コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


雪の女王


ある日、悪魔はご機嫌でした。良いものや、きれいなものを映すと、それがどんどん縮んで小さくなり、しまいにはほとんどなんにも見えなくなってしまう、奇妙な鏡をこしらえたからです。
では、悪いものやみにくいものを映すとどうなるかと言いますと、これは実にはっきりと映して、それがどれほどひどいのか、イヤというほどによく見えるのです。
さて、悪魔はよろこびました。これはとってもおもしろいことになるぞと思いました。
なにしろ、神様を厚く信じているひとが映りこみますと、うす気味のわるいあざ笑いを浮かべた、いじわるな顔に映るのです。
悪魔はよろこび、この鏡を世界中のあちらこちらへと持ち運びました。しまいには鏡そのものが歪んでしまい、どんな国、どんな人を映しても、ぜんぶが歪んで見えるようになってしまったのです。
さて、悪魔はかんがえました。
この鏡を持って、天使やら、「われらが天主」やらにいたずらをしかけてやろうじゃないかと思いついたのです。
悪魔が鏡をもって天高くのぼっていけばいくほど、鏡の中のあざ笑いが増していって、もう鏡を持っていられないほどになりました。
そしてついに、鏡は悪魔の手からすべりおち、地面にぶつかって、何億の何千倍という、ちいさなかけらにくだけてしまいました。
さて、このかけらですが、人間の目のなかにはいってしまうと、とても大変なことになってしまいます。
なにを見るにも、悪いところやみにくいところばかりが目立って見えるようになるのです。
このかけらが、心臓にはいってしまったひともいました。
これは大変なことです。
なぜなら、かけらが心臓にささってしまうと、その人の心臓は、ひとかたまりの氷のようになってしまうからです。



「まったく、寒いったらありゃせんわい」
 事務所に唯一のファンヒーターを前に、三上可南子は両腕で体をさすりつつそうぼやく。
「誰じゃ。今冬は暖冬ですなどと、大ボラを吹きよってからに」
 舌打ちをひとつついたのと同時、事務所のドアが開き、中田が顔を覗かせた。毛糸の帽子とマフラーには、細かな氷の粒がぶら下がっている。
「外は吹雪ですよ、可南子さん」
 中田はそう述べながら手袋を外すと、そのまま真っ直ぐに歩み寄って、ファンヒーターの前でうずくまった。
「……帽子は外さんのか」
「へ? 外しますよ、もちろん」
 すっ呆けた顔でうなずいてみせている中田を見やり、可南子はしばし眉根を寄せる。
「……今ここで外したらどうじゃ」
「いやいやいや、後で外しますよ」
 中田がそう返すのと同時に、可南子の手がにゅうと伸びて中田の帽子を掴み取る。
 中田は心底焦ったような表情で、慌てて帽子を押さえ込んだ。
「や、やめてください、可南子さん。と、取れちゃうじゃないですか」
 あわあわと立ち上がった中田を見上げ、可南子はにやりと口を歪めた。
「不可思議なモンの上に帽子なぞ被りおってからに。……それはそうと、分かったのか?」
 再びファンヒーターを独り占めにした可南子は、そう訊ねて中田を見やる。
 中田はズレた帽子を必死になって押さえつつ、可南子の問いにうなずいた。
「新宿のNビルの最上階にいるのだそうですよ」
「新宿か。電車の運行もままならぬ現状であれば、賑わいも影をひそめておるのだろうな」
 ふむとうなずく可南子に、中田は静かに首を動かした。

 寒波が都心を覆い尽くした。
 やんでは降り、降っては吹雪く大雪が、首都圏の交通網を大きく麻痺させている。
 雪雲は、しかし不思議な事に、文字通り、都心を呑み込むようなかたちで固まっているのだ。よって、都心を外れれば、寒波の猛威は途端になりをひそめるのだった。
 この異常現象を前に、ネット等を中心に、とあるひとつの噂が立ちのぼった。
 すなわち、都心のとあるビルに、ひとりの歌姫が居座っているのだ、と。
 この噂は、さらに輪をかけて大きく転がる。
 最近では、この歌姫は雪の女王にとり憑かれているのだという説まで出始めている。

「雪の女王、のう。……アンデルセンの童話でもあるまいしのう」
 首を傾げてそうため息を漏らした可南子の言葉を合図にしたかのように、中田の携帯電話が懐メロを奏で始めた。
 その着信を確かめて、中田は可南子に言葉を掛ける。
「祓い屋さんからです」

