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<東京怪談ノベル(シングル)>


マネキンとデパートの罠


 あるところに、どこにでもいるような買い物好きの女子大生がいた。
 彼女は、彼女と趣味を同じくする高校以来の友人さんと、休日暇さえあればブティックに買い物に出かけるのが趣味だったそうだ。
 その日もいつもと同じように友人さんと連れ立って、冬物のセールをはじめたというデパートに出かけていった。
 アルバイトの給料日明けで財布に余裕があり、また丁度冬物の服が欲しいと思っていたこともあって、その日の買い物は、半分以上をウィンドウショッピングに費やすいつもより高いテンションで進んでいた。
 だから、だったのか。それとも他に理由があってのことだったのか。
 ふと気付くと、一緒に来ていたはずの友人の姿がない。買い物に夢中になっていた彼女は、洒落たコートに目を取られている隙にいつのまにか、友人がいなくなっていた事にしばらく気がつかないでいたのだ。
 それは、本来ならたいした問題にもならない些末な失態だった。
 はぐれたのなら携帯電話で連絡を取って合流すれば言いだけの話だし、万一連絡も取れずにそのまま帰ったとしても、十やそこらの子供ではないのだから、まさか迷子になって帰れないなんてことになるはずもない。
 友人の不在に気付いた彼女は大方の人がそうするように、まず携帯電話で連絡を取ろうと試みた。しかし、友人は電話の電源を切っているのか、連絡が取れない。
 次に試みたのは迷子放送による呼び出しだった。けれどこれも無駄に終わり、友人は一向に見つからない。
 最後にしたのはデパートの中を歩いて探し回ることだった。それまでに回った店へと引き返し、彼女の行きそうな場所を隅から隅まで探し回った。
 けれど結局、彼女が見つかる事はなかった。
 代わりに見つかったのが、一体の奇怪なマネキン人形である。
 初め彼女はそのマネキンを見つけたとき、驚きに目を見開いた。次いで小さく首をかしげ、何の悪い冗談かと思って薄く笑った後、不気味な悪寒にゾッと背筋を凍えさせた。
 そのマネキンの服装は、面立ちは、先ほど見失ったばかりの友人に瓜二つだったからだ。
 まさか。と、薄気味悪い妄想を抱き、抱いた直後に自らで否定する。
 まさか「はぐれた友人が目を離した隙にマネキンになってしまった」なんて、ひどく子供じみた妄想である。首を振って、「はぐれてしまったので一人で帰ったのだろう」と納得する。
 次に会った時は埋め合わせにパフェでも驕らせよう。そんなことを考えて、気を紛らわせながら、携帯電話のカメラ機能を使ってそのマネキンを写真に収める。
 「今度の話のタネにでも」と、それは胸の奥にわだかまる原始的な不安を拭い去るための、ある種の儀式のような行為だった。

 その夜、とうとうその友人とは連絡が取れなかった。

 次の日も、その次の日も友人に連絡はつかなかった。
 彼女と同じ大学に通っている別の友人に聞いてみても、その日以来欠席をしていると言う。不安になって友人の家まで訪ねてみても留守だった。思い余って彼女の実家に連絡をとっても、何も聞いていないという。
(警察に連絡するべきだろうか)
 一人思い悩み、彼女は迷っていた。けれど、どう説明すればいいのだろうか。「友達がマネキンにされた」? そんな馬鹿な話があるはずはない。ただ、連絡がつかなくなっただけで、彼女はその友人の保護者ではないし、友人は両親の保護下に置かれる未青年でもない。どうして警察がまともに取り合ってくれるだろうか?
