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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶の迷宮 1

 ある日のこと。仕事の帰り道、草間武彦は、こちらも取材の帰りらしい碇麗香と偶然出会った。挨拶だけで素通りしなければならないほど、忙しくもなかったので、なんとなく立ち話をして、その別れ際のことだ。
「そうだ。これ」
 麗香は、バッグの中から何かのチケットのようなものを差し出した。
「なんだ? これ」
 草間はそれを見やって、尋ねる。
「今、東京湾の沖合いに、人工島を造ってテーマパークが建設されているでしょう? それの開幕前夜のイベント用の入場チケットよ」
「ああ……。そういえば、あれって、白王社が経営に加わってるんだっけ」
 麗香の答えに、草間は新聞やテレビで見た大掛かりなCMを思い出し、うなずいた。
「開幕前夜のイベントって、何やるんだ?」
「ミステリーツアーみたいなものらしいわよ。……テーマパーク全体を使って、与えられたヒントを頼りに宝探しとか、推理ドラマ仕立てで犯人探しとか、そういう感じね」
 問われて麗香は言うと、実は自分もよく知らないのだと、笑って付け加えた。ただ、会社の方から、イベントチケットを配るように言われているらしい。
 麗香は、彼にチケットを二枚押し付けると言った。
「一枚で三人まで入れるから、他にも人を誘って来てちょうだい。……もし、もっと必要だったら、言ってくれればまた渡すわ」
「へいへい」
 草間は適当に答えて、とりあえず、押し付けられたチケットを手に、事務所への道をたどった。

+ + +

 数日後。
 草間武彦は、零と友人たちを連れて、東京湾の沖に浮ぶ人工島へと向かった。
 そして――。
「ここは……どこだ? 俺は……俺の名前……タケヒコ……それが、俺の名前? だが……」
 草間は、思わず呆然として呟く。その地で気づいた時、彼は名前以外の全ての記憶を失っていたのだ。その脳裏を貫くように、一つの声が木霊する。
『キングを倒せ』
「キング? キングって誰だ?」
 草間は思わず顔をしかめ、尋ねた。だが、それへの答えは返らない。ただ、同じ言葉が繰り返されるだけだ。彼は思わず、顔をゆがめて、頭を押さえた。
 ほどなく声は止み、彼は静寂の中に取り残される。ようやくおちついてあたりを見回すと、そこは森の中のようだった。昼間なのか、明るい。彼はとりあえず、人の姿を求めて、歩き出した。





【1】
 草間興信所にテレビを見に行って、草間から件のチケットをもらったシオン・レ・ハイは、上機嫌だった。彼にとってなにより嬉しいのは、タダでものをもらえることだ。
 当日は、残り少ない金で、おやつのバナナと菓子を買ってリュックに詰め、すっかり遠足気分で集合場所の興信所へと向かった。リュックには、他に落書き帳も入っている。テーマパークがオープンする前のイベントなのだから、取材して記事にすれば売れるかもしれないと思ったのだ。
 それなのに。目覚めた時彼は、自分の名前以外、全ての記憶を失っていた。
 なぜここにいるのか、自分はどこに住んでいてどうやって生きていた人間なのか、何一つ覚えていないのだ。
 倒れていたのは、どこかの森の中だった。うっそうとした木々が生い茂る中に、ぽっかりと広場のようになった場所の真ん中に、ころがっていたのだ。
『キングを倒せ!』
 突然頭に響き渡った声が去ると、彼は小さくかぶりをふって、必死に自分のことを思い出そうとした。だが、やはり何も思い出せない。
(私……ぼけてしまったのでしょうか……)
 軽いショックを受けたものの、彼は気を取り直して、持ち物を調べてみることにした。もしかしたら、記憶を取り戻すきっかけになるものが、何かあるかもしれない。
 まずは、自分の衣類を調べてみる。下はジーンズで、上は派手な半袖シャツだった。ジーンズのポケットに、チケットの半券のようなものが入っているのを見つける。
(なんでしょうか、これは)
 首をかしげて眺めてみたものの、日付はかすれて読み取れず、「キングアイランド・特別入場券」と書かれた文字が見えるだけだ。しばらく眺めて、結局彼はそれを、ポケットへと戻した。
