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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


いつか……

【プロローグ】
「なんですって?」
 碇麗香は、電話の向こうの相手の言葉に、思わず顔をしかめて、声を上げた。
「誰かに頭を殴られたって……大丈夫なの?」
『ええ。怪我はたいしたことないわ。でも、昨日は病院へ運ばれて手当てされたりしていて、大変だったのよ。だから、行けなかったの』
「そう……」
 麗香は、更に詳しい話を聞くと、やがて「お大事に」と告げて電話を切った。そうして、険しい顔で考え込む。
(いったい、どういうことなの?)
 電話の相手は、高校時代の友人の一人だった。
 実は先日、久しぶりの休日に部屋を掃除していたところ、高校時代の日記を発見したのだ。懐かしくなってそれを読んでいたところ、その中にタイムカプセルの記述があって、麗香は古い記憶をゆさぶられた。
 それはたしか、卒業式の日だったと記憶している。彼女と、当時仲の良かった女友達三人とで、十年後の自分と友人たちに宛てた手紙を書いて瓶に詰め、校舎の裏手にあった小さな神社の境内に埋めたのだ。そして、十年後の同じ日に、また集まってそれを掘り出そうと約束した。
 その約束の日は、ちょうど一週間後に当たっている。思い出したが吉日と、彼女は他の三人に連絡し、タイムカプセルを埋めた場所で落ち合おうと約束した。他の三人も、久しぶりに会うのもいいと、すっかり乗り気だった。
 それなのに。当日は誰も来なかったのだ。教えてもらった携帯も、家の電話もつながらず、結局、麗香はただ一日を無駄にしただけだった。しかも、肝心のタイムカプセルは、誰かに掘り返されて、持ち去られていた。
 不審に感じて麗香は、友人たちに電話し続け、ようやくさっきその中の一人につながったというわけだ。
 その後、他の二人とも連絡はついたが、どちらも同じように怪我をして、当日は行けなかったという。
(タイムカプセルに入れた手紙に、何か人に読まれると困ることでも書いてあったの?)
 眉をしかめて、麗香は思わず胸に呟く。だが、人に読まれて困るなら、タイムカプセルになど、入れなければいいのだ。
 ともあれ、これは調べてみる必要がある――麗香は、胸に呟き、うなずくのだった。

【1】
 也沢閑が麗香とタイムカプセルにまつわる事件を聞いたのは、白王社の他の編集部に用があって、友人の染藤朔実と共に立ち寄った時だった。
「――扱ってるものがものだからかしらね。あの人も、いろいろ大変ね」
 話を教えてくれた顔馴染みの編集者は、そう言って苦笑したものだ。
 興味を覚えて彼は、その足でアトラス編集部を訪ねた。もちろん、朔実も一緒だ。
 ちなみに朔実は、同居人でもある。彼より五つ年下で、背が低いせいか、それとも騒がしいその性格のせいなのか、年齢より更に若く見える。茶色の髪に茶色の目をして、今はGパンとTシャツというラフなかっこうだ。フリーターをしながら、プロのダンサーを目指している。
 二人が行ってみると、すっかり人が出払って、閑散とした編集部には麗香が一人だけ残って、デスクワークに勤しんでいるところだった。
「あら、珍しいわね。どうしたの?」
 二人が近づいて行くと、顔を上げた麗香が尋ねて来る。それへ閑はやわらかく微笑んで言った。
「今、麗香さんが何か事件に巻き込まれてるって話を、他のところで聞いて来たんだけど……手伝えることはある?」
「協力してもらえるの?」
「もちろんさっ。なーんか、面白そうだしなっ」
 軽く目を見張る麗香に、朔実が即答する。
「ありがたいわ。誰か、助っ人を頼もうと思っていたところなのよ」
 笑ってうなずく麗香に、閑は確認の意味もあって問うた。
「タイムカプセルは何者かに掘り出され、麗香さんの友人たちは、全員怪我をして、約束の日に来られなかった……って話だよね。その友人たちの、怪我の具合は?」
「軽傷よ。ついでだから話すけど、三人が怪我をしたのは、別々の日なの。最初に連絡のついた紺野由佳は約束の日の当日、寺山美子はその二日前、津上香は前日といった具合にね」
 うなずいて、麗香が答える。
「一日一人ってか? な〜んか律儀な奴っ」
 朔実が、そんな感想を漏らした。
「そうだね」
 たしかに律儀と言えるかもしれない、と閑は相槌を打つ。
 麗香はそれへ、苦笑して続けた。
