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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


雨の迷子


■序■

 ずどどん、

 その轟音があってから、神聖都学園の敷地は闇に包まれた。午後6時過ぎのことだった。秋も深まりつつあるいま、6時にもなればもう辺りは暗い。そのうえこの日は、昼過ぎから天気がぐずつきはじめていて、黄昏時のはっきりしない暗さに拍車をかけていた。
 そうして、この落雷と停電だ。高等部校舎では、黄色い悲鳴があちこちで上がった。部活動やその他の理由で、まだ学園に残っていた生徒は少なくない。学園祭の準備をはじめようとしている者もいる。
「ん……おや……まいったな……」

 黄色い悲鳴を遠くにして、コンピューター室で天井を見たのは、物見鷲悟という初老の男だった。まれに大学部で哲学や形而上学の教鞭を取る立場にある。本職は教師ではなく、帝都非科学研究所という胡散臭い機関の所長であり、有料タロット占いサイトの運営者だ。
 彼は研究所のパソコンの調子が悪くなったために、ここのところ高等部のコンピューター室を利用していた。テキストは半分以上出来上がっていたのだが、この突然の停電では、ここのパソコンも調子が悪くなりそうだ。
 モニタの電源を切ろうと、物見はスイッチに手を伸ばす――。

 ばちん!

 再び、視界が真っ白に染まった。雷鳴はない。稲妻だけが、パソコンにまとわりついている。物見は驚いて、自分の手を見つめてから、もう一度天井を見上げた。ばちばちと音を立てて、蛍光灯もまた、稲妻をまとっている。
 コンセントも、床を這うコードも、びりびりと光を発していた。
 電子機器に触れるのは危険なようだ。物見は悲鳴がまだ続いていることにも気づいて、コンピュータ室を出た。
 明かりが消えた廊下を、ぱたぱた、ぺたぺたと――走り去っていく者がいた。
「……子供……?」
 その足音は、明らかに裸足の子供のもの。物見がほんの一瞬見かけた影も、確かに、小さな子供のものだった。ここは高等部だ。神聖都幼稚園は、確かに敷地内にはあるが、かなり離れている。生徒の弟か妹なのかもしれないが、確率は低い。物見は高等部や大学部によく出入りするが、校舎で園児を見かけたことはめったになかった。
 蛍光灯とコンセントは、相変わらずびりびりと帯電している。放電の様子が目に見えるほどだ。
「ふむ……」
 子供の影は、階段口に消えていったはず。物見は、階段に足を向けた。
 雨が降り出すかもしれない。


■落雷の放課後■

 恒がスマッシュを決めた直後に、停電は起きたのだった。体育館は一瞬の白光に包まれたあと、次の一瞬で薄闇に包まれていた。ピンポン玉は恒の相手のコートに入り、エッヂぎりぎりで跳ねていたが、誰もカウントをしてくれなかった。卓球部員のみならず、体育館にいた生徒全員が悲鳴を上げて屈みこんでいたからだ。
 一瞬(あくまで一瞬だ)自分が体育館全体を揺るがすほどの必殺スマッシュを決めたのかと、早津田恒が勘ぐってしまうほどのタイミングだった。彼も体勢を低くして、体育館の高い天井を見上げていた。天井の鉄骨に取り付けられた照明は、すべて消えていた。のみならず、どれもがばりっ、ばちっと小さな稲妻をまとっている。
 ――こりゃ、只事じゃなさそうだな。
 恒の勘がはたらいた。
「オイ、大丈夫か?」
「ああ、うん」
「カミナリ落ちたのかもな」
 練習はさぼりがち、授業にもあまり真面目に取り組んでいるとは言えない恒だが、こういった非常事態下での行動は早い。彼はすぐに立ち上がって、グラウンドに面した体育館出入り口まで走った。
 グリウンドではサッカー部とハンドボール部が練習をしていたようだが、すでに多くの部員が校舎や体育館に向かって走り始めていた。
 上履きのまま体育館を飛び出した恒だが、たちまちサッカー部顧問の怒号が飛んできた。
「おい、そこの! グラウンドに出るな! 中に入れ!」
「ぅわ、怒られちまったい」
 あまりに鬼気迫る声であったから、恒はそれに従った。恒とほぼ同時に体育館に飛び込んだのは、恒と同じクラスのサッカー部員だった。
「どうしたんだ? みんな慌てて」
「カミナリだよ。ガッコに特大のカミナリが落ちたんだ。みんなそれ見てたよ」
 なるほど。確かに、頭上に雷雲を掲げたままだだっ広いグラウンドに突っ立っていては危険だ。サッカー部とハンドボール部の練習は、これでお開きだろう。
 ――卓球部も、今日は終わりだよな。
 恒は、未だにぱりぱりと帯電している照明を見て、そう考えた。そう期待した、と言ったほうがいいだろうか。
 体育館の中は、ざわめきで埋まっていく。恒はラケットを持ったまま、体育館を抜け出していた。


