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<東京怪談・PCゲームノベル>


VOICE


 「・・・・・・と、いうわけでしてねえ」
 沢木・氷吾(さわき・ひょうご)はゆっくりとカップをとり、中の紅茶をこれまたゆっくりと喉に流し込んだ。さらさらした黒髪、穏やかな顔立ち。静かに微笑んでいるように見えるのは糸目のせいか。薄い体を包むコートもスーツもシンプルだが、決して安物ではない。煙草のにおいのしみついたお世辞にも立派とは言えない草間興信所のオフィスには少々似つかわしくない男ではある。
 「で、俺の所に来たってわけか」
 「さすが草間先輩。話す手間が省けて助かりますよ」
 沢木はふわりと微笑んだ。何の邪気も裏もない微笑に草間はむずがゆさを覚え、ぼりぼりと首のあたりをかきむしる。そして無駄と知りつつも抵抗を試みた。
 「またうるさがれるんじゃないのか。おまえのところの課長も同僚たちも嫌がってるんだろう、おまえのやり方を」
 「やり方に拘泥して事件解決が遅れるくらいなら、僕は皆に白眼視されても信念を貫きます」
 細い目が静かに開く。穏やかな双眸には強靭な光が宿っていた。“小回りの利く民間機関を効率的に活用しながら迅速に捜査を進める”。それが沢木のポリシーだ。しかし警察の人間、特に凶悪犯を一手に引き受けているというプライドのある刑事課はそれを快くは思っていない。
 「それに」
 沢木はふっと微笑んだ。「平気ですよ、少しくらいの無茶は。僕には強い味方がついていますから」
 沢木の笑顔に草間はうすら寒さを覚えた。強い味方。それが誰であるかくらい、草間も知っている。
 「それでは有能な助っ人さまをお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします」
 沢木はコートを手にかけて立ち上がり、丁寧に腰を折って草間のもとを辞した。