 迷いながらなんの気もなしに、携帯電話に視線を落とす。最後に友人を見失ったあのデパートで撮った写真を、友人にそっくりなマネキンの姿を見て、そこに写っていたものに目を疑った。
 否、それはマネキンではなかった。
 写真に写っていたのは、青白い顔をした友人だったのだ。その表情は恐怖に引きつり、マネキンのような姿勢で立って、微動だにせず、それでも助けを求めるようにこちらを見つめていたのだ。


 休日前、そんな怪談を話してくれた友人が学校に来なくなって、もう五日になる。
 みなもは当然、初めは風邪か何かだと思っていた。けれど、周囲のほかの友人達も含めて携帯が繋がらず、そのまま数日が過ぎると何かおかしい事に気がつく。
 心配になって直接家を訪ねると、憔悴した様子の母親が出てきてデパートに行ったきり行方不明だという。
『閉店セールらしいのよ、そこ』
 最後に会ったときその友人は言っていた。
『変な噂も流れてるし、駅前に新しいデパートが出来てからお客さんも減ってるでしょ。閉店セールって、大抵言いながらなかなか閉店しないものだけど、あそこはほら、本当にいつ閉店してもおかしくない雰囲気あるじゃん?』
 そして、みなもの事を誘ったのだ。
『日曜さ、みなもも一緒に来ない。え、先約があるから無理? ヘコむなあ、あたし避けられてる? 他のやつらも忙しいとか言ってきてくれなくてさあ……』
 愚痴り始めた友人を慰めて、五時間目の授業に遅刻しかけたことをよく覚えている。
 それで、まさかと思って居ても立ってもいられず、探しに来た。
 みなもは知っている。世間に流布する民話や伝説、怪談のうち、その何割かは紛れもない事実なのだということを。他ならぬみなも自身の経験から嫌というほど理解していた。
 斯く言うみなも自身、“人魚”と呼ばれる伝説の生き物なのだから、客をマネキンにしてしまうデパートが『非現実的だから』という理由だけで、存在しないなんて言えるはずがない。
 デパートの中は、やはり閉店セールだというだけあって、商品の安さはそれなりであるにも関わらず閑散としていた。床のタイルや照明もどこかよそよそしく、人気の絶えたその様子は、どこか夜中の地下鉄駅を思わせる寒々しさに満ちている。
 ――しかし。
「見つかりませんね」
 心細さに一人呟く。
 肝心の、噂にあった『友人そっくりのマネキン』は見当たらない。
 みなもの目前には一体のマネキン。およそデパート内のマネキンすべてを見て回り、最後に残ったものがそれだった。
 すっくと立った上背は、よく見かけるような普通のマネキンのようにスラリと高いわけではなく、体型もいわゆる外国人モデルのような、いかにもな『人体の黄金率』からは少し外れている。
 面立ちも目立って彫りが深いわけではなく、はっきり言って、一般的なマネキンとくらべて美形であるかと問えば、十人中八、九人は首を振っただろう。だが、その絶妙な不完全さが人形に、作られた美しさとは隔絶した躍動感のようなものを与えている。
 寒気がするほど迫り来る現実感。これほどのマネキンなら、とみなもは心ひそかに納得する。ああいった怪談が生まれるのも違和感がない。
 けれどそれは、このデパートのマネキンすべてに言えることだし、何よりそのマネキンはどう見ても、みなもの探しに来た友人とは違う顔をしていたのだ。
 不意にみなもは湧き上がる焦燥に心を囚われる。もしかして、自分は全く見当違いのことをしているのではないだろうか。デパートの意味ありげなうわさ話も全くの偶然で、本当は彼女は、デパートとは全く関係のない事件に巻き込まれて浚われてしまったんじゃないだろうか。
 疑いがゆっくりと脳に染み込んで、行動に転化する直前、みなもの視界の隅に無愛想な鉄の扉が目に入った。
「あ、従業員専用通路」
 そうして思い至る。マネキンが置かれうるのはなにも店頭だけではない。キョロキョロと、周囲に店員が居ないか確認してから、扉の方へと向かう。
 ノブに手を伸ばして、「でもやっぱり勘違いだったらどうしよう」という疑念が脳裏を横切る。勝手に従業員専用通路をうろうろしているところを店員に見つかったら非常に気まずい。警備員に見つかったら気まずいだけではすまないだろう。
 けれど、躊躇いはやはり一瞬だけのことだった。やって失敗した時に被る被害より、やらなくて失敗した時に湧き上がる後悔のほうがはるかに恐ろしい。
 助けられたかもしれない友人を、自分の臆病さゆえに助けられなかったなんていう状況を、みなもに耐えられるはずもないのだ。
「……よし」
 小さく勢い付けて、みなもはゆっくりとノブを押した。
 キィと軽い軋み音を立てて扉が開く。従業員専用通路には誰もいない。警備員も、掃除夫も、誰も彼も。
 寂れたデパートの舞台裏なんてこんなものなのだろうか。女スパイのような身を隠しつつの捜索を覚悟していたみなもは少し拍子抜けし、同時に安堵しながら、それでも一応はと足音を殺して歩き出す。