 次に、傍にころがるリュックの中身を調べる。そこに入っていたのは、「落書き帳」と表紙に書かれたB5サイズの分厚いレポート用紙のようなものと、鉛筆、箸、ハンカチ、それにバナナが一束と菓子が何種類かだけだった。
 それらをあたりに広げて、彼は思わず溜息をつく。
(これでは、手掛かりになりませんね……)
 その時だった。
「あの……このあたりの方ですか?」
 おずおずと、少し離れたところからこちらへ声をかけて来る少女がいた。中学生か、高校生ぐらいだろうか。黒い髪を長く伸ばし、デニムの七分丈のパンツに半袖のブラウス姿で、背中には小さなリュックを背負っている。
「いえ、違いますけど……」
 シオンは、どう答えていいものか悩みながら、とりあえずかぶりをふった。
「そうですか……。すみません。このあたりの方なら、ここがどこかもわかるかもしれないと思ったものですから……」
 少女は、明らかにがっかりした様子で、肩を落す。
「ええっと……迷子、ですか?」
「え? ええ……まあ……」
 思わず尋ねると、少女は曖昧にうなずいた。そうして初めて気づいたように、地面に広げられている彼の所持品を見やる。
 その視線に、シオンは慌ててそれらをリュックへかたずけ始めた。
「遠足にいらしたんですか?」
 かたずけるのに夢中のシオンは、少女にそう尋ねられたのにも気づかなかった。
 所持品をリュックに戻してしまうと、彼はようやく顔を上げる。そして、少女がじっとこちらを見やっているのに気づいて言った。
「……ええっと、すみません。荷物を点検していたもので。私は、シオンといいます。シオン・レ・ハイ。でもそれ以外のことは、何も覚えていなくて……」
 ようやく、せっかく人に会えたのだから、自分の状況を説明して協力を求めるべきだという考えが湧いたのだ。
 途端に、少女が軽く目を見張って叫ぶ。
「え? おじさんもなんですか? 私も、名前以外は何も覚えていなくて……」
「え? お嬢さんもですか?」
 シオンも目を丸くして声を上げ、そのまま二人はしばし見詰め合った。ややあって、シオンは尋ねる。
「あ……。お嬢さんも名前だけは、覚えているんですね」
「はい。私は草間零です」
 少女が、うなずいて答えた。シオンは、小さく眉をしかめる。その名前には、なんだか聞き覚えがあるような気がしたのだ。
 そこへふいに、新たな声がかけられた。
「こんにちわ。……私はシュライン・エマといいます。悪いけど、さっきからそこの木の陰で、二人の話を聞かせてもらっていたの。私も、あんたたちと似たような状況なのよ。ここがどこなのかもわからないし……あたりを探索するつもりなら、私もご一緒させてもらえないかしら」
 にこやかに言って、二人に近づいて来たのは、すらりと長身の女性だった。年齢は二十代半ばというところか。長い黒髪を後ろで一つにまとめて束ね、ワインレッドのパンツスーツに、ショルダーバッグを提げている。切れ長の青い目と白い肌をした美女だ。
 シオンは驚いて、零と顔を見合わせた。やがてシオンが口を開く。
「それはかまいませんが……人数は多い方がいいですし。あの……もしかして、シュラインさんも、聞いたんですか? 『キングを倒せ』って声を」
「ええ」
 念のために尋ねた彼に、シュラインはうなずくと共に、軽く目を見張った。
「じゃあ、あんたたちも?」
「私は聞きました」
 言ってシオンは、尋ねるように零を見やる。こちらも、黙ってうなずいた。
 それを見やってシュラインは、難しい顔で考え込む。おそらく、これがどういうことなのかを、考えているのだろう。
 シオンも最初はこの不思議なメッセージや、自分の記憶のことを考えていたのだが、次第にそれは別の方向へと逸れて行き始めた。
(昔の記憶がないということは……今の記憶だって、なくなる可能性があるかもしれないってことですよね。たとえば、この零さんとシュラインさんのことも、少ししたら忘れてしまって、顔も名前もわからなくなってしまうとか……。でも、それだと、せっかくこうして協力しようということになったのに、また最初からやり直しになってしまいますよね。何か、いい方法は……)
