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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


nocturnal assault



 夜道をただぶらりと歩いていただけで、いきなり何者かに襲われたのだと依頼者は語った。
 その姿は夜陰に紛れて見えず、声が静かな空気を震わせて告げた。

 何の恨みもありはしない。
 むしろ、好意さえ抱いているのだと。

 なのに、襲撃者が手にした武器は殺意に似た感情をみなぎらせて、依頼者の頬をかすめた。
 その場は何とかしのいだものの、尋常ならざる気配に身の危険を感じて、依頼者はその足で草間興信所までやって来て扉を叩いたのだという。

 依頼者が襲われた理由も、襲撃者の正体も目的も不明。
 狙われたのは身柄か、命か、それとも他の何かなのか。何もかもが判然としないまま。
 それでも草間武彦がその依頼を受けたのは、別に依頼者の様子が切羽詰っていたとか、襲撃者の背景に興味があったとか、そういう理由ではない。
 そう、単に懐具合が寒かったのだ。



 陸玖翠の背には銃口がつきつけられている。
「ごめんなさいね」
 女はそう謝るけれど、口調はいかにも楽しげだ。
「貴女の噂は聞いているわ。聞けば陰陽師というものは、殺しも請け負うとか」
 女の言うのは呪殺のことだろう。
 翠は何も答えない。
「ある意味、私達と同業ね。随分と優秀だそうだから、スカウトさせてもらいたいくらい」
「お断りします」
 切り捨てる口調で答え、翠は意識を眼前に戻す。
 そこには容赦なく二本の半月刀を振るって『標的』を葬り去ろうとする刺客の姿があった。
 そして『標的』にされた草間が木箱を抱え、その攻撃を紙一重でかわし続けている。
「武彦」
 呆れたような口調で翠は言う。
「依頼は取り消す。もうそれを守らなくてもいい。だから少しは反撃しろ」
「馬鹿を言え。俺はプロだ。一度受けた依頼を途中で放り出すような真似は──」
 答えた草間の首を狙って、半月刀が真横に一閃する。とっさにしゃがんで避けた草間の髪が一房、切り払われたのが見えた。
 避けたところを、胴を切り裂こうともう一本の武器が襲い掛かる。それを、草間はすんでのことで横に飛んでかわした。
「すばしっこい男ね。でも、そろそろ体力の限界かしら」
 女が面白そうに言う。確かに草間は肩で息をしていた。
 翠は深々と嘆息する。
「私の依頼が元で死なれては寝覚めが悪い。とりあえずその箱はどこかに置け」
 翠が言うのに、草間はいっそうしっかりと箱を抱いた。
 石頭め、と呟いて、翠はちらりと自分の右手の甲に視線をやる。そこには最初の襲撃で受けた傷が口を開き、今も指先から血の雫が落ちていた。
 その視線に気がついたのか、女は申し訳程度にすまなそうな声音を出す。
「怪我をさせるつもりはなかったのよ。ただちょっとご挨拶をと思っただけなの」
 銃を向けておいて言う台詞ではない。翠は冷たく背後の女を睥睨した。
「私を襲って、武彦をおびき出そうという魂胆でしたか」
「あら、それはうがち過ぎというものよ。今回はたまたまこういう結果になったというだけの話」
 言って、女は不敵に笑う。
「草間をおびき出すのが目的なら、もっと弱い者を狙って殺していたわ。その方が作戦として効果的だもの」
 ある意味、翠が通りかかって正解だったのかもしれない。もしも他の誰かが襲われていたらと思うと嫌な気持ちになる。
「雇い主は誰です?」
 愚問と分かっていて翠は訊ねた。
「貴女が私なら答えて?」
「答えませんね。武彦に聞いても、心当たりがありすぎて分からないと答えるでしょう」
「そういうことよ。あの男は敵が多すぎる」
 そんな会話の間にも、草間には容赦のない斬撃が降り注ぎ、翠の手からは血がしたたり落ちていく。