「三人とも、怪我の翌日には運ばれた病院を退院して、自宅療養しているみたいよ。でも、だから約束した日には来られなかったの。由佳なんか、怪我をしたのが当日だしね」
「そして、肝心のタイムカプセルは掘り出されて、なくなっていた……と」
 閑は呟いて、考え込む。
「誰かが、嘘を言っているのかな」
 ややあって顔を上げ、彼はふと頭に浮かんだことを告げた。
「つまり、麗香さんの友人たちの誰かが他の二人を襲い、自分もわざと怪我をして、誰かに襲われたと言っているとかね。じゃあなんで、麗香さんだけ無事だったのか。単純に襲う機会を逃したか……」
「もしあなたの言うとおりだったら、私が襲われなかった理由ははっきりしているわ」
 彼の言葉を遮るように言って、麗香は肩をすくめる。
「三人とも、私の今の住所も職場も知らないからよ」
 そして彼女は、自分たち四人が、卒業後ほとんど連絡を取り合っていなかったことを話した。年賀状さえ、大学卒業後は出さなくなったそうだ。同窓会にも忙しくて、四人とも出席していない。そして、その間に麗香は一度引っ越していたし、仕事の話をしたこともないのだそうだ。
「それは……ずいぶんと徹底してるね」
 閑はちょっと呆れて呟く。隣で、朔実も目を丸くしていた。
「しかたないでしょう。いろいろ忙しいんだから。――それより、他に気づいたことはない?」
 麗香は顔をしかめて言うと、問うて来る。
「……今の話を聞いたら、可能性は薄いかなって気がして来たけど……麗香さんだけが襲われなかったのは、三人がグルだったからかも、とかも思ってたんだけどね、俺は。たとえば、カプセルは三人だけで先に掘り出してしまっていて、でもそれを麗香さんに知られて問い詰められるとマズイから……とか」
 閑は、苦笑しながら更に思いついたことを言った。
「面白い考えだけど……たしかに、可能性は薄いわね。だって、私が彼女たちの家族の誰かに問い合わせたりしたら、すぐにバレる話でしょう? それに、カプセルを掘り出した跡も、土が柔らかくて、掘り返したのはその日の内って感じだったわ」
 麗香は少し考えてから返す。
「じゃあ、少し考え方の角度を変えてみようか」
 閑は言って、近くの空いた椅子を引き寄せて座ると、考え考え口を開いた。
「普通、タイムカプセルに入れる手紙なんて、読まれて困ることなんて、書かないよね。だって、いずれ開けて中を見るのがわかっているわけだから。なのに、人に読まれて困る内容のものが入っていたとすると……今になって、何かの事件に関わっていたことを示唆するようなことを書いてしまったのに気づいたってことじゃないかな。当時、麗香さんたちの近くで起きた何か、それに友達が関わった可能性がなかったかを、調べてみるのもいいんじゃない?」
「当時……私たちの近くで起きた何か……」
 麗香は、低く呟いて考え込む。
 それを見やって、ずっと黙って彼らの話を聞いていた朔実が、焦れたように口を開いた。
「そのタイムカプセルってのが気になるんだけど、俺っ。それ探してさ、見つかったら超手掛かりになると思わない?」
「そうね……。手掛かりになるかどうかはともかく、見つけて取り戻したい気持ちはあるわ。だって、せっかく四人でそれぞれに宛てて手紙を書いたんですもの。それ、読みたいじゃない」
 彼の提案に、麗香は顔を上げて言う。
「カプセルを持ち去った人間が捨ててさえいなければ、朔実ならきっと見つけ出すよ。彼の勘は、なかなか頼りになるから」
 麗香なら、それも知っているだろうとは思ったが、閑はフォローの意味も込めて口を挟んだ。それに勢いを得たのか、朔実は更に言う。
「あとね、俺、その麗香さんの友人たちの誰かが嘘ついてても、話聞けば、たぶんわかるよ。ガツンってやられた人、疑うのはどーかと思うけどさっ。でも、嘘か本当かは二者択一だしさっ」
「頼りにしてるよ、朔実」
 それへ言って、閑は麗香をふり返った。
「俺も、まず最初にすべきは、三人の話を聞くことだって思うけど、麗香さんは?」
「ええ、そうね。……彼女たちを疑いたくはないけど、詳しい話を聞く必要は、あるわね」
 うなずいて麗香は、デスクの上の自分の携帯電話を取り上げた。

【2】
 寺山美子と津上香の二人は、それぞれ、その時の状況をこう語った。
