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<東京怪談・PCゲームノベル>


ひなたうららかいちご狩り

 珈琲を楽しめる場所は、何も喫茶店に限った話ではない。
 もてなす心で出された一杯の珈琲は穏やかな香りでその場を満たし、より深く両者の関係を深める。
 ジェームズ・ブラックマンがその日コーヒーカップを手にしていたのは、喫茶店はなかった。
 六角形に張り出した結城探偵事務所の応接コーナーで、ジェームズはカップを傾けていた。
 褐色の珈琲に、床まで届く白く長いカーテンが踊るように映りこんでいる。
 事務所を吹きぬける風が陽光の温かさをレース越しに運ぶ中、所長である結城恭一郎がテーブルの向こうからはにかんだ笑みを見せた。
 まだ白髪になるには早い年齢らしいが、結城の髪は淡雪のように白い。
 穏やかな印象のこの男には、似合いの色にも思える。
 ――私とは正反対だな。
 季節を問わず黒を基調とした服装に身を包み、交渉人として決して表に出る事無く事件に関わるジェームズにとっては、清廉な白は最も遠い存在に感じられた。
 が、結城もまたある意味では影の部分に立ち位置を置く男だった。
 そうでなければ二人が接点を持つ事は無かっただろう。
「鷹群の淹れる物と比べられると、分が悪いんですが」
「いいえ、美味しいですよ」 
 そう答えて、ジェームズは珈琲党の調査員がブレンドした珈琲を口に含んだ。
 明治に建てられたという洋風建築を事務所に、結城は和鳥鷹群という青年と共に探偵業を営んでいる。
 ジェームズがこの事務所を訪ねるのは二度目だ。
 一度目は交渉人として請け負った仕事のボディガードとして、結城を雇った時だった。
 自身の能力は決して低くないと自負していたジェームズだったが、相手が人外の者となると状況は変わってくる。
 結城は咆哮鞭と呼ばれる武器を手に、人外の存在――『狭間』を狩る男だった。
 相手の部下が不穏な動きを見せた瞬間、咆哮鞭を振った結城の周りに三体の白狼が実体化した。
 結城が『身の内に獣を飼う』と評され、ビーストマスターと呼ばれる所以だ。
 咆哮鞭を手に獣を従える結城は普段の印象とは異なる、別の人間のようにも思えた。
 もちろん交渉は無事に済み、それで結城との縁も終わりにして良かったのだが。
 ――人外に対する抑止力のカードはいくつかあった方がいい。
    それに……結城さんも、面白い方でもあるし。
 再び日常に戻れば、結城は明るい日なたの似合う、穏やかな男に戻る。
 その差がとても興味深い。
 どちらが虚で実なのか。それともどちらも真なのか。
 今日は件の礼も兼ねての再訪だった。
「そういえば、お菓子をお出ししてませんでしたね」
 思いに耽るジェームズの視線を外すように、結城が立ち上がった。
「気が利かなくてすいません」と苦笑した結城が、すぐにマカロンを手に戻ってくる。
「ああ、お構いなく。お礼に伺ったのはこちらですし。
あまり居心地が良いと、帰りにくくなってしまいます」
 この事務所はジェームズにとっても不思議と居心地の良い場所に思える。
 現代の存在が全て内包している騒がしさが、この建物からは感じられないのだ。
 ――魔と呼ばれるものが全く存在しない。
    人工的に何か付与されているのか?
 一見した所、そういった呪術的な痕跡は見当たらない。
 ――まあ、それもおいおい解き明かされるかな。
「珈琲一杯で褒めすぎですよ。甘い物は苦手ですか?」
 勧められるままジェームズは皿から鮮やかなグリーンのマカロンをつまんで口に入れた。
 珈琲の苦味が残る舌に、マカロンがピスタチオの香りを残して溶けていく。
「好きですよ」
 ジェームズはにこりと笑みを返した。
「それは良かった。
俺も甘い物は好きですが、一人ではなかなかケーキショップにも入れないから……。
こんなおじさんですしね」
 結城は照れくさそうに笑って足元の白狼を撫でた。
 常に一体だけ実体化した雪狼は、失われてしまった視力を補う為のものらしい。
 雪狼が人懐こそうな赤い瞳をこちらに向けている。
 その赤さに、ジェームズはふと郊外の苺農園を連想した。
「それでは今度、私と苺狩りに出かけませんか?
農園では苺を使ったお菓子も楽しめますよ。
お礼がしたいのです。あなたに」
 指先を目の前で合わせ、ジェームズは結城に言った。
 突然の申し出に結城は困惑している。
「謝礼は先程頂きましたよ。十分すぎる金額で」
「それでは友人としてお誘いしてはいけませんか?
私もこういった機会でなければ、甘い物を堪能できない切ない身の上です」
 やや大げさに嘆いて見せたのは、ジェームズの交渉術の内だったかもしれない。
 迷っている結城に、ジェームズは更に言葉を続ける。
 銀色の瞳に警戒心を解くべく譲歩の色をのせて。
「今度の連休はどうでしょう?
私が車でここまでお迎えに上がります。
……もちろん、お嫌でなければ」
 わずかな沈黙の後、結城はゆっくり口を開いた。
「……そうですね。
久しぶりに出かけるのも楽しいかもしれないな」


