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<東京怪談・PCゲームノベル>


その者の名、“凶々しき渇望” 【 第三話 】

■03

 …草間興信所に集められた調査員は“凶々しき渇望”事件担当刑事である葉月政人の連絡を待つまでも無く既に動き出していた。拉致されたのは綾和泉汐耶。当の自分のところの調査員。そうなれば当然、動かない訳は無い。
 それぞれの動き方は――大雑把に二つに分けられた。この場に残り調べている組と外に聞き込みに出ている組の二つ。細かく言うならまた分かれるが、取り敢えず聞き込み組――坂原和真に海原みなも、神山隼人に天薙撫子の四人が既に興信所から姿は見えない事は言い切れる。内、坂原和真は元々気になっていたのか――興信所に集まるより前に駄目元で佐々木晃と言う刑事に関してでも何でも、何か変わった事が無かったかそれとなく警察の人間に当たってみていたらしい。だが、特に新たな情報は入って来なかったと報告があった。…民間の人間だから漏らせないと思われたのか、本当に何も無かったのかの判断は難しいところだがとも付け加え。
 ともあれ、彼らとは別に、この場に残って今までの調査状況から手掛かりが見付からないかと見直しているのが――草間武彦に草間零、シュライン・エマ、セレスティ・カーニンガムの四人。それと、何かあった時の為に連絡役として置いて行きますねと興信所を出る前に神山隼人が目の前で魔術を使い喚び出した――小型の使い魔一匹が、邪魔にならない位置からちょこんと皆を覗き込んでいた。
 が。
 調べているその最中に来訪者が現れる。御丁寧に興信所備え付けな空襲警報並のブザーを鳴らし、入って来たのは――純粋に客人では無く、調査員だった。…少し前にとある別件の調査を頼んでいた少女、源・由梨。当然、頼んでいた調査と言うのはこの“凶々しき渇望”事件に首を突っ込む前に舞い込んで来ていたもっと簡単な事件についてである。実際、所長の武彦は手を出さず、探偵修行の為に全面的に零に任す、となっていた依頼であり、零のお手伝いとして由梨が来ていたものになる。
 どうやら、今日このタイミングでの来訪はそちらの調査報告であるらしい。…が、よりにもよって今かとの思いもある。それは勿論由梨の方に悪気など無いのだろうが、タイミングが悪過ぎる。
 応接間に居た調査員の面子は、極力さりげなく事件に関するレポートやら資料の類を由梨から見えないように隠し、事件に関係するとは言え、他が聞いても意味が良くわからない――まだ当たり障りの無いだろう程度の事だけを検討し出す。時間が惜しいので話自体は止めない。と、そこで零が機転を利かせ取り敢えず自分の部屋へと由梨を連れ込んだ。皆さんの居る場所だと皆さんに頼ってしまって修行にならないので、と調査報告とやらを自室で聞く形に持ち込む。
 そこで漸く、少しほっとした。…元々関っていた調査員一同、事ここに至っては今更この“凶々しき渇望”事件に巻き込まれる人間を増やす訳には行かないと言う思いがある。何と言っても既に調査員が一人拉致されているのだ。危険度が通常の依頼の比では無い。
 零が由梨を自室に連れて行った後、応接間の調査員はレポートや資料を裏返して置いたり目に付かない場所に改めて仕舞ってから、今度は――具体的な固有名詞を出さない形とだけは気を遣っていたが、事件について先程より突っ込んだ話を始めてしまった。
 が。
 …少々浅墓だった。
 この草間興信所、結局安普請の部屋である。…即ち、部屋の壁は薄かった。
 そしてこの由梨、実は作家の卵である。…即ち、常から結構様々な情報にアンテナを張っている。
 故に、応接間で話している声が壁越しにその耳に届いてしまった時、具体的な固有名詞を聞かずとも、巷で近頃騒がしい猟奇殺人事件――“凶々しき渇望”の事件についての話だと見当が付いてしまった。それも、その事件に興信所が深く関っている事も。
 …そうなると、零への調査報告が終わっても――由梨は黙っては帰らない。…帰れない。零を伴い応接間に出るなり、聞くつもりは無かったが聞こえてしまった事を告げ謝り、皆さんのお話ししているそれって…“凶々しき渇望”事件についてになります…よね、その件で――こちらでも何かあったんですか。違っていたなら――私の考え過ぎだったらそう言って下さい、と深刻そうな顔で確認を求めて来た。
 その様を見、応接間の調査員は皆で顔を見合わせる。…どうしますか? これ以上巻き込めない。けれど放っておけば一人で首を突っ込むかも知れない。結局皆はそう判断し、仕方無いとばかりに由梨を、応接間のソファに改めて呼び寄せる。…中途半端に知った状態で、もし一人で調べ始めてしまったら――それこそ危険な事になるのは目に見えている。
 そして、何か思い付く事があったらと、改めて隠していた資料やレポートを由梨にも見せる。…由梨が来てからは固有名詞や具体的なところを濁す形で続けていた話も、それらをはっきり言う形で再開した。
 …興信所に依頼が舞い込んで来た理由から考え直してみる。…怪奇現象に親和性があり関与し易い事が予め想定されていたのだろう事。草間興信所が噛む事を警察側が黙認していた事自体、そもそもおかしい話。…ともすれば葉月政人警部の存在やその立場、対超と言う専門の課の動きさえ、敵方に利用されていた部分があるのかもしれない。セレスティのその発言を聞きつつ、武彦が頷いている。
 死亡している筈の佐々木晃の存在もまた不審な要素の一つ。警察ともなれば身元が確りしていなければ勤まらないのが大前提の職業だ。それが、爆発事故に絡む不審な噂を残したまま、死亡を隠蔽し生存しているものとして扱われている――ならばその部分を保証している上層部の人間が居る事も想像出来るとセレスティが指摘している。
 そこで出てくるのが――それまでは魔術に名が使われた事から万が一の可能性程度でしか見ていなかった『蝿の王』の関与の可能性。…死者の復活、そんな無茶が事実であるなら、むしろそんな魔王の関与を考えた方が余程自然になるとも言える。そして、綾和泉汐耶が殺されず拉致された事や――佐々木姉弟の死亡場所である、施設や防御体制の整った研究所の存在。もし、“凶々しき渇望”が武彦の懸念していた通り虚無の境界と繋がっていたならば――実験体用途で能力者を必要としていた可能性があるか。…そうなると、能力者を炙り出したがっていたのでは、と言った、シュラインが主婦殺害事件の概要を知って思った第一印象そのままの疑惑が出てくる。
 セレスティからもその旨同意があり、そうなると佐々木晃が――“凶々しき渇望”が蝿の王の端末であり、記憶が不完全なまま目的不明で誘導されている可能性が高いのではと言う話にまで展開した。シュラインもそれに同意する。その上――死亡原因がいまいち不明なままの彼の姉・佐々木恭子、彼女の死の原因が蝿の王にあるのかもしれないとまで言い出した。…もしそうであるなら、“凶々しき渇望”は――彼女の死亡原因から知らず仇に使役された状態とも取れるかもしれない、と。
 この佐々木晃と言う人が“凶々しき渇望”と名乗っている殺人犯になるのですか、とそこに来て訝しげに呟く由梨。皆の注目を集める。由梨の手には佐々木晃について調べた資料があった。そうだ、と武彦がすぐに肯定するが、その反応に由梨は更に考え込んでいる。…どうしました? とセレスティが由梨のそんな姿に促した。と、この人が殺人犯には見えないんですけれど、と由梨は遠慮がちな口調だがはっきりとそう呟く。刑事としての詳細、犯行の凶器、どうにも繋がらない――刑事である姿からは魔術を駆使した猟奇殺人など起こすようにはとても考えられない。佐々木晃と言う人物がこの資料通りの人物であるなら、何か犯罪に手を染める事があったとしても――手段が、方法が、起こされた当の犯罪から見えるその印象があまりにも腑に落ちない。
 …別人だと思った方が余程納得が行く。由梨のその指摘を受け、それはみなもちゃんも言っていたわよね、とシュライン。この佐々木さんが殺人犯なんて信じられないと。きっと何か事情なり裏設定――例えば脅されているとか二重存在だとか――なりがあるに違いありません! と必死に訴えている姿を興信所の皆は見ている。
 別人のような印象。…それもまた考えられる事かもしれない。みなものような、純粋ではあるが様々修羅場を潜ってもいるなかなか侮れない娘さんであって信じられた刑事の姿や、今までの成り行きを知らず資料の上でだけ――即ち一番客観的に見る事が出来ているだろう由梨をして別人に思えるとなると、それもまた真実を突いているのかもしれない。それに――自分たちが受けた事情聴取での印象からして、佐々木晃の刑事である姿がまるっきり嘘だったとは俄かに思えない、と言うのもある。…だからこそ事前にあれだけ疑惑を向けていながらも今回の凶行を許してしまったのだろう。…『この刑事と殺人犯が同じ人間とは思えない』。疑惑があると言いながらも皆が皆、直に相対した時点で無意識下でそう思い込んでしまっていたのかもしれない。
「別人…別人格がある可能性って事…?」
「彼が蝿の王の端末であるならば、その事自体が影響しているとも考えられますよ」
「…そうだな。言い切れる事じゃないが…まぁ、この佐々木晃と言う男の元々の性格を知っていると言うならやっぱり葉月だろうが…」
 そこまで言って、武彦は黙り込む。
 と、由梨がそれを聞き止めた。
「でしたら葉月刑事さんにも改めて色々聞いてみるのが良いとは思います」
 そう、提案する。
 が。
 武彦は静かに否定した。
「無理だ。恐らく葉月は――もうこちらに一切情報を流さない」
 あいつの性格では、自分ですべて背負い込む。綾和泉が攫われた事も、“凶々しき渇望”を取り逃がした事も。それに綾和泉の件…今回の成り行きを考えれば――今後のターゲットと想定されるのはまず、うちの調査員だ。そうなれば余計、こちらを排除しようとする事は予想が付く。
 つまり、これから後はもう可能性じゃなく明確に危険に首を突っ込む事になる。だからこの件をお前に聞かせる事を躊躇った。…武彦から苦い顔でそう言われ、由梨は何も返せなくなる。持っていた佐々木晃関連の資料に目を落とし、沈黙した。
 と、シュラインが由梨を見る。
「…今言ってくれた事みたいに、むしろ今まで無関係だったからこそ気付く事もあるかもしれないから、由梨ちゃんにも色々意見を言ってみて欲しいの」
「は、はい。…えと、資料見てもう少し考えてみます」
 こくりと頷き、由梨は再び資料に戻る。
 シュラインとセレスティは佐々木姉弟の死亡場所である生体学研究所――現時点で最も怪しい場所と思われるそこを調べる事にする。…今は外に出ているが、神山隼人もここの調査が必要だと思いますとは言っていた。坂原和真も同様、佐々木が死んだ場所とその時期の詳細を調べ直した方がいいと言っている。
 ひとまず、この施設を科学技術省で認知した人物の経歴等を確認。虚無の境界のみならずIO2とも繋がっている可能性は無いか。公式の記録にある、場の責任者としてあっさり出て来た名前は成沢玄徳。初老の男だが、特に怪しいところは無い無難な経歴。…だが本当にそれで済むのか。もっと詳しく調べてみる必要がある。
 そう思い、セレスティもその名前を別の側面から調べ始める。…と、密かに照会したIO2側のデータからその名が虚無の境界構成員と見られる人物の名と一致する事が判明した。…武彦の懸念が当たっていた事が確認される。皆の顔が険しくなる。
 この佐々木氏が犯罪に手を染めた理由…お姉さんが亡くなった事、やはりこれが重要なファクターになると思います。…由梨は皆が今までに調べた資料を見ながら、ぽつりと口を開く。
 そして――あの、と、また言い難そうに――改めて発言権を求めるように続けていた。
 武彦が頷き、先を促す。
 と。
「この方、もしかして…お姉さんに肉親以上の愛情を求めていたんじゃないでしょうか」
 その指摘に、一同は停止した。
「…それは」
 聞いている。…弟が、姉を肉親以上の想いで慕っていたのでは――と言う事。何も無ければ心の奥に仕舞っておくつもりだったと、その事に気付いていたと言う葉月政人から聞かされた。後の彼の態度から考えれば――あまりの事に気が動転していたからこそ語ってくれたのだろうその話を思い出し、皆の間に再び沈黙が落ちる。
 その反応を察したか、由梨もまた遠慮がちな声になる。が、敢えてそのまま続けた。
「…だとすると、お姉さんが亡くなった原因にこそ、今回の件の答えがあると思います」
 何らかの、形で。
 と。
 由梨がそこまで言ったところで、じりりりりんといつもの黒電話が鳴り出した。その呼び鈴一回――が鳴り終わる前に武彦がすぐに出る。
 …相手は、当の葉月政人だった。
 用件は――武彦の思った通り。
 これ以上、手を、出すなと。

