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古本を探しに
１．
「……古本市、ねぇ」
言われた灰原が首を傾げたのは、その言葉自体は非常に灰原にとっては馴染みのものだったのだが、いかんせん言ったのが黒川ではいぶかしんでも致し方がない。
灰原の反応に、黒川はくつくつと笑った。
「僕は意外とそういう場所は知っているんだよ。特に、キミ好みの本が滅多にお目にかかれないほど扱われるところにはね」
その言葉に、思わず灰原は身を乗り出した。
「それは、何処だい」
「行ってからのお楽しみさ」
ようやく食いついた灰原に、黒川は含みのある笑みを見せる。
その顔に、灰原は思いあたることがあった。
だいたいこの顔をしているときのこいつは、何かを企んでいるときと相場は決まっているのだ。
「……つかぬことを聞くけど」
「なんだい？」
「そこは、普通の人間がひとりで行けるような場所かい？」
その問いに、黒川はまた含み笑いを見せる。
「行けないことはないさ。でも、そうだね、キミひとりというのはあまりお薦めできないかもしれない」
そんなことだろうと思っていた通りの言葉に、灰原は溜め息をついた。
黒川がそう言うということは、その古本市とやらは『普通の人間』は普通ならば行くことができないような場所なのだろう。
──勿論、この場合の『普通の』というのは金銭的なものや地位のことではない。
しかし、滅多に手に入らない本が見られるだけでも行く価値は十分にありそうだ。
うーんと悩んでいる灰原に、黒川は愉快そうに笑いながら口を開いた。
「安心したまえ、僕は別にキミひとりに行かせようなんて思っていないさ」
え？ と頭を上げた灰原に黒川は封筒を見せた。
「キミに話す前に、とある女性がこのことを聞きつけてね。同行したいと申し出てくれたんだ」
良かったじゃないかと言った黒川に、灰原はしばらく考え込んでから、ややあって口を開いた。
「その市は……普段使ってるお金で買えるのかい？」
ようやく本好きらしい質問が出たじゃないかと黒川は馬鹿にしたように拍手をしてから問いに答える。
「生憎、『彼ら』にはヒトと同じ金銭感覚というものはなくてね」
やっぱりかと灰原はまた溜め息をつきそうになったが、黒川は「まぁ、そうすぐに落ち込むなよ」とにやにやと笑いながら更に説明を続けた。
「店に寄って様々さ。人を見てその人物に渡すに相応しいと思ったものがあれば何の見返りもなく渡してくるものもいる。自分が大切にしているもの──これは別に本でなくても構わない。それと引き換えならばというもの。そういう連中だっているんだから落ち込むことはないさ」
ただし、と黒川は付け加えた。
「物々交換の場合は、交換しようとするものが自分にとってどれだけ大切なものなのか、もの自体の価値よりもそちらのほうが重視されるということだけは注意しておくよ」
「ボクの大切なものなんて、本しかないじゃないか」
はぁ、と結局大きく溜め息をついた灰原に黒川はくつくつと笑った。
「まぁ、見るだけでも目の肥やしにはなるんじゃないかね。もっとも、目にしたらどうにかして買いたくなるのがキミの性分だが」
行くのが決まったら、相手のほうにも連絡をするから待ち合わせて行くと良いよ。
そう黒川は言ってから、「あぁ、言い忘れてたことがあった」と付け加えた。
「その同行してくれる女性についてなんだがね」
「なんだい？」
「どうも、極度の男性恐怖症らしい。気を付けて接してやることだね」
「女性の扱いなんて、知らないよ」
「大丈夫だよ。キミならいつも通り本に没頭していれば問題はない」
そう言って黒川はにやりと笑った。
２．
ラクスと名乗った女性は、どうやら本当に極度の男性恐怖症のようだった。
待ち合わせた場所にはすぐにそれとわかる姿があり、初めましてと声をかけてみたのだが、ラクスのほうはというと挨拶をするのも困難なほどうろたえている。
「えぇと……困ったな。とりあえず、一緒に市には行ってくれるんですよね？ あ、別に一緒にと言ってもずっと一緒にいる必要はないわけで、勿論女性の方に身を守ってくれなんて言いませんし……」
困ったなともう一度灰原は呟いたが、それもラクスに聞こえたのかどうか疑わしい。
「……行きましょうか」
ここでもどかしいやり取りを続けていても意味はない。
灰原もラクスも目的は同じ、古本探しなのだ。
もっとも、灰原はラクスがどんな本を探すためにわざわざこんな奇妙な市へと来ることを決めたのか知らなかったが、そのことを尋ねてみてもおそらくは無駄だろう。
灰原の手には、黒川から渡された地図があるのだが、灰原はまったく知らない場所の上にどうやって見れば良いかもよくわからない。
「あの、ラクスさん、この場所知ってます？」
できるだけ普通に話しかけたつもりなのだが、ラクスはびくっと身体を震わせておそるおそる地図を見てからすっと灰原とは目を合わせずにひとつの方向を指差した。
「多分……こちらのほうじゃないでしょうか。気配が、します」
「気配？」
灰原の問いに、ラクスは小さく頷いた。
