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<東京怪談・PCゲームノベル>


EXTRA TRACK -K.KIRISHIMA-



 少女は首をゆっくりと傾け、頭の両側に結んだリボンを音もなく揺らした。

 「聞かせたいのならそうすればいい」

 そしてリムジンの窓枠に肘を置き、後ろに流れていく景色を見るともなしに眺める。「条件はひとつだけだ。私から半径20メートル圏内に人のいない所」

 半径20メートル。少女の障壁の致死範囲である。ほう、と桐嶋は紫煙を吸って目を細めた。少女が何らかの能力を持っていることを見抜いたらしい。

 「服毒自殺にも精神分離体の連続殺人にも関わってはいないが、何らかの接点は在ったのだろう。在ったと考える」

 そう考えておかなければこれら過去事件の披瀝は何時できるか分からない。しかし桐嶋はさもおかしそうにくっくっと喉を鳴らした。

 「残念ながら外れだな。俺と氷吾が関わったのはまったく別の事件・・・・・・二係ができる前、氷吾が宮本署の刑事課にいた頃だ」

 そして鋭く切れ上がった目をちらりと少女に向ける。「しかし、面白いことを言う。名は」

 「篠宮久実乃」

 ササキビ・クミノは偽名を告げた。「沢木の話には誰か付き合うものもいるだろう。だからあなたの時間つぶしの方へ協力しておく」

 「ふん。俺に付き合う人間はいないと言いたいのか」

 「解釈はそちらの自由だ。もし他にも時間つぶしをしてくれる者がいたなら、その分たくさん他の話をしてあげればいいだけの事――」

 エンジンの振動は上等なサスペンションに吸収され、重厚な稼動音のみが通奏低音のように心地よく足の下に感じられる。クミノは窓の外に視線を投げたまま、頬杖をついて言葉を継いだ。

 「無論“暇な時間”などは無い。ただ、そういう時間を作る事はできる。それはお互い同じ事」

 本当に断りたいのなら車を寄せる間も与えはしない。それがクミノの本心だったし、実際にクミノの力をもってすればその程度のことは朝飯前なのだから。

 不意に桐嶋が声を上げて豪快に笑った。クミノは目をぱちくりさせて頬杖を外す。リムジンの運転手もぎょっとしてバックミラーの中を覗き込んだほどだった。

 「本当に面白いことを言う。さすが二係に来るだけのことはある」

 桐嶋は組んだ脚の上で両手の指を組み合わせた。「半径20メートル以内に人のいない場所、だったな。心当たりがある。続きは移動してからにしよう」

 桐嶋は行き先の変更を運転手に命じた。





 桐嶋が選んだのは昼下がりの海辺だった。車は道路に待たせ、コンクリートで固められた土手の間を降りて白い砂浜に足を踏み入れる。桐嶋は高さ十五センチほどの黒い缶を手の中でもてあそびながらクミノを振り返った。葉巻の空き缶らしい。

 「ここなら誰も近付かない。桐嶋家の別荘のプライベートビーチだ」

 クミノは潮風にさらわれる黒髪を押さえながら目を細めた。和紙のような雲を浮かべた青空、静かな水面にきらきらと太陽の光を反射させる海。両者をまっすぐに隔てるのは凛とした水平線。斜め前方には岬が突き出しており、その奥には煙突が突き出たログハウス調の建物が見えた。あれが別荘だろう。

 「食べるか」

 大の甘党の桐嶋は乾いた音をさせて缶を開き、クミノに差し出した。中身を見たクミノは思わず二、三歩後ずさる。黒い缶いっぱいに詰まっていたのは色とりどりのキャンディだった。

 「いらんのか?」

 桐嶋は意外そうに言う。クミノは顔を歪めて激しく拒絶の意志を示した。甘い物が苦手なクミノにとって「女は甘い物が好き」という通念ほど迷惑なものはない。

 「そうか。イギリス製の高級品なんだが」

 高級品だろうが舶来品だろうがキャンディには変わりない。クミノは口を真一文字に結んで桐嶋を睨み付ける。桐嶋はクミノの視線を受け流してキャンディの物色にかかった。

 「懐かしいな」

 と呟く桐嶋の目にふと懐古と哀惜の色が浮かんだことをクミノは見逃さなかった「あいつはコーラが好きだった」

 桐嶋が缶から取り出したのはコーラ味のキャンディだった。桐嶋がその茶色い飴玉を口に放り込むのをクミノは意外な思いで見ていた。この男は葉巻を吸うくせに甘党なのだろうか。人は見かけによらぬものだ。

