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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


七夕の夢 ☆願いの星☆



☆★☆


「笹の葉さーらさら〜♪」
「・・・お兄さん、何歌ってるんですか」
「何って、笹の葉の歌〜!」
「何ですか“笹の葉の歌”って!それ以前に、お兄さんが持ってるの、笹じゃありません!」
「えぇ〜!メグルってば、すっげー細かーい!」
「細かくないですよ!どうしてソレが笹に見えるんですか!」
「いーじゃん。草は草だよ」
「そんな極論な・・・」
 笹貝 メグルはそう言うと、深く溜息をついて額に手を当てた。
 そもそも、この・・・どこかネジが吹き飛んでしまっているらしい兄、鷺染 詠二の相手をまともにして、良かったためしなんて1回もない。
 ここは大人の精神で乗り切らなくてはならないのだが・・・
「で?今度は何やってるんです?」
「何って、看板書いてるの〜!“何でも屋・鷺染”っと・・・上出来じゃない!?」
「じゃない!?じゃないですよ!全然何書いてあるのか分からないです!お兄さん、自分が字が下手だってこと、そろそろ自覚した方が良いですよ!?」
「今日も何でも屋で一山稼ぐぜ!」
「一山って・・・お金取ったためしがないじゃないですか!」
「道行く人に声をかけ、マッチはいりませんかと・・・」
「違うでしょ!?全然話が違いますよ!!」
「ま、それは冗談として。道行く人に幸せを売る。それが何でも屋」
「・・・違うと思いますけれど・・・」
「七夕の今日は、特別大サービス!短冊に願い事を書けば無理のない範囲で叶えてあげます☆」
「もしかして、私の魔法も当てにされてます?」
「とーぜん!メグルがいないと、夢だった事に出来ないじゃーん」
「全て夢のせいにして逃げるんですか。交通事故だったならば当て逃げじゃないですか!」
「・・・え!?事故!?事故なのコレ?!俺は善意で・・・」
「はぁぁ・・・」
 メグルは盛大な溜息をつくと、カレンダーに視線を滑らせた―――


