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蒼天恋歌 3 穏やかなる幕間
レノアがあなたの家に匿われてからしばらくたった。これといって大きな事件もなく平和に過ぎ去る日々。
彼女は徐々に明るくなる。元からの性格がそうだったのだろうか。
美しい顔立ちが、明るくなった性格に相まってきて、どきりとする時がある。
其れだけに美しい女性である。
ある日のことだ。彼女は歌を歌っていた。ハミングを口ずさむ。
名前以外知らなかったはずなのだが、調べていくと、歌が好きだと言うことを思い出したという。気持ちよい歌。しかし、其れだけでは手がかりにならない。
また、ある日のこと。
「いつも、いつも、あなたにお世話になりっぱなしです。出来れば恩返しをさせてください」
と、申し出るレノア。
あなたは、申し出を断るかどうか?
「たまには外に出かけてみようか?」
と、あなたは言う。
うち解けてきた彼女は、にこりと笑って付いていく。まるで子犬のように。
色々探さなければならないことはある。しかし早急にするべきではなく、非日常から日常へ少し戻ることも……必要なのであった。
様々な彼女とのふれあいで、心惹かれ合い、そしてその日々を楽しいと感じることになるだろう。
〈恩返し:狼からの視点〉
夏が近く感じる。
蝉の声が聞こえてくると、そう感じさせる。買い物に出かけたときツバメが巣を作っていたらいつの間にか雛ができ、巣立っていく所まで、かなり時間が経ったようだ。
あの、夜に起こった出来事が嘘のような感じすらする。
しかし、其れは現実だし、やっと店を片づけた。今後どうすれば考えるが、手がかりがない以上なるようになるしかないだろう。
今、レノアが窓から空を見ている。
鼻歌を歌っているようだ。
「ラジオを聴いた歌じゃないな? 知っているのか?」
俺はそう尋ねる。
レノアは、首を振って、
「何となく、こんな歌を知っていた感じなんです」
「そうか? では、思い出したって事になるのか?」
「完全というわけではないですけど……。そうかもしれません。でも、歌が好きなのは、前からだったかも、と思っています」
レノアはにこりと微笑んだ。
それに、少しどきりとした。
不意打ちと言っても良い。
こんなに明るく笑えると、可愛い。
まてまて、と、心の中であるモノを振り払う。
この長い時間、レノアと居る。
それは、成り行きでもあるが……。
俺はその辺どう考えて居るんだろう……。俺は……。
ああ! そうだ! 穂乃香が心配している。
穂乃香は自分の家、「常花の館」に戻って居る。ずっと外にいれば、色々過保護どもがうるさいし……穂乃香の身の安全もあるので、帰らせた。あれからかなりの時間会っていない感じだ。どうしているだろう? 顔を出さないと拗ねそうだ。
レノアは笑うし、元気になってきた。ただ、外には余りでないようにしている。
色々、手がかりを探すのはあったが、大きな手がかりは全くつかめない。余り外に出ない理由として、俺が渋るのは、俺自身が人混みを嫌う事や、草間というおかしな探偵に良く出逢ってしまうという事もある……。レノアがとても1人で出歩けないほどの……方向音痴だったということだ。
ある日、夕飯を買い出しに行くときレノアも付いてきた。
一応俺も少しだけなら料理は作れるので、適当に買い物をして、帰ろうとしたときだ。
いつの間にかレノアが居ない。
「レノア? レノア?」
と、探してみた。
スーパーの店内放送がかかる。
「黒崎狼様 黒崎狼さま」
……嫌な予感がした。
それほど大きなスーパーじゃないのに、レノアは迷ってしまった。
俺がしっかり手をつないでいなかったことがいけなかったらしい……。夜のスーパーは人が多いからな……。面白いことに、俺と彼女の位置は対角線状になっていたらしい。つまり、俺がレノアを探している方向と逆方向に彼女が俺を捜していたことになる。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
泣きながらレノアは俺に抱きついた。
「いや、だから怒ってないから。だ、抱きつくな、な?」
と、困惑する俺。
ああ、店員に笑われている……恥ずかしい……。
