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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【江戸艇花柳】〜ユビキリ〜




 ■Opening■


 指切リ 拳万 嘘吐イタラ 針千本 飲マス 指切ッタ


 柳は緑、花は紅。
 初夏の風が表通りを駆け抜けようとも、色無き風が物悲しく吹き荒ぼうとも、ここにあるのは穏やかなぬくもりと春の陽だまり。
 春を売る、ここは色里、花の街――江戸艇花柳。


 惑いてここへ辿り着くは、男どもだけにあらず。
 疲れ果て辿りついた女どもはただ、虚ろにしきたりをならいてはべる。
 指名され、初めて客に会う事を『初会』という。客を引付座敷で待たせ、最初は余所余所しく酒を注いでやる。その後の床入りは、形式的なもので終わらすこと。次に会うのは『裏を返す』。少しだけ客とは親しくなれる。されどまだ胸襟を開いてはならない。三度会ってようやく『馴染み』となる。箸紙に名を入れ定紋をつけて客に専用の箸を持たせてやる。平安時代の通い婚を真似たのか三日夜の餅を食べるように、三度通ったその客と女は、その大門の中でのみ、かりそめの夫婦となる。それ故、男が他の遊女に手を出せば私刑となる。
 ただしそれも大門の中でのみ。
 色里は春を売る。男にとってその恋は夢とも幻ともつかず。
 されど色里から出られぬ女たちにとって、この恋は確かに真実―――。


 ―――必ずまた逢いに来ると、約束してね。


 恋し焦がれて、待ちわびて、待ちくたびれて。
 女はただただ男を思い続けて、待ち続けて、やがて悪いほうへと自らを追い込んでゆく。来なくなった男は別の女の元へ通っているのだと思いこみ、自分は裏切られたと信じ込み、妬み、嫉妬し、狂い、指切りでは足りず、拳万でも足りず、針千本でも足らなくて、やがて女は般若の面を被り鬼と化す。



 ▼▼▼ ▼▼ ▼



「ギャーーー!!」
 まだ開かぬ大門のすぐ傍で一人の遣り手ばばぁが悲鳴をあげ腰を抜かした。
 そこに、一人の男が冷たくなって倒れていたからだ。

 困った困ったと、花町の男衆も女将も頭を抱え始めた。
 大事な遊客を失ったのはこれで五人目。
 首には手の痕。誰かが絞め殺したのか。
 しかし大門の中にいるのは殆どが女ばかり。そして犯人は見つからず。






 ■Where is...■

 格子に侍って男を誘う女の嬌声。むせ返るような白粉のにおいも実は嫌いじゃない。妓音は膝立ちになって、大きく開いた胸元を手でそっと押さえると楽しそうな笑みを浮かべてその女たちの中に加わった。ナチュラルに。
 ここがどこだ、とか何が起こったか、など今更いちいち確認するのもバカバカしい。こうなっては女郎ライフを楽しむしかないのである。
 そんな彼女の前に一人の男が颯爽と現れた。
「サンバはどこじゃ!?」
 背が高くがっしりとした体格に上質の粋な着物。白髭白髪とそのふてぶてしい顔には見覚えがあって、妓音ははんなり声をかけた。
「あわてんぼう将軍はん」
 呼ばれて、あわてんぼう将軍こと、しずめがそちらを振り返る。妓音の顔に見覚えがないのか、いや、そもそもしずめは他人に興味がないだが、彼は、牢屋のような格子から何本も伸びている白い手にぎょっとした。女どもがあられもない姿で誘っているのである。こんな祭りは見た事も聞いた事もない。ついでに、これが祭りであったとしてもあまり楽しそうには見えなかった。それとも女刑務所にでも迷い込んでしまったのか。
「えぇい!! うるさいわぁ〜!!」
 しずめの恫喝に女どもが一斉に押し黙った。彼の迫力に泣きながら逃げ出して行く者もいる。
 気付けばポツネンと、そこに妓音だけがとり残されていた。
「うちをここから出してくれはらへん?」
 妓音が言った。
「罪人ではないのか?」
「清廉潔白の妓音ちゃんどす」
 かわいこぶりっ子の妓音の言に、しかししずめは別段嫌そうな顔をするでもなく、無造作に格子を破った。今まで破ったドアは数知れず。隙間だらけの格子など、彼の前ではあってなきが如し。
 格子を壊して中から女を救い出す祭りなら、それはそれで楽しいかもしれない、と思いなおす。勿論、壊すのが。だとしたら、女どもを蹴散らしてしまったのは惜しい事をした。
「おおきにえ」
 そう言って妓音がしずめの首に抱きついた。
 全くもって何の祭りかといぶかしむしずめの背に殺気が走る。
「何壊しとるかぁー!!」
 遣り手の梅が飛び出してきたかと思うとキセルで彼の後頭部を打ち据えた。
「むむっ……出たな妖怪!!」
 妓音を首に巻きつけたまま、しずめが振り返った。まるでメリーゴーランドのようにぶら下がったまま、妓音も梅を見やる。
「だまらっしゃい!!」
 宿敵邂逅。他人に興味がなく、人の顔も三分で忘れられる天下無敵の方向オンチが覚えている数少ない顔である。
 二人が睨み合うのに妓音はしずめの首から腕を離すと、その腕に自分の腕を絡ませた。
「うち、この人にこうてもろたん」
 女郎ライフも楽しそうだが、彼といるのも楽しそうである。
 しかし遣り手梅は、その遣り手ぶりに恥じることなく、相手が将軍様だろうとただの迷子だろうと容赦はない。
「それは格子を弁償してからじゃ」
 そう言って梅がどこからともなく取り出したのは、大工道具だった。






