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染まった童話〈白雪姫〉
◆□◆
鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?
―――白雪姫でございます
そう。それなら、白雪姫を殺してしまいましょう。
そうすれば・・・わたくしが一番になりますわ。
猟師は言われた通り、白雪姫を森に連れて行き―――そのまま殺してしまいましたとさ。
「おやおや、これじゃぁ物語が完結しないじゃぁないかい。さぁて、どうしたものかねぇ・・・。」
■□
顔を上げた先、1軒の丸太小屋がひっそりと建っていた。
それはまるで物語の中から抜け出してきたかのように、玩具のような造りの小屋だった。
確かに先ほどまでは普通の大通りを歩いていたはずなのに―――いつの間にこんな森の中に迷い込んでしまったのだろうか?
不思議な世界が交錯する街・・・東京なだけあって、仕方がない事なのだろうか?
そんな諦めにも似た感情が胸を掠める。とは言え、この小屋に入るより他は仕方がないだろう。
ゆっくりと扉を押し開けると、チリリと小さく鈴の音が鳴った。
「おや。珍しいねぇ。お客さんかい?」
やけに色っぽい声の後で、奥から出てきたのは外見年齢13歳程度の少女だった。身長は150cmあるかないか・・・やけに小柄だった。着物をかなり着崩しており、胸元が大きく開いている。
「ははぁん、ただのお客じゃぁないね?迷い込んじまったんだろう?」
全て解っているとでも言いた気な瞳で少女はそう言うと、持っていた本をふいに差し出した。
「まぁ、あんたが何者でも構わない。ちょいと人手を探しててね・・・・視るところ、あんたには不思議な能力があるみたいだからねぇ。」
白雪姫と書かれた本は、見慣れたものだった。目を閉じていても、その結末は知れた事。
パラパラとページを捲る。思い描く通りのお話が羅列され―――
「そのお話ねぇ、白雪姫が殺されちまったんだよ。だから物語が完結しないんで、困ってたんだ。あんたさぁ、ちょいと行って来てこの物語を終わらせてくれないかねぇ?」
パラリと捲ったページは丁度そのシーンだった。
白雪姫が殺されてしまい・・・その先のページは真っ白だ。
「なぁに、物語を完結させてくれれば良いだけだよ。殺されそうになったりはするだろうけど、なんとかなるだろう?」
そう訊かれても・・・。
「ただし、相手を殺しちゃぁいけないよ。相手を殺すと、まぁた物語が完結しなくなっちまうからねぇ。そんなわけで・・・これはあたしからのプレゼント。」
そう言うと、少女は着物の帯の部分から薄っぺらい紙を1枚取り出した。
「それが何かって?お守りだよ、お守り。ナイフになんて見えないだろう?ましてや、食べ物になんて尚の事見えないじゃぁないか。自分の身を守るのは自分だけってぇ事だよ。」
・・・お守りでどう自分の身を守れと言うのだろうか・・・。
「信じる者は、救われる・・・そう信じておけば、なんとかなるだろう。」
ケタケタと笑う少女。・・・笑い事ではない。相手は自分を殺しにかかってくるのだ。それに唯一対抗する手段がお守りだけだなんて、あまりにも酷すぎる。そんなの、死にに行けと言われているようなものではないか・・・?
「そぉんな心配そうな顔をしなさんな。良いかい?あたしは“殺してはいけない”と言ったんだよ?つまり、気を失わせたりする事は大いに結構。・・・自分の身を守るのは自分だけ・・・解るかい?それで、最悪の場合は神頼みってわけさ。」
指先でお守りをつつく。
「あぁ、そうだ。あたしは世羅(せら)って言うんだ。この書店の管理をしている・・・ま、店長って言った方が早いかねぇ?」
少女―――世羅はそう言うと、背後を指し示した。
言われてみて始めて気がつく、膨大な量の本・・・それは、床から壁に伝い、更には天井にまで積み上げられている。
「さぁ、目を閉じて・・・開いた時にはあんたは白雪姫だ。良いかい?誰も殺してはいけない。そして・・・せいぜい白雪姫らしく行動するんだねぇ。」
世羅の手が目の前に伸びてきて、思わず目を瞑った。
「健闘を祈るよ。比嘉耶 棗ちゃん・・・・・。」
そして開いた瞬間―――
そこはまさに御伽噺の国。
木々も空も雲も、全てが玩具のように精巧に作られている、まさに夢の国。
―――外見だけは、楽しい楽しいお話の国―――
ねぇ、本当は童話って怖いんだよ?
