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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


『ZERO HOUR』



■Prologue

「とんでもないことに巻き込まれたな…」
 広大な屋敷の外を包囲する無数の黒服。草間の手にはリボルバーが握られ、その隣では金髪碧眼の少年が不安そうにしている。草間は窓から顔を出さないようにして言った。
「IO2の連中が突入してくるまで、まだ少し時間はある…。フィリップの奴がこの子の冤罪を証明するまでここで耐えるぞ…」
 どうして自分たちがIO2に包囲されねばならないのか。順を追えばこういうことになる。
 クリスは数十メートルの瞬間移動が出来る能力者だが、哀れにも『虚無の境界』が起こした爆破テロの実行犯と間違われた。IO2のフィリップという捜査官が冤罪の証拠を固めようとしたのだが、先んじて抹殺命令が下ってしまう。そこで草間に、冤罪が承認されるまで彼を匿ってくれと依頼が来た。
 初め、全ては順調に進んでいた。フィリップは証拠を固め、承認はもう数時間後と迫った時、草間たちが隠れていた屋敷の所在がばれ、包囲を受けたというわけだ。
「冤罪は確実視されてるとは言え、IO2の連中は融通が利かないのが多い。攻撃中止の命令が実際に届くまで、全力で攻めかかってくると思ったほうがいい」
 若干、蒼ざめた顔で草間が言う。今、外を囲んでいるだけなのは、中にいる『一味』を倒すための突入準備をしているからにすぎない。包囲は完璧。脱出の余地はない。
「この屋敷にはすでに連中の手で、能力が制限される結界が掛かってるんだとさ。と言うわけで、クリスはテレポートを封じられて何も出来ない。俺たちが、どうにかしなくちゃな」
 蒼い顔で震える、大人しそうな少年の頭を撫でて、草間は無理に笑って見せた。
「安心しろ。俺とこいつらで、必ず護ってやる…」

