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Ｍｏｏｎ Ｆｌｙ
☆ ★
銀の鳥籠に入っていたカナリアが、あまりにも哀しそうに囀るから・・・
そっと扉を開けて、空へと放した
真っ直ぐに飛んでいくカナリアは、青い空の中白く浮かんでいた月へと吸い込まれていった
「そう・・・貴方のいるべき場所は、そこなのね」
呟いた言葉が風に攫われる。
長い銀の髪が、開け放たれた窓から吹き込んでくる冷たい風に靡かれて、ゆらゆらと上下に蠢く。
「今日は満月になるかも知れませんね」
部屋の中、何も言わずに事の成り行きを見守っていた鷺染 詠二（さぎそめ・えいじ）に笹貝 メグル（ささがい・−）はそう声をかけた。
「そうかも知れないね」
「お兄さん、久しぶりにあっちに行ってみませんか？満月になれば、道が出来るでしょう？」
「あのカナリアを追って？」
「いいえ。カナリアはもう私の手を放れてしまいましたから、追う事はしません。アレはもう、自由になったのですから、何処へでも行って良いのです」
「そっか」
「・・・ねぇ、お兄さん。どうせでしたら、誰か・・・行きたいと仰る人も一緒に、連れて行っても良いでしょうか？」
「鷺染の仕事として？」
「いいえ。お月見として」
「・・・お月見は普通、ココでするものだよ？」
「だって、地上で見るにはあまりにも遠いじゃないですか」
「あんなところ、何もないじゃないか」
「でも、何でもあるじゃないですか」
「・・・誰も、いないじゃないか」
「嘗ては、人だったじゃないですか」
「メグル、お前はアレが月から来たカナリアだと思っているの？」
「どうでしょう。けれど、アレは真っ直ぐに月へと飛んで行きましたから。まるで、そこがアレの居場所だとでも言うかのように、本当に真っ直ぐに」
「・・・お前の好きなようにすれば良い」
素っ気無くそう言うと、詠二は立ち上がってメグルの頭を撫ぜた。
くしゃり、髪が乱れるたびに弾ける甘い香りは優しかった。
「ただ、きちんと説明はしなさい」
「ふふ、お兄さん・・・口調が元のようになっているわ」
メグルが細く白い手を口元に当ててさも面白いと言った様子で笑い声を上げ・・・
「それじゃぁ私、外で声をかけてきますね。大丈夫です。きちんと説明しますから」
スルリと詠二の横をすり抜けると、小走りに扉の外へと出て行ってしまった。
「月なんて・・・哀しいだけなのに・・・」
詠二はそう呟くと、まだ手に残っていた髪の匂いに、そっと目を閉じた。
★ ☆
凛と透き通った声を感じ、梶原 冬弥は顔を上げた。
そうやって、気配と小さな声だけを先に現れる人間なんて、思いつく限りでは数人しかいない。その中でも、透き通った美しい声とともに現れる少女は決まっていた。
ふわり、不思議な雰囲気。
「メグル」
「お久しぶりね」
銀色の長い髪を揺らしながら、ストンと冬弥の背後に降り立ったメグルが、無垢な笑顔を向ける。
サラサラと揺れる髪と、細く華奢な体。
儚い、そんな言葉がよく似合う外見をしていた。
「どうした？」
「冬弥は、いつもソレね。どうした？何かあったのか？・・・何も無くちゃ、来ちゃダメなの？」
「そんな事ないよ」
「・・・ふふ、困った顔。私、冬弥の困った顔見るの好き」
「嫌な趣味だな」
「そう？」
クスクスと、甲高い笑い声に苦笑する。
トンと、靴底で床を鳴らしながら近づき、その髪に触れる。
「俺に用事があるのか？それとも、遊びに来ただけか？」
「半分半分。久しぶりに冬弥の顔を見たかったのもある。でも、用事もあるの」
「頼みごとか？」
「少し合ってて、少し違う、かな？」
桐生 暁は、夢幻館の両開きの扉を押し開けると階上へと続く階段を軽快な足取りで上っていった。
勝手知ったる夢幻館。行きたい部屋にはもう迷わずに行ける。
勿論、住人の部屋以外はどこがどうなっているのかは分からないのだが・・・
１つの扉の前で立ち止まり、少し考えた後でノックもせずにそっと扉を開ける。
薄く開いた扉の向こう、見慣れた姿と見知らぬ１人の少女の背中。
サラリ、銀色の髪が揺れる。冬弥が、その髪に触れ・・・見た事もないような、柔らかい表情で微笑んだ。
