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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


異説 いばら姫

【プロローグ】
 ある晴れた日の昼下がり。
 碇麗香は、三下の住むあやかし荘へとやって来た。というのも、三下が一週間も無断欠勤を続けているためだ。こちらから連絡を取ろうにも電話はつながらず、あやかし荘の他の住人もしばらく彼の姿を見ていないという。とうとう、堪忍袋の尾が切れて、麗香はここへ乗り込んで来たのだった。
 まっすぐ彼の部屋に向かった麗香は、そこで意外な人物に会った。高峰沙耶である。
 そして、肝心の三下は、床に敷きのべた煎餅布団の上で、死んだように眠りこけていた。
「いったいこれは、どういうことなの?」
 さすがに異常を感じて呟く麗香に沙耶は、これはナイトメアの仕業だと告げた。
 ナイトメアは、人間の夢に忍び込んで、生気を食らう妖魔だ。沙耶は、その気配をここしばらく感じて、居所を探っていたのだという。そして、三下にたどり着いたのだ。
「彼は、ナイトメアを退治しない限り、このまま眠り続け、最後には死んでしまうわ」
 沙耶は、無情に告げる。
「ちょっ……! いくらこいつがヘボでも、それはあんまりだわ。そのナイトメアを退治するには、どうすればいいの?」
 さすがに驚いて、麗香は問うた。
「まずは、彼の夢の中に入ることね。そこに、きっとナイトメアを倒すための武器がある。ナイトメア自身も、彼の夢の中に巣を張っているわ」
 言って、沙耶はあたりを見回すと、三下の枕元に置かれている、小さな鏡を示した。
「珍しいことだけど……それが夢の入り口になっているようね。もしかしたら、ナイトメアは最初それに封じられていたのかもしれないわ」
 麗香は、まじまじと鏡を見やる。ずいぶんと少女趣味なシロモノだ。台座が茨に囲まれて眠る少女になっており、縁飾りも茨のようだ。おそらく、童話の『いばら姫』をモチーフにしたものだろう。
 麗香は、それを睨み据えるようにして、しばし考え込んだ。が、すぐにうなずく。
「わかったわ。他に何人か、助っ人を頼んで、三下の夢の中へ行ってみることにするわ」
 そして彼女は、手伝ってくれそうな人々に連絡を取るため、携帯電話を取り出した。

【1】
 再び、あやかし荘の三下の部屋である。
 麗香は、自分の呼びかけに応じてくれた四人――セレスティ・カーニンガム、伏見夜刀、青島萩、シュライン・エマと共に眠り続ける三下を見下ろしていた。
 三下は、その姿だけを見れば本当にただ眠っているだけとしか思えない。顔色も普段どおりで、特別やつれたふうもない。ただ、じっと見詰めていても、掛け布団におおわれた胸元は、ほとんど動くことをしなかった。
「外見ではわかりませんが、ずいぶんと衰弱しているように思えます」
 先程から脈を見ていたセレスティは、手を離して言う。
「仕事を休み始めた日からずっとこうなのならば、もう一週間も飲まず食わずで眠っていることになりますからね。本当は、病院にでも行って点滴をすれば一番なのでしょうけれど、この状況ではちょっと……。ですから、私の能力で、栄養分を彼の体内に入れられないか、やってみます。碇嬢、スポーツ飲料を買って来てもらえますか? ぶどう糖の含まれているものがいいと思います」
「わかったわ」
 うなずいて、麗香は部屋を出て行く。
 それを見送って、シュラインが眉をひそめて低く呟いた。
「ナイトメア……か。それにしても、高峰さんが動くのは、珍しいわね。ナイトメアに関わる何かに、興味を惹かれているのかしら」
「それもだが、俺は、その鏡の出所が気になるぜ」
 顔をしかめて言ったのは、萩だ。
「なんでそんな少女趣味なもんが、ここにあるのかもだが……なんだろうな、それ。微妙に霊的なものがまつわりついているような、そんな感じがするんだ」
 刑事だが、超能力と霊力を持っている彼には、何か感じるものがあるようだ。