 「あいつ、とは沢木警部補のことか?」

 「いや。矢代・・・・・・矢代・耕太(やしろ・こうた)。沢木の元部下だ」

 潮風に乗って、かすかに甘いコーラのにおいがクミノの鼻腔に入り込んできた。

 「刑事になりたてで大張り切りでな。とにかく元気のいい奴だった」

 桐嶋は遠くに視線を投げる。「熱血漢。正義感が強い。そういう言葉がよく似合う男だったよ。警察は市民を守るためにあるとか、弱者が安心して暮らせるような社会を作るのが警察の役目だとか・・・・・・コーラを飲みながらそんなことばかり熱弁していた。まるで酒にでも酔ったみたいだったな。コーラで酔うはずがないのに」

 「潔癖すぎるな」

 クミノは思わず口をはさんでいた。「青臭い若僧だと煙たがられていたのではないのか」

 裏の仕事に携わった経験のあるクミノは社会という巨大な化け物の表も裏も知り尽くしている。ましてやいくつもの縦社会が複雑に絡み合う警察という組織において矢代の説く理想が実現する可能性はゼロに近い。もし実現したとしても決してすんなりとはいかないであろう。そして、矢代のような潔癖な理想を持つ人間が疎ましがられるのもまた社会という場所だ。

 「そうだな。あいつの主張は現実社会にはそぐわない。しかし奴の志は警察官にとって大事な初心。忘れていたことを思い出したとでもいうかな。俺や氷吾が奴に感化されるまでそう時間はかからなかったよ」

 クミノはその言葉を否定しなかった。

 「昔・・・・・・というほど昔の話ではないな。二年前。おととしの冬だ。氷吾が警部補になって、矢代という部下を得た少し後のことだ。的場・龍之介(まとば・りゅうのすけ)という代議士を知っているか?」

 「無論。的場代議士といえば政界の大物だろう。子供でも知っている名だ」

 と答えた後でクミノはふと眉を寄せる。「二年前・・・・・・か。確か的場の孫が誘拐されたのもその頃ではなかったか?」

 誘拐された孫は確か五歳か六歳だったはずだ。大物代議士の孫、そして十億円という身代金の額もあいまって新聞やテレビが大騒ぎしていたからよく覚えている。しかし、あれほどセンセーショナルに事件発生が報じられた割には事件解決の報道を聞いた記憶はない。

 「ああ。そのヤマの捜査を担当したのが宮本署、氷吾や矢代だ。しかし大物代議士だからな。宮本署と本庁で合同捜査を行うことになり、指揮官として派遣されたのがこの俺。氷吾の名は昔から知っていたが、一緒に組んで動いたのはあれが初めてだった」

 「矢代という刑事ともそこで知り合ったわけだな」

 「その通り。氷吾も矢代も張り切っていた。若さゆえだろうな。矢代にはとにかくパワーがあった。氷吾は元々エネルギッシュなほうではないが、矢代に触発されてずいぶん頑張っていたよ」

 遠くで鳥が鳴いているのが聞こえた。ウミネコだろうか。遠く、近く。海と空の間を白い影が風にあおられたように漂う。

 「――少し長くなるが」

 桐嶋はゆっくりとクミノを振り返った。「“暇な時間はない、しかしそういう時間を作ることはできる”・・・・・・確かそう言ったな?」

 「そう言った。それはお互い同じ事だ、とも」

 「そうだったな」

 桐嶋はふっと微笑んだ。それは猛禽類のような顔立ちからは想像もつかぬほど穏やかで、繊細で、そして悲しい笑みだった。

 「俺はいくらでも時間が作れる。おまえも俺のためにもう少し時間を作れ。いいな」

 桐嶋の口調は多分に尊大でクミノの意向など完全に無視したものだったが、クミノは拒まなかった。





 「真相をかぎつけたのは矢代だった」

 桐嶋は視線を遠い水平線に投げ、やや間を置いてからぽつりぽつりと語り始めた。

 「矢代が手に入れた情報を聞いた時、俺は愕然とした。内容に驚いたのではない。その事実が・・・・・・その事実をかぎつけたことがもたらすであろう事態に愕然としたのだ。案の定、予感は見事に的中した――」