★☆★


 7月7日の七夕は、毎年よく雨が降る。
 梅雨も明けやらぬ頃なだけに、それは仕方のない事なのかもしれない。
 日本には四季があり、春から夏にかける間には梅雨がある。
 一雨ごとに暑くなって行く、その移りは緩やかだ。
 雨を鬱陶しく思う反面、夏の高く突き抜けるような空に憧れもする。
 暗雲が去れば、太陽までの距離は遠くなる。それなのに、陽の光だけは霞む春よりも一層強いものとなって地上に突き刺さるようになるのだ。
 桜の色を思わせる淡い春が過ぎれば、新緑の夏がやって来る。
 淡い色が煌びやかに染まる、その丁度真ん中に、七夕の日はあった。
 織姫と彦星が年に1度会うことを許された日。
 天の川を渡り、触れ合える距離まで近づける・・・そんな日であるにも拘わらず、雨は決して2人を祝福してはくれない。
 千住 瞳子は、暗雲立ち込める空を見上げて心配そうに眉根を寄せた。
 恋人に会いたいと思う気持ちは、天上だろうと地上だろうと、如何ほどの差異があるのだろうか?
 考え込む瞳子の背中に、突然ドンと言う鈍い音が響いて衝撃が走った。
「えっ・・・!?」
「いったたた・・・・・」
 どこかで聞いたことのある少年の声と、その直ぐ後に
「もう!ちゃんと前を向いて歩いてください!」
 同じくどこかで聞いたことのある少女の声。
 倒れこみそうになる体を何とか持ち直し、瞳子は後ろを振り返った。
「あの、お怪我はありませんでしたか・・・?」
 驚いて固まった瞳子の目の前に、銀色の長い髪を風に靡かせながら見知った少女が歩み出た。
「「あっ・・・」」
 声は綺麗に合わさり、驚いたように口を半開きにした少女がすぐに柔らかい笑顔を取り戻す。
「詠二さんに、メグルさん・・・」
「あ!!瞳子さんだー!!」
 背後から詠二がエイとばかりに瞳子に飛びつく。
「わわっ・・・!!」
「お兄さん!セクハラ止めてください!訴えますよ!」
「・・・メグル・・・感動の抱擁をセクハラだなんて・・・」
「セクハラはセクハラです。セクシャルハラスメント。性的嫌がらせです」
「あのねぇ、メグル・・・」
 お兄ちゃんは悲しいよと呟き、目尻を拭うマネをする詠二。
 いつ見ても、仲の良い兄妹だ・・・。
「あ、そうだ!瞳子さん!ここで会ったも100年目・・・」
「なんですか、その決闘口調は」
 意味不明な詠二の言葉に、すかさず突っ込みを入れるメグル。
 あまりの息の合いっぷりに、クスクスと笑い声を零す。
 詠二がゴソゴソと手に持った袋を漁り、お目当てのものを見つけると満面の笑みで瞳子の顔を見詰める。
「ねぇ、瞳子さん」
「何でしょう?」
 瞳子が笑いを堪えるような声でそう尋ねる。
「今日ってさ、七夕でしょ?だから・・・はい、コレ!」
 袋の中から引っ張り出したのは、鮮やかな色のついた1枚の細長い紙だった。
 紙の上部には小さな丸い穴が開いており、そこには白い糸が結ばれている。
 短冊だ・・・・・・・・
「コレはね、凄いんだよ!書いた願い事がなんでも叶っちゃうんだ!」
「お兄さん・・・短冊とはそう言うものですから」
 短冊に託す願いは、叶うと言う前提で書き記すものだろう。
 勿論、本当に叶うか叶わないか・・・それはあまり問題ではない。
 叶わなかったとしても、そう言うものだという諦めにも似た気持ちで消化できる。叶った場合は、それこそ天からの贈り物だと言う事なのだろう。
「ペンもあるから!はい」
 満面の笑みでペンを渡され、瞳子は少し考えた後で綺麗な文字で願い事を書き記した。
 “織姫と彦星が無事に出会え、今年こそ結ばれますように”
 そして、短冊に書きはしなかったものの、こっそりと心の中でだけ“綾さんともっとずっと一緒にいられますように”と、付け足しておく。
「・・・へ?」
 ポカンとした表情の詠二が、短冊と瞳子の顔を交互に見比べる。
「これが願い事?」
「えぇ。おかしいですか?」
「・・・だってさ、普通願い事って自分になにか見返りがある事を書かない?」
「そうですか?」
「そうだよ。お金持ちになりたいとかさ、主に自分主体で・・・たまに、おじいさんが元気になりますようにとかも書くけどさ、それにしたって自分の身近な事しか書かなくない?」
「けれど、私のお願いしたい事はこれなんです」
 きっぱりとした口調でそう言って、瞳子は詠二に短冊を手渡すとそっと目を伏せた。
「小さい頃、姉から七夕の話を聞いた時、私どうしても結婚式をしてあげたくて・・・」
 まだ、織姫と彦星は神様に許されていないのだろうか・・・?
 詠二とメグルに会うまで、忘れていたのだけれども・・・そうだ、今日は七夕だった・・・
 瞳子は目を閉じ、暫くしてからゆっくりと目を開けた。
「1年に1度しか会えないなんて、切ないですよね・・・。私なんか、1週間に1度しか会えないだけでも寂しく・・・」
 言いかけて、瞳子は思わず口に手を当てた。
 詠二とメグルの優しい視線に、赤面する。
「あぁっと・・・今の聞かなかった事にして下さいッ!」
 慌てる瞳子の目の前で、どこか不思議な雰囲気の兄妹が可愛らしく笑っている。
 クスクスと、控え目な声に思わず瞳子も声をあげて笑い・・・・・・・
「あ、いけない・・・!」
 腕に巻きついた華奢な時計に視線を落とす。
「どなたかとお約束でも?」
「・・・えぇ。綾さんの所へ・・・」
「あ、綾さんですか?」
 高い、はしゃいだようなメグルの声が街中に響き、通り過ぎていく人々の視線を集める。
「素敵ですね。七夕の日に大好きな人に会えるなんて」
 その瞳は羨望と孤独を纏っているように見え、思わず薄く唇を開き・・・そのまま、閉じた。
「そうですね・・・」
「それじゃぁ、早く行ってあげてください。願い事は、私とお兄さんが責任を持って・・・天に、届けますから」
 にっこりと、甘い笑みを浮かべるメグル。
 “天に届ける”とは、なかなか詩的な表現をする。
 普通ならば、笹に結んでおきますからとでも言うだろうに・・・。
「宜しくお願いします。短冊、有難う御座いました」
 瞳子はにっこり笑ってそう言うと、2人に手を振ってその場を後にした―――――