「――…そう言われてもな」
(…綾和泉さんの事は我々警察の責任です。これ以上は警察の仕事です)
「今更手を引ける訳がないだろう」
(駄目です。貴方たちもまだ狙われる可能性があります。わかってらっしゃるんでしょう?)
「切るぞ」
(…草間さん)
「幾ら警察相手でも譲れる事と譲れない事がある。…こちらに明確に牙を剥いた相手を放置はできない。自分たちだけ安穏と護られているつもりもない。お前の言い分はわかった。…だがそれで俺たちが黙っているとは思わないでくれ」

 言って、武彦は政人の返答も待たないままで受話器を置いた。
 チン、と微かな音が残る。…興信所の応接間に再び、沈黙が訪れる。


■04

 …草間興信所の聞き込み組――坂原和真に海原みなも、神山隼人に天薙撫子の四人は事情聴取が行われた当のホテルに来ていた。…夥しい血痕を残し佐々木晃の姿が消え、綾和泉汐耶が拉致されたそのホテルに。
 みなもはまずホテルのカウンターで一所懸命に誠実に事情を話して協力を頼み込む。…興信所で集まった際、こういう状況で何なんですがあたしはこういうはーどぼいるどな状況ではお役に立てませ〜んっ、と取り敢えず絶叫してはいたが、それでも知り合いが攫われては黙っていられない。…放っておけない。佐々木さん、もしくは複数の人間があの日あの時出て行く事は無かったか――いえ、怪しい人である必要は無いです、普通の人で――とにかく出て行く様子は無かったか。カウンターに居た人をはじめそれ以外の人、みなもは手当たり次第に訊いて確認している。
 一方の和真は事件の起きた部屋自体を見たいのですがとカウンターで頼んでいた。そこに、あの時の関係者なので色々と気になってしょうがないんですよ、と、さりげなく口添えする隼人。…それは内装どうにかしないと当分使い物にならない部屋なんで空いてます。ですから見る事は出来ますが――警察が綺麗に浚って行ってからは、落とし切れないあのド派手な血痕と落書きの跡以外もう何も残ってませんよ、と、カウンターからは困惑気味な返答が来た。それでも構いませんわ、と撫子も口添える。その返答に、それで良いならこちらも構いませんがとホテルマンが一人付き、こちらへ、と和真と撫子を部屋へと連れて行く事になる。
 みなもはみなもでホテルの人たちへの聞き込みに専念するとの事。…そんな訳で――彼女を一人にする事も些か躊躇われる為、隼人はみなもと同行する事にした。その場で二手に別れる。