 ■Intersection■

 格子女郎のいる揚屋はちょっとした騒ぎのようになっていた。
 青い髪に青い目をした遊女―――ナンナとその馴染みの客らしい男―――皓が楽しげにそちらを覗くとしわくちゃばばぁと豪快じじぃがバトルの真っ只中なのである。建物をなおして行けだの、うるさいだの、そんな言葉の応酬に野次馬は殆どいない。進んでとばっちりを受けたがる者もいないのだ。君子危うきに近寄らず。
 ならば、ナンナと皓は――それはさておき。
「まぁ、何かしら。ねぇ、ひかる……」
 さん、と声をかけて、ナンナが振り返ったそこに、しかし皓の姿はなかった。
「あら?」
 辺りを見回し彼を探す。
 果たして彼は、じじぃとばばぁのバトルを観戦する数少ない見物人の前にいた。
「あなたのその瞳はまるで人を誘い込む深遠のようだ」
 などと女の手をしっかと握り、彼はじっと女の目を見つめていた。
「僕はその深みの中に嵌ってしまいそうです」
 既に気障を通り越してアホとさえ思えてくるようなくさいセリフであった。
「今宵、あなたの上で溺れてもいいですか?」
 尋ねられて女は頬を赤らめた。ウブだから、では断じてない。自分をも誑かす好演で、恥ずかしそうに赤らむ自分の頬を両手で押さえながら彼女は言った。
「いや、うちどないしよ。今、しずめの旦那はんにこーてもろたばっかりやのに」
「ああ、もっと早くお姉さまにお会いしていれば!」
 皓が額に手の甲をあて残念そうに天を仰ぐ。
「でも、大丈夫え。江戸の女郎には回し制もあるんやし」
 女―――妓音が言った。回し制とは、一人の遊女が何人もの客を取る事である。一妓一客かりそめの夫婦が基本の遊郭で、何故か江戸だけは一妻多夫が許されているのだ。
「おお」
 がしっと皓が妓音の手を掴んだ。是非その中に、自分もといった風情である。
 その背後にゆら〜り。
「……ひかるさん?」
 いつの間に置かれたのか、キリシタン狩りの踏み絵を破るほど踏み躙って、ナンナが地獄の底から響いてくるような声で言った。
「はい?」
「何をしていらっしゃるの?」
 にこにこしているが、怒っているようにも見える。
「何や、もう敵娼はん、いはるんやん」
「こんな素敵なお姉さまがたを前に、たった一人を選ぶなんて僕には出来ません」
 皓が、きっぱりと言い切るのにナンナの平手が飛ぶ。一応、断っておくが、この二人の間に恋愛感情のようなものはない。ただ、この状況を愉しんでいるが故に、ナンナは皓の敵娼になりきって、嫉妬を装っているだけなのだった。ところで皓は、ひかると偽名を使うほど光源氏を真似ているのだとナンナは思っていたが、当の本人は妓音に声をかけたのも本気であった。閑話休題。
 ナンナの本気でない平手に吹っ飛ばされ、そのまま勢いあまって皓は地面と口付けた。その目の前に別の男が地面を這っている。先ほどの豪快なじじぃだった。いつの間に決着が付いていたのか。じじぃの背にのってばばぁこと梅がキセルを吹かしていた。