 そんなことを考えていて、彼はふと彼女たちの顔と名前を記録しておく方法を思いついた。
「そうか。そうですね!」
 嬉しさのあまり、思わず鋭い声を上げる。
「ど、どうしたの?」
「何か、思い出したんですか?」
 シュラインと零が、驚いたように声をかけて来た。
 二人の勢いに驚いて、シオンも目をぱちくりさせながら、慌ててかぶりをふる。
「い、いえ、違います。……もしかしたら、今こうしてお二人と会ったことも、顔や名前も、全て忘れてしまうかもしれないし、どうしたらいいのかなあと考えていて、とてもいい方法を思いついたものですから」
 言って彼は、零とシュラインが脱力するのにも気づかず、再びリュックの中をかき回して、そこから落書き帳と鉛筆を取り出した。そして、草の上に腰を降ろすと、表紙をめくってそこに、似顔絵を描き始める。
 まずは、零だ。一見して特徴的なのは、その大きな目だった。そこで彼は、丸く顔の輪郭を描いた中に、その半分を占めるほど大きな目を二つ描き、小さな鼻と口を描き込んだ。
 特徴はよく捉えているが、似ているかと言われれば、かなり微妙なところだ。
 零とシュラインが左右から覗き込んでいるのにも気づかず、彼はせっせと鉛筆を動かし、その似顔絵を完成させる。その後、名前も忘れないように、絵の下に「くさま れい」と大書した。ひらがななのは、どんな漢字を書くのか、わからないためだ。頭の中で「草間零」という字がちらりと浮んだが、それで正しいかどうか自信がなかったので、間違いのないひらがなにした。
 一枚めくって、今度はシュラインを描く。卵型の輪郭の中に、これもかなり特徴的な吊り上がった切れ長の目を描き、鼻や口を描き足して行く。これまた、特徴は捉えられているものの、当人からは微妙に遠ざかった似顔絵だった。
 しかしシオンは満足して、描き上がるとその下に、これも名前を大書する。
 描き終わると彼は、ようやくそれらをリュックに戻して、待っていてくれたらしい零とシュラインを見やった。
「お待たせしました。これでもう大丈夫です。……それで、どちらの方向へ行ってみましょうか?」
「そうね。まずは、この森を出て、高い所を探してみるのはどうかしら。周辺を一望できれば、人家のある場所とかもわかると思うし」
 言ってシュラインが、自分が来たのとは反対方向へ行ってみようと提案する。途中、ティッシュを細く裂いて、目印として木の枝に結びつけながら来たと言う彼女に、シオンは目を輝かせてうなずいた。
「それはいいですね。目印があれば、一度通った場所に出れば、すぐにわかります」
 こうしてシオンは、この二人と共に、森の出口を探すことになったのである。

【2】
 出口を探して森を進む途中で、シオンたち三人は、法条風槻(のりなが ふつき)とササキビ・クミノ、それにタケヒコと名乗る男女と出会った。
 風槻は、二十代半ばというところだろうか。長い黒髪と緑の目をした、明るい雰囲気の女性だった。半袖Tシャツの上にジャンパースカートを着て、下はジーンズとスニーカーというなりだ。腰にウエストポーチを巻いている。
 対してクミノは、中学生ぐらいだろう。小柄で背が低く、長い黒髪は二つに分けてそれぞれ束ねており、妙に制服めいたスカートと半袖のブラウスという姿だった。体に斜めに、小さなポシェットを提げている。
 一方、タケヒコは三十前後というところか。短い黒髪に黒い目の、長身の男だった。夏物らしいブルーグレーのズボンとそろいのジャケットに、柄物の半袖シャツという恰好は、あまり堅気の人間には見えなかった。
 もっとも、この三人もシオンたち同様、名前以外の記憶を失っていて、自分がどんなことをして生きて来た人間なのかを、まったく覚えていないという。また、この森の中で意識を取り戻したおりに、「キングを倒せ」という声が頭の中に響いたというところも同じだ。
 それで結局、彼らはこの三人も加えて、六人で森を行くことになった。とはいっても、今は少し休憩を取ろうと、それぞれが木の根方に腰を降ろしたところだ。
 シオンは、さっそく新しく出会った三人の分も、似顔絵と名前をメモしておこうと、落書き帳と鉛筆をリュックから取り出した。それへシュラインが、声をひそめて訊いて来る。