 用が済んだら…後でカウンターに声掛けてやって下さいねとホテルマンに言われつつ、和真と撫子は当の部屋へと入る。和真が調べたい事は――魔力の痕跡。また何か手掛かりが残されていないか――それもひょっとしたら、わざと残されていたりする可能性は無いか。警察が綺麗に浚って行った後だとは言え、自分たちは警察とは別の側面から見る事ができる。それを狙って何かを残した可能性は無いか。そう思ったからこそ。
 が、撫子の思惑は少し違っていた。
 現場に来て魔力の痕跡を視る――そこまでは和真と同様。だが、彼女はそれを手掛かりに、思い切った方法を取る事を考えていた。…魔力の痕跡と、攫われた綾和泉汐耶の『気』を目印に。龍晶眼で見定め、直結する霊道を開いて彼らの元へ直接跳ぶ事を。
 一方の和真は部屋を見て回り、三ヶ所に魔力の痕跡を見付ける。部屋の奥、手の込んだ儀式祭壇が用意されていた場所が一ヶ所目、そして事情聴取をした当の場所で二ヶ所――怨霊が直接出て来たと思しき魔法円が描かれていた場所と、夥しい血痕の場所。そこまで確認し、携帯電話を鍵の形に変形させての【キーブレイン】を使ってみようかと試みたその時――撫子から和真の背に改まった声が飛んだ。
「坂原様」
「…行く気か?」
「っ!」
 先回りしてずばり言われ、撫子は言葉に詰まる。
 和真は振り返らない。
「お前なら――条件さえ揃えば可能な事なんだろう?」
 直接、乗り込む事。
 …和真は、撫子の思惑を察している。
「時間が経てば経つ程、危険度が増します」
「だが、そんなに逸る程切羽詰まっている状況でも無いだろう。…わざわざ殺さず連れて行ったんだ」
 興信所サイドで態勢を整える程度の時間、待っても良いと思うけどな。
「ですが…」
 和真の科白に、必死に言い募ろうとする撫子。と、和真がそんな撫子を振り返った。
「…説得は効かないか」
「――」
「ならせめて…なるべく無茶はするなよ。何があっても焦るな。惑わされるな。極力、気を付けて動け。…それは綾和泉さんの救助も重要だろうが――自分をまず第一に考えろ。お前は今――本調子じゃ無いんだろう?」
 その上にお前はどうも、いざとなったら捨て身になりそうだ。…それは許せない。
 どれだけ強い力を持っていようと、心配する人間は居るんだからな。
 静かに言い聞かせてくる和真のその科白に、撫子は唇を噛み締める。
「…はい。お言葉、しかと心に刻みます」
 撫子は和真に向け深く頷くと、自らの両眼に龍晶眼を顕現させ、念じた。
 …霊道を、開く。

 暫し後。
 部屋を調べていた和真の元に、隼人とみなもが様子を窺いに来ていた。…事情聴取を受けた部屋。分かれて動いているとは言え、二人とも、場所は元々承知。
「…そちらはどうですか? 何か目新しい情報は」
「特に収穫は無い。【キーブレイン】使っても別に何も出て来なかったしな」
 魔法円はもう用を成してないみたいだ。と和真。
「…ただ、魔術の痕跡だけじゃなく、佐々木晃のものと思しき血痕の方にも…微かながら妙な魔力が感じられた。そこは少し引っ掛かるんだがな…」
 と。
「あれ、撫子さんは?」
 隼人と和真がお互い調査の進展具合を確認し合っている中、みなもがふと気付き、きょとんとした顔で周囲をきょろきょろと見回している。が、思わず声に出して訊いた通り、やはり撫子の姿は見えない。
 みなものそんな様子を見、隼人は和真と部屋の様子をざっと見渡し確認すると――仕方無いですねとばかりに小さく息を吐く。
「…行ってしまったようですね」
「ああ。…神山さんも気付いてたか」
「ええまあ。実家の御神刀だと仰っていた『神斬』をはじめ霊符やら何やら…護身用と言うだけにしては万全過ぎるくらいの装備整えてらっしゃったようですしね。…ただ、これだけ手間暇掛けて調査員を集めて物色した上で…殺さずに攫って行ったんですから綾和泉さんの事もすぐにただ殺すと言う事は無いと思うんですけれど…天薙さんはどうも逆にお考えのご様子ですね?」
 時の猶予があるからこそ、急がなければ、と。
「…って、『行った』って」
 何処にですか。一人何の話だかわからず、みなもは訳知りらしい和真と隼人の顔を交互に見る。と、隼人がそんなみなもに向けて静かに告げた。
「恐らくは、件の生体学研究所になるんじゃないかと思いますよ。…残された魔力の痕跡と『気』を手掛かりにして、綾和泉さんと“凶々しき渇望”さんを目標に、直接転移したようです」
「撫子さんが一人でですか!? ってそんな無茶ですっ!!」
「俺もそう思う。…こうなったら、興信所で態勢整えるのを急いだ方がいい」
 焦るみなもに同意し、和真は頷く。…結局何をどう言っても一人では無茶だ。
 と。
 隼人が少し考える風の顔になり、二人を静かに見た。
「御二人は興信所と合流して後から来て下さい、私は天薙さんを先に追い掛けます」
「え? 神山さんも撫子さんと同じ事出来るんですか!?」
 びっくりしたようなみなもの発言に、隼人は苦笑し緩く頭を振る。
「…いえいえ。そうではなく…先程興信所で黒魔術を使って――連絡手段の一つとして皆様にもお見せしましたあの使い魔さんに、天薙さんを注意して見ているよう密かに頼んでおいたんですよ。興信所を出た時から、彼女はどうも一人で走り出しそうな気がしていましたのでね。そして今その使い魔さんがここに取り残されていないと言う事は――彼女を追跡出来ていると思います。その内具体的な場所もわかるでしょう。…何か動きがあったらこちらから皆さんに連絡を入れますよ」
 それを聞き、和真が少しほっとしたような顔をする。件の生体学研究所では――と憶測は付けてあるとは言え、実際それが見当違いだった――と言う可能性も無いとは言い切れない。撫子が何処へ行ったか、それ以上の見当が皆目付かない、と言う訳では無いのならまだマシだ。
「でしたら、天薙さんのフォローは…連絡役は神山さんにお願いします。…俺たちは興信所の方に急いで合流しよう」
「そうですね、早くした方がいいです」
 和真に促され、真剣な顔で頷くみなも。
 先程まで【キーブレイン】を使用していたので仕舞わず持ったままだった携帯をぱたりと開き、和真は即興信所へと電話を掛ける。そして――話しながらも隼人と頷き合って後、和真とみなもは連れ立って部屋を後にした。

 …その背を、見送って。
 隼人は少し考えるよう黙して佇んでいる。…興信所で見せた使い魔に撫子を注意して見させていた云々――と言う話は嘘。だが、場所の見当がすぐ付くだろうという部分は本当。何故なら、表立って皆に見せたのとは別の使い魔を使用し疾うに『別の相手』を追跡させてあり、そちらのアンテナに撫子の存在が既に引っ掛かっていたのだから。
 幾ら不調らしいとは言えあれだけ派手な神気を放つ存在なら、近付いたならすぐわかる。…それは御大の方から見ても同じ事だと思うのですけれど…? 承知でなさっているのなら、やはり無茶をなさる方のようだ。
 …ともあれ、お願いされてもしまいましたし――行くだけ行きますか。
 内心でそう呟くなり、隼人の姿はその場から唐突に掻き消えている。…みなもと和真の去った後、当然、周辺に誰の目も無い事を確かめてからの事。
 つい先程まで共に居た二人への説明に反し、隼人はその場から――転移していた。
 …佐々木晃と行動を共にしていると思われる『御大』の――『ベルゼブブの気配を直接追わせていた』使い魔を、目印に。