『☆ひびきのどきわくマジックシ   』
 一向に明るくならない教室で天井を見上げ、ひびきはむうと口を尖らせた。彼女が机を押しのけ、床に新聞紙を引き、その上の模造紙にポスターカラーで描いていたものは――学園祭で使う予定の、看板だった。むろん完成したときは、『☆ひびきのどきわくマジックショー☆』になるはずなのだ。今日此れを仕上げるまでは帰らないつもりだった。ひびきは、電力が回復して明るくなるのを待っていたのだが――。
「むー。停電かあ……。カミナリ落ちたっぽかったもんなぁ……。仕方ないか。明かり出そ」
 マジシャンの修行を積む彼女には、幸運なことに、マジックにはもってこいの能力があった。彼女がやむなくその能力を使ったとしても、人々はそれをよくできたマジックだとしか認識できないだろう。霧杜ひびきが駆る能力とは、望むものを鞄や箱の中から自在に取り出すというものだった。あまり大きなものを出すことはできないが、ハトでもウサギでもコインでも、マジックでおなじみのものならば容易く取り出せる。
 作業を続けるために、彼女は鞄から懐中電灯を出した。
 しかし、そのときだ――。
 ぺたぺたぺた、と誰かが暗い廊下を走っていったのは。裸足の足音だった。
「ん……?」
 ひびきは懐中電灯の使い道を変えた。教室から顔を出し、光を廊下に走らせる。ひびきの懐中電灯が一瞬照らし出したのは、小さな子供の足だった。子供はさっと角を曲がってしまい、足音はぺたぺたと遠ざかっていく。
「子供……? なんだか、……事件の匂いがするよ!」
 ひびきは目を輝かせて、足音を追い始めた。
 足音は――逃げるように、続いている。


「あー! 落ち着くです。ええと、校務員室とか職員室に懐中電灯があるですよ」
 家庭科室は一瞬にして悲鳴のるつぼと化した。天衣も、落ち着いた言葉のわりには焼き菓子が詰まった袋を抱えておろおろしている。蛍光灯はばりばりと稲妻を飛び散らせ、コンセントにプラグを差し込んだままにしている冷蔵庫や電子レンジが、火花と煙を吹いた。幸い、電子レンジのオーヴン機能は先ほど役目を終えたところだ。クッキーは煙を上げずにすんだ。
 空気までもが、びりびりと感電しているようだった。
 明かりは消えたままで、窓から見える空も暗い。
 鈴木天衣は友人とともに、ここ家庭科室でお菓子作りを楽しんでいたところだった。天衣の料理の腕は血筋のおかげで相当なものがあり、こうしてたびたび放課後にちょっとした料理教室を開いているのだ。今日は時期が時期ということもあり、カボチャのクッキーを作っていた。クッキーは完成し、試食も終わって、持ち帰る分を包んだばかりだったのだが――。
「また、カミナリ落ちるかもです。……雨、降りそうですね」
「天衣ちゃん、後片付けも終わったし……もう帰ろ?」
「ううん、家庭科室の鍵、返しに行くです。先に帰っててもいいですよ」
「そう……暗いから、気をつけてね?」
「はいです」
 びりり、ばりり、とコンセントはまだ呟いている。菓子袋と家庭科室の鍵を持ち、天衣は廊下に出た。
 蛍光灯の光はなく、ただ時折唸りを上げて走る電流の輝きだけが、明るかった。
「へんです……カミナリが落ちただけで、こんなふうになるのは……おかしいです」
 きゅっと唇を結ぶと、天衣はとてとてと少し危なっかしい足取りで走り出した。