 美子が襲われたのは、約束の日の二日前の夕方だった。結婚前から勤めている会社で、社員として今も働いている彼女は、この日、定刻に社を出て帰途についた。自宅に帰りつき、玄関の鍵を開けようとしているところを、後ろから誰かに鈍器で殴られ、そのまま昏倒したのだ。目覚めた時には、病院のベッドの上だった。後で聞いたところでは、隣家の主婦が、倒れている彼女を発見して、救急車を呼んでくれたらしい。
 ちなみに、犯人の目的は不明だった。その時持っていたバッグの中には、サイフの他にクレジットカードや携帯電話なども入っていたが、それらも盗られておらず、自宅の鍵は手に握りしめたままだったという。もちろん自宅も、荒らされていない。着衣に乱れもなく、本当にただ「殴り倒されただけ」のような状態だった。
 幸い怪我は軽く、念のためにその日は入院して検査を受け、翌日の夕方には退院して自宅に戻ることができたそうだ。
 一方、津上香は、その翌日に襲われている。二交替制の職場で働いている彼女は、その日は夕方からの出勤だったので、昼すぎまでアパートの自室で眠っていたという。同棲中の恋人は、昼間の勤めなので、その時彼女は一人だった。
 ようやく起きて、冷蔵庫に何もなかったので近くのコンビニに買い物に出かけ、戻って来たところを、やはり後ろからガツンとやられた。これまた盗られたものは何もなく、もちろん着衣も乱れてはおらず、携帯に出ない彼女を不審に思って、外回りのついでに自宅に寄った恋人に倒れているのを発見され、病院に運ばれたのだそうだ。
 こちらも怪我は軽く、その日は検査と治療のために入院し、翌日退院して自分のアパートに戻って来ることができたらしい。
 ただ二人とも、さすがに外を出歩ける状態ではなく、しばらくは仕事も休んだし、気が動転していて、麗香に行けないことを連絡するのもすっかり忘れていたということのようだ。それどころか、二人は犯人の目的がわからないのが気味悪く、しばらくは電話にも出る気になれない状態だったそうだ。
 ちなみに二人は、麗香を除く全員が、こんなことになっているとは、知らなかったという。アポイントメントを取って自宅へ会いに来た閑たちから話を聞いて、初めて知ったそうだった。もっともその事実は、彼女たちをよけいに不安がらせたようではあったけれど。
 ともあれ、二人の話を聞き終えた閑たち三人は、近くの喫茶店に腰をおちつけていた。
「で? 朔実。どうだった?」
 コーヒーを一口飲んで、閑は向かいに座った朔実に尋ねる。
「寺山さんも津上さんも、ちゃんとホントのこと言ってるよっ。俺たちが聞いた話は、ぜーんぶホントのことさっ」
 慌てて加えていたストローを口から離して、彼は答えた。ちなみに、彼の前にあるのはオレンジジュースだ。
「そっか……」
 うなずいて閑は、再びコーヒーのカップを手にした。
 朔実の能力はむろん信用しているが、寺山美子と津上香は、彼の目から見ても、嘘をついているようには見えなかった。頭にはまだ白い包帯が巻かれていて、ずいぶん痛々しかったし、麗香が自分以外の全員が襲われたと話した時の、恐怖の表情も本物だったと思う。
 少しでも怪しいと感じたら、囁きで相手を操る自分の能力を使って、本当のことを聞き出してもいいと考えていた彼だが、そうするまでもないと感じて、ただ黙って話を聞くだけにした。
 朔実の判断も白なら、これはもうあの二人は完全にただの被害者だ。
 そのことは、麗香をも安堵させたようだった。
「朔実がそう言ってくれて、ちょっとホッとしたわ」
 閑の隣で言って、彼女は笑う。そして、バッグから携帯電話を取り出した。
「ただ……問題は、由佳よね。なぜ出ないのかしら」
 呟きつつ、何度目かの電話をかけ始める。紺野由佳だけが、携帯も自宅のも電話がつながらないのだ。
 今は携帯にかけているようだが、やはりつながらないらしい。
 一旦切った彼女は、今度は自宅の電話にかけ始めた。
 麗香から移動の間に聞いた話では、紺野由佳は母親と二人で、東京都のはずれに近い田園地帯に住んでいるのだという。父親は、彼女たちが高校二年の時に亡くなっているが、タイムカプセルの件で電話したおり、母親はまだ元気だと話していたそうだ。つまり、自宅には当人はいなくても、その母親がいるはずなのだ。
 と、しつこく呼び出し続けて、ようやくつながったらしい。彼女は、相手と話し始めた。閑と朔実に聞こえるのは、麗香の声だけだ。が、最初は慣れた調子でやりとりしていた彼女の口調が、途中でふいに驚きに変わる。そのあと彼女は、誰かの住所を聞き出そうとしているらしかった。しかし、とうとうそれは果たされず、一方的に通話を断ち切られたらしい。彼女はしばし、自分の携帯電話を睨みつけていた。が、小さく吐息をついて、それをバッグに戻す。
