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オベロンの翅音
オベロンの翅音
陽炎を追いかけるように歩いた先に、白壁の洋館が姿を現す。
明治時代に建てられた洋風建築は、不思議と懐かしい物に見える。
むせ返る夏の熱気の中で、そこだけが時の流れから切り取られたように存在している。
あそこには懐かしい家族が、心を寄せた相手が、まだはっきりとした姿かたちで私を待っているのかもしれない。
そんなありえない想像を私――大徳寺華子は頭から追い払った。
どうかしてるよ。
見上げる二階の窓から、誰か知った顔が覗いていないか探してしまう。
あぁ、これだから夏は。
暑さでいかれた頭に、余計な事ばかり思い浮かぶ。
私は日傘を畳み、結城探偵事務所の呼び鈴を鳴らした。
珍しく大きく口を開けて、結城恭一郎が欠伸をしていた。
戸外の熱気から逃れ、事務所のソファでくつろいでいた私は驚いた。
結城さんでも欠伸なんてするんだねぇ。
デスクに座った結城は私の視線に気が付くと、口元を手で覆って「失礼」と苦笑した。
結城は事務所で働いている時、あまりこういった面を見せない。
何度かここに通ううちに、結城が己に厳しい人間である事がわかってきた。
いっそストイックともとれる程だが、穏やかな雰囲気のせいで周りの人間に余計な気遣いをさせずに済んでいる。
「所長、寝不足ですか?」
資料をまとめる手を止め、調査員の和鳥鷹群が心配そうに結城を見る。
「この頃暑い夜が続くしね」
照れたように笑って、結城は「心配ないよ」と続けた。
「夜になると……多分羽虫だろうけど、窓を叩く音がするんだ。それが気になってね」
するとデスクから立ち上がった和鳥が私の手を取り、宣言した。
「俺が大徳寺さんと一緒に何とかします! ねっ大徳寺さんっ!?」
「えぇ?」
使命感に燃える和鳥の瞳が熱すぎる。
和鳥さん……一体どうしたっていうんだい?
和鳥にしっかり手を取られ、結城に目で助けを求めた。が、結城も呆然と口を開けている。
しかしすぐに気を取り直して和鳥に声をかけた。
「鷹群、多分羽虫の仕業だから……」
結城の言葉は和鳥の耳に届いていないようだ。
「今晩は俺も大徳寺さんもここに泊まります! だから所長は安心して下さいっ」
「ええ!?」
「いや、きっと羽虫……」
私はこうして成り行き上、結城探偵事務所に一泊する事が決定してしまった。
「別に泊り込みでする事じゃないよ」
「いいえ! はっきりさせないと探偵の名がすたりますっ」
泊まる、泊まらないでもめている二人に、私は笑みをこぼした。
「まったく、子供じゃあるまいしねぇ」
結城が大きく息を吐いて耳の上の辺りをかいた。そして困ったように私に視線を向ける。
「華子さんも本気で鷹群に付き合うつもりかい?
女性をいきなり夜遅くまで引き止めるのは……」
結城らしい気遣いだと思う。
でもそんな気遣いが、時には親しさへの妨げになるというのは、気が付かないのかねぇ。
そういう所は、まぁ嫌いじゃないけどね。
「じゃあ、何が正体かはっきりしたらすぐに帰らせてもらうよ。
それなら良いだろう?」
わざとしおらしく表情を作って私は結城に言葉を投げる。
実の所、色恋沙汰の方面に反応しない結城はからかって楽しい相手でもある。
さらに結城は眉間の皺を深くした。
「夜中に帰す訳には行かないよ! 物騒だ」
「あ、じゃあ泊まりで良いんですね」
横から和鳥が口を挟み、結城は肩を落とす。
「……わかった。二人とも今夜は泊まりなさい。鷹群は屋根裏でいいね?