 通路は売り場スペースよりもやや薄暗く、滑車つきのコンテナや、用途の分からない仕切り板、ガムテープの切れ端などが雑多に放置されている。床の端にはうっすらと積もった埃の固まり。
 まさか本当に誰も居ないのではないだろうか、と不安になってくる。
 従業員専用通路は当然のことながら客に不親切な造りで、案内板の一つも存在しない。
 約三十分ほど、こそこそと歩き回ってみなもはようやく、地下の一角に「搬入倉庫」と書いたプレートの張られた怪しげな扉を発見した。
 倉庫の中も、やはりと言うべきかしんと静まり返っており、人の気配は感じられない。
 そこにあったのは積み重ねられたダンボールの箱に、マネキン人形。そして――
「ワンッ!」
「ひゃあッ」
 突然の声に驚いて、みなもは思わず飛び上がった。
 そこに居たのは檻に入った犬。いや、犬だけではない。毛並みの良い猫やハムスター、それに何故か豚や牛のような動物まで繋がれ、閉じ込められている。
「なんでこんな所に、こんな生き物が……」
 普通に考えれば、ペットショップの売り物なのだろうが、それにしても不可解だった。こんな所に置いておけば他の商品に臭いもつくだろうし、何より豚や牛など扱っているのはおかしい。
 と、思索に陥りかけて首を振る。
「そんな事より、今はマネキンでした」
 言いながら振り返って、すぐ振り返ったところに目的の物は立っていた。
「……え?」
 ファーの付いたパーカーに、銀バックルのベルト、そして動きやすそうなボトムジーンズ。普段見慣れたセーラー服とは違うが、その顔立ち、体型には確かに見覚えがある。
 間違いなく、数日前から姿を消していたみなもの友人の女子だった。
 ただし、その身体がつやのあるプラスチックで出来ていて、瞳は硝子玉で、指一本動かせないマネキン人形であるということを除けば、であるが。
「まさか、ほんとに……」
 うろたえて、みなもは一歩後退さる。ちょうどそこで、何かに、いや誰かに衝突した!
 とっさに身を翻し、突き離そうとして、けれどその人はそれよりも早くみなもに組み付き、地面に引きずり倒す。
「キャアッ!」
 人間の形態である限り、みなもの体力は普通の女子中学生よりすこし強い程度しかない。襲い掛かってきた人間は明らかにみなもより体格の良い男だった。当然勝てるはずもなく、あっさりとうつぶせに組み伏せられる。
 そしてその直後、みなもの首元にちくりと何か鋭いものが突き刺さされた。それが麻酔の入った注射器だと理解するよりも早く、みなもの意識は闇に沈んでいった。


「ん……あれ?」
 気がつくとみなもは、冷たく硬い台の上に横たわっていた。
 意識は未だ朦朧として、頭の芯の方がズキズキと痛む。自分は何をしていたのだったか。自問して、答えを探す。確か行方不明の友人を捜して、デパートにやってきて、その隠された地下倉庫で――
 そこで突然、思考を遮るように、或いは逆に覚醒を促すように、聞き覚えの無い男の声が聞こえた。
「おや、気がついたか。薬が足りなかったか? まあ、いい」
 その言葉を聞いて急速に状況を思い出し、みなもは反射的に身を起こそうと身体を動かした。何者であるかは分からないが、とりあえずこの男は敵だ。台に手をついて、つるりと滑らせ、そのまま無様に崩れ落ちる。
「……え?」
 そこでようやく、自分の身体に起こった。否、起こりつつある違和感に気がついた。
 右手の、左手の、そしてよくよく確かめてみれば両足の、体の末端の部分がまるでひどい冷え性を起こしたように、ゾッと冷たく、感覚が無い。指も、手首も、突っ張ったように微動だにしない。
 恐る恐る首を動かし目を向けると、テラテラと濡れたように艶めく、作り物めいた手足がそこにあった。
「ひっあ、ああ……」
 質感はプラスチックのようで、指にも手首にも関節は無い。
 みなもの手足はマネキンのそれに変化していた。それも、現在進行形で。身体の末端部から脳へと向かうその変化はゆっくりと、しかし着実にみなもの身体を侵食し、そろそろ肘や膝にまで達しようとしていた。
「無駄だよ、君の身体はマネキンに変化しつつある。あと十分といったところか。原液を投与すれば一瞬なんだがな、それだと形が崩れる」
 男の声がおかしそうに言う。
 みなもは件の怪談を思い出した。『ミイラ取りがミイラになる』そんな諺を連想して、口惜しさに歯噛みする。
「ど、どうしてこんな事をするんですか!」
 当然とも言えるはずのみなもの言葉に、おとこはおかしそうに眉を吊り上げ、いっそ微笑みながら冷たく言い放つ。
「経営方針だよ。うちのデパートは不況でね、セルフサービスにでもしてコスト削減しない限り立ち行かないのさ」
「何を言って――ッ」
「分からないかな?」
 男は飽くまで生真面目な様子で言う。
「これはつまり究極のセルフサービスだよ。例えるなら『注文の多い料理店』のような」
 その言葉にみなもは軽く眉をしかめて思考し、一瞬後電光のような勢いで恐ろしくもおぞましい悪魔的陰謀の真相が閃いた。
(コスト削減。自分自身が商品になってしまう、究極のセルフサービス――!