 と、同じく鏡を見やっていた夜刀も、うなずく。
「……僕もそれ、感じます。……きっとその鏡は、あんまり良くないものです」
 魔術師の見習いである彼も、やはり何かを感じているようだった。
「ナイトメア退治に、三下の夢の中へ行く前に、少し下調べをしておく方が、いいんじゃないのか?」
 それを聞いて、萩がシュラインとセレスティを見やる。
「そうね。ナイトメアに関する情報も、もっと得られるかもしれないものね」
 シュラインがうなずいた。
「そうですね。ただ、私は三下君の体が心配です。私の能力である程度は回復すると思いますが……できるだけ早くナイトメアから解放してあげるに越したことは、ありませんから」
 セレスティは、三下を見やって言う。仲間たちが口にしているようなことは、彼も気になってはいる。しかしそれは、三下をナイトメアから解放した後、その口から聞けばいいことだとも、彼には思えた。
 彼の言葉に、他の三人も改めて三下を見下ろす。
 そこへ、麗香が戻って来た。手にはスポーツ飲料の一リットルボトルを提げている。
 セレスティは、それを受け取ると蓋を開け、中身を操って細い管状にすると、三下の唇の間からそれを中へと送り込み始めた。口の中に入ったそれは、通常なら食道から胃へと落ちて行くはずだった。が、セレスティに操られているため、スポーツ飲料の中の栄養分は直接血管に染み込み、血液と共に、体の隅々にまで運ばれて行く。
 本性が人魚で水霊使いである彼は、水に関する限り、たとえそれが他人の血液であっても、自在に操ることができるのだった。
 彼がそれをしている間に、他の三人は麗香に自分たちの考えを話す。
「そうね。たしかに、わからないことが多すぎるわね」
 少し考え込んだ後、麗香もうなずいた。
「……三下さんがお仕事を休まれる前日とかに、何かあったんじゃないでしょうか」
 夜刀が尋ねた。
「俺もそれを聞きたいな。三下の身の回りに、変わったこととかなかったのか? それか、不審な言動を取っていたとか」
 萩もうなずきつつ、続ける。
「三下に、変わったことねぇ……」
 言われて麗香は、再び考え込んだ。が、やがて顔を上げて言う。
「これといって、思い当たることはないわね。ただ、一つだけ――。十月末のうちの社主催のハロウィン・パーティーの後、変なメールが来て困るっていう話をしてたわね」
「変なメール?」
「ええ。詳しく聞いたわけじゃないけど、『君こそ理想の少女、僕の心のアリスだ』とかなんとか、酔っ払いのたわごとみたいなメールが、毎日二十通ぐらい届くんだって話をしてたわよ」
 シュラインが問い返すと、麗香はそう言った。
 シュラインと萩が、思わず顔を見合わせる。夜刀以外の三人は、そのパーティーにも出ていたので、三下が『不思議の国のアリス』の仮装をしていたことも、それがどこからどう見ても本物の美少女に見えたことも、知っていた。
 それにしても、あのパーティーは仮装が出席の条件で、いくら本物らしく見えても、実際に女性とは限らないとは想像がつくだろう。それに、メールアドレスを知っているということは、名刺を手に入れている可能性があるわけで、そこにはしっかり「三下忠雄」と名前が書かれているはずだった。
「それって……ホモのストーカーってこと……かしら」
 シュラインは、なんとなく気味悪く感じながら、呟く。
「しかも、女装してんのがいいってか?」
 萩も、引きつった笑いを浮かべて言った。そして、改めて麗香を見やる。
「鏡の出所についてはどうだ?」
「さあ。そっちはわからないわね。ここに来て、初めて見たものだし」
 麗香は肩をすくめた。
「やっぱり、少し調べてみてからの方が、いいかもしれないわね」
 シュラインは、眉をひそめて言うと、三下の方を見やった。
「セレスティ、どうかしら」
「そうですね。これで、少しはマシになると思います。血液を四肢の隅々まで循環するようにしましたから、体温の低下も防げるでしょうし」
 問われてセレスティは、考えつつ答える。そして彼は、この作業が終わるまで、少し時間がかかると告げた。