 少年はあくびをしながら宮本署刑事課に足を踏み入れた。敵意と好奇に満ちた刑事たちの視線も何のその、ぼりぼりと頭をかきながらきょろきょろする。首から下げたロケットが歩調に合わせて小さく揺れる。前日、深夜までゲームをしていたせいで寝不足気味だ。元々夜行性の者の血が混じっているせいなのかも知れないが。
 「ねえ、おっさん」
 少年は手近な刑事を見つけて声をかけた。「二係ってどこ?」
 刑事の目が吊り上がる。そして、刑事は無言で部屋の奥を顎でしゃくった。彼が示す方向には粗末なアルミのドアが見えた。それは「部屋」というより物置の風情に近い。
 「ありがとさん」
 少年はひょいと肩をすくめて礼を言う。「沢木は刑事課の連中には嫌われてるからな」という草間の言葉はまんざら嘘でもなさそうだ。
 「こんっちわ〜。この寒い季節に似合いな懐の某興信所から来てみましたモンですけどー」
 「おやおや、ずいぶんうまいことをおっしゃいますね」
 ノックもなしにドアを開けると中で紅茶を飲んでいた細身の男が苦笑とともに出迎える。部屋の中は八畳ほどの広さで、オフィスと呼べるほど上等な空間ではなかったが、男の穏やかな目元と微笑に少年は好印象を持った。
 「あんたが沢木さん?」
 「沢木氷吾、宮本署刑事課二係警部補です」
 沢木は警察手帳を示して名乗った。「桐生・暁(きりゅう・あき)くんですね?」
 「そーだよん。ねえねえ、桐嶋さんって人は?」
 「克己さんのこともご存知なのですか。草間先輩もずいぶんとおしゃべりですねえ。残念ながら、克己さんは本庁のかたなのでここにはいらっしゃいません」
 と沢木はまた苦笑する。それから改めて暁を見てちょっと首をかしげた。
 「目が赤なんですね。ハーフ・・・・・・ですか?」
 「これー? カラコン、カラコン。この髪色に合うかと思ってさ。イケてるっしょ?」
 暁は笑いながら言い、金色に染めて無造作に遊ばせた髪の毛を示した。
 「では、早速捜査資料に目を通していただきましょうかねえ」
 「捜査資料なんて民間人に見せてくれるんだ?」 
 「もちろん捜査情報を外部に漏洩するわけにはいきませんが、僕の助手が作った“私的な”資料なら大丈夫です。耀(あかる)ちゃん、資料はできてる?」
 「もちろん」
 耀と呼ばれた少女がデスクから降りて胸を叩く。小柄な少女だ。白い髪に紫の瞳という容貌はもしかして人外のものの血が混ざっているのではないかとすら思わせる。
 「俺なりに考えてみたんだけどさあ」
 沢木が淹れてくれたミルクティーを前にし、資料をめくりながら暁は言った。「祖父母は自殺じゃないのかな。無理心中しようとした可能性もあんじゃん。ハルキが暗示かけられたって線もあるよね。例えば・・・・・・ハルキがお祖父さんの遺体発見した時、まだお祖母さんは死んじゃいなかったとか。んで、ほうじ茶に農薬入れたってのは祖母に聞いたんじゃないか? そんで何か言われて自分の所為だとか思って自己暗示かけたかだと思うんだけど」
 「なるほど、それも興味深い推理ではありますが」
 沢木は感心したように肯きつつも穏やかに否定する。「残念ながら、綾瀬ハルキさんが被害者を発見した時は二人とも死後十一時間近くが経過していました。それに、綾瀬ハルキさんは前日に祖父母宅から電話をもらったからあの日の朝にあそこに行ったのです。自殺しようとする人間が孫に電話をして里芋の煮物を所望するとは思えませんのでねえ」
 「そっかあ。名探偵・暁ってわけにはいかないな」
 暁はがっくりと肩を落として資料を読み始めた。
 被害者の名は須川辰治(七十五歳)、その妻ミヨシ(七十歳)。死因は農薬によるもので、死亡推定時刻は八日(木曜日)の午後九時ごろ。夫妻の首にはひっかいたような血痕が幾条にもでき、爪の間からも自身の皮膚と血液が検出された。苦しんで喉をかきむしったものと思われる。