 あと数時間だ…。草間はそう言って、銃を握り締めた。



■Fellowship

 草間にとって唯一の救いだったのは、彼以外に四人の仲間がクリスの護衛についていてくれていたことだろう。彼としては誰も巻き込みたく無かったに違いないがこうなっては多いに越したことは無い。
 黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)はカーテン越しに窓の外を眺めていた目を引き戻し、草間にそれを向けた。
「なあ、草間。皆殺しにしていいか?」
 先日から読んでいる本を静かにめくりつつ問う。黒いスーツの内側に秘めた殺しの本能が静かに覚醒を始めているのを感じる。心が凍るように冷えついていき、冷静を通り越して冷酷さが顔を覗かせる。草間は静かに首を振った。
「阿呆。あくまで防戦だ。連中を殺すのは出来る限り控えてくれ」
「相手は殺す気で来ている、殺されるも覚悟の上だと思うが。証拠は血一滴残さんぞ」
 その響きに躊躇はない。自分は影を操る特殊能力者。その昔、この能力を用いて何人もの人間を始末してきた経験がある。冥月は、自分ならばそれが出来ることを知っている。
「冥月さん、あなたはとびきり優秀な特殊能力者だけど、今回は結界も張ってあるわ。一人で全てを相手にするのは無理よ」
 怯えるクリスを抱きしめながら、シュライン・エマが言う。草間が特殊能力者を多く招聘した中で、彼女は珍しいほど完璧な一般人だ。しかし長い間、興信所の事務員として働いてくれた経験と実績は、今回の逃避行に大きな役目を果たしてくれた。
「能力は一部屋に限定されるそうだし…。それに、私たちは冤罪よ。IO2が悪いとは言え、無用に殺傷すれば軋轢を残すことになるわ。それに、向こうもむきになってくる。出来る限り控えないと」
 その言葉に、クリスが同意を示した。優しい性分の彼は、自分を狙っている連中でも、死を見たくはないらしい。こういった状況でもシュラインが冷静でいてくれるのは救いだったが、草間の気は重いだろう。彼女こそ、荒事に巻き込みたくない人間の代表格だっただろうに。
 冥月はため息と共に舌を打った。
「全く…包囲され始めた時に一人致命傷にでもしておけば後数時間は稼げたんだ。防戦は敵のやる気を煽る一番の愚策だ」
「冥月さん、何を不安がっていらっしゃるの?」
 シスターの修道服に身を包んだ、落ち着いた貴婦人を思わせる女性…隠岐・智恵美(おき・ちえみ)が優しげな微笑を湛えながら、自分の脇に来ていた。
「…不安?そんなものは…――」
「失礼ながら、言葉の端に、心ざわつくものを感じさせるの」
 彼女に穏やかに諭されて、自身が凍てついた心とは別なところで不安を抱えているのを察した。以前の感覚、以前の心、忘れかけていた死と血の臭い…――
「ああ…出会ったころのお前に戻ってるぞ」
 草間がそう言って、自分の頬をつねった。
「殺すな。依頼主の注文だ」
 彼はそういって笑みを浮かべ、クリスと自分を指した。一瞬、ぽかんとしたのち、いつも通りにそれを笑い飛ばす。
「うるさい。…まあ、依頼主の命令では仕方ないな」
 智恵美が自分ににっこりと微笑み返す。何故だか不安は消えていて、冥月は思わず彼女から目を逸らした。この女性には妙におおらかなものを感じて、自分の一面を悟られたような気がするのが気恥ずかしい。
 …しかし、何らかの能力者なのか?この落ち着きようはなんだ?
「あら、お転婆さんが帰っていらっしゃったみたい」
 自分の勘繰りに気付かなかったのか、そのふりをしたのか、そう言って彼女はドアに目を向けた。聞けば、確かにパタパタと廊下を走る音が聞こえてくる。
 勢いよくドアが開いて最後の仲間が顔を出した。かぐや姫カットされた黒髪を可愛らしく揺らして、赤羽根・灯(あかばね・あかり)が入ってくる。
「見てきたけど、屋敷の裏側も全部包囲されちゃってるみたい」
 包囲網に怯えると言うよりも、学校に遅刻しそうで慌てているといった雰囲気の彼女に、思わず噴出しそうになる。シュラインが彼女に向き直って、言った。
「まあ、予想はしてたことだけどね。脱出の余地はなし…か。クリスくんもいるんじゃね」
「もう、草間さんてば、こんなことに巻き込まれるなんて聞いて無かったよ!」
 彼女が特殊能力者であるのは皆知っている。朱雀の巫女と呼ばれる退魔師の一族で、炎を操る強力な能力の持ち主だ。それゆえか、腰に手を当ててぶーたれる姿からは、余裕が感じられる。とは言え、彼女はまだ十六。子供を戦闘に巻き込んでしまったことに負い目を感じてもいるのだろう。草間は沈んだ声でそれに応えた。
「…すまない」
「え…?あ、いや…ほら、前の件で私、草間さんに迷惑掛けちゃったし!それにクリス君だって放っておけないし…そ、そんな本気で謝らないでよ」
 草間が本気で沈むとは思っていなかったのか、灯が慌てて取り繕う。智恵美が苦笑しながら草間に、そしてシュラインの手の中で怯えているクリスに向けて言った。
「心配しなくても大丈夫ですよ。みんなでどうにかしましょう」
「ええ。沈んでたってしょうがないわ、武彦さん。突入までまだ時間があると思うし、出来ることをしましょう」
「うん!こうなったらもうやれるだけやるしかないよね!」
「小僧も安心するといい。ここには意外に頼れる連中が揃っているからな」
 冥月の言葉に、少年は小さく頷いて「ありがとう…」とだけ答えた。



