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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


創詞計画200X:CODE03【SIDE T】



■これまでのあらすじ■


 〈メロウ〉、白銀色をした巨大な生物。はっきりとした肉体を持たずに、すべての人間の目に映るもの。振動と天使言語を駆り、人類を恐怖させ、ときには殺しながら、いまは助力を乞うものだ。
 これまでに現れた2体の〈メロウ〉は、いずれも消滅した。誰かがかれらを滅ぼしたわけではない。かれらが自ら、姿を消したのだ――しかし、姿が消えているだけで、かれらはまだどこかにいるのかもしれない。

 初めて人類の前に現れた〈メロウ〉――『アイアン・メイデン』と名づけられたが――それは、小笠原諸島にある無人島のひとつ、天鳥島を執拗に攻撃していた。天鳥島は数年前にある大企業が買い取り、なんらかの施設を建設していたという。その謎めいた施設も〈メロウ〉によって破壊され、現在天鳥島の周辺には海上自衛隊が張りついていている状態だ。
 母島の漁師だという徳島ならば、どうやら『裏道』を通って、天鳥島まで行けるらしいのだが……?

「あまの……とり……しま」
 草間興信所にもたらされたその情報に、依然として記憶を失ったままの八合坂薫が反応した。こめかみに手をやりながら、彼は呻く。
「私はなにか知っているんだな……。頼む、私もそこに連れていってくれ。なにか、行かなければならない気がするんだ。行って記憶が戻る確証があるわけではないんだが」
 八合坂医院の副院長をつとめていたはずの自分。
 エディ・B・ディッキンソンという博士を知っていたはずの自分。
 しかしいまの八合坂薫には、自分が八合坂薫ということにする実感を持てない。ただ彼は、『予感』というかたちで、徐々に記憶に近づきはじめている。
「その漁師との約束は、3日後だったな。3日後まで大人しく待つか? それとも……下調べ、しておくか?」
 草間がにやりと笑ってみせる。
「IO2が関わってるらしいじゃないか。ここは慎重にいかないとな」

 しかし目下の問題はまだあった。記憶を失ったのは八合坂薫だけではなかったのだ。小笠原諸島で『撃墜』された〈メロウ〉の死骸とされるものが東京湾に運びこまれたとき、〈メロウ〉の解剖検証に立ち会おうとした者たちがいたのだが――。
 死んでいるとされた〈メロウ〉、『アイアン・メイデン』のもとに行った調査員たちは、全員が数時間分の記憶を失って草間興信所に戻ってきた。彼らは『アイアン・メイデン』の状態や末路はおろか、なぜかエディ・B・ディッキンソンに関する記憶までも失ってしまっていたのである。