 のんびりとした春の海が車窓から先に広がっている。
 道路のすぐ脇に走る電車からも、その光景は見えるだろう。
 海沿いの道をしばらく走った先に苺農園はあった。
 やや小高い丘の中腹に開かれた農園は、一日に入園できる人数を制限している。
 園内では一度入場してしまえば時間制限も無く楽しめるとあって、都市の喧騒に疲れた人々の間ではちょっとした穴場として知られていた。
 毎年訪れるリピート客も多いという。
 ジェームズが農園を知ったのは最近だったが、機会があれば訪れてみたいと思っていたのだ。
 震動を感じさせない滑らかな動きで、ジェームズと結城を乗せた車は駐車場に止まった。
 服装・髪・そして雰囲気まで黒尽くめのジェームズと、白狼を従えた白髪の結城は苺農園には異質な客だったかもしれない。
 が、駐車場に止められた車の台数と農園の規模から言って、苺畑で二人に不躾な視線を送る客はあまりいないようだった。
 もっとも目の前の苺を摘むのに夢中になっている客が多いのだが。
 入園料を支払って、二人は早速ビニールハウスへと向かった。
 今は露地物がメインになりつつある時期なので苺はやや小粒になっているが、ハウスに一歩足を踏み入れると甘い香りが漂ってきた。
「うーん、幸せな香りですね!」
 長時間のドライブでこった身体を伸ばして結城が言った。
 その仕草が年齢とかけ離れた印象でジェームズは笑みを漏らす。
 結城と感覚を共有する雪狼がぱたぱたと尾を振っている辺り、彼もリラックスしているのだろう。
「遠慮しないでお好きなだけどうぞ」
「そんなに入りませんよ」
 藁に包まれた苺の畝の間をゆっくり歩きながら、気まぐれにジェームズは実を摘んだ。
 強すぎない甘味と酸味が口に広がると、意識して表情を作る事が多いジェームズも自然な笑みを浮かべてしまう。
 ――たまにはこんな日があってもいいな。
 いい苺が手に入るなら、久々にデザートを作るのも良いか。
 あれこれレシピを思いながらジェームズは歩いていた。
 結城も同じように苺を摘んでいるが、その左足が軽く引きずられている。
 ――足が少し悪いのか?
 歩き方が気になったジェームズの視線の先で、危惧していた通り結城がバランスを崩して倒れた。
「……大丈夫ですか?」
「すみません、足元が弱くて……」
 とっさにジェームズが腰を抱えたので、結城は畝の上に倒れずに済んだ。
 ――細い腰だ。
 上背のある結城だが、実際に抱えてみると見た目よりも随分身体が細い。
「あの、もう大丈夫ですから」
「ああ、失礼」
 ジェームズは腕を離し、顔の赤い結城に尋ねてみる。
「失礼ついでに聞いてもいいですか?」
「何でしょう?」
 他人の事情に立ち入るのは趣味ではない。
 けれど気にかかるのは、好奇心と若干の……。
「左足と目がお悪いようですが、それは何かの事件で?」
 結城は一瞬困ったように眉を寄せたが、すぐに許すような笑顔を見せた。
 ジェームズは柄にもなく質問を後悔したが、結城の声はやはり穏やかだった。
「十年前、ある事件で痛めたんです。
当時の俺たちで対処できる相手ではなくてね。
あの頃調査員は鷹群の他にももう一人いたんですが……彼女は事件以来行方が知れないし、俺もしばらく入院する事になって動けなかったんです。
その間は鷹群一人に、何でも任せてしまっていたな」
「……それでも探偵業を、狭間狩りを辞めないのは何故です?」
 ジェームズの見た所、結城は潜在的な魔力が大きい訳でもない、ごく普通の人間だ。
 それ程の経験をしてしまったら、もっと安全な生き方を選びそうなものだが。
「消えた美和を見つける為です」
 すぐにはっきりとした言葉が返ってくる。
 もしかしたらもう何度もこの質問に答え、自分自身決意を新たにしてきたのかもしれない。
「美和さん?」
「調査員だった女の子です。
今ならあなたと同じぐらいの年齢になってるはずですよ」
 ――まだ生きていれば、か。
 後に続く言葉をジェームズは飲み込んだ。