 そして、コンピュータ室前で。
 彼女は、コンピュータ室のドアを開けるところだった。
 物見鷲悟が高等部のコンピュータ室にいるという情報を掴んだ風見真希が、どういうわけか童謡『かたつむり』を口ずさみながら、スコーンが詰まった紙袋を振り回し、物見
尋ねてきたのである。
 ばしん、と彼女の世界は真っ白に染まった。
 ずどん、と彼女の世界は轟音で揺れる。
 ごろごろとした余韻が残る中、コンセントと蛍光灯はばちばちと呻く。高等部校舎のあちこちから、悲鳴やざわめきが起こり始めた。
 物見鷲悟がコンピュータ室から出て、子供の影を見たとき――その場には、風見真希もいた。
「……何あれ」
 きょとん、と立ち尽くす真希にまったく気づかない様子で、物見はすたすたと階段口に向かっていった。
「あ、ちょっと、しゅーちゃん! シカトしないでよー」
「ん? おや。風見君」
 真希が口を尖らせて抗議したとき、初めて物見は振り向いて、真希の存在を見止めたのだった。
「すまない、つい興奮してしまって。気づかなかったよ」
「興奮って……そんなふうに見えないけど。あ、これ。紅茶のお供にどーぞ」
「なんだね、いきなり」
「いやスコーンだってば、スコーン。匂いでわかるでしょ、しゅーちゃんてばスコーンフェチなんだから」
「……風見君。私は賄賂にもテロにも屈しない。先日の形而上学のレポートだが、あれはどこをどう読んでもアリストテレスの第一原理については書かれていなかった。書いてあったのは『おいしいカレーの作り方』だ。私はカレーの作り方ではなく第一原理の矛盾率を」
「あー、わー、待った! いやそのね、違うってば。ほら、しゅーちゃんスコーンフェチじゃん? 真希さん親切だからそんな、賄賂だなんていうつもりで差し上げたわけじゃ」
「そうか。ただの贈り物か。ありがとう。いただくよ」
「ちっ」
「……スコーンはさて置き、風見君。どうやら何か起きているようだ」
「ん、そだね。……しゅーちゃん。雷様ってさ、ほんとに虎縞のぱんつ履いてると思う?」
 物見は黙って、大学部での教え子を見下ろす。
 そして、ふうっ、とちいさく笑ったのだ。
「確かめに行くとしよう」


■ヘソヲカクセ■


 職員室へ向かおうと、階段口に向かった天衣。
 階下へ行こうと、階段を降りた物見と真希。
 稲妻を追って突っ走っていた恒は、階段口で、懐中電灯を手にうろうろしていたひびきと激突した。

