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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


宴会芸 だれか たのむ


------<オープニング>--------------------------------------

 そこは、ビルの屋上に人の手によって作られた小さな鎮守の森。
 緑に囲まれた赤い鳥居の先、鈴緒と賽銭箱の向こうで、古く小さいが手入れの行き届いた社が、それなりに神域らしい清浄な空気を纏って鎮座している。
 それが常。
 しかし今は、社の屋根に、どんよりと暗雲でものしかかっているような澱みと暗さがあるのは――何故だろう。
「俺ェ、退屈ゥ……」
 格子戸の奥から、ぶるぶると泥でも震えているような気配がして、濁った声が漏れてきた。
「お前らァ、見せろーォ。なんかーぁ、面白いことォ、しろーォ…………」
 社の中、隅っこの暗がりで、オレンジ色の目が三日月のように細くなる。にったり笑った割けた口も、同じ色にぼんやりと、光っていた。

              +++

「宴会芸の出来る奴を寄越してくれ、だぁ?」
 草間武彦の眉間に、露骨に皺が寄った。
 普段なら、草間だって興信所の所長として、多少は営業用の顔も使う。しかし相手が、客としてやって来たとはいえ一応知り合いとなると、話は別だ。
「うちは人材派遣会社じゃねえぞ。他をあたるのをオススメするぜ」
 来客用応接セットのソファにどっかりと反り返って、草間は無遠慮にそう言った。
「いや、ここしか心当たりないんですわ、それが」
 草間の向かいで、和服の男が苦笑する。関西訛りのその男の名は、八束・山星(はちづか・やまぼし)。都内某所に自社ビルを持つ製薬会社、八束ケミカルの関係者である。
「ここしか、とは?」
 嫌な予感に、草間は眉間の皺を深めた。
「わけのわからんモン相手に、芸して見せてくれるような度胸のあるお人、昨今ここ以外ではなかなか集まりませんやろ?」
 丸眼鏡の奥の目を糸のように細め、山星は草間の懸念を肯定した。
 化け狐の山星に「わけがわからないモノ」扱いされるものって、一体……。そう草間が思ったのが顔に出ていたのだろう、山星は経緯を手短に説明した。
 数日前、八束ケミカル本社ビルの屋上にある神社に、何かが棲み付いてしまったのだと言う。
「多分、どっかから流れてきた付喪神(つくもがみ)か何かやと思うんやけど、それが『満足いくまで面白い芸を見せてくれたら出て行く』て言いよるんですわ」
「ああ、成る程、それで宴会芸」
 頷いたものの、草間は首を傾げる。
「それなら、あの社のお稲荷本人が得意そうじゃないか」
 お祭り大好きの稲荷狐のことを思い出してそう言ったのだが、山星は苦笑して頭を振った。
「やー、それが」
「ワシらが何しても、アカンかってんー……」
 ソファにぐったりと伸びていた白い狐がいきなり口を利いたので、草間は目を丸くした。てっきり、山星の同輩かペットか何かだと思っていたのだが。
 白い狐がよれよれと首を擡げ、目を開く。その金色の眼には覚えがあった。
「どうも、人がよーさん集まる、賑やかな場所で使われとったモンの付喪神みたいでなあ。芸だけやのうて、それを見て他の人間らが喜んで騒いどるところ……つまりな、ズバリ宴会を見たいらしいんやー……」
 疲れ切って掠れた声だが、この声音も知っている。八束ケミカル屋上の社の主、稲荷狐の椿(つばき)だ。
「なんだ? えらく元気がないみたいだが」
「……これ以上長いこと、他の神に社を占領されとったら……あの森が、あの場が、稲荷を祀る神域でなくなってしまうんやー……」
「どういうことだ?」
「稲荷として祀られてあの場に在った、神体のワシ自身も危ないー、ちゅうことー……」
 草間の問いに答えたのが精一杯だったのか、白狐――椿は目を閉じてソファに伏した。
 顎に手を当て、しばらく考えた末、草間は山星に視線を戻す。
「……つまり、平たく言うと?」
「死ぬかもしれへん、ちゅうことですね」
「……引きずり出すわけには?」
「いきません。あちらさんが、社を自分の『場』やと思うとる間は、椿の義兄様の『場』に戻すんは難しいです。自発的に出て行って貰うんが一番、ちゅうことになります」
 宴会の用意はこっちでしますし、ご祝儀ははずみますよって、よろしゅうに。そう言って、山星は深々と頭を下げた。