罪と悪、罰と聖。
全てが揃っているから輝く反面、影は酷く濃いんだよ?
その影の部分を隠してしまっているから、明るく楽しく見えるだけで、裏を返せば一変。
漆黒の闇が広がっているんだよ・・・・?
◇■◇
「あー・・・本当に白雪姫だ。」
棗はそう言うと、自分の着ている服を見詰めた。
普段の膝上5cmの自己改造着物から一変、今では白雪姫らしい服装をしていた。スカートはふくらはぎまでしっかりとあるし、やたら広がる。普段はいている厚底ブーツも質素なビニール靴に変わっているし、頭には巨大な赤いリボンがついている。
実用性に乏しい素材で出来たそれらの服や靴は、やたら動き難い・・・・・。
本当に白雪姫はこんな服を着ていたのかと疑ってしまうような一品だった。
せめて服は綿で作って欲しいと切に願う。靴だって、厚底ブーツなんて贅沢は言わないから、せめて革靴にして欲しい。これでは走る事はおろか、歩く事だって少々骨だ。
「この靴じゃ、長時間は歩けないかな・・・?」
既に踵の部分が痛い。硬いビニールの素材が、棗の足をどうしようもなく傷つけて行く。
「とりあえず、髪は切られてないから・・・良かったかな?」
胸の下辺りまである、少し緑がかった黒髪をサラサラと触る。
「さて・・・どうしようかな・・・。」
自分の身を確認した後で、棗は周囲を見渡した。
青々と茂った木々が、周囲はおろか空まで隠している。それはまるで、棗をこの場所に閉じ込めておく、一種の檻のようにさえ感じた。
鳥籠の中の白雪姫―――何故だか、そんな単語が頭の隅をチラリと過ぎった。
「とりあえず・・・ここは森の中・・・。」
自分に言い聞かせるように、声に出してそう言う。
確か、あの店で見た白雪姫の物語では、怒った継母が猟師に白雪姫を殺すように命じて、森の中に連れて行かれ・・・白雪姫は殺されてしまったのだ。
「と言う事は、その続きから・・・で、良いんだよね?」
殺されたはずの白雪姫が生きている・・・これで、ずれた物語が修正されて行くはずだ。
事実“本来のお話”では猟師は白雪姫を殺せなかったのだ。だから、イノシシの肝臓を代わりに継母に差出し―――。
それを継母がどうしたのか、棗は考えない事にした。
「ちょっと待って・・・。」
棗はふとある事に思い当たると、顔を上げた。
今、棗はこの場所に“白雪姫”として来ている。それは、本物の“白雪姫”が殺されてしまったからであって―――棗自身が本物の白雪姫だと言う事ではない。あくまで、白雪姫の代わりなのだから。
「と、言う事は・・・?」
本物の白雪姫は猟師の手によって殺されてしまった。それをお話通りに勧めるとすれば、イノシシの肝臓の代わりに・・・。
棗は思い切り顔をしかめると、再び周囲を見渡した。
今考えている事が正しかった場合・・・きっと・・・・・。
「あった・・・。」
大きな大木の根元、まるで淡い雪が舞い降りた後のように、転々と赤い血がこびり付いていた。
つまりは、ここで白雪姫は殺されてしまったのだ。
棗はその場に膝をつくと、今は亡き“白雪姫”に祈った。
その冥福と、もしも手を貸してくれるというのならば、この先棗に待ち受けているであろう、漆黒の童話の行く末を・・・祈った。
スカートについた土をパンと手で払い、世羅に渡されたお守りは折りたたんで胸元に仕舞っておく。
「よしっ・・・。」
一つだけ大きく頷くと、棗は森の奥に向かって歩き始めた。
棗が白雪姫ならば、次にやる事は決まっている。
ドワーフ・・・小人に会わなければならないのだ。
白雪姫のお話は、リンゴを食べて死んで、王子様のキスで目が覚めて・・・と言うのがお子様向けのお話だ。原作はもっと生々しい。
彼女を襲うのは、毒リンゴだけではないと言う事を棗は十分理解していた。
「でも・・・」
はたりと足を止める。
白雪姫のお話の中で、棗はどうしても納得できない部分があるのだ。
「白雪姫って・・・りんご、食べるんだよね・・・。」
そう言った後で、長い長い溜息と一緒にポツリと呟く。
「・・・チョコが良かった。」
チョコ好きの彼女ならではの発想だが、残念ながらこの物語にチョコが出て来るかどうか・・・・・。
□■
恐らく“時間”にして30分程度、棗は薄暗い森の中を歩き続けていた。
この物語に“時間”の概念があるかどうかは不明だが・・・。
「い・・った・・・。」
靴擦れをしてしまい、痛む足を引きずりながら森の奥へと進んで行った先に、小さな丸太小屋を発見した。
ここが小人達の住む小屋だろうか・・・?