■身に覚えのない確証■

 とりあえず、なんだか複雑でとんでもないことになっているから、電話だけじゃ説明しきれない。すぐに興信所まで来てほしい。
 ――草間武彦からそう懇願された城ヶ崎由代は、四の五の言わずに興信所にやってきた。彼は彼なりの方法で、この東京――いや、世界中を震撼させているこの〈メロウ〉事件を追っている。そして、真実に近づける(と思われる)『道』を見つけだし、草間に報告したまでだ。しかし彼は自分が思った以上にあてにされていた。小笠原諸島に行く手段についての詳しい話は、草間の話を聞いてからにしたほうがよさそうだと、彼は判断したのだった。
 そうして由代は、草間興信所の煙草くさい応接室にいる。
 シュライン・エマ、光月羽澄、黒贄慶太、如月メイの4人が、どうも焦点が合わない目で懸命に記憶を整理しようとしている。その4人と、相変わらず記憶をなくしたままの八合坂薫の間で、鈴木天衣がせかせかちょこちょこと、コーヒーのおかわりを用意したり、資料を揃えたりと忙しく動きまわっていた。
 由代は、いまぼんやりと混乱している4人が、普段はこんな調子でいるわけではないことを知っている。記憶に障害を持っていないのは由代と天衣、そして草間兄妹だけだ。
 由代と天衣は顔を見合わせた。『アイアン・メイデン』の様子を見に行って戻ってきた4人の現状は、八合坂薫の容態によく似ている。八合坂と同じ経験をしたと考えていいだろう。
 天衣はふわふわと頼りない意識の4人の言葉を組み立てたり、4人に必死になって問いかけたりして、異変が起きた直前までの出来事を整理した。
「『アイアン・メイデン』には会ったみたいですね。で、博士の目がぴかっと銀色に光ったようなのを見たような気がする、らしいです」
「ふむ。またしても『天使の色』が関係しているか」
「天使のいろ、ですか?」
「この件はきらきらとした美しい銀色に振り回されている気がする。天使が放つような、澄んだ光と輝きを、僕は見たよ。いまでも僕らの中にある色だ」
 由代は天衣が淹れたコーヒーをすすって、わずかに眉を上げた。
「……これは、美味しいね。草間くんのところに、こんなに美味しいコーヒーがあったなんて」
「どうせいつもインスタントだよ、悪かったな」
「天衣さんが淹れると、インスタントでもすごく美味しくなるんですよ」
「……でも、八合坂さんやいまのシュラインさんたちには、味が伝わってないみたいな気がするです……」
「このコーヒーの美味しさに気がつけないのは不幸だ。手を尽くそう」
 由代が微笑んでカップをソーサーに置くと同時に、あ、と天衣が声を上げて目を丸くした。小柄な彼女は、まるで飛ぶような勢いで古いドアのそばまで駆けた。
「如月さん! どこ行くですかー!」
「あの……なんだか……あの子がすぐ近くに来てるような気がして……」
 ふらふらと危うい足取りでドアに歩み寄っていたメイは、そうして、天衣に引きとめられていた。記憶障害を患った4人のうち、いちばん深刻なのはこのメイだ。夢見心地のような節で、うわ言を呟いては、目を離すとこうして外に出かけようとしている。
「……なんだか酔っ払ってるみたい。自分ではしっかりしてるつもりなんだけど……もう。『お礼』しなくちゃ気がすまないわ、これ」
「俺もやってやろうじゃねェか、クソッタレ。ひとの頭ン中こねくりまわしやがってェ……!」
 羽澄と慶太はようやくいつもの調子を取り戻していたが、症状が回復に向かうにつれて、むかむかと燃え上がるような苛立ちや怒りを覚え始めていた。その様子に、無理もない、と苦笑いをしてから、シュラインがコーヒーを飲み下す。
「でも、そのエディ・B博士について客観的に見られるようになったことは、かえって都合がいいことかもしれないわ。……武彦さん、城ヶ崎さん。島の話を聞きたいんだけど」
 シュラインは席を移った。客が草間に怪談めいた依頼をするソファから、自分の定位置と化しているパソコンデスクの安物ワーキングチェアへ。寝起きのような顔つきながら、シュラインはペンを取る。彼女のその行動を受けて、草間は露骨に眉をひそめた。
「おいおい、横になってたほうがいいんじゃないのか?」
「親切にありがとう。……でも、私って、調査とか情報収集とか……仕事をすることがいちばんの薬みたいなのよね。すぐ元気になれるから、話して」
 青い目を細めるシュラインに、草間はやれやれと紫煙まじりのため息をつく。
 それを見て、天衣が口を真一文字に結んでから、突然呟いた。
「………………恋がしたいです」
「ど、どうかしました……? 天衣さん……」
 面食らうメイの横、天衣はだまって口をへの字に曲げた。

 由代は天鳥島――〈メロウ〉『アイアン・メイデン』が攻撃していた島へ向かう手段について話した。『裏道』という、どうやら、小笠原諸島を根城にしている漁師しか知らない航路を使って、自衛隊の包囲網を突破できるということ。出航は三日後だということ。どこかの大企業がその島を買い取り、なんらかの施設を建設していたということだ。

