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<東京怪談ノベル(シングル)>


Wynn

 私が彼の元に嫁いだのは、まだ雪深い季節のことだった。
 婚礼だというのに笑っている人は誰もおらず、花嫁である私を乗せた橇は、まるでヘルヘイムへ向かう行列のように吹雪に俯いている。
 でもそれが正しいのかも知れない。
 この婚礼の列は、死出の旅だ。
 永遠に戻ることのない、フェンリルに捧げられるための葬列…。

 私の住んでいた村は、北欧の名も無き小さな村だった。
 短い夏と、雪深い冬が支配するそんな場所…時代は丁度17世紀ほどで、キリスト教が異端審問の勢力を強めており、各国で飢饉、戦争、内乱が相次いでいた頃の事だ。そんな小さな村で私達は北欧神話の神々を祭り崇拝しながら、ささやかで幸せに暮らしていた。
 魔女狩りの災禍にも見舞われず、まるで奇跡のように存在していたのには理由がある。それは雪深い森に隠れ住む、人狼のおかげだった。
 本当はどんな名前だったのかは分からない。ただ、私達は北欧神話に習って「フェンリル」と呼んでいた。
 彼は何年かに一度、異教徒から守ってやる代りに花嫁を差し出せと要求する。私達はそれを拒否することは出来なかった。近親婚も多く、放っておいても滅んでしまうような小さな村だったが、それでも私達はそこにしか住むことが出来なかったからだ。
 今までも花嫁は何人も捧げられた。花嫁達が誰一人として帰ってこないまま、人狼はまた花嫁を差し出せと要求してきた…もう一番若い娘は私しか残っていないのに。
「これが最後の婚礼になるだろうね…」
「この前の花嫁はたった二年前じゃないか…Sifがこの村で最後の子供だというのに」
 村人達はそう言ってすすり泣いている。私はそんな皆の手を取り、微笑んだ。
「いいのよ。お願いだから泣かないで、笑って送り出してちょうだい。そして、私が嫁いでいる間に安住の土地を見つけて」
 出来るだけフェンリルの元に長く嫁いでいられれば、その間は村は平和でいられる。彼が一体どんな人物なのかは全く分からないが、私が嫁がなければ村はキリスト教徒か彼によって滅ぼされるだろう。だから私は出来るだけ長く彼の元にいなければならない…その間に皆が村を出て安住の地を見つけらるのなら、私はそれで充分だ。
 そうして私は彼の元に嫁ぐことになった。

 橇は無言のまま雪原を進み、そして森の入り口に止まる。
 そこがいつも彼が花嫁を迎えに来る場所だからだ。私は村の皆が作ってくれた白いドレスと、毛皮で作られたケープを羽織り橇から降りた。
「私が嫁いだら、安住の地を見つけに行ってね…お願いよ」
 私の言葉に皆は答えなかった。ただすすり泣きが聞こえるだけだ。
「さよなら…」
 皆に背を向け私は森の奥へと進んでいく。
 持ち物は何もない。私が彼の元に持って行けるのは、「ヴォルヴァ」と呼ばれる巫女の家系で学んだルーン魔術などの知識だけだ。先ほどは村人達の葬列だったが、今は私一人でフェンリルのあぎとに向かっている。
 その時だった。
「…お前が花嫁か?」
 風が一瞬強く吹き抜け、雪煙の向こうに人影が立っていた。それは私が思っていたのよりも大きく、風の中でも響き渡るほど力強い声だった。
「は、はい…」
 怖い。
 一体どんな獣がそこにいるのだろう…身をすくめたのは風が強く吹いたからではなかった。その力強い声に私は怯えていたのだ。だが、彼は私の側に近寄ると、自分が着ていたマントで私を吹雪から守るようにそっと包みこむ。
「寒かっただろう。名は何という?」
「Sifと言います」
 大きく暖かい体。私が驚いて顔を上げると、そこには銀の髪をした大きくてたくましい男が優しく微笑んでいる。
 彼は私を包み込んだまま、そっと壊れ物を扱うように抱き上げた。その体からは森の香りと、ほんの少し血の匂いがする。
「いい名だ…ここは寒いから早く私の家に行こう。お前のために暖かいワインを用意してある」
「………」
 もしかしたら思っていたよりも優しいのかも知れない…そう思ったが、やはり私は彼が怖かった。村の誰よりも大きな体に、人とは思えないほど美しい銀髪。もっと良く顔を見ようと思っているのに、怯えて顔が上げられない。
 すると彼はくすっと笑いながら私を抱く手に力を込める。
「私が怖いか?」
 その言葉に私は一つ頷いた。ここで嘘をつくのは簡単だが、そんなものはあっという間に見抜かれるからだと思ったからだ。彼の機嫌を損ねるかも知れないと思いながらも、私は嘘をつくことが出来ない。
「お前は正直だな…今までの娘は皆怯えながらも『怖くない』と言ったものだが」
 そう言った彼の声はとても優しく、花嫁を喰らう人狼にはとても見えなかった。