キョロキョロと辺りを見渡していた時、ふいに背後から陽気な歌声が聞こえてきた。思わず一緒に口ずさんでしまいたくなるほどに明るい歌声は、棗と歌い手の目が合うまで響いていた。
「貴方は?」
一番先頭に居た、黄色い帽子を被った小人がそう言うと、丸い瞳を更に丸くして棗を見やった。
その背後からは次々に、同じような格好をした小人達が出てきた。全部で7人。物語と同じ。
「私は、ひが・・・っと、白雪姫って言うの。」
危ない危ないと、心の中で呟いて、じっと小人達を見詰める。
不思議そうな顔をしながら、視線を合わせては小首をかしげ―――しばらく後、一番後ろから赤い帽子を被った小人が出てきた。他の小人達よりも若干太めだ。
よくよく見てみると、小人達一人一人は似ているようで違っていた。個性・・・なのだろうか?ある小人は目元に黒子がついており、ある小人は目がパッチリとした大きな二重だ。また、ある小人は目が小さく、ある小人は鼻が高い。
へー・・・やっぱり1人1人ちゃんと違うんだ。
なんだか妙に納得してしまった棗の耳に、先ほど出てきた赤い帽子の小人の声が響く。
「どうやら色々と事情がおありのようですね。もし、貴女さえ宜しければしばらく我が家に泊まっては如何です?」
「・・・良いの?」
「ゼヒゼヒ☆あんたみたいな可愛い子ちゃんは大歓迎さ♪」
緑色の帽子を被った小人がそう言い、隣に居たピンク色の帽子を被った小人にコツリと頭を叩かれる。
「みっともないなぁ!まったく、もっとしっかりしてくれよ!」
そうか・・・性格も1人1人違うんだな。
「それじゃぁ・・・お言葉に甘えて。」
棗はそう言うと、小人達の小屋の中に入って行った―――。
鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?
―――白雪姫でございます
そう。白雪姫はまだ生きているの・・・。
なんて・・・なんてしぶとい子・・・。
仕方がないわ。こうなれば、わたくしが直接赴いて―――
◆□◆
「とりあえず・・・うまくかわせば良いんだよ、ね?」
小人達が出かけてしまい、1人になった棗はそう呟くとすっとスカートをたくし上げ右太ももに手を滑らせた。
キラリと光る、飛針をじっと見詰める。
「これは・・・なるべく使いたくないな。」
この物語では、人を殺してはいけない。何故ならば、物語が終わらなくなってしまうから―――今、この現状のように・・・。
そっと溜息をつくと、棗は針を太ももに戻した。再び綺麗にスカートを下ろす。
「やって来る人を察知するために・・・トラップ作っておこう。大怪我しない程度に糸引っ張って・・・トラップにひっかかったら音が鳴る様にして、其れで逃げちゃえば良いや。」
そうしようと、棗は思うと立ち上がった。
糸ならばあるし、後は何か音の鳴るものでも―――小屋の中を物色する棗の目に、小さな鈴が箱いっぱいに入っているのが見えた。手に取り、1回だけ大きく振ってみる。
チリリ
か細い音ではあるが、鳴ったなら気づく程度。これなら良いかも知れない。あまり大きな音が鳴っても困るし。
それをスカートのポケットに入れて、扉を薄く開けて外を窺う。
今、外に敵がいないとは限らない。むしろ、いると思って行動をした方が良い。
開いた扉の隙間から外を窺うが、誰の影も動かない。それどころか、気配すらもしない。それでも・・・棗は静かに外に出た。
なるべく手早く済ませてしまおう。
小屋を囲むように糸を張り巡らせ、要所要所に鈴を取り付ける。
「・・・よし、これで大丈夫かな・・・?」
一仕事を終えた後のように、棗はふぅっと息を吐き出すと小屋に戻った。
後は鈴がなったらどこかに隠れるなり、逃げるなりすれば良い。
「敵って・・・継母の事だよね・・・多分。相手が男の人だったら色仕掛け、とか、ときめくけど・・・私・・・・」