「こうしていると、なんだか懐かしい気持ちにならない? 殊に、あのタケヒコさんって人に……」
「さあ……」
 シオンは特別何も感じていなかったので、思わず首をかしげる。すると彼女は、幾分落胆したような顔をして、「ならいいの。ありがとう」と言った。
(記憶をなくす前に、知り合いだったとか、友人だったとかいう人間が、いるのかもしれませんね)
 同じことを零にも尋ねているらしい彼女を見やって、シオンはぼんやりと胸に呟く。が、すぐに気づいて彼は、落書き帳を広げた。
 似顔絵を描き始めた彼は、それに夢中で、他の者たちが話していることを、ほとんど聞いていなかった。なので、クミノがチケットの半券や、携帯電話に登録されたシュラインや零の名前に言及しているのも、それを聞いて彼女たちが慌てて自分の携帯を調べ始めたのも、ほとんど意識していなかった。もっとも、調べたくても彼は、携帯電話を持っていないのだが。
 なので、似顔絵を描き終えて、落書き帳をリュックにかたずけたシオンは、ふと顔を上げて、きょとんとした。他の五人は、それぞれ手にチケットの半券のようなものを持ち、互いに見せ合っている。が、すぐに彼も自分が同じものを持っていたことに、気づいた。慌てて、ジーンズのポケットから、半券をつまみ出す。
「なんていうか、嫌な感じだな。……たぶん俺たちは、何かの催しだとかなんとか言って騙されてチケットを渡され、ここで記憶を抜かれて放り出されたんだ」
 それを見やって言ったのは、タケヒコだ。
「そういうことみたいね。そして、記憶を取り戻す鍵は、声が言っていた『キング』なんじゃない?」
 風槻が、肩をすくめて言う。
「でも、キングってなんなの? 人? それとも、もの?」
 シュラインが、思わずというように尋ねた。
「さあね。……なんにしろ、今は情報が少なすぎるわ。とにかく、この森を出て、そのキングに関する情報を手に入れる必要はあるわね」
 また風槻が、肩をすくめて返す。それを聞いて、シオンは軽く挙手すると提案した。
「えーっと、周辺の地図とかあったら、便利じゃないですか?」
「そうだな。地図があれば、動くのもずいぶん楽になる。……ただ、そう都合良く行くかどうかだな」
 うなずきつつも、難しい顔でタケヒコが言った。
 なんにしろ、森を出なければ始まらない。シオンたちは立ち上がり、再び森の出口を求めて、歩き出した。

【3】
 どうにか森を出たシオンたちは、とりあえず小さな川に沿って作られたアスファルトの道をたどることにした。本当は、高い所に登ってあたりを一望すれば、様子がわかるだろうと誰もが考えたのだが、遠くの方に小高い丘が二つ並んでいるのが見えるばかりで、あとはさほど高い場所も建物も、この付近にはないようなのだ。
「いっそ、森の中で木に登ってみればよかったかもね」
 風槻が言ったが、太陽はかなり西に傾いており、誰も再び森に戻りたいとは思わなかったので、それは聞き流された。風槻も言ってみただけなのだろう。それ以上のことは口にしなかった。
 ただ、川が流れているということは、その周辺に人家がある可能性も高い。
 そんなわけで、彼らはその道を歩き出した。
 途中で休息を取りながら、それでも二時間近く歩き続けただろうか。川の向こうに、木々に隠れるようにして、白い館が建っているのが見え始めた。
「家があるなら、人もいるわね」
 シュラインが、ホッとしたように言うのを聞いて、シオンは思わずあたりを見やる。空はすでに、夕暮れに包まれ始めており、今夜の寝床がそろそろ心配になって来る頃合だ。が、もし人がいるなら、その館に泊めてもらえるだろう。
 館の数メートル手前に橋があったので、それを使って彼らは向こう岸へ渡る。近づいて行くと、館の周囲は木々に囲まれ、うっそうとして不気味な様相を呈していた。シオンたちは、なんとなく顔を見合わせる。
 館の入り口には鉄の門があり、その向こうには庭が広がっていた。そしてその先に、小さなポーチのある玄関が見える。しかし、門はすっかり錆びてしまっており、庭も草が伸び放題で、一見して人が住んでいる気配はない。
「空き家……かしら」
