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イヴの奇跡。……と呼ぶには何かが足りない。
ジングルジングルと鈴は鳴り響き、聖者が街にやって来ちゃったりして、とにもかくにもこの夜は清い。
何処に行っても流れているものだから、クリスマスソングのオンパレードが耳の中をぐるぐる、しかもごちゃ混ぜになって回りまくる。
「……いつも皆の笑い者なんて、鼻の赤いトナカイさんは可哀相だ……」
桐月・アサト(きづき・あさと)は呟いた。
日が暮れたばかりのアフターファイブ、メインストリートは人でごった返している。周囲を見回せば街路樹にはチカチカと瞬く電飾が灯り、その下を行き交う人々は皆幸せ満開の顔をしているように見えた。
きっと、これから家族でパーティーだったり恋人とディナーだったり、楽しい予定に胸踊らせているのに違いない。
買い物になんか来るんじゃなかった。
こんな日に一人で歩いていると、北風が尚更身に凍みてしまうではないか。
コートの首元をギュっと合わせながら、アサトは吐息する。
回れ右しておうちに帰ってしまいたい。隙間風の吹きすさぶほったて小屋だって、外よりは温かいだろう。特に今夜は、精神的にも。
しかし、お気に入りの店の限定ケーキ、その魅惑には勝てなかった。
「イチゴとメロンと白桃だもんな」
本来は一種類ずつ日替わりで売られているフルーツのショートケーキだが、今夜は特別に三種全てが入ったスペシャル品が出されると言う。1ピース950円也、と価格もスペシャル。でも、たまには貧乏人だって贅沢したいじゃあ、ありませんか。
雪のように真っ白い生クリームの上、キラキラと輝くルビーレッドのイチゴを夢想して、アサトは足を早めた。
人の群れに行く手を阻まれて、神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)の足取りが鈍った。
歩道を塞いでいるるのは、ケーキ屋の前の行列である。
慌てず騒がず、スイと、ハイヒールを穿いているとは思えない機敏さでもって、夕日は人と人との間を縫って歩いた。
通りすぎざま、ちらりと横目に見ると、限定のクリスマスケーキとやらを買うための列らしい。
しかしそれに気をとられるのも一瞬のこと。
すぐに夕日は前方へと視線を戻した。数メートル先、目標の人物の背中が人込みの中に見え隠れしている。
薄汚れた灰色の、作業ジャケットの男。髪に白いものが目立つがまだ30代の筈で、背は低くはないが猫背のせいで矮小に見える。医者が往診の時に持つような、黒い大きな革鞄を下げているのが印象的だ。
夕日は彼を追っていた。
気付かれないようつかず離れず、常に目は離さず、しかし凝視はせず――つまり、夕日は尾行中であった。
今日こそあの手に必ず、手錠をかけてやるのだ。
「さあ、さっさと怪しいそぶりを見せるのよ……」
男の背に向かって呟いた。寒空の下、夕日の内心には炎が燃えている。
しかしふと周囲を見回せば、世間はクリスマスイヴ。
幸せそうな顔でクリスマスケーキに行列している人々を見るにつけ、そんな日にお仕事をしている自分を実感し、夕日は微かに苦笑を漏らした。
まあ、べつに、相手がいるのに仕事を取ったというわけではないのだけれど。いや、というか、相手がいないからこそ物寂しいのか。
どうせつまらないことになるから、誘われたコンパにも行かなかったが、あれに顔を出していれば今ごろ、聖夜を仕事に費やすことをもっと残念に思うような相手が見つかったりしただろうか。
ちらりとそんなことを思った時、彼女は人込みの中に見知った顔を見つけた。
見たことのあるファー付きフードのコート。日に焼けた、精悍と表現して差し障りのない横顔。明らかにサラリーマンには見えない、ちょっと胡散臭げな空気を背負った男。
確か、あれは――。
「あら、便利屋さんじゃない」
目的の店の前、行列に加わろうとしたその時。
彼は自分を見て「あら」という表情をしている、見知った顔を見つけた。
ばち、と目が合う。
若い女で、美人である。スタイルだっていわゆるボン・キュ・ボンというやつだというのに、何故か色っぽい雰囲気がないのが逆に印象的。きっちり着込んだスーツから、一見キャリアウーマン風。しかして、その職業は聞いてびっくりの。