☆★☆


 重厚でいて繊細な旋律が暗い室内に響く。
 しかしそれは観賞を妨害するほどの大きさではなく、ほんのBGM程度にかかっているものだった。
 星と星が細い光の線でつながれ、散りばめられた光の粒の中から取り出されると、その下に大きく名前が出る。
 オリオン座、ふたご座、大犬座、獅子座、おとめ座・・・
 光の線が繋ぐ星座は空から切り離され、鮮やかなイラストになって画面いっぱいに広がる。
 親切な解説は美しい女性の声で、聞き取りやすいものだった。
 プラネタリウムの中で、瞳子は隣に座る槻島 綾の顔を暫しチラリと見詰めた。
 真剣に上空を見詰める綾の目には、明るい星の輝きが映りこんでいた・・・。

 プラネタリウムの入った施設の中で軽い夕食を済ませると、瞳子と綾は郊外へと向かう高速に乗った。
 時折すれ違うトラックのヘッドライトが、プラネタリウムの話に花を咲かせる車内を明るく映し出す。
 何の音楽もかけていない車内で、瞳子は何時の間にか一方的に綾に語りかけていた。
 星の話から、気がついた時にはクラシックの話へ・・・・・・
 プラネタリウムの中でかかっていた曲の名前、その作曲者の他の曲名・・・
 そして、綾が目指す場所に着くほんの少し前にはエルガーの話へと移っていた。
 エルガーの愛の挨拶・・・あの、葡萄園の中に建っていたレストランが色鮮やかに思い出される。
 瞳子は、先ほど詠二とメグルに会った事を綾に話そうか、言葉を探した。
 きっと会ったと聞いたならば、綾は喜ぶだろう。
 ・・・しかし、瞳子が丁度良い言葉へとたどり着く前に、車は小高い丘の上で停車した。
 そこは市街地からもそれなりに離れた場所で、ネオンの輝きは淡くしか届かない。
 車のヘッドライトを消してしまえば漆黒の闇が辺りを覆ってしまうほどに、寂しい場所だった。
「綺麗・・・」
 フロントガラスの向こう、輝く空を見詰めてポツリとそう零す。
「外に出ましょうか」
「はい」
 綾の呼びかけにコクリと頷くと、シートベルトを外して助手席の扉を開ける。
 初夏の匂いを含んだ風が、途端に体に纏わりつく。
 空気は湿った土の匂いを纏っており、どこかべたつく風は遠くの木々を揺らし、カサカサと小さな声をあげさせる。
 綾が運転席から出て来て、瞳子の隣に立つ。
 ・・・静かな場所だった・・・
 町の喧騒も、雑踏も、人の気配すらも、何もない場所だった。
 ただ、上空には淡い色をした月がぼんやりと浮かんでおり、その傍には大小様々な星が独自の瞬き方をしていた。
「昼間はあんなに曇っていたのに・・・晴れて良かったですね」
 綾にそう言って、小さく笑みを浮かべると上空を仰いだ。
「えぇ、そうですね・・・。あれが天の川ですか?」
 綾が真っ直ぐに腕を伸ばした先、指先の向こうには1筋の星の流れが出来上がっていた。
 どちらが上流でどちらが下流なのかは分からないが、それでも・・・確かに星は流れているように見えた。
 あの川が、2人を分けている・・・天の川・・・
 先ほどプラネタリウムで見たばかりの星座を指でつなぎながら、2人は無意識のうちに手を繋いでいた。
 どこか遠くで、セミの鳴き声が聞こえる。
 随分と早い時期の鳴き声は途切れ途切れで、必死に仲間を探そうとしている・・・そんな感じがした。
 ギュっと、繋いだ手に力を込める。
 けれど、セミの鳴き声は返ってこない。闇の向こう、きっと・・・セミは1匹しかいないのだ。
 ・・・再びセミのか細い鳴き声がする。
 夜中遅く、鳴く・・・セミの声は酷く物悲しい。
「なんだか、恋しい人を呼んでいるみたいですね」
 無意識のうちに、瞳子はそう零していた。
 夜の闇の向こう、何も見えはしないけれども・・・確かに、1つの生命が声をあげている・・・
「・・・織姫と、彦星を思い出しますね」
「そうですね・・・」
「天の恋人達も、無事に会えてると良いですね・・・」
「あのセミも、明日には仲間を見つけられれば良いですね」
 綾の言葉に、瞳子はそう切り返していた。
 綾が困ったような笑顔を浮かべている・・・。
 瞳子は、そっと目を閉じて夜の闇を感じた。
 なんだか、1年に1回しか会うことを許されない織姫と彦星に、早く地上に出てきたばかりに仲間に会えないで鳴いているセミに、申し訳ない気がした。
 瞳子と綾は、きっと明日も明後日も・・・会うことは許されている。
 そして、1週間経っても・・・きっと、この広い空の下、電話1本で繋がる距離にいるだろう。
 明日には引き裂かれてしまう2人に、1週間後には儚い命を散らしてしまうであろうセミに、申し訳ない気がした。


