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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


七夕の夢 ☆願いの星☆



☆★☆


「笹の葉さーらさら〜♪」
「・・・お兄さん、何歌ってるんですか」
「何って、笹の葉の歌〜!」
「何ですか“笹の葉の歌”って!それ以前に、お兄さんが持ってるの、笹じゃありません!」
「えぇ〜!メグルってば、すっげー細かーい!」
「細かくないですよ!どうしてソレが笹に見えるんですか!」
「いーじゃん。草は草だよ」
「そんな極論な・・・」
 笹貝 メグルはそう言うと、深く溜息をついて額に手を当てた。
 そもそも、この・・・どこかネジが吹き飛んでしまっているらしい兄、鷺染 詠二の相手をまともにして、良かったためしなんて1回もない。
 ここは大人の精神で乗り切らなくてはならないのだが・・・
「で?今度は何やってるんです?」
「何って、看板書いてるの〜!“何でも屋・鷺染”っと・・・上出来じゃない!?」
「じゃない!?じゃないですよ!全然何書いてあるのか分からないです!お兄さん、自分が字が下手だってこと、そろそろ自覚した方が良いですよ!?」
「今日も何でも屋で一山稼ぐぜ!」
「一山って・・・お金取ったためしがないじゃないですか!」
「道行く人に声をかけ、マッチはいりませんかと・・・」
「違うでしょ!?全然話が違いますよ!!」
「ま、それは冗談として。道行く人に幸せを売る。それが何でも屋」
「・・・違うと思いますけれど・・・」
「七夕の今日は、特別大サービス!短冊に願い事を書けば無理のない範囲で叶えてあげます☆」
「もしかして、私の魔法も当てにされてます?」
「とーぜん!メグルがいないと、夢だった事に出来ないじゃーん」
「全て夢のせいにして逃げるんですか。交通事故だったならば当て逃げじゃないですか!」
「・・・え!?事故!?事故なのコレ?!俺は善意で・・・」
「はぁぁ・・・」
 メグルは盛大な溜息をつくと、カレンダーに視線を滑らせた―――


★☆★


 7月7日の七夕は、毎年よく雨が降る。
 梅雨も明けやらぬ頃なだけに、それは仕方のない事なのかもしれない。
 日本には四季があり、春から夏にかける間には梅雨がある。
 一雨ごとに暑くなって行く、その移りは緩やかだ。
 雨を鬱陶しく思う反面、夏の高く突き抜けるような空に憧れもする。
 暗雲が去れば、太陽までの距離は遠くなる。それなのに、陽の光だけは霞む春よりも一層強いものとなって地上に突き刺さるようになるのだ。
 桜の色を思わせる淡い春が過ぎれば、新緑の夏がやって来る。
 淡い色が煌びやかに染まる、その丁度真ん中に、七夕の日はあった。
 織姫と彦星が年に1度会うことを許された日。
 天の川を渡り、触れ合える距離まで近づける・・・そんな日であるにも拘わらず、雨は決して2人を祝福してはくれない。
 槻島 綾は、暗雲立ち込める空を見上げて心配そうに眉根を寄せた。
 恋人に会いたいと思う気持ちは、天上だろうと地上だろうと、如何ほどの差異があるのだろうか?
 考え込む綾の背中に、突然ドンと言う鈍い音が響いて衝撃が走った。
「いったたた・・・・・」
 どこかで聞いたことのある少年の声と、その直ぐ後に
「もう!ちゃんと前を向いて歩いてください!」
 同じくどこかで聞いたことのある少女の声。
「あの、お怪我はありませんでしたか?」
 驚いて固まった綾の目の前に、銀色の長い髪を風に靡かせながら見知った少女が歩み出た。
「「あっ・・・」」
 声は綺麗に合わさり、驚いたように口を半開きにした少女がすぐに柔らかい笑顔を取り戻す。
「確か、葡萄園でお会いした・・・」
「あ!!綾さんだー!!」
 背後から詠二がエイとばかりに綾に飛びつく。
 ・・・いつ見ても元気な人だ・・・
「その節は有難うございました」
「いえ。素敵な時間を過ごせたのならば、何よりです」
 メグルがそう言って小さく微笑み・・・その傍らでは、詠二がゴソゴソと手に持った袋を漁っている。
「ねぇ、綾さん、綾さん!」
「何でしょう?」
「今日ってさ、七夕でしょ?だから・・・はい、コレ!」
 袋の中から引っ張り出したのは、鮮やかな色のついた1枚の細長い紙だった。
 紙の上部には小さな丸い穴が開いており、そこには白い糸が結ばれている。
 短冊だ・・・・・・・・
「コレはね、凄いんだよ!書いた願い事がなんでも叶っちゃうんだ!」
「お兄さん・・・短冊とはそう言うものですから」
 短冊に託す願いは、叶うと言う前提で書き記すものだろう。
 勿論、本当に叶うか叶わないか・・・それはあまり問題ではない。
 叶わなかったとしても、そう言うものだという諦めにも似た気持ちで消化できる。叶った場合は、それこそ天からの贈り物だと言う事なのだろう。
「ペンもあるから!はい」
 満面の笑みでペンを渡され、綾は少し考えた後で綺麗な文字で願い事を書き記した。
 “織姫と彦星が結婚式を挙げられますように”
「・・・へ?」
 ポカンとした表情の詠二が、短冊と綾の顔を交互に見比べる。
「これが願い事?」
「えぇ。おかしいですか?」
「・・・だってさ、普通願い事って自分になにか見返りがある事を書かない?」
「そうですか?」
「そうだよ。お金持ちになりたいとかさ、主に自分主体で・・・たまに、おじいさんが元気になりますようにとかも書くけどさ、それにしたって自分の身近な事しか書かなくない?」
「けれど、俺の願い事はコレなんです」
 きっぱりとした口調でそう言って、綾は詠二に短冊を手渡した。
 腕に巻きついている時計に視線を落とすと、時は着々と刻まれている。
「どなたかとお約束でも?」
「・・・えぇ」
 メグルの言葉に頷き、少し考えた後で「あぁ」と声を上げる。
「お2人とも、瞳子さんには・・・」
「あ、瞳子さんですか?」
 高い、はしゃいだようなメグルの声が街中に響き、通り過ぎていく人々の視線を集める。
「素敵ですね、七夕にデートなんて。これから待ち合わせですか?」
「えぇ」
「それじゃぁ、早く行ってあげてください。願い事は、私とお兄さんが責任を持って・・・天に、届けますから」
 にっこりと、甘い笑みを浮かべるメグル。
 “天に届ける”とは、なかなか詩的な表現をする。
 普通ならば、笹に結んでおきますからとでも言うだろうに・・・。
「宜しくお願いしますね」
 綾はそうとだけ言うと、再び時計に視線を落とし急ぎ足でその場を離れた―――――