「わかったわ。じゃあ、こうしましょ。今から四時間だけ気になることを調べて、成果があってもなくても、ここへもう一度集合すること。どう?」
 シュラインは言って、仲間たちを見回した。
「ああ。……三下の体も心配だしな。それでいいぜ」
「……僕も、了解しました」
 萩と夜刀がうなずく。そして二人は、四時間後にと告げて、部屋を出て行った。
 それを見送り、シュラインはセレスティと麗香をふり返る。二人はどうするのだと問いたげな彼女の視線に、麗香が答えた。
「私もここにいるわ。セレスティ一人じゃ、不便なこともあるかもしれないし、ちょっとこの部屋を調べてみたいから」
「わかったわ。じゃあ、私は高峰さんに会いに行って来るわ。やっぱり、彼女が動いたことが、どうしても気になるから」
 それへうなずいて言うと、シュラインもまた部屋から立ち去った。
 後には、眠り続ける三下と、麗香、そしてセレスティだけが残されたのだった。

【2】
 シュラインを見送った後、麗香は室内の探索を始めた。
 探索といっても、さほど広くはない。六畳と四畳半の和室が一つづつと、三畳程度のキッチン、あとはバス・トイレが付いているだけだ。
 三下が眠っているのは四畳半の部屋の方で、そこにはタンスや本棚などが置かれている。
 一方、六畳間の方は中央にコタツが置かれ、周辺にはノートパソコンやプリンター、印刷用の紙、資料をファイルしたノートなどが乱雑に置かれていた。もちろん、テレビやビデオデッキもある。
 視力の弱いセレスティは、最初に入って来た時に、ざっとそれらを感覚的に把握していた。同時に彼は、部屋全体に憂いのようなものが漂っているのを、感じていた。
(三下君には、何か悩んでいることでも、あったんでしょうか。それで、夢の中に行ったきり、戻るのが嫌になった……とか?)
 彼はふと、そんなふうにも思ってみる。
 と、六畳間の方を調べていた麗香が、戻って来た。
「あっちの部屋に、こんなものがあったわ」
 言って、彼女がセレスティに差し出したのは、例の三下がアリスに扮した時の写真が数枚と、何通かの手紙だった。手で触れて、そこにある情報を読み取り、美しい眉をわずかにしかめる。
「これは……」
 彼は、思わず呟く。写真は、あからさまに隠し撮りしたふうで、手紙はラブレターとしか読めないものだったからだ。
「なんだか、気持ちが悪いわね。そのラブレターにしろ、どう見ても女からのものじゃなさそうだし」
「そうですね……」
 嫌悪感に満ちた麗香の言葉に、彼もうなずく。たしかに、「君こそ理想のアリス」だの「可愛い君を食べてしまいたい」だの、女性の発想とは思えなかった。
 更に麗香は、この部屋も調べて、タンスの中から『不思議の国のアリス』の仮装用衣装とおぼしいものを、見つけ出した。以前のパーティーで使ったものではないという。あの時のは貸衣装で、とっくに返してしまっているとのことだ。
「もしかしたらこれは、さっきの手紙の主から贈られたものかもしれませんね」
 セレスティは、なんとなく薄ら寒いものを感じながら言った。
「……そうね」
 麗香も、顔をしかめてうなずく。そして、思いついたように呟いた。
「あの鏡も、そうなのかしら」
「それはどうでしょう」
 セレスティは、即座に返す。
「私には、三下君が同性からこんな贈り物をもらって、喜ぶ人には思えませんが。その衣装も、たぶん処分に困ってタンスに入れてあったんでしょうから……鏡が同じ人からの贈り物なら、枕元に置くなんてことは、しないような気がします」
「それはそうね」
 麗香も、うなずいた。
 その後、彼女はなおも室内を調べたが、他に目を引くようなものは、何も見つからなかった。
 そうこうするうちに、シュラインが戻って来た。一人ではなく、高峰沙耶も一緒だ。
 彼女が自ら動いた理由は、三下に憑いているナイトメアが、知人の魔術研究家の霊に頼まれて探していたものだからだという。ナイトメアは、もともとはその研究家が、術具に封印してあったものだった。しかし、彼の死によってそれは流出し、買った人間の元で封印が解けたのだ。研究家の霊は、それを沙耶に再度封印してほしいと頼んだのだった。