★☆★


 随分長い時間をそこで過ごした後で、瞳子と綾は車へと戻った。
 星と月の優しい光に慣れてしまった目に、人工的な車のライトは痛かった。
 チカリと眩む目に、一瞬目を閉じ・・・・・・・

『・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 直ぐ耳元で、どこの言葉とも知れない不思議な呪文のような囁きが聞こえた。
 それはついこの間・・・それも遠くない記憶の中で聞いた声で・・・
 今日出会った、あの少女のものだ・・・!
 そう気がついた時には閉じた瞼の向こうで強い光がスパークした―――――


☆★☆


「・・・大丈夫ですか??」
「ほらほら!もう大丈夫だから目開けて!早くしないと時間が・・・」
 少女の声と少年の声。
 おっとりとした少女の声はこちらを心配しているような響を含んでおり、少年の声はまるでせかすように早口だった。
 恐る恐る、目を開ける。
 目の前にアップで迫る2つの顔。
 銀色の髪をした少女・メグルと紫色の瞳をした少年・詠二だった。
「やっと起きたー!もう綾さんは起きて準備してるんだよ!」
「・・・準備、ですか?」
 まだ覚醒していない頭の中で、それでも“準備”と言う単語に当てはまる事項は残念ながら見当たらない。
 何か準備をしなければならないことをしようとしていただろうか・・・?
「なに言ってるんですかー!瞳子さんが願ったんじゃないですかー!」
 詠二が唇を尖らせながら、瞳子の目の前に細長い紙を突きつける。
 ・・・短冊だ・・・
 そこには確かに瞳子の文字で“織姫と彦星が無事に出会え、今年こそ結ばれますように”と書かれている。
 とすると、願い事が叶ったのだろうか・・・?
 キラキラと輝くそこは昼間のような明るさで、詠二とメグルの向こうには真っ白なクロスをかけられたテーブルがいくつも置かれている。
 テーブルの上には、クロスよりも白いお皿が並び、その上には美味しそうな料理が乗せられている。
 立ち上がるために地面に手をつき、ソレが地面の感触でないことに気付き視線を下げる。
 ふわふわとした、それでいて何にも触れていないかのような感触。それなのに、確かにそこにはナニカが敷き詰められており、瞳子もメグルも詠二も、落ちずにその上に乗っていた。
 白く、やけに頼りなさ気な地面は・・・真っ白な雲で出来ていた。
「雲・・・ですか・・・?」
「えぇ。この場所は、雲の上にあるんです。けれど、私達は実際に雲の上に乗っているわけではないんです」
 メグルが小さく笑いながらそう言って、そっと右手を左胸の前に持っていく。
「落ちるって、思ってはいけません。これを、嘘だって思ってもいけません。落ちない、それは・・・これが、全て夢だからなんです」
「夢・・・?」
「そうだよ、瞳子さん。これは一時の夢・・・それでも、願ったのは瞳子さん。それにね、きっと・・・2人も喜んでいると思うよ」
 詠二の言葉の直ぐ後で、パタパタと、絨毯の上でも走っているかのような足音が響き・・・メグルと詠二の背後から、綾が姿を現した。
「瞳子さん、お目覚めですか?」
「綾さん・・・」
 キチっとしたスーツを身に着けている綾。
 見れば瞳子も淡いピンク色のワンピースを身に纏っていた。しかし、いつの間に着替えたのだろうかなどと、野暮な考えをめぐらす気にはなれなかった。
 全てが夢ならば、これは瞳子の望んだ姿であり、そしてきっと・・・2人の結婚式に最適な姿なのだろう。
「ほらほら、2人とも!早くしないと始まっちゃうよー!」
 詠二が瞳子と綾を追い立てるように声を出し、メグルが笑顔で瞳子に数枚の楽譜を手渡す。
 見れば、奥の方には美しい曲線を誇るグランドピアノが置かれていた。
 ピアノの横には新郎新婦用の長い机がセットされ、その奥には巨大なウエディングケーキが真っ白な塔のように空へと伸びている。
 一番上には砂糖菓子で作られた織姫と彦星が、決して離れない固い絆によって結ばれているように思えた。
 グランドピアノに歩み寄り、椅子の上に座ると楽譜と睨めっこを開始する。
 一度は弾いたことのある曲ばかりで、これならば少し練習をすれば弾けそうだった。
 楽譜と1人格闘する瞳子の隣に、綾がそっと腰を下ろす。
 グランドピアノの上に散らばっている楽譜を手に取り、パラパラと捲って・・・
「綾さん、1つお願いしても良いですか?」
 楽譜を見ていた綾に瞳子がそう声をかける。
「楽譜を捲っていただきたいんです。その・・・私が弾いている時に・・・」
「良いですよ」
 ふわりと優しい笑顔を浮かべる綾。
 そして、隅の方に置かれていた椅子を持ってくると瞳子の椅子の隣に置いた。
「瞳子さーん!綾さーん!!準備は大丈夫ー!?」
 詠二の声に、直ぐに返事をする。
「「はい!!」」
 声は綺麗に合わさり、瞳子と綾は暫し顔を見合わせて小さな笑い声をあげた。


