コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


[ タケヒコ狩り(後編) ]


 此処数日、武彦は何かがおかしいと思っていた。勿論自分の頭痛のこともそうであるし、このタケヒコ狩り騒ぎもそうだ。ただ、眩しいほどの朝日が差し込む月刊アトラス編集部の一室、そのソファーで寝転がっていると、不意にそれを思い出す。
「そう言えば……零は、何処行ったんだ?」
 依然痛む頭で考え出せば出すほど答えは出ず。もう考えることを投げ出してしまおうと思ったとき、唐突にドアを開き駆け込んできた三下忠雄に、眠る思考が停止した。
「く、くくっく…草間さん!」
 頭に響くその声が煩いなと思いながら、忠雄が手に持った封筒を開け、どうやらその中身を読み上げ始めたので大人しく聞く事にした。どうやら内容は武彦宛の手紙だ。
「『草間武彦殿。妹さんは預かりました。返して欲しければ何をするべきか、分かるわね?期日は三日。それ以上掛かったら妹も貴方も、コソコソ嗅ぎ回っている人間の命も、この先のタケヒコ達の命すらなくしてあげる。』って! これはど、どうど…うすれば!? しかも数日前に投函されていたらしくて期限が明日なんですよ!! あ、と、少し覗いてきた事務所が凄い有様だったんですけどぉ……」
 コレ自体は興信所のポストにひっそりと突っ込まれていたらしい。手紙に気づかなければ有無を言わさず皆を狩って行くつもりだったのだのか……そして手紙の最後にはどういう意図か、携帯電話の番号が書かれていた。恐らく、彼女のものだろう。
「――……よこせ」
 武彦は忠雄の手の中からその手紙を奪い取ると、痛む頭を左右に振りながらも身を起こす。
「ここまで言われて俺一人、寝てるわけにもいかないからな……ったく、会議室借りるぞ」
「は、はひっ! い、今一応許可とってきますっ」


    □□□


 時刻は午後二時過ぎ。
 草間興信所や月刊アトラス編集部での出来事、その後そこで行われている作戦会議という名の集まりなど、何も知らない一人の男が此処にいる。
 賑やかな街の雑踏に紛れる彼は今、のんびりと喫茶店をウインドウ越しに眺めていた。
「――――ん」
 しかしそのウインドウ越しに見慣れた姿を見つけ思わず振り返る。
「兄貴?」
 こんな場所で? と思わず思うような兄――人造六面王・羅火との遭遇。
「しろ、ぬしにちと話があっての……その、いいかの?」
「なに? えっと、もしなんなら場所移そうか?」
 ただ、偶然の出会いかと思えばそうでもないらしく。その表情からもなんとなく何か理由が有る気がし。「しろ」と呼ばれた彼、二階堂裏社は、絶え間なく流れる人の波を決して器用とはいえないが避けながら羅火にそう言った。
「だと有り難いの。あまり人に聞かれるのも良くない話じゃからの」
「わかった、じゃあこっちがいいかな」
 言うなり裏社は歩き出す。この世界に観光に来て、徐々にこの街にも詳しくなり始めている。裏社の案内で、二人が人のいない場所に着くまでに、そう時間はかからなかった。

「今すぐ、という話ではないんじゃが。ぬしに連れて来て欲しい男がおる」
「わざわざ俺に? 兄貴じゃだめなの? それに今すぐじゃないって……」
 人気のない公園に着いてすぐ、羅火は裏社に切り出す。それに対し裏社は次々と疑問をぶつけるが、羅火はそれに対したった一言の返事をした。
「ぬしが適任じゃと思っての、引き受けてはくれんか?」
「兄貴が言うなら、うん。いいよ」
 そう言い裏社は笑みを浮かべ、そんな弟を前に、羅火も厳しかった表情を少しだけ綻ばせる。
「うむ、頼りにしとる」
 本当のところ、適任という理由であれ何であれ、こうして兄に頼られることが裏社には嬉しかったりもした。同時に、きっとこの頼みを正確に完璧にやり遂げようとも心に誓う。
「名は鏡威彦、半年前に死んでおるらしい。そやつの死んだ場所は今探させておるから、それが分かり次第ぬしに動いてもらうことになるじゃろう」
「ということは、その鏡威彦を連れて来ればいんだね? その場所に居たら、丸呑みにして持ってくるよ」
「……それで大丈夫なんじゃろうな?」
 さらりと言ってみせた裏社の言葉に、羅火が微かに苦笑するが、弟は「大丈夫だよ」と笑いながら言った。
「この前に歌舞伎町で大物食べたから、人間一人くらい消さずに持ってくることくらい出来るって。あ、でももし居なかったら……この世界のそっち方面の管理者に話しつけて少し借りてくるから、少し回り道になるかも?」
 少しの間の後、羅火は「分かった」と頷き、何か聞きたい事があれば応えられる範囲で答えるとも言う。
 その言葉に、裏社は事件の全貌を教えてもらうことにした。どうして『鏡威彦』と言う死人が必要なのか。それが分からなければ、もしかしたらすぐに連れて来れないかもしれない。事情を話せば纏まらない物も纏まるかもしれない。
「……ようそこまで頭が回ったの」
「へへへ……って――もしかして俺、馬鹿にされてない?」
「ぬしはそんな性格じゃからのう……」
 少し照れくさそうに言った後、羅火の顔を覗き込んだ裏社に、兄はそっと目を逸らし『タケヒコ狩り』について、掻い摘んだ形にはなるがとっとと弟に話すことにした。