 ――というわけで、人助けならぬ稲荷助けの為に、愉快な宴会芸を披露してくれる方々、大募集――。


------<春の兆す屋上で>--------------------------------------

 空は晴れ、風も穏やか。
 この春一番の暖かさ、宴会日和である。
 八束ケミカル本社ビルの屋上には、緋毛氈(ひもうせん)の敷かれた園遊床(えんゆうどこ)が並び、日除けに赤い野点傘(のだてがさ)が立てられている。片隅には飲み物と軽食を供するカウンターが設けられ、雰囲気的には和風ビヤガーデン……とでも言うべきか。
 社から見える位置に、特設の舞台がある。舞台の奥手は一段高くなっていて、そこに置かれた一抱えほどもある三方(さんぽう)の上で、白狐――椿が、鏡餅よろしく丸くなっていた。社を追われた稲荷は、そこから宴会芸を鑑賞するつもりらしい。
 山星が舞台に立ち、マイクを握った。
「えー、この度は、桜にもまだ早い時期だというのに開かれますこの春の宴にお集まり頂き、誠にありがとうございます」
 ぱちぱち、と拍手。どこから人をかき集めてきたものか、席はほぼ埋まっている。駆り出された社員らしき人物たちが席の間を歩き、弁当箱を配って歩き、宴の準備中、といったところだ。
 草間興信所から急遽やってきた助っ人たちは、舞台近くの席に座っていた。
「宴会が無事終わるまで、頑張って下さい」
 ぱむぱむ、と。三方の上でぐったりしている椿に向かって、草間興信所事務員、シュライン・エマは手を合わせた。祈りが届いたのか、白い尻尾がピクリと動いたのが見えた。
「全くだ。弱ってる奴の前で食って騒いで宴会芸披露した末に、駄目だったんじゃ寝覚めが悪い」
 草間も、シュラインに習って拍手を打つ。憎まれ口を利きつつ、人数は多いほど良いと山星に請われてここまでやって来たというあたり、人の良い探偵であった。
 草間の隣では、鎌鼬三番手、鈴森・鎮(すずもり・しず)が眉間に皺を寄せながら唸っている。
「んむむ。来たはいいけど、宴会芸ってなー…言われてもなー。何やる? くーちゃん」
 鎮が背中に背負ったランドセルを振り向きながら言うと、そこからピョコリと、小さくてふわふわした生き物が顔を出した。ロボロフスキーハムスターに似た姿をとっている、イヅナのくーちゃんだ。
「キュ〜?」
 鎮の肩の上に飛び乗って、くーちゃんが首を傾げた。
「準備する時間、なかったものね。そんなに凝ったことはできなくても、楽しい雰囲気が作れればいいんじゃないかな。付喪神さんに芸を見せるなんて、滅多にできない経験だし、ね?」
 横で見ていた少女、初瀬・日和(はつせ・ひより)が、喋れないくーちゃんの代わり、というようなタイミングでそう言った。日和の肩の上には、銀色の小さな狐のような生き物――イヅナの末葉(うらは)がちょこんと乗っている。
 霊獣イヅナは飼い主の望みをその姿に反映するため、同じイヅナといっても、くーちゃんと末葉とでははかなり見た目が違う。
 日和の膝の上に座っているもう一匹のイヅナ、白露(しらつゆ)は末葉とよく似ているが、少し体が大きく精悍な顔つきをしていた。飼い主が、日和に近しい少年であるからこその姿であろう。
「俺もそう思うぜ。こんな宴会、学校の勉強じゃ到底、見聞きできっこないし。それで人助けになるって言うんだから、盛り上げなきゃな」
 白露の主、羽角・悠宇(はすみ・ゆう)が、日和に同意した。彼らしい、ぶっきらぼうな口調だったが鎮を励ますのには十分であったようだ。
「そうだよな! 盛り上がればいいんだよな! 兄ちゃんたち、良いこと言う〜! よーっし、燃えてきたー!」
「キュキュ〜!」
 イヅナ三匹はなにやら気があった様子で、一緒になって楽しげに飛び跳ねている。
「いいですね〜。私も〜、じゃんじゃん〜、盛り上げますよ〜」
 その様子を微笑ましげに眺めているのは、神聖都学園に勤める購買のおばちゃん、鷲見条・都由(すみじょう・つゆ)であった。
 のんびりした口調に反して、都由の手は高速で動いている。じゃんじゃん作られて行くのは、白やピンクの……運動会などの飾りでよく用いられる、薄紙の花だ。
「は、早ェ!」
 都由の手際を横目に、男子高校生、葉室・穂積(はむろ・ほづみ)が目を丸くしている。
 舞台の飾りを作ろうという彼の提案に、都由がそういう作業には職業柄慣れていると手伝ってくれているのだが、都由の手はまさしく目にもとまらぬ速さ。
「っと、見てる場合じゃない! 俺も早く作らなきゃ!」
 都由に負けじと、穂積は自分の手元に集中した。色紙で作る輪っかの鎖は、あともう少しで目標の長さになるところだ。
「ずいぶんと懐かしいものを作っているが、それはどうするんだ?」
 高校生大道芸人、志羽・翔流(しば・かける)が穂積の手元を覗き込む。
「ん? 紙の花と一緒に、舞台を飾りつけしようと思ってさ」
「なるほど。舞台を整えるのも、宴会を盛り上げる大切な要素だからな」
 翔流が頷いた時、弁当箱を配る社員たちが、興信所から来た面々の居る席にも回ってきた。
 手渡される重箱に添えられたおてもとの袋には、そこそこ有名どころな料亭の名前が入っている。
「お花見風の野外宴会席つきとは聞いてきたが、えらく豪華だな」
 翔流の呟に被るように、再び山星によるアナウンスが入った。
「お弁当は行き渡りましたでしょうか。丁度お昼時でもございます、舞台の準備が整いますまで、しばしご歓談を」
 集まった面々が宴会芸を披露する順番など、主催側がプログラムを作成している間に、腹ごしらえをしておいてもらおうという算段のようだ。
 その声を合図に、宴が開始した。
「あら、可愛い。手まり寿司のお花見弁当なのね」
 膝の上でお重の蓋を開いて、シュラインが笑みを浮かべる。
「これは……日本酒が欲しくなるな」
 草間は早くも飲み物――酒類を物色しに、カウンターのほうへと足を向けていた。