その刹那、微かな違和感が暁の中で頭をもたげた。
それが一体どう言う感情なのかは分からないが・・・それでも、その感情は小さな痛みを伴っていた。
「暁？」
きちんと握っていたはずのドアノブが暁の手の中で回り、微かな金属音を立てる。
冬弥の瞳が真っ直ぐに暁に向けられ、銀色の髪をした少女がこちらを振り返る。
――――― 儚い、美少女。
冬弥も随分整った顔立ちをしているが、それとはまた違った意味で少女は美しかった。
不思議な雰囲気は儚く、華奢な体はもなを思い起こさせる。
ふわりと微笑む表情は大人びており、夢幻館にはいない種類の人間だと、刹那感じた。
「冬弥の、知り合い？」
「あぁ。暁、何やってんだよ。こっち来いよ」
「あ・・・うん・・・」
「初めまして。暁さん、って仰るんですか？笹貝 メグルと申します」
「桐生 暁です・・・」
まだ高校生くらいだろうか。暁とそれほど変わらない外見年齢のメグルは、しっとりとした大人の雰囲気を纏っていた。
「そうか。お前ら初めて会うのか。ほら、暁・・・覚えてるか？ホワイトデーの時、葡萄園行っただろ？」
「あ・・・うん・・・」
「その券くれたやつの妹」
「・・・あら、冬弥のお相手は桐生さんだったんですね」
「暁で、いーよ。俺もメグルちゃんって呼ぶし」
「暁さん」
「うん・・・」
暁はまともにメグルの瞳を見れないでいた。
純粋で穢れを知らない瞳は、あまりにも天使的で・・・メグルと一緒に居ると、自分の嫌な部分が見えてきてしまいそうな気がした。
「そうだ。それじゃぁ、暁さんも一緒に行きません？」
「行く？」
「えぇ。月の世界へ」
突拍子も無い言葉に、暁が瞬きを繰り返す。
クスリと、目を細めるメグルから視線をそらし・・・その肩を、冬弥がポンと叩いた。
「俺も１度行ってみたかったんだよ。月の世界。メグルと詠二の話には聞いてたんだけどな」
「そんなに月を良い風に言ってましたっけ？」
「不思議な世界なんだろう？」
「不思議な世界。でも、不思議は何１つとしてない場所。全ては、そうあるべき姿だからこそ、そうあっているだけ。全ては必然。全ては、あるがまま」
呪文のようにするすると紡がれた言葉に、暁が首を傾げる。
「意味は、分からなくて良いんですよ。月に行けば、感じられるものですから」
「俺は行くけど、お前はどうする？」
「んー・・・冬弥ちゃんが行くんなら、行く」
暁の言葉に満足したように、メグルが無邪気な笑顔を浮かべてパンと両手を１つ、合わせる。
「それじゃぁ、今晩迎えに参りますね。この部屋で、待っていて下さい」
メグルの小さく白い掌が、暁の細い腕に絡みつく。
・・・その瞬間、鳥肌がたちそうになった。
そのくらい、メグルの掌は冷たかった。体温が低いなどと言う次元の問題ではない。
まさに、氷のような冷たさだったのだ・・・・・・
「・・・メグル。どうして月の世界に行こうって、思ったんだ？」
窓の方へと歩いて行くメグルの背中に冬弥がそう声をかける。
メグルが何も言わずに窓を開け・・・カーテンが、大きく膨らんで揺れ動く。
太陽の光を反射した白は、あまりにも目に痛い色だった。
「カナリアが、行ってしまったから・・・」
「は？カナリア・・・？」
ぶわり、突風が部屋の中に吹く。
あまりの強風に目を閉じようとした時、メグルの体が窓の外に投げ出されるのが映った。
“危ない”
そう叫びながら駆け寄ろうとして・・・風がおさまった。
慌てて窓の外から見下ろした地面には、そよ風に揺れるチューリップが１本ピンク色の花をつけているだけだった。
☆ ★
冬弥の部屋でメグルの迎えを待ちながら、暁は所在無さ気に窓の外に視線を向けていた。
月明かりがボンヤリとした色で外を照らしている。
真っ暗な空、無数の星・・・・圧倒的な存在感で浮かぶ月は、完璧な円を描いていた。
「炭鉱で働く人ってさ・・・」
「は？」
ボーっとしていたらしい冬弥が、暁の小さな声に顔を上げて聞き返す。
金色の髪を弄りながら、暁がどう話したら良いものかと視線を下げ、暫く沈黙してから言葉を繋ぎ始める。
