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怪の牢
守崎啓斗が有する携帯電話の着信音が、あまり聴き慣れない音階を紡ぎだす。
見れば、それは、公衆電話からの着信だった。
「して、そなたはその内容とやらに心惹かれたと申すのか」
啓斗の傍らで、暗闇よりもなお黒い豹の姿をしたものが、足音すらも立てずに歩き進めている。
足元に続いているのは畦道にも似た草花で覆われた、不安定な道だ。足元を照らして確かめてみれば、おそらく、そこが幾分ぬかるんだ泥道である事も知れるだろう。
啓斗は、しかし、足元を照らす明かりとなるものを手にしてはいない。ゆえに、自身が今どういった場所を歩き進んでいるのかも、確りと把握出来ているわけではないのだ。
「……心惹かれたというわけでもない」
闇に紛れて姿の見えない黒豹に応えながら、啓斗はむっつりとした表情で片眉を吊り上げる。
黒豹――フラウロスと名乗る悪魔は、啓斗の応えを受けて低い笑みを漏らした。
「それがしにはそなたの心が手に取るように知れる」
笑う黒豹に、啓斗の表情はますますむっつりと強張っていく。
電話を受けた啓斗の耳に入り込んできたのは、まるで聞き覚えのない、しわがれた老女の声だった。
枯れ枝が容易く折れる時に響かせる音に似たその声で、老女は、ひとつの依頼を口にした。
――曰く、
とある山間に小さな村があり、その中の一軒が、とある妖の呪いを受けている。
屋敷の主はその妖の影響をもって莫大な富を手中にしたが、主はそれを失うのを恐れ、術者を招き、妖を屋敷内に閉じ込める事に成功したのだ。
以降、屋敷は留まる事なく富んでいったが、その反動のせいか否か、いつしか妖の精神は微塵に崩れていったのだ。
凄惨な殺人などが屋敷を襲い、結果、その村は屋敷共々に人の住まぬ場所と成り果てたのだ。
しかし、屋敷は今も妖を閉じ込めたままだ。が、妖の影響を受けてか、屋敷内は今や迷路の如くに変貌し、戯れに訪れる人々を捕らえて屠るのだという。
「……しかし、俺には、この内容にはいくつもの嘘が混在してあるように思えるんだ」
月の光もない、文字通りの暗黒の中。
過ぎていく村の景色を横目に流しながら、啓斗は、ふと歩みを止めてフラウロスに視線を向けた。
黒豹は黙したままで啓斗を見上げ、やがて毒々しいまでの赤を湛えた口を三日月の形に歪めた。
「嘘か」
「まず、妖はおそらく座敷童かなにかだと考えるべきだろう。住み着いた家に富をもたらす妖といえば、真っ先に思いつくのは座敷童だからな。……しかし、妖が精神に異常をきたしているというのは嘘だ。もしも仮に、訪れた人間達が無事に戻ってこられない場所となっているなら、なぜ妖の気が触れているのが分かる?」
「依頼主はそれを知っておるのだろう? そも、依頼主が人間であるとするならば、誰一人として無事に帰還出来ぬというのも嘘となるな」
黒豹が低い笑みを漏らす。
啓斗は苦虫を潰したような表情で、停めていた足を再び歩みだした。
「おそらくは、」
歩みながら、啓斗は独り言をごちるようにぽつりと落とす。
「閉じ込められているというのも嘘だ。……そうは思わないか? おまえも嘘吐きだから分かるだろう、フラウロス」
しかし、その問いかけに応える声はなかった。
ただ、じっとりとまとわりつくような暗闇ばかりが広がっている。
点在していた廃墟を横目に見遣り、やがて、啓斗は緩やかな傾斜の上へと足をかけた。
舗装のなされていない路面はやはり畦道のように続いていたが、傾斜から先は石が突出した地となっており、歩くとじゃりじゃりと石が転がった。
ほどなくして上り終えた坂道の上には見る者を圧倒するような構えをもった門戸があり、しかし、そこにかけられていた表札は、もはや読み取る事の出来ない状態となっていた。