 その術具というのが、沙耶の見立てではあの鏡のようだ。だけでなく、まだ封印は完全に解かれてはいないと、彼女は言う。
 シュラインと共に来たのは、彼らがナイトメアを倒すのに立ち会うためだ。
 一方、セレスティと麗香も、部屋で見つけたものをシュラインに見せるのだった。

【3】
 やがて、萩と夜刀も三下の部屋へと戻って来た。
 二人は、沙耶がいるのに驚いたようだが、シュラインが事情を説明すると、納得したようだった。そこで、お互いに四時間の成果を披露し合う。
 彼らの方も、そこそこ収穫はあったようだ。
 まず鏡だが、ちょうど一週間前に、アトラス編集部へ読者から送られて来たものだったようだ。編集部の三下の机の中に、その時の送り状と同封されていたらしい手紙が残されていた。もちろん、荷物を配送したかどうかは、萩が運送会社にも確認したようだ。そこは白王社出入りの業者の一つで、配達員によれば荷物が配達された時、編集部には三下だけしかいなかったという。
 また、同封されていた手紙には、「これを手に入れてから、連日悪夢を見る。できれば編集部で処分してほしい」というようなことが、書かれていた。
 もっとも、夜刀によればその手紙の内容は、嘘だという。彼がサイコメトリー能力で調べたところ、手紙の主は三下にその鏡を送りつけるのが、目的だったのだ。
「……差出人は、偶然あの鏡を手に入れて、そこにナイトメアが宿っているのを知ったんです。……彼の元に鏡が来た時には、もう封印は解けていて、封じられているというよりも、宿っているような状態だったみたいです。それで、三下さんをナイトメアに捕えさせようと、鏡を送りつけたんです。……ただ、三下さんは何度か彼からの贈り物を拒絶していたので、直接自分の名前でここへ送ると、受け取ってもらえないと思ったのです。……だから、編集部宛てにしたんです」
 夜刀が、訥々と言った。
「まさか……」
 シュラインが、軽く目を見張って呟く。ここで麗香が見つけたラブレターまがいの手紙のことを、思い出したのだろう。それは、麗香も同じだったらしい。
「どうやら全て、同じ奴の仕業ってことらしいわね」
 呟いて、険しい顔で唇を噛みしめる。それへ、萩が言った。
「俺の見立てじゃ、怪しいのは運送会社の配達員だな。荷物の宛名は編集部で、三下宛てじゃない。受け取った時、たまたま編集部に三下しかいなかったというのは、偶然に見えるが、夜刀さんのサイコメトリーの結果から考えると、送り主は三下に渡したかったわけだから……一番確実なのは、編集部に三下しかいない時を見計らって、自分で配達することだ。運送会社の方では、配達員は以前から勤めている人間だと言っている」
「なるほどね。つまり、その配達員がストーカーだというわけね。……たしかに、出入りの運送屋の配達員なら、この間のパーティーに呼ばれていた可能性も高いわ」
 麗香はうなずく。
「俺もそう思って、今、同僚の一人に頼んで、当たってもらってる」
 萩も言った。
 彼らの話を黙って聞きながら、三下にずっと付き添っていたセレスティは、栄養飲料水のペットボトルが空になったのを見計らって、立ち上がった。
「こちらも、終わりましたよ。とりあえず、これで少しは三下君の体も大丈夫だと思います」
 言って彼は、かすかに眉ひそめた。
「それにしても、三下君をナイトメアに捕えさせて、どうするつもりなんでしょうか」
「……その人も、ナイトメアに捕らわれているように、僕は思います」
 答えたのは、夜刀だった。
「……それとも、ナイトメアに同調していると言った方が、いいのでしょうか。……ともかく、ナイトメアが夢で三下さんを捕えれば、それは自分が彼を捕えたのと同じだと、そんなふうに思っているみたいです」
「それってなんだか、気持ち悪いわね。……当人がどう思っているかはともかく、そんなのは、愛でも恋でもない気がするわ」
 シュラインが、ぞっとしたように言う。