「炭鉱で働く人って炭鉱に入る時、毒ガスから身を守るためにカナリアを連れてくんだよね？」
「あぁ。そうらしいな」
「・・・それまではカナリアを大切にしてたのかも知れないのになぁ・・・」
哀しそうに目を伏せた暁を、何も言わずに見詰めている冬弥。
こう言う時に、かけるべき言葉を・・・冬弥は持ち合わせているはずだった。
それなのになにも言わないのは、あえて黙っているのだろう。
暁が何を言いたいのか、何を感じているのか、何を・・・考えているのか。その全てが分かっていない以上、中途半端な言葉をかけることを、冬弥は良しとしなかったのだろう。
言葉は時に人を慰め、癒し、そして時に・・・人を、酷く傷つけてしまうものだ。
「逃げればいいのにって、思う。・・・いや、ムリなんだろーけど。でも、何でカナリアは逃げないのかな」
銀色の冷たい檻の中、飛び跳ねるカナリア。
もしもその柵が開け放たれ、枷が外され、どこへでも飛んでいける羽根を手に入れたとしても・・・カナリアは、銀色の折の中で飛び続けるのだろう。
美しい声で囀りながら、哀しい歌を、紡ぎながら。
暁はそっと、首からぶら提げているペンダントに触れた。
・・・嗚呼、もしかしたら・・・
思い当たることがあり、目を閉じる。カナリアの心とリンクする心は、何故だか痛みを伴っていた。
「人に育てられた鳥は、もう外界では生きていけない」
餌も取れず、外敵からは身も守れず。
無償に与えられていたモノを、自分で手に入れるのは難しい。
どうやって餌をとる？どうやって身を守る？
・・・それは、全て人にやってもらっていたこと。
どうやっての部分は誰も教えてくれない。
そこが生きていく上で一番大切なのに・・・その部分を見失ってしまったら、１人では生きていけないのに・・・
「温室の居心地に馴れて、外に出るのが怖くなる時が・・・俺にも来るのかな？」
「暁・・・」
寂しそうな暁の横顔に何か言葉をかけようとした時、冬弥の背後にふわりとメグルと詠二が降り立った。
「お時間です」
「メグル・・・詠二・・・」
「君が、暁君？初めましてだね、俺は鷺染 詠二。冬弥とは腐れ縁、メグルとは兄妹なんだ」
詠二が紫色の瞳を細めながらそう言って、暁に右手を差し出す。
いたって無害そうな笑顔。けれど、底知れないモノをたたえた瞳の色を感じ取りながら、暁はその手を握り返した。
メグルとは違い、確かな人の体温を宿した掌は温かかった。
「月光の階段が消えぬうちに、参りましょう」
「月光の階段？」
「暁君の後ろに、あるでしょう？」
詠二が指差す先、何時の間にか開け放たれた窓の外。冷たい風が鋭く吹き付けてくる中で、淡い色をした階段が遥か彼方、空の上まで続いているのが見えた。
「すごー・・・」
「階段を上る時の注意があるんだけど・・・」
詠二の言葉に、トンと１段上った暁が首を傾げる。
「注意？」
「あー・・・ううん、なんでもない。暁君には関係ないかも」
「暁さんは、今のままの気持ちで上ればきっと上までいけますよ」
「？？？」
「ったく、能天気なヤツだな」
冬弥が溜息混じりにそう呟き、その言葉に暁がキっとした視線を向ける。
「能天気なんかじゃないってば！」
「はいはい」
「ふふ、本当に仲が良いですね」
細められたメグルの瞳の奥、微かな哀しみが見えた気がしたのは・・・・・・
ただの、気のせいだったのだろうか？
★ ☆
漆黒の森を抜ける。
その感覚は、不思議だった。
メグルと詠二の持った２つの明かりが、薄ボンヤリとした空間を切り開いていく。
カサカサと、小動物の足音が聞こえる中、黙々と進む先には大きなお城が１つ。
視覚よりも聴覚が敏感になっているため、どんな遠くの音でもやけに大きく聞こえた。
漆黒の森を抜ければ、そこには巨大な扉が構えていた。
詠二が手に持った明かりをそっとその扉に当てれば、音も無く内側へと開いていく。
「うわ・・・」
「明かり、もっと強く。噴水、水を」
「扉、開け。明かり、もっと強く」
詠二がそう言った途端、広い庭園のそこかしこから淡い色をした光が弾ける。
右手奥に置かれていたレンガの噴水から水が勢い良く飛び出し、空へと手を伸ばす。
