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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


東京百鬼夜行 +屋+



◆□◆


「武彦、悪い!しくった!!」
 そんな言葉とともに突如として走りこんできた少年に驚き、草間 武彦は飲んでいた珈琲を喉に引っ掛けた。
「げほっ・・・み・・・御来屋?」
 土下座でもしかねないほどの勢いで頭を下げる御来屋 左京に顔を上げるように言うと、何があったのかと言葉を繋ぐ。
「昨日百鬼夜行が来たらしいんだ」
「昨日!?」
「あぁ。勿論、妖怪がこっちに来てるのは知ってたんだ。でも、力のありそうなやつがいないからって油断してた。そうだよな、妖怪も力だけが全てじゃねぇもんな」
 一人納得している様子の左京に、詳しい状況説明を求める武彦。
 とりあえず左京に椅子を勧め、零が気をきかせて紅茶を淹れて来ると左京の前に差し出した。
「前回、茨木童子を倒しただろ?当然今度は茨木童子よりも力のあるやつが来ると思ってたんだよ。鬼とか蛇とか竜とか」
「それで、今回はどんなのが来たんだ?」
「燃える行灯って知ってるか?」
「いや」
「つか、行灯は知ってるよな?それが突然燃え上がる事を言うんだが・・・別に、燃えても熱くないし害があるわけじゃない。あと、骨女。これは言葉だけで大体分かるだろ?こいつも特に何かをするわけじゃない。人を驚かす程度なんだ」
「それで?」
「とにかく、今回確認した妖怪は人を驚かしたりなんだり、そう言うことしか出来ないヤツラが多かったんだ。勿論、人を傷つけるやつもいるけど、それでもやっぱり茨木童子と比べれば全然弱いんだ。だから、もっと強い敵がこの後に来るんだろうと思って待ってたら・・・」
「たら?」
「あいつら、妖怪屋敷を作りやがったんだ・・・」
「何か問題でも?」
「大有りだ!妖怪はこっちにいるだけで害を及ぼす。あっちの世界とこっちの世界はまったく別物だ。あっちの世界から来た妖怪は、こっちの世界の気に馴染めずに力が半減する。だから俺らでも茨木童子を倒せた。でも、こっちの世界の気があっちの世界の気に引きずられたとしたら?」
「どう言う意味なんだ?」
「あっちの世界にはない縛りがこっちの世界にはあるってことだ。人の世界には人の世界の秩序がある。それを壊されないために、視えない力が存在する。けれど、それはここが人を基準とする世界だからだ。もし、人が基準であることが根底から覆り、基準が妖怪に変わったならば?世界の秩序が崩れる。それは、人の住み良い世界ではなく妖怪の住み良い世界の始まりになる」
 左京はそこまで一気に言うと、紅茶を一口飲んで喉を湿らせた。
「百鬼夜行の第3陣が直ぐ近くまで迫ってる。明日の夜にはこっちに攻めてくる。・・・今夜中に妖怪屋敷をどうにか壊さない限り、次の百鬼夜行到来時に俺らに勝ち目はない」
「妖怪屋敷に住む妖怪全てを倒すってことか?」
「いや。中には倒してはならないのもいる。あくまで狙いはこちらを襲ってくる妖力の高い妖怪のみだ。そいつらの居場所は、中にいる妖怪に聞けば良い」
「妖怪に?」
「あぁ。今回の妖怪の中には、無理矢理こちらに連れてこられたやつらもいる。座敷童子なんかはこっちの味方も同然だ」
「今回、倒さなきゃならない敵は?」
「飛縁魔と言う妖怪は人を襲う妖怪だ。つっても、こいつは男限定で襲ってくる。後は鬼一口かな?まぁ、どっちもそれほど強い妖怪ってわけじゃねぇけど・・・」
「その2体だけか?」
「・・・多分・・・」
 煮え切らない言葉に、武彦は微かな違和感を感じ取った。
「何か、俺に隠してないか?」
「な・・・何も隠してねぇよ。んじゃ、夜にでももう1回来るから」
 左京はそう言うと、目を伏せて暫く何かを考え込んだ後で立ち上がり、そのまま興信所を後にした。
「どうしたんでしょうね、左京さん。何か思いつめているみたいでしたけれど・・・」
「何かあったのかもな。後で琴音さんの所に行ってみるか・・・」