「無人島に施設……ですか」
「なにかの研究施設、って考えたほうがいいかもね。IO2が関わってることが間違いないんだとしたら……シュラインさん、ほんとに慎重に調べないと」
「なァ、でもよ、なんかイミありそうな感じしねェか?」
 慶太が耳たぶのピアスをいじりながら、にい、と口元を歪めた。
「でっけェ翼みてェなあのデカブツに……天使言語……こいつらが関わってる島の名前が、『アマノトリ』ジマなんだぜ。偶然とは思えねェよ。ちいっと、俺ァ島のこと探ってみるわ」
 慶太を見て、シュラインが頷き、羽澄に目配せをした。
「私も島について調べたいと思っていたの。選ばれたからにはなにか理由があるはずよ。IO2関係の情報は、その道のプロか……その道に自信がある人にお任せするわ。ね、羽澄ちゃん」
「ハッカーなら、ひとり、心当たりがあるから」
 羽澄がどこか無邪気に微笑んだ。
 その言葉の真意を知る者は、ここにいない。
 てきぱきと進んでいく役割分担に、メイは二の腕をこすりながらちいさくため息をついた。
「……ごめんなさい……情報収集とか……そういうことに使える力がなくって……」
「気にすることないですよ! 私も持ってませんです」
「私……あの子……『アイアン・メイデン』が気になるの。なにも思い出せないのが悔しくって……。その、ドックに、もう一回行ってみるのは危険でしょうか……」
「それは、やめておいたほうがいい。私もエディに会いに行って記憶がまた混乱してしまった。それに、きみたちは彼らに目をつけられているかもしれないし」
 八合坂の語調はけして強いものではなく、むしろメイをいたわる節さえあったが、メイは肩を落として頭を下げた。次いで彼女が出した声は、普段の声よりもさらに一段階小さなものだった。
「……ごめんなさい……。八合坂さん、私たちと同じような症状ですもんね……私……よく考えもしないで……」
「いや、気にすることはないよ。……あ、私、天衣くんとおんなじこと言ってるなあ」
 八合坂と天衣がくすりと笑うのにつられて、メイも顔を上げ、ちいさくちいさく微笑んだ。

 情報収集のために羽澄と慶太が自宅へ引き上げ、シュラインは草間と連れ立って図書館へ向かっていった。興信所には、天衣とメイ、由代、八合坂が残っていた――。


■内なる声に■

「如月くんだったね」
「あっ、……はい、なんでしょう……?」
 たわむれのように(或いはタクトを振るように)虚空に天使言語を描いていた由代が、不意にメイに声をかけた。ぴくっ、とメイの身体が強張る。メイの緊張を知ってか知らずか、由代は調子を変えることなく、話を続けた。
「きみは『あの子がそばにいる』と言った。それは気のせいにすぎないものだろうか?」
「……」
「そうではない、か。確信があるのだね」
「……はい」
「僕もそう思っている。かれらは僕らのそばにいる。それも、とても近くにいるようだ」
 由代の瞳の中を覗きこむことになったメイは、こくりと固唾を呑む。由代が自分のうわ言(彼女自身、自分が言った言葉の現実味を疑っていた)を肯定してくれたためばかりではない。
 由代のただでさえ神秘的な、深い黒の瞳の中に――
 まばたきのたびに揺らめく、ほのかな――
 白銀いろの――
 光が――
「あの子が……!」
「きみには感応能力があるね。僕が天使言語を試すのもいいが、きみの精神感応能力はかなりのものだ。僕らの中にいる『かれら』に、呼びかけてみてくれないか。『かれら』の知能は幼児並みだが、なにか大切なことを覚えているのは間違いない。天鳥島を狙っていたことにもわけがあるはずだ。きみたちが忘れさせられたことも、『かれら』なら覚えているかもしれない」
「で、でも……なんだかすごく……その、こころが……薄くて、ちいさいから……」
「きみならできる、というより」
 由代は苦笑いをした。
「おそらく、きみしかできないのだよ」

 メイは大きく鼻から息を吸って、目を閉じると、口から息を吐き出した。
 ちいさく、細かくなってしまった『かれら』。けれど『かれら』を、由代からも、自分からも感じるのは確かなのだ。
 応えてくれるのかどうかはわからない。
 メイは迷わないことにしようと、努力した。由代だけではない。自分と、由代だけでもない。恐らく世界中のすべての人間たちが、〈メロウ〉を識りたがっている。その糸口を掴むことができるなら――。

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 ンン―――――――――――ッッ!!