 ごろごろ……ゴロゴロと、空は未だに唸っている。

「ガキを見たって?」
 誰もがこの落雷騒ぎになにか非科学的なものを感じていることを聞かされて、恒は咬みつくように問い返した。彼は、なにか異質な気配こそ感じ始めてはいたものの、まだ子供の影や足音には直面していなかった。
「こいつじゃねぇの?」
 びし、と恒は一行の中で最も年下で、若干童顔とも言える天衣をびしと指さした。むう、と天衣は頬を膨らませる。
「失礼です。私は15歳になってるです。裸足で走ってもいないですしー」
「天衣さんはね、大人だよー。料理もお掃除も完璧に出来るんだから」
「ああ、そうすか。すんませんした」
 ひびきのフォローも入ったために、恒は素直に謝ることにした。
 すこし頭を下げた途端に、ぎゅぎゅう、ごろごろと恒の腹の虫が鳴く。いや、吼えていた。雷鳴のような見事な咆哮だ。
「あれ、先輩、おなか減ってるですか?」
「うう……そういや、部活やってたんだった……」
「ああ、ちょうどいい。早津田君、ここにスコーンが――」
「それはしゅーちゃんにあげたの!」
「食べものならいくらでもあるよ! カツ丼出したげようか?」
 ごろごろごろ……。
 空腹と食べものの話で盛り上がっているところで、また、そんな音がした。また盛大に鳴ってるな、と女性陣が苦笑いをする。しかし――恒は、驚いた顔で、かぶりを振った。
「いまのは、俺じゃないぞ……?」
 ごろ、ごろごろごろ……。
 彼方の車道を、6tトラックが通っているような。
 彼方のグラウンドで、誰かがドラム缶を転がしているような。
 それは、雷鳴だった。本来なら空の上で起きているはずのその音は、間違いなく――校舎の中で、起きている。
 ばりり、ばりっ、と蛍光灯もコンセントも唸って――
「あ、」
 誰が最初に、声を上げたか。
 廊下の曲がり角から、そうっと顔を出している子供が、一行の様子をじっとうかがっていたようだった。ようだった、というのは、5人の視線が集まった途端、子供はさっと身をひるがえして、走り去ってしまったからだ。ぺたぺたぺた、という足音が響いていた。
「おい! 待て!」
「先輩、ダメですよ! そんな怖い声で怒鳴ったらびっくりするです!」
「う、でもよ!」
「行こう! また見失っちゃうよ!」
 懐中電灯を持ったひびきが、真っ先に走り出した。曲がり角を曲がってしまった、廊下の向こう側の子供に、声をかけながら。
「待って! きみは、誰?! 大丈夫、なんにもしないから……!」
 しかし、ばたばたと5人が曲がり角を曲がったとき、
 世界はまたもや、眩しく強い光に包まれた。金属が焼ける臭いと、落雷が伴う轟音が響きわたった。
「おっ、と」
「わ!」
「どわぁっ」
「きゃー!」
「いたた!」
 衝撃と学生たちの間にさっと割り込んだのは、物見だった。物見の長躯が吹き飛び、彼の後ろの学生4人もろとも、団子のように転がって、壁に叩きつけられていた。
「いってェな先生! なんだよいきなり!」
「しゅーちゃん、大丈夫?」
「ああ。私は怪我とは無縁の人生でね。きみたちは平気かな?」
 さすかにずれ落ちた眼鏡をかけ直す物見からは、ぱりぱりと稲妻の残党が枝を伸ばしていた。
「いまのは、落雷だな。とりあえず私の身体で無効化できたようだが」
「なにその絶縁『体』」
「落雷? 学校の中でですか?」
 5人が廊下に座りこんでいる間にも、ぺたぺたぺた、と足音は遠ざかっていく。
 逃げていく。
「……遊んでる、って感じじゃねぇっぽいな」
 足音に耳を傾けていた恒が、卓球ラケットをくるくると弄びながら呟いた。天衣もひびきも真希も、恒の言葉を聞きながら、足音が行く方向を見つめている。
「怖がってるんだ……」


 落雷のエネルギーは10億ボルトといわれている。
 授業で小耳に挟んだその話を、ひびきはよく覚えていた。
 何億ボルトだろうが何兆ボルトだろうが、彼ら4人は、物見が盾になれば落雷に打たれずにすむ(非人道的なあての仕方だが、物見本人は盾に使われることをまったく拒まなかった)。
 けれども、校舎にはまだ生徒も教師も残っているのだ。あの子供を見かけた人間が、さきのような雷を受けたら……?
 向こうがどういう事情で、一体なにをしているつもりなのかもわからないが、このまま野放しにしておくのは人間にとって危険だ――。そう結論が出るのに、さして時間はかからなかった。