◇■◇


 草間興信所を訪れたパティ ガントレットが最初に見たものは、暇そうに窓の外に視線を彷徨わせる探偵の姿だった。
「お暇なんですか?」
「いや、そう言うわけじゃないんだが・・・」
 言い訳じみた語尾の濁し方をして、武彦は今朝方あった出来事をかいつまんで話した。
「そんな事があったのですか」
「こうも考える事が多いと、逆に脳味噌が働かなくなるな」
 探偵と言う職業上、考える項目が多いほうが能の回転数が上がりそうな気がするのだが・・・どうやらパティの思い違いのようだった。そもそも、怪奇探偵と言う異名をとる彼が、普通の探偵と同じように猫探しと不倫相手の尾行とどちらを優先した方が良いのかなどと言うある意味では平和的な事で悩む方が稀だろう。怪奇探偵としての仕事がそんなに重なってしまっていては東京は大変な事になる。それこそ、そこら中に怪奇が溢れていると言うような状況だろう。
「琴音さんの所に行こうかとも思ったんだが、それよりも左京の事が気になってな」
「わたくしは左京さんとそれほど親しくはありませんが・・・」
 パティが語尾を濁す。前回の百鬼夜行来襲時に初めて顔をあわせたのだから、親しいと言うほうが間違いだろう。
「お会いした時の雰囲気として、左京さんらしくないですね」
 煮え切らない言葉を呟いてから去っていくなんて、あまり彼のイメージに合わない。
 可愛らしい外見はこの際考えない事にすれば、口調も態度も男らしい部類に入るだろう。
「そう思うよな」
 武彦が溜息交じりに同意の言葉を口にし、依頼を受けるか受けないか、低い声でパティに問う。
「勿論、同行させていただきます」
「それじゃぁ、左京のところに行ってみるか。あいつだってもう家に居る時間だろう」
 壁に掛けられた丸い時計の長針と短針に視線を向け、武彦が重い腰を上げる。
 ソファーの上に無造作に置かれていたコートを掴み、腕を通すと銀色のドアノブを回す。
「琴音さんに訊きたい事があったんだが、まぁ・・・左京から直接訊いた方が早いか」
「そうですね。けれど、言葉は慎重に選ばねばならないと思います」
 左京の挙動の原因を、抉るような直球の言葉で訊いてはいけない。パティは遠まわし気味に武彦に注意を呼びかけた。
「分かってるさ」
 肩を竦めた武彦がそう言い、階段を下りていく。
 吹き荒ぶ風にコートの襟元を合わせると、両手をポケットに突っ込む。
 パティも少しだけ肩を竦めると、1つだけ身震いをした。