 タケヒコと名のつく者達が襲われたり殺されたり。その被害は草間武彦にも及び、先日犯人と遭遇したこと。その犯人は既に死亡している――とはいえ、犯人がそれを知っているか否かは不明――鏡威彦を探しており、明日の正午までに犯人に会わせなければ、武彦は勿論今回調査に当たっている者の命を消しにくるらしい。
「まぁ、こんなもんかの」
 そこで羅火は言葉を切り、逸らしていた目を裏社へと向ければ、それまで神妙な態度だった筈の弟は珍しく少し顔を引き攣らせ兄を見ていた。
「え、兄貴まで……ターゲットに?」
「わしはあんな輩如きでやられん」
 一度逃がしてしまったとは言え、やられるような強さを持った者ではなかったと羅火は言う。しかし、裏社の言葉はそんな心配を含んでいた物ではない。その内心は、人間がターゲットに兄を選んでいる……そのことが酷く癇に障ったというものだ。ただ、裏社は何か言うわけでもなくそっとかぶりを振る。
「――うん、兄貴なら大丈夫だろうね。でもさ、その男ってその女が願ったから『殺されて、死んだ』って思うんだ」
「わしも似たような考えじゃ。じゃが、他の考え方もあるみたいでのう。一概にそうとも言い切れん」
「そうなんだ? なんにしろ、二人を会わせたら一波乱起きそうだけど……」
 一瞬考え込んだ裏社に、羅火も同意する。
「犯人の女が特に危険じゃろうな。男の方は情報が無いからなんとも言えんがの」
「もしそうしたらさ? 一波乱起きちゃったらどっちも食って、いいよね?」
 その言葉を受け、羅火はただ頷いた。その反応に、裏社は少し嬉しそうに笑って見せた。
「では、場所が分かり次第むしに連絡を入れるから、その時は頼むの」
「わかってるって。楽しみに待ってるよ、兄貴からの連絡」
 そう言い羅火は裏社に背を向けた。弟は弟で、そんな兄の背中にニコニコと手を振った。どうせ又すぐ、今日か明日には会えるだろうに。