「!」
 メイがはっと青い目を見開くのを見て、由代と天衣が身を乗り出した。振動が聞こえたし、メイがなにかを『聞いた』のは確かだと思われたからだ。しかし、由代も天衣も、メイに答えを聞くことはできなかった。
 あッと叫んで、八合坂薫が倒れたのだ。
 そして、叫んだのは八合坂ばかりではなかった。由代とメイも、振動と同時に感じ取ったものがあり、驚いたのだ。

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 ふたりの中にいる白銀の存在が、きっと、その『映像』を見せてくれたのだろう。

 フラッシュバックのような一瞬に訪れた映像。
 潮の香りさえ届きそうな冴えた海原。鬱蒼と茂る草木。海に囲まれた自然には不釣合いな、灰色の建築物も見える。施設は真新しいものだった。清潔感はあるが、生活感は微塵も見られない。息を殺しているようにひっそりと、木々の中にたたずんでいた。指紋照合や声紋照合はもちろんのこと、何桁もの暗証番号や幾重もの段階を経る、施設はきわめて厳重なチェック体制を整えていたようだ。
 廊下を行き交う人間は全員が白衣を着ていたし、勤勉だった。けれども、どこか満足げで、あまり緊張感や使命感は見受けられない。なにか、この施設での業務を楽しんでいるようでもあったし、わずかに興奮している様相も呈していた。
 すべてが白銀色の、美しいヴェールに包まれている。
 それらはあくまで映像にすぎず、施設が奏でていそうな低い機材の唸りも、白衣の人間たちの会話も、なにも聞こえてはこなかった。聞こえているようなものと言えば、それは、

 ンンンンンンン――――――ンン――――。

 もはや耳に馴染みつつある、この震動だ。

 島や海はなにも知らない。なにも変わらない毎日が続いていたらしい。
 そう、去年の、あの台風が小笠原諸島に直撃するまでは。

 施設の人間たちは、台風の進路を予測していたようだ。台風が小笠原諸島に接近し、海が荒れ始める頃には、全員が施設を引き払っていた。
 大切なものも、しっかり抱えて。
 白銀いろとは似ても似つかない、鉄色の、冷めた巨大なシリンダー。
 石油タンカーに偽装した大型船にシリンダーを積みこみ、船は本土を目指して出航した。


 不意に映像の中に、ノイズが走る。


 ンンンンン、
 ざりっ、
 ――ちくしょう、あったま痛え。……よう、手を組まねえか。IO2の見張りもひとりだけだ。うまくすりゃ逃げられるぜ。
 ――いいけど、僕らがいまいる国っていったら、ニッポンじゃないか。この国じゃガイジンは目立つから、ここをうまく逃げられたとしてもねえ……。
 ――細かいこと気にすんなよ。どっちみちオレたちはニューヨークでもロンドンでも厄介モンだ。なあ、やろうぜ。あんた結構ヤバい力持ってるらしいじゃねえか。
 ――きみたちと似たようなものさ、ヤバさなんてね。……頭痛い。
 ――やってくれるよな? 頭いてー。おれは船の操縦できる。見張りをなんとかしてくれ。
 ――……。仕方ない。まあいいか。じゃ、僕の、この……目隠し、外してほしいんだけど。ああ、まったく、ほんとに、頭痛い!
 ざりっ、
 ざりっ、
 ンンン――――――――。
 ノイズ。
 ノイズ、ノイズ……ノイズ。ノイズ。
 合間に見えるのは、オニキス色の目をした壮年の男だ。白衣を着ている。物静かで理知的な印象を見る者に与える、白人だった。
 ノイズ。
 彼の名前は……。