「なんだか、妙なことになったわよ」
 言って彼女は、閑と朔実に電話の内容を話した。
 相手は、紺野由佳の母親だったのだそうだ。由佳の同級生だと名乗り、その居所を尋ねる彼女に相手は、由佳は一月前から仕事で北海道に行っていて、今家にはいないと告げたという。驚いて麗香が、ごく最近、由佳と電話で話したのだと返すと、相手はしばし考えた後、「それは姉の由利だったのではないか」と答えたのだった。由利と由佳は、母親の自分でも間違えるほど、声が似ていると。
「ふうん。つまり、第四の人物が浮んで来たというわけだね」
 閑は今聞いた話を、頭の中で反芻してみながら言った。そして、尋ねる。
「それで、麗香さんはその由利さんって人のこと、知ってるの?」
「親しいわけじゃなかったけど、高校時代、由佳の家に遊びに行った時なんかに、挨拶を交わす程度のことはあったわ。……たしかに言われてみれば、そのころに一度、由佳に電話して由利さんの方が出て、すっかり由佳だと思って話していたことがあるわね」
 麗香は、記憶の底を探るような目をして、軽く天井をふり仰ぎながら答えた。それから、電話で聞いた話を続ける。
「由佳の母親が言うには、由利さんは結婚して家を出ていたんだけど、最近、夫婦関係がうまくいかなくて、実家へ戻って来ていたらしいわ。ただ、今はまた別の所に住んでいるようだけど」
「あー。それで、麗香さん、その人の住所を聞いてたんだ?」
 朔実が、ふいに納得したように、声を上げた。
「ええ。……でも、結局教えてもらえなかったわ。いきなり切られちゃって……」
 うなずいて言うと、彼女は眉をひそめた。
「これって、どういうことかしらね。……由利さんが由佳のふりをしていて、美子と香を怪我させ、自分は怪我をしたって嘘をついていたってこと?」
「状況的にはそう見えるけど……ねぇ?」
 閑が話をふると、朔実は腕を組んで考え込む。が、何も浮ばないのか、難しい顔をしてうなっているばかりだ。もともと彼は、体を動かす方が得意なのだ。
 閑は苦笑すると、麗香をふり返った。
「どっちにしても、居所がわからないんじゃ、動きようがないね。……まだ暗くなるには早いし、朔実が言ってたように、カプセルの行方の方を、追ってみようか」
「俺、それ賛成っ! とにかく考えるより動く方が、絶対、結果出るのが早いって」
 ハイ! ハイ! とまるで子供のように手を上げて叫ぶ朔実に、麗香も苦笑した。
「そうね。もし、持ち去ったのが、美子たちに怪我をさせたのと同一人物なら、それで犯人の居場所が突き止められるかもしれないわね」
 言って彼女は、目の前のアイスコーヒーを飲み干すと、立ち上がる。方針が決まれば、彼女も性急だ。閑は苦笑しながら、冷めかけたコーヒーを飲み干し、立ち上がった。

【3】
 三十分後。閑たち三人は、麗香の母校の裏手にある神社の境内にいた。
 神社そのものが目立たない場所にある、ごく小さなもののせいか、境内には彼ら以外に人気はなかった。麗香たちが集まるはずだった日から、すでに二日が過ぎていたが、彼女たちがタイムカプセルを埋めたという、一番大きな木の根方は、掘り返されたままだった。とはいえ、穴はそれほど深くない。
「タイムカプセルって、具体的にどんな入れ物に入れたの?」
 それを見やって、閑は麗香に尋ねる。
「インスタントコーヒーの空き瓶よ。それに、四人それぞれに宛てた他の三人の手紙を重ねて、一つづつ封筒へ入れたものを、収めてあるわ」
「つまり、瓶の中身は封筒が四つってことだね」
 確認するように言って、閑は朔実を見やった。
「じゃあ、ここがスタート地点として……ここからどっちへ行ったか、わかる?」
 言われて、朔実は四方を見渡していたが、一つうなずくと、鳥居の外へと歩き出した。閑は麗香を促して、その後を追う。
 朔実のそれは、まさに二者択一だった。とにかく、少しでも分岐点のある所へ来ると立ち止まり、右か左かを決める。むろん、三叉路や四辻に出くわす場合もあるが、彼の勘はその中から、常に正しい道を選び取って行くのだ。
 麗香と共にその後に従いながら、閑はその見事さに感心する。
 とはいえ、彼が朔実の力を目にするのは、これが初めてではなかった。たとえば、知らない土地へ旅行に出かけ、入り組んだ露地をうろうろしたあげく、自分が今いるのがどこかもわからなくなったことは、何度もある。が、それで一度も他の仲間との集合場所にたどり着けなかったことも、ホテルへ戻れなかったこともない。朔実と一緒ならば、彼がこの勘を発揮して、かならず正しい道へ導いてくれるからだ。