 思わず眉をひそめて呟くシュラインに、風槻がうなずく。
「そうみたいね。……それにしても、なんだかホラー映画の舞台みたいね」
「庭の手入れが面倒で、放置してあるだけかもしれませんよ?」
 軽く目をしばたたいて、シオンが言った。
「どうだろうな。まあいい。行ってみようぜ」
 タケヒコが苦笑して言うと、鉄の門に手をかけた。門は、錆びてはいるが、鍵などはかかっていなかったようだ。きしみながらも、大きく開く。タケヒコは、その中へと先に立って入って行った。シオンたちも、その後に続く。
 荒れ放題の庭を横切って、彼らは玄関ポーチへ足を踏み入れた。再びタケヒコが扉に手をかける。ここも、鍵はかかっていなかった。
「ごめんください。誰かいませんか?」
 中を覗き込むようにして、タケヒコが声をかける。しかし、しばらく待ってもなんの応答もなかった。
「やっぱり、空き家だな」
 タケヒコが、小さく肩をすくめて結論する。
「何か情報が得られるかと思ったけど、がっかりね。でもまあ、今夜の宿はこれで確保できたんじゃない?」
 風槻が、どこか外人ぽい仕草で両手を広げてみせた。
「そうね。……それに、空き家でも、中を調べてみれば何か手掛かりになるものがあるかも」
 うなずいて言ったのは、シュラインだ。彼女は、続けて尋ねた。
「とりあえず、中へ入ってみない?」
「そうだな」
 タケヒコがうなずき、先頭に立って中へと踏み込んだ。
 中に入ってみると、玄関は吹き抜けの天井のある広いエントランスホールになっていた。夕暮れ時のせいか、そこはずいぶんと薄暗い。タケヒコが、ポケットからライターを取り出して明かりがわりにしようとした時だ。クミノが、どこから取り出したのか、大型の懐中電灯をつけた。
「クミノ……。おまえ、そんなものどこに持ってたんだ?」
 驚いて問うタケヒコに、彼女は手元を見下ろして、呟くように答える。
「最初に目覚めた時、空中からいろいろ妙なものが湧いて出て来たのでな。明かりが欲しいと願えば、何か出て来るかもしれんと考えたのだが……これが出て来た」
「出て来たって……」
 絶句するタケヒコを尻目に、シオンは感嘆の声を上げた。
「すごいですね。もしかして、超能力とかそういうのですか?」
「さあな。自分にもわからない。……なにしろ、記憶がないからな」
 ぼそりと返すクミノに、「あ、そうでしたね」とシオンはすぐに納得してうなずく。
 ともかく、これで館の中を探索するのも、かなり楽になった。
 エントランスホールはずいぶん広く、部屋の隅には壺が飾られたり、ソファが置かれたりしている。壁には何枚か風景画が掛かっていた。右手奥に上へと続く階段があり、その下に扉があった。階段の横に、電灯のスイッチらしいものがある。タケヒコが、それを捻った。だが、電気が来ていないのか、それとも配線に故障でもあるのか、四方の壁に取り付けられた照明器具はまったく反応しない。
 どうやら、クミノがどこからか出した懐中電灯でがまんするしかないようだ。
 そこで彼らは、その奥の扉の向こうをまず見てみることにした。
 扉の向こうは、広い廊下が続いており、突き当たりで左に折れ曲がる形のそれに沿って、左右に三つずつ、合計六つの部屋が並んでいた。右手――つまり北側の三つの部屋は、どうやら寝室のようで、セミダブルのベッドが一つと、小さなテーブルに椅子が二脚、あとはクローゼットがあるだけの、同じ作りのものだった。なんとなく、ホテルのシングルルームを思わせる。
 反対側は、一番手前が居間で、真ん中が遊戯室、一番奥は食堂で、その奥には厨房もついていた。どの部屋も、長らく使われた形跡がなく、床や照明器具などには、薄く埃が積もっていた。
 二階は全体が大きな広間になっており、その周りを囲むように廊下が走っている。広い厨房が別になっている他は、がらんとして何もない部屋だ。
 だが、そこの厨房で未使用の蝋燭と燭台を見つけたので、改めて、手分けして屋敷の中をもう少し詳しく調べてみることになった。シオンが零と共に割り当てられたのは、一階の北側に並ぶ部屋だ。
 一番手前の部屋から、もう一度中を見て回る。念のため、クローゼットの中はもちろんのこと、ベッドやテーブル、椅子の下などを丹念に調べたが、ただ埃と蜘蛛の巣を見るばかりだった。