 容疑者・綾瀬ハルキ(二十一歳)が手製の里芋の煮物を持って二人のもとを訪れたのは翌日九日の朝八時前。ハルキが二人を発見した時は暖房と照明は入っておらず、配達されていた朝刊も受け取られていなかった。窓もドアも鍵がかかっており、完全な密室状態だった。
 農薬は普通の園芸店で入手できる普通の物で、アパートのベランダに花壇を作っていた須川夫妻が購入したものと判明。使用した農薬の残りが二人の部屋から発見されている。農薬は二人が用いた湯呑み茶碗のみから検出された。食器棚から出ていた湯呑みは床に転がっていた物とテーブルに倒れていた物のふたつだけ。湯呑みにはハルキと祖父母の指紋がついていたが、ハルキのものが最も新しかった。ヤカンと急須、茶筒に付着していたのは祖父母のもののみ。そして、遺書はまだ見つかっていない。
 「ふーん。密室殺人ってことかな」
 暁は呟いて首をかしげた。「金品は手付かず、か。怨恨ってやつ? 被害者を恨んでた奴はいないの? もしくは被害者と不仲だった奴とか」
 その問いにふるふると首を横に振って答えたのは耀だった。
 「いい人だったみたい、あのおじいちゃんとおばあちゃん。孫を可愛がって、孫のほうもなついてて。だから怨恨っていう線はどうかなあ」
 「じゃあ夫婦仲はどうだったんだろ」
 「良好だったみたいたよ。近所の人が羨ましがるくらい。おっきなトラブルもなくて、仲良く静かに暮らしてたんだって」
 「へーえ。夫婦のあるべき姿の終着点って感じかな」
 十七歳の暁の物言いに沢木は苦笑を漏らした。
 「この平田浩之ってのは?」
 暁は捜査資料の一節を指して沢木に問うた。三十五歳の会社員で、被害者宅の合鍵を所持していたと記されている。
 「被害者の遠戚の男性です。被害者宅の近くに住んでいて、ご夫婦を度々訪れて家の中のことやヘルパーのようなことをしていたそうで。須川ミヨシさんは脚が不自由で、辰治さんは腰痛持ちでしたから。さらに、被害者が発見された時、野次馬の中に彼がいたという目撃証言もあります。何かぶつぶつ言っていたそうです。何を言っているかまでは聞き取れなかったそうですが」
 「そいつは被害者を恨んだりしてないの?」
 「実の親のように慕っていたそうです」
 「じゃ違うかな。でも綾瀬ハルキが犯人だとはイマイチ思えないな、勘だけど」
 「彼は軽度の統合失調症の疑いがあります。頭の中で声が聞こえるとか、周りに悪口を言われているような妄想に陥るのは統合失調症の典型的な症状なのですよ」
 頭の中で声が聞こえるのはそのせいかも知れない、と沢木は複雑な表情で口を開く。
 「ですが・・・・・・ボーダーラインといったところでしょうねえ。“電波”や“心を読まれている”、あるいは“監視されている”という台詞が出て来ません。統合失調症では例えば・・・・・・壁や天井に見えない電波線が張り巡らされて自分の考えがそこから外に漏れているような錯覚や、四六時中誰かに監視されているような妄想にとりつかれることも多いそうです。彼の言動からはそんな様子は窺えませんのでねえ」
 「ふうん。でもさ、ハルキがもし統合失調症だとしても事件解決にはならないよね」
 暁は一通り資料を読み終わって立ち上がった。「沢木さん、ハルキの大学やアルバイト先なんかに行って色々調べていい? ハルキか祖父母に恨みを持つ人間居ないか、居たらその時間帯何してたかとか。実際にその人達と話をしたいんだけど」
 「ええ、お願いします。そのつもりで来ていただいたのですから。あ、その前に」
 沢木は何か思い付いたのか、名刺を一枚取り出した。裏に万年筆で何事か書き付ける。
 「それを持って警視庁に行ってみてください」
 「けーしちょー?」
 暁は赤い瞳を激しく瞬かせた。
 「聞き込みにおいては警察官の強制力や威圧力が役に立つこともあります。僕は他にやることがありますので、克己さんに同行をお願いしてください。この名刺を見せれば通るはずです」
 「オッケー。じゃ、行ってくんね」
 暁は軽やかに返事をして二係を出た。