 もっとも、遊びで迷路などに入る時には、あまりすんなり行きすぎてつまらないし、あみだ籤は彼と一緒にやらない方がいい。それが何を決めるものにしろ、彼が一番いいところを持って行ってしまうからだ。
 カプセルを持ち去った犯人は、神社からはかなり離れた場所に住んでいるらしい。歩き続けて彼らは、一ブロック近く離れていると思われる、駅へとたどり着いた。そこから電車に乗って、何度か乗り換え、ひたすら道をたどる。
 そうして彼らがたどりついた終点は、あやかし町の隣に広がるともしび町の歓楽街のはずれに立つ、古いアパートの前だった。
「あー。こっちっ」
 すでに、あたりはすっかり暗くなっていたが、朔実は相変わらず元気に言って、二階へ続く狭い鉄の階段を昇って行く。閑と麗香も、その後に続いた。
 やがて彼が立ち止まったのは、二階の一番角のドアの前だ。
「ここ?」
 麗香が、軽く眉をひそめて、確認するように問う。
「そう、ここだよっ。間違いない。ここに、麗香さんたちのタイムカプセルがあるよっ」
 朔実は、力一杯うなずいた。
 それを聞いて、閑は暗闇の中を透かすようにして、その部屋を見やる。電気は消えていて、中からは物音一つ聞こえなかった。人がいるようには、とても思えない。
「麗香さん、ここに住んでいるのは、誰だと思う?」
 ちらりと麗香を見やって尋ねると、彼女は顔をしかめた。
「何を言いたいの?」
「いや、他意はないんだけど……やっぱり、由利さんだっけ? 麗香さんの友人のお姉さん、その人がいるのかなって思ったものだから」
 言って彼は、中へ声をかけるよう促す。
 麗香は、また少し顔をしかめたが、そのままドアに手をかけた。が、鍵がかかっている。ドアの脇にチャイムのボタンがあるのを見つけて、彼女はそれを押した。しばらく待ったが、なんの反応もない。
「こんばんわ。すみません」
 今度は、ドア越しに声をかける。だが、やはり応えはなかった。
「朔実、中に誰かいると思う?」
 閑は、今度は朔実を見やって尋ねる。
「人、いるよっ。そんな気がするっ」
 朔実は、いともあっさり答えた。
 それを聞いて、麗香が携帯を取り出すと、かけ始めた。と、どこかで携帯の着信音が鳴り始める。音楽ではない、デフォルトで登録されている音だ。ドアに耳を押し付けるようにすると、中で鳴っているのが聞こえる。もちろん、携帯電話が置いてあるからといって、中に人がいるとは限らない。だが現代人の行動パターンから考えると、外へ行くならそれも持って行くだろう。
 麗香は、しつこく電話を鳴らし続ける。
 どれほど鳴らし続けた後だっただろうか。ふいに着信音が途切れた。麗香が電話を切ったのかとそちらを見ると、そうではないらしい。彼女は携帯を耳に当てたまま、立ちすくんでいる。相手が、電話に出たのだ。
 閑は、とっさに麗香の手から携帯を奪い取った。そして、電話の相手に向かって、囁く。
「ドアを開けて、中へ入れて下さい」
 それは、ただの囁きではなかった。囁かれた相手の脳髄を一気に焼き切るような、蟲惑的な美声に乗せて、その心を思いのままに操る力が、注ぎ込まれたのだ。
『わかりました』
 心を囁きに食われた者の、うつろな声が電話から返り、ややあってドアが開いた。
「由利さん……」
 そのままぼんやりと、玄関に立つ女を見やって、麗香が呟く。そこに立っていたのは、紺野由佳の姉、由利だったのだ。

【4】
 しばらく後、閑たち三人と由利は、アパートの一室におちついていた。
 今はもちろん、照明もつけられている。その明かりの下、彼らがいるのは、玄関を入ってすぐの、リビング兼キッチンといったふうな部屋だ。玄関の右手に流しとガスレンジがあり、左手のスペースには四角いテーブルと椅子が二脚ほど据えられている。が、それ以外は何もない。妙にガランとした、生活臭のない部屋だった。
 由利は、テーブルの傍の椅子に、ぼんやりと腰掛けており、それを閑たち三人が取り囲むようにして立っている。
 閑が、由利の目の前で一つ拍手を打った。途端、彼女が小さく身を震わせて、顔を上げる。
「私……」
 驚いたように目をしばたたいているのは、彼の囁きの呪縛から解かれたためだ。