☆★☆


 重厚でいて繊細な旋律が暗い室内に響く。
 しかしそれは観賞を妨害するほどの大きさではなく、ほんのBGM程度にかかっているものだった。
 星と星が細い光の線でつながれ、散りばめられた光の粒の中から取り出されると、その下に大きく名前が出る。
 オリオン座、ふたご座、大犬座、獅子座、おとめ座・・・
 光の線が繋ぐ星座は空から切り離され、鮮やかなイラストになって画面いっぱいに広がる。
 親切な解説は美しい女性の声で、聞き取りやすいものだった。
 プラネタリウムの中で、綾は隣に座る千住 瞳子の顔を暫しチラリと見詰めた。
 目を輝かせながら上空を仰ぐ瞳子の目には、明るい星の輝きが映りこんでいた・・・。

 プラネタリウムの入った施設の中で軽い夕食を済ませると、綾と瞳子は郊外へと向かう高速に乗った。
 時折すれ違うトラックのヘッドライトが、プラネタリウムの話に花を咲かせる瞳子の顔半分を明るく映し出す。
 何の音楽もかけていない車内で、瞳子が小さな子供のようにはしゃぎながら話す内容は、いつしか星の話からクラシックの話へと移っていた。
 プラネタリウムの中でかかっていた曲の名前、その作曲者の他の曲名・・・
 そして、綾が目指す場所に着くほんの少し前にはエルガーの話へと移っていた。
 エルガーの愛の挨拶・・・あの、葡萄園の中に建っていたレストランが色鮮やかに思い出される。
 綾は、先ほど詠二とメグルに会った事を瞳子に話そうか、言葉を探した。
 きっと会ったと聞いたならば、瞳子は喜ぶだろう。
 ・・・しかし、綾が丁度良い言葉へとたどり着く前に、車は小高い丘の上で停車した。
 そこは市街地からもそれなりに離れた場所で、ネオンの輝きは淡くしか届かない。
 車のヘッドライトを消してしまえば漆黒の闇が辺りを覆ってしまうほどに、寂しい場所だった。
「綺麗・・・」
 瞳子がフロントガラスの向こう、輝く空を見詰めてポツリとそう洩らした。
「外に出ましょうか」
「はい」
 綾の呼びかけにコクリと頷くと、シートベルトを外して助手席の扉を開ける。
 初夏の匂いを含んだ風が、冷房の効いていた車内を生ぬるく撫ぜる。
 綾も瞳子と同じようにシートベルトを外し、少し考えてからエンジンをストップさせてキーを引き抜くと扉を開けた。
 途端に体に纏わりつく空気は湿った土の匂いを纏っており、どこかべたつく風は遠くの木々を揺らし、カサカサと小さな声をあげさせる。
 ・・・静かな場所だった・・・
 町の喧騒も、雑踏も、人の気配すらも、何もない場所だった。
 ただ、上空には淡い色をした月がぼんやりと浮かんでおり、その傍には大小様々な星が独自の瞬き方をしていた。
「昼間はあんなに曇っていたのに・・・晴れて良かったですね」
 瞳子が車から降りてきた綾にそう言って、控え目な笑顔を浮かべると上空を見上げた。
「えぇ、そうですね・・・。あれが天の川ですか?」
 綾が真っ直ぐに腕を伸ばした先、指先の向こうには1筋の星の流れが出来上がっていた。
 どちらが上流でどちらが下流なのかは分からないが、それでも・・・確かに星は流れているように見えた。
 あの川が、2人を分けている・・・天の川・・・
 先ほどプラネタリウムで見たばかりの星座を指でつなぎながら、2人は無意識のうちに手を繋いでいた。
 どこか遠くで、セミの鳴き声が聞こえる。
 随分と早い時期の鳴き声は途切れ途切れで、必死に仲間を探そうとしている・・・そんな感じがした。
 ギュっと、繋いだ手に力を込める。
 けれど、セミの鳴き声は返ってこない。闇の向こう、きっと・・・セミは1匹しかいないのだ。
 ・・・再びセミのか細い鳴き声がする。
 夜中遅く、鳴く・・・セミの声は酷く物悲しい。
「なんだか、恋しい人を呼んでいるみたいですね」
 瞳子がポツリとそう零し、夜の闇を見詰める。
「・・・織姫と、彦星を思い出しますね」
「そうですね・・・」
「天の恋人達も、無事に会えてると良いですね・・・」
「あのセミも、明日には仲間を見つけられれば良いですね」
 瞳子の切り返しはスマートだった。
 優しい彼女なりの言葉に、綾は困ったような笑顔を浮かべる。
 なんだか、1年に1回しか会うことを許されない織姫と彦星に、早く地上に出てきたばかりに仲間に会えないで鳴いているセミに、申し訳ない気がした。
 綾と瞳子は、きっと明日も明後日も・・・会うことは許されている。
 そして、1週間経っても・・・きっと、この広い空の下、電話1本で繋がる距離にいるだろう。
 明日には引き裂かれてしまう2人に、1週間後には儚い命を散らしてしまうであろうセミに、申し訳ない気がした。


★☆★


 随分長い時間をそこで過ごした後で、綾と瞳子は車へと戻った。
 星と月の優しい光に慣れてしまった目に、人工的な車のライトは痛かった。
 チカリと眩む目に、一瞬目を閉じ・・・・・・・

『・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 直ぐ耳元で、どこの言葉とも知れない不思議な呪文のような囁きが聞こえた。
 それはついこの間・・・それも遠くない記憶の中で聞いた声で・・・
 今日出会った、あの少女のものだ・・・!
 そう気がついた時には閉じた瞼の向こうで強い光がスパークした―――――