 そして右手を結城に差し出す。
 その意味がわからず、右手とジェームズの顔を結城は交互に見た。
「私にもそんな事情を教えてくれた、あなたに感謝を。
不躾な私を許して下さるなら、握手して下さい」
「許すも何も……」
 すぐに手を握り返す結城を、ジェームズは眩しく感じた。
 ――素直な人なのだな。
    もしかしたら、私があなたを騙しているかもしれないとは思わないのか。
    やはり面白いな、この人は。
「それではこのまま、カフェスペースまでお連れしましょう」
 そのまま結城の手を取って歩き出そうとするジェームズに、結城は慌てて手を離そうとした。
「い、いえ、一人で歩けますから!」
「遠慮なさらないで下さい」
 わざと極上の笑みを作ってみせるジェームズの手を、今度こそ結城は振り払った。
 農園に併設したカフェスペースでは、デザートを楽しむカップルや親子連れがテーブルを占めていた。
 ここは先にカウンターで注文を取り、個々のテーブルでデザートや飲み物を待つ方式を取っている。
「どれも食べたいな……迷いますね」
 うーん、と唸る結城の言葉を受けてジェームズはカウンターに歩き出した。
「それでは全部注文しましょうか?」
「え?」
 ジェームズは長いコンパスを生かしてカウンターに向かうと、結城が止める前に注文を済ませてしまった。
「全部なんて食べ切れませんよ!?」
「心配しなくとも結構ですよ。
私が責任を持って、最後までお付き合いしますので」
 青ざめる結城とは反対に、ジェームズは上機嫌で言った。
 そして今、目の前にずらりとデザートが並んでいる。
 どれも摘みたての苺をふんだんに使っており、鮮やかな赤い果実の色が食欲をそそる――はずなのだが……。
 結城は紅茶のカップを手にしたものの、複雑な表情をしている。
 多すぎるその量に、喜んでいいのかわからないようだ。
「別に取り分ける皿も用意してもらいましたし、お好きなだけ召し上がって下さい」
 珈琲を手に、にこにこしながらジェームズが言う。
「……それじゃパフェを頂きます」
「どうぞ」
 苺と生クリームを交互に口へと運びだすと、結城の顔にも笑顔が戻ってくる。
 ――幸せそうに食べる人だ。
    しかし不思議と妬ましいとは感じない……。
「美味しいですか?」
「ええ!」
 力の入った返事をしてしまった自分に気付いて、結城は顔を赤らめた。
「ブラックマンさんは食べないんですか?」
「食べますよ。
もう少し結城さんが召し上がってから、ね」
 ――今はもう少し、あなたが幸せに浸るのを見ていたいな。
    たとえばこの先、泣き顔や怒りに赤らむ顔の方が私には魅力的に映ったとしても。
 ジェームズが密かにやや不穏な思いをめぐらせているとも知らず、すっかり表情のゆるんだ結城が言った。
「アイスクリームが溶けますよ?」
「ああ、そうですね。
では……私も頂きます」
 ジェームズは果肉が赤いマーブルを描くアイスクリームの皿を手に取り、一匙すくい取った。
 

(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 5128 / ジェームズ・ブラックマン / 男性 / 666歳 /交渉人 & ?? 】

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■         ライター通信          ■
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ジェームズ・ブラックマン様
シチュノベに続きまして、ご参加ありがとうございます。
肝心の苺狩りシーンが短くてスイマセン。
結城はどちらかというと受け身(身?)なので、ブラックマン氏には積極的に誘って頂きました。
表面上はあくまでスマートに、かつ心の中ではよからぬ事(?)を企んでいる氏が出せていれば良いのですが…。
少しでも楽しんででもらえると嬉しいです。
ご注文ありがとうございました!