★☆★


 瞳子の奏でるメンデルスゾーン作曲の結婚行進曲が静かに響く。
 その曲にあわせて入ってきた織姫を見て、瞳子と綾は驚きに目を見開いた。
 1歩1歩と確かな足取りで歩いてくる織姫の周りには、キラキラとした光の粒が飛んでいる。
 見れば、先に会場に入ってきていた彦星の周りにも、織姫と同じようにキラキラとした光の粒が飛んでいる。
 上空を見上げれば星が数多に輝いており、丸い月も視界の端でぼんやりと淡く光を発している。
 形式的な受け答えの後に、指輪が織姫の左薬指と彦星の左薬指に嵌められ、刹那の間の後でそっと織姫の顔を覆っていた薄いヴェールが後ろに捲られる。
 短い口づけの後で巻き起こる拍手。
 2人の前に料理が運ばれ、瞳子がリスト作曲の愛の夢第3番をゆっくりとしたリズムで奏で始める。
 指が覚えているだけに、瞳子は度々顔を上げて来客に視線を向けた。
 集まったお客の数に、その多種多様さに、瞳子は驚きを隠せなかった。
 キラキラと輝く星と、そして・・・彦星の飼っている牛だろうか・・・?
 真っ白なお皿の上に乗った草を、美味しそうに食んでいる。
 食事も終盤に近づき、ザワザワと談笑が始まった頃、瞳子はそっと・・・ある曲を弾き始めた。
 軽やかで、可愛らしく・・・それでいて美しいメロディー・・・
 エルガー作曲の愛の挨拶だ・・・
 綾が曲を直ぐに理解し、瞳子に優しい視線を向ける。
 あの葡萄園の情景が蘇ってくる・・・
「あの・・・」
 葡萄園の景色に心奪われていた瞳子に、か細い女性の声が掛かる。
 メグルのものとは違う声に、瞳子はそっと視線を上げた。
 鍵盤の上をなぞっていた指が、最後の音の上で止まる。
 織姫が、そんな瞳子の様子をじっと見詰め・・・
 ペダルを踏むことによって尾を引く音は美しく、ゆっくりと瞳子がペダルから足を外せばすっと、音は消え入った。
「あの、もし宜しければご一緒しませんか?」
 にっこりと、優しい笑顔を浮かべながら持っていたグラスを2人に差し出す。
 グラスの中身は淡い水色の液体で、その中を気泡が揺らめきながら上へと上がっていく。
「良いんですか?」
 首を傾げてそう言い、織姫の瞳を覗きこむ。
「勿論です。とっても素敵な演奏と、お願い事をしてくださった方々ですもの」
「それじゃぁ、ありがたくいただきます」
 綾がグラスを2つ受け取り、片方を瞳子に手渡す。
 キラキラと、気泡が星の光を受けて輝く。グラスの縁に口をつけ・・・ふわりと広がる甘い味は、どこか懐かしくもあり、それでいて今までに味わったことのないようなものだった。
「美味しい・・・」
 フルーティーでいて、甘く、炭酸が口の中でパチリと音を立てて弾ける。
 弾けるたびに、心の中でナニカが心地良い熱を持って行くのがわかる。
「これは・・・」
「何だと思います?」
 悪戯っぽい織姫の瞳。
 幸せそうな輝きに、瞳子は心の中で祝福の言葉をそっと述べた。
「織姫さん!そろそろケーキカットしないと!」
 詠二の言葉に織姫が顔を上げ、メグルが彦星のところに銀色に輝く鋭利なナイフを持っていく。
