コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


おいでませ、まほろ温泉〜年越しの祭〜

今年、最後の夜が来ようとしていた。東の空は既に群青の黄昏に覆われている。まだうっすらと薄明の残る西の空にも、ぽつりぽつりと星の輝きが見えた。そんな空の色に気を取られていたせいだろうか。街灯のつき始めた道を歩く内、不思議な社に迷い込んでいた。いや、これを社と呼んでも良いのかどうか。参道の入り口には巨大な鳥居があるものの、中はこれまで見たどんな社とも違っていたからだ。参道の中央を流れる小川が湛えているのは水ではなく、湯だ。湯の川。奥の社から流れ出ているらしいそれは、参道の右手に出来た大きな池に注ぎ込んで居る。池を囲む岩に腰を下ろした参拝客たちが、気持ち良さそうに湯に足を浸している。足湯になっているのだ。向かいにはゆったりとくつろげる東屋が出来ており、社殿の横には巨大な露天風呂が出現していた。独特の白い浴衣を着て、参拝客たちが楽しげに湯につかっているのを見て目を丸くしていると、すぐ脇を子供らが駆け抜けて行った。今時滅多に見ない、丈の短い着物姿の彼らは、どう見ても人ではない。多分、座敷わらしと言うのが居るのなら、きっとあんな姿をしているに違いないと、葛は思う。他の参拝客にしても人であろうと思われるものは殆ど居らず、皆どこかしら妖気を漂わせている、人外の者達だ。
「ここ、知ってる」
 藤井葛は呟いて、やれやれと溜息を吐いた。この社には、以前にも一度迷い込んだ事があった。あの時は夏で、温泉なぞ涌いてはいなかったのだけれど。やはり境内にはこんな風に沢山の参拝客があって、夏祭で賑わっていた。
「ま、少し覗いて行くのもいっかな…」
買い物だの何だのの用事を脇へどけ、腹をくくって歩き出した。大晦日、そんなに暇ではないのだが、迷い込んでしまったからには仕方ない。それに、温泉の涌く社なぞ、そうそう出会えるものでもない。葛は、もうもうと湯気を立てる湯の川の横に屈みこんで、手を浸してみた。
「うん、中々の湯加減」
 このまま湯の中を歩いてしまおうか、と思ったその時。わあっと周囲から歓声があがり、続いて微かな鈴の音が聞えてきた。何だろう、と顔を上げたその時。葛は思わず目を見開いた。葛が佇んでいた湯の川の丁度真上の空を、何かが歩いていく。それはほんのりと輝く人影で、鈴の音は彼らの歩みに従って聞えてきたのだと分かった。大きさはまちまちで、顔かたちまでは見えない。だが、それらは一つの長い列を成して、一歩一歩、更に上空へと進んでいくのだ。
「綺麗。でも、何だろう…」
 首を傾げつつ見送って、何とはなしに湯の川を渡った葛は、すれ違った一つ目小僧が手にしていた竹のコップに目を止めた。微かに香ったのは、桃の香。以前この社に来た時に出会った少女の事を、当然ながら思い出した。夏祭の夜、彼女は冷やし桃の屋台を出していたのだ。もしかすると、いやきっと、今夜も何か商いをしているに違いない。湯の川を渡って東屋の群れをかすめていくと、案の定『桃ジュース』の屋台があった。
「おっす!やっぱり店出してたんだ」
「葛殿!」
 目を丸くした鈴に、葛はお代の300円をぽんと渡した。
「喉渇いちゃって。…あれ、手伝ってるの、玲一郎さんじゃないんだ?」
 奥にいた少年を見て首を傾げると、鈴がああ、と頷く。
「櫻紫桜殿じゃ。偶然行き合わせてな、手伝うてもろうておる」
 頭を下げた少年は、顔立ちこそ落ち着いていたが、学生服を着ていた。まだ高校生くらいだろう。葛もすぐに名乗った。
「繁盛してるみたいだけど…忙しいの?」
「ひとやま越えたところじゃ」
 本当にかなりのひとやまだったのだろう、鈴はふう、と息を吐いて、紫桜の方を振り向くと、
「…ああ、紫桜殿もそろそろ良いぞ?後は来てもぱらぱらじゃろうて。祭りをあちこち見て回るのも楽しかろう。この分では帰還は見逃したやも知れぬが」
 と言った。
「帰還…って」
 聞き返した紫桜に鈴が答えるより早く、葛はああ、と声を上げた。
「それってあれ?何か空を色々飛んでった…」
「そう。それが歳神の帰還じゃ。わしは毎年見て居るから良いが、紫桜殿には悪い事をしたのう」
 心底済まなそうに言うと、鈴はまあまあ、と紫桜の背を叩いた。肩には手が届かないからだろう。
「まだ、降臨は見られる。この一年、街を見守ってきた歳神たちの帰還と降臨を見届けるのが、この年越しの祭りのメインイベントなのじゃ。降臨まではまだ間がある」
 それならば、もう少し辺りを見物してみるのも良いだろう。
「じゃあ、ちょっと見て来るね」
 と歩き出すと、後から紫桜少年が追いついてきた。湯の川に沿って、露天に向かう参拝客の流れに逆らって歩く。