■Prelude

 智恵美は草間を除いた全員に、突入までに出来る限り行っておくべきことを指示していた。草間が抜けているのは、予想よりも早くIO2が動いた場合に備えて、誰かが見張りをする必要があるためだ。
 …隠岐さん、指揮は俺よりあんたが取った方がいいだろう。冥月は指揮官ってガラじゃないし、灯はまだ子供だ。シュラインだって戦争が出来るわけじゃないしな。
 そう言って、彼は自らその役目を自分に譲ったのだ。自分としても指揮官は柄ではないが、そうも言っていられない。草間が自分に指揮を任せたのを見て、冥月や灯などはぽかんと口を開けてしまったが。
 智恵美は苦笑したが、それでも異論を差し挟む者が出なかった。この段階ではむしろ、得体の知れない修道女のおばさんよりも草間の決定が信頼されているということなのだろうけれど。
「IO2が突入してくるとすれば、下水道、正面玄関、裏口、あとは一階と二階の窓でしょう」
「隠岐さん、質問!」
 学校の授業を受けているかのように、灯が手を上げる。微笑ましくて、こちらまで明るい気分にさせてくれる子だ。尤も、そういった気分になることは、この状況で良くも悪くも働きかねないのだが。智恵美は静かに「なあに?」と答えた。
「二階の窓ってどうやって入ってくるの?結構高いし、無理があると思うんだけど…」
「簡単ですよ。例えば、ヘリコプターを飛ばして一度屋根に降りてから、ロープで入ってくるという手があるでしょう?」
「IO2だったらはしご車や清掃車を持ってきて、窓に足場を掛けてくることも出来るわね。まあ、時間が掛かる作業だから、こちらの可能性は薄いけど」
「そもそもどこかに梯子があるかも知れないな」
 シュライン、冥月が説明を補填する。灯は疑問を解消されて満足すると共に、不満の表情もまた浮かべた。
「うー…それじゃあ結局、どこからでも入ってこられちゃうなぁ…」
「彼らは分散して異なる場所から少人数ずつ突入してくるつもりでしょう。恐らく主力を正面玄関…これは五、六名でしょう。そして二、三名ずつのチームが、各所から主力の後方を固めるために分散して入ってくるものと推測できますね」
「一人一人が散って、全部を押さえるのは無理ね…。冥月さんや灯ちゃんの能力も、今回は広範囲に使うことは出来ないし…結界のせいで、能力の効果範囲は一部屋に限定されているんでしょ?」
「それでも主力を押さえるくらいは一人で出来る。正面には私が回ろう。扉に影を展開させれば、侵入は不可能に出来る」
 智恵美は、それとなく冥月に目を向けた。虚勢ではない。彼女の目には確信がある。
「わかりました。正面は冥月さんにお任せします。それから灯さん」
 灯が頷く。特殊な能力の持ち主であるとは言え、まだ幼いこの子を単独のユニットとして用いるのは気がひける。だが、贅沢は言えない。この状況下では、彼女も重要な戦力だ。
「私とシュラインさんは屋敷の中に罠やバリケードを作って侵入者に対応します。あなたには地下の下水道に回って欲しいのだけど…」
「うん!任せて!」
 彼女の元気のよさに、危うさを通り越して安堵を覚えたのか、シュラインが微苦笑を浮かべた。
「出来れば入り口を塞いじゃって、敵が入ってこられないようにしちゃってくれる?戦うのは、もしもの場合だけでいいわ」
「そうね…朱雀の力を人に使ったりしたら、お母さん怒るだろうし…」
「ずいぶん庶民的な不安だな…。まあ、そのくらいがちょうどいいんだろうが」
 智恵美のみならず、仲間全員が思わず吹き出してしまうところだった。この緊張感のなさは、むしろ喜ぶべきことなのかもしれない。肩に無駄に力を入れるよりはずっとマシだ。
「さあ…それでは皆さん、持ち場に向かいましょう。くれぐれも自分が死んでしまうなどということのないようにね…」
 最後に釘を刺し、仲間たちが頷くに任せて、智恵美は行動開始を宣言した。