 翠は刺客の攻撃パターンを分析する。いくら草間が百戦錬磨とはいえ、これを相手に逃げおおせるのは難しいと言えた。あんなお荷物を抱えていればなおさらだ。
「武彦、依頼内容の変更ならどうだ? その木箱を投げ捨ててもらいたいのだが」
 草間は答えず、ただ首を横に振った。そのこめかみから汗が流れ落ちる。
「……値段を教えるんじゃなかった」
 思わず翠はそう呟いていた。女が興味津々という口調で訊ねる。
「あの箱の中身は何なの?」
「酒です」
 しかもただの酒ではない。この国には三本しか入荷していないという貴重な酒だ。それを大事に持ち運ぶ最中に、まさかこんな目に遭うとは。
「いくら?」
「一本、二百万」
 女は「あらまあ」と、緊張した場の空気に似つかわしくない呑気な声を上げた。
「素敵だこと。草間を片付けたら、あれを祝杯に頂くというのも悪くないわね」
「貴方の口には入りませんよ」
「嫌われたものね。暗殺稼業もやってみれば悪くないわよ。……本当に仲間になる気はないの?」
「ありません」
 一蹴する翠に、女の声が低くなった。
「そう、残念だわ。なら私は貴女を始末しないといけなくなる」
「何故?」
 翠は問う。背後の女も、草間に襲い掛かる刺客も、どちらも歪んだ銀色の仮面をつけていて素顔は見えない。
「私達が草間を殺せば、貴女は雇い主を探し出して倒そうとするでしょう? それは困るの」
 翠がわずかに身じろぎすると、銃口が強く背中に押しつけられた。
「動かないで。符を取り出したり、攻撃しようとしたりすれば即座に撃つわよ。いかな陰陽師とはいえ、飛び道具が相手では分が悪いでしょう?」
「……確かに、相手が悪い」
 随従の式神・七夜は既に女の命令で封じさせられている。呼べば姿を現すが、それと同時に翠が撃たれることになる。
 撃たれてしまっても死なずの翠に問題はないのだが、自分が完全に復活するまでの間、草間の敵が二人になってしまうのは大問題だ。
 防御するにしても攻撃するにしても、符を出すことができなければ難しい。幸いにして両の袖口に一枚ずつ符が仕込んであるのだが、それだけでこの二人組に太刀打ちし切れるかどうか。
 草間はと見れば、これ以上攻撃をかわし続けるのは無理だと一目見て分かるほどに疲弊していた。
 これ以上の猶予は許されない。そう読んで、翠は口を開いた。
「他に方法がない。──貴方に恨みはありませんが」
「おかしな真似をしないことね。仲間になるつもりがないのなら、今すぐ撃ち殺してあげる」
 勢いよく振り返った翠に向けて、女は躊躇なく撃つ。
 なのに、銃声が夜闇に響くことも、弾丸が翠の体を貫くこともなかった。
 翠の袖口から一枚の符が落ちた。──禁呪の符が女の持つ銃を呪い、その効力を無にしたのだ。
 驚きに凍る女の表情を冷ややかに見やって翠は言った。
「貴方は陰陽道にあまり詳しくない。それなのに、私に『挨拶』などしたのが間違いです」
 強力な武器からただの鉄の塊になったものを打ち捨て、女は背から二本の短剣を引き出した。斬りかかる女から、翠はわざと左側へ逃げる。
 翠の血で地面に描かれた不思議な文様の上に、女を導くように。
 女の黒い爪先が文様に触れるや否や、その体に赤い文字が浮かぶ。それが何を意味するのか説明するのも面倒だったが、伝えておくのも一興だ。
「貴方の雇い主は、草間武彦という男に呪いをかけたようなもの。私はそれを返します。……これを呪詛返しと呼ぶのですが」
 自分の体に次々と不気味な文字が刻まれていくのに、女は悲鳴を上げ、まるでそれを消そうとするかのようにあちこちをはたきはじめた。その様を顔色ひとつ変えずに眺めながら、翠は淡々と告げる。
「貴方には、そのための符となって頂きましょう。雇い主によろしくお伝え下さい」
 それに気づいた刺客が、翠の目的を果たさせまいとその背に飛びかかる。
「翠!」