小屋の中、真っ白なマグカップに紅茶の葉を入れて、お湯を注ぐ。
温かいマグカップを両手で握ると、そっと自分の胸を見た。
「・・・・私・・・貧乳・・・だし・・・。」
今一番気になっている事を、もそっと呟く。
色仕掛けと聞くと、たいていグラマーなお姉様を思い出す。B90W56H83のような、ボンキュッボンの身体で、色っぽい口調で、真っ赤な口紅が良く似合う・・・そう、それこそ、赤ワインが似合う女性・・・。
それに比べ、棗は・・・。お姉様に勝てるのはウエストくらいだろうか?赤ワインより、チョコの方が棗には似合う。
「・・・無理・・・。」
無情な現実をまざまざと見せ付けられ、棗はガクリと項垂れた。しばらくじっとカップの中を見詰めて・・・すぐに顔を上げた。まだ少し心の奥底にしこりが残ってはいるが、今はそんな事を考えている場合ではない。
考えていたって胸は大きくならないし・・・なんて、卑屈な事を思っている場合でもない。
「それはこのさい、どうでもいいのだ。」
まるで自分に言い聞かせるようにそう言うと、棗は頭を切り替えた。
「無駄に出会わないように隠れるって言うのも・・・ありだよね?」
とりあえず、相手を殺さず、自分も殺されなければ問題はない。
考え込んでいた棗の耳に、小さな鈴の音が聞こえてきた。・・・誰か来たのだ!
そっと窓に近づき、外を窺う。―――物売りの格好をした―――継母だ。
どうやら鈴の音に驚いたようだ。辺りをキョロキョロと見渡した後で、逃げるようにその場を立ち去って行った。
「良かった・・・。」
ペタリと床に座り込むと、安堵の息を漏らす。
恐らく、継母がここを訪れるのはあと2回。
そして2回目は―――
「毒リンゴ・・・か・・・。」
リンゴにチョコをかけて持ってきてくれないかな・・・と、淡い期待をするものの、継母はそんな事までは考えてはくれないだろうし、チョコがかかっていようとなにをしようと、毒リンゴは毒リンゴ。その毒が消えるわけではない。
■□
小人達が帰ってくる前に糸と鈴を回収し、その日は何事もなかったかのように夕食を共にし、小人達が作ってくれたと言うベッドに横になった。
静かな夜が過ぎ、小鳥の歌声と共に朝が始まる。
出かけてくると言い、小人達が昨日と同じように小屋から出て行き―――棗は頭を切り替えた。
今日もきっと継母は来るだろう。
はたして今日は昨日と同じ作戦で帰って行ってくれるだろうか?そこまでは解らないけれども・・・とりあえず、仕掛けておいた方が良いか。
棗は鈴を取ろうと立ち上がり・・・ふと、窓の外に視線を向けた。
―――ドクン・・・
心臓が高鳴る。
窓の外、草の影に継母の姿があったのだ。
・・・どうしたのだろうか?今日は来るのが早い・・・もう、仕掛けをする時間はない。
幸いにも継母はまだこちらに気づいていないらしく、周囲を警戒しながら小屋に近づいて来ている。
逃げる・・・?でもどうやって?
小屋には出入り口は1つしかない。窓から逃げる事は出来ない―――隠れるしかない!そう思うと、小屋の中を見渡した。どこか、棗が隠れるのに最適な場所は・・・小屋の片隅に、ちょこりと置かれた段ボール箱が目に入り―――。
カチャリ
遠慮がちな音を響かせながら、ノブが回された。キィっと蝶番が甲高い音を立てながらゆっくりと内側に開く。
息を潜めながら、ゆっくりと入ってくる継母の姿―――。
ギラリと光る視線を部屋のあちこちに向ける。
白雪姫を捜しているのだ・・・!
ギシリ
床が継母の重みに耐えかねて、小さく呻く。
その右手には、先の尖った櫛が握られている・・・。
キョロキョロと辺りを見渡し、継母の口元がクイっと上がった。・・・何かを見つけたのだ。ゆっくりと、しかし確実な足取りで小屋の隅に歩み寄り―――薄い笑いを浮かべながら、右手に持った櫛を振り上げ、左手でダンボールの箱を開ける。
そしてそのまま右手を振り下ろし―――!!