「まったくです。三下君も、おかしな人に好かれてしまって……気の毒に」
 セレスティも胸に悪寒を覚えて、口元を押さえ、うなずいた。
「とにかく、まずナイトメアを退治して、三下を夢から解放するのが先決だわ。……その後は……」
 そのやりとりに言って、麗香は剣呑な目で中空を睨み据え、口元に嫌な笑いを浮かべる。
 それを見てシュラインが、一瞬、引きつった笑いを浮かべた。
「れ、麗香さん? あんまり過激なことはしないでね?」
「過激なことなんて、しないわよ。ただちょっと、そのストーカー野郎に、ピンヒールの味を教えてあげようかな、と思っているだけよ」
 笑顔で返す麗香だが、その目は少しも笑っていなかった。
(相変わらず、過激なことを……)
 セレスティはわずかに苦笑して、しかしそれを悟られないように、視線を空のペットボトルに向ける。
(ただ、今回は私も碇嬢に同感です。愛情とさえいえない自分勝手な幻想を押し付けて、三下君を危険な目に遭わせるような者に、同情の余地はありません)
 きっぱりと胸の中で切り捨てて、ストーカーがもし警察の手でそれなりの刑に処せられない場合は、自分がどうにかしてもいい、などと考えていた。
 その時、シュラインが咳払いを一つして言う。
「ともかくじゃあ、三下さんの夢の中へ、行ってみましょ」
 それへ、セレスティたちもうなずく。
 こうして彼らは、ようやく三下の夢の世界へと出発したのだった。

【4】
 鏡を抜けて、彼らが到着したのは、うっそうとした森の中に立つ、高い塔の前だった。塔の周りは、いばらがそれこそ十重二十重におおっていて、いばらで出来た太い幹のようだ。塔の中へと続く扉は、そのいばらにおおい隠されてしまって、どこにあるのかさえわからない。ただ、いばらは上に行くほど少なくなって、最上階の部屋の窓は、わずかに格子状に蔓が這っているだけのようだ。
 あの鏡を飾っていた『いばら姫』のモチーフからいっても、三下はこの塔の中にいるに違いない。しかし、どうやって中に入るかだ。
 萩が、彼らを見回して言った。
「とりあえず、入り口を探そうぜ。あんまり荒っぽいことはしたくないが……この場合は、しかたねぇ。俺が超能力で、めぼしい場所のいばらを剥がすから、みんなは中へ入る扉を探してくれ」
「……それは、危険だと思います」
 夜刀が、穏やかに反論する。
「……ここは、三下さんの夢の中……つまり、心の中でもあるわけですから、ここのものを傷つければ、三下さん自身に何か影響が出るかもしれません」
「そうですね。なるべく、私たちの能力は使わない方が、賢明かもしれません」
 セレスティも考え込みながら言った。
 それを聞いて、萩は眉をしかめる。
「じゃあ、どうしろっていうんだよ。このまま、手をこまねいていろっていうのか?」
「そうではありませんが……」
 セレスティが言いかけた時だ。
「みんな、こっちへ来て」
 塔の後ろ側から、彼らを呼ぶシュラインの声が聞こえた。
 行ってみると、彼女はいつの間にかそちらに回っており、塔の壁を示した。そこには、まるで階段のように目にも赤い花が、下から最上階の部屋の窓めがけて、真っ直ぐに咲いていたのだ。
 目を見張るセレスティたちに、シュラインが『いばら姫』の中の、王子が花に導かれていばらの中を、姫の元へ行った一節を口にする。
「なるほど。こいつを伝って行けば、あの窓から中へ入れる可能性もあるってことか」
 萩がうなずいて、壁に歩み寄った。どうやらそこだけ、いばらは梯子のようになり、その上に花が咲いているようだった。花の部分をつかめば、いばらの棘に刺される気遣いもない。
「ともかく、俺がここを昇ってみるぜ」
 言って、萩はそのいばらと花でできた梯子を昇り始めた。
 ややあって、窓までたどり着いた彼が、中を確認して戻って来る。その彼が言うには、そこには、お姫様の恰好をした三下がいて、半泣き状態で糸を紡いでいるという。三下とは、会話することもできたのだが、彼の話では、もう一つ下の階に男が一人いるらしかった。その男は、頻繁に三下のいる部屋にやって来て、彼に糸紡ぎをやめて一緒に踊ろうと誘うのだという。が、三下は男にもその誘いにも、非常に恐怖を感じるため、ひたすら聞こえていないふりをして、糸紡ぎを続けているらしい。