「人のものではないものたちの気配が、沢山」
やはり、ラクスもなにやら特殊な力なりを持っているようだと灰原は思いながら、ラクスが示したほうへ進むことにした。
深い霧を通り抜けた先にあったのは、なるほど『市』だった。
意外と盛況なようで喧騒がいたるところで聞こえ、店舗数も客数もかなりのものだった。
最近は、ここまで多い人数は普通の古本市では見かけない。
そう感心はしたけれども、灰原は一目見たその光景に腰が抜けそうになっていた。
人の姿をしているものを探せというほうが困難なほど、奇妙な『人々』がその市にはいた。
恐ろしいわけではないのだが、どうにも自分のほうが浮いてしまっている気がして居心地が悪い。
と、そこで灰原はもうひとりの連れを思い出した。
「あの、ラクスさ……うわっ！」
振り返って姿を見た瞬間、灰原は思わずそう叫んで腰抜かしそうになった。
ラクスの姿も、ヒトのそれではなくなっていたのだ。
確か以前、これと同じようなものを見たことがあるような。
あぁ、そうだ。あれは確か……。
「スフィンクス、でしたか」
灰原の答えに、ラクスはカモフラージュが解けていることに気付いてやや慌てた様子で、しかし男性恐怖症のほうは相変わらずのようで「これは、あの」とうろたえて説明しようとしていたのだが、灰原がそれを制した。
「いや、別にラクスさんがスフィンクスだったからっていうんで驚いたわけじゃないんです──意表は突かれましたけど。知人に変わった奴がいるんで、そいつに比べれば大抵のことでは驚きません」
それより、と灰原は立ち上がると辺りを見渡してから口を開く。
「ここからは、しばらく別行動をとりませんか」
「え？」
その提案に少し驚いた顔をしてラクスは灰原を（ほんの僅かだけ）見たが、灰原はその様子にも苦笑しながら話を続けた。
「ラクスさんも、ボクがいたんじゃ探しものに集中できないでしょうし、ボクはボクで本のこととなると誰かと一緒に行動なんてことができるほうじゃないんです。だったら、いったん別れてもう一度ここに集まったほうがお互いに良いかと」
「ラクスは良いですけど……灰原様は大丈夫ですか？」
「まぁ、多分、大丈夫です」
じゃあ、後でと灰原はあっさり言うと、ラクスから離れて、どうやらすでに何かを嗅ぎ取ったらしい店舗へと近付いていった。
置いていかれたラクスも、気を取り直して本を探すことにした。
３．
ラクスの探している本は、『図書館』から持ち出されたもの、そして最近興味のある錬金術に関係したものが主なのだが、前者がこの市にある可能性は低そうだ。
「おや、珍しい。スフィンクスが市に来たよ」
とある店舗からそんな声がかかり、ラクスが振り返ると、妙に形の定まっていない靄のようなモノが親しげに声をかけてきた。
「ナイルのほうから、わざわざこんな市に来たのかい？」
「その……探している本があり、まして……」
「あぁ、本を探すならここはぴったりさ。ここには大抵の本はあるからね」
ふらふらと宙を漂いながらその店の主らしいソレはそう言った。
「で、お嬢ちゃんが探しているのは何だい？」
錬金術だと答えると、靄が微かに唸った。
「そいつは困ったね。それはアチラさんの本だろう？ 生憎とうちじゃあ扱ってないね」
「そう、ですか……」
落ち込みそうになっているラクスに靄は慌てて取り繕うように言葉を紡いだ。
「いや、うちが扱ってないっていうだけで、他の店でならあるかもしれないさ。確か、ここから少し行った先にアチラから来た奴が店を出してたはずだからね」
行ってごらんよと、ない手を振るようにして促され、ラクスはその店へと向かっていった。
しかし本当に、沢山の市がある。
古本市だと言ってはいたが、扱っているものの古さは並大抵のものではない。
中には、すでに死亡している作家の『新作』まで売っていたが、この市にあるということは本物なのだろう。
その他にも、抹殺された歴史だの、失われた知識だの、１ページ捲っただけで通常の人間の精神は崩壊するような本だのと、『人間』にとっては珍しい本も見かけたが、生憎とラクスはその手の本には事欠かないし縁も深かったので、さして興味は引かれなかった。
極たまに、誰かの日記らしいものばかりを並べている店もあり、そちらのほうがラクスには少々興味は沸いたが、買うほどではなかった。
「あぁ、アンタ、さっき向こうのヤツと話してただろ」
目的の店の前に来ると、多少はヒトの姿を留めている、けれど何処か違和感を覚える男がひとり店先に立っていた。
男、という時点でラクスは眩暈が起きそうだったが、ここで倒れていては本を探せない。
「探しものはなんだい？」
「そ、その、錬金術の本を……」
「錬金術か、それでもいろいろあるだろう。詳しく聞かせてくれないか」
男の問いに、生命練成系や変異練成系の新しいものだと答えるのもラクスにはかなりの勇気と労力が必要だった。
「さて、ウチの手元にあったかね。ちょっと待ってなよ」
そう言ってくるりと振り返った男に、ラクスはほんの少しだが虚を突かれた。
男の顔の裏には、女の顔が張り付いていたのだ。
