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封鬼連 〜蒼珠の章〜
「少々頼まれてはくれぬかのう？」
天鈴（あまね・すず）がそう切り出したのは、数日前、セレスティ・カーニンガムが彼女の屋敷を訪れた時の事だ。聞けば、弟、玲一郎と共に、とある品を探して回収してきて欲しいのだと言う。モノは蒼珠と呼ばれる宝珠だ。かつて鈴の一族が保管していた封鬼連と言う首飾りのうちの一つであり、その中には『美しさを求めすぎて鬼と化した女』が封じ込められているのだそうだ。
「大した力は持っておらぬし、まだ持ち主も取り込まれては居らぬと見たのじゃが。時が経てば確実に鬼に取られる。そうなってからでは遅いのじゃ。頼まれてくれるか？」
鈴が言う日にちは丁度空いており、断る理由は特に無かった。別の伝手があるなら、と言った鈴に首を振り、セレスティは彼女のくれたチケットを使い、このツアーに参加する事にしたのだ。その名も『北條小枝子プライベート・リサイタル ひなびた温泉一泊二日』。北條小枝子と言うのは日本映画にその人在りと言われた名女優だが、近年はその演技力とは別の話題で名を知られている。異様なまでの若返りだ。今日では、還暦を越えても尚瑞々しく美しい人は珍しくない。だが、北條小枝子のそれは、尋常ではなかった。60過ぎの筈なのに、どう見ても20代か、多く見積もっても30代前半にしか見えない。一時は整形か、それとも…などとゴシップネタにもなったが、結局は謎のままだった若返りの秘密も、天一族の護ってきた宝珠の力と言われれば、もしかして、と言う気もしてくる。閑古鳥が鳴いていた一軒宿の温泉旅館を北條小枝子が丸ごと買い取ったという『ひなびた温泉』は、都内からマイクロバスに揺られる事3時間。見事なまでの山の中にあった。買い取った後、小枝子が改築を施したとかで、外見は大きな和風旅館であるにも関わらず、中身は見事な西洋調スパに様変わりしていた。板敷きの広いエントランスの奥の襖を開いた時には、皆、溜息をついていた。ガラス張りの巨大な吹き抜けの向うには、白亜の大ジャグジーが広がっていたからだ。中央には天使達を従えた巨大な女神の像が、湯を溢れさせる大きな器を捧げ持って座しているのだそうだ。水しぶきならぬ湯飛沫が飛び散り、辺りにはもわっとした湿気が漂っている。セレスティが事前に入手していた昔の図面では、ここまで広い大浴場は存在しなかったから、改装して造ったものなのだろうが、それにしても奇妙な空間だった。とりあえず、日本旅館にはそぐわない。他にも彼女が手を入れた所はいくつかあって、セレスティは部屋に用意されていた案内図から、その全てを把握していたが、突飛な改築はここだけのようだ。客室をいくつか潰して造った小枝子のプライベートルームが２階奥にあるようだが、他は廊下を広げたりエレベータをつけたりと言う、ごく常識的な改築だった。
「これは、まあ何て言うか…」
吹き上がってくる湯気の中で、シュライン・エマがやれやれ、と溜息を吐く。今回玲一郎の助っ人として呼ばれたのは、彼女とセレスティを含めて３人だ。それぞれに割り振られた部屋に荷物を置いた後、とりあえず一旦、このジャグジーを見下ろすテラスに集ったのだが。夕食まで間が無い為、皆水着は着ておらず、テラスから見下ろしているだけだ。
「まあ、あまり良い趣味とは言えませんけどね。ここまで来るといやらしさも感じないくらい、可愛いもんです」
椅子に寝そべったまま言うと、隣の椅子にかけた綾和泉匡乃（あやいずみ・きょうの）も頷いた。彼もまた、玲一郎の助っ人だ。
「まあ、ご本人も『あまりに素直』と言うだけで、邪気は無いようですけど」
3人のうち、匡乃だけが別口の伝手を使ってこの屋敷に逗留している。