「歳神、って、どんなものなんですか?」
 詳しく聞きたがるところを見ると、見逃したのが少し悔しかったのかも知れない。
「うーん。俺が見たのは、こううっすら光る、人影みたいなのだった。それが空を歩くみたいにして飛んで、もっとずっと高い所に昇っていくんだ。しゃん、しゃんって音をさせてさ。綺麗だったよ。もっとも、俺が見たのは最後の方みたいだったから、ぎりぎりだけどね」
 教えてやると、紫桜はううむ、と考えた後何か更に聞こうとした様子だったが、結局その問いは聞かずに終わった。人ではない人ごみの向こうに、葛が知った顔を見つけたからだ。
「あの人、知ってる!…鈴さんの弟さん。玲一郎さんって言うんだ」
 彼には鈴の屋敷で一度会っている。あまり話しはしていないが、顔は覚えていた。
「…あれが、弟?」
 どう見ても兄だと言う紫桜に、葛は首を振った。
「弟だって。そう呼んでたし、鈴さんだって、見た目通りの年じゃないよ」
 と言った通り、弟と自己紹介した天玲一郎(あまね・れいいちろう)は、店の手伝いで歳神の帰還を見逃したと言う紫桜の話を聞くと、すみませんね、と申し訳無さそうに笑った。
「いえ。手伝いも面白かったですから。でも、降臨は見たいと思います」
 紫桜の口調は静かだが、強い意志が感じられる。
「ええ、是非。もう少ししたら、一緒に行きましょう。…おや、あれは」
 と言って眉根をあげた玲一郎の視線を辿ると、参拝客たちの向こう側に若い女性がちらりと見えた。
「友人がもう一人、来ていたようです」
 人(?)の流れを横切って辿りついた休憩所に居たのは、ひと目で欧米系と分かる容姿の女性だった。中性的な雰囲気は、葛と少し通じる所があるかも知れない。だが、瞳は深くも明るい、青だ。彼女はシュライン・エマと名乗った。紫桜と葛も続いて自己紹介し、ずっとこの東屋に居たと言うシュラインの話を聞いた。彼女も紫桜と同じく、迷い込んだクチらしい。
「私は烏天狗さんとお知り合いになってね。色々教えてもらってたんだけど。…歳神の帰還はちょっと見逃しちゃったかも。そこを飛んで行く所しか見られなかったわ」
 と、シュラインが湯の川の上を指差す。どうやら葛と同じタイミングで見たようだ。玲一郎によれば、鳥居に戻るまで、歳神たちは干支の姿をしているのだという。
「ねえ、貴方が居るって事は、鈴さんもここに?」
 シュラインの問いに答えたのは、葛だ。
「露天風呂へ行く途中に、少し奥まった出店スペースがあるんです。紫桜くんは、手伝ってたんだけど」
 と、玲一郎を見上げる。鈴は玲一郎を待っていた節があるが、結局彼は顔を出していないようだ。
「珍しいわね。手伝ってあげないの?」
「年末年始くらいは、弟も休業です」
 のんびりと返す玲一郎にシュラインが笑い出し、玲一郎も困ったような顔で笑った。出店を見に行くというシュラインと別れ、紫桜はさすがに疲れたのか、玲一郎と二人椅子に腰を下ろした。まだまだ元気な葛は、それではつまらないと休憩所の中をそぞろ歩きしていると、くいくい、と袖を引っ張られた。振り向いてみると、どこかで見たような集団がじっとこちらを見ている。河童だった。どれも同じに見えるが、何となく知っているような気がする。じっと見詰め返すと、向こうから声をあげた。
「…やっぱりあの時の…。久しぶり!」
 挨拶すると、河童も何やら叫んだ。あまり人語が得意ではないらしい。
「お祭には、いっつも来るの?」
 河童たちが頷く。
「でも今日は相撲はしないからね」
 念の為に言うと、河童たちは少しがっかりしたように顔を見合わせたが、無理強いするつもりはないらしい。大人しく葛の周りに腰を下ろした。
「でも、簪は大事にしてるよ。大事な人のお土産にしたんだけど、とっても喜んでたから。あんなに綺麗なの、初めて見たって」
 相撲はしないで済みそうだと内心安堵しつつもそういうと、河童たちがわっと喜ぶ。贈り物を褒められて嬉しいのは、人間に限ったことではないらしい。そこに小さな老人が声をかけて来た。
「ほう、おぬし、河童から何ぞ貰うたのか」
 老人は山奥の沼の精だと言う。深山のそのまた奥深く静かに暮らしているのが、社の祭の時だけは、水脈を伝ってやってくるのだそうだ。
「沼の精でも、温泉って嬉しいの?」
 素朴な疑問に、老人はけけけと笑って、
「当然!」
 と何故か胸を張った。ここの温泉は特別だ、と言いたいらしい。しばらく河童や沼の精たちとのんびり話をした後、玲一郎たちと共に露天風呂に向かった。紫桜少年は、女性である葛が一緒なのが気になっていたようだったが、玲一郎は大丈夫、と笑った。どういう事だろうと思ったが、何のことはない、ここの露天風呂には、『着替え』が必要なかったのだ。