■09

 …少し時間を遡る。
 天薙撫子が取った行動。佐々木晃――“凶々しき渇望”のものと思われる拉致現場に残る魔力の痕跡と、攫われた綾和泉汐耶の『気』を目印に直結する霊道を開き、直接跳んだ直後――の事。
 抵抗が思っていたより少なかった事に訝しさを感じつつも、撫子は無機的で薄暗い室内へと静かに着地していた。履物は履物でも、殆ど音は立たない。…抵抗が思ったよりも少なかった――それは本当は撫子の力が、続く体調不良にも関らずどう言う加減でか戻っていた、増していたからこそそう思えたのだが、主観としては思っていたよりもすんなりと跳ぶ事が出来、その事こそに警戒を抱いてもいる。
 そして何より、目印として跳んだ筈の相手が――どちらも――側に居るのかどうかすら、現時点ではっきりわからない事が最大の懸念だ。
 …本当は、拉致現場に赴き、実行しようとした当初から微かな懸念はあった。何故なら――魔力の痕跡は、弱いながらも邪悪さと同時に奇妙なくらいに高貴さまで感じられ、それと同時に――汐耶の『気』が何故か見え難かったと言う部分があるからだ。見え難かったと言うより漠然とその付近一帯に見えた、と言うのが正しいか。自分の体調不良のせいかとも疑った。とにかく、汐耶の方の細かい位置が特定出来ない。汐耶の身に何かが起きたのか――もしくは汐耶の方で既に何か行動を起こしているのかもしれない。後者ならばまだ安堵出来るが前者であったなら…。今撫子が感じる限りではどちらの可能性もある以上楽観はできない。
 対して“凶々しき渇望”のものと思しき魔力の方は無防備なくらいにあちこちに見えていた。濃いところ薄いところ、薄いところは残滓かもしれない、そう思い出来る限り濃いところを狙ったのだが――残された目印に頼り過ぎ、こちらの開いた霊道が捻じ曲げられたか引き摺られたか、思惑とは別の場所に導かれた可能性も否定できない。…だがそれでも、あの“凶々しき渇望”のものと思える残滓では無い魔力、それが自分の近くにあるとは感じられた。けれど、これがあの自分へと事情聴取をした刑事――あの佐々木晃のものとは、何処か違うような…致命的な違和感があるようにも思え。
 撫子は改めて周囲を注意深く見渡し確認する。薄暗い故か鏡面の如く自らの和服姿を映しそうな白い壁。何らかの研究施設内部らしい場所。何処からとも無く聞こえる低い異音。…円筒形の――水槽、らしきもの?
 内部は、見えない。
 …何らかの実験を行っている、当の場所とは思えるのだが。
「これは…?」
 思わず声を漏らしてしまう。
 と。
 …それを受けるように、別の声が、した。
「君はなかなかの『力』を持っているようだね。ようこそ、虚無の境界の研究施設へ」
「! 何者――」
「それはこちらの科白だと思うのだがね? …今この場では不法侵入者は君の方だ。まぁ、招いてはいないが折角の御訪問だからね。歓迎するよ。佐々木君の残した魔力の痕跡から私を探知したのかな? いい腕をしている」
 声がそこまで言ったところで、その場の照明が一気に、眩しいくらいに点灯した。
 撫子の視界に入ったのは――スーツを纏った年嵩の、初老の男。水槽――リアクターが数置かれた合間、撫子の前方、少し離れた位置。
 ステッキを突いて、悠然と佇んでいる。
「何者か、と言ったね。答えてあげよう。…私はこの生体学研究所の責任者で成沢玄徳と言う。まぁ、それは仮の姿なのだがね。君にしてみれば、この方が納得が行くだろう」
 …直接私の元にまで跳んで来られた事に敬意を表して、教えてあげる事にするよ。
 と、言っている側から、成沢玄徳と名乗ったその初老の男の姿が――青年のような、それでいて人間では有り得ない異形の姿へと瞬時に変化している。色の変わった髪が伸び、顔に文様が浮かび出――その姿になって確信出来た。撫子が目印として辿った魔力は疑いようがなく、その存在固有のもの。…だが――そうであるなら、『佐々木晃が“凶々しき渇望”である』のなら――『残されていたその魔力は“凶々しき渇望”のものではなかった』事になる。
 それどころか。
 これは。
「――…まさか」
 撫子が瞠目し言い掛けたそこで、成沢と名乗っていた青年のような姿の存在は、す、と傍らの水槽を指し示す。
「そして、君が気にしているこれだがね」
 と、言うと同時に――数置かれた水槽の中身を隠していた蓋がひとつ、開かれる。
 撫子に見せる為に開かれたその内側には――肉色の、異形。
「――っ」
「…この生体学研究所――我々はソイレントシステムと呼んでいるんだがね。ここは能力者や、虚無の境界が廃棄し不用になった霊鬼兵を解体して、その血肉の再利用をしている施設になるんだ」
 そのサンプルの一つが、これになる。
「より良質なサンプルが欲しくてね。佐々木君にも手伝ってもらったよ」
 彼に能力者狩りを命じたのは私だ。彼は本当によく働いてくれたよ。警察の――警視庁の人間である事も都合が良かった。その方が事件の痕跡を消すのに手間がかからない。
「その為に――刑事である佐々木様を一方的に利用し、“凶々しき渇望”へと仕立て上げたのですか」
「まぁ、大筋ではそうなるかな。…ただ、一方的に利用したと言うのには多少の異論があるがね。彼は彼の意志で、私の命令を聞いている。私と彼は当面、利害関係が一致するのだよ。――利用と言うならお互い様と言うべきじゃないかな?」
「魔王の言葉など信じられるとお思いですか――!」
 人を騙して弄び、その尊厳を踏み躙る――魔王の常套手段でしょう!
「…君が信じようと信じまいと、事実だよ」
 そう告げた魔王の――ベルゼブブの、すぐ側。
 撫子の視界からは――水槽で隠されていた、死角。
 …異形の巨体が、そこに居た。撫子が気付いた――そのタイミングで気配がざわめき膨らみ始める。…数ある水槽の中身がすべて同様の――能力者や霊鬼兵から取り出したサンプルであるなら、それで『気』が攪乱されていたのかもしれない。
 気付いた途端、撫子は息を呑む。
 異形の巨体、それは人の――能力者の手足を、血肉を法則性無く組み合わせた醜悪なるキメラ。
 …ただ、そこに。
 瞼を閉じ眠っているような、たおやかな女性の頭部が見えていた。
 見覚えがある。
 写真で――興信所の調査に於ける、資料の中で。
 動かない写真の中、柔らかな微笑みを見せていたと記憶にあるその顔の持ち主の名は――佐々木恭子。
 既に亡くなっている筈の、佐々木晃の姉その人。
「っ――佐々木恭子様――!?」
「…ほう、君も彼女を知っているのか。ならば話が早い。そう。佐々木君のお姉さんだよ。彼女もまた、なかなか強い霊能力を持つ特異体質だったのでね。だから彼女の遺体も、ちゃんと再利用してあげたんだ」
 我々が能力者狩りをするのは――良質のサンプルを求めるのは何故か。…佐々木君が連れて来た一番新しい被験体の彼女をどうするつもりか。…『再利用』の結果どうなるのか――答えはこれだよ。
 取っておきの秘密を打ち明けるように告げながら、ベルゼブブは異形の巨体に歩み寄る。
「素晴らしいだろう?」
 彼女の屍を中核にして、複数の能力者や霊鬼兵たちの血肉を使い、造り出した生体兵器がこれになる。つまりは――私が任されているこの施設では、虚無の境界の為に、より強い生体兵器を造る為の――人工の“化物”を造り出す為の実験と研究を行っている――と言う訳さ。
 この魔王ベルゼブブの指揮の下に――…。
「…何て事を」
「それでだね」
 …佐々木君の連れて来た、綾和泉汐耶君――彼女だけじゃなく。
「私はね、君も、いい『材料』になりそうだと思うんだ」
 ――是非、コイツの――『アバドン』の一部になってもらいたい。
 君のような優れた能力者のゲノムを得られれば、このアバドンはもっともっと強くなると思うんだよ。
 まるで慈しむように、くったりと項垂れている恭子の頭部の――その顎を持ち上げ軽く頬擦りしつつ、ベルゼブブは撫子を流し見る。…恭子の瞼が、ゆっくりと開かれた。その奥の瞳に光は無い。
 前後して。
 ふっ、と先程一気に点灯した照明がばらばらと消え、非常表示灯だけが残るような形になって行く。電圧低下、それに伴い、ずっと続いていた低い異音が消えてもいた。唐突なその変化を見、ベルゼブブは恭子の顎から手を離す。やや意外そうにちらと照明を見上げてから、考えるように小首を傾げている。
 そして、クスリと微笑んだ。
「どうやら君の他にも招かれざる客人が来ているようだね。…これは、丁重におもてなしをしなければ」
 君たちの仲間であるなら、優れた能力者である可能性も高いだろうからね?
「――させませんッ!!」
 叫びつつ、きゅ、といつもの着物の袖を端折り手早く襷掛けると、撫子は御神刀『神斬』を引き抜く。ベルゼブブへと突進した――が、それを遮るようにアバドンの巨体が現れ、威嚇する。途端、撫子の勢いが削がれる。…このアバドンもまた何とかしなければならない、放っては置けない、けれどこれは恭子様――被害者に過ぎない。…わたくしが真に倒すべきは、その後ろにいる魔王。
 撫子は唇を噛み締め、動きを止める。
 と。
 そのタイミング、部屋の入り口、音がする――ドアが開かれている。…撫子の後方に当たるそこ、現れていたのは――FZ−00を装着した葉月政人。昆虫めいた異装になるヘルメットに隠されその表情は窺えないが、視覚に当たる光学センサーが確かであるなら相当の衝撃を受けている事は想像に難くない。…過去の想い人の、そして同時に友人の姉の――変わり果てた姿がそこにある。
 政人は凍り付いたまま、動けないでいる。
 そこに、ベルゼブブの声が投げられた。…撫子にでは無く、明らかに今現れたばかりの政人に向けて。
「君の方はあまり足しにもならないような気がするが――まぁ、たまにはいいだろう」
 …君に佐々木君は渡さぬよ。…姉も弟もね?
「――!」
「さぁ、行き給え」
 二人とも、喰らい尽くせ。