この恥ずかしさは、まあ、複雑だが……うん。
なぜか、こういうときにふっと穂乃香が浮かぶ。
レノアが魅力的になってくれば来るほど、俺は穂乃香を想うことが多くなってきた……。これはどういう事だろう……。穂乃香はどうしているか、そう考えてしまった。穂乃香が心配になるし、レノアも心配になる。
こうして、少しトラブルもあるが、平穏な日々を過ごしているわけだ。
そして、今に至るのだけど……何かしら不安が頭をもたげる。
「あの、狼さん」
と、レノアが俺を呼んだ。
「?」
「こうして私、狼さんのお家にお世話になっています……できれば、恩返しをしたいんですが」
「恩返し? いや、俺は別にそんなのは良い」
「恩返しがしたいです……」
しょんぼりするレノア。
よほど、役に立ちたいんだろう……しかし、俺はこの“恩返し”が怖い。
今までは俺が全部やっていた。多分どうするか解らないからと言うことで、そんなに家の手伝いはさせていない。俺の第六感が告げていたのかもしれない。“危険だ”と。
今のレノアはとても役に立ちたいという想いと意志が見て取れる……。
そんな、子犬のようなウルウルした目で見るな……。
「恩返しってどうするんだ?」
と、訊いてみた。というか、訊いてしまった……。
「お掃除、お洗濯、お食事を作りたいです!」
レノアが言う。
ああ、ヤバイ。
俺はそれほど押しが強いわけではない……。このままでは何かヤバイ。トンでもないことになる。何故か解らないがそう思う。俺の第六感がそう告げる。
「あ、レノアはゆっくり記憶探しをすればいい。そこまでしなくても、レノアは迷惑かけてないぞ」
と、言いたいのだが、
レノアの目がウルウルしているので言えない。
しかし、ふと穂乃香のことが思い出される。
「よし、常花の館に行こう」
と、其れが精一杯の返答だった。
当然レノアは首をかしげる。いきなり場所を言うのだし、常花の館という言葉自体彼女には初耳。
「穂乃香の家だ。ほら、しばらく、会ってないだろ? 穂乃香に」
「あ、穂乃香さんに……はい♪」
レノアはとても明るい笑顔を見せる。
その笑顔は罪だ……。
俺の心の中に、ある種の葛藤が生まれているのだから……。
〈常花の館:穂乃香からの視点〉
紫陽花が蕾を膨らましています。
そろそろ夏なのですね。
わたくしは、このお花が一杯のお庭で日々を過ごしています。決まった時間に訪れる小鳥さんの囀りを聴いていました。世界のことは解りません。しかし、ここが一番平和であるかのように思います。
しかし、わたくしは、何か考えてしまいます。
そう、レノアお姉さんのこと。
家の人に心配をかけないと、戻ってきたのは良いのですが……。レノアお姉さんの姿に何かを感じずにいられません。綺麗な金色の髪、あのときに見た白い翼にとても暖かな光……まるで、本を読んだとき出てくる“天使さん”のようでした。とても、神々しく、綺麗……。本当にお姉さんはどんな刀のでしょうか? 色々調べてみたいのですが、私では其れが上手くできません。
いま、これといった問題はないようで、お姉さんも元気に暮らしているようですが、えっと、レノアお姉さんは、狼と一緒に暮らしてしばらく経っています。狼は意地悪しますけど、強いし、優しいから大丈夫なはずです。だから、レノアお姉さんも元気になっています。お姉さんが元気になる、其れは喜ばしい事と思います。でも、でも、どうしてか、胸の当たりがきゅうんと痛むのです。狼とレノアお姉さんが仲良くしているところを見ると……。
植物さん達が何か騒いでいます。
「あ、ごめんなさい。……え? 難しい顔をしていたのでしょうか?」
と、わたくしは植物さんに話しかけてみます。
みなさんは頷いています。当たりだったみたい。
どうしてなのでしょう?
なぜか、狼とレノアお姉さんが二人きりでいるというのが……辛いのです……。
そこで、電話が鳴りました。
「はい、橘です」
「俺だ、狼だ」
「狼♪ どうしたのです? 電話って珍しいです」
「今からレノアと共にそっちに行く。どうやら……なんていうか、『恩返し』をしたいらしい」
「恩返しですか?」
小首をかしげてしまいました。
私はそんなにお役に立っていないのですよ?