メグルの透明な言葉に従って、玄関の扉が内側に開けば、そこには夢幻館と同じように赤絨毯が敷かれていた。
ボンヤリとした光しか灯っていなかった窓から、光があふれ出す。
「この明かりを持っている人の言葉に従っているんです」
「そうなのか？」
メグルが自分の顔の高さまで明かりを上げる。
「何かほしいものとかある？言えばなんでも出てくるよ？」
「俺は別に・・・暁は？」
「俺もない、かなぁ」
「俺達は少しやる事があるんだけど・・・２人はどうする？」
「うーん、俺、お城の探検したいな」
「ガキだな」
「冬弥ちゃんに言われたくないよ」
「・・・あと、できれば外を探索したいデス」
「なんでデスマス調になるの？」
詠二がクスクスと笑いながら、明かりを差し出す。
「それじゃぁ、これを預けておくね」
「いつ頃戻れば良い？」
「戻って来てほしい時になったら連絡するよ」
「分かった」
詠二が耳を指差しながら“連絡する”と言い、メグルがポケットの中から小さな赤い石のついたイヤリングを取り出すと冬弥の左耳につける。
「それじゃぁ、俺らはやる事があるから」
「あぁ、また」
「楽しい時間を過ごしてくださいね？」
メグルがふわりと微笑みながら、背伸びをして暁の頬にそっと口付ける。
「わっ・・・」
「ふふ」
悪戯っぽいメグルの笑顔に、思わず顔が赤くなる。
詠二が苦笑しながらメグルの頭をコツンと叩き、２人はそのままお城の中へと姿を消してしまった。
「ビックリした・・・。メグルちゃんって・・・」
「惚れたか？」
「そんなんじゃないって。・・・ねね、冬弥ちゃん。お城の探検しよう！」
「あぁ。・・・って、袖を引っ張るな！」
「だって冬弥ちゃん、歩くの遅い」
「お前が引っ張ると伸びるんだって。ほら、お前チビだから」
「るっさいなー！冬弥ちゃんがデカイだけじゃんっ！！」
プイとそっぽを向きながら、暁はあいた方の手で思わず頬を押さえた。
手はあんなに冷たいのに、唇は温かい・・・。今でもそこに残った体温と、掌に感じた冷たさがシンクロする。
☆ ★
テラスから眺める月世界は、何もない場所だった。
一面森に囲まれたこの場所で、空に浮かんでいるのは青い色をした月のような星・・・
「地球って、本当に青いんだねー」
「海の色だろ？」
「海って、空の色が映ってるんでしょう？」
暁のその質問には答えずに、冬弥が風に靡く髪を押さえながらふっと遠い目をする。
時折聞こえる獣の鳴き声に耳を澄ませ・・・口を伝って零れた言葉をメロディに乗せる。
世界の果てで 君を思う
空の上にいる 君を思う
いつになれば 君に逢える？
どれだけ待てば 君を感じられる？
夢は夢のまま 醒めないで
遠い日の思い出 褪めないで
君を感じていた時間を
セピアにしたくはないから・・・
ゆったりとした即興の詩と旋律は、ゆるりと吹く風に流されて行った。
風が通り過ぎていった先を見詰めて、暁は不意に訪れた寂しさに、無意識にロケットを弄っていた。
「ねぇ、冬弥ちゃん」
「何だ？」
「探索、しに行こうか」
「あぁ」
金色の髪を撫ぜる風が、まだ優しいうちに・・・この場所を後にする。
哀しい歌は、もう流されてしまったから ―――――
月の世界に居る動物には羽根がある。けれど、動物達は警戒心が強く、こちらには寄ってこない。
冬弥の言葉を聞きながら、暁は遠くで飛び跳ねる兎に視線を向けていた。
純白の羽根が２つ、背中から生えている。
もこもことした毛が風にふわりと揺れ、思わず抱き締めたい衝動に駆られるが、兎は警戒しているように耳と鼻をピクピクと動かし続けている。
「羽根、か」
「不思議だよな。何で羽根があんだか」
兎が羽根を羽ばたかせながら空へと飛んでいく。
空飛ぶ兎。何だか天使の使いみたいで愛らしい光景だった。
「羽根があったら、いいのにね。この、背に・・・。そしたら・・・」
ロケットを、弄る。無意識に・・・今日、何度目だろう。
中に入った写真を見るほどの勇気は無くて、それでも、触れていないと心細い。
ここはあまりにも静かで、寂しい場所で・・・あまりにも、穏やか過ぎて・・・。
「そしたら？」
冬弥が暁の顔は見ずに、そう聞き返す。