 囁きで相手を捕えたまま話を聞けば、嘘をつかれる心配も、逃げられる心配もない。だがそれは、たとえば麻薬などを使って相手の意志を奪い、自白を強要するも同じで、あまり気持ちのいいものではなかった。麗香も、由利が自分の意志で話す言葉を聞きたいと言ったので、彼は声の呪縛を解き放ったのだ。ちなみに声の効果は、相手が強い衝撃などを受けると、切れる。
 目をしばたたいていた由利は、すぐに自分が見知らぬ男二人と麗香に取り囲まれていることに気づいたようだ。その顔が、こわばる。
 それへ、麗香は名乗ってから、言った。
「今日、あなたの実家へ電話したら、お母さんが出ました。そして、教えてもらいました。由佳が、一月前から仕事で北海道へ行っていて、自宅にいないと。……私が電話した時、それに出たのは、あなただったんでしょう? 最初に、あなたを由佳と間違えたのは私ですが……あなたは、それを否定して、妹はいないと私に告げることもできたはずです。なのになぜ、そうしなかったんですか? それと、美子と香を殴ったのも、あなたですよね? なぜ、そんなひどいことを?」
「だって、あなたたちが、タイムカプセルを掘り出すなんて言うから……!」
 由利は、ふいに追い詰められた目をして、身を竦めるように叫び返す。
「それ、わっかんないなーっ。だって、カプセルに手紙を入れたのは、由利さんの妹の方で、由利さん自身は、カプセルとはなーんにも関係ないんだろっ? なのに、なんで掘り出されると困るの? 俺、よくわかんねっ」
 朔実が、眉間にしわを寄せて、首をひねりながら言った。閑もそれには賛成だが、実際に彼女がこんな行動に出ている以上は、理由があるはずだ。
「由利さんにとって、人に知られると困ることを、由佳さんが手紙に書いて、カプセルに入れた可能性があるとかですか?」
 閑が思いついたことを口にすると、由利は唇を噛みしめて、彼を睨み据えた。そして、自棄になったように言う。
「そうよ。……二週間ほど前のことよ。実家に戻って、由佳はいないし、退屈だったから、あの子の部屋で古い本やマンガを漁っていたのよ。あの子、学生時代からそういうのをたくさん溜め込んで、押し入れにしまってあったから。そしたら、あの子の古い日記をみつけたの。高校を卒業したばかりのころのもので、タイムカプセルのことが書いてあったわ。そこに入れた手紙に、私のことで、当時悩んでいたことを書いたとあった。……それを読んで、私、ドキリとしたわ。まさかと思った。由佳に、秘密を嗅ぎつけられたんじゃないかと思ったのよ。確証はなかったけど……でも、当時一度だけ、由佳に『お姉ちゃん、不倫なんてしてないよね』って、問い詰められたことがあった。それを思い出して……」
「不倫?」
 軽く眉をひそめて、麗香が尋ねる。
「そうよ。当時私は、母校の物理教師だった森と、不倫関係だったの」
 険しく顔をゆがめてそちらを見やり、由利は言った。
「森って、あの……ずいぶんと評判の悪かった……」
 言いさして、麗香はふと目を見張る。
「どうしたの? 麗香さん」
 閑が尋ねた。
「そういえば、その教師はたしか、私たちが卒業する一月前に、事故で死んだわよね?」
 麗香はそれには答えるというより、由利に尋ねるように呟く。由利は、薄い笑いを浮かべた。
「ええ。……駅のホームから落ちて、死んだのよ。私が突き落としたの」
「由利さん……!」
 思いがけない告白に、麗香が声を上げ、閑と朔実もそちらを見やる。
「私が突き落としたのよ」
 由利はそれへ、再度言った。
「私は当時、アパートで一人ぐらしをしていて、彼はそこへ週に何度か泊まりに来る――そんな生活をしていたの。でも私たち、よく結婚の話で揉めたわ。私は、奥さんと別れて一緒になってほしいと言い、彼はそれをあれこれ理由をつけてごまかして、最後には私を怒鳴ったり、殴ったり。ある時、私を殴ろうとしていたあいつを、隣の住人が止めてくれたことがあったの。……あんまりうるさいから、文句を言いに来て、見るに見かねたって言ってたけど……。それで、私を殴れなくなって、腹いせに、ペスを――私の飼っていた猫を壁に叩きつけたのよ。あんまり突然で、止める暇もなかったわ。そして、あの瞬間に、私の中で何かが憎しみに変わったのよ」
 語り続ける彼女の頬を、静かに涙が濡らして行くのが見えた。彼女は、言葉を続ける。
「ペスは、森との子供を泣く泣く堕ろした日に、病院の帰り道で拾ったの。なんだか、死なせてしまった私の赤ちゃんが、猫の姿になって、また私の元に来てくれた気がして……私、本当に大切にしていたわ。それなのに……森は、私たちの子供を、自分の勝手で二度も殺したのよ。それが……許せなかった」