 武彦とパティが左京の家に着き、インターフォンを押そうと手を伸ばしかけた時・・・不意に錠の外れる音がして中から琴音が顔を覗かせた。相変わらず高校生にしか見えない琴音は、驚いて固まった武彦とパティの様子にまるで悪戯を見つかってしまった子供のように肩を竦め、やや上目遣い気味に弁解の言葉を紡ぐ。
「窓からお2人が見えたものですから・・・」
「あ、そうなんですか」
 武彦が間の抜けた返答をし、パティが琴音の前に進み出ると頭を下げる。
「お久しぶりです」
「ガントレットさん、でしたよね?」
「はい」
「草間さんと一緒のところを見ると、ガントレットさんも今回の件で?」
「はい」
 先ほどから頷くことしかしていないと気付いたパティが、たまたま興信所に訪れたところを武彦から相談されたのだと説明を入れる。
「そうですか。左京ちゃんはもう帰って来ていますから、詳しい話はあの子に聞いてください」
 どうぞと言って大きく開け放たれた扉の中から、思わずほっと息をついてしまいそうなほどに暖かい空気が流れてくる。
 パティは「お邪魔します」と小さく呟き、武彦の背中にくっついていく形で家に上がった。
 乱雑に脱ぎ捨てられた武彦の靴と、自分の靴を綺麗にそろえて玄関の端に置く。
「ガントレットさんはお上品なんですね」
「いいえ、そんな事はありません」
 これが普通。そう言いかけた言葉を飲み込む。
 何故ならば現に、これが普通でない人が居るからだ。ドスドスと廊下を突き進む武彦の背中に向かって、小さく溜息をつく。
「あれ?武彦、早かったじゃん」
 部屋の奥から左京の声が聞こえ、琴音に導かれるままに武彦の入っていった扉を押し開けた。
 前回食卓を囲んだ和室に左京が座っており、武彦が奥に積み上げられていた座布団を2枚取ってくると1枚は自分の下に敷き、もう1枚は隣に無造作に置く。
「ん?あー、パティもいたのか。久しぶりだな」
「えぇ、お久しぶりです」
 久しぶりと言うにしては、前回の百鬼夜行来襲時からそれほど時間が経っていたわけではない。ただ何となく、この場にはその言葉が相応しい気がしただけだった。
 琴音が気を利かせてお茶を入れている音がキッチンから聞こえて来る。そんな微かな音が聞こえるまでに、場はしんと静まり返っていた。
 誰もが何かを考えているにも拘らず、それを言葉にする術が見つからずに口を閉ざしている。そんな雰囲気だった。
 陰鬱とした沈黙を破ったのは、パティだった。
 どうせ能力が使えないのならと、この間は閉ざしていた瞳を今日は最初から開いている。
 蒼の瞳同士が空中でぶつかる。左京の瞳よりも幾分冷たい色をしたパティの瞳がすっと細められ、唇がゆっくりと動いていく。
「前回は、強力とは協力であることと言われた端から、わたくしともあろうものが独走し、皆さんに迷惑をかけてしまって・・・」
「や、まぁ・・・結果が良けりゃ何でも良いよ。むしろ、パティほどの腕を持つ者なら独走してもあまり迷惑にはならない。一番迷惑なのは、弱っちいくせにしゃしゃり出て自滅するタイプだ」
 苦々しそうに言う左京の口調は、明確に誰かを見詰めている気さえした。が、パティはそこには何も言わなかった。ただ、そう言っていただけたなら救われますとだけ、礼儀として言葉を返す。
「今回の事、そして次回からの事も視野に入れ、左京さんの戦闘スタイルを把握しておきたいのですが」
「把握?」
「はい。味方の戦術を理解もせずに協力などとは言えませんので。もし宜しければ、刀をご教授いただきたいのですが」
「教授ってほどのもんじゃねぇけど・・・お前、自分の武器は?」
「仕込み杖ならあります。自前の武器より、左京さんの術によって創った刀の方が宜しいならば、そういたしますが」