 彼の家に行っても、私はしばらく彼が怖くて上手く話しかけられずにいた。だが彼はそんな私に腹を立てる様子もなく、自分からよく話しかけてきてくれた。
「好きな花は何だ?」
「村の話をしてくれないか?」
「去年作った木イチゴのジャムがあるが、木イチゴは好きか?」
 そうしていくうちに、私は彼が怖いという気持ちを徐々に忘れていった。春になって雪が溶け始めれば二人で魚釣りに行き、夏になれば山の中で果物を取ったり、木を切ったりして暮らす。それはささやかだが幸せで、穏やかな日々だった。
 私が時々家の守りのために木にルーンを彫っていると、彼は収穫した野菜などを持って私の隣に座り興味深そうにそれを見る。
「Sif、これには何か意味があるのか?」
「ええ、ルーン文字なの。今彫っているのは家の守りのHagall(ハガル)のルーンで、一つ一つ文字にもちゃんと意味があるのよ」
 そう言って私が彫ったばかりの木片を彼に見せると、彼は嬉しそうに笑う。
「Sifは物知りだな。他にも何か面白い話はないか?私はこの森から出たことがないから、お前に聞かせられるような話を知らないんだ」
「そんな事ないわ。甘いイチゴの見分け方やたくさん魚を捕る方法とか、私が知らなかったことを貴方はたくさん知っているわ。私、それを聞くのがとても楽しいの」
 私が言ったことは本当だった。
 最初怖くなかったと言えば嘘になる。だからこそ彼の本当の優しさを知り、彼の孤独に触れることが出来た。
 狼は群れで暮らすと言うが、彼には仲間さえいない。もしかしたら彼が花嫁を求めるのは、そんな孤独を紛らわせるためなのかも知れない…たった一人、自分以外の仲間を持たない彼の孤独を誰が埋められるのだろう。そう思うと胸が締め付けられそうなほど切なくなる。
「そうか、それなら良かった。Sif、私はお前に宝石一つ与えない悪い男だな…」
 急にそんな事を言い始めた彼に、私は思わず彼の手を取った。
 宝石もドレスもいらない。ただこのまま彼と一緒に穏やかに暮らして行ければ、それでいい。私はじっと彼の顔を見つめる。
「そんな事言わないで。私は充分幸せだから」
 そう言いながら私は心の中でWynn(ウィン)のルーンを思い浮かべる。
 愛や幸福を示すルーン…私は彼を愛し始めていた。
 最初は村を守るために長く嫁いでいられればいいと思っていた。彼にキリスト教徒達から村を守らせ、そうやって時間を稼いでいる間に村の皆が安住の地を見つけてくれればいいと思っていた。
 でも、今は違う。
 出来るだけ彼の側に長くいて、彼の優しさに触れ孤独を埋めてあげたかった。
 彼が人狼だということも分かっている。今は穏やかに暮らしているが、私も今までの花嫁達のように彼に喰われるかも知れない。
 一度だけ彼が話してくれたことがある。
 何年かに一度どうしても抑えられなくなる殺人衝動を持っていて、その度に今までの花嫁を全て喰らっていると。だが、その事に対して深い罪悪感を持っていることも。
「私は貴方の側にいられれば幸せなの」
 彼に喰われるのなら、それもいいかも知れない。
 そうすれば私は彼と永遠に一つになれる。
 でも、彼をまた孤独の中に追いやってしまう。
「Sif、私もお前の側にずっといたい…こんな気持ちは初めてだ」
 それが私達にノルンが与えてくれた、一番幸せな時だったのかも知れない…。