女はじろりとラクスを見てからにっと人付き合いの良い顔で笑いかけた。
「あんた、どうやら男がかなり苦手のようだね。アタシが出てあげれば良かったのに困らせちまったみたいで悪かったね」
「うるせえ、お前は黙ってろ。俺が出たんだから最後まで俺が相手をするんだよ」
「あぁ、イヤだ。美人を見かけるとすぐこれなんだから」
そのままふたり（？）で言い争いをしながらもひとつしかない身体のほうは積まれた本から何かを探っていた。
「コレなんてどうだい？」
そう言って差し出された本は、多少古びてはいたがラクスが見たことはない本だった。
本というよりも、どうやらひとりの名もない錬金術師が研究の結果を書き連ねたノートのようだ。
「中身はまあ、そんなに新しいもんじゃないから、あんたの気には召さないかもしれねぇな」
「い、いえ、ラクスは、少しでも知識が増えるんだったらそれで……えぇと、お代は……」
「そうだな、これはまぁ、たいしたもんでもないから。何か知識をひとつもらえないかな」
あんた、そういうのは豊富に持っているだろうと言いながら男はすっと手を出した。
「え？」
「手に触れてくれたらそれで十分こっちに伝わるのさ」
その言葉にラクスは青褪めた。
顔を合わせるのも困難だというのに男と握手をするなんて真似がラクスにできるはずがない。
「困ったな、それじゃお代が払えねぇよ？」
「ああ、まったくいい加減におしよ。そうやってしつこいから客もろくに寄ってこないんだ」
なんだと、と反論する前に、くるりと顔が女のほうへと変わった。
「さて、一応これで身体も女になったわけだけど、それでもやっぱり触るのは無理かい？」
「いえ、その……頑張ります」
半べその顔に女は困ったねぇと言いながらもすっとラクスの手を握った。なるほど、手の感触は間違いなく女性のものだ。
「また何か掘り出し物があったら知らせるよ。じゃあ、今日は買ってくれてありがとう」
その言葉を合図にしたようにぼうっと店が掻き消えた。
「あ、灰原様との待ち合わせ……」
ようやくそれを思い出したラクスは急いで先程灰原と別れた場所へと戻った。
４．
「やぁ、ラクスさん、成果のほうはどうでした？」
妙に上機嫌な灰原に、ラクスは言葉を詰まらせながら、一応１冊だけは買うことができたと述べた。
「なんだ１冊だけなんですか？ 欲がないなぁ」
そう言った灰原の手には数冊の本が抱えられていた。
「灰原様は、えぇと、それなりに望みのものが買えたようですね」
途切れ途切れにそう言ったラクスに「様はやめてくださいよ」と言ってから灰原は上機嫌で本を手に取った。
「えぇ、もう、それは十分に」
その代償として灰原が何を払ったのかラクスはあえて聞こうとは思わなかったが、ヒトの灰原が払えるものなどたかがしれているような気もしたのだが、これだけの本を手に入れることができたということは何かしら手に入れるだけの要素を持っていた、ということなのだろうか。
「しかし、あいつには腹が立つ」
不意に機嫌が悪そうにそう呟いた灰原にラクスは首をかしげた。
「あいつ？」
「黒川ですよ。あいつ、自分の頼んでいた本があったらしく、それを受け取る代理にボクを勝手に指名してたんですよ。しかも、払うのはボクときたもんだ」
「……ちなみに、お代は、なんだったんですか」
ラクスの問いに、灰原は軽く息を吐いてから口を開いた。
「聞かないほうが良いですよ」
それきりその話題は灰原の口からは出ず、ラクスと灰原は元の場所へと戻ると「それじゃあここで」と言って別れた。
市で手に入れた本の内容は、ラクスはすでに知っている、しかも一部大きなミスがあることもわかる研究ノートだったが、多少の知識の補充には役に立ちそうだった。
今度また、あの市があったら、ひとりで行ってみようか。
女のほうが店主だったときなら、もう少しいろいろと聞き出せたかもしれない。
そう思いながら、本棚の中にその本をきちんとしまった。
了
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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1963 / ラクス・コスミオン / 女性 / ２４０歳 / スフィンクス
NPC / 黒川夢人
NPC / 灰原純
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■ ライター通信 ■
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ラクス・コスミオン様
この度は、当依頼にご参加くださいまして誠にありがとうございます。
男性恐怖症とのことでしたので、灰原には別行動をとってもらったのですが、同行のほうがよろしかったでしょうか。
少々（？）奇妙な市、楽しんでいただけましたなら幸いです。
では、またご縁がありましたときにはよろしくお願いいたします。
蒼井敬 拝
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