「正直言って、僕はこの女神像にどーんと持たせたりしているのかなあ、なんて期待してたんですが」
匡乃の言葉に、シュラインも苦笑して、
「実は私も期待してたわ、それ」
と白状した。考える事は皆同じ、と言う事だ。小枝子の性格からして、そういう事もありうると、セレスティも考えていたのだ。
「ここにあるのは、確かなの？」
と言いながら、振り向いたシュラインが思わず溜息を吐いた程に、玲一郎は消耗していた。理由は、小枝子だ。演技力、美貌共に一流の女優である彼女は、無類の男好きとしても知られていた。結婚離婚を繰り返しつつ、流した浮名は数知れず。最近は二廻り以上年下の歌手との仲を噂されていた。その彼女の好みに、玲一郎はどんぴしゃだったらしい。迫られて苦労するだろうと鈴も言っていたが、その通りだったようだ。一つ前のバスに乗った玲一郎は、降りた瞬間から小枝子に迫られ続け、割り当てられた部屋に一人で入るのにすら苦労していたらしい。面倒をみてやってくれ、と頼まれているし、一緒に居られる限りは小枝子の目を逸らすくらいの事はしてやろうと思ってはいるが…。
「ええ…まあ、それは確かです。彼女の他の拠点は、既に姉が調べたそうなので。それに…」
玲一郎はそこで一つ弱弱しい息を吐いて、
「一致するんですよ、彼女がここを密かに手に入れた時期と、若返りの時期が」
と言った。なるほど、とセレスティも納得した。
「まあ、正直僕は、何があろうとさっさと帰りたいですけどね…」
彼らしくも無い本音を漏らす玲一郎の肩に、シュラインがぽん、と手を置いた。
「ま、そこら辺は手助けしたげるから。調査、がんばろ？」
そうそう、とセレスティも頷き、匡乃も同意の笑みを浮かべた。と、その時。テラスの入り口に仲居がやってきて、夕食の用意が整ったと告げた。ディナータイムの半分は、小枝子のミニ・リサイタル。後半はじっくり客たちと語らうのが、この会の趣向なのだとバスの中で聞いていた。彼女から情報を引き出すのは、この時を置いて他はない。
ミニ・リサイタルは滞りなく終わった。舞台も近く、アットホームな雰囲気のショーは中々の出来だ。さすがは大女優、と言った所だろう。歌も悪くないし、話もうまい。客を飽きさせない良い運びだった。まだショーの余韻を残したまま夕食が始まり、順々に小枝子がテーブルを廻り始める。テーブルはシュラインとは別々になったが、玲一郎とは隣同士だった。ツアー参加者ではない匡乃は、この場には居ない。一つ、二つとテーブルを廻り、セレスティたちのテーブルに廻ってきた小枝子を、客たちが拍手で迎える。
「とても素敵でしたよ。良いショーでした」
そう言ったのは、決してお世辞ではない。小枝子はまあ、と喜んで、玲一郎とセレスティの間に椅子を引いた。
「喜んでいただけて光栄ですわ、セレスティ様。玲一郎さんも、お楽しみいただけて？」
「…はい。…ええ…」」
彼女の方から身を寄せられて、玲一郎が瞬く間に硬直した。どうやら心底彼女が苦手らしい。だが彼の反応はいちいち彼女の興味を引いてしまう。案外と不器用な青年だ。セレスティは話題を変えた。
「それにしても、お屋敷もとても見事ですね。一軒宿を買い取られた、と聞きましたが…」
「ええ、そうなんですの。さすがに少々苦労しましたけれど、お陰でとても素敵な家になりましたわ」
小枝子が微笑む。
「少々、手も加えられたとか？」
「勿論。そのままではさすがに広すぎて。その分をお風呂にしましたの。ジャグジーには行かれまして？」
「一応。まだ入ってはいませんけれど」
と、答えると、小枝子はまあ、と残念そうな声を上げた。
「ここへ来て、あれに入らずにお帰しする訳には参りませんわ。どうか食後にでも一度」
「そうですね。…でも、お部屋もとても素敵で。部屋に古伊万里がありましたが、集めてらっしゃるのですか？」