 裏社はその後近くのベンチに腰を下ろし、この東京の空をぼんやりと仰ぐ。
 少し曇っても見えるが、雨が降る気配もないし特別寒いわけでもない。ただ、なんとなく嫌な予感というべきか。そんなものを薄々感じていた。
 秋風に乗っていく木の葉をたまに手にとっては、又風に乗せるよう空へと放つ。何の意味も無い、ただの暇つぶし。
 さっき覗いていた喫茶店が不意に脳裏を過ぎった。
「……コーヒーが、飲みたいなぁ」
 ポツリ呟き、かぶりを振った。何時羅火から連絡が入るか分からない。場所の移動は良いとしても、もしコーヒーを頼んですぐ羅火から連絡が来たら――優先させるのはコーヒーより兄だ。だから今は黙って、ただひたすら羅火からの連絡を待った。
 そうやって空を仰いだまま数十分。不意に裏社の視線は上から正面へと下りた。
「……見られて、る?」
 確かな視線を感じ。だからといって辺りを見回すでもなく、ただ気配を探った。
「――――ちょっと面倒、かな……でも兄貴から連絡来る前にある程度は片付けようかな? 丁度暇つぶしにもなるし」
 一働きの前に適度な腹ごしらえも悪くは無いと思う。数も恐らく十と居ない。女が何処で知ったのか、裏社に適当な数をとりあえず寄越してきたのだろう。しかしこんな物では危険とも思えないし、寧ろ闇と狂気を司る裏社にとっては最高の相手だった。食事、と言う意味でも、闘いやすい相手という意味でも。
「えっと、やっぱり犯人の女は居ない?」
 犯人の女、その姿は知らないし羅火から聞いてもいなかったが、どう考えても気配から生きた人間は居ない。
 それは元々人気の無い場所ではあるが、無関係の誰かを巻き込むことも無いということだ。彼に、その考えが有るか否かは別の話になってしまうのだが。
 ゆっくりとベンチから立ち上がると、裏社はようやくその者達が居る方へと向き直り。
「よいしょっと。そこの、掛かって――」
 戦闘宣言をしようとしたそこで、聞き覚えのある音に思わず喋る事を止めた。
『――――』
 響く音はメール着信音。しかも、それは裏社にとって特別ともいえる、羅火専用音。
「兄貴、場所分かったのかな……」
 最早死霊そっちのけで裏社はメールを開封した。が、どうも誰かからのメールが転送されてきただけらしいそれに羅火の言葉は一言も無く、正直裏社はがっかりする。
「でも、此処に行って鏡威彦って連れてくれば!」
 携帯電話をジッと覗き込んでいた顔を上げ、裏社は走り出す。最早、真後ろに居た死霊達等気にすることも無く。
 死霊も最初の内は裏社の後を追い続けたが、やがてフツリとその姿を消した。