------<どんちゃん騒ぎ>--------------------------------------


 小半時もすれば、宴会はすっかりできあがっていた。成人たちには、良い感じにアルコールが回ってくる頃合である。
 穂積により飾り付けられ、ポップな色彩の折り紙と紅白の花に彩られた舞台の上に、再び山星が立った。
「宴もたけなわ! ほな、このあたりで、宴会芸大会を開始しようと思います! ……まずは……」
 と、山星は言葉を切り、横に退いた。現れたのは、キリリとスーツを着込んだ女性である。
「シュライン・エマ女史! 演目は……」
「声真似、というか音真似をやるわね」
 にっこり笑って、シュラインはマイクの前に立った。
 その笑顔に応え、宴席からは早くも熱心な拍手が上がる。そしてその拍手が一段落して、静かになった時。
「では皆さん、目を閉じて、景色をご想像ください」
 シュラインが両手で包み込んだマイクに顔を寄せ、声帯模写が始った。
 かたんことん……かたんことん……小さな音がだんだん大きくなってきて、やがて弁当を食べる手を止めて目を閉じていた穂積が「電車? ……地下鉄だ!」と呟きを漏らす。
 ブレーキ音の後、駅の構内のざわめきが入る。一人で演じているとは思えないリアルさだ。
「え、ドアぁ閉まります」
 駅員の声が入り、プシュー、と扉が閉まる音。地下鉄の駅にいる誰かが聞いている音をそのまま録音して聞かされてういるような感じだ。
 場所は車内に移動した。車内アナウンスが入る。
「え、本日は〜、地下鉄をご利用頂き〜、むぁことに〜、ぅありがとう〜、ございまーす」
 それが掠れてひっくりかえった声で、客席に笑いが起こる。車掌さんが風邪をひいている、という状況なのだ。声はどんどん酷くなってゆく。
「ゴホッ、次は、ぅアキハバラ〜。ぅアギババラデ〜、ござい゛ま゛ず。ゲホッ。ゴホゴホゴホッ」
 最後は酷い咳で終った。
 シュラインはマイクが顔を離し、片目を瞑る。
「以上。『風邪が悪化した人の電車案内放送』でした」
 言った、その声は司会の山星にそっくりで、観衆は二重三重にも驚かされることとなった。
 この後、シュラインは『中継途中で音声に雑音が入った放送風景』などを見事に再現し、拍手を巻き起こしたのであった。
「つかみはOK! 素晴らしいトップバッター、ありがとうございました! では、お次は……」
 山星からマイクを渡されたのは、学ラン姿の少年。
「葉室・穂積でっす! どうもどうも! では、山手線の駅名を東京駅から外回りで暗唱を……」
 一瞬会場が怯んだ。やはり駅名暗唱は微妙に地味なようだ。
「……というのはまた今度にして、サイコメトリーの一発芸をやるよ!」
 地味なことを言ったあと本命の芸を言って盛り上げる予定が、拍手はまばら。サイコメトリーという言葉の意味がすぐに思い浮かばない者が多いらしい。
「さいこめとりー、ちゅうたら、物に触ってその記憶を読む、ていう?」
 山星が横から助け舟を出した。穂積は大きく頷く。
「そう、それ! 例えば……そうだな、そのメガネ貸してもらえる?」
 山星のかけていたメガネを受け取り、穂積は目を閉じた。
「このメガネが今までどんな経験をしてきたか、わかるんだよ」
 人の記憶を読むよりも、物の記憶を読むほうがやりやすい。少し指先に神経を集中させるだけでことたりる。脳裏に浮かぶ映像は、今手に持っているメガネの『記憶』――。
 簡単な履歴を読み取ったところで、くわ!とばかりに、穂積は目を開いた。
「これは……ピチョンメガネ銀座店で、先月に購入したっ!!」
 ズバリと当てられて、山星が目を丸くした。
「な、なんでそれを!?」
