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<東京怪談ノベル(シングル)>


夏の妖精と一緒に (前編)

 蝉の声が、なんとなく聞こえない時期になった。もうすぐ夏休みが終わる。それなのに宿題はまだ残っている。
「ゆううつだなあ」
と、のんきに嘆く鼬がいた。その隣には宿題すらない気ままなイヅナがいた。二匹は自宅の縁側に並んで、お揃いの粋なサングラスに麦わら帽子で大粒の巨峰をかじっていた。これは鈴森家の三男坊、鎮の今日のおやつである。
 七月にたてた予定表では、今の頃には全ての宿題が終わっており、家族でプールだキャンプだと繰り出すはずだった。しかし実際に夏休みが始まってみると日々の間に予期せぬ行事が入り込んではあらゆる予定が後ろへずれ込んでしまい、今では八月の終わりだというのにまだ一つ、まるで手をつけていない課題が残ってしまっていた。
「なあくーちゃん、今からこれを庭に植えてさ、観察日記って駄目かなあ」
鎮の頭には、残った自由研究をどうクリアするかが引っかかっていた。だがくーちゃんはきゅううと鳴きながら首を横に振っている、いくらなんでも無理だということはイヅナにもわかるのだ。
 それでも鎮は諦めきれず、日当たりのよさそうな場所を探していた。
「あれ?」
枇杷の木の隣あたりなんてどうだろうと首を振ったその瞬間、根元のあたりでなにかが動いたような気がした。目をこらしてよくよく眺めてみると、確かになにかがうずくまっている。鎮は座っていた縁側から飛び降りると、枇杷の木に駆け寄った。
 真っ黒いつぶらな瞳が鎮を見上げた。鎮よりもくーちゃんよりも一回り小さな、しかし姿のよく似た動物である。
「お前、誰だ?」
訊ねると、か細い鳴き声が返ってきた。全身、ひどく震えている。鎮は無遠慮だと思いつつも体を小さく丸めている相手を四方八方からぐるぐると観察し、それが何者であるかを看破した。
「オコジョ・・・・・・だろ?」
毛皮は季節のため白から茶色に生え変わっていたが、尻尾の先が黒いのがなによりの特徴である。雪山に目撃されれば「山の妖精」と呼ばれる、あのオコジョに違いなかった。
 しかしここは雪山ではなく東京ののどかな住宅地、それも季節は雪山の冬どころか真逆の夏。あまりにも見当はずれな出没に、鎮は首を傾げずにはいられなかった。

 ここ数日、満足に食べていないのだというオコジョに巨峰を一粒分けてやると、オコジョは皮をむいてかじるのではなくへたのついていた部分から果汁をちゅうちゅうと吸いはじめた。母親の乳を吸うような仕草に、このオコジョが大分幼いことが知れた。
「くーちゃん。こいつ、どこから来たんだと思う?」
訊ねられたくーちゃんは首が肩につくくらいまで傾げて考えていた。一緒に尻尾までくるりと丸まっているのが、可愛らしい。やがて、イヅナの小さな頭から弾き出された答えは
「近所のペット屋さん」
でないかということだった。そういえば、家から一番近い大通りに半年ほど前からペットショップができていた。それほど大きくはないのだが、珍しいものをいろいろと売っているのだと友達が話していた。
「でも、いくら珍しくたってオコジョを捕まえるなんてひどいなあ」
オコジョは近頃生息数が減っているので、保護が呼びかけられているのである。ペットショップのように動物を相手にする商売こそ、そういうことを真っ先に気にしてほしいものだと鎮は鼬の小さな爪を振り上げて憤慨する。
「お前だって、無理矢理連れてこられたんだろう?」
ようやく巨峰一粒を飲み込んだオコジョの顔を、鎮は覗き込む。オコジョは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、その一瞬に両親の顔を思い出したのだろう間もなく黒い瞳を涙に潤ませ、尻尾を震わせて泣き出してしまった。
「お、おい、泣くなよ」
頼むからさ、と泣かれるのが苦手な鎮はオロオロと困り果て、くーちゃんに目で助けを求める。だがくーちゃんは、泣かしたのは鎮だとばかりに知らん振りで巨峰をかじっていた。
「なあ、泣き止んでくれよ。俺がお前を生まれたところまで送ってやるからさ」
どうしていいかわからず、思わず鎮の口から飛び出した言葉に反応して、オコジョが顔を上げた。本当?という言葉がその大きな目いっぱいに浮かんでいる。期待と、不審とが入り混じったような色合い。鎮は今更、泣き止んでくれるためにとっさに出てしまったのだとも言えず、大見得を切ってしまう。
「もちろんだ。俺とお前は同じ食肉目イタチ科だからな、困ったときには助け合わなきゃ。だろ?くーちゃん・・・・・・くーちゃん?」
三粒目の巨峰にかかっているくーちゃんの返事は相変わらずなかった。
イヅナも食肉目イタチ科に含まれるのかどうかは知らない。もしかしたら違うのかもしれない。仲間外れの気分を味わっているのか、今日のくーちゃんはやけにノリが悪かった。