■Suspicion

「隠岐さん、一つ考えを伺っておきたいのだけれど…」
 仲間がそれぞれの持ち場に分散していく中、シュラインは廊下で智恵美を呼び止めた。彼女が何者か、という疑問は脇においておけばいい。的確な指示といい、彼女は信用できる。それは先ほど確信した。
「何か?」
 シュラインが彼女を呼び止めたのは、穏やかな顔つきに自分と同じ疑念の影を忍ばせているのを感じたからだった。考えたくない疑念。だが、一考には価するものだ。
「IO2がいくらテロリストの逮捕だと意気込んでると言っても、こんな強硬手段に出るなんて何だか妙じゃありません…?」
 智恵美は俄かに足を止め…一瞬だけ憂いを帯びた表情を見せた。もしかすると彼女は、IO2と何らかの関わりがあるのだろうか?
「その懸念は…私も持っています」
「指揮系統の中に敵対者がいる可能性もあるんじゃないかしら?」
「考えたくはないことですが…可能性はあります」
「虚無の境界のスパイか何かの侵入を許したとか?」
 智恵美は首を振った。
「クリス君を狙う理由がありません。彼くらいの能力者なら、あそこにはいくらでもいます」
 それもそうだ。しかし、そうなると予想がつかない。
「あくまで予想ですが…それよりもっと、低俗な敵意が背後にある気がします」
「低俗な敵意?何か予想が?」
 しかし、智恵美はそれ以上話さなかった。確信を得ない以上、無責任な憶測を吐くわけには行かないということだろう。
「…今わかっていることは、彼らがことを急ごうとしていることだけです。必要以上にね」



■Intercept

「全チーム、配置に付きました」
 現場指揮官は参謀の報告に頷いたが、あまり乗り気にはなれなかった。クリスという少年以外にも何人かの仲間がいるようだが、具体的に何者なのか定かではない。中に誰がいるのかわからぬ状態で、突入するというのは気持ちが良いものではない。
 指揮官は衛星電話を手に取り、支部の会議室でのうのうとしているのであろう捜査本部長を呼び出した。参謀の報告をそのまま伝え、攻撃準備が整ったことを知らせる。
『いいだろう。直ちに攻撃を開始せよ。敵の生死を問う必要は無い』
 野太く、無機質な声が返ってきた。この声はいつ聞いても好きになれない。他人の命など、虫けらと同じにしか見ていない人間の声だ。
「重ねてお尋ねしますが、あの中にいる連中に危険度の高い者はいないのですね?」
『部下からはいないという報告を受けた』
 …部下?そんな報告をしたのは誰だ?もっと調べて、準備を整えてからの方が良いと思うのだが、早く突入させたくてうずうずしてる奴でもいるのだろうか?
「テロリストの少年はわかるとして、他には誰があの中にいるんです?具体的には」
『護衛か世話役だろう。危険なテロリストが合流したという報告は受けていない。それに我々は常に危険と隣り合わせの仕事に従事しているのだよ。お前の腕の見せ所だ。失敗は許されないぞ』
 通信は一方的に切られた。
 …『我々』が危険と隣り合わせだと?お前はいつも会議室の中でふんぞり返っているだけではないか。
 だが今まで彼の決断に逆らって行動した現場の者は、ろくな目にあった例がない。彼は巧みに上層部に取り入っており、自分の失敗を部下の失敗にすり返る技術に長けているともっぱらの噂だ。今回の件でも、しくじれば自分の責任にされるかも知れない。
 まあいい…危険な能力者がいないのならば、十分に片をつけられるだろう。
「攻撃を開始せよ」
 指揮官は陰鬱な気持ちを抱えながら、無線機にそう呟いた。



「こ、この…!」
 運良く罠を設置していない窓から突入してきたらしい二人組の捜査員が携帯しているのは、サイレンサー付きのオートマチックだった。玄関で聞こえたのがショットガンの銃声だったことを考えると、この二人組は主力の援護のために配されたユニットだ。
 片手に銃を持ち肘を曲げて体の正面に向けて構えるあの姿勢は、CIAエージェントが得意とするものだ。そこからも、彼らが戦闘力としてIO2に配属された人間ではないことが窺える。本来は捜査方面に真価を発揮する者たちなのだろう。