 羅火から指定された、と言うか実際のところシュラインのメールで知らされたのは東京都心にある高層マンションの一室。半年前まで鏡が住んでおり、彼が死んだ今は空室らしい。地上から見上げれば最上階は小さく、果てしなくも思える。
 地上四十九階建て。地下も有るらしいが、こんなマンションの三十階に鏡の部屋はある。なんとも中途半端な場所だ。
「ええと、3001号室だから……この辺りかな」
 マンションの隅、部屋の場所を大体で定めると裏社は、一応辺りを見渡し一旦近くの木陰に隠れる。
 次に彼が木陰から出てきたとき、大きくがっしりとした体は黒い狼の姿へと変化していた。そしてそのまま、先ほど狙いを定めた部屋を見上げると、マンションの壁を勢い良く駆け登る。
 裏社の頭には最初から、通常使うべきマンションの入り口も、その先にある管理事務所やオートロック、エレベーターの存在など全く無く。
 黒狼姿のままタンッと足軽に、壁から目指していたベランダへと飛び移った。案の定、カーテンも無いこの部屋には、目立った家具も無く、部屋全体が白い。ただ、此処が3001号室だという絶対的な確証は無いのだが。
 裏社は面倒ながら一旦再び人の姿に戻ると、特に悪気も無く目の前のガラスの一部分をパリンと拳で軽く突き破り鍵を開け、平然と中へ進入した。
 室内は一人暮らしにしては異様に広すぎるのではと思える4LDK。ただ日当たりが良いせいか、どの部屋に入っても明るく、見落とすものは何もなさそうだった。
「鏡…鏡。居ない?」
 幾つかの部屋を開け閉めし、トイレ・バスまで覗き込み。それでも誰の、何の気配も感じない。
「こっちじゃないって事は、他の場所でフラフラしてるか、やっぱり管理者の所かな」
 少しめんどくさげに、裏社は最後のドアを開いた。
 そこはなんとなく間取りから見ても寝室になっていたように思える。正面の窓からは午後の日差しが差し込み、そこに立ち尽くす一人の男に目が留まった。この部屋の中でポツリ、天井を見上げていた男は、やがてゆっくりと裏社を見る。整った顔の、いかにも芸能人と言ったところだろうか。身長も高い方ではあるが、裏社より十五センチ程は低い。
「――だれ?」
「二階堂、と言います。鏡威彦、さんですね?」
「僕の姿も声も分かるのか……良かった。ええ、僕が鏡ですよ」
 裏社が名乗ると、男はほっとした様子で裏社の方を見て微笑んだ。彼が背にしている窓からの陽が、彼をすり抜け裏社の足元まで届く。確かに彼、鏡はもう死んでいる。
「僕のマネージャーも母も親戚も、僕の声はおろか、姿さえ見つけてくれなかったから。ずっとこのままかと思ってました」
 苦笑した彼に、裏社は早速本題を告げた。
「あの、一緒に来て欲しいところがあるんですけど。と言うか会わせたいヒトが」
「……縁の、事でしょう?」
「ゆか、り?」
 唐突に出された単語に思わず聞き返す。
「縁はずっと、『タケヒコ』と名の付く者に危害を与えてる。多分それは、僕のせいでしかない」
 それが犯人の女であると、裏社の頭の中で結びつくまでには少しの時間が必要だった。ただ、そうまで言うならばと、同行を願う。
「ならば責任を取ると言うか、その人と直接話すべく、一緒に来てくれますね?」
「勿論その為に僕は此処で待っていたのだから。でも僕からも一つ、いいでしょうか? 寧ろ、コレを聞いてもらえないと僕が行っても何の解決にもなりません」
 そう言われてしまえばそれに従うしかない。余程無茶な事でなければ…と裏社は了承し、鏡は要件を告げた。
「僕を長野の実家まで、連れて行って欲しいのです。僕の荷物の大抵はあっちに送られてしまった。縁に渡すはずだった物も、全部。実家は、大きな湖の近くに……」
 渡すはずだった物、その言葉に裏社は首を傾げる。
「正直それらがあっても、今の縁を止めてあげられることが出来るかは分からない。けれど、出来る限りのことは……そしてなんとか彼女を食い止めようと思います。彼女を一人にしてしまった、僕はその責任を取らなくちゃいけないし」
「分かりました。ただ、一度兄達――えっと、合流したい人達が居るので、それからで大丈夫ですか?」
 鏡は連れて行ってもらえるならば、と嬉しそうに頷いた。
「所で俺、兄から少し聞いて思ってたんですが、思うにその縁って人に願われて死んだんじゃないんですか?」
「――――っ、面白いことを言う人ですね」
 裏社の真面目な言葉に、鏡は笑い答え、一つ咳払いをすると元の大人しく穏やかな彼へと戻る。