 それから30分後。事務所のソファに、和服の女とスーツの男とが座っていた。
「じゃあ、そのビルに行って、その噂の真偽を確かめてくればいいのね」
 女はそう云って小さな笑みを浮かべる。
「そうじゃ。その噂が虚偽であれば良し。自然現象であるならば、過ぎるのを待つより他にあるまい。が、噂が事実であるならば、」
「そうなれば、僕たちの出番っていうわけですね」
 男が可南子の言葉に微笑んだ。
「でも、さすがに、場所が場所だし……あたし達だけじゃ、ちょっと手間取ってしまうかもしれないわね」
 ふと思案を見せた女の言葉に、可南子は大きく頬を緩める。
「なに、それなら心配は要らぬ。手助けをしてくれる者達が、今、こちらに向かっておるところじゃからのう」

 
 東京・新宿。
 10cmの積雪でも混乱をきたしてしまうこの土地に、今、小学生程度の子供ならばすっぽりとはまりこんでしまうであろう程の雪が積もっている。
 雪に対する手立てを何一つ施されていない道路は既に一面の銀色で覆われ、車の通りなど出来ようはずもなかった。
「これは……思っていた以上ですね」
 ポーランド軍のトレンチを模して作らせた外套を纏い、セレスティ・カーニンガムは自身が所有する車から降り立った。
 目に見える風景は雪山のそれかとも思える雪景色。今はさほど吹雪いてもいないが、風向きが変わればすぐにでもまた視界の全てが凶暴化した白で覆われるのだろう。
 しかし、セレスティの面持ちにはそれに対する脅威などといった感情は感じられない。一面の白と相俟ってか、神聖たる空気さえ感じられるのだ。
 悠然と微笑むセレスティの後ろから続き、セレスティとは対照的な出で立ち――雪山登山にでも赴くのかと思わせる完全防備に身を包んだ少年が降り立った。
 早津田恒。彼はトレッキングパンツにダイナアクションパーカー、目にはスキー用ゴーグル。背にはバッグバッグを負っている。
「ここからは車での進行は無理なんスよね?」
 スコップを片手に、恒はセレスティに問いかけた。
「現場まで車で行けるかと思っていましたが……予測外でしたね」
 残念そうに肩を竦め微笑むセレスティに、恒は大きくうなずいてスコップを振るった。
「俺が道作りますよ。これ、コンパスと地図。Nビルの位置方向だけ指示してほしいんスけど」
「おや、そうですか? 申し訳ありません。……私もお手伝い出来る部分は尽力いたしますね」
 申し訳なさげに首を傾げたセレスティの横から、ダウンジャケットを着込んだ恭信が恒と同様スコップを片手にのそりと立った。
「お一人でやるんじゃ大変でしょう。僕もお手伝いしますよ」
 やんわりと頬を緩める恭信に、恒は嬉しそうにうなずいた。
「あたしはおてつだいできないのでぇす!」
 恒のバッグバッグの中からひょいと顔を覗かせてそう口を挟んできたのは露樹八重。バッグバッグに入り込めたのは、ひとえに体長10cmといった身ならでは技である。
 自信ありげに胸を張る八重の両手には板チョコが握られている。
「あ! おま、ちょっ、それ俺がしまっておいた非常食っ!」
 恒がスコップで雪をかきながら叫ぶ。が、八重は「はいでぇす。とてもおいしいのでぇす」と暢気に笑うばかり。
「非常食を持ってこられるとは、準備万端といったところなのですね。頼もしいかぎりです」
 セレスティが穏やかに微笑み、八重はもごもごとチョコの残りを飲みこんだ。
「まほうびんのなかにコーヒーもはいってたでぇすよ。あたしはあまいほうがよかったでぇすが」
「おま、ちょ、まさか魔法瓶の中のも」
「ちょっとだけしかのんでないでぇすよ。にがくておいしくないでぇす」
 顔をしかめる八重に、恒はがくりと肩を落とす。
「コーヒーね……あなた、早津田っていったかしら。あたしは緑茶の方が好きだわ。むろん緑茶も持ってきたわよね?」
 恭信の横に立ち、恒を見上げている少女――桔梗が腰に両手をあてがった姿勢でそう告げる。
「はあ? 知らねえって、そんなの。コーヒーと、あと一応砂糖とミルクしかねえよ」
 桔梗の口ぶりに、恒の片眉が跳ね上がる。 それを宥めるように、セレスティが前方に向けて指を伸ばした。
「この位置ですと、あと十分ほど行けばNビルに着くはずです。……でもこの降雪ですしねえ……」
「あたしは体中にホッカイロをはってあるから平気でぇす」
 恒のバッグバッグから顔だけを覗かせ、八重が笑った。
 恒はセレスティが示した方角を確かめて、いつもならば人通りで賑わっているであろう街並を一望した。
 日頃ビジネスマンが闊歩しているはずの大通りには、今は恒と同じように雪かきに勤しんでいる人影がいくつか見える程度。どれも疲弊を滲ませて、うんざりしたように厚い雲を見やっている。
「あのひとたちからはおはなしをきけないのでぇしょうかぁ?」 
「悪いけど脇道を作るのに雪かきをする気はねえぞ」
「しょんぼりでぇす」
 八重の申し出は恒によってあえなく一蹴された。
 しょげる八重の顔は恒の側からは見えないが、それでも八重がため息を漏らしている事ぐらいは容易く知れる。
 恒は懸命に動かしていたスコップを一度止めて、白い息を盛大に吐いた。
「まあ、情報収集は戦略にも必要だしな。よっしゃ、行くぞ、てめえら俺についてこい!」
 わしゃわしゃと雪をかいていく恒に、八重が歓喜の声をあげる。
 セレスティはふたりのやり取りを微笑ましく眺める傍らで、新宿に向かう前に覗いたゴーストネットの記事を思い出していた。
 