「うっわあ、これは便利!」
 葛は思わず両手を広げてぱたぱたとはためかせた。確かに、浴衣だ。だが、着替えたのではない。目の前が銀色に輝いたと思った次の瞬間、紫桜の学生服も、玲一郎のシャツも、葛のコートも消え、白い浴衣姿に変っていたのだ。
「この露天に入る時は、皆この浴衣になるんです」
 ざぱざぱと風呂に入っていく玲一郎に、紫桜と葛も続いた。湯に入ると今度は掌サイズの娘たちが湯の上を飛ぶようにしてやってきて、飲み物の注文を取っていく。湯の花の娘なのだそうだ。彼女らに指定された四種の飲み物の中から、紫桜は日本茶を選び、葛はワインを頼んだ。ここの飲み物にはそれぞれ効能があって、日本茶なら学業運、ワインなら恋愛運、芸術運をそれぞれアップさせるのだと、玲一郎が教えてくれた。恋愛運、と聞いてふと思い浮かべる顔もあったが、深く考えるより早く湯の花娘が戻ってきて、
「よう学ばれますよう」
 と、紫桜に日本茶を、
「良き方にめぐり合えますよう。美しきものに出会えますよう」
 と、ワインを渡した。玲一郎もワインを頼み、軽く乾杯をした所で、もう一人合流した。セレスティ・カーニンガムと言う名のその人もまた、玲一郎とは知り合いのようだ。彼もまた、ひと目で分かる西洋系の風貌をしている。四人は並んで、何とはなしに空を見上げた。
「歳神って、やっぱり上から降りてくるのかな」
 葛が言うと、紫桜が頷いた。
「俺はそう聞いてます。確か別の世界…星々の世界から、降りてくるそうですよ」
「星々の…か。ふうん」
 と、そこへ先ほどの湯の花娘がひらり、とやってくる。セレスティにワインを渡した湯の花娘は、また首を傾げるようにお辞儀をして、
「良き方にめぐり合えますよう。美しきものに出会えますよう」
 と、愛らしい声で言った。
「ありがとう。君もね」
 セレスティに言われて、娘はまあ、と嬉しそうな声を上げて去って行く。首を傾げたセレスティに、別の声が教えた。
「ここの飲み物は、それぞれ意味があってのう、セレスティ殿。ワインには、恋愛運、芸術運上昇の力があるのじゃ」
 鈴だ。隣に居る少女は、黒榊魅月姫(くろさかき・みづき)、と紹介された。漆黒とも言うべき黒髪に、鈴と同じ真紅の瞳をしている。
「あれ、お店は?」
 聞いたのは、葛だ。
「もうしまいじゃ。わしとて、年越しの瞬間まで商いしようなどとは思うておらぬ。それに」
 と、鈴が空に視線をあげ、皆もそれに続いた。社の空が、揺らぐ。すうっと何かが開くのが分かった。
「もう、降りて来るぞ」
 鈴に言われずとも皆分かっていただろう。開かれたのは、空。聞えてきたのは、小さな澄んだ鈴の音だ。しゃん、しゃん、しゃん…。規則正しく聞える鈴の音と共に、白く輝く人影が幾つも列をなし、開いた空から降りてくる。ざわめいていた露天風呂は静まり返り、皆一様に空を見上げていた。妖怪も、仙人も、樹精も、水精も、誰もがじっと、降りてくる歳神たちを見上げている。物音一つしない中、一列になった彼らは湯煙のすぐ傍まで降りて来ると、鳥居の方に向かってゆっくりと進んで行く。しゃん、しゃん、と言う不思議な音は、彼らの歩みとほぼ同調しており、まるで足音のようだった。
「歳神はな、星々の世界から降りてくる星の子らじゃ」
 鈴が言った。
