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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

 大通りから一本路地を曲がると、喧噪が急に遠くなる。
「何処かで少し座ろうか」
 三葉 トヨミチ(みつば・とよみち)は、自分の後ろを一歩遅れで歩いている女性にそう語りかけた。
 夜の街、静かな通り。そして、この世に未練を残して留まっている女性…。
 トヨミチがふと顔を上げると、年季の入った看板に蒼い月が描かれているのが見えた。三階建てでツタが絡んだ古い建物。ライトアップされている看板には『蒼月亭』という名前が見える。きっと、ここなら彼女を受け入れてくれるだろう。
「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
 ドアを開けると店の中にはほとんど客がいなかった。広いカウンターの真ん中ぐらいの席にトヨミチはまず彼女に席を勧めた。そのあと自分も座り、マスターに向かって声を掛ける。
「すいません、急に変なことを聞きますがマスターは『見える』人ですか?」
 カウンターの中でグラスを拭きながら、色黒で長身のマスターがふっと笑う。
「何となく『同伴者がいる』ってのは分かるけど、残念ながら『見えない』質なんだ。ご注文は?」
 そう言いながらも、ちゃんと二人分のおしぼりがカウンターの上に置かれる。それに満足しながら、トヨミチは何となく伝わってくる彼女の容姿を説明し始めた。先ほど『見える』と聞いたが、トヨミチ自体霊の姿が見えているわけではない。そこに存在している事や、伝わってくる容姿や想いを『感じて』話している。
 年の頃は二十代半ば、ブルー系のワンピースに白いカーディガン。胸元には水色のスワロフスキーで出来たネックレス…ロングの緩いパーマにほんのり茶色の髪…。
「彼女に似合うカクテルと、俺には『ソルティドッグ』を」
「かしこまりました」
 そう言うと、カウンターの中でマスターがゴブレットの縁を切ったレモンで濡らした。慣れた手つきでグラスをスノー・スタイルにし、氷を入れ、ミキシンググラスにウォッカとグレープフルーツジュースを入れかき混ぜる。
 何だか不思議な光景だった。
 確かにここにいるはずなのに、誰にも見えない客のため作られているカクテル。
 調子よく聞こえるシェーカーが振られる音と、バックにかかっているジャズが妙に心地よい。その様子を見てトヨミチは、偶然見かけたこの店に彼女を誘って良かったと思っていた。おしぼりを二人分置いているということは、ここに客が座っているという意思表示でもある。人には見えないかも知れないが、確かに彼女はここに存在しているのだ。
 コースターの上にカクテルグラスが置かれ、澄み切った青空のような色のカクテルが注がれる。
「お待たせしました。『アルディラ』…イタリア語で『すべてを越えて』という意味のカクテルです。そちらのお客様には『ソルティドッグ』を」
「ありがとう。どうしてこれを?」
 縁に綺麗に塩が立てられたグラスを見ながら、トヨミチが質問をする。するとマスターはベストの胸ポケットから出したシガレットケースを開けて、彼女の方を見る。
「ブルー系の色が好きそうな気がしたんだ。ブルーキュラソーを使うカクテルはいろいろあるけど、その中で一番イメージに合いそうなのを」
 その言葉を聞いた途端、トヨミチの心に彼女の思いが流れてきた。大好きな青、澄み切った空の色…自分に出されたカクテルを素直に喜んでいる様子が伝わってくる。
「彼女、とても喜んでるみたいだ。青が好きだったって」
「それは良かった…っと、少々お待ち下さい」
 煙草に火を付けた後、マスターが会計のためにトヨミチ達の前を離れる。
「ありがとうございました、またお越し下さいませ」
 ドアベルが鳴ると店の中には、トヨミチ達以外の客がいなくなっていた。そこにマスターが、カクテルグラスに入れられたアボカドとトマトのサラダと、小さなチョコレートが乗せられた皿を持ってくる。
「こちらはつまみ代わりに…お連れの方には生チョコを。ごゆっくりどうぞ」
 マスターがスッと礼をして離れようとする。自分達が訳ありの客であるというのを知って、邪魔しないようにという配慮なのだろう。
 だが、それを見て隣に座っている彼女が「あ…」と呟いたような気がした。それは離れてしまうのを戸惑うような、引き留めたいけど仕事の邪魔をしてはいけない…というような控えめな声だ。
 思えば、トヨミチが彼女に会ったときもそうだった。
 言いたいことがあってこの世から離れられないのに、それを言うことを遠慮するような、控えめで大人しい感じで佇んでいた。それがトヨミチの心に引っかかったのだ。
 ほんの少しだけ…迷惑はかけないから、私の話を聞いてください…。
 その想いに惹かれてここまで一緒に連れてきたのだ。話を聞いてくれるのは多い方がいい。
「あの…すいません」
 トヨミチが引き留めると、マスターは灰皿を持ったまま顔を上げる。それと同時に彼女も顔を上げたような気がした。
「俺は三葉 トヨミチっていう脚本家なんですが、よろしかったらマスターの名前を教えてもらえますか?」
「ナイトホーク、それで通ってる。マスターでも、名前でも好きに呼んでいいよ」
 ないとほーく…と、彼女がその名前を反芻した。トヨミチはソルティドッグを一口飲んで、ふうっと溜息をつく。
「もし良かったら、俺と一緒に彼女の話を聞いてくれませんか?彼女も聞いてくれる人は多い方が嬉しいって」
 それを聞きナイトホークはその場で煙草を吸った。そして彼女がいる方を見て微笑む。
「えーと、煙草は平気?」
 彼女が『大丈夫です』と言う。トヨミチがそれを告げる前に、ナイトホークは灰皿を持って自分達の方に近づいてきた。最初に「何となく分かる」と言っていたように、雰囲気などでそれが伝わっているのかも知れない。
「…ナイトホークさんも『分かる』んですか?」
 グラスに大降りの氷を入れ、ナイトホークが後ろの棚から出したウイスキーを入れ、首を振る。
「嫌とかいいとかそういうのは雰囲気的に伝わるけど、それは商売柄みたいなもんだからな。煙草が嫌いならもっと緊張感のある空気が流れるだろうけど、今は穏やかに感じたからそう思っただけ」
「そうですか…じゃあ、少しだけ話に付き合ってください」
 そしてトヨミチは、彼女から伝わってくる想いを話し始めた。