「あと、今朝寝ぼけて、このメガネを踏んだっ!!」
「!! そ、その通りや!」
 山星が認めたところで、宴席から拍手が起こる。しかし、元から司会者と打ち合わせしていたのでは?という疑いの目も、当然ながら中にはある。
 予想していたことなので、穂積は宴席を見回して、言った。
「ほんとかどうか疑ってる人は、何か持ち物貸してよ。どこで買ったかとか、どんな人に貰ったとか、全部わかるぜ!」
 この後、疑いの目を持っていた者たちは次々と舞台に上がり、全て穂積に的中されて驚嘆することとなる。
「こんなもんかな、っと!」
 一通りサイコメトリーを終えた穂積が一礼すると、今度は惜しみの無い拍手が注がれた。
「おっ、俺の華麗な一芸にアンコール? じゃあ、山手線の駅名を……」
「え? いや、それはエエです。ありがとうございました!」
 最後の一言を山星に遮られて笑いを取りつつ、穂積は出番を終えたのだった。
「サイコメトリーによる異色の宴会芸でしたね! ほな、三番手は……」
 山星が司会を進める間に、舞台の上には長机が運び上げられ、その上にビール瓶が並べられた。
 舞台に上がったのは、低い位置で留めたシックなまとめ髪が良く似合う女性である。
「三番手は、鷲見条・都由女史! 演目は、」
「ビールの栓開け〜、十連続で〜、やらせて頂きます〜」
 ゆっくり、のんびり。そんな仕草で、都由は長机の後ろに立った。
 並んだ瓶は十本。その一本一本の位置を確認するように視線を巡らせた後、都由は栓抜きを構え。
「では〜、行きますよ〜」
 と言い終わるより先に栓を全て抜き終わっていた。具体的には、「ますよ〜」とのあたりでもう、机の上には開いたビールが十本並んでいた。
 電光石火。まさにそれである。
「い、一瞬すぎて見えませんでした! しかしこんなこともあろうかと、ビデオ録画しておりました! ちゅうわけで、スローモーションでご覧下さい!」
 と山星が示す先には、いつの間にやら大型液晶テレビが据え付けられていた。最終手段としてお笑いDVDなんか見せるのもいいかもしれませんね、という都由の案により、このビルの会議室から運んできた代物である。
 録画されていた先ほどの光景が、その画面の中に流れる。
 飛び散る王冠、弾けるビールの泡。スローモーション映像を見てやっと、宴席から拍手が起こった。
「お粗末〜様〜、でした〜」
 ぺこり、都由がお辞儀する。ゆっくりのんびりに見えて、手は早い。鷲見条都由、恐るべき女性(ひと)。
「やるもんだなあ」
 草間はちびちびと日本酒をやりつつ、拍手している。その手元の杯に、シュラインが隣から徳利を傾ける。別段どうということも無い、仲の良い二人の光景――だが、先ほどからずっと、シュラインが杯のぴったり同じラインまで酒を注いでいることを、草間は知らない。恐らく、軽量カップに移してみれば毎回完璧に同じ量だろう。
 地味だから、とシュラインはこれを舞台では出さなかったのだが、立派な一芸である……。
「お、次が始るみたいだな」
 シュラインの名人芸も知らず、草間は杯に口をつける。
 舞台には、少女と少年、そしてランドセルを背負った小学生男子と獣三匹が上がったところだった。
「四番手は、これは可愛らしい芸を見せてくれそうな三人です。初瀬・日和殿、羽角・悠宇殿と、鈴森・鎮殿。イヅナ3匹を連れての登場です!」
 日和がぺこりとお辞儀をした。
「まずは、水芸をお見せしますね」
 都由がビール栓抜きで使った長机は、引き続きステージに残してある。
 日和がその後ろに立って、軽く手をかざすと――ぽん、と透明な球が、その手の中から転がり出た。
 午後の陽光をきらきらと反射しながら、球はゴム鞠のように机の上を跳ね、跳ねる度に直径を増してゆく。