でも、お姉さんの望みなら喜んでなのです♪
狼が電話するなんて本当に珍しい。ひょっこり現れて、いつの間にか去っていくようなのに……。
そのときの、わたくしは、後で起こるドタバタを想像できませんでした……。
〈恩返し開始〉
常花の館に着いた狼とレノア。
その門は重く閉ざされており、特殊な異界であるように思われる。この館は来るモノを拒むことがあるのだ。
狼は呼び鈴のボタンを押す。
そうすると、ゆっくりと門が開いた。その振動は、何かを拒んでいる。俗世の空気や、負の感情などを……。
しかし、その中は様々な草花が咲き乱れるまさしく花園だった。レノアは感動しており、その場で固まっている。
「どうした?」
「あ、す、すごいきれいです」
中に入っていく。
「いらっしゃいませ。レノアお姉さん」
「穂乃香さん。お久しぶりです」
と、レノアは穂乃香に挨拶する。
二人がそろうとさらに美しい。お互いがお互いを引き立てているような気がする。
しかし、狼はある感情を抑えているために、そんなことは言えないし、言えるような性格じゃない。それよりも、レノアの恩返しについて恐ろしい事になるだろうという不安が、難しい顔にしている。
「どうしたの? 狼、難しい顔をして」
穂乃香が小首をかしげて、狼の顔を覗く。
「ん? いや、何でもない」
狼は首を横に振って、ぎこちない微笑みで返した。
穂乃香は先ほどの胸がきゅうっとなる痛みはなくなったが、自分も難しい顔をしていたので、余りとやかく言えない気分になる。最も、狼と彼女の悩みというのは別方向。正反対に向かっているわけだが。
「恩返しですか?」
「はい、何かしたいのです」
「えっと、どうしよう、狼。穂乃香はそんな恩返しされるほど何もしてないです」
穂乃香が狼を見る。
「なに、色々広いから掃除など大変……だと、思う、うん」
狼は、穂乃香に視線を合わさずに遠くを見て答えた。
どうしたんだろう? と穂乃香は思うのだが、深く考えないことに。
「では、お掃除しましょう」
穂乃香はぽんと手を叩いて言った。
別に問題はないはずだ。レノアの申し出を断るわけも行かないだろう。
そのあと、穂乃香は少し複雑な気持ちになることは知るよしもなかったが……。
箒とハタキを持って、口にはマスクをして完全装備したレノア。そして一生懸命に埃を取っていたり、物を片づけたりしているのだが、何故かいっこうに片づかない。それどころか、館に埋もれていた妙な物が発掘されたり足の踏み場が無くなったりと、もう大変な状態だった。
「えっと、これはどこにしまえばいいのでしょうか?」
と、レノアが尋ねるが。
「えっと、その。それは……どうしよう……狼」
考えてみれば穂乃香は自分の部屋以外は片づけたことがないので解らなくなる。館自身が色々やっているためでもあるが。
「それは食器類だから……こっちだろうな」
俺に訊くなと言う言葉を飲み込んで、さらには、どうして箒で掃くだけなのに、大掃除かお引っ越しレベルになるのだろうと首をかしげる狼なのであった。
さらには、気が付けば粗大ゴミや死蔵品の山かバリケードになっていく。しっかり片づけるようにしたはずなのに、どうして?
「狼……どうなっているのでしょうか?」
「いや、俺も解らん……一帯何がどうなって……」
首をかしげるだけの穂乃香と狼。
「あれ? お姉さんは?」
気が付けば、レノアが見あたらない。
「まさか!?」
狼は常花の館の本館がどれほど広いのか見当が付かない。穂乃香も全部知っているわけでもない。両親の部屋、執事や女中の部屋と食堂ぐらいだろう。あとは、どこからか拾ってきた妖怪達の住処だ。それ以外は多分迷宮扱い。洋館故に広くて迷うこともしばしばあるのだ。
「レノアどこだー!」
「青薔薇さん! お姉さんをさがして」
と、結局、狼は探し回るのであった。
「レノアー!」
「らんさーん」
声がする。
「レノア?」
「お、お姉さん! 大丈夫ですか?」
レノアが見つかったのは、その30分後。彼女は物の見事に迷い、途方に暮れてその場でしくしく泣いていたのだった。
「こ、こわかったです〜」
と、レノアが狼に抱きついた。
「いや、まあ、無事で何よりだ……っ」
いきなりなので、狼は驚いたが何とか頭を撫でて慰めている。
「狼……」
穂乃香はむすっとしていた。
「穂乃香……どうした?」
「何でもないの……。レノアお姉さんが見つかって良かったですの」
と、穂乃香は自分では笑っているつもりだが、狼からすると笑顔ではなく、どう見ても何か不満げの顔だった。
その後、狼だけで散らかった部屋を元に戻した。
予感的中。俺の居候先でこんな事されちゃあ、間違いなく恐ろしいことになる。ここの片づけだけで、済んだのだから良いか。と彼は思った。
――しかし、穂乃香は何故、機嫌悪くしたのだろう……ま、まさかな?