 「綾瀬ハルキぃ? ああ、そういえばいたね、そんな奴。田舎から一人で出て来たんだって」
 「しょっちゅう見かけたのなんて一年の前期だけだよね。二年になってからはほとんど来てないんじゃないの。でも耳はすごくよかったな。それで音楽の道を目指したとか聞いた気がする」
 「暗い子だったみたいよ。いつも一人で学食でごはん食べてたし」
 「綾瀬を嫌ってる奴ねえ。別にいないんじゃないかな。その代わり好いてる奴もいないだろうけど。友達いなかったから、あいつ」
 ハルキの通う音大での聞き込みの結果を集約するとこんなふうになった。
 「じゃ、次はハルキがバイトしてたペットショップね」
 快適な黒塗りリムジンの後部座席で暁がにこにことする。その隣で捜査一課管理官・桐嶋克己が激しい舌打ちをした。
 「氷吾のやつ、天下の管理官さまにこんなガキのお守りを押し付けやがって。俺様を便利屋か何かと勘違いしているのではないのか」
 「まーまー、いいじゃん。そんなこと言いながらもちゃんとついて来てくれるんだから、桐嶋さんっていい人だよね」
 「馴れ馴れしく話しかけるな、ガキ。管理官と呼べ」
 克己は鋭く切れ上がった眼に一層鋭い光を灯らせる。オールバックにした髪の質感は硬く、触れば皮膚を突き破ってしまうのではないかという錯覚さえ抱かせるほどだ。屈強な体躯に長身、そして全身から放たれる隙のないオーラ。容貌にも雰囲気にも“鋭利”という言葉がよく似合う。しかしそんな鋭さなど暁には痛くもかゆくもない。
 「ガキなんてダサイ呼び方しないでよね、管理官サマ。桐生暁っていう名前があんだからさ」
 克己は大きく息をついて煙草をくわえた。
 沢木は一体何者なのだろう。一般男子高校生には甚だ不似合いな警視庁を訪れ、受付らしき窓口で「捜査一課管理官の桐嶋さんに会いたい」と言ったらにべもなく断られたのだが、沢木の名刺を見せると受付係の顔色が変わり、慌ててどこかに内線電話をかけたのだ。そして座って待っているようにと丁重に案内され、上等なソファの上に腰を沈めたところに桐嶋克己管理官が現れたのである。
 やがてリムジンはペットショップの駐車場に窮屈そうに身を滑り込ませた。そこそこ大きなペットショップである。中に入ると清潔な白い床に白い内装、明るい照明が目についた。犬に猫、ハムスターやフェレット、小鳥に熱帯魚に金魚、カメ。しかしペットショップ特有の獣臭さはほとんどない。
 「定休日以外は毎日来てるよ。開店前の準備から閉店後の掃除までずーっと」
 フロアのチーフだという男性店員は暁と桐嶋を交互に見比べながらそう言った。暁が声をかけた時はさも面倒くさいといった表情をしていたのだが、桐嶋が警察手帳を見せて名乗ると途端に態度が変わったのだ。大学でも同じような現象を目にしている。沢木が言っていたのはこういうことかと暁は納得した。
 「そうなんだ? ずいぶん頑張ってたんだね」
 「じいちゃんとばあちゃんの生活費を援助してるんだって言ってた。だからずーっとシフト入れてるんだとさ。動物が大好きっていうのもあったみたい。でも使い物になんないね、あいつは」
 男性は溜息混じりに吐き捨てる。「とろいし、物覚えも愛想も悪いし。そのくせ地獄耳でさ。俺らがひそひそあいつの悪口言ってるとすっげー怖い目で睨むんだよ」
 「へえ。聞こえてるのかな」
 「じゃないの? 音大だから耳がいいんだろ、多分」
 「なるほど、ね」
 暁は軽く顎に手を当てた。「祖父母に生活費を援助してたってのはほんと? それならハルキはおじいちゃんっ子・おばあちゃんっ子なんだね。おじいちゃん、祖父母のことで何か言ってるの聞いたことない? 祖父母を恨んでる奴とか」
 「さてね。あいつ友達いなかったし、俺を含めてここのスタッフとはあんまり会話がなかったからな。でもじいちゃんばあちゃんはすごくいい人だって言ってたぜ。それがほんとだとしたら、恨んでる奴ってのはあんまりいないんじゃないの」
 ペットショップで得られた情報はこんなところだった。