 食事の時間だよ、アバドン――…。


■11

 …魔獣の吼える声が轟いた。
 ベルゼブブが静かに語り掛けた直後、それに応えるようにアバドンと呼ばれた魔獣――佐々木恭子の屍を核として造られた生体兵器――は攻撃を開始した。巨体ながら敏捷性も低くない。異様なくらいに膨れた腕が目の前の餌――天薙撫子を連続で襲い来る。腕は一本や二本では無く複数。とは言え当然――撫子の側も黙ってやられる訳も無くそれらを躱していた。躱し様に置き土産も忘れない。妖斬鋼糸――神鉄製の鋼糸と霊符を駆使しそれら腕の動きを封じる。刀よりも糸の方が小回りは利く為、咄嗟にはそちらを選択。
 佐々木恭子の頭部を持つアバドンの姿に凍り付いていた葉月政人も床を蹴っていた。守らなければならない民間人が目の前に居る。ならば先に身体が動く。草間興信所の調査員である天薙撫子。既に草間興信所へ忠告はした筈だが――彼らがそれで黙っている訳も無いか。実際、所長からも直接言われている。だがそれでも警察官である以上守り切らなければならない相手。例え――その民間人を襲っているのが、過去に憧れを抱いた人であっても、調査員の彼女の方が自分より余程強力な能力者であっても――それで放り出せる訳も無い。政人は撫子を庇うよう、自分へと注意を引き付けるようにアバドンへと肉迫する。そしてFZ−00の光電磁フィールドを発生させた状態で巨体を何とか無力化させようと試みた。
 が、アバドンの方も黙って受けはしない。鋭い牙を持つ顎が巨体に似合わぬ俊敏さで、己に迫る政人を狙う。先程封じられた腕を気にもせず、食欲――そんな欲求が本当にあるのか知れないが――のままアバドンは目の前の餌を求めた。
 葉月様! そう叫ぶ声が聞こえたのとほぼ同時。政人の目の前に展開されていたのは無数の妖斬鋼糸。その糸がFZ−00へ達しようとするアバドンの顎を止めていた。物理的な力では無く霊力――否、神力と言うべきか――それが通された糸で動きを封じている。撫子の身には女神の如き神々しさが帯びており、その背に三対の翼が薄らと見えていた。…仲間は全力で庇う覚悟。
 それに、ただでさえ葉月様と佐々木様、そしてそのお姉様とは――…。知ってしまっている以上、撫子としては余計に政人にこの相手と戦わせたくは無い。…ここは自分がやらなければ。そう思う。
 とは言えこのアバドン、ただ倒してしまうのは躊躇われる相手である事に変わりは無い。…佐々木恭子様の肉体を核に悪しき力で造り出された生体兵器、ならばと撫子はアバドンに対し、神力を込めた妖斬鋼糸で拘束したまま浄化を試みようとした。
 が。
 地面を――建物自体を揺るがすような雄叫びがアバドンから発される。絡まる無数の妖斬鋼糸から逃れようと手足が振り回される。周囲に置かれた生体サンプルの水槽ごと、当の部屋ごと破壊しようと言う勢いの暴れ方。床材を踏み割る。壁材を割り砕く。凄まじい力――撫子は妖斬鋼糸に込めた神力を強め、印形を組み縛する真言を唱えるが――唱え切れない、時間が足りない、間に合わない。撫子の努力も空しく、アバドンは無数の妖斬鋼糸を振り払っている。
 と。
 アバドンが妖斬鋼糸を力尽くで振り払ったそこで――興味深そうなベルゼブブの声が響いた。
 少し離れた位置、火の粉の掛からない場所で彼らの戦いを悠然と見物している。…撫子と政人の前、アバドンの巨体は絶妙にベルゼブブを庇う位置で立ちはだかっている。これでは――ベルゼブブを直接狙えない。
「…にしても――本当によく育ったものだね。三ヶ月前とは比べるべくも無い程成長してくれた」
 あの時は、佐々木君の五体を何とか食い千切れるくらいの力しか無かったのにね。
「…何ですって」
 耳を疑うようなベルゼブブの言葉に、思わず、声を上げる政人。
 と、ベルゼブブは口許だけで笑い、言い直す。
「聞こえなかったかな。三ヶ月前、佐々木君の人間としての命を奪ったのはコイツだよ。そして同時に――コイツの為に甲斐甲斐しく『餌』を運んでくれたのも佐々木君だ。彼は本当によく働いてくれたよ」
「っ――そんな筈…!」
「いいや? 嘘の王の称号に悖るような話だが、どうも君たちに話す言葉は事実ばかりになってしまうね? …ああ、そう言えば佐々木君はまだコイツとまともに対面してなかったかもしれないな」
「――っ」
「それより。…私と話をしている余裕など君たちにあるのかな?」
 からかうようなその言葉通り、再びアバドンは咆哮する。対峙する撫子、政人もまたはっとしてそちらを見る。撫子だけに任せる訳には行かない。…何の為のFZ−00。
 と。
 二人がアバドンと再び対峙したのとほぼ同時、二人共に憶えのある気配が政人の現れた入口の先、その通路から感じられた。…シュライン・エマ、海原みなも、坂原和真。それとこれは政人の方は知らぬ話だが――興信所で事前に神山隼人が喚んで見せていた使い魔――ベルゼブブの息が掛かっていない下級悪魔も一匹、共に居る。連絡役のつもりで調査員に付けたか。
 そして、彼らよりややこちらに近い場所――間に入るよう、もう一つ唐突に人間の気配が現れる。
「!」
 今度は撫子がはっとしてそちらを振り返った。こんな場所。『人間』の気配が唐突に現れるとは思い難い。不吉。思うが――何が出来る間も無いその刹那。唐突に現れたその気配が人間では有り得ない『魔』の気に変化、爆発するように膨張したのと同時。
 素手では到底間に合いそうにない。咄嗟にそう判じたのか和真の【キーマテリアル】が発動。『魔』の気の持ち主の攻撃を、誰か――シュラインを庇い、受け止めるように前に飛び出している。が――どう考えても、無謀だ。その『魔』の気の持ち主も尋常では無い。
 受けるのは無理です! 叫ぶと同時に間に合わないと思いながらも撫子は助力の為妖斬鋼糸を『魔』の気の持ち主へ放つ。が――糸の端も届かない内に和真の姿は【キーマテリアル】で構築、実体化させた鍵ごと『魔』の気の持ち主に派手に吹っ飛ばされ通路の壁に激突している。
 がん、と重い音がした。