■ヘソヲダセ■


「はあーい! かみなりおこしだよー!」
「おヘソもあるですよー!」
「でんでん太鼓も出るよー! どんどん出るよー!」
「おヘソですよー!」
「よほほほー! たーのしいよー!」
「どーんどーんどーん! どどんがどーん!」
 まるで酔っ払いのようなテンションで、ひびきと天衣が騒ぎ立てる。ふたりともぺろっと制服をまくってヘソを出していたし、かみなりおこしと太鼓をばらまいているわけで、傍から見守っている恒は唖然とするしかなかった。
「なんだあの某大サーカスなテンション」
「ヘソ出して騒げばいいならあたしも頑張っちゃおーかなー」
「きみはここにいたまえ。話がややこしくなるかもしれない」
「しゅーちゃんそれどおいう……」
「しっ!」
 恒が、真希の抗議をさえぎった。
 トイレの手洗い場の陰から、そうっ、と子供が顔を出したのだ。
 ヘソを取りに来る、という伝承を持つ雷とは、まったく異なる一見をしていた。虎縞の腰巻もしていないし、太鼓を背負ってもいない。頭に角などない。髪も、一本も生えていない。
 ただ、それが『雷』だということはなんとなく想像がついた。
 銀とも白ともつかない瞳は、ぴかぴかと眩しい。見つめていれば目がくらんで、まぶたの裏に残像が焼きつくほどだ。
 そうっ、と子供は影から出てきた。だまって、ただじっと、ヘソを出したまま呆気に取られる天衣とひびきの様子をうかがっている。
 子供は、銀色の――芸人御用達の全身タイツに似たものを着ている、ように見えた。肌にぴったりとした、きらきらと光を放つ、……それはよく見れば、全身タイツと言うより、宇宙服だった。靴にあたるものはなにも履いていないのか、かれが歩けば、ぺたぺたと音がした。
 子供の様子を固唾を呑んで見守っているのは、天衣とひびきだけではなかった。曲がり角からそっと顔を出して、真希も恒も物見も、銀色の子供を見ていた。
「え、あれって……宇宙人……?」
「いや……どうかな。銀色の光に包まれ、空からやってくるヒトに似たものは……神や天使というかたちで、世界各地の伝承にある」
「なんか、すげーな。すげーパリパリする。わ、ほら、腕毛立ってるし」
 空気は、細かな電気を帯びていた。少しだけ不愉快な静電気は、皮膚を撫ぜて、埃を焼いている。
 子供は稲妻色の目を泳がせて、じっと――天衣とひびきを見つめていた。子供の顔立ちは、よく宇宙人の代名詞として伝えられているリトルグレイのものとは違う。地球人の顔立ちだった。ただ、トップモデルもかくやという端正さで、髪もないものだから、完全なる左右対称な目鼻立ちに見える。
 どこか機械的だ。
 けれど、まるで彫刻だ。
 大理石の天使像や神像の、モデルをつとめていたのではないか――。
 天衣とひびきは、ぱっと微笑んだ。
「きみはどこから来たのかなっ?」
「私は天衣といいますです。こちらはひびきさんです。お名前、聞かせてくれますか?」
 これで、ふたりの少女に敵意も悪意もないことが、子供に伝わったのだろうか。
 子供は口を開いたが、漏れてきたのは雷鳴によく似た音だけだった。
 けれども、かれの言っていることは、その場にいた全員が理解できたのである。テレパシーとは少し違う。音が――意味を持って転がっていたようだった。
(ごめんなさい。そらからおちちゃったんだ。パパのまねしてたら、おっこちちゃった。ごめんなさい。ぼく、その……びっくりしちゃって)
 ごろごろ、ごろごろ。
 どこか遠くで鳴っている太鼓の音。
 かれは、『雷』だ。


■ハゴイタ■


 空の上から、かれらはいつでも人間たちを見下ろしているのだそうだ。悪気もないし、悪意もない。見下ろしているうちに、好奇心も薄らいでいく。人間たちにとって、雷が当たり前に存在しているものであるように、かれらにとって人間たちも、自然の一部にすぎないのだそうだ。
 ただかれは、まだ子供だったから、好奇心を持っていた。
 たまたまこの日に見下ろしたのは、神聖都学園で――薄暗い夕暮れどきに、ちょこまかと楽しそうに走り回っているさまが、見ていて面白かったのだという。
 神聖都学園は、部活動も盛んだし、もうじき学園祭もはじまる。いつもよりも活気付いていたから、この子の関心を引いたのだ。
 子供はかみなりおこしもクッキーもスコーンも食べなかったが、やけにおいしそうに水だけは飲んだ。
「で、帰り道はわかるの? こっち居ても、不便なことばっかだと思うなあ」
(おっこちたら、パパとママがさがしにきてくれるはずなんだけど)
「あ。じゃ、こんな建物の中にいたら困るんじゃない? 空から見下ろしてるだけなんでしょ」
「カミナリくんはちょっと探検したかったんだもんね? ちょっとくらいなら下の世界のことを見てまわってもいいと思うな! ひびきは!」
「ビックリしてもカミナリ落とさないでくれよ。気がすんだら、屋上に連れてってやろうぜ」
(ん、ぼく、もういいよ。みんなぼくがこわいみたいだから)
 ざわめきと悲鳴はさすがにもう止んでいるが、かれは生徒たちの怯えた表情や、空を見上げて上げた悲鳴を、目の当たりにしている。おまけにはじめのうち、5人が追いかけてきたのは、恐怖のあまり自分をやっつけようとしているのではないか、と思ったらしいのだ。
電気の塊があちこちを駆けずり回ったせいで、校舎内の電子機器は軒並み異常をきたしている。古いものは買い替えなくてはならないだろう。
 ここでは、雷は、慣れ親しまれているものではない。降りかかる火の粉であり、天災であり、神の怒りだ。
「……そんなことないですよ。こうやってお話もできるです。遊んで仲良くなることだってできるはずです」
「そうだよ。ひびき、お空の上の話聞きたいな! どんなことして遊んでるの?」
「まー、人間ってさ、言葉がまともに通じるやつが相手だったら安心するんだよねー。だから気にしない気にしない。少なくともあたしは気にしなーい」
「俺たちと遊んだり話したりするやつって、珍しいんだろ。空に帰ったら自慢しろよ」
 静電気を帯びた不愉快な空気の中であるはずなのに、学生たちはみんな、からからと笑った。子供に触ることは出来なかったけれど、心の中では手を繋いで、かれらは屋上に向かっていく。
 散らばったかみなりおこしとでんでん太鼓が、そのままだ。その光景を少しだけ気にしてから、物見も学生と雷のあとについていった。

