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闇の羽根・桜書 T < 雨空 >
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しとしとと降る雨を見上げながら、浅葱 漣は傘を片手に見回りをしていた。
退魔家業の帰り道、ほんの少しの“予感”から、激しい雨の降る中トボトボと道に従って歩く。
等間隔に広がる、街灯の淡いオレンジ色の光。
光の中で跳ねる雨滴は、どこか物悲しい雰囲気を纏っていた。
明かりの消された団地の傍を通り、左手には闇に落ちた公園がひっそりと佇んでいる。
公園の中央にポツリと立っている街灯の下・・・蹲る黒い影。
・・・人・・・だろうか・・・?
そうだとすれば、どうしてこんな雨の中しゃがみ込んでいるのだろうか。
具合でも悪くなっているのか・・・?
漣はそう思うと、影の方へゆっくりと歩き出した。
近づく、影は小さい。
子供なのだろうか?華奢なシルエットは男性のものではない。
―――――― !!!!!
大分近づいてから、その影が小さな少女の・・・それも、漣のよく知る人物の影だと言う事に気がついた。
どこを見ているのか分からない瞳は、絶望を含んでおり・・・
思わず走り出す。
傘が漣の手から滑り落ち、パシャリと言う微かな音を立てて水溜りの中へ落ちる。
「もな・・・!!!」
呼んでも、こちらを見ようともしない瞳。
焦る心の中は、生きた心地がしなかった。
身体を抱き上げる。
相変わらず華奢で軽い・・・。
それでも、薄い布越しに感じる微かな体温。
「・・・だ・・・れ・・・?」
焦点の合わない瞳が、漣の顔を行ったり来たりする。
「お・・・にー・・・ちゃ・・・」
小さくそう呟き――― 元々大きな瞳が更に大きく見開かれる。
・・・漣はその瞳に悟った。
明らかな絶望と、哀しみ。そして、暗い・・・ナニカ・・・。
「漣ちゃん・・・」
「あぁ。」
軽く頷いた漣の胸元に縋りつくと、顔を埋める。
肩を震わせて―――泣いているのだろうか?
決して漏れ聞こえない声が、余計にもなの心境を代弁しているようで・・・
とにかく、一度俺の部屋まで連れて行くか。
漣はそう思うと、もなの身体を抱いたまま立ち上がった。
もなが漣に抱きついているために、軽い体重が尚更軽く感じる。
落ちた傘を拾い上げる。既にずぶ濡れになってしまっている2人には、傘をさしたところで大して意味は無かったが・・・それでも、なんとなく・・・このまま雨に打たれ続けさせたくなかった。
漣の部屋についてから程なくして、もながそっと顔を上げた。
泣いていた事を見せまいとする意思が強いのか、ふわりと穏やかな笑みを浮かべた後で、ごめんね?と小さく謝ると口を閉ざした。
部屋の奥からバスタオルを取って来てもなに差し出し、ついでにTシャツも手渡す。
漣が着ても裾が長いTシャツは、もなが着るとワンピースのようになった。
しっとりと濡れたワンピースを洗濯機の中に入れ、自分が着ていた服もその中に入れる。
お湯を沸かし、カップに温かいココアをいれると、もなの前にコトリと置いた。
「ありがと・・・」
「いや。」
長い袖を一生懸命捲くり、カップを両手でそっと包み込むと、一口だけ飲んで溜息をついた。
「しかし・・・何故あんなところに・・・。また夢幻の魔物絡みなのか?」
「・・・うん。夢幻の魔物が出たのは、本当。」
「そうか。それならば、再び前回のような荒事になるのか・・・。」
「うん・・・。でもね、もながあそこにいたのは、夢幻の魔物じゃないの。」
カップを膝の上に乗せる。
「夢幻の魔物なんかじゃないの・・・。」
丸いカップの中に、彼女は何が見えているのだろうか。
ジっと見詰めるその先に、あるのはきっと・・・“悲しいコト”
前回の夢幻の魔物はもなの友人だったと聞いた。・・・何故、友人が・・・?
