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海桜
■オープニング■
・・・桜は呼んでくる、あの人の魂を・・・
「海桜って、聞いた事ない?」
そうきかれて・・・首を横に振った。
耳慣れぬ言葉が奇妙に空中で霧散して行く。
「そう。じゃ、教えてあげるわ。ちょっと待ってて。」
少女はそう言うと、部屋の隅に飾ってある宝箱のようなものの中から、何かを取り出すと、こちらに差し出した。
掌に落ちる、小さなピンク色のもの・・・。
・・・桜貝?
「そう。一方に、逢いたい人の名前を書きなさい。もう一方には自分の名前を書きなさい。」
・・逢いたい人?
「桜は呼んでくる、あの人の魂を・・・。どんなに遠く離れていようと、今、生きていようと死んでいようと、桜は呼んでくる。」
少女の緑色の瞳がどこか遠くを見やる。
うるむ、瞳の奥、誰も触れる事の許されない・・・過去・・・。
「今晩、この場所に行きなさい。日が没して月が頭上に輝いた時、月明かりの先、光の道の向こうに大きな桜の木が現れるから。」
机の引き出しを開け、四角く畳まれた紙を放ってよこす。
それは地図だった。
詳細に書かれたそれは、少女の手書きだという事がうかがえる。
「恐れないで、光の道を進んで。桜の直ぐ真下まで行って。丁度海の中央で、待ってるはずだから。」
信じられる話ではなかった。
けれどこの少女の瞳は何一つ嘘偽りは言っていなかった。
「2つだけ、覚えていて。1つ、これは全て一時の夢でしかないって事。1時間経てば消えてしまうものよ。2つ、貴方は相手の名前を呼んではいけない。」
・・なぜ?
「名前は力だから。海桜で呼ばれた魂は、ほんの少しの衝撃で崩れてしまうものだから。・・名前は、不思議なパワーを秘めたものだから・・・。」
少女はそれっきり、瞳を伏せて押し黙ってしまった。
掌に乗せられた桜貝を見つめる。
・・・本当にこれで、あの人に逢えるのだろうか・・・?
「・・・行ってきなさい。ほんの一時の甘い夢を見に。」
少女が、ヒラヒラと手を振った。
こちらは深くお辞儀をして、その場を後にした・・・。
「触れる事すら許されぬ、切ないものだけれど、それでも逢いたいと思ってしまうのは、人の・・・性だから・・・。」
□海桜の木の下で□
闇に沈む海の上に、ボンヤリと浮かぶ月の道。
真っ直ぐに、ただひたすら真っ直ぐに、海の中央、地平の彼方まで続いている。
桐生 暁はじっと海を見つめた。ほんの少し、戸惑いが生じる。本当に、この先に進めるのだろうか?
揺れる月の道は、あまりにもおぼろげで、繊細で・・乗った途端に全てが消えてしまいそうで・・・。
黒い髪を、風が優しく撫ぜる。まるで勇気付けてくれているかのようなその風に、暁は勇気を振り絞ると歩を進めた。
1歩、月の道にそっと靴底を触れさせる。
揺れる道は、それでも頑丈で、しっかりと暁の体重を支えてくれる。
歩く。走り出したい衝動を押し殺して、1歩1歩、確実に歩を進める。
走り出してしまったら、この繊細な道は跡形もなく消え去ってしまいそうで・・もし、消えてしまったのならば、あの人には逢えないのだから・・。
果てしなく長い道。海の上に立っていると言う意識は、すでに消えていた。
海風が吹く。潮の匂いを含んだその風に、いつからか、甘い匂いが溶け混じる。
甘い甘い、花の香り。そう、これは・・・桜・・・。
地平線の上、突然その場所にピンク色の靄がかかった。
段々近づいていくと、それは木の形になり、揺れる、大輪の桜の木・・・。
その根元に、一人の男性の姿があった。
思わず、進めていた歩を止める。体が硬直して、動かない。
嘘だ・・そう思う。もう二度と逢える事はないと思っていたのだから・・けれど、これはまぎれもない現実で・・。
ぎこちなく、歩を進める。段々と、近づいて行く。向こうも、こちらに気がついた・・ふっと、穏やかな微笑み。それだけで泣きそうになってしまう自分は、弱い。
「あ・・・。と・・さん・・。」
名前を呼んだら消えてしまうと、彼女は言っていた。だから、ほんの少しだけ“父さん”と呼ぶのを躊躇した。けれど、彼はその場でただ穏やかに笑んでいるままだった。
「父さん。」
今度は、はっきりと言葉に力を込めた。真っ直ぐに、父親の瞳を見つめる。
『暁・・』
優しい、記憶の中と同じ、父親の声。何も変わっていない。あの日と同じ、父の姿。何一つ、変わってなんかいない。
その穏やかな微笑みも、優しい声も、姿形も、なにも・・変わったのは、暁だった。
髪は黒に戻した。服だって、あの日と同じような服。
もしも今の暁を知っている者が見たならば、きっと笑うだろう。もしくは、心配するかも知れない。何があったんだ・・と。
誰も知らない。だって、過去は話さないから。話してしまえれば、楽になるのかも知れない。過去を知って、暁の全てを受け入れてくれれば・・・。
でも、暁は諦めていた。全てを知ってもらう事を、全てを解ってもらう事を。
諦めていた。どうして?怖いから。話して、そして・・・拒絶されたら?