「行くのか」
しばらく黙したままだった黒豹が、闇の中からそう問い掛ける。
啓斗は黙したままで門戸を見上げ、それから迷う事もなくそれをくぐり行った。
夜目に馴染んだ視界に、手入れの届いた庭が映りこむ。――肩から提げたカバンの中には、懐中電灯と蛍光塗料の入った小さな缶を詰めてある。だが、啓斗はそういった道具をもって暗闇を照らすといった事を、どこかしらで避けていた。もっとも、その理由は、本人でさえも理解出来てはいなかったのだが。
石灯籠に竹林、蓮の咲いた池、きちんと刈り込まれた垣根や風にざわめく数種の木立ち。
置き石の上を渡って戸口の前に立ち、改めて屋敷の様子を確かめる。
白壁で覆われた平屋作りの大きな屋敷だ。敷かれた瓦も見事なもの。
引き戸は施錠もされておらず、容易にすらりと開けられた。
開かれた引き戸の向こうには、右手に襖、左手には壁で挟まれた長細い廊下が続いていた。
玄関口で靴を脱ぎ置くべきかどうかを思案してから、啓斗は脱いだ靴を片手にぶら提げて持ち歩く事にした。
確かに、片手が塞がってしまうのは、万が一の事態を思えば望むべき事ではないだろう。が、土足で上がりこむのも気が引ける。
なにしろ、床板を含むあらゆる箇所は、庭木と同様にきちんと掃除されてあったのだ。――無人の屋敷であるはずなのに。
「住む者のいなくなった家は、やがて朽ちていくものだというが……」
ごちた言葉に、黒豹が静かな応えを述べる。
「住む者の気を吸い込んでいくものだからな」
「その割には……この屋敷はまるでそういった気配がない」
言いながら、右手に続く襖の一つに手をかける。
襖には桜や彼岸花、芒といった四季折々の草花の絵が描かれてあった。
初め、桜の襖に手をかける。が、すらりと引き開けられたその向こうには、畳敷きの部屋や物置といった空間に代わり、行き止まりを知らせる壁が姿を見せていた。
次いで、彼岸花の襖。
開かれた襖の向こうには線香の煙が立ち込めていた。そこは仏間だったのだ。
仏壇の中で小さな火がちらちらと揺れている。
啓斗は眉根を寄せた後に、次いで、芒の襖に手をかけた。しかし、その襖は頑として開かず、次ぐ椿の襖の向こうは四角い箱で埋め尽くされた小さな物置が広がっていた。
「……この中を進めという事か」
ぽつりと呟き、彼岸花の襖の向こう――仏間の中へと歩みを入れる。
仏壇には、古びた写真が飾られてはいたが、その中の顔を確かめる事は出来ないようだった。
飾られた数本の彼岸花が、線香の煙と同様に、小さな揺らぎを見せている。
「……フラウロス」
部屋の中に風のないのを確かめながら、啓斗は、気配すら漂わせずにいる同行者の名を口にした。
「無用な戦闘は避けたい。……もしも何者かとの接触があった場合には、俺が一人で解決する」
断りをいれながら、カバンから瑠璃の腕輪を取り出し、腕に巻く。
フラウロスは否とも応とも返さず、しばらくくつくつと笑みを零したままだった。
仏間は四方を襖で囲まれていたが、しかし、その内の一つが、啓斗の手を要する事もなくすらりと両開きになった。
向こう側に見える和室には、卓袱台と二枚の座布団が敷かれていた。卓袱台の上には湯気を立てている湯呑が二つ。
その和室に踏み入ると、やはり、襖の一つがすらりと開いた。
「歓迎されているようだな」
フラウロスがくつくつと笑う。
啓斗は、招かれるまま、数部屋もの和室の中へと踏み入る結果となったのだ。
そして、やがて、啓斗の眼前に、薄っすらとした明かりを帯びている障子が姿を現した。
橙に光るぼうやりとした明かりは、おそらく雪洞か何かが放つものなのだろう。
啓斗は、やはり躊躇を見せる事もなく、障子に手を伸べた。
開かれた障子の向こうは三方を壁で覆われた広い和室が広がっていた。