 歌姫が歌っているのは聖歌だ。
 歌姫が歌っているのは歌詞のない音楽だ。
 歌姫は昔流行ったオペラ歌手だ。
 
 ゴーストネットにはそういった記事が書き込まれ、虚言とも作り話とも知れないレスが多くつけられてもいた。

「昔人気を博したオペラ歌手」
 呟き、記憶の糸を手繰り寄せる。
 そういった歌い手はまさに数知れず存在していることだろう。
 ――――せめて歌姫が歌っているという歌詞の1フレーズでも知れたなら……。
 かすかに眉根を寄せて恒が向かう先を見やる。
 恒は既に手近のビルへの道を完成させ、八重と共に情報収集へと向かっていた。

 
 厚い雪雲が空を覆っている。
 クレメンタイン・ノースは一面の雪の中に佇み、ふわふわと舞う粉雪の一片を手のひらで受けとめた。
 幼い子供の見目ながら、しかしその身にまとっているのは真白な布で織られたロマンチックチュチュ。露わになっている肌は雪の色と同化してしまいそうな程に白い。
 新宿の高層ビルに囲まれた土地。しかしそのビル群も今この状況下では日に日に凍り付いていく雪像のようにも思える。
「……」
 首を傾げ、視線の先に見えるNビルを見やる。
「……やっぱり、くーのしってるひとじゃないみたい」
 独りごちてうなずくと、Nビルを目指し雪かきをしてくる一行に目を向ける。
 どうやらあの一行は自分と同じ場所を目指しているらしい。
 クレメンタインはドレスの裾をふわりとなびかせて雪の上を走り出した。
 その様を見ている者があれば、クレメンタインこそが雪の使いであると認識しただろう。
 舞うように跳ねるその足取りは、雪に沈むこともなくふわりふわりと飛んでいるようにも思えた。

 
 Nビルを目に出来る場所までは案外と容易に辿り着くことが出来た。
「俺と恭信が気合いいれて雪かきしてきたからだろ」
 恒は得意げに胸を張ったが、桔梗とセレスティは、雪をちらつかせながらも吹雪には繋がらないままでいた天候具合にも目を向けた。
「まるで何かが吹雪を防いでくれていたみたいな感じがするわね」
 肩上で切り揃えた黒髪を片手で押さえつけながら、桔梗はついと目を細ませる。
「そうですね。でもそれは”何か”ではなく、”誰か”であったようですよ」
 セレスティは桔梗の言葉を受けながら、視線をふわりと後方へ向けた。
「おんなのこしゃんがいるのでぇすよ」
 恒のバッグバッグの中、スナック菓子を手にした八重がセレスティの目線を追うように指を指す。
 その指が示す方角を見れば、そこには幼い子供と思しき見目をした少女がひとり立っていた。
 少女は自分に向けて視線が寄せられたのに気がつくと、ドレスの裾をつまみあげて片足を引いた。
「おひめしゃまみたいでぇしゅね!」
 八重の顔に満面の笑みが浮かんだ。