 それを見た皓はその強靭な回復力で素早く立ち上がると梅の手をとった。
「ああ、なんて可愛らしい人なんだ。その強さの中にあるあなたの弱い部分。僕に見せてくれませんか?」
 出会った女性は誰かれ構わずとにかく口説く。それが女性に対する礼儀だと思っているらしい。老若生死は問わないのが彼の信条だ。
「…………」
 口説かれて呆れはしても、悪い気はしない妓音だったが、自分が皺くちゃばばぁの梅と同列なのかと思うとなんだか納得がいかない。
「何、言うてはんの、もう!」
 などと笑顔で軽やかに皓の背を叩いた。まるでテレ隠しみたいに。ただし、インパクトの瞬間、彼女の手は音速を超えた。
 皓が吹っ飛ばされた事に気づかない梅がもじもじと恥らっている。
 それまで半ば白目をむいていたしずめが飛び起きて、そんな梅に飛び蹴りをくらわした。
「その年で何を恥らう乙女か!! 気色悪いんじゃー!!」
「女はいくつになっても乙女じゃ」
 梅がしずめの蹴りをかわして身構える。地面を蹴って跳躍すると、その額をキセルで打ち据えた。しずめの体が傾ぐ。
「……まぁ、今回ばかりは梅さんの言う通りやね」
 妓音が言った。
「えぇ。女はいくつになっても乙女でいいじゃありませんか」
 ナンナも頷く。
 それから二人は顔を見合わせてくすりと笑った。気が合いそうだ。
「うるさいわ」
 しずめが怒鳴り散らす。
「そうです。女性はすべからく敬うべきです。ああ、そこのお姉さま!」
 吹っ飛ばされていた皓が飛び起きて、懲りずに女の手を取っていた。この騒ぎに殆どが逃げるばかりだったが、ごくわずかだが集まってくる者達もあるのだ。但し、その殆どが、日本髪を結うでも髷を結うでもない。
「…………」
 呆れたように肩を竦めるナンナと妓音に、やれやれと梅が並んだ。
「しかし、まずいのぉ」
「何がです?」
 ナンナが尋ねる。
「ああいうのが一番狙われそうじゃ」
 梅が答えた。
「狙われる?」
 妓音も興味顔だ。梅は二人をマジマジと見て、それから何で遊女のくせに知らないんだとばかりに言った。
「ここ半月の間に五人も遊客が殺されただろ。どうも浮ついた感じの男ばっかり」
「…………」
 勿論、そんな話しは二人とも知らない。だが、人が殺されたとは穏やかではない。
「したら、彼を囮にしたらえぇんちゃう?」
 妓音が皓の方を振り返って言った。半ば冗談ぽく、半ば本気で。皓は、先ほどの女性にあっさり振られたのか、その女が連れていた女の子に声をかけていた。
「その話し、じっくり聞かせてくれませんか」
 振った女性が梅に声をかけてきた。シュラインだ。ともすれば今、皓が声をかけているのはすばるという少女であった。ちなみにすばるは呉服屋シュラインが越後屋から預かったからくり人形の幼女である。
「是非、我々も」
 ナンナと妓音が振り返る。
 そこにセレスティと慎霰が立っていた。