 何を言いたいのか察しかねてクミノは小さく眉を寄せる。桐嶋はちらりとクミノを振り返った。

 「的場が警視総監に捜査の中止を申し出たのだ。この件は告訴しない、身代金を払えば孫は返ってくるのだからと。なぜだか分かるか?」

 権力者。捜査の中止。このふたつの線上にあるものは、クミノには容易に想像がつく。

 「捜査されては困ることが・・・・・・事件の裏に知られたくないことがあったからか?」

 桐嶋はクミノに背を向けたままゆっくりと肯いた。

 「話は少々複雑でな。的場は、公共工事を発注するという約束で業者から巨額の賄賂を受け取っていたのだ。しかし実際は違う業者に発注した。贈賄した業者が必死になって借金を重ねた金は無駄になったわけだ。その業者夫婦は絶望と借金苦で自殺した。そして、その夫婦の息子がチンピラを雇って的場氏の孫を誘拐させたのだ。的場氏が受け取った賄賂と同じ額を身代金として指定して」

 「・・・・・・両親の復讐、か」

 クミノは呻くように呟いた。的場本人が警視総監に捜査の中止を求めたのも肯ける。

 「警視総監の命令で捜査は中止された。警視総監ばかりはこの俺にもどうしようがない。結局、誘拐された孫が救出されないままだったのさ。――しかし、矢代がそれで納得すると思うか。氷吾やこの俺がすんなり引き下がると思うか?」

 桐嶋の声はかすかに震え、唇を噛み締める音がクミノにまで聞こえた。

 矢代の理想。それは弱き者を助け、市民のための警察であること。

 その理想は打ち砕かれたのだ。権力という、なんでも握りつぶすことのできる化け物によって。

 「案の定、矢代は孫だけでも助けるといって聞かなかった。身代金を払うことが人質の救出につながるとは限らない、小さな子供が大人の犠牲になるなど許せないと。子供を助けて、犯人を締め上げて事件の全容を明るみに出すのだと」

 「道理だな。その行動はあまり感心できたものではないが」

 「ああ。しかしそれが捜査本部に聞き入れられるはずがない。挙句の果てに、矢代の奴は一人で犯人のアジトに乗り込むと言い出した」

 「無茶な」

 クミノは思わず声を荒げた。桐嶋も深い深い吐息を漏らす。

 「氷吾も同行すると言って聞かなかった。俺は奴らを止められなかったよ。いや・・・・・・俺自身、的場が許せなかった。権力にしっぽを巻いて逃げ出す警察が許せなかった」

 群れを呼んでいるのだろうか、はぐれ海鳥が一声、悲しそうに鳴く声が風にのって聞こえた。

 「俺は拳銃の携帯許可を無理矢理とって奴らに銃を持たせた。俺も行こうとしたが、現場に不慣れなキャリア組なんか足手まといになるだけだと矢代に笑われてな。確かに、俺が行ったところで結果は同じだったかも知れん」

 桐嶋は自嘲の笑みを浮かべた。そしてそれっきり口を閉ざしてしまう。相槌を打つこともせず、続きを促すこともせず、クミノはただ桐嶋の言葉を――桐嶋の感情の整理がつくのを待った。上等なスーツに包まれた屈強な背中がかすかに震えていることに気付いたからだった。

 「――詳しい状況は分からん」

 やがて桐嶋はかすれた声で言った。「通報を受けて俺が駆け付けたとき、犯人グループのアジトは大火事になっていた。そして沢木がぼんやりとそのそばに座り込んでいた」

 「・・・・・・矢代はいなかったのか?」

 「いたさ。犯人グループと、人質と一緒に焼け跡から焼死体になって出て来た」

 一陣の強い風が吹き、クミノの髪がさらわれ、微細な砂の粒子が音もなく巻き上がった。

 「DNA鑑定の結果、間違いなく矢代本人だと確認された。沢木が言うには、犯人ともみ合ううちに拳銃を落とし、その銃で人質ごと矢代が撃ち抜かれたらしい。そして格闘するうちに漏れた灯油がストーブに引火して火が出たと・・・・・・」

 「矢代も犯人も人質も死なせてしまったのか」

 最悪の結末にクミノは目を伏せる。桐嶋は小さく肩をすくめて冷笑を浮かべた。

 「ああ。おかげで事件はうやむやのまま。警察の連中は喜んでいたよ。矢代の死を手を叩いて喜ぶ連中さえいた。吐き気がしたぜ。こんな連中と同じ組織で働いているとはな」

 「それで、沢木警部補はどうしたのだ? 懲戒免職になってもおかしくないと思うが」

 「氷吾はさっさと辞表を書いたよ。しかしこの俺が許さなかった。すったもんだの末に裁決は本庁にまで持ち込まれた。もちろん決は懲戒免職。おまけに主席監察官は過失致死で立件するとまで言いやがった」