 彼女は猫が死んだ翌日、出勤途中の森を、駅のホームから突き落として殺したのだ。
 だが、森の死は事故として処理された。
「神様が、私に味方してくれたんだと、その時には信じたわ。……でも、あの時味方してくれたのは、悪魔だったのかもしれない」
 由利は、自嘲気味に笑って言った。
「何もかも忘れてやり直したつもりだったのに、優しかった男は結婚した途端に暴力男に豹変してしまって、こんなふうに逃げ回らなきゃならなくなるし……」
 言葉は途中で、嗚咽に消える。どうやら、彼女の母親が麗香にその居場所を教えてくれなかったのは、こうした事情もあったようだ。由佳の友人だと名乗ったのに、由利の居場所を訊いたことを、不審がられたのだろう。
 由利はしかし、どうにか嗚咽をこらえ、再び口を開いた。
「妹の日記を読んだ日から、頭の中では恐ろしい想像だけが膨らんで行ったわ。できれば、カプセルを掘り出して、妹が書いたものを処分してしまいたかった。でも、日記には埋めた場所までは書かれていなくて……。そんな時に、碇さん、あなたから電話が来たのよ。あなたは、私を由佳だと思い込んで話していたから、それに便乗させてもらうことにしたわ。ただ、会えば私が由佳じゃないことはわかってしまうし、いったい誰への手紙に私のことを書いたのかもわからなかったから、あなたたちが集まるのを阻止して、あれを掘り出す必要があったのよ」
「それで、美子と香を……」
「ええ」
 呟く麗香にうなずいて、彼女は自嘲気味に笑った。
「本当は、碇さん、あなたにも怪我をしてもらうつもりだったのよ。でも、住所も職場もわからなくて……だから、カプセルの方を先に掘り出したの。あなたから電話が来たら、また由佳のふりをして、私も怪我をしたと言っておけばいい、そう思っていたわ。それなのに……まさかこんなことになるなんて……」
「私も、まさかこんな真相が待っているとは、思いませんでした」
 麗香も、顔をしかめて返す。
「あなたが、麗香さんの人となりを、ちゃんと知らなかったことが、今回の敗因ですね」
 閑は、由利を見やって、小さく肩をすくめて言った。
「麗香さんは、おかしいと思ったことを、そのままにしておくような人じゃないんです。……そうでなかったら、こんな仕事、してないと思いますしね」
「こんな仕事?」
 由利が、怪訝そうに尋ねる。
「ええ。『月刊アトラス』という、オカルト専門誌の編集長です」
 閑が言うと、彼女はきょとんとなった。
 麗香はそれへ、溜息をついて声をかける。
「私のことはいいから。――それより由利さん。カプセルの中を見たんですか?」
「いいえ。……いざ、ここへ持って来たら、なんだか読むのが怖くて……。もし妹が、私のしたことを全て知っていたらと思うと……」
 かぶりをふって、由利はうめくように言うと、そのまま顔をおおって泣き出した。麗香は、それを見やって小さく溜息をついた。

【エピローグ】
 数日後。
 閑は近くまで来たついでに、アトラス編集部を訪ねた。今日は一人だ。
 編集部は、先日と同じく人気がなく、麗香が一人でパソコン画面と向き合っていた。
「こんにちわ」
「あら、今日は一人なの?」
 顔を上げ、椅子ごとこちらをふり返った麗香が、破顔して言う。
「うん、近くまで来たからね。これ、差し入れ」
 言って彼は、途中で買ったプリンを差し出した。外箱の店名を見やって、麗香は小さな歓声を上げる。
「うれしいわ。ここの、けっこう好きなのよ」
「前に、そう言ってたからね」
 笑って返す彼から、礼を言ってそれを受け取り、麗香は改めて言った。
「それと、先日のタイムカプセルの件もありがとう」
「ううん。気にしないで。……でもあの人、ちょっと可哀想だったね。自分の想像だけで、がんじがらめになっちゃって」
 かぶりをふって、閑は返す。
 あの後、由利は彼らに付き添われて、警察に自首した。説得というほどのことをしたわけではなかったが、警察へ行こうと言うと、素直にうなずいて立ち上がったのだ。
 最寄の警察署で事情聴取を受けた後、閑たち三人は解放されたので、警察署前で別れ、それぞれ帰途に着いた。が、翌日に麗香から来たメールによると、彼女はその後、寺山美子と津上香、紺野由佳にも母親から番号を聞いて、それぞれ電話で連絡を取り、事の顛末を話したという。もちろん、由佳はかなりショックを受けていたようだった。