 幸せはそう長くは続かなかった。
 やがて彼は押さえがたい衝動に突き動かされるようになり、私から遠ざかることが多くなった。一日中部屋に籠もったり、一人夜の森の中に消えていったりすることもしばしばで、私はその度に彼の身を案じていた。
 喰われることは怖くない。
 でも彼を孤独に追いやるのが怖い。
 その反発する気持ちを抱えながら、私は彼が閉じこもっている部屋の前で呼び掛ける。
「お願い、私を食べて…」
「嫌だ。お願いだ、私が自分を抑えられる間に逃げてくれ…私はお前を喰らいたくない」
 そんなやりとりが続き、終わりは突然にやってきた。
 満月の夜、彼は銀毛の半獣の姿で私の前に現れた。私はあの婚礼の日に来ていた白いドレスを着て、彼の前に佇む。
「………」
 彼は既に人の思考を失っていた。その爪が身に食い込むほどの力で私を強く抱きしめる。生暖かい息が首元にかかり、そこに牙が突き立てられるのだろう…私はそっと目を閉じた。
 そこに彼の牙が吸い込まれるように突き刺さる。
 鋭い痛みと、指の先まで流れ落ちる血の暖かさを感じながら私はそっと微笑んだ。これだけは最後に彼に伝えたい。これ以上牙が刺されば声が出なくなるかも知れない。
 コト…と音を立て、私の左手からルーンを刻んだ石が落ちた。そこに彫っていたのはWynn(ウィン)のルーン…。
「愛してる…わ…」
「Si…f…?」
 その瞬間、彼はものすごい勢いで私を突き飛ばした。そしてそのまま外へと駆け出していく…慟哭のような遠吠えが夜の森に響き渡る。
「待って…!どうして?どうして私を食べなかったの?」
 彼が飛び出した後を私も追いかけた。首元の傷みは不思議と気にならなかった。
 だが血に染まったドレスの裾が下草や木々に引っかかり、彼の元へと行かせてくれない。まるで森が彼の意志を知ったかのように、私の足をもつれさせる。
 彼が向かったのは、私が生まれ育った村だった。
 私がそこにたどり着いたときには、全ての惨劇が終わった後だった。私が嫁いだ後も皆は村を離れずここにいて、一人残らず彼の爪や牙に引き裂かれていた。まるでそれが初めから決められていた運命だというように…。
「Sif…どうして…来た…?」
 だが彼も無事ではなかった。
 ルーンが刻みつけられた剣が何本も体に刺さっている。それでも彼は立ち上がろうとしていた。私はそんな彼の元まで駆け出し、彼の体を抱きしめた。
「どうして…?私を食べれば良かったのに」
 そう言って泣く私の涙を、彼の指が拭う。
「もう…終わりにした…かっ…た…。お前が…私の最…後の花嫁…」
「いいの、もういいのよ…」
 彼の唇が私の唇に触れた。それは甘い血の味がするキス…。
「愛して…る…Sif…」
「私もよ。私も貴方のことを愛してる…」
 彼の体が冷たくなった後も、私は赤いドレスを着たままずっと彼を抱きしめていた。

 あれから私はずっと生き続けている。あの時、彼にもらった人狼化の能力と共に。
 でも私は自分の魔術でその力をコントロールできている。理性をなくし人を喰らうこともない。
 もし…あの時私にもっと力があれば、彼を救うことが出来たのだろうか。
「過去の話よね…」
 私はこれからも彼の能力と共に生き続けるだろう。時が止まってしまった彼の代わりに、泣き、笑い、人を愛して私は生きる。
「さて、今日もお仕事頑張ろうかしら」
 そう呟いた私の腕に光るブレスレットには、Wynn(ウィン)のルーンが刻まれている。

fin

◆ライター通信◆
ご指名ありがとうございます、水月小織です。
過去の話と言うことで、設定なども見ながら書かせていただきました。人狼の話は元々大好きなので、書かせていただいて幸せです。
この話は過去の物として乗り越えているとのことですが、力だけは共に生き続けているのかなと思い、ラストは思い出すような感じにしました。タイトルも、ルーン魔術の使い手と言うことでルーン文字からとりました。
リテイク、ご意見などはご遠慮なく言ってくださいませ。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。