「名前をつけよう、私の〈リリック〉。おまえは『ピース・オブ・マインド』」

 ノイズが終わりを告げたとき、視界いっぱいに広がったのは、天使が持つと言われている純白の翼だった。白銀いろのヴェールと輝きを持った、美しい……
 翼だった。


■フラッシュバック■


 図書館で天鳥島について調べていたシュライン・エマ。
 Lirvaとして、自立型プログラムとともにネットを駆けていた光月羽澄。
 実家のツテを辿って島の伝承を探っていた黒贄慶太。
 東京の、あちこちに散らばっていた彼らもまた――その白銀色に包まれた映像を見せられていた。振動を聞いた気がした。
 シリンダーが視界に残像として居座っている。

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「友達……友達は……なんなの? 天使だって……いうの……?」
 きらめく映像が消えたとき、羽澄はこめかみを押さえて呟いた。声はほんの少しだけ、震えていた。
 ふるふると軽くかぶりを振って、記憶に絡みついてくる白銀色を振り払った羽澄は、待機させていた電子の相棒に命令を与えた。防衛庁のサーバーに忍びこみ、いまは息を潜めるプログラムは、3日後に実行されるはずだ。


「……私たちの中に、あの子がいるんだわ」
 如月メイと同じようなことを呆然と口走るシュラインに、草間は目を丸くした。大丈夫かおまえは、と言いたげな視線に、シュラインは気がついて、苦笑いをしてみせた。
「大丈夫。ただ……、いろいろわかっただけ」
「なんだ、たったいまいろいろ調べがついたばっかりじゃないか。まだ他にもわかったことがあるっていうのか」
 小笠原諸島の風土記に手を置く草間が、渋面をつくる。シュラインは苦笑いを崩さなかった。


 ――ッたく。俺ってこんなオヒトヨシだったかね。なんだってこんな、必死こいてンだ。
 視界の白銀いろを振り払うようにして、慶太はかぶりを振った。薄暗い、雑多な彼の自宅だ。代々の拝み屋である実家に久し振りに連絡を入れた。突然連絡してきて頼みごととは何事か、とはじめのうちは息巻かれたが、自分が〈メロウ〉に関わっていることを告げると、電話の向こうの家族は大人しくなった。多くの日本国民同様、慶太の親族も〈メロウ〉に興味を持っていたということだ。
 しかし、自分が、あの物騒で巨大で子供じみた怪獣のために奔走していることに、他人事のように気づいた慶太は、すこしだけ驚いていた。不思議でもある。
 ――約束した……ような気ィするんだ。ただの気のせい、だなんて……いまは思えねェ。島に行く、ってェ約束じゃアなかったはずだけど、な……。
「ふゥ……」
 ――ッたく。やっぱ俺、オヒトヨシだわ。


「は、八合坂さん、だいじょぶですか?」
「……あ、……ああ、……うん」
 倒れた八合坂は、こめかみに手をやりながら身体を起こした。天衣はいつの間に確保してきたのか、グラスに入れた水を八合坂に差し出す。八合坂は礼もそこそこに、天衣の手からグラスを取って、ひと息に水を飲み干した。
「……心配です。八合坂さん、ほんとに島に行くですか?」
「こんな状態なら、行かないほうが身のためなんだろうな。もし私が本当に医者だったとして、天衣くんが私と同じ容態だったとしたら……きっと……いや、絶対に島に行かせない。でも……それでも、私は……」
「……行くです、ね。もし私が八合坂さんだったら、お医者さんに止められても、行くと思うです。私、とめないですよ。だって、思い出がなくなっちゃうなんて、すごく……すごく、つらいです。悲しいですよ。思い出を取り戻そうって頑張るのは、悪いことじゃないです」
 天衣の言葉に、真剣な眼差しで相槌を打っていた八合坂は、ふと、またこめかみに手をやった。けれども、その顔に苦痛の色は浮かんでいない。
「八合坂さん? また、なにか――」
「思い出……が、なくなる……記憶が……そうだ……天鳥、島……」
 八合坂の顔色は青褪めていたが、やはりそれは、体調不良や混乱がもたらす色ではない。緊張して、張りつめている。彼は天衣に顔を向けた。
「行ったことがあるんだ。そうだ。以前にも、あそこに『行かなければならない』と思ったことがあるんだよ……!」