 場面は道を歩いている所から始まる。
 平日の日中、良く晴れた日…雲のない澄んだ空。新しいサンダルのつま先をちょっと気にしながら、いつものように駅前へと続く道を歩く。
 そうやって歩いていると、自分の目の先に青年が見えた。
 初対面、見覚えがない。だが、その青年は自分を見据えると、真っ直ぐ自分に向かって近づいてきた。その手に何か銀色っぽい物がある、そう思った時は遅かった。
 ドン…と、ぶつかると共に、胸元に差し込むような痛み…。その瞬間、自分の周りの時間だけがゆっくりとスローモーションになったような気がした。胸元から引き抜かれるナイフ…喉元にこみ上げる血…周りで聞こえる悲鳴がやけに遠い。
「え…私、死ぬの…?」
 押さえた手から生暖かい血が流れるのが分かる。
 それなのに手先がどんどん冷たくなる。
 周りの人が『しっかりして!』とか『救急車!』とか言っているのに、それに対して何も答えることが出来ない。目を開けているのに、視界がどんどん狭くなる…。

「…彼女は、数年前にあった通り魔事件の被害者の一人です」
 静かにトヨミチがそう告げると、ナイトホークは黙ってウイスキーを一口飲んだ。彼女は椅子に座ったまま俯いている。
「そりゃ、戸惑うよな…」
 何処か遠くを見ながらナイトホークはそう呟いて煙草を吸う。
 彼女がどう思っているのかは全く分からないが、そう呟くことしかできなかった。ご愁傷様などという言葉では片づけられないし、かといってここで十字を切ったりするのも何か違うような気がする。
 ただ、ナイトホークが理解できるのは『自分の身に起こったことに関する戸惑い』だけだ。死ぬはずだったのに何故か死ねなくなってしまったのと、いつもと変わらない日々のはずだったのに何故か死ぬことになってしまったことは、そう違わないような気がする。
「続きを話してもいいですか?もしかしたら、とりとめがなくなってしまうかも知れないけど」
 トヨミチは彼女から伝わってくる想いを、何とかして自分の言葉にしようとしていた。
 死んでから何年か経っていると、よほど強い霊でもなければ想いや言葉がとりとめのない物になっていく。さっき話したことも流れ込んできた感情や想い、何となく見えた場面を自分で筋道を立てて話したものだ。
 だが、そこから…死してからの想いや感情になると、どうしても筋道が立たなくなる。一番伝えたい所がその部分なだけに、注意しなければならない。
「どうぞ。とりとめがあろうがなかろうが、夜はまだ長いから」
 ジャズのレコードが終わり、針が自動的に上がった。
 そのノイズをバックに、長い話が始まる…。