「僕はね、病気で死んだんですよ。それも発症はもう随分昔のことでした。ただ、最近になって悪化しただけです」
「病気……それだってもしかしたら最終的には女の力が加わって――」
「それだけは、僕には考えられないんです。そもそも、もしそれが僕も知らない事実だとしてもそうでなくても、僕にはそんなことはどうでもいい。彼女がこういった形で怒るのも無理は無いと思うので」
 あくまでも彼女は悪くなく。悪いのは自分だと鏡は言う。
「彼女は多分、健気にも約束の五年を待っていてくれたんです。どんな形であれ、あの日した約束を――五年経ったら、僕は縁を迎えに行く約束を。そして結婚する、と。けれど僕が床に就いている間に約束の日は過ぎ、その日からもう一年以上、彼女は……僕に裏切られたと思っているのでしょうね」
 しかし、裏社が思うにその知らせが彼女に伝えられてもおかしく無い状況だとは思う。鏡がそれを拒んだのか、何か他の理由があったのか。
「ただ、僕が会いに行けば良かったんです。ただあの日あの時、悲しむだけではなく彼女の元へ行けばよかったんです」
 ポツリポツリ話す鏡の言葉は、一つ一つがどうしても繋がらない。過去の話と今の話が入り混じり、何処が今の話なのか、だんだんあやふやにも思えるほど。
「でもこういった形で怒るって、普通のヒトですよね? それに、会いに行けば良かったっていうのは? 本来ならば女の方から会いに来るべきでは……」
 やはり裏社には今一事態が呑み込めない。恐らく目の前の鏡は何もかもを知っているというのに。女が暴走した理由や、自分が犯した過ち。
「彼女ね、確かに誰から見ても特別でもなんでもないただの人ですが、無自覚に生まれつき憑かれやすい体質なんです。本当は優しい子なのに、小さい頃はいつも憑かれて利用されていた」
 小さい頃、恐らく幼馴染という関係でもあったのかもしれない。少しだけ懐かしむような表情は、喜びと悲しみが同居するようなものだ。
「ただ今回は少し違う。彼女が……憑いてる。無自覚に憑いて、今度は利用している。僕の、最も身近だった人に。つまり今あなた達を襲っているのは、本当のところ縁であって縁でない。ただ、その体を乗っ取られているただの人に過ぎないのです。だから、あの人は傷つけてはいけない。僕はこれを、自分が死んで初めて知りました。もっと早くに、知れれば良かったのに」
「‥憑いて、る?」
 多分、今この場で最も相応しく無い言葉が出てきた。憑かれている、ならばまだしも。
「それは――」
「彼女、縁ははもう、死んでいるんですよ。僕よりも早くに、です。しかし彼女自身はそれに気づかぬままとは言え、僕を待ってくれていた。だから僕だって死んでも、いや‥死んだからこそ彼女に応えなければならないと思うのです」
「…死んで」
 多くの言葉は出なかった。今回の事件は……死人である女が別の誰かに取り憑き、その女の意思だけが起こしているものらしい。つまりどう考えても、とっくに死んでいる女に鏡の死を伝えられるはずも無かったと言うことだ。そして現状を知っているのはきっと死んだ後の鏡だけなのだから。それだけは、今ようやく理解できた。
「分かりました。一先ずこれから先どうするのかは兄達にも相談してみますので」
 そう言い裏社は羅火に電話する。内容は勿論鏡を連れてそっちへ向かうこと。けれど、そのまま長野の大きな湖のある場所に飛ばなくてはいけないこと、そこに彼の実家があり、そこに用事があると一気に告げ電話を切った。
「とにかく、俺に付いてきてくれますね? と言っても、急いでるのも有るので申し訳ないですが呑み込んでいきます」
「え、呑み込み?」
「消しはしませんから」
 そう言いながら裏社は黒い狼へと姿を変えると、そこに立つ鏡の霊を丸呑みする。本人は最初の内こそは狼の姿や呑み込まれたことに驚いていたが、特別害も無いことが分かれば裏社の中で大人しくしていた。
 先ほどの電話で羅火から言い渡された場所は白王社、月刊アトラス編集部。そこならばすぐ行けると、裏社は更に速度を上げる。
 裏社がそこに到着したとき、ロッカールームの中に開いた穴を目の前にした羅火が一人だけその場に居た。そしてゆっくり振り返ると呟く。
「無事、連れて来れたようじゃの」
 そのまま「こっちじゃ」と穴へと案内された。どうやらその中に入っていくらしい。今までの事情を互いに説明している暇はないようで。
 抜けたその先には、満面の星空が広がっていた。


