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<東京怪談ノベル(シングル)>


例え過去から逃れても


 それは、もう今は慣れた光景だった。
 狭っ苦しい草間興信所、依頼書に埋もれるようにしてうんうん唸る探偵・草間武彦を尻目に、少年はまるで長の棲家に居るように寛いでいる。
 ――草摩・色は、若干15歳の少年であると同時に選りすぐりの能力者であった。
 怪奇現象お断りと報じているにも関わらず、一行に減り止まない依頼の電話と手紙。その数奇の事件を解決する為に武彦が協力を仰いでいる一人でもある。
 とは言っても未成年で学生の身分の色をこき使えるわけも無く、色が所属する組織の仕事も少なく無く、その上学校の部活動にも勤しんでいるというのだから、武彦から色へと協力を申し出る事は早々ないのが現状だ。
 しかし多忙の身でありながら、この少年は空いた時間を興信所に入り浸る。
 そうして丁度依頼が飛び込んでくれば加勢するという――そういうわけで、色が解決した事件も少なくない。
 色はけらけらと笑いながら、楽しそうに漫画本を捲っている。
 そんな彼を見ていると真面目に仕事をしている自分が馬鹿らしく思えて、武彦は依頼書と格闘する事を放棄した。
 後々何かしらのお叱りを受ける気もしないでもないが、そんな不安は頭から追い出して煙草を胸ポケットから引き出した。

 そうして、愛煙家の武彦が三本目の煙草に手をつけた時だった。

 軽快なメロディーと共に、机の上に置かれた色の携帯が虹色に明滅した。
 自然に武彦の瞳はその携帯へと向く。
 色は、漫画本から眼を逸らさない。
 気づいてないのだろうか?と小首を傾げてから、武彦は、その考えを否定した。この少年の五感は並では無い。何かを成しながら遠くの音を聞き取る事も日常茶飯事で、例えば買い物を終え階段を上ってくる零の、微かな足音にさえ気づく。そんな色であるからして、どんなに集中している一瞬でもそれのみに意識を取られる所を、武彦は見た事が無かった。
 着信音はしばらく鳴り続けてから止んだ。
 武彦も、携帯から眼を離した。
 しかし着信音はそれから三度ほど続いた。三度とも、先の音楽とはそれぞれ違う音を奏でていた。
 色は三度目でやっと腕を伸ばし、携帯を掴んだ。
 武彦には雑音でしか無いそれがやっと止むと思ったのも束の間、ピッと機械音は一度だけ。
 出るものと思っていた武彦の前で、携帯はまた机の上に戻されて終わった。
 更に続いた着信は、今度は音楽を奏ではせず、小刻みに振動するに留まった。だがいずれにしても色が電話に出る事は一度も無いまま。
 人の事情に首を突っ込むのは趣味では無いが、理由ぐらいなら問うても良いだろうか。
 武彦はしばし考えてから、控えめに問いかけた。無視してくれるならそれで良い、と、そう考えて。
「出なくて良かったのか?」
「うん、仕事じゃなかったし」
 簡潔な答えはすぐに返ってきた。
 武彦はそれで全てに納得し、そうかとだけ相槌を売打って煙を吸い込んだ。
 色のいう仕事とは『ゴースト』で名の通っている超能力者の組織集団で、簡単に言ってしまえば草間興信所と同じ怪奇現象の処理云々を行っている。
 その仕事に関する連絡では無かったから、急用を有する電話でも出なかった、というワケだ。
 色は深い付き合いを好まない。学友や地域交流の類を避ける傾向が強い。
 人好きをする笑顔を浮かべ、何時も輪の中心に居ながら、誰かを特別にする事、誰かに特別に思われる事を恐れている。
 色の過去について、大まかな内容を武彦は知っている。
 奇異なる能力の所為で家族仲に亀裂が走る例は少なくない上、幼少の頃のこういった記憶は本人が思う以上のトラウマとして残ってしまう。
 子供の頃の狭い世界で、家族というのはまず、自分が一番頼りにしている存在だ。まだ自分で立つ術を心得てさえいないのに、その絶対の存在に背を向けられる絶望は想像するだけで物悲しい。
 それだけに終わらず、けして捨てられない深い心の傷として、生きていく中で何度も浮上するだろう。
 事例が幾つもありながら、救われた者の少なさを思うと武彦は時々、色を直視するのが辛くなる。
 そして色が興信所の上辺だけの付き合いを逃げ場にすればする程、普通の少年を演じれば演じる程、彼が痛々しくてしょうがないのだ。
 けれど救う手立てを持たない自分が、何をしてやれるというのか。地の果てまで付き合ってなどやれないくせに、辛い道を行け等言えやしない。
 そこまで考えて自嘲に笑みを歪め、自身を注視する色に気付いて武彦は顔を上げた。
 ぶつかった視線の先で苦笑する色は、大人びた顔をしていて、その表情は「馬鹿だなぁ」とでも言いたげだった。
 けれども紡がれた言葉は、からかう様な響きを含んで。
「お人好し」
 にやにやと笑いながら、武彦の二の句を遮る色。
「ほんと、優し過ぎだよあんたって」
 しょうがないなぁと大仰なくらいに首を振って、身体ごとこちらに向けて。
 しまったと後悔してみても後の祭り。
 こんな時に能力を使われるのは御免被りたいのに、そう思ったことすら読まれてしまう。再度口を開きかけた武彦を制するように、色は舌を出した。
「ごめんごめん、何時もの事だし許してよ! もう呼吸すんのと一緒で、無意識下だと読んじゃうんだって!!」
「!! まさか、今までも!?」
「うん、たまには」
色がけろりと言い放つと、武彦は頭を抱えるように蹲ってしまって、偽善的な自分を罵るような武彦の決まり切った後悔の念が色に津波のように押し寄せた。
 馬鹿な人だなあと、胸中で呟く。
 そんなにまで心を砕く価値が、はたして自分にはあるだろうか。
 けれどそんな風に見守っていてくれる瞳が嬉しくて、色は興信所に入り浸っている。
 過去の記憶から逃れたつもりでいても、救われたつもりでいても、本当は出来っこなくて。
 深い付き合いが恐くて。背を向けられるのが怖くて。
 そして何より、一人がたまらなく嫌で。
 過去を捨てるなんて出来っこない。それはもう俺という意識に刻み込まれていて、今の俺がこうしてここに在って。未来が過去に根付いて生まれて。
 否定はしない。受けとめると決めても、今までの生き方を変えるのは難しい。
 恐れているのは過去ではなく。拘っているのは過去ではなく。進んでいく未来の不確定さだと、どう言葉にしたら良いだろう。
 人との付き合いを避けるのは奥深い心をさらけ出し合うのが怖いのではなく、自分が落ちていく先に巻き込むのが怖いのだと。
 一寸先の闇に落ちるのは容易くて、それが心地よいとさえ感じているから。
 何時かあんたさえ、きっと傷つける。
「俺はもう十分、あんたから色んなもんを貰ったよ。返しきれないくらい」
心からの感謝と懺悔を。
「だから、もういいよ」


 例え過去から逃れても。
 堕ちてゆく意志は止まらないし、止められない。
 だけどあんたの目が届くうちは、一分でも一秒でも長く。
 こちらに、繋がれていたいと思うんだ。
 見守ってくれると言うあんたと同じに、これは俺だけのエゴだけど。


「もう、いいんだよ」



 それはあんたを解放する言葉。
 これは俺を解放する言葉。


 有難う。美しい夢が見れました。




END