☆★☆


「・・・大丈夫ですか??」
「ほらほら!もう大丈夫だから目開けて!早くしないと時間が・・・」
 少女の声と少年の声。
 おっとりとした少女の声はこちらを心配しているような響を含んでおり、少年の声はまるでせかすように早口だった。
 恐る恐る、目を開ける。
 目の前にアップで迫る2つの顔。
 銀色の髪をした少女・メグルと紫色の瞳をした少年・詠二だった。
「やっと起きたー!もう瞳子さんは起きて準備してるんだよ!」
「・・・準備、ですか?」
 まだ覚醒していない頭の中で、それでも“準備”と言う単語に当てはまる事項は残念ながら見当たらない。
 何か準備をしなければならないことをしようとしていただろうか・・・?
「なに言ってるんですかー!綾さんが願ったんじゃないですかー!」
 詠二が唇を尖らせながら、綾の目の前に細長い紙を突きつける。
 ・・・短冊だ・・・
 そこには確かに綾の文字で“織姫と彦星が結婚式を挙げられますように”と書かれている。
 とすると、願い事が叶ったのだろうか・・・?
 キラキラと輝くそこは昼間のような明るさで、詠二とメグルの向こうには真っ白なクロスをかけられたテーブルがいくつも置かれている。
 テーブルの上には、クロスよりも白いお皿が並び、その上には美味しそうな料理が乗せられている。
 はっと耳を澄ませばどこからともなくピアノの旋律が聞こえてきていた。
 立ち上がるために地面に手をつき、ソレが地面の感触でないことに気付き視線を下げる。
 ふわふわとした、それでいて何にも触れていないかのような感触。それなのに、確かにそこにはナニカが敷き詰められており、綾もメグルも詠二も、落ちずにその上に乗っていた。
 白く、やけに頼りなさ気な地面は・・・真っ白な雲で出来ていた。
「雲・・・ですか・・・?」
「えぇ。この場所は、雲の上にあるんです。けれど、私達は実際に雲の上に乗っているわけではないんです」
 メグルが小さく笑いながらそう言って、そっと右手を左胸の前に持っていく。
「落ちるって、思ってはいけません。これを、嘘だって思ってもいけません。落ちない、それは・・・これが、全て夢だからなんです」
「夢・・・?」
「そうだよ、綾さん。これは一時の夢・・・それでも、願ったのは綾さん。それにね、きっと・・・2人も喜んでいると思うよ」
 聞こえていたピアノの旋律が途絶える。
 パタパタと、絨毯の上でも走っているかのような足音が響き・・・メグルと詠二の背後から、瞳子が目を輝かせて走ってくる。
「綾さん!お目覚めですか?」
「瞳子さん・・・」
 少しドレスアップしたらしい瞳子は、淡いピンク色のワンピースを身に纏っていた。
 見れば綾もキチっとしたスーツを身に着けている。・・・いつの間に着替えたのだろうかなどと、野暮な考えをめぐらす気にはなれなかった。
 全てが夢ならば、これは綾の望んだ姿であり、そしてきっと・・・2人の結婚式に最適な姿なのだろう。
「ほらほら、2人とも!早くしないと始まっちゃうよー!」
 詠二が綾と瞳子を追い立てるように声を出し、瞳子が奥の方に置かれているピアノへと歩を進める。
 立ち上がって見てみれば、ピアノの横には新郎新婦用の長い机がセットされ、その奥には巨大なウエディングケーキが真っ白な塔のように空へと伸びている。
 一番上には砂糖菓子で作られた織姫と彦星が、決して離れない固い絆によって結ばれているように思えた。
 楽譜と睨めっこをしながら鍵盤を叩く瞳子の隣に立つ。
 グランドピアノの上には、数枚の楽譜が散らばっている。それを手に取り、パラパラと捲っていく。
「綾さん、1つお願いしても良いですか?」
 楽譜を見ていた綾に瞳子がそう声をかけ、綾は首を傾げた。
「楽譜を捲っていただきたいんです。その・・・私が弾いている時に・・・」
「良いですよ」
 ふわりと優しい笑顔を浮かべると、綾は隅の方に置かれていた椅子を瞳子の椅子の隣に置いた。
「瞳子さーん!綾さーん!!準備は大丈夫ー!?」
 詠二の声に、直ぐに返事をする。
「「はい!!」」
 声は綺麗に合わさり、綾と瞳子は暫し顔を見合わせて小さな笑い声をあげた。