    □□□


 羅火と共に出た先は、湖の湖畔近くだった。この辺りは高台ということもあり、更に水辺もあり風が少し冷たい。
 一応と、羅火に紹介してもらうが、黒い狼の姿をしていているせいか、羅火以外の三人にはどうもぴんと来ないようだった。だが鏡を連れてきたと羅火が言うと、一同の表情が緩んだ気がした。多分、認められたのだろう。タダの狼ではないと。
 裏社は丸呑みにしてきた鏡をようやくペッと吐き出すと、そこにぺったり座り込んだ。
「ええっと、初めまして」
 裏社の口から出てきた鏡威彦――の霊は、丁寧に頭を下げると四人と一匹を見渡す。
「色々事情を話さなければとは思うのですが、一旦実家に戻って幾つか物を取ってきますので、少しだけ待ってください。申し訳ないですが二階堂さん、僕を連れてってくれますか? 流石にこの姿じゃ物を持てないので」
 そんな申し出に裏社は頷き立ち上がると、鏡を呑み込み彼の指示する場所へと向かうことにした。湖からは離れ道路を渡り駅を抜け、閑静な住宅街まで走ってきた裏社は、鏡の指示通り一軒の家の庭へと出る。彼の話では此処が彼の実家であり、二階が彼の部屋らしい。二階までの高さは然程なく、裏社は庭の木を伝いベランダへと降り立った。目の前の窓は換気していることを忘れているのか、微かに開いている。
 鏡はその隙間から入るでもなく、ガラスをすり抜けて行くと、机の前で停止し裏社を見た。
「そこに何かが?」
 カラカラと前足でドアを開け、裏社も室内へと入り込む。鏡が指すのは机の横にある棚の引き出し、その一番下。
「母が此処に入れたのは見ましたから……でも僕では開けられないし、中身を持っていけもいけない。此処から白い封筒と、四角い箱を出して、僕と一緒に又戻ってくれませんか?」
 裏社は鏡の申し出に頷くと、一番下の引き出しを開けてみた。多くのものが有るわけでなく、見れば鏡が言った物しかそこにはなかった。とは言え、遺品ではあるが家族はそのままにしているのだろう。言われたとおり白い封筒と四角い箱を銜え引き出しから出すと、まずは鏡を再び呑み込みそれらを口に銜え、家を出た。
「手紙と、指輪。縁に渡してあげてください。手紙はまだ縁が生きている頃、彼女に向け書いていたものです。もっとも、手紙を出す直前に彼女は……だから、どうか」
「――俺は闘う向きなので、そう言うのはそれに相応しい人に任せようと思います。それでもいいですか?」
 言ってはみるが、あの現場に兄以外の知り合いはおらず、実際のところは相応しい人が居るのかどうかは裏社には分からない。ただ、聞いていた限りと見る限り、女性二人――シュラインと弓月――はやはりただのヒトであったことは確かで。あの二人ならば多分大丈夫だろうなと後から考えた。
「渡してさえもらえれば。何より、あなたにはお世話になりっぱなしですね……戻ったら、後は好きにしてください」
 表情が分かるわけもなく、声――と言うよりも感情が頭に流れ込んでいる感覚ではあるが、その声色に裏社は小さく頷く。

