たちはいた。
ここも一回と同じように、アンティーク家具が置かれている。
「なかなか楽しそうですから構いませんよ。
私は退屈な時間を過ごす方が多いものですから、こういったアクシデントなら大歓迎です」
程なくして運ばれた食事を召使たちが並べる。
暑さで食欲もなくなりがちなので、今夜は軽めに鴨胸肉を使ったサラダとムール貝のスープ、チーズの盛り合わせとキウイのクラフティとジャスミンティーのフランを選んだ。
冷えた赤ワインは香りが立って、喉越しも良い。
「結城さんはワインを召し上がらないんですか?」
「アルコールは苦手なんです」
グラスに手を添えて結城はサービスを断った。
それは残念だ。
「代わりにデザートを頂きますよ」
二切れ目のクラフティを嬉しそうに結城は口に運んでいる。アルコールを受け付けない人間が甘いものを好むのは何故だろう。
「和鳥さんはお酒を召し上がられますか?」
すみれ色のワインを口に運びながら、和鳥が答える。
「大丈夫ですよ。
最近は量より、美味しいのを少し飲むだけでも満足できるようになりましたけど」
「そう言うけど、鷹群は結構飲んでいるだろう」
「次の日に響くような飲み方はしてません」
からかうような口調の結城と、胸を張って言い返す和鳥が可笑しかった。
皿を片付けた召使が屋敷に戻ってしまっても、まだまだ真夜中までは時間がある。
「うーん、ちょっと退屈ですね」
和鳥がソファで大きく伸びをして言った。
「残るって言ったのは鷹群じゃなかったか?」
「か、帰りたいなんて言ってませんよっ!」
私は屋敷からトランプカードも取り寄せていた。
「カードゲームはいかがですか? ポーカーなどどうでしょう」
「あっいいですね!」
早速カードを手馴れた手つきで和鳥がシャッフルする。
「……ルールが良くわからないんだが」
そこに、決まり悪そうに結城が口を開いた。
「所長……所長って仕事以外の知識薄いですよね」
「いや、だってやらないだろう、一人で!」
テーブルの上にまず5枚のカードが配られる。
「そうですけどね。じゃ、俺とセレスティさんでやりましょう。
ディーラー役は一応交代でしますか。所長は見ながら役を覚えて下さいね」
2枚を捨てて、ワンペア。
あまり手札の揃いが良くない。
「和鳥さんは?」
「変えますよ」
和鳥は一枚だけカードを引いた。
私は更にツーペアかスリーカードを狙ったが、ワンペアで終ってしまった。
カードを表にすると、和鳥はツーペアを合わせていた。
「地味な役で上がっちゃいましたね」
「いえ、まだ時間はありますよ。勝ち逃げはさせません」
時折結城にカードの役を説明しながら、和鳥は淡々とゲームを続ける。
「ストレート」
「ああ、スリーカードでした」
意外と和鳥は勝負慣れしているようだ。ここ一番のカードの引きも強い。
加えて表情が常に変わらないので、次に何を狙っているのか掴みにくい。
――パタン。
パタ、ン。
カードに集中していた私の耳に、かすかに窓を叩く音が響いた。
時間はすでに一時を回っている。
視線をめぐらす前に、和鳥が紅覇を掴み窓辺へ駆け出した。
「……蛾、ですね」
「……そうですね」
「最初から俺は虫だと思ってたよ」
窓ガラスの外にひらひらと翅を広げるのは、青白い夜の虫。
一際大きく結城は欠伸をし、「気が済んだかい?」と和鳥に声を掛ける。
「ええ……お騒がせしました」
ほんの少し頬を赤らめながら、和鳥は俯いた。
そして蛾が羽ばたく辺りのガラスを、軽く紅覇の鞘の先で小突く。
震動に驚いた蛾は暗闇に消えて行った。
「退屈が紛れましたよ。私もポーカーには熱くなってしまいましたし。
またお相手して下さい」
いくつもめぐる夏のうちの一夜が、こんな風に暮れていくのも良いものだ。
私はそう思い、月光の満ちる寝室で瞳を閉じた。
(終)
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
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■ ライター通信 ■
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セレスティ・カーニンガム様
ご注文ありがとうございます。
お待たせしてしまってスイマセンでした!
結城探偵事務所の二人とは、今回ようやくお話させる事が出来ました。
結城はUNOやボードゲームなどの知識が全くないため、和鳥がお相手させて頂きました。
意外と勝負強いのは曲がりなりにも修羅場をくぐっているから……という事にしておいて下さい。
ともあれ、少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。
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