「おそらく、その男がナイトメアですね」
 話を聞き終えて、セレスティは言った。
「たぶんね。……にしても、面白いわね。『いばら姫』の話では、姫は糸巻きのつむで指を突いて眠りに就くのに」
 うなずきつつ、シュラインは返す。
「ええ。……そういえば、あれは姫の処女喪失を暗示しているのだとする、解釈もあるそうですよ」
「……それって、ナイトメアの目的が、ダンスとかじゃないってことかよ?」
 ふと思い出して言うセレスティに、萩は嫌な顔で尋ねた。
「ナイトメアとストーカーがシンクロしているなら、それもあり得ないことではないという気がします」
 セレスティが深刻な顔で答えると、萩はますます顔をしかめる。
 ともあれ、三下救出は急いだ方がよさそうだ。
 ただ問題は、どうやって中に入るかだ。いばらと花の梯子を伝って昇るにしても、三下のいる部屋の窓にもいばらが格子のように這っており、それを取り払わなければ、そこから中へ入るのはできないようだった。それに、足の弱いセレスティには、あそこまで昇るのは無理だ。かといって、ばらばらになるのは危険な気がした。
 と、萩がふいに思い出したように、ポケットから小さな紙包みを取り出した。
「そういや、降りて来る時、三下がくれたんだ」
 言って彼は、紙包みを広げる。中から出て来たのは、黄色い小さな鍵だった。
「これって……」
 シュラインが、思わず目を見張る。
「ここの鍵の可能性が高いな」
 萩もうなずいた。
 そこで彼らは、手分けして鍵穴を探すことになった。といっても、塔は一面にいばらにおおわれていて、下の方は壁すら見えないのだ。しかも鍵穴はだいたい扉についているもので、それ自体探すのが難しい。
 それでも彼らは、どうにかいばらの間から、小さな黄色い南京錠が覗いているのを見つけることができた。発見したのは、夜刀だ。
 黄色い鍵は、南京錠の鍵穴にぴたりと収まり、やがてそこに人一人がやっと通れるほどの、小さな扉が口を開けたのだった。

【5】
 扉の向こうは、小さなホールになっており、真ん中に鳥篭のように見えるエレベーターがあった。
(童話の世界に、エレベーターとは……。やはり、夢なのですね。こういうところは、妙にシュールです)
 セレスティは、そんなことを思いつつも、長い階段を上まで昇らなくていいのはありがたいと、仲間たちと共にそれに乗り込む。ステッキで長時間歩行するのは、彼にとってはずいぶんと難儀なことなのだ。
 エレベーターは、すんなりと最上階へと到着し、彼らはそのまま、誰にも邪魔されずに三下のいる部屋へとたどり着いた。部屋には、鍵さえかかっていない。塔をおおういばらさえあれば大丈夫だと、ナイトメアは考えていたのかもしれなかった。
 ともあれ、開いた扉の向こうへ、彼らは足を踏み入れる。
 そこは、石造りの質素な部屋で、窓の傍に椅子と糸車が置かれ、三下はそこに腰掛けて、一心に糸を紡ぎ続けていた。萩が言ったとおり、裾の長いドレスに身を包み、長くした黒髪を背までも垂らして、見るからに「お姫様」な恰好だ。
 それでも、人の気配にふり返った顔を見れば、たしかに三下だった。
「へ、編集長! みんなも……!」
 彼らの姿を見るなり声を上げて立ち上がり、三下は感極まった様子で駆け寄って来ると、麗香に抱きついた。
「よ、よかった〜! 助けに来てくれたんですね〜。僕……僕、このまま、どうなるのかと思ってました〜」
「ち、ちょっと……!」
 最初は泡を食って声を上げた麗香も、おいおいと泣き叫ぶ三下に、小さく溜息をついてその背を宥めるように叩いてやる。
 それを見やってセレスティは、小さく安堵の吐息をもらした。
 その時だ。
「おまえたち、何者だ。そこで何をしている」
 鋭い誰何の声が響いた。セレスティたちは、ハッとしてそちらをふり返る。扉のところに、黒っぽいチュニックとマント姿の男が立っていた。しかし。