櫛は何に当たる事もなく、ただ空を切った。
継母が苦々しい顔でダンボールの蓋を閉じ、そそくさと、逃げるように小屋を後にして行った。
「・・・ふぅ。」
その後姿を最後まで目で追った後で、棗は小さく息を吐き出した。
段ボール箱が置いてあった場所のすぐ近くにある、小さめのクローゼットの中から這い出す。
この時ばかりは自分の身体の小ささに感謝したいくらいだった。
「やっぱり怪しいかなと思って、こっちに変えて正解・・・。」
もしもあのままあそこに隠れていたとしたならば―――ゾっとする。
命をかけた隠れんぼなんて、この先もう2度とやりたくはない。
勿論、出来る事ならしたくなかったのだが・・・。
「次が毒リンゴ・・・かな?」
そう呟きながら、窓の外をそっと窺う。やはり継母はもう帰ってしまったようだ。
「毒リンゴを食べた白雪姫は、王子様のキスで目覚める・・・か。でも、このお話のパターンから考えると、喉にリンゴが詰まって吐き出して生き返るって方になるのかな?」
どちらかと言えば、そちらの方が棗的には嬉しかった。
「・・・キスはやだ、かも・・・ううん、やだ。」
フルフルと首を振る。その際、長い髪の毛が儚く揺れた。
「だって、ファーストキスもまだだし・・・。」
ポツリと呟く。
棗だって女の子だ。ファーストキスは大好きな相手としたいに決まっている。それなのに、こんな・・・言ってしまえば見ず知らずの人とキスするなんて、考えただけでも悲しくなってくる。
「それでも・・・精一杯頑張ろう。」
ぎゅっと拳を握ると目を瞑った。
白雪姫のためにも、お話を・・・もとに、戻さないと・・・。
◇■◇
次の日も小人達は同じように小屋から出て行った。
その後姿を見えなくなるまで見詰めると、棗は早速行動に移した。
今回は今までとは違い、リンゴを食べなくてはならない。そうしないと、王子には会えないのだから。
しかし、かと言って毒リンゴを食べる気にはなれない。きっと食べてしまったらならば“本当に”死んでしまうだろう。王子のキスは勿論、お話の中の白雪姫同様に上手くリンゴが喉に引っかかるなんて事は有り得ない。棗だって、それほど器用ではない。
故意に物を喉に詰まらせるなんて―――
「・・・無理。」
きっとコレばかりは棗じゃなくても無理だろう。
そうなれば、継母から毒リンゴを受け取って食べるしかないのだが・・・食べるフリで騙されてくれるかどうかは解らない。
毒リンゴを口の中に入れることは出来ない。つまり、齧る事が出来ないのだ。
もしもコロリとリンゴが転がって、丸い綺麗なままの側面が見えたならば・・・?その瞬間に継母は襲い掛かってくるだろう。急に襲い掛かる継母に、手加減をしながら戦うなんて事は出来るだろうか?
「一番最善を尽くそう。」
そう呟いて、小屋をそっと抜け出す。
足早に森の中に入って行き、1本1本木を見上げながら歩く。
お目当ての木は、小屋から大分離れた位置にあった。
探すのに手間取ってしまった・・・継母が戻ってくる前に帰らなければ・・・!
棗は一番低いところに生っていた実を取ると、スカートをたくし上げた。
はたして白雪姫がこんな豪快な走りをするかどうかは謎だが・・・今は緊急事態なのだ。コレを本物の白雪姫が見ているかどうかは解らないが、もし見ているなら少々目を瞑ってもらいたい。
走って走って―――なんとか棗は小屋までたどり着いた。
周囲を警戒したが、まだ継母はやって来ていないらしい。
セーフだ・・・。
ほっと一息つく間もなく、窓の外にリンゴ売り・・・継母の姿がチラリと映る。
―――ギリギリだった
ドキリと飛び跳ねる心臓をそっと押さえる。
コンコンと遠慮がちにノック音が響き・・・深呼吸をしてから棗は扉を開けた。
「どちら様でしょうか?」
「リンゴをお一つ如何ですか?」
お婆さんに姿を変えた継母・・・しかし、その瞳の輝きまでは変えられないようだ。
ギラリと輝く瞳は殺気だっている。
「そうね・・・それじゃぁ、一つ貰おうかしら・・・。」
なるべく白雪姫っぽくなるように、棗は細心の注意を払いながら言葉を紡いだ。
白雪姫に会った事はないので、白雪姫が実際にどのような話し方をするのかは解らないが、棗の想像上での白雪姫はこのような口調だった。
「さぁ、どうぞ。」
継母がリンゴを取り出す。