焚いた香木が放つ香りと、雪洞が放つぼうやりとした光。そしてその中に、和装の少女が立っていた。
しゃあッ と、フラウロスが牙を剥く。啓斗の言葉に背き、眼前の少女を喰らおうとでもいうのだ。が、啓斗は横目にそれを制し、それから障子の上部に視線を向ける。
そこには数多くの札が貼り付けられていた。
しかし、
「……これでは、もはや楔としての役目は果たせまいが」
黒豹がそう低く告げて笑う。
啓斗は一頻り札を確かめた後に、ゆるゆると少女に視線を寄せて小さな息を落とした。
「……やはり、おまえは自らの意思でこの場に繋がれていたんだな」
呟き、札の一枚を剥ぎ取る。札は壁を離れると、見る間に黒く変色していった。
少女は両手で抱え持つようにして、小さな赤い手毬を手にしていた。
照らされたその顔には、笑みの一つも浮かんでいない。
「なあ、一つ訊きたいんだが、……構わないよな」
言葉を続けながら障子を潜り抜ける。部屋の中の空気は存外に清浄なものとなっていた。
「おまえは、この札などではなく、この家の主に囚われたのではないのか?」
静かな口調で問い掛ける。が、少女は眉一つ動かそうとはしない。
「もしもそうだとしたら、……おまえの主はもうこの世にはいない。……皆、彼岸へと渡ってしまったんだ」
続けてそう口にした、次の瞬間。
少女が手にしていた赤い手毬が、ぽうん、と、床を跳ねた。
じゃあ、小さなあの子も、死んでしまったの?
手毬が床を跳ねる音に混じり、少女のか細い声がそう問い掛ける。
啓斗は、しばしの思案の後に、ゆっくりと首を縦に動かした。
少女は啓斗の応えを確かめ、後、ゆっくりと目を閉じて俯いた。
わかった。――じゃあ、わたしもあの子のところに行くね。
わたしたち、ともだちだから、あの子とたくさんあそぶのよ
少女の声がうなずいた。その刹那、屋敷は重々しい音を軋ませて大きく揺れた。
少女の姿は、もうどこにも見えなくなっていた。
フラウロスに促され、啓斗は和室を後にする。
軋み声をあげながら崩れていく屋敷をかいくぐり、真っ直ぐに庭を目指して走り抜ける。ほどなくして見えた庭の中に飛び込むと同時、屋敷は見る影もなく崩れ落ちていったのだった。
夜風が庭木を撫でていく。
池の水面には静かな波紋が広がり、からころと鳴く虫の唄までもが響いている。
「解放されたようだな」
闇の中で、フラウロスがくつくつと笑っている。
「喰いそこなったな」
啓斗は、先ほどまではなかった月を仰ぎ眺め、静かに、小さな息を吐いた。
その足元に、少女が残していった赤い手毬が転がっていた。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0554 / 守崎・啓斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍)】
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ライター通信
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お世話様です。このたびは当ゲームノベルへのご参加、まことにありがとうございました!
さて、このノベルのとりを飾っていただいた啓斗さんですが、いただいたプレイングのおかげで、妖が抱いていた心の一片を描写する事が出来ました。
残念ながら恋仲というわけではなかったのですが、ほんのりとしたものを感じていただけましたら幸いに思います。
また、フラウロスですが、よろしければまた今後ともご指名いただけたらと思います(礼)
それでは、ありがとうございました。
またお会いできる機会をいただけますようにと祈りつつ。
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