 ▼▼▼ ▼▼ ▼



 セレスティが予約していたその貸し座敷は、畳二十畳もある、その遊郭の中では特に大きな部屋だった。
 本来であれば何人もの遊女や芸者がもてなすところであったが、今は遊女――椛と、その付人である禿の楓、それから自分がもてなす方であるという事を失念しているナンナと妓音がいるだけだった。
 セレスティは椛の隣にゆったり腰を落ち着けた。
 その向かいにシュラインが座る。
 部屋の片隅で慎霰がナンナと妓音に挟まれて小さくなっていた。彼は何度かそこから逃げようと試みたが、何故かぴったりくっつかれてうまく逃げられないでいたのだ。
 十中八九、妓音とナンナはそれを愉しんでいると思われたが、相手が女だけに強く言う事も出来なくて、結局、顔を真っ赤にして自分の膝頭と睨めっこしている事しか出来なかったのである。
「手伝ってくれはらへん?」
 楓が、シュラインの隣に座っていたすばるに声をかけた。
 お茶を用意しているのだ。さすがに大人数は手に余ったのか、すばるが一番自分と歳が近いと思って声をかけたようである。
 すばるは頷いて立ちあがった。
 そして淡々とお茶を淹れると、淡々とお盆にのせ、淡々と運び、淡々と畳の縁に躓き、呆気に取られて見ている楓の前で淡々と雑巾がけをすると綺麗にかたずけて、元の場所に座った。これでは茶運び人形の方が幾分マシかもしれない。
「…………」
 結局、楓は一人でお茶を配った。
 しずめが牛乳がいいと駄々をこねたので、梅がそれを取りに行く。牛乳の歴史は意外と古く、もっぱら貴族の間でもてはやされた代物なので、武家ばかりの江戸では入手が困難であったのだが、そこはそれ、相手は将軍様。というわけで、この部屋を貸しきったセレスティの大盤振る舞いと相成った。
 というわけで。
「それで、殺された五人の話を聞きたいんだけど」
 シュラインがお茶で喉を潤してから話を切り出した。
「えぇっと……確か、一番最初は半月ほど前やっけ、楓はん」
 椛が記憶の糸を辿るように言った。
「うん。千代姉はんとこの馴染みはん」
「そうそう。千代姉はん。あの時は大変やったよね。姉はん、半狂乱にならはって」
 椛はその時の事を思い出したのか、顔を悲しげにゆがめた。
「…………」
「あんたか? あんたか? 言うて、手当たり次第掴みかからはったん」
 無理もない。かりそめとはいえ、好いた男を殺されたのだ。千代はその後、自らの喉を簪で貫いた。
「やっぱり、その……首を手で?」
 シュラインが尋ねる。
「そういう話し。うちは見てへんからどないなもんかはわかれへんけど」
 それを皮切りに、この連続殺人事件は始まったのだという。
 場所はいずれも大門の傍。絞殺らしく、首に絞められたと思しい指の痕が残っていた。それならば、この事件の担当役人に遺体の首の手形を取ってもらおうと、シュラインが提案したが、椛は複雑そうに首を振った。
「遊客が殺されたのは公然の秘密だな」
 すばるが尋ねる。
「はい」
 公になれば客足が減ってしまう。だからこの色里で内々に処理しているのだ。遺体は投げ込み寺に捨てられ、表向きには知らぬ存ぜぬを押し通している。
 では、何故それを部外者であるシュラインらに話すのか。それが江戸艇の江戸艇たる所以なのかもしれない。ここの住人たちは召喚した者に情報を流すよう刷り込まれていると推測される。
 とにもかくにも、客の共通点といえば、最近、足が遠のいていたことくらいか。
「大門の傍なら見送った後の犯行とも考えられませんか?」
 セレスティが言った。
「それって、千代姉はんをうたごうたはるん?」
 椛が眉を顰める。見送った後なら、見送った人間が疑わしいだろうか。
「でも、それだと、二人目以降はどうなるの?」
 尋ねたシュラインにセレスティはさて? と首を傾げてみせた。
 五人の内、千代の馴染みは最初の一人だけ。ならば残りの四人はそれぞれの敵娼という事になる。現時点で全てが同一犯という決め手はないから、それも可能性としてないわけではないが。しかし、犯人は誰か、と手当たり次第に掴みかかった千代の話を聞くと、にわかには考えられない。
 慎霰は俯いたまま考えた。実行犯と裏で糸引く人間―――いや、この場合人間でない可能性もある―――が、別にあるとしたら。例えば、それに操られたとか。
 そんな思考を遮るようにセレスティが首を捻りつつ続けた。
「しかし、大門が開いていたなら目撃者はなかったのでしょうか。大門には門番も常時いるでしょうし」