 桐嶋に送ってもらって二係に戻り、ソファの上で仮眠をとっていた暁は人の気配で目を覚ました。長身の女性が二係に入って来たところだった。黒い髪に青い瞳が印象的だ。凛々しく整った容貌は中性的という形容がよく似合う。 
 「ねえねえ、おねーさん。おねーさんも草間興信所から?」
 「そうだけど」
 シュライン・エマと彼女は名乗った。
 「きれいだね」
 暁は何の羞恥も躊躇もなく無邪気にその台詞を口にした。シュラインもシュラインで「あらそう、ありがとう」とさらりと受け流す。
 「沢木さん、エマさん、ただいま戻りました」
 という声とともに今度はセーラー服の少女が入って来た。艶やかな青い髪に透き通った青い瞳、すらりとした長身。しかし顔にはまだあどけなさが残る。シンプルだが清楚な制服は中学校のものだろうか。
 「ねえ、きみきみ、草間興信所から来たの?」
 暁はぴょこんと体を起こして少女の前に立つ。少女は戸惑いの様子を見せながらも肯いた。
 「俺も俺も。よろしくね。可愛いねー君、学校どこ? 中学生?」
 「まあ、何ですかいきなり」
 少女は暁を睨むが、頬はちょっぴり赤らんでいる。
 「はいはい、そこまで」
 ぱんぱんという沢木の拍手が二人のやり取りを遮る。「皆さんには捜査のお手伝いに来ていただいているのですよ。じゃれる前に聞き込みの報告をしてくださるとありがたいのですがねえ」
 「へいへい」
 と暁は口を尖らせて頭の下で両手を組み、聞き込みで得た情報を一通り報告した。
 「あたしはまず須川さんご夫婦のお宅にお邪魔しましたが、特に変わった所はありませんでした。吐瀉物の跡があったくらいで」
 次に海原・みなも(うなばら・みなも)と名乗った少女が口を開く。「それからご近所の方々と、平田浩之さんに会ってお話を伺いました。ご近所の人たちは平田さんが須川さんご夫妻のお部屋に入って行くのを見たそうです。しかし不審な物音などはしなかったと。平田さんも被害者のお宅に伺ったのを認めていて、被害者が亡くなる前・・・・・・お茶を飲む前に辞去したと言っていました」
 「平田さんは綾瀬さんについて何かおっしゃっていましたか?」
 と沢木が問う。みなもはちょっと眉を曇らせてから口を開いた。
 「“あいつが殺したんだ”と。“絶対に許さない”とも・・・・・・。相当な敵意を感じました。身寄りのない平田さんにとっては須川さんご夫妻が数少ない縁者だったそうですから、仕方ないのかも知れません」
 そして最後にシュラインが口を開く。
 「私は綾瀬ハルキに直接面会して話を聞いたわ。彼、相当参っているみたい。頭の中で声がするって言って壁に何度も頭を打ち付けていた」
 その情景を想像して暁は軽く身震いする。シュラインは構わずに続けた。
 「第一発見者として、現場で事情聴取を受けた時に野次馬の中から視線を感じて、頭の中で“おまえが殺したんだ”“絶対に許さない”“おまえがほうじ茶に農薬を入れて”という声がしたそうよ。ひとつ気になるのは・・・・・・彼、被害者夫婦ご本人じゃなくて、平田浩之さんに電話をもらったそうなの。辰治さんとミヨシさんが里芋を食べたがっているからバイトに出かける前に持って来てほしいと。通話記録と着信履歴も確認済み」
 暁とみなもは互いに顔を見合わせた。
 「それじゃ、怪しいのはその平田浩之ってこと? 須川さんが死ぬ前に部屋を出たっていうのも嘘っぱちかも知れないよな」
 「動機は?」
 暁の言葉にシュラインが反論する。「平田さんはこまごまと須川ご夫妻の世話を焼いていたんでしょう。無償でそこまでするからには相当慕っていたんじゃないかしら。遺産・・・・・・という線もあまりないでしょうね。遠い親戚の平田さんに相続権が回ってくるとは思えない。ごきょうだいのいない須川さん夫妻が亡くなればまずは須川さんのお子さん、つまりハルキさんのお母さんが相続権を持つはず」
 「あたしも平田さんはシロだと思います。状況やアリバイは怪しいけれど、年の離れた親子みたいだと近所の人たちも話していましたもの」
 「それじゃ、祖父母に生活費まで渡してたハルキがやったのか? 俺はそうは思えないけど」
 と暁が口を尖らせる。「だったら自殺ってことになるけど、自殺なら平田浩之はなんでわざわざハルキに連絡したのさ。被害者が平田に頼んだとも思えない。可愛がってた孫に死体を見せたいと思うはずがねえからな。電話するメリットがあるとしたら、ハルキを第一発見者に仕立て上げてあわよくば湯呑みとか急須に指紋をつけさせて疑いを向けさせるってことくらいじゃないの?」
 暁の言葉ももっともだ。三人の思考は混乱した。
 沢木のデスクの辺りで「ふふふ」と忍び笑いをする声がする。見ると、耀が前後を逆にして椅子に座り、にまにましながら三人を眺めていた。三人は誰からともなく顔を見合わせた。いつの間に来たのだろうか? さっきまでは確かにいなかったのに・・・・・・。
 「皆様、お困りかしら? アタクシのとっておき情報を教えてあげてもよろしくてよ」
 似合わぬ言葉遣いとともに耀はバインダーを開く。「あのねー。おじいちゃんとおばあちゃん、悩んでたみたいだよ。学生のハルキさんに生活を助けてもらうのは心苦しいって」
 「そんなこと、誰から?」
 みなもが訝しげに問う。「ご近所の人たちからも平田さんからもそんなお話は聞きませんでしたが・・・・・・」
 「そりゃそうでしょ。だって、普通は悩んでることを人にべらべら話したりしないじゃん」
 「誰にも話さないような悩み事をどうして耀ちゃんは知ってんの?」
 「あたしの仕事は情報収集屋だもん」
 これくらい当たり前、と耀は暁に向かって不敵に笑ってみせる。みなもと暁は顔を見合わせて首をかしげるしかない。
 「心苦しい、か」
 そうかも知れない、とシュラインは顎に指を当てて呟く。「ハルキさん、“ぼくはいっぱい働かなきゃいけないから”と言っていたわ。須川さん夫妻の生活費を援助するためでもあったのかも知れない。親御さんから充分に仕送りをもらっているハルキさんが働き詰めになる必要はないもの」
 「・・・・・・なるほど」
 と言ったのはずっと黙り込んでいた沢木であった。
 四人の目が一斉に沢木に向く。糸のような沢木の目がかすかに開き、鋭い光が灯る。しかしそれもほんの一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの穏やかな微笑が浮かんでいた。
 「耀ちゃん、柳さんに連絡してください。綾瀬さんと、それから平田さんを連れてくるようにと」
 耀は元気な返事をして出て行く。暁は訝しげに沢木に問うた。
 「沢木さん、犯人が分かったの?」
 沢木は無言の微笑を返しただけだった。いつもの柔和な笑みの裏にかすかに悲しみの色がたゆとうていることにどれだけの人間が気付いただろうか。