 空の上では、小さな電気のボールを使って遊ぶのが主流らしい。かれらは素手でトスをしたり受け止めたり出来るわけだが、ばりばりと放電している雷ボールは、一体何万ボルトで出来ているのか見当もつかなかった。曇天の下で、子供は呼吸をするかのように容易くボールを作り出して見せたが、学生たちは容易に手を出せなかった。
「あ、でも! ほら!」
「おい、なにすんだ! ケツ触んなよ!」
 真希が、恒の腰にさっと手を伸ばした。恒の抗議には屈さず、真希が手にしたものはといえば、それは卓球ラケットだった。恒が腰のベルトにさして持ち歩いていたものだ。
「これこれ。ゴムついてるし、基本木製だし。これとさ、天衣ちゃん持ってるゴム手。それ使えばラリーできんじゃない?」
「あ、人数分のラケットとゴム手、すぐ出せるよ! ひびきにまかせて!」
「もちろん物見先生も参加するですよ」
「いや、私は立ち回りは苦手で……」
「ほらほら、そう言わずにー。生徒との交流も大切だよ、しゅーちゃん」

 卓球ラケットが、ピンポン玉ほどの大きさの雷を、ぱんと返す。
 雷は、ぱちっと床を跳ねる。
 ボールに重みはなかったが、打ち返せば、小さな落雷のような小気味よい音がした。
 子供が笑うと、ころころとでんでん太鼓の音がした。
 目を細めなければ、向かい側に立つ仲間の表情も見えない薄闇で、雷のボールと、雷の子供だけはぱりぱりと眩しかった。空は相変わらず重苦しい。空気が次第に、湿気を帯びてきていた。
 雨が降り出すかもしれない。
 ごろごろと、頭上で音がした。


■ホームルーム■

(パパだ)
 子供が、空を見た。
 ごろごろごろ、と音はよりいっそう近くなる。
(パパ、みつけてくれたみたい)
「お、よかったな! やっぱ屋上に出てて正解だった」
「ということは、パパさんがここに迎えに来るってこと?」
(うん、そう)
「……ということは、危ないね。しゅーちゃんの盾だけじゃ防げないかあ」
 小さく小さく、天衣がため息をついた。
「お別れですね、カミナリさん」
「また来てくれるよね? ひびきはいつでも歓迎だよっ! マジックも見せたげる! もうすぐで学園祭あるんだけど、きっと楽しいよ」
 学生たちはにこにこと子供に笑いかけて、また来い、と誘った。
 けれど子供は、ちょっと笑っただけだ。……返事を、しなかった。
(ありがとう。ぼく、みんなにじまんするよ。にんげんとおはなしして、あそんだって。ごめんね、おどかして。
……パパ、くるよ)
(あと30秒で私はそちらに向かう。30秒だ)
 がらがらがらっ、と灰色の雲に稲妻が走った。
 声は、空から、降ってきた――。