 確かに、犯人が誰にせよ門番は怪しい音を聞いていてもおかしくはない。物音一つたてず絞め殺したのか。或いは殺人現場は別なのか、考え込むように静まりかえった空間で、沈黙に絶えられなくなったのかナンナが口を開いた。
「絶対、犯人は女ね」
 きっぱりと言い切ってみせる。
「こんな怖いことするのなんて女以外に考えられないもの」
 妙に自信たっぷりだったが、そこに根拠は無い。女の勘というやつであった。
「もし、犯人が女性の方なら、哀しいですね」
 セレスティがわずかに目を細めて窓の外へと視線を投げた。
「…………」
「ここから出られぬ彼女らにとって、会いに来てくれる男性だけが外の世界を知らせてくれる唯一の存在なのでしょう。愛してくれている、そう信じていた人がパタリと来なくなって、その人と築いてきた世界が一方的に経ち切られる……いや、断ち切られるくらいなら、自らの手で―――」
 もしそんな理由だとしたらやるせない。
「だが、そうだとしても、女が女の手で大の男の首を絞めるなんて出来るのか?」
 慎霰が言った。彼の女性のイメージでは出来るとは思えなかったのだ。
「そうですねぇ」
「あのばばぁなら出来るんじゃないか?」
 しずめが禁断症状みたいにイライラと貧乏ゆすりをしながら言った。牛乳を待ちわびているのだ。
「この細腕で首を絞めるなんて出来るわけないわ、たわけが!」
 どこで聞いていたのか障子戸が開いて、梅が牛乳を運んできた。
「むむむ……」
 誰が細腕か、と言い返したところだったが、事実梅の腕は細い。
「あら、わたくしなら出来ますわ」
 ナンナは笑って立ち上がると、どこからともなく取り出した手ぬぐいを丸めて雑巾を絞るように両端を握ると、軽々とそれを絞り、捻じ切ってみせた。
「…………」
 慎霰がそれを、猫だましにでもあったような顔で見つめていた。彼の中の女性のイメージが若干壊されたかもしれない。ちょっといじめたらすぐ泣くし、殴るにも殴れないし、それが女というものだ。しかし、しずめと戦う梅や、手ぬぐいをねじ切るナンナを見ていると、少し考えを改めるべきなのかもしれない。いろんな女性がいるものである。
「むむ、お主やるな」
 ナンナに負けてはおれぬと、しずめが立ち上がった。
「捻じ切り祭りじゃ! よし、乗った!」
 さっそくとばかりに梅に飛び掛る。梅の首をねじ切ろうとでもいうのか。
 梅がキセルでしずめの手の甲を払うと、軽やかに飛び退った。
「段々、話が脱線してきたわね」
 シュラインが痛みを堪えるようにこめかみをおさえた。
「まぁ、お花さんの怪力はともかくとして、普通考えられるのは、何らかの力をどこかから得た場合と、男の方が殺される事を是とした場合ではないでしょうか」
 セレスティが言った。
「或いは、犯人は男」
「あれちゃう? 源氏物語でいうところの六条御息所みたいな」
 妓音が言った。全ては夢の中の出来事。しかしその思いの強さが具現化し、生霊となって憎き相手の首を絞める。本当に憎かったのか、可愛さ余って憎さ無限大だったのか。
 すばるが頷いた。
「人が事を成すのはいつも手だ。ならば、手だけが抜けて恨みをぶつけたとしても不思議はないであろうな」
「そういえば、浮ついた男が狙われてるって言ってたわね」
 浮ついていたかは定かではないが、足が遠のいていた。六条御息所なら三角関係。その線で捜査してみるべきなのか。しかしそれではこの殺人事件は連続ではなく、個別のものになってしまう。点を結ぶ線はどこに。やはり、黒幕の存在を考えるべきなのか。
「とりあえず、最近不義理を働いている客をピックアップして……それから、殺された人たちなんかの近辺も調査ね。外は私とすばるさんでいいかしら?」
「構いません」
「敵娼の聞き込みはお願いね」
 シュラインの言にセレスティもナンナも妓音も頷いたが、慎霰は不満げに口を開いた。
「なら、俺が外の客の……」
 情報集めをした方がよくないか。しかしシュラインは人差し指を立てて、わがままっ子を言いくるめるような口調で言った。
「女性、苦手なんでしょ?」
「ああ」
「なら、この機会に慣れるといいわ」
「は?」
 慎霰は思わずあんぐり口を開けてしまう。
「頑張って」
 肩を叩かれ我に返った。
「いや、ちょっと待……それは……」
「報告、期待してるわね」
 シュラインが笑顔でセレスティに向かって言った。どうも遊女たちの聞き込みの結果を期待しているようには見えない。―――女とは、やはり得体の知れぬ生き物のようだ。
「はい、勿論」
 しかし、答えたセレスティも笑顔だった。
「…………」