 沢木に連れられて小会議室に入って来たハルキの肌は真っ白だった。肩に触れる茶色い髪は染毛ではなく生来のものだろう。瞳の色も薄い。それなりに整ってはいるが脆弱な顔立ち。セーターの下の肩はずいぶん華奢で、平たい。室内で待っていた面々を見て蝋細工のような唇がかすかに震えた。
 一方、警察への呼び出しを受けて会社を早退してきた平田浩之は三十五歳、ごく普通のサラリーマンだった。中肉中背に銀縁の眼鏡。スーツにもスラックスにもぴしっと折り目が入り、白いワイシャツの襟も清潔そのもの。見るからに実直そうな男である。
 「どうしてぼくが呼ばれなきゃいけないんです? 犯人はそいつでしょ。自供したらしいじゃないですか」
 宮本署の小会議室に呼ばれた平田は舌打ちしてハルキを見やった。ハルキは怯えたようにびくっと体を震わせる。
 「犯人は綾瀬ハルキさんではありません」
 シュラインが穏やかに口を開いた。しかしその目には厳しい光が宿っている。平田は口元をかすかに痙攣させた。
 「じゃあぼくがやったとでも? 冗談じゃない! 辰治さんとミヨシさんを殺したのはハルキだ! そいつが二人を――」
 「“死なせた”と」
 みなもがきっと顔を上げる。「あなたはそうおっしゃりたいのでしょう」
 「ああそうだよ! 二人が死んだのはハルキのせいだ、全部こいつが――」
 「殺したのはハルキじゃないよ。あんたでもない。自殺さ」
 と暁がぼりぼりと頭をかきながら言った。
 ハルキが弾かれたように顔を上げる。平田の顔が決定的にこわばった。それを肯定とみなして沢木がゆっくりと語り出した。
 「あなたは須川さんのお宅に頻繁に出入りしていた。ハルキさんも同様です。しょっちゅう顔を合わせていたからにはあなたはハルキさんとも知り合いだったのでしょう?」
 「そうですよ。それが何か?」
 「最近、須川ご夫妻は悩んでいたそうです。お心当たりは?」
 沢木の言葉に平田の口元が歪む。眼鏡の奥に燃え上がる激しい憎悪と敵意をシュラインは読み取った。
 「推測でしかありませんが、例えばこういうことは考えられませんかねえ」
 沢木の口調は柔らかかったが、糸のような目は正面から平田を見据えている。「ご夫妻はハルキさんに迷惑をかけていると思い悩んでいました。自分たちに生活費を援助するためにハルキさんが働き詰めになって大学にも行けなくなったのだと」
 ハルキが沢木の背後で息を呑む。
 「ハルキさんの性格だから、援助はいらないと言っても聞かなかったでしょうね」
 みなもがやや顔を歪め、一言ひとこと押し出すように低い声で言う。「そして、自分の存在がハルキさんの重荷になっていると思ったご夫婦は・・・・・・」
 みなもの言葉を遮ったのは平田の甲高い叫び声だった。激しく頭を振って叫ぶ。まるで何かから逃れようとしているかのように。リノリウムの床に眼鏡が落下し、無機質な金属音を立てた。
 「――平田さん」
 シュラインは膝をついた平田の前にしゃがみ込んでゆっくりと口を開いた。「須川さんご夫婦はあなたの目の前で服毒死したのでしょう」
 平田はゆっくりと顔を上げ、虚ろに肯いた。