 桐嶋はきつく閉じた瞼を震わせて押し出すように言葉を継いだ。





 本庁の大会議室。重厚な欅の机の前に正装で並べられたのは桐嶋克己と沢木氷吾。二人の向かいに立って冷たい笑みを浮かべているのは三人の監察官。彼らの中央に立った主席監察官は一片の感情も交えずに裁決文を読み上げ、あまつさえ嘲りの笑みさえ浮かべて沢木を見下ろしたのだった。

 「ふざけるな!」

 激昂して主席監察官に掴みかかったのは桐嶋であった。食いしばった歯が唇の皮を突き破り、一筋の血が顎へと滴る。

 「桐嶋、口を慎め! 上司に向かって――」

 「貴様にそんなことを言われる覚えはない! 貴様らが何をしてくれた! 貴様らが・・・・・・刑事課が、本庁が、事件解決に少しでも協力したのか! 氷吾は及び腰の貴様らの代わりに子供を救おうとしたのだ、それのどこがいけない! 貴様らは権力に怯えて震えていただけだろうが! 貴様らに氷吾を断罪する資格などあるものか!」

 「克己さん」

 と静かに桐嶋の肩を掴んだのは沢木だった。

 「およしなさい。出世に響きますよ」

 沢木は静かに言ってハンカチを差し出した。桐嶋は初めて自分が泣いていることに気付いた。

 「克己さん。あなたはキャリア・・・・・・幹部候補です。これから必ず偉くなる。警察になくてはならない存在になる。あなたは警察を辞めてはいけないし、辞める必要もありません。辞めるべきはぼくです」

 ――淡々とした沢木の言葉が終わるか終わらないかのうちに鈍い打撃音が会議室に響き渡った。沢木の細い体が吹っ飛ぶ。衝撃で外れたタイピンが冷たい音を立てて床に落下した。三人の監察官は一様に目を丸くした。

 「引責辞任や懲戒解雇など子供の理屈だ!」

 桐嶋は沢木に振り下ろした拳をぶるぶると震わせて叫んだ。とめどなく溢れる涙を拭おうともせずに。沢木は口元の血を拭おうともせず、眉ひとつ動かさずに静かに桐嶋を見つめていた。

 「責任を取って辞めるだと? それこそ無責任の極致だろう! 責任を感じているのなら真相解明のために走り回れ! 矢代の理想の実現のために身を削れ! それが責任を果たすということではないのか!」

 「ぼくだって・・・・・・できることならそうしたい」

 沢木の声は震え、糸のように細い目にはうっすらと涙がにじんでいた。「でも、どうしようもないんです。ぼくに何ができるとおっしゃるんですか? 警視庁の監察が下した裁決をどうやってひっくり返せるんですか? 仕方ないのです。上の命令には従うしかないのです。それが組織というものです」

 「駄目だ!」

 駄目だ、駄目だ、と子供のように繰り返しながら桐嶋は沢木にすがりついた。「身動きが取れないのなら現状を変えてみせろ! 現状ではどうしようもないと嘆くのならば子供と変わらん!」

 「ぼくに何の力があるんですか?」

 沢木は細い目をきっと吊り上げ、泣き喚くように言った。「ノンキャリアのぼくに何ができる! 権力を持たない人間は無力だ! それは今回の事件でよく分かっているでしょう!」

 「ならば俺が変えてやる!」

 覚えず、その台詞が桐嶋の口から飛び出していた。

 「俺はキャリアだ。幹部候補だ。必ず偉くなる・・・・・・」

 沢木の肩を掴む桐嶋の手に強い力がこもる。「警察でいちばん偉くなってやる。誰も逆らえないような権力を身につけてやる。俺のやることに誰も文句を言えなくなる日が来る。そうすれば矢代が思い描いたような警察にすることだってできる。だから・・・・・・」

 その後は続かなかった。桐嶋は沢木の前で泣き崩れた。沢木の肩に手を置いたまま、こうべを垂れて、誰の目もはばかることもなく声を上げて慟哭した。





 クミノは目を伏せ、黄昏の光に染まる砂浜に長く伸びる影法師を見つめていた。頬を撫でる風はやや冷たい。もう夕暮れかとぼんやりと考えた後で、いつの間にかそれほどの時間が経っていたことに初めて気付いた。

 「あのときの俺に権力があれば、的場の圧力に屈することもなかった」

 桐嶋はぽつりと言った。「日本の警察は優秀だ。しかし警察も官僚組織。官僚組織を動かすのは権力・・・・・・警察も権力にはかなわない。ならば俺が偉くなればいい。誰にも負けないくらい偉くなれば政界や財界の圧力に屈することもない」