ふっと、思考を止める。
「父さん、元気?俺は・・元気だよ。最近、沢山友達も出来たし・・・。」
『それは良かった。』
「いつも、友達と笑って過ごしてる。結構、毎日楽しいんだ。」
『暁は・・友達が多かったからね。』
その言葉が、ズシンとココロに重く圧し掛かる。
どこまでが友達で、どこからが他人なのか、暁は解らなかった。全てを知っている事が、友達だとすれば、誰も友達ではない。
「うん。そうだね。」
暁はやっと、頷いた。
いつもはもっとなんでも軽くこなして、言葉巧みに難を逃れたり出来る。
そう思うと、なおさら感じる。
“此処に居る俺は、偽り”
色々と、話したい事はあった。色々と、考えていた言葉もあった。
けれど口を伝って出てくるのは、他愛もない話ばかり。しかも、今の自分の生活そのままの話じゃない。
自分の生活をそのまま話す事は・・・出来ない。
父さんの前では、愛すべき子供で居たいから。
それが偽りだろうと何だろうと・・それだけは、変わらない感情だから・・・。
「俺・・泣き虫だったよね。よく困らせちゃったっけ。」
そんな事ないと言う風に、微笑む父の姿。
「でも、母さんとの約束もあったし・・頑張ってたつもりなんだけどな。」
声が小さくなる。俯きそうになる顔を、暁は懸命に上げた。
「今もね、頑張ってるよ。俺の、出来るだけだけど・・・。」
ふわりと、暁は微笑んだ。父と視線が合う。穏やかな視線が、まるで褒めてくれているようで・・暁は思わず抱きつきたくなった。
でも、そんな事は出来ない。だって、父さんは今にも消えそうで・・もしも暁が抱きついたならば、きっとふわりとどこかへ飛んで行ってしまう・・。
・・どのくらい時が経ったのかは解らない。けれど、この甘い時は1時間後まで。刻々と迫る、終わりの時の気配に、暁は言いたい言葉を探した。
次にいつ逢えるのかは解らない。この瞬間だって、本当はなかった“時”の一つだ。
本来なら、逢えるはずのない人なのだから・・・。
「・・俺ね、父さんの事、大好きだよ。」
『ありがとう』
本当に言いたいのは、伝えたかった言葉ではなく、ききたかった言葉・・。
けれど、どうしても暁は“ソレ”をきく事が出来なかった。
言葉にしてしまえば、それほど長いものではない。難しい言葉を使うものでもない。けれど・・“ソレ”は心からの言葉になってしまうから・・。
再び思う。今、此処に居る暁は偽りなんだと言う事を。
此処に居る俺は偽りで、本当に今居る桐生暁は、いっつもヘラヘラしてる奴で・・・。
「・・・父さん・・さ、前・・俺の事・・愛してるって言ってくれてた・・よね。」
声が、震えた。桜の木が、ざわめく。桜の花びらが、父親の上に・・まるで雪のように降りかかる・・。
雪・・・。
あの時の光景が、再び蘇る。けれど、それは音を伴いわない物で・・・まるで、音のない映画を見ているような・・・。
「俺の事・・今でも愛してくれる・・?」
父の顔を、真っ直ぐに見れない。視線は所在無さげに海へと注がれている。
暁には、勇気がなかった。今のありのままの自分を見せる勇気が。だから、偽りの自分を演じてしまう・・。
今の暁を見て、愛してくれると言ってくれる自信は・・・。
もし、否と言われたら、愛していないと、きっぱりと言われてしまったのなら・・・生きていけない。
生きていけないばかりじゃなく、父さんの傍にも行けない。
そうなったら・・・俺は・・・。
どうする事も出来ない。生きる希望も、死ぬ希望も。何もない。
生きていく事は出来ない。生きていくには、あまりにも辛すぎて、父親に拒絶されたなら、本当に暁は独りになってしまって・・。
死んだら、父さんの傍に行くんだと、ずっと思っていた。けれど、それも叶わない。きっと、死んでも父さんの傍には行けないのだから・・・。
『暁・・』
ふわり、名前を呼ばれて、暁は顔を上げた。
言い知れぬ恐怖が全身を包み込み、思わず震えてしまいそうになる。
『暁・・・愛してるよ。』
「え・・?」
『今でも変わらずに、愛している。』
真っ直ぐに、暁の瞳を捉える。力強い父の瞳の輝きに、思わず暁はその場にへたり込んだ。
全身に力が入らない。嬉しいのか、ほっとしたのか、なんなのか・・わからない。全ての張り詰めていたものが、プチンと切れる。