 真ん中の部屋も同じで、二人はとうとう一番奥の部屋へとやって来た。
「シオンさん、あれなんでしょう」
 部屋に入るなり、零がベッドの枕元を示す。ベッドの頭の部分には、時計や文庫本などを置けるぐらいの、小さなサイドボードが取り付けられており、その上に、ノートか本のようなものがあるのが見えたのだ。
 シオンは、そちらへ歩み寄ると、それを手に取った。文庫本サイズの冊子だ。表紙をめくってみれば、どうやら詩集らしい。
「詩集みたいです」
 零に言って、シオンは手にしていた燭台をサイドボードの上に置くと、改めてページをめくろうとして気づいた。途中に、しおりが挟まっているのだ。彼はそこを開けた。
「これは……!」
 中の文面を見て、思わず声を上げる。怪訝な顔で、零もこちらへ歩み寄って来た。シオンはそれへ、自分の見たページを示す。
 そこにはこんな文章があった。
『この地に外から来たりし者は、キングに記憶を奪われ、いずれこの地の者となる。己が記憶を取り戻す方法は、ただ一つ。キングを倒せ。それ以外にすべはなし』
 それは、詩と言われればそうも取れるが、なんとなく彼らに対するメッセージのようでもある。
「これ……まるで、私たちに向けて書かれているかのようです」
 零が、その文章を読み下して、呟くように言った。
「やっぱり、零さんもそう思いましたか? 私も、なんだかそんな気がします」
 うなずいてからシオンは、慌てて手の中の落書き帳に、鉛筆で詩集が置かれていた様子を描くと、その文章を書き写した。そして言う。
「文章はメモしましたから、これはまた、元の所に戻しておきましょう。なんとなく、動かさない方がいい気がします」
「そうですね」
 零も少し考えて、うなずいた。

【4】
 その後、改めて室内を見て回ったものの、詩集以外は何も手掛かりになりそうなものはなく、シオンと零は集合場所であるエントランスホールへと向かった。
 だが、ホールにはまだ誰も来ていない。
「この玄関も、ずいぶんと広いですね」
 零が、小さく呟くように言って、あたりを蝋燭の明かりで照らしながら、見回した。
「そうですね。でも、ここに住んでいた人は、どうされたんでしょうね。家具だけじゃなく、シーツとか布団とかまで残してあるなんて……。もし幽霊とかがいたりしても、私ならこんな広い所へ住めるならがまんしますけれど」
 シオンもなんとなくあたりを見回しながら、言った。記憶を失ってはいても、本来の貧乏性は変わっていないらしい。
「でも、お掃除とかは、大変そうです」
 それへ零が、小さく笑って返した。
「こんな所に住んでいたらきっと、タバコの灰を撒き散らすって、お兄さん、しょっちゅう叱られていそうで……!」
 言いかけて、零は驚いたように言葉を途切れさせ、目を見張る。
「何か、思い出したんですか?」
 シオンも、目をしばたたかせて尋ねた。
「あ……いえ、わかりません」
 しばし硬直していた零は、ほどなくかぶりをふって、答える。
「ただ、今一瞬、誰かが誰かに叱られている姿が頭の中に浮んで来て、その叱られている方が、私の『お兄さん』だって……」
 零の言葉が小さく口の中へ消えた時、階段を降りて来る足音が聞こえた。シオンがふり返ると、タケヒコとクミノが降りて来たところだった。
「何か、収穫はありましたか?」
 シオンは言って、そちらへ歩み寄る。
「ああ。何やら意味ありげな文章を見つけた」
 うなずいて返すと、タケヒコはホールを見回した。
「後の二人はまだ来てないのか。シュラインと、風槻だっけ」
「ええ、まだみたいです」
 うなずきつつシオンは、同意を求めるつもりで零をふり返り、少し驚く。彼女はなぜか、目を丸くしてその場に凍りついたように佇み、タケヒコを見据えていたのだ。
「零さん、どうかしましたか?」
 シオンは、思わず声をかける。だが、零は答えない。どうしたのだろうと彼が気を揉んでいると、タケヒコがまた話し掛けて来た。
「そっちは、何かあったか?」
「え? はい」
 慌ててうなずき、シオンは詩集の中の文章について告げた。