 5人は屋上から校舎内に入り、コンセントから離れて座り込むと、耳を押さえた。目を閉じた。
 そうするしかなかった。
 あの子供が返事をしなかった理由が、そのときにわかった。
 かれらは人間にとって、脅威でしかない。人間が操れる電気は、ほんの些細なレベルのものだ。かれらと人間は、一緒に手を取り合って、遊んで、お菓子を食べることも出来ない。
 旅行先で仲良くなった小さな子供よりも、距離がある存在だった。

 かれは、もう、降りては来ない。

 ずどん、と校舎が揺れた。
 振動で割れた窓もあるようだった。
 ばりり、とコンセントと蛍光灯は激しく稲妻を吐き出したが、それも一瞬でおさまった。
 落雷は、あの天の声から、ちょうど30秒後に起きていた――。
 雨が、降り始めた。


「思うんだけどよ、落ちてくる雷って、ほとんど子供なんじゃねぇかな?」
 傘を持ってきていなかった恒は、窓の外の様子を見ていた。彼のふとした呟きに、先ほど散らかした廊下を片付ける天衣たちが振り向く。
「さっきのあいつみたいに、うっかり落ちたやつもいればさ……俺たちと遊びたくて降りてきたやつもいるんじゃねぇかな。だからみんな、悪気はねぇんだ。きっとそうだ」
 世界中で、落雷による事故は起きている。人も死に、電子機器も壊れて、雷を憎み、恐れる者が大勢いる。
 降りてきた雷の子供たちは、自分たちが殺したり壊したりすることになるとは、きっと思っていないのだ。だから、なにも悪くない。
 自然はなにも、悪いことをしていない。
「人間が悪いものかいいものかって決めるのって、すっごく都合がよすぎるんだろね。地球はあたしたちのために回ってるんじゃないんだしさ」
「かれは言っていたな。我々がいるのは、なにも不思議なことではないと」
 稲妻を眺めて、真希の言葉を物見が受けた。
「風見君、今回の件をレポートにまとめてくれたら、形而上学のレポートは免除しよう」
「え、ホント?! ラッキー! カミナリ様々だね!」
「あ、ひびき、今日中に看板仕上げなくちゃいけなかったんだ! どうしよう」
「私、お手伝いするですよ、先輩! ……きっと早津田先輩も手伝ってくれるです!」
「なんで俺が?!」
「どうせ傘持ってきてないんだから雨止むまで帰れないんじゃん。あたしもそうなんだけどさー。あたしもしゅーちゃんも手伝うから、すぐ終わるって! ……で、看板って、なんの?」
 きゃいきゃいと、未だに暗い校舎の中を、女子生徒たちが先に歩いていく。ごろごろと雷鳴に似た音を上げる腹を抱えて、恒が、仕方ねぇかとあとに続いた。
「早津田君。スコーンでも食べるかね」
「ええ? スコーンって……あの味ないやつでしょ?」
「ここにクローテッドクリームというものがある。これはスコーンにつけると格別な美味さを――」
「常時持ってるのかよ!」

 雨がやみ、すっかり夜の帳が下りる頃まで、ひびきの教室に、カンテラと懐中電灯の明かりがあった。
 稲妻は見ていただろうか。
 曇った夜空を見上げながら、作業を終えて帰っていく5人の姿を。




〈了〉

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2753/鈴木・天衣/女/15/高校生】
【3022/霧杜・ひびき/女/17/高校生】
【3995/風見・真希/女/23/大学生・稀に闇狩り】
【5422/早津田・恒/男/18/高校生】

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               ライター通信
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 どうも、モロクっちです。『雨の迷子』をお届けします。雨が降る前に事件が解決したので、タイトルにちょっとだけ偽りあり……。
 しかし、さすが神聖都学園での依頼! PCさん全員が学生! 東京怪談ではもう当たり前の3ケタの年齢のPCさん(笑)も居られませんし、新鮮でした。内容も、ちょっと青春の1ページという感じでまとめさせていただきました。
 プレイングで雷様予想をしていただいた方、正解です。
 某ブー氏のような出で立ちにしようかどうか、随分迷いました(笑)。

 それでは、学園生活を楽しんでいただけたなら幸いです。
 また、機会があればよろしくお願いします。