それを受け取り―――棗は服の裾でキュイとリンゴを包んで拭いた。
そして、1口だけ小さく齧り・・・パタリとその場に倒れこんだ。
コロコロとリンゴが転がり、棗の歯型のついた面を上にして止る。
継母はしばらくジーっと棗を見ていたが、ニヤリと口元だけの笑みを残した後でその場を後にした。
その気配が森の中に消えるまで、棗は動かずに目を閉じて感覚を研ぎ澄ませていた。
十分に継母の気配が離れた後で、ぱっと立ち上がるとスカートを捲った。
スカートの中央、小さな袋が取り付けられており、その中には真っ赤なリンゴが1つだけ入っていた。
先ほど、スカートでリンゴを拭くと見せかけて、毒リンゴを普通のリンゴと取り替えておいたのだ。
手先が器用で無かったならばきっとりんごを床に落としてしまっていただろう。
人形制作者である棗は、手先の器用さに関しては少々自信があった。
毒リンゴを取り出して、森の中に穴を掘り、その中に埋める。
ポイっと投げてしまえば早いのだが、もしも森の動物が見つけ、食べた場合の事を考えるとそんなガサツな事は出来なかった。
この物語では“誰も殺してはいけない”のだ。それが人だろうが動物だろうが、生きとし生ける者全ての命を守ってこそだろう。
「・・・そろそろ小人さん達が戻ってくるかな?」
ポンと、最後に土をならした後で、棗は先ほどと同じ格好でその場に倒れた。
ゆっくりと瞳を閉じ―――遠くから小人達の歌声が聞こえてきた。
□■
小人達は、まったく動かない白雪姫を見て嘆き悲しんだ。
青白い肌も、ぐったりと閉じられた瞳も、頬にかかる美しい睫毛も、止ったまま。
一人が言った。
白雪姫をガラスの棺に入れようと。
美しいこの姫の時を、永遠に閉じ込めておける綺麗な棺を用意しようと。
一同は頷いた。
このまま土に還すのは、あまりにも惜しいほどに白雪姫は美しかった。
例えその魂が既にこの場になくても、身体だけは永遠の美をたたえていたのだから―――
かくして、棗の身体は透明なガラスの棺に入れられた。
真っ白な百合の花と、真っ赤な薔薇の花が対照的な美を演出する。
その中央に眠る棗は、目を見張るほどに美しかった。
小人達が悲しみの歌を棗に歌い聞かせる。
それは物悲しくも繊細で、思わず涙が流れそうになるほどに美しい歌だった。
棗は静かに瞳を閉じながらその時を待った。
馬の蹄の音が鳴り響き、ドサリと何か重たいものが降りる音がする。
そしてコツコツとブーツの音が規則正しい速度でこちらにやって来る音が聞こえ・・・バンと、勢い良く小屋の扉が開いた。
小人達の歌が途切れる。
扉の先には、金髪碧眼の美しい王子の姿があった。
白く美しい体は、銀色の鎧で覆われていて、そこから儚い色香が流れ出している。
目を瞑っていても解る、その高貴な雰囲気に棗は思わず気後れしてしまいそうになった。
「これは・・・」
「白雪姫です。とても美しい姫で・・・我々が帰って来た時には、既に・・・」
つっかえながらも、小人の一人が王子にそう囁く。
コツコツと、木の床を鳴らしながら王子が棺に近づき、そっと棗の顔を窺う。
・・・キス、されそうになったら起きよう・・・。
そう思い、感覚を研ぎ澄ませるが―――どうやら棗が思ったとおり、これは子供向けのお話ではないようだった。
王子はすいっと立ち上がると、小人達に白雪姫を譲ってはくれないかと相談を持ちかけた。
美しい白雪姫は、王子を一瞬のうちに虜にしたのだ。流石は世界で一番美しい姫だ。
ずっと大事にしてくださいとだけ言い、小人達は王子に白雪姫を差し出した。
小人達が歌を歌って白雪姫―――棗を見送ってくれる。
なんだか少し物悲しい気もするが、とにかく、この物語を終わらせる事を一番に考えなければならない。
家来達が棺を運ぶ途中、一人の青年が足元にあった石に躓いて・・・棺が音を立てて傾いた。
その瞬間、棗の身体が棺から転がり落ちて―――棗は何とか受身の態勢をとった。
怪我はしていないので、大丈夫だろう。
一応自分の身体を確認する。
「何と言う事が・・・!」
声の方を振り仰ぐ。
馬に乗った美しい王子が、瞳を潤ませながら棗の方を見つめていた。
急いで馬から下りて、恭しく棗の方に手を差し出し・・・棗はその手を取った。
そして・・・やる事は後1つ。