 狭い屋内での瞬間勝負ならば、拳銃は非常に有利な武器になり得ますが…

 智恵美が廊下で彼らが走ってくる音を聞き、曲がり角で襲い掛かったのが数秒前。一人にすぐさま崩し技を掛けて床に叩きつけ、手首を押さえて二人目の拳銃を絡め取ったところで、冒頭のセリフが彼の口から漏れたというわけだ。
 すぐさま彼は銃を拾うことを諦め、スタイルを切り替えてきた。悪くない動きだ。鋭く膝蹴りを繰り出してきて、こちらが引き下がるとそれに合わせて殴りかかってくる。が、智恵美は突き出された拳を顔の横に滑らせながら、背中で彼を受け止めて背負い投げに流し込んだ。激しく床に叩きつけられて、彼が伸びる。
 気配を感じて振り返ると、先ほど崩した一人目が、拳銃を拾い上げたところだった。膝立ちの姿勢で銃を持ち上げようとする彼の懐に飛び込み、手首を取って引き込みながら首元に手刀を打ち込む。銃弾は壁にめり込むだけに終わり、一人目も鈍い呻きを上げながら床に倒れ込んだ。
「…無手での攻撃も、使い方によっては拳銃以上の効果を上げるものですよ」
 言いながら息を整え修道服の汚れを掃う。二人は伸びきっているので、聞こえてはいなかっただろうが、体で思い知ったことだろう。
 耳を澄ませば、正面玄関から激しく聞こえていたビームガンの雷音も静まり、屋敷に静寂が戻りつつある。冥月が負けるとは思えないし、上からも地下からも増員が来ないところを見ると灯もシュラインらも今のところは首尾よく防衛をしてのけているようだ。
「さて、少し失礼しますね」
 一応断って、倒した連中の装備から無線機を抜き取る。スイッチを入れてみると、混乱した声が流れ聞こえてくる。
『こちらベータ2。ベータ1、応答せよ』
『こち…イプシロン、地下にて…炎…能力者…』
『こちらアルファ1、正面玄関前にて超常能力者を発見…アルファチームは壊滅…』

 皆さん、大体上手い具合にいってらっしゃるみたいね…。

 次に智恵美は全く別に気になっていることを確かめるために、つまみを弄った。前線から司令部に通信する際の秘匿周波数は、この番号だったはずだが…長い時間が経って変更されたのか、その周波数からは空電しか聞こえてこなかった。
 困ったわね…。ちょうど、適当な人がいらっしゃったことだし、聞いてみようかしら。
「動くな」
 後頭部に突きつけられた銃口と、撃鉄が引き起こされる音を聞きながら、智恵美はそう思った。

 捜査官は倒れている二人を見て、この修道服の女が油断のならない相手であることを悟った。ちょうどここに来るまでの廊下で、ワイン壜の破片が足元に突き刺さる罠に引っかかって、相棒がリタイアしたところだ。あの罠も、この女の仕掛けたものかもしれない。
 しかし、それならばすぐに撃ってしまえばよかったのに、どうして俺はわざわざ近づいて、この女に銃口を突きつけてるんだ?
 我ながら、狂気の沙汰だと思いながら、しかしどうしても尋ねてみたいことがあるゆえに、彼は引き金を引けなかった。女は無線機を持ったまま、動かずに背中を向けている。
「ゆっくりと立ち上がって、両手を挙げろ。いいな、ゆっくりだ」
 そういいながら、じりじりと下がる。回し蹴りでも喰らって銃が弾き飛ばされたりしたら洒落にならない。この位置ならば彼女の体格では届かないだろう。彼女は言われたとおりにした。
「聞きたいことがある」
 緊張の滲む声で、彼は言った。
「奇遇ですね、私もあるんです」
 穏やかな声。まるで子供をあやす母親のような声色だが、油断はしなかった。
「そうか。だがまずはこちらから聞かせてもらおう…お前らは何者だ?」
 彼女は質問の意味が良くわからないとでも言うように、首を捻った。
「どこでもかしこでも、仲間がやられてる。情報ではクリスとかいうテロリストの小僧と、その取り巻きが数人いると聞いただけだ。お前たちは超常能力者なのか?」
「クリス君はただの善良な男の子ですよ」
 彼女は質問の答えになっているのかいないのかわからないことを答えた。強引な手法で捜査を行う上司が招いた結果として、あの少年は冤罪なのではないかという想いを抱いていたのは確かだ。しかし、こんな連中に囲まれているとなると、むしろそっちの考えに疑問が湧いてくる。
「そちらこそ、この中に誰がいるのかわからないまま突入していらっしゃったんですか?」
「お前らのような化け物がいるとは聞いてなかった」
 ふむ…と、彼女はもう一度首を捻った。どうにもわからない、という仕草で。
「この捜査の指揮を執ったお人は誰でしょう?知ってますか?」
「…無論、知ってるが、答える必要はないな。お前が知るべきなのは、ともかくバスターズの連中がお前を封印するまで、ここで身じろぎせずに待っていなくちゃいけないってことだけだ」
「あら…それは残念ね…さっき、通信を聞いてしまったのですけれど、バスターズの方は誰もここには到達できなかったようですよ」
 なんだと?全滅?馬鹿な。慌てて捜査官は胸元に手をやった。しまった。無線機は相棒の装備品だ。と、まごついていると、彼女が手に掲げている無線機が目に入った。
「それを地面に置け。ゆっくりだ」
「あら、よろしいの?ずっと持ったまま腕を上げていると疲れちゃうものだから…お心遣い、ありがたいわ」
「いいから置け」
 彼女はゆっくりと右手を下ろそうとして…パッと無線機を手放した。瞬間、狙いをつけていた彼女の後頭部がふっと地面に吸い込まれるように下がり、捜査官が銃を撃つよりも早く、蹴り飛ばされた無線機が顔面を打った。
 鼻血を出して後退しつつ、銃を乱射する。顔を戻した時には、ほとんど時間など経っていないはずなのに、彼女は目の前にいた。向けようとした銃を捻られて、指に鈍い音が走る。激痛に呻くよりも先に、顎の下に衝撃を感じて、捜査官は目の前が暗くなるのを感じた。