 ■Line where point is connected■

 聞き込みに向いていないしずめと、遊女といわず女を片端からナンパする事に忙しい皓を除いて、六人はそれぞれ二人組みに分かれて聞き込みを開始することになった。
 ナンナと妓音は最後まで慎霰と、と頑張ったが、結局慎霰は心の安寧をはかるためセレスティと組んだ。彼とならちょっと大門を出る事も容易い。白粉のむせ返るような匂いに辟易していたので外の空気を吸いたかったのもある。本来ならば単独行動が一番楽でいいとも思うのだが、今回狙われているのが男ばかりという事もあった。自分は大丈夫としても、杖を必要とするセレスティをほっておけなかったのだ。勿論、彼もそんなに軟なわけではないだろうから、これは建前である。花街を歩いている途中、万が一にも女性に絡まれたりしたら、どうすればいいのだ。


 そんなこんなで貸し座敷を出た慎霰とセレスティであった。
「どうしました? 遊女の皆さんはあちらですよ」
 分担された妓楼とは別の方へ歩き出した慎霰にセレスティが怪訝に声をかけた。
「女の考える事はどうせわからない。俺はこっちでいいや」
 そう言って慎霰は大門の方へと歩いて行く。しかし、大門を出るのかと思えばそういうわけでもないらしい。すぐ傍の大きな古木の前に立った。
「こちら…ですか?」
「ああ」
 慎霰は頷いて古木に触れた。
 どうやらその古木に尋ねようという事らしい。
「なるほど」
 ここで犯行が行われたにしても、行われなかったにしても、ここに遺体があったその一部始終をこの古木は見ていたに違いない。
 セレスティは目を細めてそれを見守ることにした。
「…………」
 事件の点を繋げる線がここにあるのかもしれない。



 ▼▼▼ ▼▼ ▼



 一方、不承不承ナンナと妓音は殺された男どもの敵娼と仲のよい女たちの元へ聞き込みに来ていた。
「ユビキリ?」
 ナンナが首を傾げる。
 耳慣れない言葉であった。北欧出身の彼女には、それが何であるのかわからないのだ。ユビキリ。指切り。指をつめる。昔見た映画にそんなシーンがあったような。確か『や』のつく自由業。
 そんな連想ゲームを始めたナンナに、遊女たちは紅を差すのに覗き込んでいた鏡から顔をあげて続けた。
「はい。また逢いに来るって約束までしてたんに、あんな事になったでござんしょう……」
 沈鬱に顔を曇らせる。しかし女どもはたくましく気持ちを切り替えると再び鏡を覗きこんだ。
「そういえば、姉さんとこもしてやんした」
 一人の遊女が手を休めて言った。
「ユビキリを?」
 妓音が尋ねる。
「必ずまた来てねって。ここ最近、足が遠のいてたでありんしょう……」
 しんみりと女が語る。足が遠のいていて、久しぶりに来た客に、また会いに来てと約束して、ユビキリまでかわした。彼女らの話しから察するに、恐らくその帰り際、男達は襲われたのだろう。
 ともすれば、約束が果たされなかったから、というわけではない。
 約束したから、殺されたのか。だが、誰に。例えば、約束も出来ない女。
 ならば約束した女の馴染みばかり殺されたのは、その女の嫉妬か。
「禿の子らにも聞いてみよか」
 殺された男たちの敵娼の禿なら、皆がユビキリをしていたかどうかがわかるに違いない。
 そう言った妓音にナンナは頷いて、忙しくしゃれめかしている女たちの部屋を後にした。
「せやけど、ひもじい思いせんと年越せるんやったら指の一本なんて質に流れて充分な花街で、心失わんと思い続けるなんて可哀想やねぇ」
 妓音がしんみり呟く。
「やっぱり指を切るんですか?」
 ナンナが尋ねる。
「え?」
「ユビキリ」
 ナンナにはどうにも、ユビキリと約束の関係がわからないのだった。ユビキリとは要するに悪魔の契約みたいなものなのだろうか。指を切って血判でも押すのか。すばるの言葉を思い出す。手だけが抜けて恨みをぶつける。ならば、指を切って恨みをぶつける事も出来るのか。
「もしかしてお花はん、ユビキリ知らへんの?」
「はい」
 ナンナは頷いた。
「ほな、うち教えたげるし、やってみたら?」
「え? わたくしがですか?」
「そうそう。一応、ひかるはんの敵娼はんなんやし」
 ナンナの興味顔に妓音が言った。
 もしも約束をかわすことの出来ない女の嫉妬がこの一連の殺人事件の真相なら、ナンナが皓とユビキリをすれば、その女は皓を襲うかもしれない。
 それなら妓音がしずめとユビキリしてもいいのだが、果たしてあのしずめがそれに応じてくれるだろうか。
 ナンナはしばし考える風に視線を空の方へ向けた。彼とユビキリをしたからと言って必ず襲われるわけでもないが。
 やった事がないのでやってみたいという単純な好奇心もある。
「それは面白そうですね。やってみます」
 ナンナが言った。