■海が約束通りに裏返る日■

 満潮の夜だった。
 漁港はひっそりと静まりかえっていたが、潮の匂いも波の音も、いつもどおりに健在だった。いつもと変わらない夜に見える。けれども、どこかの陰でなにかが息を潜めているような危うさもある。漁港の空気をかき乱しているのは、この夜に、漁港を訪れた6人の男女の仕業かもしれなかった。
「天鳥島で、〈メロウ〉の正体がわかるといいんだけれど」
 港の灯の下で資料を広げるシュラインが呟いた。
「知らなければよかった事実でないことを祈るわ」
「……でも、島にあったのはなにかの研究施設であったことは間違いない……しかも、非公式。まともなこと研究してたなんて思えない。IO2が関わってるのは確かだけれど、ひとつ、はっきりしたことがあるの」
 羽澄が八合坂薫に目を向けた。
「島を買い取って施設を建てたのは、世界規模のコンツェルンなの。コンツェルンには、八合坂医院も加わってたわ。たぶん企業をまとめてたのはIO2。エディ・B・ディッキンソンや、八合坂さんのお父さんが……あの島の持ち主ってこと。施設のデータはIO2が管理しているみたい。……私、IO2は施設を監視してる側じゃないかって思ってたけど……逆だったわね。IO2が、世界のトップレベルの研究者を集めて、なにか熱心に研究してた」
「天鳥島が『選ばれた』ことに理由は? ただ、本土から離れているという点だけかね?」
「もう答えがわかってるって言い方じゃねェか、オッサン」
 適当なブロックに座って足を組んでいる由代は、慶太からオッサン呼ばわりされても、いつもの穏やかな笑みを崩さない。黙って、全員が慶太に視線を送る。
「島には伝説があったらしいンだよ。いまじゃ小笠原の年寄りでも覚えてるかどーか、ってェくらい古い言い伝えだな。天鳥島には、たまに天女が降りてくる――ンだとよ」
「天女?」
「あァ。そいつは願いを何でも叶えてくれるんだとさ。でも、コロシとかケンカとか、物騒な悩みは聞いちゃくれねェ。こころの清く優しい人間の、恋だとか、親孝行だとか、そーゆー平和な願いごとだけ聞いてくれるんだそうだ」
「……そんな素敵な伝説がある島、なんですか……」
「素敵?」
 メイの呟きに、慶太は咬みついた。彼に悪気はなかったが、彼のご面相はかなりの迫力であったから、その顔でそう聞き返されたメイは、ぎくりと身を強張らせた。
「素敵じゃねェよ。素敵なモンか」
「どうして?」
「……天女に願いごとを叶えてもらった人間は、即、鳥になっちまうんだ。銀色の鳥になって、天女と一緒に空に連れてかれちまうンだってよ。それってつまり……願いごと叶えてもらうのは、命と引き換えってことじゃねェか!」
 天鳥島にまれに降りてくる天女。
 彼女は、ただの伝説だろうか。天から降りてくるもの、こころの清い者の願い、銀色の鳥、天。その伝説の中に、振動はあったか。伝えられるうちに話は大きくねじ曲がってはいないか。
 伝説はあくまで、伝説だ。
 けれども、その島にあやしげな研究施設がつくられ、あやしい科学者がそこでの研究に関わり、白銀いろのなにかと関わりを持っていたのは確かだ。白銀いろの、いまは形も声もはっきりしないものに変わった存在が、教えてくれた。
「〈メロウ〉の正体について、いろいろ考えたよ……僕なりにね。けれど、結局すべては机上の空論だ。行って確かめるしかないだろう。――徳さんの準備は整っているようだ。行くかね」
「城ヶ崎さんは、天女の伝説を信じないの?」
 シュラインが資料を揃えて、由代に尋ねた。神秘には過剰なまでに興味を示す由代が、慶太の話にほとんど関心を寄せていないふうであったからだ。けれどもシュラインの質問に、由代はぴんと眉をはね上げ、欧米人的に肩をすくめてみせた。
「信じていないわけではないけれど、真実だとは思わないね」
「……伝説は生物みたいなもの。風化しかけてるほど古いものなら、必ず変化している……鵜呑みにするのは危険ということね」
 シュラインは言いながら、小さく頷いた。
「〈メロウ〉出現後に、島の周囲の環境に変化はなかったようだね。去年の台風の進路にも異常は見られなかった。となると――『かれら』は自然を操作するほどの存在ではないという可能性が高い」
「……天使なら……自然も操れるかもしれない……ですね」
「天使は自然の一部みたいなものよ。……私たちに、どうにかできるものでもないってことだけどね」
 羽澄が呟いたとき、話を聞きながら器用に荷物をまとめて運びやすくしていた天衣が顔を上げた。漁師がひとり、一行に近づいてきていたのだ。
 今夜の協力者である、徳島だった。