「…中に誰がいるのかも正確にわかっていないまま突入を掛けるなんて…」
 気を失った捜査官の前で、智恵美は顎に手を当てていた。
 色々と、何かおかしい。自分は誤った捜査をしてしまった誰かが、ミスが発覚するのを恐れて、関係者の口を塞ごうとしているのではないかと睨んでいたのだが…。それにしても、この突入には準備が無さ過ぎる。
 包囲までの手際は見事だったのに、それから後が妙ね。おかげで、こちらは助かっているけれど…。
 智恵美は壊してしまった無線機を眺めて、別な手を用いるべきだったかと一瞬、考えた。まあいい。もうすぐわかることだろう。



■Cease−Fire

 突入から、数十分が経過した。
「何で、お前がここにいるんだ、フィリップ?」
 現場指揮官は、呆然としながら同僚を見詰め、手渡された紙切れを見詰めた。今日は色々と起こりすぎて、もう何が起こっても驚かないと思っていたが、これには驚いた。全指揮権をフィリップ捜査官に委譲?こいつはただのヒラだぞ?
「いいから、まずは屋敷から仲間を撤退させてくれ。全員だ。攻撃は中止」
 フィリップは一時騒然としていた屋敷を指差した。
「もうやった。とっくに」
 茫然自失の状態で、指揮官はそれを伝えた。
「それにしてはこの辺りに数が少ないな?」
「二十人近く戻ってきていないからな…」
 突入するまでは万事が上手く行っていたのに、その後は悲惨だった。無線機からは仲間の悲鳴や援軍要請しか聞こえなくなり、パニックと困惑が現場を覆いつくした。指揮官が全面退却を命じたときには、包囲網を形作っていた仲間たちの多くが戻ってこなかった。
 フィリップは苦笑いを浮かべた。
「そうか。まあ多分、死人は出てないだろう」
「一体、何が起こったんだ?現場にはさっぱり何も伝わらん。お前は何か知ってるのか?」
「あそこに篭ってる連中に話し終わったら、聞かせてやるよ」