 ▼▼▼ ▼▼ ▼



 描いてもらった地図を手に、シュラインとすばるは、馴染みの客の家を尋ねた。しかし、浮気性というような話もなければ、嫁を娶ったという話もない。
 そうして二人は男の遺体が残っていればと、投げ込み寺へ向かうことにした。
「えぇっと、この先が投げ込み寺だそうよ」
 そう言ってシュラインが小路の向こうを指差す。
 ふと、何かの気配を感じたのかすばるが声を潜めた。
「シュラインさん」
「ええ、気付いてる」
 小さく頷いてシュラインは足を緩めるでもなく目だけを動かして辺りにゆっくり見回した。
 寺へと続く人気のない小路。
「ここはすばるが。あなたは行ってください」
「でも」
 一瞬逡巡したシュラインに、すばるはにこりともせず言った。
「大丈夫です」
 彼女の無表情からも言葉からも何の感情も読み取る事は出来ない。けれどシュラインは一つ頷いた。
「じゃぁ、お願いね」
 すばるが足を止める。
 シュラインの背が寺門に消えるのを見送ってから、すばるは振り返るでもなく後方へ声をかけた。
「隠れていないで出てきたらどうです」
「…………」
 返事はない。ただ、気配が動く。
「ここまで気配を消していたのに、ここへ来てその存在を知らせたということは、この先に見つかっては困るものがあるのですね」
 すばるの言葉に返事が返ってくるでもない。
「…………」
 ただ、静かに近づいてくる。その気配が止まった。
 体はそのままなのに、すばるの首だけが後ろを向いたから、かもしれない。
 彼女の首がろくろ首のように伸びたからかもしれない。
 すばるはゆっくりと体を反転させた。
「安心してください。必ずあなたを、あなたの世界へ帰します」
 地面を蹴ったかと思うと、すばるは一瞬にしてその距離を縮めた。だが。
「あ……」
 すばるの首が地面に転がっていた。
 落ちたといえば、落ちたのか。伸びた首で繋がってはいる。どうやら、素早く移動した体に、首がついてこなかったらしい。どういうからくりになっているのか。自分でももてあましているようだ。
 すばるは慌てて取りに戻るとそれを両手で拾いあげて伸びた首の長さを調節しながら元に戻した。
 そしてゆっくり振り返る。
「…………」
 それを、相手はぽかーんと口を開けたまま見つめていた。