「なんだか朝から自衛隊さんが静かでなあ。なんかあったんかねえ」
 くわえ煙草で船を走らせながら、徳島が言う。羽澄が、しれっとした表情で彼の疑問に答えた。
「サーバーが落ちたのかも」
「鯖がなんだって?」
「誰かが防衛庁のコンピュータに侵入して悪さした、ってことだと思います」
「よくわかんねェけどそれって犯罪じゃねェんか?」
「大丈夫ですよ。たぶん」
 徳島と羽澄のやり取りを聞いて、羽澄が自衛隊の混乱に一枚かんでいるらしいことを、後ろのシュラインたちは無言で悟った。
 海は静かだった。3日前の静けさを保ったままだ。ただ今夜は、黒い空にくっきりと、満月が浮かんでいる。夜の海の風にあたっていた八合坂と天衣は、ふと、甲板から海原に目を落とした。
「……なにかいるな」
「ウロコが見えたです。龍さんじゃないですか?」
「龍って……そんな馬鹿な」
 しかし、満月の光を受け、波間でぬらぬら光っているのは、長い胴体を持つ巨大な生物にしか見えなかった。天衣はそれを、龍だと言った。八合坂は、べらぼうに巨大な海蛇だと思った。
「どうかしたかよ?」
「あ、黒贄さん。龍さんがいるですよ、ほら」
「あア……?」
 天衣が黒い波間を指さしたとき、ちょうど月の光が、船と並んで泳ぐ存在のうろこを照らした。ハ、と慶太が口元を吊り上げる。
「ありゃ俺の『蛇』だ」
「使い魔さんですか?」
「みてェなもんだな」
「……そうか、危険はないわけか」
 慶太の『蛇』は、徳島とこの船の護衛を命じられ、慶太の右足から解放されたものだ。普段は黒一色のトライバルタトゥーでも、慶太の命令があればうろこを持つ蛇にもなる。それを聞いて、八合坂の表情がゆるんだ。
「医者にしちゃ、オカルトに文句つけねェのな」
「医者だという自覚がないからかな」
 八合坂は他人事のように笑ってみせた。
「でもきっと、記憶があったとしても、私はきみたちを信じていたと思う。……そんな気がするんだ。科学だけが真実じゃない……もともと私はそう考えている人間だったのではないかな」
「八合坂さん、だんだん……こんがらがってた記憶が、もとに戻ってきてるですね!」
 天衣は笑顔を広げて、八合坂を見上げた。
「もうひと息って感じです! 島に行ったら、きっと――」
 3人の目が、そのとき、一斉に動いた。
 甲板に如月メイが来たからだ。メイは黒い空と海の境界を見つめて、不安げな様相を隠しもせずに、唇を噛みしめていた。
「なにか……来てるわ……」