桜がざわめく。
まるで終わりの時を急かしているかのように、ザワザワと。桜の花びらが、舞い落ちる。ヒラヒラと、それは風に乗って、月明かりを反射する。
暁は、此処に来る前に決めていた。
・・もしも、愛してくれると言ってくれたなら・・・。
「もし・・・もしもの話だよ・・?どうしようもなく、寂しくて・・どうしようもなくなったら・・・」
桜の花びらが、目に痛い。
まるで雪のように降り積もる桜の花びらが・・・。
「・・・父さんの所へ、行ってもいい?」
ザワリ、風がその言葉を撒き散らす。
何も言わない父の、視線が痛い。
『・・・っ・・』
何かを言いかけて、父は口を閉ざした。そして、何も言わずに暁の傍まで来ると・・・。
ふわり、その頭を撫ぜた。・・・違う、正確には、頭を撫ぜようとした。
その掌は、暁の頭に触れる事はなかった。
『触れる事すら許されぬ、切ないものだけれど・・・』
『それでも逢いたいと思ってしまうのは』
『人の・・・性だから・・・』
「父さん・・・」
『暁・・愛しているよ・・』
ザワリ、桜の木が揺れる。月の光が、一瞬だけ弱まり、再び明々と燃え輝く。
『強く、前を向いて・・・』
ふわりと微笑んだのを最後に、父は儚く消えた。
後に残ったのは、空から大量に降る桜の花びら・・・。
月明かりと桜の花びらと、潮の香りと海の音。
甘い甘い桜の香りは、ほんの少し、ココロに痛む。
■そして・・・■
「お帰りなさい。」
月の道を渡りきった先、白い砂浜の上で、あの少女が静かに暁の帰りを待っていた。
「逢えた?」
「あぁ。」
「そう。」
少女はそれっきり、口を閉ざしてしまった。
月の道が、淡く海に溶ける。月の明かりが、ふわりと軽くなる。
暁は手に持った桜貝を見つめた。
片方には暁の名前。そして片方には・・・“想”・・・。
ぎゅっと、桜貝を握り締めると、そのまま海に向かって投げた。なるべく遠くに・・そう、あの海桜があった木まで届けば良いと思うほど、遠くに、遠くに・・・。
キラリ、月の光を反射して、桜貝は元の海に還った。
そしてきっと、海の底へと沈んで行くのだろう・・ひっそりと、誰にも知られずに・・。
「ありがとう。」
暁は、にこりと微笑むと、少女に頭を下げた。
「どういたしまして。」
素っ気無くそう言った言葉の端に、待っていてくれた優しさが感じられて、ほんの少し穏やかな気持ちにさせてくれる。
暁は、しばらく少女の横顔を眺めた後で、背を向けた。
少女も反対に歩き出す気配が感じられて・・・。
「海桜ってね・・」
その声に、思わず振り返る。
「逢いたい人の名前と、自分の名前を桜貝に書くでしょう?それはね・・・相手も、同じ気持ちでないと駄目なの。」
少女は振り返らない。それどころか、言葉を紡ぎながらもどんどん暁から離れて行く・・・。
「解る?相手も、貴方に逢いたかったのよ・・・。」
少女はそれっきり、何も言わずに去って行った。
呆然と立ち尽くす浜辺。潮の香りの間に、ほんの少し、桜の香りが混じっているような気がした・・・。
〈END〉
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
4782/桐生 暁/男性/17歳/学生アルバイト/トランスメンバー/劇団員
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■ ライター通信 ■
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この度は『海桜』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
そして、いつもいつもお世話になっております。(ペコリ)
さて、如何でしたでしょうか?
ふわりと優しく桜の香りがするような・・そんな風に描けていたならばと思います。
お気に召されれば、嬉しく思います。
それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。
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