とりあえず水を向けてみたが、小枝子はいいえ、と笑った。
「皆、いただきものですの、しまい込んでいるよりは、と」
「おや、それでは最近、素晴らしいモノを入手されたという噂をお聞きしたのは…」
と、試しに言ってみると、小枝子は首を傾げて、
「それは…多分、違うお話ですわ。少なくとも、私に骨董を集める趣味はありませんもの」
と言った後、声を落としてこう付け加えた。
「でも、素敵なモノを手に入れた、と言うのは、まあ当たらずとも遠からずですわね。骨董ではありませんけれど」
「骨董ではない？」
「ええ、もっと実用的なもので。今の私には、欠かせないものですわ」
小枝子はそう言って、くすくすと笑った。蒼珠の事に違いない。彼女の向うにいる玲一郎の様子を素早く窺ったが、どうやら硬直したままらしい。
「面白いですね。でも、そんな大切なものを仕舞っておくのは、大変でしょう。私も古い書物の保管場所には苦労していますよ」
だが、彼女は大丈夫、と微笑んだ。
「普通には見つけられませんの。絶対に。けれど、皆様に分けて差し上げる事は出来ますのよ。ほんの少しずつだけですけれど」
首を傾げるセレスティに、片目を瞑ってみせて、小枝子は席を立った。
「分けてさしあげる…ねえ」
呟くように繰り返して、セレスティはふうむ、と考え込んだ。普通には見つけられぬ、だが分ける事は出来る。小枝子の言葉と、この建物の改築部分を重ね合わせると、答えは一つに絞られた。
「セレスティさん」
玲一郎の声に、頷く。
「行きましょう。今なら、丁度良い」
二人はそっと席を外した。向かったのは、最初に行った巨大ジャグジーだ。さっき行った時には、確かに何も感じなかったが、多分あの湯気で気を逸らされてしまっていたのだ。
頬を湿らせる湿気の中、セレスティはじっと神経を研ぎ澄ませた。やはり…と、溜息を吐く。ここには結界が張られている。
「結界…ですね」
玲一郎の言葉に頷いてみせる。
「温泉の持つ気で、上手くカモフラージュされていますが…。場所は、分かりますか？」
「ええ。やはり…」
「女神ですか」
先に言うと、玲一郎が、そのようです、と言った。道筋は違っても、辿りついたのは皆同じ場所だったのだろう。プールの反対側のドアが開いた。出てきたのは匡乃だ。続いて、その隣のドアから姿を現したのはシュラインだ。セレスティはジャグジーの中を探そうとしている二人に、声をかけた。
「下を、見て御覧なさい」
「下？」
湯に映る自分を見下ろして首を傾げるシュラインを見て、玲一郎が、違いますよと笑った。
「女神です。女神の手」
匡乃とシュラインが湯を落とす女神の像にすうっと近寄り、二人して水面を覗き込む。小さく声を上げたのが聞えた。
「やはり、女神に持たせていたようですね。大皿は結界に映った虚像です」
玲一郎が言った。無論、良く見れば水面に映る女神が、大皿ではなく蒼珠を持っている事に気づくだろうが、大皿の真下は溢れる湯の水しぶきで常に水面が揺らいでいて見つけにくかったのだ。ジャグジーの中の二人も、水面に映る蒼珠に気づいたのだろう。シュラインが振り向いて、
「水底にあるって事？」
と聞いた。
「水底ではありませんよ。水を使った鏡面結界の向うにあるんです。私とした事が、ここの蒸し暑さで少々鈍っていたのかも知れません」
セレスティはそう言って、額ににじむ汗を押さえる。正直、この湿気と暑さは今も少々堪えた。
「解けますか？」
聞いたのは、匡乃だ。
「私に出来るのは、水の結合を解くまでですが…」
と答えると、玲一郎が頷いた。
「その後は、僕がやります。結界としては、それ程難しいものではありませんから。多分、この結界のお陰で、彼女は長期間鬼の影響を直に受けずにすんだのでしょう」
「では、まずは私が」