 そして裏社と鏡が現場近くに戻った時、既に事件は勃発していた。そこには女、縁が居る。
「あれが兄貴をターゲットにしてるって女……か」
 勿論その場には零も、そして武彦もおり、既に羅火と水晶は、縁が放つ死霊達とやりあっていた。
「兄貴っ」
 特別苦戦しているようには見えないが、どう見ても数は半端なものではない。炎で次から次へと焼いてはいるようだが、手伝いたいと言う思いと食べたいと言う思いが入り混じり裏社の足を速めた。
 武彦に零にシュライン、弓月が集まっているのを見つけると、裏社は一目散にそこへと駆けて行く。皆も裏社に気づいたようで、揃ってその帰りを待っていた目の前に、まずは口に銜えていた物をぺっと吐き出した。
「これは?」
 誰かが何かを言ったが、最早そんなことは耳に入ることもなく。再び鏡を吐き出すと「すみませんが後はその人から聞いてください」とだけ言い残し、羅火の元へ一目散に走り出した。
 そんな裏社に、羅火も途中で帰ってきたことに気づいたらしい。僅かに目が合うと、まるで「やっと、帰ってきおったか」とでも言いたそうな表情を浮かべ、そのまま目の前の死霊を焼き払う。
 羅火は翼を広げ、湖の上で右手から豪快に炎を出していた。狼の姿のまま湖に入ってみれば然程深くなく、ただ少しだけ冷たい水をパシャパシャと撥ねながら、やがて羅火の真下付近まで近づく。
「兄貴っ、お待たせ。遅くなってごめん。俺も手伝うよ」
 そして見上げた兄の表情はどうしてか、なにやら複雑なものだった。
「…………頼むぞ」
 ただ、ホンの少しの間の後返ってきた言葉に、まずは羅火が焼き終え湖にぷかぷか浮かんでいる死霊をばくばく食べ始める。
 一体どれほどの時間羅火は焼いていたのか、寧ろ縁の力はこれ程もあるものなのか。最初からを知らない裏社は、途中からそれを考えることは止め、辺りに散らばる焼死霊を一気に喰らっていく。中には焼かれても尚動こうともがき足掻く者、羅火が無意識にでもやっていたのか、焼かれず叩かれていた死霊の山も有った。それらに止めを刺しつつ。頭上から落とされてきたものは決して余すことはなく食べ。
「それにしても、人間が……本当に兄貴をターゲットにしたなんて、ね」
 呟き、今度は落ちてきたではない。標的を羅火から裏社へと変更してきた死霊の群れを見据え、裏社は言った。
「兄や俺が『何』か、分からないんですね」
 炎と光、闇と狂気を操り、若しくは司るこの兄弟に向かってくるこれらの死霊など、無知そのものなのだろう。恐らく、最初に裏社に襲撃をかけに来たのは有能なタイプだ。もっともそのタイプは今、水晶と剣を交えている。
「ならばせめて、恐れ戦く暇もなく消滅できることを……喜ぶが良いですよ」
 そう言い薄い笑みを浮かべては、向かってくる死霊を噛み殺しては腹の中へと収めていく。
 どれほどそんな事を繰り返していたか。羅火が焼いては裏社がそれを食う。若しくは裏社の元に単独で来た死霊を食い殺す、操り自滅させてはそれを喰らう。上と下との連携で、無限増殖状態の死霊も徐々に力を増してきている反面、幾分その数は減っていた気がしてきた頃だった。
 羅火の炎が唐突に今までとは別方向へと向けられる。その先にはシュラインと弓月の姿があった。羅火は何か、救いの手を伸ばしたのかも知れない。そして、その行動に縁が何か気づく。
「私達の、というか鏡さんの話を聞いてください!」
「た、けひ…こ?」
 動揺を帯びた声に、死霊達が一気に消え失せ。羅火に水晶、裏社達はこの事態を不思議に思い合流した。それと同時、シュラインと弓月は縁と向かい合う。勿論、彼女等の傍には鏡姿もある。
「お姉さん! これ、鏡さんからお姉さんにって」
「こちらはあなた宛の手紙よ」
 二人の差し出すそれらを見て、女はゆっくりと二人との距離を縮めた。
「威彦、から? 私に?」
 まずはシュラインから白い封筒を受け取り、その中身を読んだ。それは三枚にも及ぶ便箋に、少し歪んだ文字で書かれていた鏡からの手紙。手紙の正確な内容は誰も知らない。ただ、裏社だけは僅かに鏡から二人の事を聞かされていた。
 三枚目を読み終えた縁は、ゆっくりと手紙を封筒へと戻し、弓月から正方形の箱を受け取り。その中身に、涙を流す。
「……五年で帰ってくるって、約束した。果たせなかったのは事実だよ。残ったのは、こんな僕の姿とキミへの手紙とリングだけ。でも、キミも約束を果たすこともなく、この手紙もリングも受け取ることなく――僕より先に、死んだ」
 最も近くで二人のやり取りを見ていた弓月は思わず驚きを表情に出した。シュラインは、冷静に事の成り行きを見守っている。
「死…、私が? それは威彦でしょ? 私探偵に調べさせたの。やっと仕事が取れて、五年で帰ってくる約束で東京に行ったあなたの行方を。婚約までして、なのに近頃は連絡一つなくて心変わりしたのかと――」
「縁。キミは三年前に死んだ。ただ、キミはそれを自覚していない。他人に憑いてまで、キミであり続けている……」
「違う、そんなの違うわっ!?」
 縁は必死でかぶりを振る。彼女の周りから、僅かに死霊が顔を出した。しかし鏡はやんわりと言葉を続けた。
「キミはこの数年、鏡を…ガラスを見た? キミは、縁ではないよ」
 言われ、縁は視線を僅かに逸らし、首を横に振ってみせる。その様子に、一歩前に出た羅火が徐に炎を吐いた。勿論、彼女に向かい。
 反射的に縁は一歩後ろへ後退するが、勿論それで避けられるでもない。しかし実際、シュラインも弓月も体験したが、その炎は生命体には無効のものだ。
「熱っ…」
 それが彼女の体から抜け出すと、辺りはシンと静まり返った。それは、今まで縁であった女性が倒れ、その中からもう一人の女性――正真正銘、橘縁が出てきた瞬間。
「何かに憑かれてたーじゃなくて、自分が憑いてたのか…」
 一度彼女とやりあった時、違和感を覚えていた水晶の謎もようやく解けた。
「僕は本当に病だったのか、混乱したキミに殺されてしまったのか…本当は分からない。けれど、キミがこうして……彼女に憑いていたという事は何か意味が有ったのかもしれないね」
 そう言い鏡は苦笑した。
「彼女って、鏡さんはこのお姉さん…知ってるんですか?」
「僕の、前のマネージャーだよ。行方不明になった。見つけて…彼女の中の君に気づいていればこんなことにはならなかったのかもしれない」
「彼女は……大丈夫なのかしら? これで本当に、本来の彼女に戻ったとは言え少しおかしい気もするのよね」
 シュラインの視線の先、縁の霊はぼんやりと夜空を眺めている。今までの彼女が嘘のように。
「僕たちは大丈夫なのでもう、お帰りください……縁を助けてくれてどうも、有難うございました。でもあの、そちらの方々に少し話があります。他の方は――どうか先に」
 鏡はシュラインの問いに的確な答えは返さず、ただ裏社と羅火と水晶を指し、他の者には帰路へつくことを願う。その言い方には疑問が残るが、三人を残し皆はその場を離れ、やがて桂の開けた穴でこの場から消え去った。
「単刀直入に言いますが、僕らを燃やして無くして下さい」
「……ぬしはそれを望むんじゃな?」
 羅火の問いに鏡は強く頷いた。そして、もし彼女が咄嗟に抵抗するようなことがあれば、水晶に押さえつけていて欲しいと。そして、あとは裏社の好きにして欲しいとも。
「でもさ? いちおー聞くケド、女はともかく自分は成仏しよーとか思わないワケ?」
「縁と離れるなら、共に消えた方がマシですから。ただ、彼女…マネージャーだけは無事連れ帰ってもらえますか?」
「なら、希望通りにするまでだと。ね、兄貴?」