 なぜかはわからないが拗ねているくーちゃんはそっとしておいて、鎮は人間の姿に戻ると自分の部屋の本棚から社会で使っている地図帳を取り出してきて縁側に広げた。そして、オコジョの話す故郷の説明を聞きながら、それらしい生息地を探す。
「ふうん、お前、山の中の大きな森に父ちゃんと母ちゃんとで住んでたのか。で、ある日森の中で昼寝をしていたところを悪い奴らに捕まって、東京まで連れてこられたってわけか」
懸命に身の上話をしながら、オコジョは何度も頷いてみせる。自分がどれだけ心細い思いをしたか、鎮に共感してほしいような仕草であった。
「一生懸命逃げ出してきたんだろ。お前、大変だったんだなあ」
鎮はオコジョの頭を二、三度撫でてやり、
「で、その森に生えていた木ってどんなんだかわかるか?」
今度は別の棚から植物図鑑を引っ張り出してくる。
オコジョはしばらく熱心に図鑑の写真を眺めていたが、やがてこれだという一枚の写真の上でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「ふーん、この木かあ。えっと、この木って確か・・・・・・」
幸運なことにそれは、オコジョと同じく近年保護が促されている特殊な木だった。特定の条件を持った土地、高所であり気温が年間を通じてそれほど上がらない場所にしか生えないので、大きく増やすことが難しいらしいのである。
「特定の土地ってことは、目的の森が絞り込めるってことだよな」
どこにでもある木だったら、オコジョの生息するすべてをしらみ潰しで回らなければならなかっただろう。そういう意味では、オコジョの暮らしていた場所は見つけやすかった。
「ああ、ここだ」
間もなく、鎮は地図帳の一点を指で示した。夏休みの直前、社会の授業で森林保護の話を聞いたばかりで覚えていたのだ。というより、先生の指示で各地の森林保護区域に赤い丸がつけられていた。学校の授業も、たまには役に立つものである。
「東北地方だってさ、俺行ったことないよ」
どんなところなんだろう、と鎮は宿題が長引いたおかげで駄目になったキャンプの代わりに、オコジョの生まれ故郷へと思いを馳せた。
「よし、行くぞ!」
あのときはとっさに出てしまったけれど、本当に最初からお前は助けてやるつもりだったんだからな、とオコジョに言ったらオコジョは嬉しそうに何度も頷いていた。最初は怯えていたのに、その後には涙で一杯だったのに、今は喜びに湛えられているオコジョの黒い瞳を見ていると、鎮まで元気が出てくる。
「・・・・・・でも、一つ問題があるんだよな」
鎮は心の中で、オコジョに聞こえないよう呟いた。
「東北地方って、どうやって行くんだろ?」

つづく