 それを聞いて、タケヒコとクミノは顔を見合わせる。そして彼らも、大広間の壁の絵の裏に、キングについて書かれた文章を発見したと告げた。そこには、キングはこの地の王であり、全ての記憶と時間を操る存在だと書かれていたという。
 そこへ、シュラインと風槻も姿を現した。
 それを見やって、タケヒコが口を開く。
「キングっていうのは、どうやら人間らしいな」
 そして、先程交換した情報を、改めてシュラインと風槻の二人に話した。
 ちなみに、彼女たちは一階の南側の部屋を担当していた。
 彼の話に、シュラインがバッグから地図を取り出した。それは、居間の書棚に詰め込まれた本の中に隠されていたのだという。
 広げられたそれは、地図といっても至って大雑把なものだ。まるで子供の落書きのようにいびつな線で描かれた島の中に、森や川、丘と共に集落や道らしいものが書き込まれている。だが、森の位置やそこから伸びる道と川、そして島の中心にある二つの丘の配置が、彼らがこれまでたどって来た道のりや見たものと、まったく同じだ。
「なんだか作為的よね、これ。あたしたち、誰かに踊らされているってことじゃないかしら」
 地図を見詰めるシオンたちに、風槻が言った。
「たしかに、何かゲームでもやらされているみたいですよね。……でも、こうなったらこの地図を頼りに、そのキングの消息を求めて行ってみるしかないんじゃないでしょうか」
 それへシオンは返す。
「ああ。私もそう思う。……それよりも、私が気になるのは、キングについての情報が全体的に妙に抽象的なところだ」
 うなずいて言ったのは、クミノだ。
「キングが人間なのはわかったが、男なのか女なのか、若いのか年寄りかは、まったくわからないままだし、どこにいるのかも不明だ」
「それは……この先へ進めば、情報が得られるんじゃないでしょうか」
 シオンは、小さく首をかしげて返した。
「だって、ロールプレイングゲームとかだと、だいたいそうですし……。この地図が本物なら、先へ進めば集落もあるみたいですし、きっとそこで情報が得られるようになっているんですよ」
 そして彼は、おずおずと続ける。
「ところでみなさん、お腹空きませんか?」
 実は、ほかでもない彼自身が、さっきから空腹で目が回りそうなのだ。しかも空腹は、どういうわけか、彼の中にみじめな気分を湧き出させ、少し辛くなる。まるで、頭のどこかに何日も食べられなくて、ひもじい思いをした記憶が、かすかにこびりついているかのようだ。
「あ……」
 言われてタケヒコたちは、顔を見合わせる。どうやら皆、似たような状況だったようだ。
「言われてみればそうね。ずっと歩いていたし……お腹がぺこぺこだわ」
「私も、喉が乾きました」
 半ば苦笑して言うシュラインに、零もうなずく。
「じゃあ、ちょっとここで休憩して、食事にしませんか? 私、バナナとかお菓子とか持ってますし」
 言ってみてよかったと、ホッとしながらシオンは提案した。
「私も、お菓子を持ってます。それに、水筒の中にコーヒーが」
 零が横から、慌てたように言う。
 そこで彼らは、ホールの床に腰を降ろして、食事にすることにした。床は埃まみれだったので、シオンはリュックの中にあったハンカチを敷いて、腰を下ろす。
 彼の持っていたバナナは、ちょうど一人一本ずつあった。菓子もクッキーや一口大のパウンドケーキなどの類だったので、食事がわりにはちょうどいい。それに、零が持参していたのも、小さな紙のカップに入ったマドレーヌとチョコレート菓子だった。
 そうしてささやかな食事を終えると、彼らは二人ずつ別れて、一階北側の部屋を一つずつ使うことにした。ここで調べられることはもうなさそうだし、あとは眠って鋭気を養おうということになったのだ。
 女が四人に男が二人ということで、シオンは必然的にタケヒコと同じ部屋ということになる。割り当てられたのは、一番奥の部屋だ。
 行ってみると、詩集は彼らが部屋を出た時のまま、ベッドの枕元のサイドボードの上にあった。タケヒコは、それを手にして中をぱらぱらとめくって見ていたが、件の文章を読み下し、小さく顔をしかめる。
「なんだか、うさん臭いよな。全体的にさ」
 呟いて肩をすくめた後、彼はシオンをふり返った。