 草間の呼ぶ声に振り返った翠の体を、女の両手が戒めた。振りかざされた刺客の武器が、月光をはらんで鈍く光る。
 女の手は巌のように堅固で、自力ですぐさま振り解くのは無理だった。翠が七夜を呼び出すのが先か、それとも半月刀が振り下ろされるのが先か──。
 そう思った瞬間、何かがガツンと大きな音を立てて刺客の後頭部を直撃した。続いて、瓶の割れる不吉な音が。
 翠の足元の闇が猫の形をとり、銀の爪が女の腕を引き裂いた。そうして女の足元の闇は口を開け、彼女の体をずぶずぶと飲み込んでいく。悲鳴とともに。
「……やっちまったな」
 古いビルの壁に背を預けて座り、肩で息をしながら、草間が失意のにじんだ口調で呟いた。
「悪い。……依頼料は返す。だから弁償は勘弁してくれ、っていうのは、甘いか……」
「いや、私も油断していた。符はあったのだから、女の動きを完全に封じておくべきだった。武彦の判断は正しい」
 草間が酒を犠牲にしていなければ、翠の体は今頃真っ二つだ。別に障りがあるわけではないが、だからと言って見殺しの状態に追いやられて気持ちのいいものではない。
 友人の機転に感謝しつつ、翠は手を差し伸べる。
「立てるか?」
「いや、もう少し休ませてくれ」
 荒い呼吸を繰り返す草間を置いて、翠は倒れ伏した刺客の動きを封じて転がしておいた。──あとは野となれ。
「畜生……、二百万が……」
 草間はガリガリと頭をかいた。よほど悔しかったし惜しかったのだろうと思う。
 このタイミングでこれを言うのはどうかと思ったのだが、言わないわけにもいくまい。翠は懐に手を差し入れた。
「武彦」
「うん?」
 顔を上げた草間が、翠が取り出したものを見て愕然とする。
 そこに割れたはずの酒瓶があるのを見て、彼は口をぱくぱくさせた。
 翠の依頼は、この貴重な酒を家まで送り届けること。だが、実はそれは符で作った偽物だった。
 襲撃者の真の目的が分からない以上、万が一のことを考えて、念には念を入れておいて正解だったというわけだ。
「翠……、おまえ……!」
 叫んだ草間の肩をぽんぽんと叩き、翠はしれっと言い放つ。
「構わないだろう。酒もおまえも私もこうして無事だったわけだから」
 返す言葉もない様子で、草間はがっくりと肩を落とした。
「……はっきり言ってやる気をなくしたぞ、俺は」
 むくれたようにそう言って、草間はそっぽを向いてしまう。翠はそれをなだめるようにこう口にした。
「飲みたくないのか? この酒」
 その言葉に、草間が弾かれたように振り返った。
「飲ませてくれるのか? その二百万」
 二百万二百万言うな、とたしなめてから、翠はかすかに笑う。
「元々、おまえと飲もうと思って興信所まで足を運んだんだ」
「……ちょっと待て。それならうちで飲んで帰ればよかったんじゃないか?」
「馬鹿者。あの雑然とした部屋でこの酒を味わうつもりか。いい酒を飲むには、それに見合った環境というものがあるだろう」
 たとえば、美しく整えた庭。きちんとしつらえたテーブルと瀟洒なグラス。旨い肴と涼やかな虫の音。
「……確かにな」
 ようやっと草間が腰を上げる。それに、翠は琥珀色の瓶を押し付けた。
「今度は割るなよ」
「これは……本物だよな?」
「さぁ、どうだろう」
「おい……」
 不審そうな表情を浮かべる草間に、翠は小さく笑って答える。
「本物だ。信じろ。あとは任せた」
 邪魔者は退けた。もう問題はない。今頃は、草間に刺客を放った者が己の行為の報いを受けていることだろう。
 人を呪わば穴二つ。翠はそう心の中で呟いて、密かに微笑んだ。



■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【6118 / 陸玖・翠 (リク・ミドリ) / 女性 / 23歳 / (表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師 】