 陽はすっかり落ちて、夕焼けの残滓は徐々に闇に侵蝕されつつあった。
 「おかしいと思ったんです。ぼくに“絶対にやかんや急須、湯呑みに触らないで”なんて言って。いつもはぼくがお茶を淹れてあげるのに。今思えば、ぼくの指紋をつけさせないようにするためだったんですね。ぼくに疑いが向かないように」
 やがて平田はぽつりぽつりと話し始めた。
 「二人はぼくの目の前で農薬を飲んだんです。自殺の目撃者になってくれと言って、ぼくの目の前で死んでいったんです」
 平田は悲鳴のような声さえ上げて両手で顔を覆った。スーツの肩ががたがたと震えている。
 「二人の寝室から遺書が見つかりました。ハルキに迷惑をかけたと・・・・・・自分たちのせいでハルキは大学にも行けなくなった、だから自分たちは死ぬのだと書いてありました」
 「ハルキのせいで二人が死んだって思ったわけか」
 暁の言葉に平田はこうべを垂れたまま肯いた。
 「それでハルキに電話をかけたんだな。第一発見者に仕立て上げて疑いを向けさせようとして。遺書は持って帰ったんだろ。自殺に見せかけた他殺だと思わせるために」
 「警察の聞き込みでは、野次馬の中にあなたを見たという証言があったそうです。あなた、何かぶつぶつおっしゃっていたそうですね。もしかして“おまえが須川さんを殺した、おまえのせいだ”とでもおっしゃっていたのではないのですか?」
 「あなたはハルキさんの耳のよさも、統合失調症の疑いがあることも知っていた。それでハルキさんに自分の言葉が聞こえればよいと・・・・・・あわよくば殺人犯にしてしまおうと。だから“おまえが農薬を入れた”などと言ったんでしょう?」
 暁、みなも、シュラインが順に口を開くが、平田は答えない。すすり泣く声が聞こえただけだ。
 「どうして救急車を呼ばなかったのですか」
 沢木がそっと平田のそばにしゃがみこんだ。「農薬自殺は苦しいものです。つまり、即死ではない。すぐに救急車を呼んでいれば、あるいは・・・・・・」
 「・・・・・・許せなかった」
 平田はぽつりと呟いた。濡れた顔をゆっくりと上げる。真っ赤に泣き腫らした目には敵意と憎悪が燃え滾っていた。それは明らかにハルキに向けられたものだった。
 「ぼくは辰治さんとミヨシさんを本当の親のように思っていました。ぼくには身寄りがありませんから。・・・・・・ぼくは、そんな二人の自殺の場面を目の前で見せられたんです」
 ハルキの華奢な体がぎゅっと収縮する。
 「だから・・・・・・ハルキなんか苦しめばいい! ぼくの大事なあの二人を自殺に追い込むまで苦しめたハルキなんか――」
 鈍い打撃音が小会議室に反響した。シュラインがはっとして顔を上げる。沢木も目を丸くし、みなもは喉の奥で小さく悲鳴を上げて口を手で覆った。
 「ふざけんな!」
 平田の胸倉をつかみ、容赦ない右ストレートをぶち込んで叫んだのは暁であった。攻撃の反動で首のロケットペンダントがゆらゆらとたゆとう。
 「大事な人なんだろ! 親みたいに慕ってた人なんだろ! だったら助けろよ! なんで黙って死なせたんだよ! 救急車呼んだら助かってたかも知れねえんだぞ! なのに、なのに――」
 「桐生くん」
 固く握り締めた右の拳をぶるぶると震わせ、今にも第二撃を繰り出しそうな暁の肩を沢木がつかむ。暁は我に返ったかのように目を揺らした。真っ赤な瞳から涙がとめどなくあふれ出していた。
 「ちくしょう・・・・・・ちくしょう」
 沢木に肩を抱かれながら暁は何度もその言葉を繰り返す。
 沢木の携帯がポケットの中で震え出す。沢木は一言断ってから応対した。分かりました、ありがとうございますとだけ言って電話を切る。
 「平田さん。あなたのお部屋から須川さんの遺書が発見されました。筆跡も須川さんのものと一致したそうです」
 沢木は静かに言った。
 平田の目から新たな涙が溢れ出す。そして平田は慟哭した。胎児のように体を丸めて、床に拳を叩きつけながら激しく泣きじゃくった。誰の目も憚らぬ嗚咽が白い壁に乱反射し、長い尾を引いていつまでもいつまでもその場にとどまった。