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
と、しょんぼりするレノア。
役に立ちたいどころか迷惑ばかりかけている。
「気にすることではないのです。お気持ちがとてもありがたかったのです。お姉さん」
「そ、そうだぞ。うん。気持ちが伝われば良いんだ」
穂乃香と、狼はレノアを慰めた。
「狼さん……」
と、レノアは狼の手を握り、じっと見ている。
狼は一瞬どきっとなった。
「ど、どうしたレノア?」
「本当にごめんなさい。でも、ありがとうございます」
と、レノアはとても明るい表情で笑った。
またどきりとする。
「あ、ああ、まあ、余り肩肘張らずにゆっくりすればいいと思うぞ……うん」
狼は、固まったまま答える。
穂乃香はその瞬間に、また胸が痛んだ。
やっぱり狼とレノアが仲良くしている事になにか、気になるのだろうか? しかし、彼女は未だ幼かった。その感情が何なのか解らなかった。
一方、狼としては、レノアのかわいらしさ、一生懸命さに惹かれ始めているが、やはり一番大事なのは橘穂乃香である。しかし、彼は哀しい力を持っているが為に、“その感情”は封印している。認めたくないのである。
レノアは、狼の手を離して、立ち上がった。
そのとき、穂乃香が、
「お姉さん。お姉さんの歌が聴きたいです」
と、言った。
「歌ですか?」
少し考えて。
「はい、喜んで」
と、レノアは笑った。
レノアは、少し深呼吸をしてから、ステージに上がるように軽くステップを踏み、狼と穂乃香の前で一礼する。そして、どこかの国の言葉なのか判らないが、綺麗な歌を歌い始めた。
その歌は、人の気持ちを和ませる。また、木々が喜んでいることがよくわかる。
狼も穂乃香も、口を開かずずっと聴いていた。
賛美歌かそれともどこかの民族音楽なのか、今聴いている歌がどのジャンルなのか知る事なんて野暮だ。そんなことは判らなくて良い。
ただ、レノアが歌うその歌と声、まさしく……、
“天使”であった……。
歌の意味は何となくわかる。しかし、人間の言葉に言い換えれば、その高貴さと純粋さを失われるのであろうかというものになる……。故に、言い表せない。
歌が終わると、二人は拍手する。外にいる木々も、賛美の声を出しているかのようだ。
「お姉さんすごいです! とても上手なのです!」
穂乃香は駆け寄って、レノアに抱きついた。
「とってもすばらしい恩返しですの」
と、微笑む。
「ありがとう、穂乃香さん」
「すごいな」
狼も、素直に感想を漏らした。
そして、今日という一日が終わる。
こういう平和な日々であればいいなと、狼と穂乃香は思うが、まだレノアについて判ったことは少ない。ただ、歌について……何か関係あるのだろうと、狼は思う。
結論として、このしばらくは難しいことを考えるのは止めよう……と、狼は思った。穂乃香もレノアととても仲が良いし、レノアが呪われた自分に懐いてくれるのも何となく心地良いのである。
「またな、穂乃香」
「はい、またですの」
「穂乃香さん、今度は一緒に散歩行きたいですね。お花とか教えてくださいね」
「はい、よろこんで」
と、狼とレノアは帰っていった。
少しだけ変わっているが平穏な日々。しかし、この先に何が待っているか……用心しなくてはならないが、少しだけでも、心の安らぎをレノアに与えたい、と狼も穂乃香も思うのであった。
4話に続く
■登場人物
【0405 橘・穂乃香 10 女 「常花の館」の主】
【1614 黒崎・狼 16 男 流浪の少年(『逸品堂』の居候)】
■ライター通信
こんにちは、滝照です。
『蒼天恋歌 3 穏やかなる幕間』に参加して頂きありがとうございます。
今回は平凡な日常を描くことになっていましたので、レノアのどじっ娘属性を演出できればと思いました。それにあたふたする狼君がかけて楽しかったです。また、狼君とレノアが仲良くしているところで、穂乃香さんがヤキモチを妬くというシーンがかけて良かったです。いかがでしたでしょうか?
4話からまたほのぼのから一変して、シリアスになります。様々な思惑に対してレノアを守っていけるのか? 3人のぎこちない関係は? という感じになります。
では、またの機会に……
滝照直樹
20060706
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