「や、使い慣れてる武器の方が良い。仕込み杖と刀じゃそもそも勝手が違う」
 左京はそう呟くと、パティの傍らに置かれていた杖を見せて欲しいと言って上半身をテーブルの上に乗り出した。
 パティはその要求に素直に応えて左京に杖を手渡すと、しげしげと見詰める横顔に視線を合わせた。
「ふーん、良いじゃねぇか。使いやすそうで」
「有難う御座います」
「良い武器なんだが、これじゃぁ妖怪相手に本来の力を発揮できてねぇだろ?」
「・・・えぇ」
 パティは軽く頷くと、左京の手の中にある杖に視線を落とした。
 実は、気になっていたことなのだが・・・少々杖の威力が妖怪相手に落ちている、前回の戦闘でそう感じたのだ。
「結界ってほど立派なモンじゃねぇけど、妖怪は意識無意識に関わらず自分を守るための壁みたいなもんを創ってるんだ。だから、妖怪相手に作られた専用のモンが一番やつらには効果がある。壁を破壊する力を備えてるからな。最も、それ専用のじゃなくともそれなりに威力はあるけどな」
 左京はそう告げると、暫く何かを考え込むように杖の上に視線を滑らせていた。
 そして・・・意を決したように顔を上げると、パティの瞳を真っ直ぐに捕らえた。
「無理を承知で言うけど、これに俺の能力を付加しちゃダメか?」
「能力付加・・・とは、つまり術式の刀と同じような能力をつけてくださると?」
「まったく同じってわけにはいかねぇと思う。ただ、壁を打ち砕く効果と・・・そうだな、パティさえ良ければ俺の創った刀と同じような能力を付加しても良い。ただし、そっちは多少威力が劣ると思うけど」
「左京さんにはそのような能力まで?」
「結界の能力がねぇ変わりだろうな、きっと。まぁ、攻撃専門の俺からすりゃぁ恵まれた能力だと思うけどな」
 やや自嘲気味に言って、どうする?と問いた気な視線を向ける。
「付加能力っつっても、一度つけたらずっとそうなるってわけじゃねぇ。妖怪相手の戦闘の時に俺がその都度つけていくようにする」
「お願いできますか?」
「あぁ。んで、1つ訊きたいんだけど・・・お前、利き手は?」
「右です」
 分かったと頷く代わりに、杖を手に何かを念じた。
 杖から儚い光が迸り・・・すぐに消えると、通常と変わらない姿がそこにはあった。
 果たして本当に能力付加が行われたのかと疑いたくなるくらいだったが、左京から手渡された瞬間に、それはあまりにも不必要な疑問であったと言う事がわかった。
「凄いですね・・・」
「能力の解除・付加の仕方は知ってるよな?」
「えぇ。拝見しておりましたから」
 パティがそう答えた時、クッキーの入ったお皿と紅茶を乗せたお盆を持って、琴音が危なっかしい足取りで和室に入って来た。あまりにも覚束ない足元に、武彦が堪らずに立ち上がり、カップをテーブルの上に置いて行く。
「琴音さん、パティが術について知りたいみたいなんだけど」
「お願いできますか?」
「えぇ、勿論ですわ。それで、パティさんはどのような事をお知りになりたいのかしら?」
 座布団が積み上げられたそこから左京が琴音の分の座布団を引っ張り出し、パティの隣に置く。
 結局琴音の話で得られたのは、前回目の当たりにした御来屋流の術の事だけだった。恐らく、それが1番良く使うスタンダードな能力なのだろう。他の複雑な術については、琴音は曖昧に言葉を濁したきりだった。
 琴音の話が終わり、陽も暮れかけた頃、左京の案内でパティは妖怪屋敷へと足を向けた。
 役に立たないだろうからと言って留守番を名乗り出た武彦と、今回は自分の出る幕はなさそうだと踏んだ琴音が残る事となり、2人は寒空の下郊外へ向けて色褪せたレンガの並べられた歩道をゆっくりと歩いて行った。


