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Chocolate Magic
「今年は、手作りチョコに挑戦しまーす!」
テーブルの上に並べられた材料を目の前にして、可愛らしいフリルと大きなポケットのついたエプロンをつけた神楽 琥姫(かぐら・こひめ)は、椅子の上に自分とお揃いのエプロンをつけた大きなパンダのぬいぐるみに元気よく宣言してみせた。
毎年この時期にはデパートで買ったり、ウケ狙いで十円チョコをたくさん買って袋に詰めたりして渡したりもしていたのだが、毎年市販のチョコというのも味気ないと思い、今年は自分で作って渡そうと決めたのだ。
自分で食べるのなら、買ってもいいだろう。
でも、やっぱり感謝の気持ちとか、そういうのを伝えるのなら…。
「きゃー、恥ずかしい」
まだ作り始めてもいないのに、何故か急に恥ずかしくなった琥姫は床にしゃがんで顔を押さえた。手作りだと分かったら喜んでくれるだろうか…そんな事を思うとどんどん考えだけが先走り、どうしていいか分からなくなる。
「……上手くいくといいな」
シャキッとその場に立ち上がり、パンダの頭をぽんぽんと撫でる。そのくりっとした目に琥姫の姿が映る。
『まずは挑戦しないと。がんばれ』
「うん。初めてだけどやってみないね」
ミルクタイプのクーベルチュールチョコレートの袋を開け、作り方が書かれた紙を見ながら琥姫は真剣に計りを自分の手元に寄せた。
その頃…。
蒼月亭でコーヒーのネルを洗っていた矢鏡 小太郎(やきょう・こたろう)は、レジの側に貼ってあるカレンダーを見てふうっと溜息をついた。
やっぱりバレンタインが近づくと、心がそわそわし始める。それは別にクラスや部活でもらえるかどうかとかではなく、もっと別の部分にある落ち着かなさだ。
毎年子供の頃からバレンタインには、琥姫からチョコレートをもらっている。
まだ小さかった頃は「お菓子をもらえるのが嬉しい」だけで良かったが、それがそのままずっと続くと、琥姫が自分にチョコをくれるのはただ幼なじみの義理なのか、それとも…と、いう気持ちが出てきた。
「琥姫姉ちゃんは誰かにあげるのかな…?」
大学に通っている琥姫には、きっと小太郎が知らない人間関係があるのだろう。自分はただの幼なじみであって、それに口出しを出来る立場ではないと思っているのだが、もし突然そんな人を紹介されたら…考えだけが先走り、どうしたらいいか分からなくなっていると、ぽんと肩に手が乗せられる。
「手止まってるぞ」
「あ、はい。すいません」
マスターのナイトホークが、ふっと笑いながらグラスやボトルを拭き始めた。まだ日が暮れ始めたばかりなので客は店内におらず、煙草をくわえたまま鼻歌など歌ったりしている。
「ナイトホークさんはチョコレートとか食べますか?」
いきなりバレンタインの話をしたら、きっと笑われるだろう。そう思ってチョコレートの話を振ってみると、ナイトホークは煙草を灰皿に置き一番奥にあるリキュールの入った冷蔵庫を開けた。
「ウイスキーにチョコは結構合うから、カカオ分が高いソリッドチョコとかは置いてあるよ。食うか?」
差し出されたのはフランスの『ミッシェル・ショーダン』というブランドの、カカオ70%のチョコレートだった。食べてみると、甘みよりも苦みと酸味を強く感じる。香りが良いのは、チョコに混ざっているカカオの粒のせいらしい。
「大人の味ですね」
普段食べるチョコとは違う味わいに小太郎がびっくりしていると、ナイトホークもそれを一枚口に入れ、ショットグラスに薄くシングルモルトウイスキーを入れた。
「これとウイスキーがすごく合うんだ。ま、バレンタインが気になるのは若い証拠だわな」
「えっ?」
ばれていたようだ。
クスクスと笑いながらグラスを傾けるナイトホークに、小太郎はただおろおろするしかなかった。
部屋の中には、ほんのりと甘い香りが漂っている。
クーベルチュールを刻んでから、鍋に生クリームを入れて、沸騰寸前に火から下ろして刻んだものを入れ…。
初めて作るのならチョコを湯煎にかけたものを型に入れるだけの物や、イチゴなどをコーティングするもの、ココアパウダーを使った焼き菓子などいろいろあるが、琥姫が作ろうと思っているものは決まっていた。
トリュフチョコ。
生クリームが入っていて口溶けもいいし、色々バリエーションをつけられるのもいい。それに、トリュフは確か大好物だったはずだ。
「やっぱり好きな物を贈らなきゃね」
暖かい生クリームに刻んだチョコを入れ、ゆっくりと溶かすように混ぜていくとだんだんゴムべらが重たくなってくる。こうなったら中身をボウルに移して、香り付けのエッセンスや洋酒を入れて…。
「おっ、なかなか上手じゃない?もしかして私、お菓子作りの才能ある?」
ゴムべらについたチョコを指ですくって一舐め。優しい甘さに思わず琥姫は笑い、次の手順を見るために紙を見る。
『※生クリームが沸騰しなければ、ここまでは誰でも出来る』