 球は、水で出来ているのだ。日和の力で作られた水の球は、空気中から集めた水蒸気を取り込んで、どんどん大きさを増している。
 ビーチボールほどまで育ったところで、ひときわ大きく跳ねると、球は小さな球に分かれて机の上に散った。雫になって飛び散る――かと思いきや、いくつものグラスの形になって、水は机の上にとどまった。
 横一列に並んだグラスの上、日和がスっと横に腕を振ると、空中から現れた水滴が、透き通った音を立ててグラスの中に注がれていく。グラスに入った水の嵩はまちまち。
 山星が机に向けてマイクスタンドを寄せた。
 小さく頷いて、日和は一番端のグラスの縁を指先でクルリと擦る。清んだ音が響いた。端から順にグラスを鳴らしていくと、正確な音階で音が上がっていった。グラスハープを作ったのだ。
「ここからは、音楽と踊りを」
 宴席からの拍手に応えてにっこり笑うと、日和は演奏を始めた。
 まずは春らしく『さくらさくら』。
 それに合わせて即興で踊るのは鎮とくーちゃん、そして末葉と白露である。
 ちびっこたちの軽やかなステップが、グラスハープの弾むような可愛らしい音色と良く合う。
 悪戯っけのある末葉が、はしゃぎすぎて日和が演奏する机の上に飛び乗ってしまい、横で見ていた悠宇にやんわりと降ろされたのもご愛嬌。一人と三匹は舞台狭しと飛び跳ね、回転し、曲の終わりにはビシっとポーズを決める。
 バレエ白鳥の湖のプリマのように片足を上げて静止した鎮の頭の上に、白露、末葉、くーちゃんの順にイヅナたちが飛び乗り、三重のタワーを作った。
 拍手喝采、である。
「……大丈夫か、日和?」
 日和の背後に近付いて、悠宇が小声で言った。
 水を操るには集中力が必要だ。あまり体力のない日和は、力を使いすぎると次の日が辛くなる。悠宇はそれを心配しているのだ。
「短いのをもう一曲くらいなら、大丈夫だよ」
 小声で悠宇にそう返して、日和は再び演奏を始めた。次もまた春らしい曲、『蝶々』だ。
「じゃ、次は俺も仲間に入るぜ」
 水を操る日和に対して、悠宇は重力を操作する能力を持っている。
 それをそのまま使うのでは、今ひとつ「芸」としての捻りに欠ける。そう思った悠宇は、最初から日和と組んで舞台に上がるつもりでいた。
 幸いにも、即興で踊りを踊るという鎮とも一緒に舞台に上がることになった。より一層、捻った演出ができるというものである。
 高音に合わせてジャンプした鎮の体が、両腕を広げたポージング(蝶々を表現している)のまま、空中で止まった。悠宇の重力操作だ。
 音楽に合わせ、踊り手たちがぴょこぴょこと空中に持ち上がる。ワイヤーアクションでもしているのか、という光景だった。
 本性の鼬の姿になれば、鎌鼬の鎮とて空を飛ぶことはできるが、低重力状態で空中浮遊するのと、風に乗るのとではまた違う。
 トランポリンで飛び跳ねるような感覚に歓声を上げ、鎮の踊りはますます絶好調となった。
 一曲目とはまた違った雰囲気となった創作ダンスに、宴席からは再び拍手喝采。
 演奏を終え、日和がグラスの上に手を滑らせると、グラスの中の水に色がついた。水の中の成分を微妙に調整して、ピンクや黄色、黄緑色といった春らしい色を作ったのだ。
「うわ、すっげえ! きれーだなー!」
 自分も舞台の上にいるというのに、鎮が色とりどりのグラスを見て拍手する。
 それに誘われるように、観客の反応もますます盛り上がるのだった。
 そのせいで、鎮守の森の中の変化に気付いているものは少ない。宴会芸大会が始ってからずっと、うぉうぉ、ぐぉぐぉ、嬉しそうなうめき声が社の中から漏れている。
 盛り上がりは、社の中でも起こっている……。