セレスティはすっと片手をプールに向けた。途端に、湯が、湯気がざわめき、次の一瞬で全てが霧となり、再び元に戻った。うわ、冷たい、とシュラインが言ったのは、セレスティが温泉の熱を一時的に奪ったからだ。続いて玲一郎が呪を唱え終えて、言った。
「シュラインさん、女神を見て」
玲一郎に言われて女神像を見上げたシュラインと匡乃が、あっと短い声を上げた。大皿があった場所に、蒼い宝珠が輝いていたからだろう。
「取って頂けますか？」
玲一郎が言う。
「…って、触っても大丈夫？」
「心配ありません。声が聞こえるかも知れませんが、応じなければ大丈夫です」
わかった、と答えてシュラインが水を掻き分けて女神像に近付き、蒼珠を取り外した。
「何も、聞えなかったわ。私にはただの石みたい」
と言うシュラインに、玲一郎が、
「それに越した事はありません」
と笑った。プールの水温は何時の間にか元に戻っており、玲一郎の手によって、蒼珠は再び封印された。彼は贋の蒼珠を据えて結界を閉じ、四人は翌朝、温泉を後にした。蒼珠がすりかえられた事に小枝子が気づいたのは、ひと月程経ってからだったと言う。すり替えに気づいた彼女がどういう行動に出るのかには興味があったが、匡乃が言っていた通り、彼女はあの一件については口をつぐんだままだ。セレスティが玲一郎達の屋敷を訪れたのは、東京に戻ってしばらく経ってからだった。
「では、蒼珠を渡した人物が、あの結界を？」
ええ、と頷く玲一郎の声はどことなく沈んでいる。鈴は出かけていて居らず、桃の園は穏やかに静まり返っていた。
「小枝子さんは、その人の事を覚えているんですか？」
「いいえ。彼女はずっと、夢だと思っていたようです。まあ、実際彼女にとっては夢と同じ事ですが」
夢、と言えば、再び若さを手に入れていた数年間も、彼女にとってはまた夢だったのではないだろうか。だが、夢はいつか必ず醒める。そして人は、再び歩き出さねばならないのだ。事実、蒼珠を失った小枝子は、再び女優として活躍しているようだ。蒼珠を手にする以前よりも、更に輝きを増したと評されていると言うから、彼女の見た『夢』は、無駄ではなかったのだろう、きっと。夢から醒めた彼女が、今度はどこまで歩いてゆくのか。見守ってみるのも、一興かもしれない。
＜蒼珠の章 終り＞
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【１８８３ ／ セレスティ・カーニンガム ／ 男性 ／ ７２５歳 ／ 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1537／ 綾和泉 匡乃（あやいずみ・きょうの） ／ 男性 ／ 27歳 ／ 予備校講師】
【0086／ シュライン・エマ ／ 女性 ／ 26歳 ／ 翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員】
【NPC 天 玲一郎 ／男性】
【NPC 天 鈴 ／女性】
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■ ライター通信 ■
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セレスティ・カーニンガム様
ライターのむささびです。ご参加、ありがとうございました。今回は水の結界を解くお手伝いをしていただきました。ディナーでも、玲一郎が助けていただいたようです。ありがとうございました。暑さの苦手なセレスティ氏ではありますが、蒼珠回収後はゆっくりと温泉を楽しんでいただけたかと思います。
それでは、またお会い出来る事を願いつつ。
むささび。
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