 Nビルへ続く道はそれまでの道に比べ、より一層の積雪で囲まれていた。
 人通りは全くといって確認できない。恐らくは往来する足さえまばらなのだろう。それは周りの雪を見れば容易く知れた。
「静かね」
 桔梗はそう呟きながら着物の襟を整える。
 桔梗の出で立ちはといえば、この雪の中には不釣合いともいえる和服姿なのだ。どこをどう歩けばこうも巧く歩いてこれるものなのか、下駄履きの足は少しも汚れたりしていない。しかしその上にはなぜか男物のコートを羽織っている。これは恭信が気を利かせたものだろう。
「耳が痛くなるような静けさですね」
 セレスティがうなずく。
「くーしゃんがふぶきをおしゃえてくだしゃっているのでぇしゅよ」
 八重はやはり恒のバッグバッグの中。八重の言葉を受けて照れたように笑うクレメンタインは、恭信の肩車でNビルを指示した。
「あのね、あそこにいるのはくーのしってるひとじゃないの」
「それは、Nビルの歌姫は本物の雪の女王ではないということですか?」
 セレスティが訊ねると、クレメンタインはこくこくとうなずき、雪原の中のもみの木のような緑色の目をしばたかせる。
「でも、ないてるの。ないてるひとがいるの」
 クレメンタインはそう続けて俯いた。
「ないてるのでぇしゅか?」
 八重もまた目をしばたかせ、Nビルへと目を向けた。
「泣きたいのは俺らだっつうの」
 腰の痛みを訴えだした恒が悲鳴のような声をあげる。
 それに同意を見せた恭信が束の間腕を休めた、その時。
 かすかに吹いた風に混じり、詞を成さない歌声が六人それぞれの耳をさわりと撫でた。
 と、それまでは耳が痛むほどの静けさで覆われていた一面が、一瞬で凶暴な吹雪の中へと投じられたのだ。
 打ち付ける吹雪の勢いもむろんのこと、地表を撫でながら吹き上げる地吹雪が一層の激しさを思わせる。
「う、うおおおおおお!」
 片腕で顔を覆い隠し叫ぶ恒の横に、桔梗を庇うような姿勢の恭信が立っている。
 しかしクレメンタインがふうと息を吹きつけると、吹雪は嘘のように静まった。
 再び訪れた静寂に、バッグバッグに隠れていた八重がひょっこりと顔を覗かせた。
「そうしゃいしたのでぇしゅね!」
「は? そうしゃい?」
「相殺、ですね。高周波に低周波をぶつけてやれば互いが互いを相殺して消失する。そういう事ですよね」
 首を傾げた恒に、セレスティがやんわりとうなずいた。
「なるほど、歌姫はその歌声で雪を招いている。……ゴーストネットの書き込みとの因果関係は、確かに存在していそうですね」

 その後、六人がNビルへと侵入するまで、この吹雪同士の相殺は二度ばかり繰り返された。
 ビルの中は幸いにして吹雪の影響をさほどには受けていないようだった。ビルの最上階へと続くエレベーターも通じていたし、エスカレーターもなんとか運行していた。
 が、暖房の類はそれほどには効果を成していないのだろうか。
 屋内とはいえ、恒が雪山登山よろしくといったその服装から解放されることはなかったのだ。 
 