★☆★


 瞳子の奏でるメンデルスゾーン作曲の結婚行進曲が静かに響く。
 その曲にあわせて入ってきた織姫を見て、綾と瞳子は驚きに目を見開いた。
 1歩1歩と確かな足取りで歩いてくる織姫の周りには、キラキラとした光の粒が飛んでいる。
 見れば、先に会場に入ってきていた彦星の周りにも、織姫と同じようにキラキラとした光の粒が飛んでいる。
 上空を見上げれば星が数多に輝いており、丸い月も視界の端でぼんやりと淡く光を発している。
 形式的な受け答えの後に、指輪が織姫の左薬指と彦星の左薬指に嵌められ、刹那の間の後でそっと織姫の顔を覆っていた薄いヴェールが後ろに捲られる。
 短い口づけの後で巻き起こる拍手。
 2人の前に料理が運ばれ、瞳子がリスト作曲の愛の夢第3番をゆっくりとしたリズムで奏で始める。
 綾は一生懸命弾く瞳子の顔を暫し見詰めた後で、背後を振り返った。
 詠二とメグルがそれに気がついて直ぐに右手を上げ・・・
 集まった来客の数に、そしてその多種多様さに、綾は驚きを隠せなかった。
 キラキラと輝く星と、そして・・・彦星の飼っている牛だろうか・・・?
 真っ白なお皿の上に乗った草を、美味しそうに食んでいる。
 食事も終盤に近づき、ザワザワと談笑が始まった頃、瞳子が聞き覚えのある旋律を紡ぎ始めた。
 軽やかで、可愛らしく・・・それでいて美しいメロディー・・・
 エルガー作曲の愛の挨拶だ・・・
 鍵盤を叩く瞳子が、悪戯っぽい視線を綾に向ける。
 目の前に広がる葡萄園・・・風の音も、匂いすらも・・・やけに鮮明に思い出される・・・。
「あの・・・」
 葡萄園の景色に心奪われていた綾に、か細い女性の声が掛かる。
 瞳子のもとのも、メグルのものとも違う声に顔を上げればそこには織姫が立っていた。
 鍵盤の上をなぞっていた瞳子の細い指が、最後の音の上で止まる。
 ペダルを踏むことによって尾を引く音は美しく、ゆっくりと瞳子がペダルから足を外せばすっと、音は消え入った。
「あの、もし宜しければご一緒しませんか?」
 にっこりと、優しい笑顔を浮かべながら持っていたグラスを2人に差し出す。
 グラスの中身は淡い水色の液体で、その中を気泡が揺らめきながら上へと上がっていく。
「良いんですか?」
 瞳子が首を傾げてそう言い、ふわりと甘いシャンプーの香りが広がる。
「勿論です。とっても素敵な演奏と、お願い事をしてくださった方々ですもの」
「それじゃぁ、ありがたくいただきます」
 綾がグラスを2つ受け取り、片方を瞳子に手渡す。
 キラキラと、気泡が星の光を受けて輝く。グラスの縁に口をつけ・・・ふわりと広がる甘い味は、どこか懐かしくもあり、それでいて今までに味わったことのないようなものだった。
「美味しい・・・」
 ポツリと瞳子が独り言のような言葉を紡ぐ。
 フルーティーでいて、甘く、炭酸が口の中でパチリと音を立てて弾ける。
 弾けるたびに、心の中でナニカが心地良い熱を持って行くのがわかる。
「これは・・・」
「何だと思います?」
 悪戯っぽい織姫の瞳の奥、どこか瞳子と重なる・・・
「織姫さん!そろそろケーキカットしないと!」