華子さんは好きな部屋を使っていいから」
「屋根裏?」
私が首を傾げると、和鳥が説明してくれた。
「ここの二階が所長の家になってて、俺は泊まり込みの時は屋根裏使ってるんです。
狭いけど星も見えるし、いい部屋ですよ」
洋館全部を所有しているとなると、維持費だけでもかなりの金額になるはずだ。
加えて家具はほとんどがアンティークで、華美な物ではないが手入れの行き届いた品が揃えられている。
「へぇ……」
「じゃ、さっそく買い出し行ってきますね。所長、車借りますよ」
ガレージにあるシルバーメタリックのバイクは和鳥のものだろうか。
建物の裏手にあるガレージから車を出す和鳥を待つ間も、私は二階を見上げていた。
白く長いレースのカーテンが、開いた窓でひるがえっている。
夕暮れの中で、カーテンの向こうは黒く虚ろだった。
スーパーに向かう車の中、信号待ちで和鳥が煙草を取り出した。
「吸っても良いですか?」
「そりゃ、構わないけど。和鳥さん煙草なんて吸うのかい?」
幼い横顔にくわえた煙草がアンバランスに見える。
「おかしいですか」
くす、と笑った声は事務所で結城に接している時よりも、大人びて聞こえた。
「おかしかないけど、意外で」
「誰だって見た目通りって訳じゃないですよ」
一本だけ煙草を吸い、和鳥は静かにそう言って吸殻を灰皿にねじ込んだ。
自分の事を言われたようで、私は少し息がつまった。
例えば私が時の流れから取り残されていると知ったら、結城と和鳥は態度を変えてしまうのだろうか……。
夕方のスーパーは程よく混みあっていた。
「大徳寺さん食べたい物ありますか?」
「暑いしねぇ。冷し中華はどうだい?」
「いいですね」
麺ときゅうり、焼き豚、貝割菜と私たちはカートに材料を入れていく。
「キッチンに胡麻油はあったかい? 香り付けにかけると美味しいんだよ」
「うーん、どうかな。小瓶買いましょう」
カラカラとカートを押しながら、時折和鳥は特売の調味料を手に取っていた。
値段を見て、底値かどうか判断しているらしい。
「和鳥さんも料理する人かい?」
振り返った和鳥が言った。
「高校の頃、実は所長のうちに部屋借りてたんです。それで料理も覚えました。
所長も料理はしますけど……段取りが遅くて時間かかるんですよね」
一人暮らしなら、それなりに家事もするだろう。
結城に現在恋人がいるとも聞かない。
どんな部屋で暮らしてるのか、見てみたいね。
リカーコーナーで山積みになった缶入りのチューハイを、和鳥が幾つかカートに入れる。
「大徳寺さん、お酒飲みます?」
「そうだねぇ。冷酒なんかどうだい? 結城さんは何が好きなんだい?」
和鳥が顔の前で手を振って肩をすくめる。
「所長、お酒飲めないんですよ。
すぐ酔っちゃって……酔うと何でか周りに抱きつくんですよね」
「へぇ」
日本酒のミニボトルをカートに置いて、笑いをかみ殺すように和鳥が言った。
「一杯で酔うなんて本人気にしてますから、そっとしておいてあげて下さい」
下戸だなんて、見た目通りだと言ったら怒られるかねぇ。
食器を結城と二人で片付けてリビングに戻ると、ソファに長い身体を投げ出して和鳥が眠ってしまっていた。
緋色の刀をしっかり抱えているが、口元は半分開いていてあどけない。
「起こすのかい?」
「いや、できればそのまま寝かせてあげたいな。
鷹群が戻ってきたのは今朝だからね」
寝室から薄めのタオルケットを持ってきた結城が、そっとそれを和鳥にかける。
「そんな時間まで調査に?」
狭間狩りは実際危険な仕事だと、私は聞いている。
「うん……今日は休んでいいって言ったんだけどね。
ああ、先に華子さんが泊まる部屋を見ようか。部屋だけはたくさんあるから」
結城が寝室の隣の扉を開けて見せた。
「ここはどう?」
使われてない暖炉の前には螺鈿細工の入った黒い衝立が置かれ、ベッドカバーとカーテンにはお揃いのカッティングレースが使われている。
「結構……綺麗にしてるんだねぇ。ここ、普段は使ってないんだろう?」
「鷹群がたまに掃除してるよ」
スタンドの明かりが点くか確かめた結城が表情を抑えて言った。
「家事も放っておけば全部やりそうだよ。