■Epirogue

 草間興信所に戻った面々は、フィリップ捜査官からの謝罪と報告を聞いていた。クリス少年の冤罪は証明され、IO2は正式に皆に謝罪と賠償を行うとのことだった。
「でも、一体どうしてこんなことになったわけ?」
 灯が漏らした素朴な疑問は、みんなそれぞれ胸に秘めている。フィリップが苦笑しながら言った。
「すまないな。身内にちょっとネジの飛んだ奴がいてね…俺の上司だったんだが、強引な捜査で知られた男でな。手柄に妙に執着してる奴だった。そいつが今回の捜査指揮を執ってたんだが…」
「解決できなかったか、もしくは手っ取り早く解決するために、適当な能力者に罪を擦り付けて、手柄にしようとした…ってところかしら?」
 シュラインが言う。フィリップは彼女を指差すと「ご名答」と言った。
「え?じゃあ、クリス君を危険なテロリストに仕立て上げておいて、殺しちゃって口封じしようとしたってこと…?」
 申し訳なさそうに、フィリップがうな垂れる。
「うわ…酷い話…」
「まあ、あんたがたのおかげで逮捕できたがね」
 ソファの上で手足を組んだ冥月が呟く。
「どこの組織も大きくなりすぎるとどこかが腐るな…。だがそいつが指揮を執っていたにしても、今回はずいぶん強引だったな。中に誰がいるのかもわかっていないみたいだったが、準備も出来ていない状態で飛び込んで来るほど焦っていたのか、そいつは?」
「いや、それがな…色々と申し訳ないんだが…」
 智恵美が静かにお茶を啜りながら、フィリップを見詰めた。
「あなたの差し金でしょう?フィリップさん」
 智恵美の言葉に驚愕して、全員がフィリップを見る。彼が突入を促した?何故?
「責めているんじゃありませんよ。あなたは、私たちが見付かったことを知って、その上司さんに私たちについての偽の情報を流し、即時突入を促した。準備万端の状態で踏み込ませたら、被害はどちらにとっても悲惨なものになる…。だからでしょう?」
「まあ、そうだ…すまないなぁ…。俺も、仲間が死ぬのは見たくないしな…あんたたちなら手加減してくれるだろうと思って、奴を急がせたのよ。味方のふりして、情報を掴ませてな」
「ひどーい!おかげで私、痛い目見たんだからね!準備が整うまで勝手にさせておけば、突入される前に冤罪が証明されたかもしれないじゃない!」
 フィリップは申し訳なさげに、同時に目の端に若干の嫌味を込めて、言った。
「もし先に準備が整ってたら、念入りな奴のことだ。鬼鮫だのヴィルトカッツェだのがわんさと投入されてたかも知れない。そう聞いても、急がせなかった方がいいって思うかい?」
「あ、いや…それは勘弁願いたい…かな」
 皆で苦笑しあった後、フィリップは真面目な顔に戻った。
「だが実際、死人は一人も出さずに凌いでくれたな。本当、感謝する。あんたがたじゃなきゃ、無理だったろう。クリス坊やも礼を言ってたぜ」
「あの子は今、どうしてるの?武彦さんがどこかに連れて行ってたみたいだけど」
「一応、病院にな。検査入院だけだが…みんなで見舞いにでも行くかい?」
「あ、それ賛成!あの時は色々と忙しくて、まともにお話も出来なかったもの」
「良いですね。お菓子でも持っていってあげましょうか」
「暇だしな。全員、影で移動させてやる」
 フィリップの提案に全員一致で賛成して行った病院…
 そこでそれぞれが返り討ちにしてのけた捜査員たちまでがわんさと入院しているところに鉢合わせして、非常に気まずい想いをすることになるのは、この数時間後の話である。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2390/隠岐・智恵美(おき・ちえみ)/女/46歳/教会のシスター】
【2778/黒・冥月(へい・みんゆぇ)/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【5251/赤羽根・灯(あかばね・あかり)/女/16歳/女子高生&朱雀の巫女】


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■         ライター通信          ■
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 智恵美様、初めての依頼参加、まことにありがとうございました。

 今回の話は戦闘描写に比重を置いたため、それぞれのアクションを重視して描写してみました。智恵美様には『無手』でのアクションを最も重視して戦っていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
 智恵美様はキャラクターの綺麗で柔和な外見と、能力のギャップが非常に面白みのある人物で、書いていて非常に愉しかったです。特に素手でのアクションを描写できる人というのは、東京怪談では珍しい方なので、素敵な体験をさせていただきました。

 気に入っていただけましたら幸いです。それでは、また別の依頼で会えますことを、心よりお待ち申し上げております。