この子はこんな小さな体にどれだけの決意を秘めているんだろう・・・。
目の前に座るもなは、漣の服がワンピースになってしまうほどに小さい。
袖から覗く腕は、今にも折れてしまいそうな程に細く危なっかしい。
――― もなの秘めている決意。
漣はそれに干渉は出来なかった。
・・・けれど、せめて彼女の心が折れる事のないように・・・しっかりと、護って行こう・・・。
いずれ時がくれば、彼女の口から言ってくれるだろう。それまでは、そっと支えてやればそれで―――
「あのね・・・。漣ちゃんに、話したい事があるの。」
そう思っていた漣の考えを分かっていたかのように、もながそう言って真っ直ぐに漣を見詰めた。
「今から言う事を、覚えていて欲しいなんて思わない。ただ・・・。ただ、漣ちゃんに、聞いて欲しいの。」
その瞳を見て、漣は刹那、健気だと思った。
必死に訴えかける瞳はあまりにも淡い色で・・・きっと、漣がソレを拒絶すれば直ぐに色を失うだろう。
「あぁ・・・。話してくれ・・・。」
「うん。有難う・・・」
そう言って、もなの瞳が遠くを見詰めるような、不思議な色を帯び始めた。
「もなね、お兄ちゃんがいたの。お兄ちゃんとママと、ずっと一緒に住んでたの。お父さんは知らない。ママもお兄ちゃんも、もなに一度もお父さんの話はしてくれなかった。」
今は生きているのか、それとも死んでいるのかは分からないと言ってもなが軽く頭を振った。
「お兄ちゃんは5つ年上で、すっごく優しかった。ママも優しい人で・・・。もなね、どっちも大好きだった。」
ふわり、柔らかい笑み。
どこか虚ろなその瞳の向こう、確かに見える彼女の母親と兄・・・。
「凄く平穏な生活だった。・・・でも、現の守護者であるもなは、すぐに“組織”に見つかった。名前を持たない“組織”・・・。もなだけでなく、夢幻館に住まう人々の心の深くに圧し掛かる・・・“組織”。もなは“秘密の屋敷”で皆に会ったの。夢の司と現の司に、夢の守護者。教育係に・・・“トップ”も、そこにはいた・・・。」
「組織・・・?」
「夢と現、全ての力の源を司る・・・“トップ”が率いる強力な集団。もなも、詳しい事は分からない。でも・・・良い場所じゃないってコトだけは言える。でもね、もなも・・・夢幻館の皆も、逃れられないの。」
言葉を失った。
あんなに自由に思えていた住人達が、実は小さな篭の中に入れられていたなんて・・・。
夢幻館は、決して自由を求める人々が集まった場所ではない。
自由を奪われた人々が強制的に入れられた場所だったのだ・・・。
「雨の日だった・・・。組織のやりかたに反抗する数名が、内部で反乱を起した。その騒ぎに乗じて、もな達も秘密の屋敷を抜け出したの。屋敷の中では、もな達は会う事さえ限られていたから・・・。ずっと、一緒にいたかったから・・・。追っ手を撒きながら、3人で走ったの。雨でぬかるむ地面を蹴って・・・」
何時の間にか、外からは雨の音がしなくなっていた。
上がったのだろうか?それとも、ただ雨足が弱まっただけだろうか・・・?