「星が降りてきて、神様になるって事かしら?」
 シュラインが聞いた。
「そうじゃ。なぜ星が降りてくるのか、なぜ神となってこの世を見守るのか、穢れと共に戻って行くのか。理由を知る者は居らぬ。が、年に一度の年越しの夜、嵐であろうが晴れ渡っておろうが、穏やかであろうが戦があろうが、歳神達は還り、そして降りる。古より繰り返されてきた不思議の一つよ」
「とても、綺麗ですね」
 魅月姫が呟くように言い、鈴が嬉しそうに頷く。その間にも、輝く人影の列は、鳥居に向かって伸びて行く。
「ねえ、鳥居を抜けた歳神は、やっぱり犬の形になるのかしらね」
 ぽつりと言ったシュラインに、玲一郎が多分、と微笑んだ。それは是非とも見てみたい。葛はすっくと立ち上がると、駆け出した。また雪娘たちが現れて、光る粉を振り掛ける。浴衣は元の服に戻り、そこで紫桜がついてきていた事に気がついた。好奇心が勝ったのだろう。空が閉じようとしているのが、不思議と気配で分かる。頭上を行く歳神たちを追うようにして、鳥居に着いた二人の目の前で、彼らは軽々とそれを抜けた。姿は一旦、光の固まりとなり、鳥居を抜けきった所で輝く犬の姿となって大きく飛ぶ。光り輝く犬の群れは、夜の灯りが煌く街の空を駆け、それぞれどこへとも無く消えて行く。神が、街に降りる瞬間を、紫桜は息を呑んで見守った。歳神たちが次々と降りていくに従って、背後の湯の音が段々と消えていく。やがて、最後の歳神が鳥居を抜けるその時、空間が揺らぐのを感じた。年が、明けるのだ。
「あけまして、おめでとう」
 葛と紫桜、どちらからともなく、そう言った。振り向くと、既に社が閉じようとしているのが分かった。全ては残った湯煙の中に、消えて行く。手にしていた湯のみに残った日本茶を飲み干すと、それもまた消えて行った。新しい年が始まる。きっとまた、不思議に満ちた一年になるに違いない。それから…。露天で飲んだワインの味をふと思い出して、葛はほんの少し、微笑んだ。

<終り>


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1312 / 藤井 葛(ふじい・かずら) / 女性 / 22歳 / 大学院生】
【5453/ 櫻 紫桜(さくら・しおう) / 男性 / 15歳 / 高校生 】

【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4682 / 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)・深淵の魔女】

<登場NPC>
天 鈴(あまね・すず)
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

藤井 葛様

ご参加、ありがとうございました。ライターのむささびです。まほろの社、年越しの祭、お楽しみいただけましたでしょうか。今回は河童たちとの再会、そして降臨を見ていただきました。ワインの効果はどのように現れるかはわかりませんが、きっと新年も色々な幸せが訪れる事でしょう。それでは、遅ればせながらご挨拶を。
旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
むささび。