 詠二の言葉に織姫が顔を上げ、メグルが彦星のところに銀色に輝く鋭利なナイフを持っていく。
 刃の長いそれは、柄の部分に真っ白なリボンが何重にも重なって巻き付いていた。
 彦星の手と、織姫の手が重なる。
 綾と瞳子もそれにあわせるように、そっと手を繋いだ。
 ナイフの切っ先が柔らかいケーキの中に沈んでいく。
 ・・・微かな歓声、そして・・・盛大な拍手・・・
「いつか僕達も、こんな素敵な式を挙げたいですね」
「・・・綾さん・・・」
 驚いたような瞳が、直ぐに柔らかい色へと変わる。
 上空の星が、まるで2人を祝福するかのように鮮やかに瞬き、あまりにも幻想的で美しい光景に目を奪われる。
「あれは、本当は星じゃないんですよ」
 ジっと上空を見上げていた2人に、メグルがそう声をかけてきた。
「え・・・?それじゃぁ・・・」
「あれは、皆さんが短冊に書いた願い事なんですよ」
「そう。織姫と彦星の年に1回の逢瀬の日、皆が書いた願い事は2人を彩るライトになる・・・」
 詠二がそう言って、綾と瞳子に無邪気な笑顔を向ける。
「勿論、綾さんの願い事も・・・あの中に・・・ね?」
「皆さん!ご一緒にケーキでも、如何ですか?」
 織姫がウエディングドレスの裾を引きずりながらやってきて、綾と瞳子にケーキの乗ったお皿を手渡す。
 その背後から彦星がやってきて、メグルと詠二にお皿を手渡し――――
「あの星、みんなの願い事だったんですね・・・」
 織姫を真っ直ぐに見詰めながら、しんみりとした口調で瞳子がそう囁く。
「そうなんです・・・。皆さんの願い事が・・・私達を祝福してくれる輝きになるんです」
 キラキラと、輝く天井は美しい。
 その1つ1つに乗せられた願いが何なのかは分からないけれども・・・きっと、強い願いほど明るく輝いているのだろう。
 織姫と彦星が、4人の前を後にする。
 牛に、星に、挨拶を述べる2人の表情は明るかった。
「・・・ねぇ、2人とも・・・なんで七夕の日に雨が多いのか知ってる?」
「そう言えば、今朝も曇ってましたよね。・・・けれど、晴れて良かった・・・」
「いいえ。今、地上では雨が降っているはずですよ」
「え・・・?」
「だってほら、俺達・・・雲の上に乗ってるんだよ?」
 詠二がそう言って、足元のふわふわとした真っ白な絨毯を指差す。
「今日だけは、天の川の中にみんなの願いが輝くから・・・。だからね、願いが多い年は・・・雲が隠さなくちゃならないんだ」
「夜なのに、昼間みたいに輝いてたらおかしいですからね」
 七夕の日に雨が多いのと、空に輝いた願いの星がカチリと音を立てて合わさる。
 七夕に降る雨は、決して2人の逢瀬を邪魔するものではなく・・・空に輝く人々の願いを隠すため・・・
「素敵ですね」
「えぇ」
 今日が終われば別れなくてはならない2人。
 けれど、願いの星が輝くこの瞬間・・・今日と言う、素敵な日は色鮮やかに思い出すことが出来るから。
 キラキラの中で祝福される、この時があれば・・・離れていても寂しくはない。
 1年間ずっと、また来年の七夕の日まで、キラキラの思い出は胸の中で輝いているのだから・・・