◆□◆


 妖怪屋敷は、良く言えばあまり手入れは行き届いてはいないが、そこが昔懐かしい香りのする日本家屋。見たままをストレートに表現してしまえば、ただのボロ屋敷だった。
 軋む木の扉を遠慮も手加減もせずに開け放った左京は、突然天井から落ちてきた人に溜息をついた。
 下半身は天井にくっつき、上半身だけがブラブラと目の前で揺れている。
 パティは咄嗟に右手に杖を構え・・・左京がそれを制する。
「邪魔だ、消えろ」
 左京が不機嫌極まりない口調でそう命令すれば、天井下は不気味な笑い声を上げながらすっと天井に戻っていった。
「何故止めたのです?」
 杖を握り締めたままの手に視線を落としながらそう言う。
「不満か?」
 肩を竦めながら問われた言葉に素直に頷く。
 全ての怪異は消した方が良い、滅びえた方が良い、そう信じてるパティには左京のとった行動の意味が分からなかった。
「アイツは人を襲う妖怪じゃねぇ。命令すればすぐ消えるんだよ」
「けれど、アレは妖怪ではありませんか?」
「・・・あぁ、妖怪だ。だがな、妖怪なら倒して良いって問題じゃねぇんだよ」
 幾分怒りを含んだような声になり、パティは反論を飲み込んだ。
 ギシギシと不快な音を立てる廊下を歩きながら、上から下から妖怪が驚かせるべく姿を現す。しかし、左京は驚きもしなければそれに構うような素振りもしない。ただ、通行妨害をする妖怪に関しては低い声で「失せろ」と命令するだけだった。
「わたくしは、妖怪は・・・いえ、妖怪に限ったことばかりではなく、怪異は消えるべきだと思います」
「・・・怪異が、この世界に組み込まれた必要なモノだとしても、か?」
「どう言う意味です?」
「怪異はこの世界を形成する要素の1つだ。世界を形成する必要最低限のものが欠如すれば、世界を支えているモノは崩れ去る。怪異も、必要なものと過剰なものに分けられる」
「ここにいる妖怪達は必要なものだと仰りたいのですか?」
「ある意味では過剰だとも言える。これだけ密集してしまっては過剰と言うしかない。でも・・・」
 左京はパタリと足を止めると、パティの瞳を覗きこみ・・・そして、視線をそらした。
「戦う意思のない者の命を奪うことは、愚かだ」
 その声は、強い響きを持っていた。
 真っ直ぐに届く言葉に含まれている感情・・・怒り、悲しみ、憤り、その全てをひっくるめた上での自嘲とも取れる表情だった。
「圧倒的な力で、戦いを望まない者の命を奪う事は容易い。けど、それはただ単に快楽で命を奪っていると言われても仕方の無い事だ」
 快楽・・・その言葉は、深紅の響きを持っていた。
 飛び散る血、断末魔の声はオクターブ高く、鼻につく臭いは拭っても拭いきれないべっとりとしたもの。
 手に感じる、肉を切り裂く感触。飛び散った血液が体に付着する。
 絶対に忘れるものか訴えかける、呪いじみた声が聞こえる・・・
「勿論、向かってきた敵は叩き潰す。冷酷に、残酷に、一切の慈悲の心は忘れて」
 戦いの場面において、優しさがどれほど身を滅ぼすものかパティは身にしみて分かっていた。
 ・・・分かっているからこそ、左京の言った言葉も、ただの温い優しさのように聞こえてしまう。
 穴の開いた障子の向こうで、座敷童子が甘い手毬をついて遊んでいる。
 ポンポンと、畳を跳ねる手毬が一際高く飛び上がり、天井に着こうとした時・・・すぅっと、まるで宙に溶けるかのように姿を消した。視線を戻せば座敷童子の姿も消えており、クスクスと言う甲高い笑い声だけが耳の奥にこびりつく。
「さてと、パティ。そろそろ心の準備は良いか?」
 場違いなまでに明かるい声に顔を上げれば、廊下の突き当たりにある扉の前で左京がこちらを振り返った。
「準備、ですか?」
「この奥から妖気を感じる。恐らく、そいつを潰せばこの屋敷は消えるだろう」
「・・・準備は出来ています」
 その言葉に頷くと、左京が一気に扉を開いた。
 思わずむせ返るほどの、酷い悪臭だった。気味の悪い色をした粘液が部屋のそこかしこに付着し、どす黒い色をして固まっている。部屋の隅には無造作に積み上げられた人骨が、何年前のものかも分からない色褪せた様子で空洞の瞳をこちらに向けている。
 下を向けば、かつては鮮やかだったろうと思われる布がばら撒かれており、畳の色は見えない。
「これは・・・十二単、ですか?」
「こっちに来てからはまだ誰も襲ってねぇみたいだな。偉い偉い」
「そんな事を言っている場合ではありません・・・」
 奥から出てきた巨大な顔に、パティは鋭い瞳を向けた。
 頭に生やした角、パティや左京ならば難なく一口で飲み込まれてしまいそうなほどに大きな口。
「鬼一口のお出ましだ。ちなみに、空腹ですげーご立腹されてるみたいだけどな」
 ご立腹なんてものではない。血走った巨大な瞳はもはや食欲にしか支配されていないらしい。
 パティが杖を構え、胸の前で水平に寝かせると『滅』と念じる。直ぐに杖が血のように赤い輝きを放ちだした。
 そこから感じる能力付加の威力に、パティは口の中で「凄い」と呟いた。これでも威力が落ちている方だと左京は言っていたけれども、そうだとしたならば彼によって創られた刀はどれほどの能力を有しているのだろう。
 そう考えた時、不意に左京が舌打ちをする音が聞こえた。
「パティ、悪い。こっちは任せて良いか?」