------<誘われ出でて、どどどどーん>--------------------------------------


「皆さん、芸達者ですね〜! それでは、五番手は……」
 山星が次に舞台に招き上げたのは、扇子と番傘を引っさげた少年である。
 次は何を見せてもらえるのかと、宴席が沸いた、その時だ。
「お前らぁ、面白ーい。ものすごォく、おもしろぉい、ぞぉおおう!」
 ぶるぶる、泥が震えて音を立てているような声が、赤い鳥居の向こうから聞こえてきた。
「俺ェ、楽しィい。もっと、もっと、もーっと、見ーせーろーお」
 誰もが、背後を振り向いた。何かを引きずるような音を立てながら、黒い影のようなものが、鎮守の森から出てくる。あれが、件の付喪神。
 それが白日の下に現れた時、誰もが脱力した。
 身長は成人男子とそう変わらないくらい。しかし、何しろずんぐりむっくりしている。
 毛むくじゃらの手脚が生えた胴体に、丸い頭。たくさんの花笠を蓑(みの)のように纏っている胴体はともかくとして、頭のほうは破れた提灯だと一発でわかる。
 丁度、百鬼夜行に描かれる器物霊そのままの雰囲気の、何となく愛嬌があるというか、要するに緊迫感に欠けた姿であった。
「どうしたぁ、お前らーぁ。楽しかろォ?? 宴会は楽かろお?? ……楽しそうにしろーォ!」
 呆気にとられる人々を半ば無視して、ずりずりと尻を擦りながら(脚がとても短いのだ)、不恰好な付喪神は前に進み出て、舞台のまん前――丁度、興信所からやってきた面々のいる席の近くに居座ってしまった。
「続きは、どうしたぁあ!」
 付喪神に促されて、山星は慌ててマイクを握りなおした。
「ほな、気を取り直して。お次は、芸事の本職さんです。志羽・翔流殿!」
「俺の芸、とくとご覧あれ!」
 出し物の最初に腰を折られることなど、大道芸ではよくあること。
 動揺を見せず堂々と一礼し、翔流は扇子を懐に仕舞うと、代わりに枡を出した。
「さて、ここにとり出だしましたるは、何の変哲も無い枡でございます。これが今から……」 
 翔流は番傘を開くと、枡をひょいと放り上げた。
「回ります!」
 翔流が傘の柄を回せば、上に乗った枡はくるくると回りながら傘の上を走る。傘芸だ。
「今日はいつもより余計に回しております〜♪」
 お約束の台詞に、宴席から笑いと拍手が起こる。
 その拍手が一旦落ち着くのを見計らって、翔流はひょいと懐から小さな枡をもう一つ取り出し、放り上げて傘の上に加えた。
「親子の枡が連れ立ってお散歩で、ございます〜♪」
 大きな枡を追いかけるように、小さな枡もくるくる回る。また拍手が起こった。
 付喪神も手を打ち鳴らしながら、ぐぉぐぉ、と声を上げている。どうやら、上機嫌で笑っている……ようだ。
「まあ〜、付喪神さんも〜、お酒でも、どうぞ〜」
 都由が杯と徳利の乗ったお盆を持って、付喪神の隣に座った。
「え? ねえ都由さん、このヒトどう見ても提灯じゃん? 紙じゃん? 液体飲んで大丈夫なのかな」
 穂積の疑問をよそに、付喪神は手を叩いて杯を受け取る。
「おぉお、酒かぁ、酒はぁ、いぃいぞおぉ」
「では〜、一献〜」
 都由がお酌を受けると、付喪神は酒を、口……と思われる提灯の裂け目に流し込んだ。提灯の中で、オレンジ色の灯がぽっと勢いを増す。
「あ、飲めるんだ……」
 穂積が呟く横で、付喪神は次々と酒を飲み干した。
 舞台では翔流がポンポンと高く枡を上げて傘から降ろし、手で受け止めて一礼したところだった。
「ではお次は、先ほどのお嬢さんとはまた違う水芸をご覧に入れましょう!」
 傘を畳み、次に翔流が両手に持ったのは愛用の鉄扇である。
 その先から噴水が出てアーチを描き、陽光を受けて虹が出る。
「いいぞぉ、いいぞおぅ!」
 うぉうぉ、ぐぉぐぉ、付喪神は提灯の破れ目から空気を噴き出した。ご満悦らしい。
 翔流が扇子を操ると、水は意思を持つもののように動いて空中に何かの形を描き始める。
「あら不思議、ただの水が小さな龍に変化したよ〜」