 「落ち着きましたか」
 会議室から少し離れた休憩室で沢木は穏やかに暁に問う。暁は目をごしごしこすりながらこくんと肯いた。
 「そのロケットの中身、もしかしてご両親では?」
 暁の顔が小さく、しかしはっきりとこわばる。
 「・・・・・・見たの」
 「桐生くんが聞き込みから戻って来て、仮眠している間に」
 失礼とは思いましたが、と付け加えて沢木はゆっくりと窓辺に歩み寄る。そっとガラスに手を当てると冷たい夜気が掌からしんしんと伝わる。
 「失礼を承知で申し上げます。答えたくないのであれば答えてくださらなくて一向に構いません。――ご両親は亡くなられているのですか。それで先程あんなに興奮して・・・・・・」
 「うん。殺された」
 暁はけろっとして言った。沢木の細い眉がかすかに中央に寄る。
 「でも、ずーっと昔のことだから。もう、忘れ・・・・・・」
 暁の言葉はそこで途切れた。リノリウムの床にぽたぽたと涙が滴る。沢木はそっと目を逸らした。暁の嗚咽が狭い休憩室を満たした。
 「お腹が空きませんか」
 沢木は震える肩に優しく手を置き、そっとハンカチを差し出した。「事件解決の打ち上げといきましょう。もちろん会計は僕が持ちます」
 「・・・・・・うん」
 暁は肯いて涙を拭い、鼻をすすり上げてから顔を上げた。濡れた頬と真っ赤に泣き腫らした目がひどく痛々しい。それでも暁は笑っていた。
 「おいしいスイーツも食べたいな。頭いっぱい使ったから糖分補給しなきゃ」
 「それじゃ克己さんも呼びましょうか。ああ見えて大の甘党なんですよ、あのかた」
 「あの管理官サマが? 似合わねーんだけど!」
 暁はげらげらと声を上げて笑う。しかし目尻には涙が光っていた。沢木は優しく微笑んだ。
 「ねえ、沢木さん」
 ひとしきり笑った後で暁が問うた。「綾瀬ハルキ、祖父母の生活を助けるためにバイトに打ち込んだのかな? 大学に行かなくなったのが先で、バイトに打ち込んだのはその後のような気がするんだけど。大学になじめなくて登校拒否になったって聞いたし・・・・・・」
 「でしょうね。恐らく・・・・・・辰治さんとミヨシさんの思い込みだったのでしょう。ハルキさんは、最初は“大学に行かなくなった分たくさんバイトで稼いで少し余裕ができたから”という気持ちだったのでしょうね。祖父母の生活援助は後付けの理由。祖父母に感謝されては本当のことも言い出しづらかったでしょうし」
 「祖父母のためと思えば登校拒否も正当化できたのかも知れないよね」
 暁は暗い目を上げて沢木を見た。
 「ハルキが本当のこと言ってたら、祖父母は死ななくて済んだのかな?」
 「それは誰にも分かりませんねえ。ただ、ハルキさんは祖父母が大好きで、祖父母もハルキさんが大好きでした。その気持ちがこんな結果になったのだとしたら、ずいぶんと皮肉なものです」
 そう呟いて沢木は窓の外に目を投げる。夜の帳が急速に降り、街を包み始めていた。
 このまますべてを覆い隠してくれればいい。何も見えないように。誰にも見えないように。暁はそんなことさえ考えながらぼんやりと窓の向こうを眺めた。 (了)





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/     PC名       /性別/年齢 / 職業】

4782  桐生・暁(きりゅう・あき)    男  17歳 学生アルバイト/トランスメンバー/劇団員
0086  シュライン・エマ         女  26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1252  海原・みなも(うなばら・みなも) 女  13歳 中学生



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■         ライター通信          ■
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桐生・暁さま


こんにちは、お初にお目にかかります。宮本ぽちと申す者です。
今回は「VOICE」にご参加いただきましてまことにありがとうございました。

刑事ものサスペンスといったテイストで展開しましたが、いかがでしたでしょうか。
当初こちらでは違う結末を用意していたのですが、桐生さまのプレイングに「なるほど!」と膝を叩いてしまい、エマさま・海原さまのプレイングと折衷してこのような形といたしました。

桐生さまの能力や設定をあまり生かせない物語で申し訳ございません。
最後にちょっと見せ場を作らせていただきましたが、少しでもお気に召してくださったなら幸甚に尽きます。


だいぶ長文となりましたが、ここまでご覧くださってありがとうございます。
またいつか、沢木や桐嶋に会いに来てくださる日を心よりお待ち申し上げております。


宮本ぽち 拝