「そうね。……ただ、十年前の事件については、腕のいい弁護士がつけば、情状酌量ぐらいつくかもしれないとは、思うわね」
 うなずいて、麗香は言った。
「生徒間の噂でしかなかったけど……当時、死んだ森って教師は、セクハラやレイプの常習犯だって言われてたのよ。それが一つでも本当だったら……そして、二人の関係が、由利さんの在学中からのことだったとしたら、それが多少は彼女に有利に働くかもって思うんだけど」
「ああ……。そういうことも、あるかもね」
 言って、閑は小さく肩をすくめる。
「でも、殺人は殺人だし。被害者が善人だったとは思わないけど、家族にしたら、やっぱりたまらないんじゃない?」
 それが、ひどく冷たい言い分だというのは、彼にもわかっていた。だが、由利には男と別れて、別の道を歩む選択肢もあったのだ。なのに、相手を殺してしまった。その上に、タイムカプセルの件では、なんの関係もない寺山美子と津上香に怪我を負わせた。それは、「恋人がひどい男だったから」で許されることではないだろう。
「それはそうだけど……」
 言葉を濁す麗香に、彼は重ねて尋ねる。
「それで、タイムカプセルの中身はどうだったの? 開けてみたんでしょう?」
「ええ」
 麗香はうなずいて、一昨日、三人を自分の部屋に呼んで、カプセルを開けたことを告げた。ちなみにカプセルは、あの由利のアパートに保管されていたのだ。
 由佳からの、麗香、美子、香に宛てた手紙には、たった一つしか年が違わないのに、なんでもできる姉に対して、自分がコンプレックスを抱いていることと、十年後にはきっとそれを克服して、素敵な女性になってみせるという、決意表明のようなことが書かれていたという。
「じゃあ……」
「ええ。……自分のしたことを由佳が気づいて、手紙に書いたかもっていうのは、本当に全部、由利さんの思い違いだったのよ。昔由佳が、由利さんを不倫のことで問い詰めたのも、後輩に『美人なのに恋人を連れて来ないのは、不倫しているからじゃないか』ってからかわれて、つい心配になったんだと言ってたわ」
 思わず目を見張る閑に、麗香はうなずいて言った。
「由利さんにはそれ……」
「由佳が言ったけど、信じなかったらしいから、私が昨日、面会に行って、私宛の実物を見せてやったわ。彼女、本気で驚いてたわよ」
 言って麗香は、暗い顔で溜息をつく。
「彼女と話して、人間に道を誤らせる一番大きなものは、自分自身の思い込みかもしれないって思ったわよ」
「たしかにね」
 薄く笑ってうなずくと、彼はそろそろ帰ると告げて、踵を返した。
「差し入れありがとう。また寄ってちょうだい。今度は、心霊写真の一枚でも、持って来てくれるとありがたいわ」
 後ろから、冗談混じりの麗香の声が追いかけて来る。
「気をつけておくよ」
 笑って返して閑は、編集部を後にした。
 ビルの外に出て、初夏の日射しの降り注ぐ、真っ青な空をふり仰ぐ。
(とりあえず、疑心暗鬼に陥りそうになったら、こうやって空を見てみることだね。そしたらきっと、物事の違う側面も見えて来るだろうに)
 ふと胸に呟いてみるものの、由利はすでに十年前、殺意の闇に捕らわれてしまっていたのだと思い出し、彼は一つ吐息をついた。
 光だけを見詰めて歩くのもまぶしすぎるが、闇だけ見詰めて歩けば、きっと道に迷う。何事も、大切なのはバランスなのかもしれない。そう思うと共に、時に驚くほど単純明快な友を思い出し、彼は苦笑しながら歩き出した。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【6370 /也沢閑(なりさわ・しずか) /男性 /24歳 /俳優兼ファッションモデル】
【6375 /染藤朔実(せんどう・さくみ) /男性 /19歳 /ストリートダンサー(兼フリーター)】

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■         ライター通信          ■
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●也沢閑さま
はじめまして。参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
さて、今回は友人ということで、
染藤朔実さまと二人で行動していただくことになりました。
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。