「体力のないもなは、直ぐにしゃがみ込んだ。それを見て、お兄ちゃんが囮になるって言って・・・戻って行った。・・・ママがもなを抱き上げて・・・走り出そうとした瞬間だった。お兄ちゃんが走って行った方から、銃声が聞こえたの。ママがもなを下ろして、血相を変えて走って行った・・・。それを、もなは止められなかったの。」
漣は何時の間にか、もなの顔から視線をそらしていた。
あまりにも淡々と喋り続けるもなが痛々しくて・・・見ていられなかったのだ・・・。
「ママの悲鳴が聞こえて直ぐに、銃声が聞こえたの。・・・咄嗟に立ち上がって、走った・・・。雨の中にね、倒れる2人を見つけた時・・・思ったの。もなのせいだって。駆け寄って調べたのだけれど、2人とも息はなかったの。」
言葉が詰まる。
それに、漣は顔を上げた。
止め処もなく流れる涙 ―――――
「雨がね、2人の体温を奪って行くの。凄いスピードで・・・。だから、ね、もな・・・雨が、嫌い・・・なの。」
ガタリと音を立てて立ち上がると、漣はもなを抱きしめた。
歯を食いしばっても、漏れてくる微かな嗚咽。
漣は、目の前が真っ暗になって行くような錯覚を覚えた。
・・・普段の愛らしい無邪気な笑みの向こう、隠された・・・過去。
「・・・またね、夢幻の魔物が現れたの。・・・今度は、遊園地で・・・。」
「一緒に行こう。」
「・・・ありがとう・・・」
その言葉の最後“お兄ちゃん”と微かに聞こえた気がしたのは、ただの・・・幻聴だったのだろうか・・・?
◇▲◇
遊園地と言う場所は、本来ならば子供のはしゃぎ声が響く、明るく夢のような場所であるはずだった。
輝くライトに、流れる軽快なメロディー。
しかし、この場所はあまりにも寂しいところだった。
朽ちかけたメリーゴーランドには、ボロボロになった白馬。
手綱の色が辛うじて赤だったと見える以外は、色らしい色はない。
時が止まった時計を見上げ、もなが小さく「どこにいるのかな?」と呟く。
「どこだろうな・・・」
「ごめんね、漣ちゃん。今回は・・・夢幻の魔物がどこにいるのか分からないの。」
凄く申し訳なさそうに言うもなに、気にするようなことではないと告げ、漣は符を取り出した。
一先ずもなの周囲に結界を張り、集まって来た霊達を符で散らす。
もなには視えていないのだろう・・・。
不思議そうな顔で、符を取り出しては展開させる漣を見詰めている。
・・・でも、きっともなには自分の周囲に結界が張られている事が分かっているのだろう。
その場所から1歩も動かずにジっと漣の行動を大人しく見守っている。
浮遊霊だろうか・・・?
漣の実力を見て、霊達が散り散りに逃げ去って行く。
――― 追うほどの事ではないか。
そう思うと、結界を解き、もなを連れ立って遊園地の奥へと歩を進める。
「なんだか・・・人がいないと怖いね。」
「そうだな。」
無意識なのだろう。
漣の服の裾をギュっと掴むもな。
その手を背に感じながら、漣ともなは噴水の前まで来ていた。
噴水の中、砂や木葉が敷き詰められ、昨日降った雨のせいでぐちゃぐちゃになっていた。
「そう言えば、子供の頃はよく遊園地に来てたなぁ・・・。ママと、お兄ちゃんと。」
「そうなのか?」
「もな、よく迷子になっちゃって。・・・だからね、はぐれた場合は噴水の前か・・・」
はっと口を閉ざすもな。
その視線の先、明らかに異質の雰囲気を感じ漣は思わず身構えた。
長い髪は腰まであり、その顔は人と言うよりは獣に近いものだった。
・・・夢幻の魔物だ・・・。
この間見た夢幻の魔物よりも、随分人間味が増している気がするが・・・。
「はぐれた場合は、噴水の前かメリーゴーランドの前。・・・探してくれてたんだね、ママ。」
「・・・え?」
言葉の響きに驚いて顔を覗き込めば、普段とは違う、穏やかな表情だった。
「でもね、今日はいつもとは違うの。もながはぐれたんじゃないんだよ?ママが、はぐれちゃったんだよ・・・?」
俯きながら、もながスカートを捲り上げた。
すっと太ももを撫ぜ、両手に拳銃を握る・・・。
「駄目だもな!!」
「でも漣ちゃん!夢幻の魔物は現に返さなくちゃならないの!例えそれが友達だろうと親だろうと、それが決まりなの!」