鷹群はきっと、俺に怪我させたのが自分だって負い目に感じて……それで何でも、俺を最優先にして考えてしまうんだ。
確かに、気にするなって言う方が無理なのかな」
結城は左足と目が悪かった。その原因が和鳥にあるのだろうか。
「怪我?」
ベッドに腰掛けた結城が語りだす。
「もう十年もたつよ。鷹群をかばって足を怪我してから」
組んだ指に視線を落とし、結城は続ける。
「正直あの時鷹群が傍にいなかったら、立ち直れなかったよ。目も見えなくなったし。
うちにはもう一人、その頃調査員の子がいて……。
結局今も行方知れずになってしまっているけれど、俺はずっとそれが……」
聞くのが辛い内容だったけれど、私に出来る事はただこの場にいて、結城の独白を受け止めるだけだった。
「まだ高校生だった鷹群を狭間狩りとして縛ってしまったのは、今でも後悔してる」
「……結城さん」
結城の肩に触れようとして、私はそれができなかった。わずかにためらううちに、結城はいつも通りの穏やかな笑顔を見せる。
「鷹群には面と向かって言った事ないけどね。
華子さん、このまま休んで良いよ。鷹群も眠っているしね」
私は首を振って、なけなしの意地をはった。
「もしかしたら、虫の姿を借りて誰かが会いに来ているのかもしれないよ。
それを確かめなきゃ」
天板に花模様が彫られたライティングデスク、真鍮のシェードが優美な線を描くスタンド。
そしていささか浮いた印象のパソコンが一台。
月光の中で浮かび上がるそれらは、輪郭もかすんでいつの時代の物かすら曖昧に見える。
「初めて会った時にも、こうして暗がりの中にいた時があったっけねぇ」
私たちはあの時手を繋いでいた。
あの時感じた温もりの安堵を、結城に返してやれたらと思う。
「そうだね」
結城は窓際で、足元に雪狼を従わせて一人佇んでいる。
優しさで身の内の獣をひた隠す、孤高の獣使い。
たった1メートルの距離が、私にはひどく遠かった。
「結城さんは今でも会いたい人がいるのかい?
例えば、行方の知れない……」
長い間結城と和鳥の心に影を落とす、その娘が羨ましいと私は思った。
苦痛で相手の心が縛られたとしても、忘れ去られてしまうよりは……。
「美和はきっと自力で俺たちの事を探してると思うよ。
そういう子だったんだ。迎えに行くのなんか待ってない。
だから、ずっとすれ違いなのかもしれないね」
――パタン。
パタ、ン。
窓を何かが叩く音がする。耳を澄ませなければ聞こえない小さな音だ。
「ああ、蛾だね」
結城が窓の内側からガラスをはじくと、燐光をまとわせた蛾は暗闇に消えていった。
「いつも同じような時間に現われるから、俺もちょっと神経質になってたんだね。
きっと明日からは良く眠れるよ……ありがとう」
結城が枕元のスタンドに明かりを灯した。
「華子さん?」
黙ったままの私に、結城が近付いてくる。
顔を上げると、目の前に結城の顔があった。
穏やかな声。眼鏡の奥の黒い瞳。口元に刻まれた皺。骨ばっているけれど長い指先。
私は結城の顔に、仕草に、いつの誰を重ねて見ている?
「……おやすみなさい」
私は輪郭の曖昧な誰かの姿を追いながら、眠りについた。
(終)
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2991/大徳寺・華子/女性/111歳/忌唄の唄い手】
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■ ライター通信 ■
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大徳寺華子様
ご注文ありがとうございます。
納品が遅れてしまい、スイマセンでした!
恋愛未満の男女……にしていいのか悩みつつ、このような内容になりました。
結城はどんな相手にも一歩引いて接しているので、親しくなるには非常に難しい男だと思います。
ともあれ、少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。
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