 ふぅんと、然程興味もなさそうに水晶は呟き。裏社は隣の兄を見た。羅火は、それ以上何も言うことはなく。ただ、一歩前へと…‥


    □□□


 ――それから数日後
 武彦の頭痛もすっかり治り、今回事件に関わった五人も強制的に、或いは義務、ボランティアと言った形で草間興信所の片づけを行っていた。ガラスのなくなった窓、その補強ダンボールさえなくなり、雨風に晒されていた事務所を綺麗にしたり、割れたガラス類の回収、ファイルの整理。
 とは言え、面倒だとほとんど動かないのが一名。こういうものは向かんと言うのが一名。片付けてはいるが、微妙に動きが人の邪魔をしているのが一名と。アトラス編集部から応援が来たにも関わらず、全てが終わったのは夕方近くのことだ。
 唐突の来客は、六人が休憩していた時現れた。それは縁――ではなく、彼女に憑かれていた鏡の元マネージャー。
 結局彼女は後から戻った三人に連れてこられ病院送りにされて以来、接触は図っていない。だが彼女は一人ずつ顔を見ながら名前を当てると、ニッコリ笑い巨大な菓子の詰め合わせ缶を六人の前に差し出した。
 実は自分の意思でなかったとは言え、今まで起こっていたこと全てを覚えているらしい。普通ならば発狂しそうな状況だが、彼女は笑って「助けてくれてぇ、ありがとぉございましたぁ」と一礼しあっという間に消え去った。
 ドアの閉まる音と同時、言いようの無い空気に五人は武彦を見る。
「あ? いや、元々無関係な人が一人、あぁして助かってるしめでたし…………なのか?」
 必死で纏めようとしている武彦の言葉は最後、結局疑問に変わり、最早纏まる事は無い。
「皆さん、お茶が入りましたよ。あ、お菓子ですか? 丁度いいですね」
 しかしそこに、タイミングよくお茶を持った零がキッチンから出てくると、武彦は早速缶を開け中身を配り始めた。
「折角貰ったんだ、食わなきゃ損だろ?」

 ただその中にコロリと転がるリングを見つけた時、一同が固まった事は言うまでも無い…‥


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 [5649/ 藤郷・弓月  /女性/17歳/高校生]
 [0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員]
 [5130/ 二階堂・裏社 /男性/428歳/観光竜]
 [1538/人造六面王・羅火/男性/428歳/何でも屋兼用心棒]
 [3620/ 神納・水晶  /男性/24歳/フリーター]

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
 この度は大変お待たせしました、亀ライターの李月です。最初に、今回誤字脱字こちらの勘違い思い違いなどありましたらどうぞご指摘ください。今回も情報の散らばり具合が凄いのと、結局引き出せた情報はそのまま結末で事実と合流状態。鏡の死亡時期は誤魔化されていたと言うのが正しく(タケヒコ狩り最中に原因は何であれ死んだと言うのは事務所的に隠蔽すべきと)結末は3つほどありましたが、その中の中間的な物に辿り着きました。縁に鏡にマネージャーの関係や目的等は宙ぶらりん状態ですが…多分三人にとってはそれぞれ望んだ終わり方ではあります。
 最後までお付き合い有難うございました。

【二階堂 裏社さま】
 弟さんでのご参加、有難うございました。カッコいいなぁと思っていたのですが、いざ書いてみたらただのブラコン全開な狼さんになってしまいました…。ただ能力的には勿論向いてましたし、鏡を連れてくることも成功でした(本人を連れてこれればフラグが一つ立つ物だったので)あまり他の方との接点はありませんでしたが、いざ考えてみると普通のヒトではなかった水晶さんと合うのかどうか、微妙に気になるところです。兄の友人って…。

 それでは又のご縁がありましたら…‥
 李月蒼