もしかしたら物語の結末を変えてしまうかもしれないけれど、誰も死なせたくない。
白雪姫に望む結末は、ハッピーエンド。
それは全ての人が明るい未来を思い描きながら終わる事であって・・・・・。
棗はそう心に決めると、王子の馬に乗り、2人で一緒にお城を目指した―――
◆□◆
真っ白なドレスに身を包みながら、棗は浮かない顔をしていた。
結婚前にウエディングドレスを着ると、婚期が遅れると言うのをどこかでチラリと聞いた気がしたのだ。
結婚式を挙げると言っても、これは白雪姫の結婚式なわけであって・・・まぁ、身体は棗のものだけれど。
―――これってバツ一になるのかなぁ。
などと色々考えているうちに、侍女の一人が棗を呼びに来た。
どうやら結婚式の準備が整ったようだ。
ここから先、やる事はただ一つだけ・・・全員の笑顔を見てから物語を終わらせたい。
「あの・・・」
棗は目の前に居た侍女の一人に声をかけた。
「持って来てもらいたい物があるんだけど・・・」
「・・・私がですか?」
「貴方一人で無理なようなら、誰かと一緒にお願いできるかしら?」
「解りました。お望みのままに。」
恭しく頭を下げた後で、パタパタと廊下を走って行った。
・・・間に合うかどうかは解らないけれども、どうか間に合って欲しい。
とにかく、時が来るまでは棗は白雪姫。
この国で今、一番輝いている女性でなくてはならない。
1国の王子と結婚する・・・幸せな1人の女の子・・・。
式は滞りなく進んだ。
誓いの口付けは、王子に前もって『フリだけにしてください』と頼んでおいただけあり、実際に唇同士が触れ合う事は無かった。
公衆の面前で口付けをするのは、どうやら王子も恥ずかしかったらしい。中々シャイな王子だ。
式も佳境に入った時、突然前方の両開きの扉が勢い良く開き、中から継母が姿を現した。
・・・きた・・・
棗はそう思うと立ち上がった。
「この者は白雪姫を殺害しようとした・・・悪魔のような継母です。」
継母を捕らえていた屈強な青年の1人がそう叫ぶと、ドンとその場に継母を突き飛ばした。
「悪魔には罰を!王子!」
「ここに真っ赤に焼けた鉄の靴が御座います。王子と姫の結婚を祝い、踊りでも如何ですか?」
冷たくそう言い放ち、その場に居たもう1人の青年が長い箸のようなものを取り出して、何かを背後から取り出し・・・
「待って!」
棗はそう叫ぶと駆け出していた。
その際、純白のドレスをたくし上げていたが―――この際だ。白雪姫には再び目を瞑っていてもらおう。
「姫?」
「そんな酷い事・・・しちゃダメだよ。」
「しかし、この者は姫の命を・・・」
「でも、生きてるよ?」
真っ直ぐにそう言うと、棗は微笑んだ。
「姫様!これで宜しいでしょうか?」
か細い声と共に、廊下の端から先ほどの侍女が姿を現す。
その背後には14かそのくらいの少年の姿があり、大きな鏡を一生懸命運んで来ている。
間に合ったのだ・・・。
ほっと安堵する間もなく、棗は思考を切り替えた。
全ての人が幸せに―――ずっと考えていた事を、今・・・実行に移す時だ。
「これは・・・」
「鏡・・。・・・私思うんだけど・・・1番とか2番とか、関係ないよ。」
鏡が棗の前に立てかけられた。
その正面に立ち、真っ直ぐに鏡の中を見詰める。
「鏡よ鏡、この国の中で美しい者はだぁれ?」
棗のその問いかけに、鏡は困ったように一瞬黙ったが、すぐに言葉を紡ぎ始めた。
『まずは白雪姫、貴方様に御座います。そして次に、森の中に住む金髪の美しい少女。そして、この城に仕える侍女、マーシャとエルディリア、城下町に住むリーラにメティリア。それから・・・』
鏡は次々に様々な人の名前を挙げていった。
その中には、貴族の姫君もいた。貧しい町娘もいた。剣士の少年もいた。
この国に住む、美しい者達の名前を、身分や家柄関係なく挙げ連ねる。
『そして・・・お后様。貴方様もです。』
最後にそう言うと、鏡はそれきり黙ってしまった。
「綺麗って・・・1番とか2番とか、ないんだと・・・思う。見る人にとって、感じ方は変わって来るんだし・・・。」
棗はそう言うと、にっこりと微笑んでしゃがみ込んだ。
継母と真っ直ぐ視線を合わせる。
「お継母さんも、綺麗なんだよ。」
その瞬間、継母の目から涙が溢れ―――
それを見届けた瞬間、目の前が淡い光に染め上げられた。