「がーん…」
わざわざ丸で強調されているのを見ると、自分がここでちょっといい気分になるのを見透かされたらしい。でも、その後ろにはちゃんと励ましの言葉も書いてある。
『でもちゃんと覚えれば生チョコは作れるから、気を抜かずに』
「うふふー、こうやって自分で作れるとやっぱり嬉しいな」
服は色々と作ったりもしているが、バレンタインにチョコレートを作るのは初めてだ。
受け取ったら喜んでくれるだろうか。
どんな表情ををするのだろうか。
きっとちょっと驚いた後、少し笑って「ありがとう」って言うのだろう。
チョコレートにラップをかけ、後はしばらく休ませなくては。そこまでやってから琥姫は次の手順を見て、肝心なことについて忘れていたのに気が付いた。
「あ…」
これは本人の所に行かなければ。丁度トマトも買おうと思っていたところだし、その足で行けばいいだろう。
「ちょっと出かけてくるから、留守番しててね」
『琥姫ちゃん行ってらっしゃーい』
「ソリッドチョコも好きだけど、やっぱトリュフが一番かな」
小太郎が振り始めたチョコレートの話題で、今日の蒼月亭ではバレンタインの話で盛り上がっていた。
「ナイトホークさんが甘い物って、何か意外です」
今日のお勧めメニューである『ニョッキのクリームグラタン』をオーブンから出しながら小太郎が言うと、シャンパンの蓋を慎重に開けながらナイトホークが笑う。チョコレートとお酒の話をしているので、今日はシングルモルトウイスキーやシャンパンが良く出る
「酒に合えば甘い物とかあんまり関係ないな」
「チョコレートがお酒に合うって、やっぱり大人っぽいですね」
いつか自分もお酒が飲めるようになったら、琥姫にもお酒に合うチョコなどを教えてあげたい…ウイスキーはちょっときつそうだが、シャンパンならデザート代わりにも楽しめそうだ。
アルバイト中は色々勉強になることが多い。小太郎がそんな事を思ったときだった。
入り口のドアベルが鳴り挨拶のために顔を上げ、そこに立っていた琥姫を見て小太郎は思わず慌てた。タイミングが良すぎる。
「い、いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
食事にでも来たのだろうか。だが、琥姫はおずおずと頭を下げると小さな声でこう言った。
「今日はお客じゃないの…ちょっとナイトホークさんに…」
「俺?五分ぐらいでいい?」
何だろう。
別に何かあるというわけでもないのに、二人が小さな声で話しているのが妙に気になる。ナイトホークは少し頷くと、キッチンの奥に行き琥姫に何かを手渡した。
「これで大丈夫だろ」
「ありがとうございます。お客じゃないのに、わざわざ聞きに来てごめんなさい」
「いやいい。楽しみにしてるから」
楽しみにしてる。
もう何だか辺りの音が良く聞き取れないほどショックだ。確かにナイトホークは小太郎にしてみれば大人であって憧れなのだが、でも、それでも…。
「こたろーちゃん、また来るね。ばいばい」
「あ、うん…」
「琥姫姉ちゃんもやっぱり好きな人いるのかなあ…?」
寮のベッドに寝転がり天井を見上げながら、小太郎は大きく溜息をついた。
子供の頃は良かった。誰と結婚するのか…などと聞かれたら「琥姫姉ちゃん」と言えたし、こんなに意識することもなかった。中学ぐらいになると、バレンタインに他の女の子からチョコを貰ったこともあったが、今ほど不安になったりもしなかった。
もし…琥姫に好きな人が出来たら、絶対祝福しよう。
そう思っていたのに、いざとなると妙に複雑だ。それが全く知らない人であれば、ここまでショックじゃなかったのかも知れない。
そういえば、クリスマスに小太郎と琥姫はナイトホークに助けられたことがあった。自分はただ走って逃げていただけだが、色々と博識で、大人っぽくて…。
「うわああああ…」
自分とある意味ベクトルが違う。頭を抱え布団に潜り、足をジタバタ…。
こうなってしまっては仕方がない。
後は腹をくくって、琥姫を祝福しよう。それが幼なじみの自分に出来る事…とは、やっぱり思い切れないわけで……。
「ぱっぱらぱっぱぱーぱーぱー♪」
家に帰った琥姫は買ってきた物を冷蔵庫に入れる間も惜しいというように、自分の口でファンファーレを言った後バッグから長い物を取り出した。
「温度計ー♪」
トリュフの中身は生クリームなどで口溶け良くなっているが、コーティング用のクーベルチュールはテンパリングと呼ばれる温度管理をしなければ、美味しく口溶け良くできない。ただ溶かして絡めればいいわけではないのが、チョコレートの奥深さだ。
「チョコレートを湯煎で溶かして43℃にしたら、水の張ったボウルにつけて26℃まで下げる。そして29〜32℃…で、32℃より上がっちゃったら、もう一度最初からやり直し…」
作り方の紙を見ていると、何だか妙に難しい気がしてきた。でもここで横着してしまったら、美味しい物は作れない。