 Nビルの最上階は30階。新宿の高層ビルの中ではとりたてて珍しくもない高さのビルとして数えられる。
 直通のエレベーターは残念ながら運行を停止していた。
「まあ、そりゃあそうよね。得体の知れないものがいる場所に、わざわざ直通のエレベーターを通す必要なんてないでしょうし」
 桔梗が頬を歪ませる。
「まあ、そりゃそうでしょうけれども。……しかし、人ひとりいないんですね。それなのにビルの内部は生きている」
 恭信が首を傾げ、恒が床をスコップで鳴らした。
「ンなもん、行ってみりゃわかる話だろうが。とりあえず女王さんとやらんとこに行ってみようぜ」
 躊躇することなくエレベーターのボタンを押す。
 セレスティは恒の動きをしばし確かめていたが、やがてふと足を進めながら口を開けた。
「歌姫は心を凍らされてしまったのでしょうか。歌を謳うことしか出来なくなっているのなら、心を訴える手段は否応なしに歌うことのみとなるわけなのでしょうけれども」
「俺も似たようなことを考えてたぜ。自分のために歌ってんのか、誰かに聞いてほしくて歌ってんのかってさ」
 全員がエレベーターに乗り終えたのを確かめて、恒は開閉ボタンに指をかける。
「ここにいるだけじゃあつまらないとおもうのでぇす」
 腹に張ってあるカイロの位置を直しつつ、八重が思案気味に眉根を寄せた。
「それも気になるけど、まずはその女の正体ね。生きてる人間なのか、それともこのビルに憑いた妄執なのか」
 桔梗が唸るように告げた言葉にクレメンタインが不安げな眼差しを向ける。
 その視線が意味するものを汲み取ったのか、桔梗に代わり恭信が説明を始めた。
「僕と桔梗さんは、妄執――想念ともいいますね。例えば死者がこの世に遺した未練は、後に実体をもって生者に影響を与えたりすることがあるんですよ」
 エレベーターは順調に最上階へと近付く。
 恭信の説明にうなずくクレメンタインと八重に、恭信はさらに言葉を続けた。
「僕達の仕事は、こういった、現世に影響を与えるようになった妄執を打ち祓うことなんです。まあ、一種の拝み屋みたいなもんですか」
「なるほど、そういった方々でしたか。中田さんの知己の方々だとは伺いましたが、詳しいお話は聞けずじまいでしたので」
 セレスティがうなずくと、わずかな間を置いた後に桔梗が小さな舌打ちをした。
「中田のやつ、そういった説明はちゃんとしておきなさいってあれほど言ったのに」
「ところで、中田さんっていえばさ、あの頭、いかにもくさくてツッコミようがないよな」
 妙に神妙な面持ちで恒がそう告げると、同時、エレベーター内にどこか気まずい空気が漂った。
「……え? なに? 誰も気になんないの?」
「早津田君、もうすぐ28階ですよ。28階からは階段を行くしかないですね」
 気まずい空気を一蹴するかのように、恭信が穏やかな笑みと共にそう発したのと同時にエレベーターは最上階近くの28階で動きを止めた。

 階を進み来たせいだろうか。
 寒さは地上階のそれに比べ、はるかに低くなっているように感じられる。
 吐き出す息は屋内とは思い難いほどに白く立ちのぼる。
 階段を登り、一行はやがて最上階へと踏み入れた。
「なんかこう……もうちっと邪魔されたりすんのかと思ってたけど」
「すんなりと来れましたね」
 恒の疑念にセレスティが同意を示す。
「招かれてるんでしょうかねえ」
 恭信がのんびりと頭を掻いた。
「上等だわ」
 桔梗が強気な目で最上階にある展望台を見据える。
「たすけてっていってるかもしれないでぇすよ」
 恒のバッグバッグから飛び出した八重の背には二対の黒翼がはためいていた。
「お! おまえ、飛べたのかよ!」
 宙を飛ぶ八重に驚愕した恒が声を張り上げる。
 八重は平然とした顔で恒を見ると、何のことはなしにうなずいた。
「でもたかいところまではとべないのでぇすよ」
「ちょ、だからなんだっつう話じゃ」
「しっ」
 セレスティが恒を制する。
「――――歌声が聴こえます」

 それは歌声にも似た金属音のようだった。
 間近に聴くと耳が痛くなるような音波を強く感じる。

「これは……確か賛美歌でしたか」
 両耳を押さえつつ告げる恭信にセレスティがうなずいた。
「賛美歌第119番。――クリスマスに歌われるものです」
 呟くようにそう答え、海底の色をうつしとった眼をゆらりと細める。
 その視線の先にあるのは、広い展望台の全体に張り巡らされた蚕の繭にも似た雪の結晶。その中央で、その繭で出来たドレスを纏っているかのように、ひとりの女が宙に浮いていた。
「まっしろなおねえさんでしゅ」
 クレメンタインが呟き、恒はつけっぱなしにしていたゴーグルを外した。