その声が微かな緊張を含んでいるのを、暁は聞き逃さなかった。
・・・そしたら・・・もし、羽根があったとしたならば・・・
前までなら、父さんの所へすぐにでも行きたいって心から思ったのに、今はちょっと違う、カモしんない。
「そしたら・・・」
不安定に揺れる心の中、違う場所へ向かっていった気持ちの先、まだ自分でも分からないけれども・・・
「そしたら・・・冬弥ちゃんを上空から狙撃出来るね」
「ほう。ンなこと言うためにドシリアスな顔つくりやがったのかお前は！？」
「え！？そんなシリアス顔だった！？俺ってば役者！？」
「デコピンして良いか？」
「なんで？」
「目潰しして良いか？」
「危ないじゃん」
「・・・とりあえず、一発グーで殴る」
「ドバメっ！！」
「だぁぁぁっ！！ドメスティックじゃねぇっ！！」
毎度変わらないやり取りに、何故だか笑顔が浮かぶ。
寂しさも、哀しさも、やりきれない痛みも、笑顔で吹き飛んでしまう。
・・・だから、笑うよ。心の底から、楽しいと思う限り、声を出して・・・
この声が、あの人達のところへ届けば良い。元気だよ、幸せだよ、そんな気持ちを乗せて。
★ ☆
月世界からの帰り道、月光の階段の途中で不意にメグルが暁の腕を掴んだ。
その瞳があまりにも深い悲しみを宿していたから・・・そっと、その肩に触れた。
体温のない肩は、月光に照らされて目に痛いほどに白かった。
「月の世界は、どうでしたか？」
詠二と冬弥はくだらない話で盛り上がっているらしく、笑い声が足元から聞こえる。
２人はメグルと暁の遅れに気付いていないらしく、どんどん声は遠ざかっていく。
「不思議な世界だったけど、楽しかったよ？」
「哀しい歌を、何故歌ったの？」
「え？」
「哀しい歌を、何故、歌ったの？」
銀色の髪が、肩に乗せた手に絡みつく。するすると、音を立てて絡んでいく髪は細い。
「貴方の心に、まだ哀しい歌は流れていますか？」
冬弥と詠二の声はもう、聞こえない。
今はただ、目の前に居る少女の発する透明な声だけが全ての音だった。
「・・・もう、聞こえないよ」
「そう・・・」
安堵、寂しさ、複雑な葛藤が繰り広げられているらしいメグルの胸中は、表情に表れていた。
「メグルちゃん・・・？」
「・・・私には、哀しい歌しか聞こえないのに・・・」
ポツリ、１つだけ呟いたメグルが階段を駆け下りていく。
入れ替わりに冬弥が下から上がって来て、すれ違うメグルに首を傾げる。
「どうした？」
冬弥の質問にただ首を振り、そっと手を伸ばして冬弥の腕を掴む。
体温のないメグルの肩に触れていた手は、メグルの体温と混じっていて氷のように冷たくなっていた。
「うわ・・・お前、末端冷え性か！？」
「なんかもう・・・はぁ〜。緊張感がないなぁ・・・」
「はぁ？」
メグルの表情、その言葉の意味、そして・・・哀しい歌・・・
複雑に絡まった言葉と事情、その中で、掌に感じる冬弥の体温だけは確かなモノだった。
≪ E N D ≫
◇★◇★◇★ 登場人物 ★◇★◇★◇
【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
4782 / 桐生 暁 / 男性 / 17歳 / 学生アルバイト・トランスメンバー・劇団員
◆☆◆☆◆☆ ライター通信 ☆◆☆◆☆◆
この度は『Ｍｏｏｎ Ｆｌｙ』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
そして、お久しぶりのご参加まことに有難う御座いました。（ペコリ）
今回は幻想的な雰囲気を重視して執筆いたしましたが如何でしたでしょうか？
暁君とメグルのツインが描いていてとても楽しかったです。
勿論冬弥との会話も楽しいのですが、それとはまた違った意味で楽しかったです。
ゆるりとした月世界の穏やかでどこか物悲しい雰囲気が少しでも描けていればと思います。
それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。
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