 桐嶋の口調は淡々としていたが、その底に静かに燃える青い炎のようなものをクミノは感じた。炎は赤くめらめらと燃えるものよりも青いもののほうがはるかに熱い。

 「俺はキャリアの立場と人脈をフルに活用してどうにか氷吾を警察にとどめた。しかし刑事課の刑事として籍を置くわけにもいかず、刑事課二係という物置部屋に回された。しかしそのほうがあいつにとっては動きやすかったようだな。あいつは権力に関係のない民間組織に目をつけた。民間組織であれば権力を気にせずに動けると」

 「それは違う」

 肯きつつもクミノは反論した。「民間組織のほうが権力に影響される。権力を持つものならば民間組織を簡単にひねり潰すことだってできる」

 「それは権力と接する機会の多い大きな組織の場合だ。弱小組織なら権力と接触する機会はほとんどない。草間興信所を見てみろ。あんなボロ事務所、権力に盾突いて潰されたところで大して変わりはあるまい。最初から潰れているようなものだからな」

 クミノはそれには小さく肯いた。

 「――さてと。おしゃべりがすぎた」

 砂浜に差し込む光は赤く、斜めだ。とろけるような太陽は急速に山際に近付いていく。土手の上を見上げるとシートを倒して居眠りをしている運転手の姿が見えた。

 「ところで、捜査情報を民間人に漏らすのは御法度じゃないのか」

 クミノは桐嶋に促されて土手を上りながらのんびりと尋ねた。桐嶋は不敵な笑みを浮かべる。

 「問題ない。俺は偉いからな」

 「なるほど」

 クミノはふっと微笑んだ。

 桐嶋が窓を叩くと運転手が慌てて体を起こす。しかしクミノは車に乗らずに歩き始めた。

 「乗らんのか? 送るぞ」

 「いい。歩くほうが好きだ」

 障壁の致死時間までにはまだ間がある。しかし一般生命体である桐嶋とは長く一緒にいないほうがいいだろう。桐嶋は障壁のことを知らないはずだが、なんとなく事情を察したように肯いた。

 「そうだ」

 数歩行きかけたところでクミノは思い出したように足を止め、桐嶋に歩み寄った。すでにリムジンに乗り込んだ桐嶋はウインドウを開けて応じた。

 「さっきの飴、ひとつもらえないか」

 「構わんが・・・・・・嫌いではなかったのか?」

 「気が変わった」

 「そうか。好きな物を選べ」

 桐嶋は黒い缶を開けて差し出した。クミノは透明なハッカの飴玉を選んだ。

 「その飴は今日の礼といったところだな」

 桐嶋はにやりと笑った。「また暇な時間ができたらいつでも来い。いつでも相手をしてやろう」

 「暇な時間などない。しかしそういう時間を作ることはできる」

 「ああ。それはお互い同じことだ」

 待っている、と桐嶋は軽く手を上げてウインドウを閉めた。

 低いエンジン音を響かせて走り去るリムジンを見送った後でクミノはキャンディを空に透かした。夕暮れの空は透明なハッカの中で茜色から藤色へとゆっくりと姿を変えていく。

 甘い物は嫌いだ。しかしこのキャンディは今日の記念としてとっておこうと思う。暇な時間を作ることができたときに、ふっと桐嶋克己という男を思い出すきっかけにはなるかも知れない。そんなことを大真面目に考えている自分に気付いてクミノは小さく苦笑を漏らした。 (了)

 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 1166 /ササキビ・クミノ /女性/13歳 /殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。



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■         ライター通信          ■
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ササキビ・クミノさま


お初にお目にかかります、宮本ぽちと申す者です。
このたびはご注文まことにありがとうございました。
初対面ではありますが、ササキビさまのお姿は以前から東京怪談で拝見しておりましたので、案外スムーズに作成に入ることができました。

冒頭のやり取り、楽しんで書かせていただきました。
二係に初めていらっしゃるササキビさまに桐嶋や沢木のキャラが伝わるかどうか不安だったのですが、いかがでしたでしょうか。
桐嶋はかなり横柄な態度をとっていますが、そういう男ですのでなにとぞご容赦くださいませm(_ _)m


アクションは得意ではありませんが、もしいつかササキビさまが活躍する活劇を書かせていただく機会があればたいへん嬉しく思います。
もしその日が来た時のために苦手分野も練習しておかなければいけませんね;
それでは、今回はこの辺りで失礼いたします。


宮本ぽち 拝