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届かない想い
「この服、可愛いね」
都内の小さな商店街。二十三区内の大きな商店街とは比べるまでもないが、それでも大抵のものは揃うし、品揃えのセンスも悪くはない。
そんな地元の商店街で、一人の少女が買い物をしている。十代後半。女子高生だろうか。
真っ直ぐに伸びた長い黒髪。大きめの瞳に整った顔立ちはかなりの美人といえる。
手に取った服はシンプルなデザインのワンピース。確かに彼女には似合いそうだ。
「亜衣になら、きっと似合うと思うよ!」
先ほどの落ち着いたものと違い、明るい声音でそう話す少女。服を掲げ、見定めるように、まぶしそうに目を細める。
けれど。
彼女の周りには、他に人もいない。店員すらその近くにはいない。
では、亜衣、と呼ばれた相手はどこにいるのだろうか。
その様子を見ていた者がいたら、そう不思議に思ったに違いない。
「うん……そうだね、試着してみようかな」
その服を今度は、自分の肩に押し当てるようにして。
柔らかく、微笑む。とても楽しそうに。
「なかなか、いいじゃない!」
恋人か、親友か、家族か。仲の良い誰かがそこにいるかのように、語り続ける。
独り言。
いや、どちらかと言えば、一人二役だろうか。そんなように見えた。
「せっかくの誕生日なんだもの、お互いにプレゼントしあいましょうよ!」
明るい顔で、そう告げる。目の前の人に向かって語りかけるように。
もちろん、そこには誰もいない。
でも、彼女――華南・亜衣(かなん・あい)には見えていた。
自分と同じ姿の少女が。幼い頃雪山で遭難し、いなくなってしまった双子の姉の姿が。
遠い過去に、半身とでも言うべき姉を失ってしまってから。
姉に助けられて、自分だけが助かったことに思い悩んで。苦しんで。
彼女は、心の中に別の人格を作り上げてしまったのだった。
一方本来の人格である亜衣は、正反対。大人しく、自己主張をせず、控え目。誰にでも優しいので、周囲の評判も悪くない。
そのままその服を買い、次はアクセサリーショップへ。とは言っても高級な宝石が綺麗に陳列されているような店ではなく、もっと身近な、どことも知れぬ民族風のものなどを扱っていたりする雑貨屋のようなところ。
「たまには、こんなのなんてどう?」
手に取ったのは、十字架をかたどったデザインのネックレス。ただ、カラフルな石と派手な装飾が散りばめられている。
「ちょっとこれは……派手すぎ。私には似合わないって。例えばこれとか」
隣にある、もう少し色合いも装飾もシンプルな、シルバーアクセサリを手に取る。その後も他愛のない会話を続けながら、商店街を回り、いつしか両手は買った物の紙袋で一杯になる。買ったところだけではなく、もちろん、ウィンドウショッピングだけで回った店はもっと多い。
充実した、楽しい一日。姉と一緒の。そうしている間に、日は傾いていく。
あの時に壊れそうになっていた心のバランスも、姉という存在のおかげで安定している。彼女はそれはそれで、落ち着いた人生を歩んでいるかのように見えた――多少周囲から奇異の視線で見られようとも。
夕陽の方向に商店街を抜けていくと、その通りは公園にぶつかる。住宅街の合間に滑り込むようにある児童公園のように小さくもなく、かといって地元以外の人間が来るほど有名で大きくもない、そんな公園。遊ぶというよりも憩いの場として作られているのか、遊歩道の周りにはちょっとした森のように木々が密集している、そんな場所。
亜衣は、買い物袋を提げてそのまま公園に入っていく。
木々の間を縫うように歩道を、風景を見上げながら、穏やかに吹き込む風を頬に受けながら歩く。
やがて、突然視界が広がる。オレンジ色に染まりつつある空と、眩しい夕陽が飛び込んでくる。公園の奥は、広場になっていた。ちょうどビルもこの風景のために遠慮したかのように、高いものはそれほどない。
亜衣の、お気に入りの場所だった。
空いているベンチのうち、広場の隅、他に人影のないところへ座る。しばらく、空を見上げる。
幸せな時間。
そう思いたかった。
けれど。
そんなものはまやかしだ。
「お姉ちゃん、ごめんね……」
本当は分かっていた。
「私じゃなくて、お姉ちゃんが生き残るべきだったんだよ……!」
橙から深い藍に空の色が移り変わっていく頃に。
亜衣は、悲痛な声をあげた。
もう、姉はいないのだと。元気な声で自分を引っ張っていってくれるこの姉は、自分が、救いを求めたくて、作り上げたものだと。
分かっていた。
「ごめん、ごめんごめん……ごめん、ごめんなさいっ……!」
逢いたい。
もう一度、あの暖かい手に触れたい。
謝りたい。自分だけが生き残ってしまったことを。姉を助けられなかったことを。
ありがとう。
そう、伝えたい。助けてくれて、ありがとうと、伝えたい。
でも、それは叶うことのない想い。
自分の心の中の姉ではなく。
本当の姉に。
一言、伝えたい。最後にもう一度、触れたい。
でもそれは、実現することのない夢。
もがくように、手を空に伸ばす。その指の先は、ただ空回りするだけ。何も掴むことなどできなくて。
心の中で、叫ぶ。
戻らない時のことを想って。
還らない姉のことを想って。
もう涙も喉も涸れ果てて、溢れることはないけれど。
心の叫びは、深く刻まれた傷だけは、消えることがなくて。
今日も亜衣は、独り、夜を迎える。
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