 刃の長いそれは、柄の部分に真っ白なリボンが何重にも重なって巻き付いていた。
 彦星の手と、織姫の手が重なる。
 瞳子と綾もそれにあわせるように、そっと手を繋いだ。
 ナイフの切っ先が柔らかいケーキの中に沈んでいく。
 ・・・微かな歓声、そして・・・盛大な拍手・・・
「いつか僕達も、こんな素敵な式を挙げたいですね」
「・・・綾さん・・・」
 思いもよらない甘い言葉に、驚きの視線を向け・・・すぐに、笑顔に変える。
 上空の星が、まるで2人を祝福するかのように鮮やかに瞬き、あまりにも幻想的で美しい光景に目を奪われる。
「あれは、本当は星じゃないんですよ」
 ジっと上空を見上げていた2人に、メグルがそう声をかけてきた。
「え・・・?それじゃぁ・・・」
「あれは、皆さんが短冊に書いた願い事なんですよ」
「そう。織姫と彦星の年に1回の逢瀬の日、皆が書いた願い事は2人を彩るライトになる・・・」
 詠二がそう言って、瞳子と綾に無邪気な笑顔を向ける。
「勿論、瞳子さんの願い事も・・・あの中に・・・ね?」
「皆さん!ご一緒にケーキでも、如何ですか?」
 織姫がウエディングドレスの裾を引きずりながらやってきて、瞳子と綾にケーキの乗ったお皿を手渡す。
 その背後から彦星がやってきて、メグルと詠二にお皿を手渡し――――
「あの星、みんなの願い事だったんですね・・・」
 織姫を真っ直ぐに見詰めながら、しんみりとした口調でそう囁く。
「そうなんです・・・。皆さんの願い事が・・・私達を祝福してくれる輝きになるんです」
 キラキラと、輝く天井は美しい。
 その1つ1つに乗せられた願いが何なのかは分からないけれども・・・きっと、強い願いほど明るく輝いているのだろう。
 織姫と彦星が、4人の前を後にする。
 牛に、星に、挨拶を述べる2人の表情は明るかった。
「・・・ねぇ、2人とも・・・なんで七夕の日に雨が多いのか知ってる?」
「そう言えば、今朝も曇ってましたよね。・・・でも、晴れて良かったです・・・」
「いいえ。今、地上では雨が降っているはずですよ」
「え・・・?」
「だってほら、俺達・・・雲の上に乗ってるんだよ?」
 詠二がそう言って、足元のふわふわとした真っ白な絨毯を指差す。
「今日だけは、天の川の中にみんなの願いが輝くから・・・。だからね、願いが多い年は・・・雲が隠さなくちゃならないんだ」
「夜なのに、昼間みたいに輝いてたらおかしいですからね」
 七夕の日に雨が多いのと、空に輝いた願いの星がカチリと音を立てて合わさる。
 七夕に降る雨は、決して2人の逢瀬を邪魔するものではなく・・・空に輝く人々の願いを隠すため・・・
「素敵ですね」
「えぇ」
 今日が終われば別れなくてはならない2人。
 けれど、願いの星が輝くこの瞬間・・・今日と言う、素敵な日は色鮮やかに思い出すことが出来るから。
 キラキラの中で祝福される、この時があれば・・・離れていても寂しくはない。
 1年間ずっと、また来年の七夕の日まで、キラキラの思い出は胸の中で輝いているのだから・・・