 …攻撃を受けようとし――叶わずそのまま吹っ飛ばされた和真を見てから、『魔』の気の持ち主――スーツの青年から変化した女性型の悪魔は余裕の態度でゆったりと髪を掻き上げる。
「…あら随分手応え無いのね? このアスタロトが手を出すまでも無く放っておいてもよかったかも」
 クスリと笑みを浮かべ、アスタロトと名乗ったその悪魔は小さく肩を竦めている。一方、体勢を崩しながらもシュラインは通路の壁に激突し崩れた和真へと駆け寄っていた。自分を庇った和真に手を貸し介抱しながらも、自分たちを襲ったアスタロトを鋭く見返し、『声』を使っている。声帯を用い音の波動を利用。並々ならぬ相手であっても聴力はある筈。そうでなくとも――空気に触れている以上振動は伝わる。時間稼ぎ程度にはなる――。
 シュラインの用いた、目にも見えず魔力も関係無い攻撃の正体にアスタロトは咄嗟に気付けない。ただ――何? と怪訝そうに呟き、ある程度の攻撃の効果はあったか、くらりとよろめいた。そこに、シュラインの思惑通り隙と見たか、隼人の使い魔がアスタロトに牙を剥き襲い掛かった。彼我の実力差を考え、卒無くヒットアンドアウェイの方法を選択、即座に元居た位置――シュラインの肩に戻っている。そして、たった今傷付けて来たアスタロトを振り返り、威嚇。
 同刻、和真を襲ったアスタロトのその手指や腕に細い糸が絡まり、動きの邪魔をしている――妖斬鋼糸、和真の危機を見、少し遅れながらも撫子が咄嗟に放ったもの。アスタロトは下級悪魔から自分に付けられた傷、そして正体不明の不調に顔を顰めてからその糸の存在に気付き、憎々しげに呻く。
「やっぱり、放って置かない方が良さそうね。…こんな屈辱を受けるとは」
 吐き捨てつつ、アスタロトは再び自分の邪魔をした和真と、不調の原因を作ったらしいシュライン、そしてその肩に留まる下級悪魔を睨み付け糸を振り払う。撫子は魔獣――アバドンの方で手一杯。やや離れた位置にいるアスタロトの動きを封じるのは、遅れる。
 と、そこに。
 皆とアスタロトとの間を遮る形で大量の水が、ざ、と流れ込んで浮遊していた。邪魔をする――壁になる。アスタロトの視界に入っていなかったみなもが起こした行動。
 突入以前に打ち合わせをしていた、水霊使いであるセレスティ・カーニンガムの助力も借りて。

 …みなもが水の壁を作り出した直後――と言うより水に触れている以上ほぼ同時と言った方が正しいか。水を介してみなもからセレスティの元に連絡が入る。…撫子と政人の姿を見付けた。二人が交戦中の化物が佐々木晃の姉・佐々木恭子である可能性。そして人間の姿から変化した別の悪魔――アスタロトに襲われ自分たち三人も交戦中である事。受け取り、セレスティはそのまま外部――リンスターの手の者及び対超一課のトレーラーに居た運転手へとそれら情報を伝達した。それ以上の細かい指令は出さない。出さなくとも彼らなら最良の判断を下すと信じている。
 これも殆ど同時の事。アスタロトから仲間の身を守る為みなもの作り出した水の壁を、セレスティの方からも能力をもって強化する。…水を介するならばセレスティにとっては軽い事。…人魚の末裔にして水を操る事が可能なみなもとならば、離れていても以心伝心、殆ど時差無しで連携できる。情報の伝達も――その技も。身体が弱い以上、戦闘時に自分がすぐ側に居れば文字通り足手纏いになってしまう可能性も否定出来ないと思っているが、離れた位置で能力だけを操るならば――それなりに戦闘の役に立てる自信はある。事前に配水管の位置も完璧に把握、要された時に即時みなもに使い易い位置のそこから水を送り出していた。
 セレスティは現在、周辺にある水殆どすべてを支配下に置いている。少し意識すれば水の壁として自在に展開出来る程度に保持したまま、生体学研究所の内部、細い通路に草間武彦、そして源・由梨と共に居た。
 撫子と政人の事も、二人が戦っている相手についても気にはなるが、ここはまず汐耶の救助が目的。水を介してみなもに問う。汐耶嬢の姿は確認できそうですか。出来ません。ならば神山君は。現場のホテルで別れたっきりで使い魔さんから連絡もありません。“凶々しき渇望”の姿は見えるか。見えません。他の存在が確認出来るか――答えは同じ。
 と。
 水を介しセレスティがみなもと交信&水の壁強化の補佐をしているところで、通路の奥から何かが飛んで来た。小型の、異形の悪魔の姿。その姿を見るなり武彦が咄嗟に由梨とセレスティを庇いそれに対峙しようとする――が、即座に察し、違います、とセレスティが武彦を止めた。こんな場所で悪魔が出てくれば敵方、そう思いそうだが――調査員の神山隼人も黒魔術を用いて悪魔を喚び使役する。そして今現れたこの悪魔には一切の敵意が無い。…ならば、隼人の使い魔。
 セレスティ以外もそれに気付いたか気付かないかのところで、その悪魔から隼人の声が発された。
『綾和泉さんは無事です。…それから今佐々木さんもこちらに居ます』
「…何だと!?」
 汐耶については朗報だが――もう一人は。
 その男が居るならそんな呑気に連絡している場合では無いだろう。…残虐なる殺人を犯し、汐耶を攫った当の相手。それを話す隼人の悠然とした口調も相俟って、武彦は声を荒げる。
 が、セレスティがそれを制止した。
「ちょっとお待ち下さい草間君。…神山君、今『佐々木さん』と仰いましたよね」
 …何故“凶々しき渇望”と呼ばないのですか。
 セレスティはそこを気に留めた。隼人の発言に隠された意味。
『ええ。今は佐々木さんでいいと思いますよ』
「それは記憶が戻った――正気に返ったと言う事ですか」
『…いえ、正気と言うなら元々全部御承知の上での行動ではあったようです。…あまり本意では無かったようですが。まぁ、綾和泉さんの事も何だかんだで気に懸けていたようですし彼女は無傷と言って差し支えありませんのでそこは御安心を。それより、やっぱり黒幕さんの存在が一番の問題だったようですよ』
「そうでしたか。やはり、あの――…」
『名前や称号は出さないで下さい。思わせ振りな事も極力言わない方がいい――これだけ側で直に名前を口にしてしまったらその時点で相手に筒抜けになる可能性が高いですから』
 私の把握していないところでその名を口に出されてしまっては誤魔化し切れませんから。…心の中でだけそう続け、隼人は使い魔を介し忠告を与える。で、こちらとしては黒幕さんを直接叩きに行こうと思ってるんですよ、とセレスティらの答えを待たずに続けた。
『…警戒すべきすべての視線が天薙さんや葉月さん、坂原さんにエマさん、海原さん…そちらに向いている今こそが好機かもしれませんので』
「側に――居るんですね」
 その、黒幕――蝿の王ベルゼブブは。
『ええ』
「…佐々木氏も御承知なのですか」
 殺人も何も承知の上でしていたと言うのなら――今、黒幕を倒す事を彼が承知するのですか。邪魔をなさる可能性は。
『承知も何も、彼自身の悲願でもあったようです』
 黒幕さんを殺す事。
「…」
「どうなってるんだ…?」
『ひとまず、彼に関しては取り敢えず大丈夫です。少なくとも今はこちらをどうこうしようとは考えていませんよ。それより…現在は草間さんにカーニンガムさん、それと源さん…貴方がたの動きが我々を除けば恐らく敵方から一番見え難いところにある。広範囲の水を使っていたり外とも連携取ってますから余計に攪乱されてるんでしょうね。…陽動と、他の方々のフォロー、宜しくお願いします』
 一方的に言ったところで、使い魔から隼人の声が聞こえなくなった。そして、ぱたぱたと異形の皮膜が扇がれ、小さな悪魔は由梨の肩に大人しくちょこんと留まる。由梨は驚いたようだったが――肩に留まった使い魔の事はさて置き、すぐに腑に落ちたような顔になっていた。
「佐々木氏は…ずっと、機会を窺っていたって事なんでしょうか」
 黒幕の方の懐に飼われた状態で、黒幕の方をこそ、倒す為に。
 由梨のその呟きに、武彦は眉間に皺を寄せる。
「…それだって限度があるだろうが。…本意でなくてあれだけ残虐な――まるで楽しんでるようにさえ見える殺人を犯せるか?」
「生半可では意味が無かった、って事なんでしょう。…直にぶつけられない憎悪を被害者の方々に転嫁していたのかもしれません。本意でないならその方がまだ精神的に楽でしょうから――勿論、被害者側から考えればそれは到底許される事ではありませんが。ですが…自らも本気で堕ちなければ、その位置に居られなかったと言う事なのかもしれませんね…それだけの相手、そしてそこまで思い詰める動機」
 思わせ振りにそこで切り、セレスティは武彦を見る。
 武彦は嘆息した。
「…やっぱりそこに行き着く訳か」
 彼の姉の存在に。
 そして――全部承知の上のようだと隼人は言っていたが…撫子&政人と交戦中だと言う魔獣が、その姉らしいと言う事まで――奴は、本当に承知なのか?
 武彦は不意にそこに気付き、怪訝そうな顔になる。…今までに調べた内容。検討した話。奴が調査員に見せていた刑事である姿。政人から聞いた話。シュラインから聞いた話。由梨の推理。汐耶に、隼人に手を出していない事。倒す事が悲願である、と言う話が本当なら。
 …確信出来る。違う。
「奴は、知らない――…」