(なんと、これは……)
 セレスティが、眉をしかめて胸に呟いたのも、無理はない。
 男は、糊か何かで固めたような金色のカールした髪と、舞台化粧のような厚いメイクを施して、そこに立っていたのだ。そのどこか戯画的で作り物臭い姿は、滑稽ですらある。だが一方で、とんでもなくうさん臭い。三下でなくても、こんな男が「仕事の手を止めて、私と踊りましょう」などと言おうものなら、下心ありと見て無視するか、できることなら逃げ出すだろう。
 セレスティは、自分がそう声をかけられた時のことを想像して、体中を悪寒が駆け抜けるのを感じた。
 それは彼だけではなく、萩や夜刀ら同性の仲間たちにしろ同じだったらしい。女性である麗香やシュラインに至っては、虫酸が走ると言いたげだ。
 しかし、男の方は自分の恰好がうさん臭いなどと、露ほども思っていないようだ。大仰な仕草でマントを払い、腰の剣をすらりと抜いた。
「さては、おまえたちは姫をさらいに来た、悪人どもだな。この私が、刀の錆にしてくれるわ」
「誰が悪人だよ、誰が」
 大見得を切る男に、萩が呆れたように返す。
「だいたい、姫をさらったのは、そっちだろうが」
「青島さ〜ん。あんまり、その人を刺激しないで下さいよ〜」
 途端、麗香の後ろで三下が情けない声を上げた。
 だが、男はどちらの声も聞こえていないかのようだ。
「姫、ご安心下さい。この狼藉者たちは、私がすぐに退治てごらんに入れます」
 などと、勝手なことを言っている。
 そのやりとりに、思わず顔をしかめながらも、セレスティは持ち前の鋭い感覚を研ぎ澄ました。ナイトメアを倒す武器がどこにあるのかを、探すつもりなのだ。
 それへ、シュラインが囁いた。
「セレスティ、夜刀くん、ナイトメアを倒す武器がどこにあるか、わかる?」
「待って下さい、今、気配を探っていますから」
 答えてセレスティは、武器の気配を探るために、目を閉じる。
「……僕も……」
 彼とほぼ同時に答えて、夜刀は逆に目を見開くようにして、じっと一点を見詰めてはまた別の一点を見詰めるという動きを、繰り返し始めた。
 やがて。セレスティは、自分の感覚に、何か特殊な波動を放つものが引っかかったのを感じた。
「三下君の手に握られているものが、何か特殊な波動を放っています」
「……つむ……糸巻きのつむが……」
 彼が言うのとほぼ同時に、夜刀の目もまた真っ直ぐに、三下の手に握りしめられているものへと据えられていた。
 二人がそこにたどり着くまでの間は、さほど長い時間ではなかった。けれど、その間に萩と男の間では、大立ち回りが行われており、麗香はすがりつく三下をかばって、必死にふんばっていた。
 セレスティと夜刀の言葉を聞いたシュラインが、三下の傍に駆け寄る。その手から、つむを奪い取り、男めがけて投げつけた。つむの鋭い先端が、気配にふり返った男の眉間に突き刺さる。
「なっ……!」
 男は、信じられないかのように、大きく目を見張り、よろめいた。しかしそのまま、ざあっと音立てて、体は黒い砂粒の塊に変じ、崩れて消えて行った。

【エピローグ】
 気づいた時、セレスティたちは全員、あやかし荘の三下の部屋の床に倒れていた。
 彼らが目覚めるのとほぼ同時に、三下も目を覚まし、文字どおり夢から覚めたかのように、目をしばたたきながら、あたりを見回していた。
 ナイトメアは、改めて鏡に封印されたようだった。というのも、彼らが目覚めた時、鏡は沙耶の手にあり、鏡面には血で巨大なバツ印が描かれていたのだ。それは、沙耶がしたものだったらしい。もしかしたら、彼女がここへ来たのは、鏡の外から封じる人間がいなければ、封印は完成しなかったためかもしれなかった。
 が、彼女は何も語らず、鏡を手にその場を立ち去った。
 ちなみに、なぜ三下がそれを自宅に持ち帰ったかといえば、本当にそれを傍に置いて寝ると悪夢を見るのかどうか、試してみるつもりだったらしい。霊能力者の所に持ち込むことも考えたのだが、何事もなければ、また麗香に怒られる種を増やすだけだと思ったようだ。