 水で空中に描き出された竜は、泳ぐように体をくねらせ、吠えるように口を開いてさえ見せた。志羽流扇闘術のうち、銀鉄扇・寒雲(かうん)を用いた水操術を生かした芸である。
「すごいぞう、面白いぞぉう!!!」
 宴席の人々ももちろん大盛り上がりだが、付喪神も短い足をドタバタと踏み鳴らして大喜びだ。
「楽しんでもらえているようね」
 シュラインも加わって、都由と代わる代わる付喪神の杯に酒を注ぐ。既に一升瓶にして数本分の酒を飲み干して、付喪神はますます機嫌が良い。
 そっと付喪神の体に触れて、シュラインは目を細める。
「どれもすごく古いし、きちんと作られた良い物だわ。きっと、大切にされていたんでしょうね。心が宿るくらいに……」
「そうですね〜。この宴会で満足してもらった後は、どこかふさわしい場所に移っていただくのが妥当かと〜、思いますね〜」
 都由がのんびりした動作でシュラインに頷いて、そして首を傾げた。
「そもそも〜、どういうところから来た付喪神さんなのかわかりますと、どこが良いか決めやすいんですけど〜。聞き出せますかね〜?」
 どこから……つまり、付喪神の来歴だ。
「はいはーい! じゃ、手っ取り早く、俺がちょちょっと触ってみるよ」
 穂積が挙手し、その手を付喪神の胴体に触れさせた。
 待つことしばし、穂積が付喪神から離れる。
「なんか……どっか、田舎のお祭り道具だったんじゃないかな。それが、町に住んでる人が減って、終いには祭りも開かれなくなって……寂しくなってウロウロしてるうちに、東京に流れてきたみたいだ」
 記憶を読む過程で寂しい気持ちも一緒に読み取ってしまったためか、穂積の表情は浮かない。
「神社とか静かな場所より、常に人が多くて賑やかな場所に連れて行ってやったほうが、きっと喜ぶよ」
「賑やかな場所……」
「人が多いと〜、いいますと〜……」
 都由とシュラインが考えを纏めようとした時、丁度舞台の上で翔流の水芸が次の段階に切り替わった。
「お次は、獅子が踊ります♪」
 水の龍の形が解け、次は唐獅子の形になった。小さな獅子が二匹、テン、テン、と愛らしい仕草で跳ね、舞う。
「おぉお、踊り、踊りーィ」
 ぐぉぐぉ、付喪神は一層大喜びだ。その時、胴体の花笠が落ちて、中身が露になった。
 微妙な曲線を描くあめ色の胴、ピンと張られた革。
「なんだ、お前やっぱり太鼓かあ!」
 見ていた鎮が、指さして声を上げる。
「宴会芸なんざ、自分も楽しんでこそなんだー! 折角ツクモガミになって動けるようになったくせに、見てるだけなんてずるいぞー! ずるいぞー! ずるいぞー!」
 なんとなくそんな予感がしていた鎮は、ランドセルに忍ばせてきていたバチを片手に付喪神に駆け寄った。
 ずるいぞー、の声に合わせて、太鼓を叩く。
 びりびりと革が震え、ドドン、と音が響いた。
「おぉおお!? 叩かれた、俺、叩かれたぁああ!」
 ドン、ドン。太鼓の音が響く。
「合いの手、ありがとうございます」
 翔流が鎮に向かって片目を瞑り、太鼓の音に合わせて獅子を動かした。
 ドン、の音に合わせて獅子がテン。
 ドドン、とくれば、テテン。
「おぉおおおぉお!? 俺の音で踊り!」
 付喪神の目(というか、提灯の破れ目なのだが…)から、酒だか水だかわからない液体が零れる。
 音と大きさからして、盆踊りに使われていた祭り太鼓ではないだろうか。自分の音に合わせて周囲の者が踊るという状況に、何か思い出すものがあるのだろう。
 末葉、白露、くーちゃんのイヅナ三匹組は、すっかりはしゃいで付喪神の周りを跳ね回っている。
「って、こら、白露、お前までいっしょになって……」
「……いっそ、私たちも踊る?」
 苦笑した悠宇は日和に袖を引かれ、
「ま、宴会だし……それもいいか」
 と、日和の手を取った。
 これも宴の勢いというものか。盆踊りやらフォークダンスやらクラブ系ダンスやら、思い思いの踊りの輪はたちまち宴席全体に広がり、異様なほどの盛り上がりと共に、宴会芸大会は収束に向かって行ったのであった。