確か、あれは――。
「よお、警察の女」
アサトは夕日に向かって片手を挙げた。
以前、ちょっとした事件をきっかけに知り合い、以来なんとなく腐れ縁の続いている二人であった。
しかし、互いに名前はまだ知らない……。
「偶然だなあ」
「ほんとに」
腐れ縁ぶりにアサトが笑うと、夕日も同じような複雑な笑顔を浮かべている。
「……クリスマスなのに、一人なの?」
言った夕日に他意はなかった。アサトの隣に連れがいないのを見て、そのままを口にしただけだ。
「……あんたもな」
と返したアサトにも、他意はなかった。が。
「……」
「…………」
なんとも気まずい空気が流れた。お互い、痛いところをサクっと突かれたが故に。
「別に! イヴだからって一人でいちゃいけない法律なんてないし!!」
夕日の声のトーンが上がった。人間、触れられたくない部分に触れられると多弁になるものである。
「そうよ、第一、私は仕事中で、だからデートなんて……」
してる場合じゃない、と言いかけて、ハタと夕日は我に返った。
仕事中。
「犯人ッ!!!!!!!」
ばっ、と音がしそうな勢いで、夕日は先ほどまで目標の背中が見えていた方向へと首を巡らせる。
黒い革鞄が、先の角を曲がるところが見えた。
「まずい! 離されすぎたわ!」
「あの、もしもし?」
標準語が崩れつつある夕日の肩をアサトがつつくと、
「尾行中なのよ!」
そういえば、初めて出会った時も、夕日は犯罪者を追っていたのだっけ。アサトはその時のことを思い出しかけたが、夕日の嘆く声がその邪魔をする。
「今夜がチャンスなの! ああもう、なんでこんなところにあなたが居るの!」
あんたのせいだと言わんばかりに睨みつけられて、アサトは仰け反った。
「おまえさん、そりゃ逆恨みってやつだろ!」
思わず、アサトの声も大きくなる。
「公務執行妨害だわ!」
「な!? ちょ、ただケーキ買いに来ただけで逮捕されてたまるかよ!」
「じゃあ、手伝いなさいよ! 便利屋さんでしょ!」
「なんでも屋だ!」
売り言葉に買い言葉で、一方的な八つ当たりが口げんかにシフトしてゆく。
駆け出した夕日を、アサトが追った。
数分後、なんだかんだで犯人逮捕を手伝うことになったアサトは、夕日と共に街を歩いていた。
その数メートル先には、黒い鞄の男が居る。
「えびるがんなあ?」
「evil gunner!」
アサトの平仮名発音を、夕日の正確な英語発音が訂正した。
「エビルガンナー……不吉な砲手。聞いたことない? 改造拳銃の職人よ」
「改造拳銃」
久々に耳にする言葉の響きに、アサトが思わず呟く。苦笑し、夕日は頷いた。
「今時、密輸のほうが安上がりでしょうに、昔気質……っていったらおかしいけどね。ネット上に同名の闇サイトが開設されてるわ。発注を受けて、買い手の望みどおりのものを銃器を作るの。腕は良いそうよ。容疑は銃刀法違反と、テロ幇助、殺人幇助、自殺幇助、その他諸々」
「そりゃまた豪勢な罪状だな」
「エビルガンナー作の銃が起こした事件のほうがもっと豪勢よ」
夕日が指折りながら挙げた事件の数々は、アサトもニュースで聞いた覚えがある。
「ふうん。それがあの男ってわけか」
ヒュウ、と不謹慎な口笛など吹いたアサトは、夕日に軽く睨まれた。
「家宅捜索できればイッパツなんだけど」
悔しげに、夕日は唇を噛む。
「用心深い奴で、なかなか礼状が取れなくてね。でも、今夜あいつが客に『商品』の引渡しをするって情報が入ったの」
「で、現場を押さえようってわけか」
尾行をカモフラージュするため、二人の表情はあくまでにこやかで、遠目には物騒な内容の会話をしていることなど窺い知れない。
やがて、男の歩みが止まった。
「こんなところで?」
その場所に、夕日は怪訝げに眉を寄せる。
そこはショッピングセンターの広場だった。怪しげな取引をするにはいささか場違いだ。
広場の中央には、巨大なクリスマスツリーが設えられている。格好の待ち合わせ場所になっているのだろう、金色のボールや星、色とりどりのオーナメントを掛けられた樅の梢の下は、人でごった返していた。
男はまっすぐに、ツリーの下へと歩み寄ってゆく。
「どうする?」
「……少し近付いてみましょう」
引き続き、にこやかに会話を交わすふりをしながら、アサトと夕日は男との間の距離を詰めた。