 一方、件(くだん)のストーカーは、やはり運送会社の配達員で、萩の同僚の刑事が、自宅で精神に異常を来たしているのを発見した。ナイトメアと同調していたために、それが倒された衝撃で精神が破壊されたようだ。
 もっとも、最初からすでに、どこか狂っていたのかもしれないが。なにしろ、男の部屋は、壁中が『不思議の国のアリス』の扮装をした三下の写真で、埋め尽くされていたそうだから。中には、女性の裸体とアリス姿の三下の首から上とを合成した、怪しげなものもあったという。
(ストーカーが手に入れたかったのは、三下君当人ではなく、自分の理想どおりの少女の姿をした人、だったのかもしれませんね。彼がどんな人間なのかとか、仮装の時はどれほど美少女に見えても、その下はちゃんと男性なのだとか……そんなことは、どうでもよかったのでしょう)
 その話を聞いた時、セレスティは思ったものだ。
(だから、夢の中なら自由になると、そう考えていたのでしょう。そう……その手のビデオやマンガやアニメの中のように。バカな話です。夢の主が三下さんである以上、たとえナイトメアに憑かれていようと、自意識は変わらないわけですから、ストーカーの自由になど、なり得ないでしょうに。そもそも、男であれ女であれ、嫌悪の対象でしかない相手に言い寄られて、喜ぶ人間なんて、いるはずがないじゃないですか)
 軽く眉をしかめて胸の中に吐き捨て、セレスティは溜息をつく。
 なんにしろ、三下が無事でよかったと彼は、改めて胸を撫でおろした。
 ちなみに碇麗香は、事の顛末を聞いて、報復行動に出るかわりに、「自業自得ね」と一言、吐き捨てた。それにはむろん、彼も同感だった。
 数日後。車椅子での散策の途中、セレスティは三下の姿を見かけた。
 誰かと待ち合わせてでもいるのか、公園のベンチの傍で彼は人待ち顔で、手にしたパン屑をあたりに群れる鳩に撒いてやっている。と、次第に鳩の数は増え、どうしたわけか、彼の頭や肩に競うようにして鳩が止まり始めた。そのことに驚いて、彼は一人、わたわたと手足をふり回している。
 その姿がおかしくて、セレスティは思わずクスクスと笑い出した。
 笑いながらふと見やると、視界の隅に、ヒールの音も高らかにベンチの方へやって来る麗香の姿が映る。ほどなく、彼女の呆れたような声が、自分のところまで届いて来るのだろう。そう思うと、セレスティはまた笑いを漏らさずにはいられない。
(なべて世はこともなし、ですね)
 クスクスと、肩を揺らして笑いながら、セレスティはそう小さく胸に呟くのだった――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1883 /セレスティ・カーニンガム /男性 /725歳 /財閥総帥・占い師・水霊使い】
【5653 /伏見夜刀(ふしみ・やと) /男性 /19歳 /魔術師見習い兼助手】
【1570 /青島萩(あおしま・しゅう) /男性 /29歳 /刑事(主に怪奇・霊・不思議事件担当)】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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依頼に参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
最近少し、キャラクターさんたちの外見描写がマンネリになって来たかな……
と感じ、今回は思い切って、描写をいっさいなくしてみました。
なお、またもや女装ネタになってしまいましたが、
ご笑納いただければ、幸いです。

●セレスティ・カーニンガムさま
いつも参加いただき、ありがとうございます。
今回は、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、うれしいです。

それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。