☆★☆


 耳の奥底で、楽し気な笑い声が響いている。
 織姫の、彦星の、メグルの、詠二の、歌声が木霊している。
 ・・・そして、綾の優しい声が――――――
 ふっと、瞳子は光に目を開けた。
 薄いカーテン越しに差し込んでくる朝の光は今日も強い。
 タイマーにしておいたエアコンはとっくに切れており、部屋の中が蒸し暑くなっている。
 瞳子が起き上がったためか、隣で寝ていた綾も起き上がり・・・ベッドサイドに置いたリモコンに手を伸ばす。
「おはよう」
「おはようございます・・・」
 優しい朝の風景に、無意識のうちに笑顔を浮かべる。
 ・・・クーラーから冷たい風が流れてくる。
「なんだか、とても不思議な夢を見ました・・・」
「どんなです?」
「織姫と彦星が結婚式をしていて・・・」
 綾は、瞳子とまったく同じ夢を見ていたらしい。
 ・・・なんと言う偶然なのだろうか・・・
「私も・・・私も、綾さんと同じ夢を見ました!」
「本当ですか・・・?」
 嬉しい偶然に、綾の手を握る。
 今も耳の奥で聞こえる、夢の中の声・・・
「結婚式、無事に挙げられて良かったですね」
 綾が優しい声でそう言い、瞳子の柔らかい髪を撫ぜる。
「そうですね・・・。でも、織姫と彦星は・・・凄いですよね」
「凄い、ですか?」
「毎年、あのもの凄い数の星の中から相手を見つけ出すんですよね」
 瞳子の目の前に、願いの星が瞬く。
 結婚式を彩っていた、人々の願い事・・・
「だけど、星の数ほどの人の中で綾さんに出逢えた私も、幸せ・・・です」
 照れながら、瞳子はそう呟いた。
 綾が瞳子を抱き締め・・・その時だった。窓の外から、1匹のセミの元気な鳴き声が聞こえて来た。
 それは、本格的な夏の到来を告げるような大きな声で―――――
 その鳴き声に応えるように、もう1匹の鳴き声が響いた。
 2匹のセミの鳴き声が、涼しくなりつつある室内に響く。
 瞳子は綾の手をすり抜けベッドから起き上がると、そっとカーテンを引き、窓を開けた。
 強い日差しが、まだベッドの上に座っている綾の姿を撫ぜる。
 ムっとするほどに熱を持った風が室内に雪崩れ込み、それに乗って2匹のセミの声が先ほどよりも大きく聞こえて来る。
 空は突き抜けるように高く、星の光は見えないけれども・・・・・・
「これからもっと、暑くなりそうですね」
「えぇ・・・きっと、暑くなりますね・・・」
 瞳子は小さく頷くと、これからますます高くなるであろう空を見上げた後で、そっと窓を閉じた。



               ≪ E N D ≫


 
 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  5242 / 千住 瞳子 / 女性 / 21歳 / 大学生


  2226 / 槻島 綾 / 男性 / 27歳 / エッセイスト


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 この度は『七夕の夢』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
 そして、続きましてのご参加まことに有難う御座います。(ペコリ)
 七夕の日に雨が多い理由を、少しポジティブに描いてみました。
 雨が降ったら会えないなんて、少し寂しいなぁと思いまして・・・
 優しいお話になっていればと思います。
 

  それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。