男の行く先には、くたびれたダウンコートを着たOL風の女性が立っている。寝癖で頭はぼうぼう、目元は落ち窪んで顔色が悪く、着飾って幸せそうに待ち合わせをする周囲の人々のなかで、彼女は明らかに浮いていた。
男は女性に向かって何事か声をかけ、ややあって鞄の中から紙包みを取り出した。
ちょうど両掌に乗るほどのそれは、子供向けのクリスマスギフト用の包装紙らしく、サンタクロースとトナカイの賑やかな柄で――
「アレで中身が拳銃ならふざけてるよなあ」
呑気に呟いたアサトの隣、夕日の表情には緊張が走る。
「取引が成立したところで、確保するわ。逃がさないように協力して。職質から入って、モノを確認して逮捕!」
「はいはい」
「よろしくね、便利屋さん」
「……なんでも屋だ!」
押さえた声で訂正を入れながら、アサトは夕日から離れた。
「うーむ……俺は便利屋ではなくなんでも屋で、『屋』と名乗るからには報酬が発生するわけなんだが……」
なんだか、警察の女にいいように使われているような気がする。ぶつぶつと呟きつつ、アサトは男たちの背後に回った。
「じゃあ……これ……約束の」
紙包みを受け取った女性が、コートのポケットから出した封筒を男に渡す。男は黙って受け取って、それを鞄に入れた。
恐らく報酬であろう分厚い封筒の中身を想像し、
「いいなあ」
なんてちょっとだけ思ってしまったアサトに、夕日が目で合図を送ってきた。仕掛けるつもりだ。
「すみません。私、こう言うものですが、ちょっとよろしいですか?」
女性と別れようとした男の行く手を夕日が塞ぎ、懐から取り出した警察手帳を開いた。
「先ほどの包みの中身のことで、お話を覗いたいので、ご同行願えますか?」
「何のことでしょう」
しらばっくれようとする男とは対照的に、取引相手である女性のほうは目に見えてうろたえた。
「け、け、けいさつ!!」
開かれた手帳と夕日の顔とを交互に見比べ、女性がひぃっと息を引く。猛烈な勢いで踵を返し、彼女は駆け出そうとした。が、その足取りはがくりと止まる。
「はーい、ストップ!」
背後を塞いでいたアサトが、女性の腕を掴んで、にっ、と笑った。
「わ、わ、わたしは、ただ、まあくんと浮気相手の女を殺して自分も死んでやろうと思って、そのための道具を買っただけなのにぃいいいうわああん!!」
いやそれは「ただ」じゃないだろうと突っ込みたくなるようなことを喚いて、女は紙包みを放り出した。男は舌打ちし、彼女を睨みつける。
にっこりと、夕日が男に笑顔を向けた。
「ご同行、願えますね?」
男もまた逃げようとするかと思いきや。
「あっ」
夕日とアサト、同時に声を上げる。
男はまず黒い鞄を夕日に投げつけた。夕日がそれを避けた隙を突いて、男は女が放り出した紙包みを拾い上げた。
サンタとトナカイの踊る紙包みが引き裂かれ、中から鉄の銃身が零れ落ちる。
それは点滅するツリーのライトをキラキラと、しかし鈍く反射して、そして、男の指が引き金へと滑り込んだ――。
+++++++++
長針と短針が12の数字に近付き、クリスマスイヴがクリスマスになろうとしている頃、アサトは警察署入り口前に座り込んでいた。
「……はぁ〜あ」
門衛よろしく立っている警察イメージキャラクターの等身大人形の隣で、溜息を吐く。夜気に冷やされて、吐息は真っ白に煙った。
男が拳銃を取り出し、発砲事件の危機となった瞬間、アサトがまずしたことは夕日を背後にかばうことだった。防御壁を作るほうが早かったはずなのに、考える前に体が動いてしまったのは、以前に銃弾を受けて倒れる夕日(結果的に大したことがなかったとはいえ)を見た時の思いが、フラッシュバックしたせいだ。
しかし対する夕日は大人しく守られていなどいなかった。アサトを押しのけるようにして男に駆け寄り、気合一閃、手刀で拳銃を叩き落としてくれたのだから、男気を総動員したアサトとしては切ない。実に切ない。
そしてその次に、夕日は拳銃が地面に落ちる前に片手でキャッチ、さらにもう片方の手で男の手首を捩じ上げるという離れ業を見せる。
それは、カツンッ、とハイヒールの踵が小気味良く鳴った次の瞬間の出来事で、その電光石火ぶりはアサトの度肝を抜いた。
“便利屋さん、ちゃんと捕まえてて!”