「決まりのために、心を捨てるな!」
漣の一言に、ビクリと肩を震わせると・・・そっと、拳銃を下ろした。
それこそが、もなの本当の心なのだろう。
暫く考え込むように足元を見詰めた後で、ゆっくりと顔を上げると漣に複雑な微笑を向けた。
「・・・漣ちゃんに、一個・・・我がまま、言って良い?」
「何だ?」
どこか遠い目をしながらもなが口を開き・・・目を伏せると、口を閉ざした。
「今度、甘い物食べに連れて行って?」
にっこり―――
それが本当の“我がまま”ではない事は漣にも分かっていた。
何か言葉を飲み込んだ。その瞬間の表情は、明らかな“諦め”の色が窺い知れた。
「・・・分かった。もなは下がっていろ。」
「うん。」
符を片手に顔を上げる。
きっと・・・もなの母親は未だに心のどこかでは子供を愛する気持ちがあるのだろう。
例えその身を変えようとも、子を思う心は深い。
それでも、もなはもう決めた。
その心が折れてしまわぬように、漣が出来る事は、もなの決定を支える事のみ・・・。
◆△◆
地に膝を着いた夢幻の魔物を前に、漣は動きを止めた。
もながそっと夢幻の魔物に近づき、寂しそうな笑顔を浮かべた後で漣に向き直った。
「あと1体。夢幻の魔物がこちらに来たの。それはね、誰なのか・・・知ってるの。」
「もな?」
「お兄ちゃんだよ。もなの一番大好きだった人・・・。」
「何故だ・・・!?」
「これが、もなの“闇の羽根”だから。」
そう言うと、おもむろに襟元を開き、グイっと左肩を出した。
肩甲骨の近く、丁度心臓の裏側に・・・その黒い“烙印”はあった。
悪魔の羽根をモチーフにしたそれは・・・
「これが、もなの・・・“烙印”だから・・・。」
「烙印・・・?」
「大好きだったよ、ママ。・・・バイバイ。」
もなが左手を高く上げ、その瞬間、突風が吹いた。
目の前にいたはずの夢幻の魔物は姿を消し、代わりにもなの足元には真っ赤な血溜りが広がっていた。
ゆらゆらと浮かぶ真っ白な包帯が、すぐに鮮血に染まる。
「どうしてこんな事に・・・」
「夢と現をその身に宿す者に、感情は・・・イラナイから・・・」
「そんな事 ――― 」
漣が言い終わる前に、もなが何かに引き込まれるように瞳を閉ざした。
こんなにも小さな少女に圧し掛かる、残酷なまでの現実。
絡まる頭の中で、ただ1つはっきりと分かる事。
それは・・・次の夢幻の魔物が、もなの・・・最愛の兄だと言う事だけだった。
◇▲◇
「どうして現はあたしを選んだのかな?」
「それなら、どうして夢は俺を選んだんだ?」
「冬弥ちゃんは、強くて優しくて・・・輝いてるから・・・。」
「俺はそんな大層な人間じゃないさ。」
「でも・・・」
「早く寝ろよ。また、雨が降ってくるぞ?」
「・・・うん。」
「ずっと隣に居てやるから。」
「有難う・・・。大好き・・・」
≪ END ≫
◇★◇★◇★ 登場人物 ★◇★◇★◇
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5658/浅葱 漣 /男性/17歳/高校生/守護術師
NPC/片桐 もな/女性/16歳/現実の世界の案内人兼ガンナー
◆☆◆☆◆☆ ライター通信 ☆◆☆◆☆◆
この度は『闇の羽根・桜書 T < 雨空 >』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
そして、いつもいつもお世話になっております。(ペコリ)
もなの過去と、次に来る夢幻の魔物の正体が分かりました。
次で最終話ですが・・・如何でしたでしょうか?
“組織”に“トップ”に“闇の羽根”に・・・“秘密の屋敷”に・・・新情報がてんこ盛りです(苦笑)
最後、もなと冬弥が仲良さ気ではありますが、恋愛感情では御座いません(笑)
もなの話には5つ年上の兄の事しか出てきませんが、もなは2人兄妹ではなかったり・・・します。
それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。
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