☆★☆


 耳の奥底で、楽し気な笑い声が響いている。
 織姫の、彦星の、メグルの、詠二の、歌声が木霊している。
 ・・・そして、瞳子の繊細な声が――――――
 ふっと、綾は光に目を開けた。
 薄いカーテン越しに差し込んでくる朝の光は今日も強い。
 タイマーにしておいたエアコンはとっくに切れており、部屋の中が蒸し暑くなっている。
 ベッドサイドに置いたはずのリモコンを探し出し、スイッチを押す・・・
 隣で眠る瞳子の寝顔が目に入る。
 幸せそうに眠るその髪をそっと撫ぜ、額に口付けを落とす。
「・・・っ・・・」
 瞳子が微かに身動ぎをして、ゆっくりと目を開ける。
「あ・・・綾さん・・・」
「おはよう」
「おはようございます・・・」
 眠い目を擦りながら起き上がる瞳子。
 やっと、クーラーから冷たい風が流れてくる。
「なんだか、とても素敵な夢を見ました・・・」
「どんなです?」
「織姫と彦星の結婚式で・・・」
 瞳子は、綾とまったく同じ夢を見ていたらしい。
 ・・・なんと言う偶然なのだろうか・・・
「僕も、瞳子さんと同じ夢を見ました」
「本当ですか!?・・・凄い偶然・・・」
 嬉しそうな瞳子の顔に何か言葉を返そうと思い・・・その時だった。窓の外から、1匹のセミの元気な鳴き声が聞こえて来た。
 それは、本格的な夏の到来を告げるような大きな声で―――――
 その鳴き声に応えるように、もう1匹の鳴き声が響いた。
 2匹のセミの鳴き声が、涼しくなりつつある室内に響く。
 綾はベッドから起き上がると、そっとカーテンを引き、窓を開けた。
 強い日差しが、まだベッドの上に座っている瞳子の姿を撫ぜる。
 ムっとするほどに熱を持った風が室内に雪崩れ込み、それに乗って2匹のセミの声が先ほどよりも大きく聞こえて来る。
 空は突き抜けるように高く、星の光は見えないけれども・・・・・・
「これからもっと、暑くなりそうですね」
「えぇ・・・そうですね・・・」
 綾は小さく頷くと、これからますます高くなるであろう空を見上げた後で、そっと窓を閉じた。



               ≪ E N D ≫


 
 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  2226 / 槻島 綾 / 男性 / 27歳 / エッセイスト


  5242 / 千住 瞳子 / 女性 / 21歳 / 大学生


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 この度は『七夕の夢』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
 そして、続きましてのご参加まことに有難う御座います。(ペコリ)
 七夕の日に雨が多い理由を、少しポジティブに描いてみました。
 雨が降ったら会えないなんて、少し寂しいなぁと思いまして・・・
 優しいお話になっていればと思います。
 

  それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。