胸元に仕舞っておいたお守りから発せられる光は、周囲の景色全てを飲み込んで行った・・・。
■□
パチリと目を開けると、そこには世羅の姿があった。
ニヤニヤと笑いながら棗の事を見詰めている。
「ご苦労だったねぇ。怪我はないかい?」
「大丈夫。」
棗はコクリと頷くと、思わず自分の身体を見た。
先ほどまで着ていた純白のドレスではない。普段の棗の格好だった。お手製の改造着物も、厚底ブーツも、しっかりと身に着けている。
「こんな終わり方にしちまうとは、まったく、驚いたよ。」
世羅がそう言って、パサリと棗の方に1冊の本を差し出した。
白雪姫―――
パラパラとページを捲る。
棗がしてきた事が全て物語の中に忠実に描かれており・・・最後には綺麗な挿絵がついていた。
『綺麗な人と綺麗な心の溢れるこの国は、世界中の全ての者達から愛され』
『末永く繁栄しましたとさ』
お終い―――
「ま、無事に完結したんだからね、あたしとしては文句は無いよ。」
世羅がそう言って肩を竦め、気だるそうに微笑んだ。
「その本はあげるよ。そんな個性的な白雪姫の話、ここにあっても仕方ないからねぇ。」
「・・・ありがとう。」
棗は1つ、お礼を言うと、白雪姫の本をそっと撫ぜた。
「それより・・・信じる者は救われる。救われただろう?」
そう言って世羅がチョイチョイと棗の胸元を指差し―――
「お守り・・・無かったら、戻って来れなかったとか?」
「ま、そう言うこったねぇ。」
悪戯っぽく微笑む世羅に、思わず棗は苦笑した。
信じる者は救われる。信じないものには・・・救いの手は無い。
信じるからこそ1筋の光が見えるわけである。
「あんたの事、嫌いじゃぁないよ。だから、もしまた縁があれば・・・丁重にもてなすよ。」
「私も・・・世羅さん、嫌いじゃないから・・・。また機会があれば遊びに来たいな。」
「ま、とりあえず茶でも飲もうかねぇ。一通りの物を揃えてあるつもりだけど・・・あんた、何が飲みたい?あと、茶請けは何が良いかねぇ?」
「チョコ!」
棗は間髪を入れずにそう言った。
白雪姫の物語の中に入ってからと言うもの、チョコを口にしてはいない。
物語の中ではかなりの時間を過ごしたが、こちらの時間ではほんの1,2時間ほどだろう。
それでも―――
「あぁ、解った。チョコくらいならいくらでも用意できるからねぇ。」
世羅がクスクスと小さく微笑みながら、パチリと指を鳴らした。
その瞬間、棗の目の前に大量のチョコを乗せたお皿が現れた。
1つつまみ、口に放り込み―――
「美味しい・・・!」
「それは良かった。」
そう言うと、世羅は羊羹を作り出し、美味しそうに口に運ぶ。
「今度はチョコの出てくるお話が良いな・・・」
「・・・探しておくよ。」
棗がチョコの物語に入れるかどうかは、また別のお話―――
〈END〉
◇★◇★◇★ 登場人物 ★◇★◇★◇
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6001/比嘉耶 棗/女性/18歳/気まぐれ人形制作者
◆☆◆☆◆☆ ライター通信 ☆◆☆◆☆◆
この度は『染まった童話〈白雪姫〉』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
そして、初めましてのご参加まことに有難う御座います。(ペコリ)
さて、如何でしたでしょうか?
口調がとても心配ですが・・・大丈夫でしたでしょうか?
白雪姫と王子様は幸せで、継母が死んでしまうと言う結末は、棗様の白雪姫には合わないような気がいたしまして、このような結末にさせていただきました。
綺麗なものは綺麗なもの。1番や2番と言った番号付けをするからおかしくなってしまうわけで・・・。
そもそも、1番や2番は見る人によって違いますよね。誰かの意見が絶対と言う事はないんだと思います。
大部分の人が2番だと思っていても、1番だと思ってくれる人は必ず居るのではないかと・・・。
優しくて可愛らしい棗様を、素敵に描けていればと思います。
それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。
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