------<宴の後>--------------------------------------


 宴の後片付けも終わり、夕日射す屋上。
「いやーどうも、皆様方、お世話さんやったなあ!」
 興信所からやって来た面々に向かって、椿が深々と頭を下げた。もう白狐の姿ではなく、きちんと人間の格好をしている。
 社を占領していた付喪神が外に出てきたお陰で、大分元気になったようだ。顔色も良い。
「皆芸達者で、面白かったわ。また何かあったら頼……」
 呑気なことを言う椿を、山星が遮る。
「また何か、なんぞあらへんようにして下さい。大体、今回お社を追い出されたのだって、長いこと社を留守にして遊び歩いとった隙に居着かれてしもたからで……」
「あわわ!! ちょ、それは皆には黙っといてくれて言うたのに!」
 慌てて椿が山星の口をふさいだが、もう遅い。
「遊び歩いてた隙に、か……」
「……誠に申し訳ない……」
 呆れ顔の草間の視線から逃げるように、椿は再び深々と頭を下げた。
 呑気者の稲荷だが、今回ばかりは反省しているようだ。当分は、再び同じような事態が起こることはないだろう。多分。
「さてと……稲荷さんも元気になったみたいだし、俺は色んな芸を見せてもらって刺激になった。ありがとう! 俺はそろそろストリートパフォーマンスの時間だから帰るよ」
 一仕事終えた爽やかな笑顔を残し、翔流は去っていった。
 夕日は刻々と落ちてゆき、屋上に、残りのメンバーと付喪神の影が伸びる。
「うぉうぉ、俺、またどこか行くゥ……。楽しそうな場所、探すゥ……」
 ぐぉぐぉ、提灯の破れ目を鳴らしながら、隣のビルの屋上に飛び移ろうとした付喪神を、シュラインと都由が止めた。
「行き先が決まってないなら、いいところがあるわ」
「いつも〜、人がいっぱいいて、賑やかで〜。学園祭や体育祭っていう〜、お祭りがあるところですよ〜? どうですか〜?」
 残りのメンバーにも、そう言われるとすぐにピンと来た。
「あー。なるほど、いいかも」
 穂積が手を打ち、
「悪い奴じゃないみたいだし、あそこなら落ち着けるかもな」
「広いし、体育倉庫とか、隠れて住めそうな場所もたくさんあるもんね」
 悠宇の言葉に日和が頷く。
「決まりだ! 太鼓、行っとけ!」
 鎮に肩(というか太鼓の胴部分)を叩かれて、付喪神の提灯の中が、ぼうっとオレンジ色に燃え上がった。
「それぇ、どこだぁあああ?」


 かくして、放浪していた付喪神は、神聖都学園に住み着くことになった。
 その存在は購買のおばちゃんのみが知る――ということもなく、後に、運ばなくても勝手に出てきてくれる便利な大太鼓として、応援部の人気者になったとかならないとか、ということである。

 

                                                   END

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2320/鈴森・鎮(すずもり・しず)/497歳/男性/鎌鼬参番手】
【3524/初瀬・日和(はつせ・ひより)/16歳/高校生】
【3525/羽角・悠宇(はすみ・ゆう)/16歳/高校生】
【3107/鷲見条・都由(すみじょう・つゆ)/32歳/購買のおばちゃん】
【4188/葉室・穂積(はむろ・ほづみ)/17歳/高校生】
【2951/志羽・翔流(しば・かける)/18歳/高校生大道芸人】

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          ライター通信         
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 初めまして、こんにちは。担当させていただきました、ライターの階アトリです。
 ご参加くださりありがとうございました!
 遅れ気味の納品、申し訳ありません。
 久々の草間依頼でしたが、如何でしたでしょうか。

 様々な宴会芸を描写させていただきまして、とても楽しかったです。
 音楽と踊りなら一緒に披露してもらうと可愛いかも、とか、龍が出たら獅子も、とか、プレイング外の芸を披露して頂いている方々もいらっしゃいます……イメージにそぐわない部分などありましたら申し訳ありません。

 楽しんでいただけましたら幸いです。