 この人は、このデパートは。持て成さなくてはならない筈のお客を、客自身をマネキンに仕立て上げてしまったんだ!)
 まるで、『注文の多い料理店』の童話のように。
 ひょっとしたら、とみなもは更に考えをめぐらせる。ただ無料でマネキンするだけで、どれほどのコスト削減になるだろうか。もしかすると、他にも色々な物に変えてしまっているのではなかろうか。例えば犬や猫にしてペットコーナーに並べたり、或いは豚や牛に変えて――
 さっき見た部屋にはそういった動物もいやしなかったか?
 みなもの思考に気がついたのか、男は嘲笑うように、どこか得意げな様子で「分かったかな?」と呟く。
 その瞬間、みなもの中で激情が弾けとんだ。
「なんて、ひどい――ッ!!」
 同時にいざと言うときのために懐に携帯していた水筒が反応して、中に入った霊水が散弾のように弾け出したのである。声のする方向に向かって、一直線に。
「ひっ」
 虚を突かれた男の狼狽の声。パッと赤いものが飛び散ってみなもの頬にかかる。
 しまった。と、それを見てサッとみなもの顔色が青く染まった。
 激情に駆られて反射的に放ってしまったみなもの力は、普通の人間なら五人は殺して余りある威力だった。小さな後悔の念が脳裏を過ぎる。みなもとしては逃げられればそれで良かったのだから。
 だが、みなもが小さな後悔に囚われて油断したその瞬間、突然みなもの身体が乱暴に、強く台に押し付けられる。
「きゃあッ!」
「貴様ァ!」
 男の声は憎しみと苦痛に震えている。血を流しながら、しかししっかりと生きていた。狙いが甘かったのだと悟る。動けない状態で、声だけを頼りに放った散弾だ、致命傷に至らしめるには程遠い。
「離して下さい!」
 男の拘束からなんとか逃れようと、みなもは身をよじらせる。だが、ささやかな抵抗はそれでオシマイだ。マネキンの侵食はそろそろ二の腕や腿にまでに届く。
 不自由にしか動かない身体で、怪我をしているとは言え自分より体格の良い男が相手。それ以上抵抗出来るハズもなく、みなもはまたも呆気なく組み伏せられた。
「クソッ、もう良い。薬を原液で飲ませてやる」
 みなもが抵抗できない事を悟ると、男は嬉しそうに目を見開いてひどく歪な笑みを浮かべる。
 赤黒い薬瓶がみなもの口に当てられた。とくとくと音を立てて薬液が流し込まれると同時に、最早痛みにすら達した苦味が口の中を蹂躙する。
 その時不意に気付いた。
(液体だ)
 みなもの脳裏に天啓のように打開の策が閃く。
 次の瞬間、みなもの唇から飛び出した薬液は、男がアッと叫ぶ間も無くその口元に纏わりつき、チュポンと栓を抜くような音を立てて口に流し込まれる。
 変化は異様な速度だった。メキメキと薪の割れるような音さえ立てて、その肉体が指先から、固いプラスチックの体へと変化していく。男は恐怖に顔を引きつらせ、慌てて身を翻したところで足腰が動かなくなり、その場に倒れこんだ。
「解毒剤の!」みなもは残る僅かな力を振り絞って叫ぶ。「場所を教えてください。さもないと、あなたもこのままマネキンになって、一生戻れなくなりますよ!」
 男は怯えた様子で嗚呼と吐息し、指を動かして一つの薬棚を指し示す。そのままゴトリと床に倒れて、動かなくなった。
 みなもはようやく安堵のため息を吐き、僅かに動く半身にあらん限りの力をこめて、解毒剤の元へと這いだした。