 …このアバドンと対峙して余所見をしている余裕はない。和真を助ける為アスタロトに妖斬鋼糸を放ったのを隙と見たか――アバドンは即座に撫子に襲い来る。と、今度は政人がその巨体の腕を押さえ極めていた。骨も折ったか。痛み故か異様に甲高い絶叫が轟く。政人は思わず、許して下さい恭子さん、と心で謝罪していた。…もう、対峙してどれだけ経ったか。随分長く感じる。が――アバドンにあまり消耗した様子は無い。
 一方、通路側。アスタロトから仲間を守ろうとみなもが張った水の壁。それを今度は武器へと転用。水を介してセレスティと連携し、出来れば捕縛――出来なければ押し流すようなつもりで、アスタロトへとその水の塊をまるごと押し流し圧を掛けた。通路を塞ぐ形にまでなっていた水の塊、咄嗟に避け切る隙間が見付からなかったか短い悲鳴を残しアスタロトは水の塊に押され部屋へと転がった。
 そのタイミングで撫子さん! 葉月さん! とシュラインが部屋へ向け大声で呼ばわっている。同刻、和真も【キーマテリアル】を構築したままで部屋へ転がり込み、まだ立ち上がり切れないアスタロトへと攻撃を仕掛けた。隼人の使い魔もまた爪を光らせその助力を開始する。みなももまた、先程投げた水の塊を、防御にしろ攻撃にしろ――再び操る為に構築し直した。
 わざと起こした無謀とも言える派手な動き。目立つよう。…汐耶の無事だけは今行動を起こす直前、隼人の使い魔から聞かされた。それ以上は話す余裕は無かったが――直後のタイミング、みなもがはっとしてシュラインと和真の顔を見上げていた。即座に察しシュラインが、しっ、と人差し指を唇の前に立てている。黙ってとでも言う仕草。シュラインのそれを見、反射的にみなもはそのままこくりと頷く。シュラインにはみなもがはっとしたのは何故かわかっていた――それは恐らく、セレスティから水を介して、晃が汐耶と隼人の二人と同行していると教えられたのだと。
 …シュラインの耳には撫子と政人がアバドンと交戦する向こう側、話していた内容からして魔王ベルゼブブだろう――少なくとも今回の黒幕だろう未確認の存在がそこに居る事、そしてそのまた先、部屋の奥にある通路か何か――とにかく隼人と汐耶、それともう一人記憶にある固有の音持つ存在が近付いて来ている事がわかっている――聴こえている。何故か三人共に固有の音が異様に聞こえ難くはなっているが――床を蹴る微かな駆ける音だけでも、シュラインの耳に判別は出来る。
 それらの状況から判断して、彼ら三人が何を狙っているか理解した。
 …隙を衝く気だと。
 ならばこちらに求められているのは――陽動。派手にやった方が、視線はこちらに向く――そして同時に、アスタロトと言う新手が戦闘力で劣る自分たち三人側にも来てしまったとなれば――戦闘力で勝る二人と離れて戦うよりも合流した方がまだ戦略が考えられると言う事もある。
 撫子は再び無数の妖斬鋼糸を部屋内に展開、アバドンの拘束を試みた。みなもとセレスティの連携で操られた水も、それを手伝うようアバドンの動きを翻弄する。その間に今度こそ印形と真言で縛する術が完成、撫子の浄化の力がアバドンにとってのダメージになる。
 アスタロトと【キーマテリアル】を握る和真が対峙しているところ、そちらには疲労の色濃い和真と入れ替わるよう政人が割り込んだ。政人なら装着しているFZ−00により、膂力でなら悪魔とでも充分張り合える。それを認めたか、和真は【キーマテリアル】を解除し政人に後を譲った。前後して、シュラインの肩に留まっていた隼人の使い魔も、そちらの隙を衝こうと見計らい、攪乱するよう打って出ている。
 と。
 拳銃の激発音が響き渡った。ほぼ同時、この世のものとは思えぬ絶叫が耳を劈く。
 その部屋にいる者の動きが俄かに停止した。誰――白の上下に身を包んだ燃えるような赤い髪の人物――佐々木晃の手に握られたリボルバーから細く煙が立ち上っている。着弾したのは撫子の妖斬鋼糸に拘束されたアバドンの背――と言っていいのか、とにかく正面では無さそうな部位。だがそれはどうでもよかった。そこに到るまでの弾道に、ベルゼブブが居た事の方がその時の晃には重要だった。…その時、実験体の成れの果てと思しきアバドンの姿は殆ど晃の視界に入っていない。
 さすがに魔王と言うべきか、撃たれる事に直前で気付いたようで振り返り様に銃弾を素早く避けている。避けてはいたが――避け切れはしなかった。腕を掠り、服の一部が持って行かれている。
 汐耶と隼人の姿も晃のすぐ側、やや下がった位置に居た。汐耶は封印を適宜こなせるよう狙っているのか、建物全体に流してある力の方の感覚で周囲を見ている。隼人はその場で黒魔術を行使、攻撃系の使い魔を複数喚んでおり、現れたそれらが――晃が先に銃で狙った魔王へと間、髪入れず躍り掛かっていた。
 …ここまで来る途中、自らのみならず隼人と晃に対しても施していた汐耶の封印が物を言った。三人共に気配がまったく見えない。不意を打たれたベルゼブブは少し驚いたような顔をしていた。そこに銃を構えた晃の姿を――そして自分に躍り掛かろうとする複数の悪魔に、隼人と汐耶の姿を見付けると不快そうに目を細める。それを確認して――正面から憎い魔王の顔を見て、激情のままに声を上げつつ晃は再び引き金を絞る。が、ベルゼブブは名に見合う形にも思える三対の羽を羽ばたかせ、ふわりと浮いていた。…初めの一発以外は掠りもしていない。隼人の使い魔の爪と牙からも逃れていた。
 その結果を確認もしない内、晃はその場で片膝を突き、続けて左手も勢いよく床に突いた。途端、左腕に付けられた黄の腕章、『魔法の鏡』のひとつ、『ソロモンの大いなる印』――その印形が描かれた腕章がぼう、と光を帯びる。
 ぶわりと気が膨れ上がり、手を突いたそこから複数の悪魔たちが姿を見せた。
 が。
 晃の喚起の声に応え現世に姿を見せた悪魔たちは…――。
 ――…現世に解放されるなり、倒せと命じられたベルゼブブでは無く、晃の方に襲い掛かっていた。肩口に、足に、腕に食い付く。きゃきゃきゃ、と異様な笑い声まで響いていた。
「…なっ」
 驚く晃に、憐れむようなベルゼブブの顔が見える。
 当然だろう、と唇が動いて見えた。
「今君が喚んだのは、私の可愛い子供たち――私の配下の者になるのだがね?」
 …私に牙を剥く訳が無いだろう?
「――っ」
 ベルゼブブにでは無く逆に晃へ――晃たちの側へと襲い来る下級悪魔の姿。隼人は自分の喚んだ使い魔で即座に対抗。組み付いた小さな異形同士で食らい合いが始まる。汐耶は下級悪魔のその姿を見極め一体一体封じ、確実に数を減らしている。…眼鏡が無いせいか、乱暴なくらい強力な能力発現――もう、触れた時点で存在自体を掻き消していると言うのが正しいように見えたのは気のせいか。
 それらを顧みもせず、晃は自分に纏わり付く邪魔な下級悪魔を力尽くで引き剥がしベルゼブブへ向け再び発砲。晃はベルゼブブ以外、目に入ってもいない。魔術で駄目ならこちらしかない。掠る程度とは言え一度は効果を齎したその武器しか。
 だがそれでも――ベルゼブブは動じない。狙いが外れている訳でもない――ただ、続けて撃っても晃が喚んだ当の悪魔がいちいち庇い弾を受けている。程無く――引き金を引いてもかちりと、音が鳴るだけになった。
 弾切れ。
 派手に舌打ちし、晃は腕章を付けた側の手を再び床に突いている。また喚ぶ気か。次は使役し切れると思っているのか。…無謀ですよ。思い、その行為を止めさせる為、隼人がその手をそっと押さえていた。晃が凄い目で隼人を睨む。邪魔をする気かと。
 いいえとゆっくり頭を振り、隼人は私の喚んだ使い魔の命令権をお貸ししましょうと静かに告げる。貴方は御自分で手を下したいのでしょうし、ベルゼブブの配下でさえなければ――今みたいな事は起きないでしょうからね、とこれ見よがしにベルゼブブを見ながら、続けた。そして、勝手は殆ど変わりませんからと晃を押さえたそこで自分でも床にするすると簡単な魔法円を描いている。インクも何も見えないのに指がなぞったその場は光が残っている。そして――描き終えたと見るなり、光が爆発した。
 直後、何処から現れたのか――隼人の声に応えた怨霊や悪霊、下級悪魔の類がその場に喚び出されていた。晃は驚き、それらを見る。そうしてから、隼人は晃を促した。驚いている暇はない。…「利用出来るものは利用しろ」。即座に晃は判断しベルゼブブを倒せと迷わず命令を下す。
 と、隼人の言った通り、今隼人が喚び出した悪魔は晃の命令を素直に聞きベルゼブブへと襲い掛かった。悠然と中空に佇んでいた魔王の瞳に今度こそ険が帯びる。ベルゼブブも先程隼人が使い魔を使ったのと同様、自らの配下で即座に対抗した。…先程晃が喚んでいた悪魔をそのまま利用。が――僅かの間で新しく喚ぶ間は無く、彼我の数の差が多少出来ていた。使役されぶつかり合った悪魔同士殆ど互角ではあったが――隼人側の方が出した手数が少し多かった。必然的にベルゼブブの身にまで命令のまま攻撃――下級悪魔の手が伸び、その爪が掠る。
 僅かながら不機嫌そうに顔を顰めると、再び背の羽を羽ばたかせベルゼブブは軽やかに退いた。…晃に命令権が貸された隼人配下の下級悪魔の爪に掠られ、ほんの少しだけ傷付いた頬。そっと拭うと、ベルゼブブは目を細め隼人を見た。
「まったく…余計な事をしてくれるね」
「そっくりそのままお返ししますよ」
 と。
 隼人が言った、その時。
 がくり、と唐突に晃の姿が傾いでいた。
 見れば片足の膝から、力が抜けている。…否、力が抜けただけでは無く――そこから体組織がもう崩れ始めているようで。気付いた隼人がそのまま倒れ込まぬよう咄嗟に腕を取り、汐耶も殆ど同じタイミングで応急手当として『負傷した部位の存在自体の封印』を施す。が――それでは、既に崩れてしまった部分が戻る訳では無い。その封印で痛みは消えても、最早二本の足でまともに立てない事に変わりは無い。
 続けて、隼人に支えられたのとは逆の腕が――肩口からぼとりと落ちている。己で喚んだ下級悪魔に食い付かれた部位。だが、肉が噛み千切られたと言うより――当人が否定した土人形の如く崩れ落ちた、そんな――唐突過ぎる脆さが感じられた。隼人の、汐耶の目が険しくなる。…これは攻撃を受けた故では無く晃の身体の方の問題か。…汐耶の持っていた書物の頁、退魔の力で半身吹っ飛ばされた時の後遺症もあるのかもしれない。
 …が――そんな状態に置かれても、晃が目の前の魔王を憎々しげに睨む目から、力は失われない。
 今が最後で最大の好機、今この魔王を殺せずにどうする――とでも言いたげに、そんな身体でありながらまだ晃は目の前の魔王へ向かって行こうとする。が、それも叶わず、前のめりに倒れ掛かるところを隼人と汐耶に止められた。…今の貴方では無謀、これ以上どうにかなるとは思えない、と。
 ベルゼブブは晃や隼人、汐耶のその様子を中空からただ見ているだけ。更には――急激な魔力の消耗によると思われる晃の肉体崩壊を見、慮る声まで掛けている。…もっと魔力が欲しいなら今この場で意地を張るのは止めたらどうだね、ここで君の望みが潰えてしまっても良いのかい? と。
 その声を黙れと撥ね付け、晃は吼えた――が。
 汐耶の施した封印と言う応急処置、それでは到底追い付かない自らの体組織が少しずつ崩れていく感覚にさすがに集中が途切れかけると同時に――ふと、魔王の背後が視界に入る。