 ざばざざざ、と海中で慶太の『蛇』が荒々しく動いた。その首をもたげ、海原を睨みつける。徳島は船を止めたらしい。満月が照らす海のうえを、得体の知れない気配が――泳いで、やってくる。
 一行に緊張の色が走ったそのとき、徳島がのそのそと操縦席から甲板に移ってきた。
「大丈夫だ。悪いモンじゃない。『裏道』通っていくって言っただろ」
 徳島は指をくわえると、するどく長く、指笛を吹いた。
 指笛の音色は夜の海の空気をつらぬき、正体不明の気配にぶつかる。
 指笛は何度か調子を変えて、やがてとまった。
「ぼんずさん、ぼんずさん。ちいっと急いで、こっそり隠れて、『あまのとりじま』まで行きてンだ。ぼんずさんに隠してほしいンだ」
 歌のような徳島の言葉が終わったとき――
 ざばあ、と海からなにかがあらわれた。
 黒い海と黒い空そのものが、海の中からあらわれたとしか思えなかった。満月の光をもってしても、その巨大ななにかの姿は、一行の目にうつらなかったのである。
 巨大な存在が手を伸ばし、一行が乗る船を抱え上げた。船は激しく揺れ、あちこちからべきばきと危うい音がしたが――




「どうもなア、ぼんずさん」
 はじめに目を開けた由代が見たのは、海に向かって帽子を振っている徳島の背中。
 そして、つい先ほどまでは視界の中になかったはずの、島々だった。
 シュラインと羽澄も続いて目を開け、身体を起こし(徳島以外の全員がいつの間にか倒れていた)、島を見て呆気に取られる。
「ちょっ……瞬間移動?」
「なんだったのかしら、いまの」
「……海坊主さんですよ。絶対海坊主さんです。海坊主さん以外ありえないです」
 天衣は青い顔で膝を抱え、呪文のように呟いた。八合坂と慶太はぽかんと口を開けて海を眺めている。慶太が船の護衛を任せていた『蛇』が、甲板に上がってのたうっていた。
「海坊主は船を沈めたり、不漁の予兆として忌まれているはずだが……うん、興味深い。実に興味深いね」
「もう、城ヶ崎さん……こんなときにメモなんか」
 静かに興奮して手帳になにごとか走り書きをする由代に目をやってから、シュラインは海原に目を戻す。徳島は得意げに腕を組んで、島のひとつをあごで指した。
「あれだ。あの小さいのが天鳥島。自衛隊さん、やっぱり見当たらねえな。さっさと付けちまうか」
 徳島は、『裏道』のメカニズムをなにひとつ語らないまま、操縦席に戻っていった。徳島が示した小さな島を見つめ、一行は固唾を呑む。
「……あそこに……」
 メイの声はいつもどおりとても小さかったが、どういうわけかこのときは、船のエンジン音や風と潮の音にも負けていなかった。
「……あの子たちの秘密が――」
 黒い空と海の中に、いまだ破壊の爪あとをさらけ出したままの黒い島が、浮かび上がっていた。




〈続〉


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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【2753/鈴木・天衣/女/15/高校生】
【2839/城ヶ崎・由代/男/42/魔術師】
【3018/如月・メイ/女/20/大学生・退魔師】
【4763/黒贄・慶太/男/23/トライバル描きの留年学生】

【NPC/八合坂・薫/男/30/医師】

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               ライター通信
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 モロクっちです。また間が開いてしまって申し訳ありませんでした。『創詞計画200X』東京編第3回をお届けします。
 本当は今回で島に上陸し、調査を進める予定だったのですが、皆さんが調査に奔走してくださったので情報量が増え、島の探索にさらに時間をかけられそうな運びになりました。次回は天鳥島での行動になります。自衛隊やIO2は一日ばかり混乱していますので、ゆっくり調査できるはずです。
 八合坂薫の症状も回復に向かいつつありますが、前回記憶に障害が出たPCさんの状態は変わっておらず、エディ・Bと『アイアン・メイデン』に関する記憶はなくなったままです。

 そろそろ真実が見え始めてきました。
 また次回お会いできますように。
 c;w@f!