「ところで、どうする? このベッドに俺たち二人って、狭くないか?」
「そうですね」
 シオンはベッドと互いを見比べ、少し考え込む。タケヒコは細い方だが、それはあくまでも「男としては」という話だ。一方、シオン自身はがっしりした体格で、このセミダブルのベッドで二人で並ぶと、かなり狭苦しいだろうことが予想される。どうせ翌朝筋肉痛になるのならば、床に寝ても同じことだ。それになんとなく、自分は床や地面で眠ることに、慣れているような気もした。
「じゃあ、私は床で寝ますから、タケヒコさんはどうぞ、ベッドを使って下さい」
「いいのか?」
「ええ。……なんだか私、床や地面で寝るのに、慣れている気がしますから」
 問い返されてうなずき、彼はさっそくベッドの傍の床に、リュックを置いた。枕がわりにするつもりなのだ。
 それを見やってタケヒコが、ベッドの上から掛け布団とシーツを剥がした。
「表は埃だらけだが、裏返せば使えるだろう。これを敷けよ。埃まみれの所へ寝るより、マシだと思うぜ」
「あ、そうですね。ありがとうござます」
 シオンは素直にそれを受け取り、裏返して床へ敷く。たしかに彼の言うとおり、裏は比較的きれいだった。寒い季節でなかったのが、ありがたい。シオンはそのまま、その上にリュックを枕に横たわった。
 タケヒコも、ベッドに入る気配が伝わって来る。だが、それを確認することなく、シオンは眠りに落ちて行った――。



■ ■ ■

 シオンは、ハッと身を起こして、あたりを見回した。
 そこは、いつも彼がいる公園だ。
(私……今まで何をしていたんでしょうか……)
 一瞬、記憶がつながらず、彼は目をしばたたいた。
 彼は、公園の隅にあるベンチに腰を下ろしていて、膝の上には編みかけのサマーセーターが乗っている。あたりには、走り回る子供たちの賑やかな笑い声や、輪になって談笑している若い主婦らの姿が見えた。それは、彼にとってはいつもどおりの風景だ。
 どうやら彼は、降り注ぐ温かな日射しに、編物をしながらうたた寝してしまったようだった。それに気づいて彼は、苦笑する。
(お日様が気持ちよすぎて、眠ってしまったんですね。……眠気覚ましに、コーヒーでも買って来ましょうか)
 ポケットの中に、かろうじて缶コーヒーを買えるだけの金があるのを確認し、彼は編物を隣に置いた袋にかたずけ、立ち上がった。少し行った公園の入り口に、自動販売機がある。そこへ向かおうとして、彼はふと足を止めた。
(そういえば……さっきまで、何かおかしな夢を見ていたような……? 夢……? 本当に、そうでしょうか……?)
 ふっとその眉間にしわが寄せられ、彼の青い瞳が揺らぐ。何か、足元が砂のように崩れて沈んで行ってしまいそうな、奇妙な心もとなさがあった。
 今、自分がいる場所は、本当に現実なのだろうか。こちらが夢で、夢だと思っていたものの方が、現実なのではないか。
 ふいにそんな思いが胸に立ち昇って来て、彼は背筋に寒気を覚える。そのまま彼は、動けなくなったかのように、ただその場に立ち尽くしていた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /紳士きどりの内職人+高校生?+α】
【6235 /法条風槻(のりなが・ふつき) /女性 /25歳 /情報請負人】
【1166 /ササキビ・クミノ /女性 /13歳 /殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
さて、『記憶の迷宮』第1回目はいかがだったでしょうか。
何分、OMCで続きものをやらせていただくのは初めてのことで、
最後をそのまま終わらせていいのかどうか、少し悩みました。
それで、こんなふうに、作品自体が夢だったとも、ラストの部分の方が夢とも
取れる形にしてみました。
少しでも、楽しんでいただければ、幸いです。

●シオン・レ・ハイさま
いつも参加いただくと共に、楽しいプレイングをありがとうございます。
さて、今回はいかがだったでしょうか。
引き続き、参加いただければ、うれしいです。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。