「手作りなんだから、美味しい物を食べさせてあげたいもんね」
そう言いながら琥姫は次々と買ってきたものを取り出した。クーベルチュールにまぶす為のココアに粉砂糖。アーモンドパウダー。そして…。
「これも美味しいんだよね」
そう言いながら冷蔵庫を開け、琥姫は抹茶の入った缶を出した。最近封を切ったばかりなので香りもいいし、チョコにまぶすとまた違う味わいが楽しめるだろう。
またパンダを食卓の椅子に座らせると、エプロンとお揃いの三角巾を頭につけ、張り切るようにぐっと両手を握る。
『琥姫ちゃん、ラッピングは大丈夫?』
「ちゃんとトリュフ用の箱やカップに、リボンも選んできたからばっちり。さあ、頑張って仕上げようっと」
完成まであと一息。
作り方か書いてある紙をもう一度確認するようにしっかり見て、琥姫はクーベルチュールチョコを一生懸命刻み始めた。
「元気ないけど、どうした?」
「いえ…」
これがナイトホークに言えようか。
バレンタインデーの前日、小太郎は溜息をつきながら店の中で食器を拭いていた。せめて…当日にアルバイトが入っていなかったのが救いかも知れない。実際手渡すのを見て、上手く笑える自信もない。
バレンタインが過ぎるまでは、お通夜のように大人しく暮らそう。もう一度溜息をついたその時だった。
「こんばんはー。良かった、こたろーちゃんもナイトホークさんもいた」
「琥姫姉ちゃん?」
ドアベルを鳴らして入ってきた琥姫は、寒かったのか鼻の頭が少し赤くなっていた。手にはリボンのついた紙袋を持っている。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ…小太郎、ハンガー」
「はい」
琥姫が着ていたコートを預かりハンガーに掛ける。手に持っているのは、やはりバレンタインのチョコなのだろうか…客が持ってる荷物を気にしてはいけない。分かっていてもやはりそれが気になって仕方がない。
カウンターに座った琥姫は出された水を一口だけ飲むと、にっこり笑って紙袋の中から一回り小さい紙袋を出した。
「ナイトホークさん、一日早いけどどうぞ」
ああ、やっぱり。一体どんな顔をしたらいいのか…そう思いながら、何とか平静を装うとする小太郎に、琥姫は手に持っていた紙袋を手渡した。
「はい、こたろーちゃんも。一日早いけどバレンタインのプレゼント」
「えっ?」
「まだお客さんいないから、ちょっと出してみて」
中に入っていたのは小さくラッピングされた箱と、春用のミリタリーコートだった。タグには『Kohime』と付いているので、きっとお手製なのだろう。
「琥姫姉ちゃん、これ…」
コートを持ったまま呆然としていると、琥姫はにっこりと笑って指を指した。
「今年はプレゼントだけじゃなくて、チョコも手作りしたんだよ。こたろーちゃんトリュフ好きって言ってたでしょ?だから、ナイトホークさんに作り方教えてもらって…」
ナイトホークが作り方を琥姫に教えてくれる条件は『洋酒の効いたトリュフ作って』だったので、小太郎に作ったのとは別なのを手渡した。あの時にナイトホークと小声で話していたのは『テンパリング用の温度計を貸して欲しい』ということで……。
「………」
全て自分の早合点と勘違いだったのか。そう思うと、何だか急にこの数日間が恥ずかしくなってくるから不思議だ。ナイトホークは既にトリュフの箱を開け、一つ口に放り込んでいる。
「うん、初めて作ったとは思えないな。美味いよ」
「良かったー。こたろーちゃんに食べてもらう前に、味見して貰わなくちゃって思ってたから。こたろーちゃんは寮に帰ってから食べてね」
「ありがとう、琥姫姉ちゃん。大事に食べるよ」
ちょっと驚いて、笑いながらお礼を言って…。
やっぱり手作りして良かった。今年のバレンタインはいつもと違って、きっと心に残るだろう。それが優しいチョコの魔法…。
注文を取る小太郎に、琥姫は満面の笑みを浮かべながら今日のお勧めの『鶏肉のトマトシチュー』を頼んだあとで、きびきび働くその姿を眩しそうに見つめた。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6541/神楽・琥姫/女性/22歳/大学生・服飾デザイナー
6615/矢鏡・小太郎/男性/17歳/神聖都学園 高等部生徒
◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
バレンタインに初めてチョコレートを作る琥姫ちゃんと、不安になったりする小太郎君の話ということで、合間にナイトホークを入れたものを書かせていただきました。
こういう勘違いは実際ありそうですよね。そんな二人の姿を思い浮かべつつ、ほのぼのしてしまいました。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。
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