「何かありましたか?」
「飛縁魔だ。こいつは俺を狙ってきてる・・・男しか狙わねぇなんて、性差別だぜ」
「妖怪にそのような事を言っても仕方ないと思いますが」
「わぁってるよ。で、パティ、この馬鹿デカイヤツ任せても平気か?」
「お任せ下さい」
 パティの言葉に左京が頷き、飛縁魔の方へと走って行く。その背中を視界の端にチラリと留め、改めて目の前で荒い呼吸を繰り返している鬼の顔に視線を移す。
「さて、この能力はとても素晴らしいですが酷く体力を奪いますね。・・・一気に行きますよ」
 一言断ってから地面を蹴ったパティだったが、無論、目の前の食事にしか興味のなさそうな鬼にそんな事が通じるとは思わなかった。
 こちらから行こうと思っていたのに、わざわざ駆け寄ってくるパティを飲み込もうと大口を開け、息を吸い込む。凄まじい吸引力にもって行かれそうになる体を何とか立て直し、褪せた萌黄色の着物の上で高く跳躍するとそのまま鬼一口の頭上目掛けて杖を突き刺す。
 残念ながらこの食欲魔は動きが鈍かった。もっと言うならば、獲物を追いかける時の直進は素早いのだが、後退や左右への回避は酷く愚鈍な動きだった。それもそうだろう。鬼一口の場合、相手を食べた後はそう急ぐことは無いのだから。
 滅の能力付加を施した杖が鬼一口の頭に深く突き刺さり、パティの手に肉を引き裂く感触が伝わってくる。
 愚鈍な鬼は、その痛覚までも鈍っているのか、パティが頭に着地して数秒の間を経た後に急に頭を左右に振り始めた。
 わけのわからない叫びを上げながらパティを振り落としにかかる鬼だったが、杖の3分の1ほどが頭に埋まっているため、それを握っていれば何とか振り落とされずにすむ。このまま更に深く突き刺し、一気に片をつけよう。そんなパティの考えを読んだはずも無いが、鬼は不意に頭を天井にぶつけるべく頭を持ち上げ始めた。
 パティを天井との間に挟んで潰すつもりだ。咄嗟にそれを理解し、杖を抜こうとするがなかなか抜けない。
 迫り来る天井に、パティが杖をそのままに地面へと着地する。
 昔はもっと美しかったであろう赤の生地に白の生地が重なり、桜色に見える。その上に膝をつき、鬼一口が頭上から倒れこんでくる。パティはそれを右に避けると、鬼の頭に上り杖を引き抜こうとしたが、何故か杖は半分ほど埋まってしまっていて抜ける気配が無い。
 しかも、色取り取りの着物の上に顔を乗せ、目を瞑ったきり動かない。もしや油断させているのではないか?そう思い、慎重に頭から下りると鬼一口の顔を覗き込む。
「お、もう終わったのか?」
 背後から突然声をかけられ、ビクリと肩を震わせこそしなかったものの、驚いたパティが凄まじい速さで背後を振り向く。
 そこには、左鬼を左手に持って佇む左京の姿があった。
「・・・左京さんでしたか」
「こっちも何とか終わった。ってか、あれ?お前、杖は?」
「頭に刺さっています。それにしても、妙なんです。わたくしは止めを刺した覚えなど無いのに・・・」
 どう言う事なのかと問う左京に、事細かに説明を入れるパティ。
 言っている途中で自分でも何が起きたのか分かってきたパティだったが、最後まで説明をし終えると左京の言葉を待った。
「それってさ、アレじゃん?自滅。つまり、自分で頭天井にぶつけて杖のめり込ませたんだろ?」
「そう考えるのが妥当ですよね」
 なんて間抜けな鬼なんだと思いつつ、部屋の隅で固まっている白骨に視線を向ける。
 ・・・何百年前の被害者なのかは知れない骨達。パティはそれに向かって目礼をすると、鬼の頭に生えている杖を見やった。
「だーいじょうぶだって、心配しねぇでも、ちゃんと取れっから」
 左京の言葉に、それはどう言う事なのかと質問をぶつけようとした時・・・左京がその体を左鬼へと明け渡した。
 そして・・・左鬼は前回も見た、紫色のビー玉のような物を取り出すと手を組み、何かを呟き始める。
 淡い色をした光が鬼一口を包みこみ・・・パチンと、弾けるような音と共に突風がパティのツンテールの髪を靡かせる。暫し目を閉じ、ゆっくりと開いたそこには鬼一口の姿どころか、妖怪屋敷すらも消え去っていた。
 ただ、パティの仕込み杖だけが、そこで起きた事を物語っているかのように地面に横たわっていた。



               ≪ E N D ≫



 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  4538 / パティ ガントレット / 女性 / 28歳 / 魔人マフィアの頭目


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 この度は『東京百鬼夜行 +屋+』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
 そして、続きましてのご参加まことに有難う御座いました。(ペコリ)
 戦闘に重点を置いて・・・との事でしたが、如何でしたでしょうか。
 前回よりははるかに楽な戦闘だったとは思います。何せ、最後は自滅の形でしたし・・・
 それよりも、愚鈍と書いてしまって鬼一口に恨まれやしないかと心配です(苦笑)


  それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。