 純白のドレス――実際には雪の結晶で編まれたそれを纏っている女は、その頭髪も肌色も全てが雪の色をしている。
 ただ、唯一、その両目だけが盛る焔の色をしていた。
 女は展望台に辿り着いた客人達には気を向けることもなく、ただひたすらに歌を歌う。
 瞬きのひとつさえも見せないその様相からは、女が生者ではないのだということが手にとるように知れた。

「話が通じるような相手ではないようですね」
 そう告げて、恭信はじわりと足を進める。
「でも元は人間なんだろ?」
 恭信の動きに合わせ、恒もまた数歩進む。
「多分ね。――なぜかは知らないけど、この場所で歌を歌うっていうことに関して、強い心残りがあったんでしょうね」
 桔梗が腰に両手をあてがうと、まるでそれを合図にしていたかのように、恭信が凍った床板を蹴り上げた。
 その両手はみしみしと鈍い音を立て、鋭い凶器へと姿を変える。
「やすのぶしゃん?!」
 それを追うように八重が翼をはためかせ、同時に恒も床板を蹴り上げた。
「恭信があの繭を除くわ。あれはこの場所に根付く彼女の妄執の形。あれを除けば恐らくあの女も我に戻るでしょ」
 はたはたと翼を動かす八重を呼び止め、桔梗がそう告げる。
「その後は私たちの役目、ということですか?」
 セレスティが穏やかに問うと、桔梗は言葉なくうなずいた。
「あの女の処遇は任せるわ。好きにしたらいい」

 恭信と恒は女の両脇それぞれに位置を取ると、互いにうなずきあい、手を振り上げた。
 凶器と化した恭信の右手が繭の糸を一閃する。氷が砕けるような甲高い音を響かせて、壁のあちこちに根を伸ばしていたそれらが次々に裁たれていく。
 恒は両手を糸の上にかざし、それが”焼け落ちる”場面をイメージした。
「今、解放してやっからな!」
 未だ歌をやめない女に向けてそう放ち、氷の束であるそれを握り締める。と、まるで手品のように、それは一瞬にして断ち切られたのだ。

 女の歌声はふたりが糸を断ち切っていくごとにその威力を弱めていく。
「――――あ」
 クレメンタインが身を乗り出して声を漏らした。
「ないてるよ」

 女は確かに泣いていた。
 凍りつき動くことさえなくなったその顔に、氷が垂らす雫のようなものが一筋流れていたのだ。
「……彼女に何があったのでしょうか」
 セレスティのステッキが床板をかつりと叩く。
「彼女は確か数年前に名を馳せたソプラノ歌手です。もっとも、姿形は大分変わってしまっているので判りにくいですが……」
「このビルから投身して死んだっていうひとかしら」
「そうです。……なるほど、ならば確かに、この場に憑いてしまったとしても不思議ではない」
 うなずきながら片手を揮う。と、セレスティのその所作にあわせ、女に巻きついていた氷の繭が一瞬にして水と化し、さらに蒸気となって空気中に消え入ったのだ。
 支えを失くした女の身は宙から滑り落ち、そして床板の上へと倒れこんだ。
 女の姿は真白な異形の身ではなく、ひとりの人間の姿へと戻っていた。
「じかんをもどしぇば、あのひとがしあわしぇだったころにもどれるのでぇす」
「そうすることで、あのひとの心を鎮め、常世へと送り出すっていうこと?」
 桔梗の問いに、八重は力いっぱいうなずいた。
 クレメンタインは女のもとへ駆け寄り、女の腕に抱きついている。
「いたくないからねー」
 女に向けてそう述べるクレメンタインを確かめて、宙を飛んでいた八重が首からぶら提げていた懐中時計に手をあてた。
「しあわせだったころをおもいだすのでぇすよ!」


 女は八重の力により、幸福だった頃を思い出せたようだった。
 最後まで言葉を発することはしなかったが――恐らくは自分を救い出した彼らに気がついてもいなかったかもしれないが――、最後には幸福そうな笑みを満面にたたえ、解けていく雪のようにゆっくりと、その身を常世へと向かわせたのだった。
 新宿一帯を覆っていた大雪は女の消失と共にぴたりと止んだ。積もった雪は、さすがにすぐには消えることはなかったが、それでもどうにか対処は成されたのだった。