ぽかんと口を開いてしまったアサトは、叱責を投げつけられて慌てて女の腕を掴みなおした程である。
かくして、無事に銃刀法違反の現行犯逮捕と相成ったわけであるが。
「はぁーあ」
アサトはもう一つ溜息を吐いた。尻の下のタイルからしんしんと冷気が染み込んでくるが、ぐったりと疲れて、立ち上がる気力がない。
二人の犯人の取り調べが始まり、じゃあ俺はこれでと帰ろうとしたら、夕日の上司にとっつかまった。
逮捕に立ち会った一般人ということで、その時の状況など、詳しい供述を求められたのだ。
先ほどやっと開放されたのだが、えらく時間を食ってしまった。
「限定ケーキ……つか、ケーキ屋自体もう閉まってるよなあ」
生クリームと宝石のようなフルーツに思いを馳せ、背中を丸めたアサトの肩を、背後から何者かの手が叩く。
「うん?」
振り仰げば、そこには夕日が居た。
「冷めないうちにどうぞ」
差し出されたのは湯気の立つ紙コップで、中身はコーヒーである。受け取ると、アサトの冷えた掌に染みるほど熱い。
「どうも」
一口すすって、アサトは長く、今度は溜息ではない息を吐く。
その時どこからか、鐘の音が聞こえた。
「0時ね。近くに教会があるのよ」
「へえ」
冬の冴えた夜気を、鐘の音は静かに奮わせる。その余韻が消える頃、夕日がまた何やら差し出してきた。
「今日はありがとう」
覗き込んで、アサトは怪訝げな顔をした。
夕日が差し出したのはA4サイズのコピー用紙だった。紙面には手書きで、“がんばったで賞”とある。
「……これは?」
「感謝状よ」
夕日は自信満々だった。アサトは脱力した。
以前の事件の時よりは少しはマシになったが、これは就学前児童のような扱いから小学生並みの扱いへとステップアップしただけではないだろうか。
その証拠に、夕日手作りらしい“感謝状”には、クリスマスツリーと拳銃の可愛らしい(?)イラストまで入っている。
「ああ、うん、もらっとくよ」
芳しくないアサトの反応に、夕日は首を傾げた。彼女なりに、ちゃんとした誉め方を研究した結果であったのだが。
「じゃあな。捕り物も無事終ったことだし、俺は帰る」
アサトはフラリと立ち上がる。
――感謝状だけじゃ不満だったのかしら。
微妙に違う結論を出した夕日は、更にもう一つお礼をステップアップさせた。
「今度、居酒屋あたりで食事でもおごるわ」
「ああ、そりゃどーも」
アサトは夕日に背を向け、感謝状を持った手をひらひらと振った。
ズレてるぜ、警察の女……。
年末のせいだろう、真夜中だというのにどこかせわしない雰囲気の警察署を後にして、アサトは苦笑する。
金のない身には一飯はありがたいが、結局また現金の報酬はナシ。つまり。
「無報酬、か」
感謝状をくるくると巻いてポケットに差し込むと、アサトは北風を避けるべく、コートのフードを下ろす。
行く手には、深夜だって晧々と明るい、コンビニエンスストアの灯りが見えた。舌に残るコーヒーの苦味が、甘味への欲求を誘っている。
「……何か甘いもんでも買って帰るか」
呟きが、フードの中にこもった。
居酒屋で食事でも――そんな約束をした割に、お互いまた名前を聞くことすら忘れている二人であったが、腐れ縁ゆえに、その約束はいつかは叶えられることに……なるかもしれない。
END
<WRより>
どちらのPCさんも、カッコイイのにヒーロー・ヒロインになりきれないタイプかなあ、と思って書かせていただきました(夕日さんが特に、ヒーローである男性よりも先に行動して自分でなんとかしちゃいそうなタイプに思えましたので)。
クリスマスの作品ということで雰囲気を出せていれば良いのですが……あああ、そういえば早いもので、もう年末なのですね! よいお年を!
ご依頼ありがとうございました!
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