 ………………ベルゼブブのその姿を通り越した、後ろ。

 先程から居る事はわかっていた。いたが――意識はしていなかった。なのに今になって、そちらに意識が向く。化物――実験体の成れの果てと思しき大きな影、アバドン。それと交戦中の興信所の面子。と、晃の意識が向いた事に気付いたか、何故か――何処か焦ったような、苦しげな表情で撫子やみなもが晃を視界に入れている。FZ−00を纏い表情の見えない政人からさえ、佐々木さん! と必死に叫ぶ声が――どう言う訳かこちらへ来るな、見るなと制止したがっているような――奇妙に切羽詰まった印象の、それでいて晃の事をこそ考えているような声が投げられた。…彼らが助けに来たのだろう汐耶の姿より、“凶々しき渇望”の――晃の姿の方に反応している――何故だ?
 晃は思わず自分のすぐ側に居る汐耶に隼人を茫洋と見、そちらの様子に今までと特に変わりが無い事を無意識の内に確かめてから――やはり訝しく思い、交戦中の化物、その姿を確認しようとじっと見てしまう。
 憎き魔王の姿よりも――何故か、そちらへ向く意識。

 と。

「ああそうだった、さっきちょうど話していたところなんだよ。君はまだコイツとまともに対面してはいなかったね、と」
 何処か、笑みを含んだ声が晃の目の前から聞こえた。
「懐かしいだろう? 君のお姉さん――三ヶ月振りの…感動の再会だ」
 そんなベルゼブブの声もまともに耳に入らない。
 見るんじゃないと頭の中で警告が鳴り響く。けれど視線を逸らせない。
 厭な冷たい汗が背を伝った。

 …ベルゼブブの背後、興信所の面子が動きを封じた、『化物』。

 能力者や霊鬼兵の血肉を利用した奇怪なるキメラ。
 ――“喰らう”魔物『アバドン』。

 人の手足を体組織を、法則性無く組み合わせ造られた、醜悪なる怪物。
 その、一部に。
 ………………佐々木晃の姉・佐々木恭子の頭部が、見えていた。
 それも――まるでその怪物自身の頭部であるかの如く、眦を吊り上げ、咆哮している姿。
 …漸く、目に入った。

 凍り付く。
 瞠目した佐々木晃の表情から、一切の色が失われていた。

【続】


×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名/ノベル収録シーンNo.
 性別/年齢/職業

 ■1883/セレスティ・カーニンガム/03・07・11
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

 ■1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)/01・05・10・11
 女/23歳/都立図書館司書

 ■1855/葉月・政人(はづき・まさと)/02・03・06・09・11
 男/25歳/警視庁超常現象対策本部 対超常現象一課

 ■2263/神山・隼人(かみやま・はやと)/03・04・10・11
 男/999歳/便利屋

 ■4012/坂原・和真(さかはら・かずま)/03・04・07・08・11
 男/18歳/フリーター兼鍵請負人

 ■0328/天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)/03・04・09・11
 女/18歳/大学生(巫女):天位覚醒者

 ■5705/源・由梨(みなもと・ゆうり)/03・07・11
 女/16歳/神聖都学園の高校生

 ■1252/海原・みなも(うなばら・-)/03・04・07・08・11
 女/13歳/中学生

 ■0086/シュライン・エマ/03・07・08・11
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

 ※表記は発注の順番になってます

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 …以下、公式外の登場NPC

 ■“凶々しき渇望”(佐々木・晃)
 ■ベルゼブブ(成沢・玄徳)
 ■アスタロト(住田・和義)
 ■佐々木・恭子

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           おしらせ
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 ※なお今回、文字数が只事で無い事(すみません/汗)を鑑み、御挨拶的なライター通信は省略する事に致します。御了承の上、御容赦下さい(礼)。ちなみにノベル本文は…皆様それぞれの登場シーン中心に適当に分割してありましてそれで一応一つに話が通っていると思われますが、こちらの思惑としてはできれば『頭に打った数字(01〜11)のシーン順に一本通して』読んで頂く事を希望。…それでやや長めの一本の話にも読めると思われますので。