「あのひとが人気を博したのは、ほんの一時のことでした」
 セレスティが呟くと、恒はレコード店から探し出してきたのだという一枚のCDを眺めながら目を細ませる。
「ドラマの主題歌を歌ってて、それで流行ったひとだったみたいだ」
「でも人気は長続きせず、さらに、彼女は車での事故に見舞われて、二度と歌うことの出来ない身となったのだそうです」
「だからじさつしちゃったでぇすか?」
「原因は他にもあったかもしれませんが――――それは、彼女にしか分かり得ないことかもしれません」
 
 三上事務所に戻った面々は、事務所内にあったデッキでCDをかけてみることにした。
 美しく通る声がふわりと響き渡る。

「あのビルでのことを調べてみたんじゃが、どうやら件の歌い手はNビル主宰のディナーショーにゲスト出演が決まってたらしいのう」 
「クリスマスディナーですか?」
 セレスティが問い、三上がうなずく。
「なるほど、その後に事故に遭い、歌えなくなってしまった――――」
「つまり、あれだ。Nビルは彼女にとって最後の仕事場になってたわけだ」
 恒が深く肯いた。
「ともかくも、事件は解決じゃ。ご助力感謝する」
 中田が淹れた茶を手にしている四人に向け、三上はふかぶかと頭を下げた。

 桔梗と恭信はその後すぐに次の現場へと足を向かうのだと云った。

「またどこかで会うかもしれないわね」
 どこか得意げに胸を張って笑う桔梗に、恒はうんざりしたような顔でかぶりを振った。
「あんまり会いたくねえなあ」
「ハハハ、まあ、そういうことですから。またお会い出来ましたら、どうぞよろしく」
 人懐こい笑みで片手を伸べる恭信に応じながらセレスティはふわりと笑う。
「よろしくなのでぇす」
 セレスティの頭の上で八重が大きく手を振っている。
 クレメンタインは恒の足にしがみついて恭信を見上げていたが、思いがけず桔梗が微笑みかけてよこしたので、白い頬にほんのりとした紅を浮かべた。

 雪はやがて解けて姿を消すのだろう。
 その後にはどこか安穏とした季節――春が街を訪れるのだろう。
 日差しを受けて反射する一面の雪は、去っていった紛いの女王を高く見送っていた。






□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【1009 / 露樹・八重 / 女性 / 910歳 / 時計屋主人兼マスコット】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【5432 / 早津田・恒 / 男性 / 18歳 / 高校生】
【5526 / クレメンタイン・ノース / 女性 / 3歳 / スノーホワイト】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
          ライター通信          
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

このたびはご参加ありがとうございました。
今回はなかなか面白いメンバーに恵まれたかもしれないと、発注確認しつつニヤリといたしました。
「ホラー」ではなくなってしまいましたが、少しでもお楽しみいただけていればと思います。

>露樹・八重様
はじめまして! ご発注ありがとうございました(礼)。
ええーと、言葉遣いなどは大丈夫でしたでしょうか?
もしかしたら全部ひらがなにする必要はないのかな? とも思いましたが、念のため。
言葉遣いに限らず、ここは設定と違うよ〜な箇所があるようでしたら、どうぞお気軽にお声くださいませ〜。

>セレスティ・カーニンガム様
いつもご発注ありがとうございます(礼)
ううーむ、総帥は雪山(違)ではどんな格好をされるのだろうかと想像しましたが、どうしてもスキーウェアな総帥は想像できませんでした。
イギリスの冬場をイメージしようかとも思いましたが、今回はわたしの趣味もあって(!)軍仕様のコートということで。
寒さにはお強いのでしょうか?

>早津田・恒様
いつもご発注ありがとうございます(礼)
がっちがちのウェアでかためてみようかと思いましたが(笑)ほどほどにしてみました。
か、考えてみたら、雪山登山って体育中でやってたのですが、あれはあくまで体育でしたので、普通にジャージに上着でノルディックやってましたよ!
あわわ、今となっては考えられません。若かった、あの頃。

>クレメンタイン・ノース様
はじめまして! ご発注ありがとうございました(礼)。
と、実はわたしからすれば初めてではなくて。雪の女王っていうのは個人的にもすごく好きなお話なので、クレメンタイン様、お母様のことは
実は以前から存じ上げておりました。
言葉遣い、その他もろもろの設定など、ここは違うよ〜という箇所がありましたら、お気軽にお声くださいませ。