 どうしてこんな事になったのだろう…。
 新しいサンダルのつま先がどうしても気になって、いつもより少し遅く家を出たから?いつも履いていた靴だったら、あの時逃げられただろうか…でも、青いワンピースにいつもの靴は合わなかった。
 ワンピースに合わせて買ったサンダル…あれはどこに行ってしまったのだろう。
 そして、どうして自分が殺されなければならなかったのだろう。
 自分の胸元から一瞬だけ生えていたナイフの柄は、ひどく現実感がなかった。あの時の恐怖…指先からどんどん失われる体温と、そこに溢れる生暖かい血、狭くなっていく視界…。本当は「助けて、死にたくない!」と叫びたかった。なのに声が出なかった。
「どうして私、倒れているんだろう」
 気が付いた時、自分の足下の血溜まりの中に自分が倒れているのが見えた。
 人がたくさんいるのに私は私を見下ろしていて、そのうちに救急車が来て、私の体が搬送されていくのを見てやっと理解した。
「私、死んじゃったんだ…」
 その瞬間思ったのは、怒りよりも悲しみと後悔。
「もっとちゃんと生きれば良かった…」
 たくさんやりたいことがあった。
 こんな事ならもっとちゃんと勉強しておけば良かった。もっと両親に優しくしてあげれば良かった。
 そして、好きな人に告白しておけば良かった…。
 ただ見ているだけの恋だった。たまに近所ですれ違うぐらいで、私はその人の名前も知らない。でも好きだった。大好きだった。
「こんにちは」
 それが言いたくて、いつもちょっと遠回りして歩いてた。いつも会える訳じゃなかったけど、『そこにいる』事が嬉しくて、その場所を通るたびに会えるかも知れないと思ってドキドキしていた。
 今まで付き合った人がいなかったわけではない。
 飲み会とかで出会った人とご飯を食べたりすることだってあったのに、何故かその人には上手く声がかけられなかった。
「こんなに後悔するぐらいだったら、もっと自分を知ってもらえば良かった」
 後悔したってもう遅い。
 私は死んでしまったし、彼はまだ生きている。多分私のことも覚えていないかも知れない。でも、最初で最後の会話を私は良く覚えている。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは。あのさ、いつもブルー系の服だけど青好きなの?」
「はい…夏に生まれたから、夏の空の色が好きなんです」
「そう、似合ってるな。気をつけて」
 似合ってる…そう言われて嬉しかったのに、何も言えないでお辞儀をして逃げるように走ってしまった。水色のスニーカー、お気に入りの靴。
 どうしてもっと話しておかなかったのだろう。
 断られるだろうと分かっていても、気持ちを伝えなかったのだろう……。

 そこまで話すとトヨミチは大きく溜息をついた。
 彼女の切ない想いが伝わってきて、胸が苦しい。理不尽に命を奪われたことに対する戸惑いや悔しさ、怒りも伝わってくるが、一番強いのはその『想いを伝えられなかった後悔』だ。
 ぽたっ…と一粒だけトヨミチの目から涙が落ちる。それは紛れもない彼女の涙だ。
「…どうしてカクテルを『アルディラ』にしたのか、説明してもいいかな?」
「どうぞ」
 カウンターの下から白いハンカチを出し、ナイトホークは彼女の目の前に置く。
「そのカクテル『澄み切った青い空と、旅立つ想いを表現したイメージ』で作られたって言われてるんだ。俺は、声も見えないし姿も聞こえないけど、何となくそれが伝わってきたんだと思う…青いカクテルなら『ブルー・ラグーン』とか『ブルー・レディ』とかあるのに、それじゃなきゃダメだと思った」
「すごく嬉しいって…夏の空の色みたいに綺麗だって…」
 本当はもっと辛い想いや、苦しい想いがあるのだろう。それは全て自分が感じたままに皆に伝えればいい。その全ての感情をトヨミチは受け止める。
 悲しい、悔しい、痛い、辛い、苦しい…そして、嬉しい…。

 私の気持ちを理解してくれてありがとう。
 ここに連れてきてくれてありがとう。
 私、貴方に話すまで、自分が空が好きなことも忘れてた。地面ばかり見てて、青が好きだったことも忘れてた。
 お願いだから、貴方は後悔しないで生きてね。
 私の代わりに私の想いを伝えて…さよなら、ありがとう…。

「大丈夫…君の想いは必ずみんなに伝えるから」
 スッと隣にいた彼女の気配が消えた。全てを伝えたことで満足したのだろう。彼女は彼女が逝くべき場所へやっと行けた。
 トヨミチは目を閉じて、彼女の最後の表情を思い浮かべる。
 あの涙はあまりに尊すぎた。それをどうやって皆に伝えるか…彼女の想いだけでなく、その涙の美しさも伝えたかった。カクテルの色が反射したかのようなあの涙を…。
「…まだ看板まで時間ありますか?」
「夜は長いから大丈夫だ。何か飲むかい?」
 そう言いながらナイトホークはレコードの針を落とした。独特のノイズの後、静かに音楽がかかる。トヨミチが頼んだソルティドッグは既に空だ。
「コーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
 ポケットからメモ帳を取り出し、トヨミチは今聞いた彼女の想いを、次の芝居にどう組み込むかを考え始めた。想いを伝えられなかった後悔を残さないように…。
 そのメモ帳の一番上には、澄み切った空のような色のカクテルの名前が書かれていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6205/三葉・トヨミチ/男性/27歳/脚本・演出家+たまに役者

◆ライター通信◆
ご来店ありがとうございます、水月小織です。
「彼女の想いを伝える」というノベルということで、このように想いを伝える話になりました。怒りや悲しみなどもあるのでしょうが「もっと生きたかった」という、生に対する色を強くしてみました。
彼女にあったカクテル…と言う注文に『夢一夜』と悩んだのですが、夢と終わらせるにはあまりに切ないので『アルディラ』にしました。青が綺麗なカクテルです。
リテイクなどはご遠慮なくどうぞ。
またよろしくお願いいたします。