 投げ込み寺。色里で死んだ女の遺体は親元などに返されるが、実際にはその殆どが帰る場所のない女であった。だから身寄りのない女の遺体は二百文を添えられてこの寺に投げ込まれる。それ故、投げ込み寺。寺は無縁仏として女たちを葬るのである。
 その住職は年老いた尼僧であった。意外といえば意外だが、必然といえば必然なのかもしれない。色里は二十八で務めを終える。しかし実際に二十八まで務め上げ、晴れて自由の身となっても殆どが帰る場所を失った女どもだ。行き場もなく、色里に残って店を切り盛りするか、或いはここに―――ということなのだろう。
 事情を話すと尼僧はどうぞとシュラインを奥へ促した。
 何とはなしに手を合わせてその後に続く。
「男が投げ込まれたので正直驚いていました」
 そう言って尼僧は殺された五人の遺品の元へシュラインを案内したのだった。



「あなたは、まさか―――」






 ■Final stage■

「ひかるの旦那さま」
 女性の手をとって相変わらずナンパに忙しい皓に、ナンナが声をかけた。
「どうしました、お花さん」
 皓が振り返る。
「お願いがあります」
「お願い? 僕に出来ることなら何なりとお申し付け下さい」
「約束してください」
「はい? 約束……ですか?」
 突然、約束をと言われて皓は不思議そうに首を傾げる。
「はい。必ず、また会いに来ると」
 彼女の言わんとしている事が今一つ理解出来ない。しかし女性至上主義の皓にとって女性のお願いに断るという選択肢はもとよりない。それが不可能であっても可能にする心意気もある。
「わかりました。いいですよ」
 彼は笑顔で快諾した。彼女がどこにいても、必ずや会いにいくと。
「じゃぁ、ユビキリ」
 そう言ってナンナは小指を立てた。
 皓は素直に小指を絡めた。
「指切り拳万、嘘吐いたら針千本飲ーます。指切った」


 ―――必ずまた逢いに来ると、約束してね。


 どこかでそんな声がしたような気がした。

「これでいいのかしら?」
 ナンナが皓と別れて妓音の元へ戻ってくる。
「わからへんけど、えぇんのんとちゃう?」
 後は犯人が彼の元へ現れるかもしれないので、時々彼を気にかけておけばいい。
「うちもしてみようかなぁ……」
 妓音が呟いた。羨ましくなった、というよりは、面白そうという方が勝っている。
 それに、もしかしたら祭りの儀式の一つだ、とでも言えばしてくれるかもしれない。
 そんな事を考えながら、拠点代わりにしているセレスティの貸し座敷に戻ってきた二人は、暫く犯人についてあれこれ話し合った。しかし、他の面々は一向に戻ってくる気配もない。
 そろそろ皓の方も心配だと思い始めた頃、ナンナがふと押し黙った。
 彼女の体がぎこちなく傾いだのに、慌てて妓音は手を伸ばす。
 すぐに体勢をたてなおしたナンナの目がどこかうつろに揺らいでいるのに気付いて、妓音は訝しげにその肩を叩いた。
「お花はん?」
「…………」
 だがナンナは答えるでもなく、ただ辺りをぼんやり見回している。何かを探しているようにも見えた。
「どないしはったん?」
「…………」
 声をかけた妓音に、しかしナンナは振り返りもせず、声をかけられた素振りも見せずに立ちあがると部屋を出ていった。
 妓音が慌てて追いかける。
「どこ行くんな、お花はん」



 ▼▼▼ ▼▼ ▼



「般若の面……ですか?」
 尋ねたセレスティに慎霰が頷いた。
 古木の話しによれば、ここで男のクビを絞めた犯人は皆、般若の鬼の面を付けていたというのだ。女たちの嫉妬や妬み、孤独や不安、そんな負の感情を詰め込んだ鬼の面だったという。
 唇が異様に赤い鬼の面。
 セレスティと慎霰は、その般若の鬼の面を探すことにした。その鬼の面が見つかれば、この事件の真相がわかるかもしれない。それを隠し持っている者がいれば、それが犯人なのだろうか。
 面はどこに。
 しかしそこに佇むだけの古木にはわからない。動ける妖怪どもは何故か彼らには近づいてこない。
 仕方なく慎霰は袖の中で数珠を握り締めた。怪異に反応して発光する数珠だ。もしその面が何らかの力を持っているなら、或いはこの事件が人ならざる者の力によるものなら、数珠は反応するはずである。
 ゆっくり色里を歩いてその場所の特定を試みる。
 そうして、どれくらい歩いた頃だろう、人通りの少ない路地を歩いている時。
「風がざわついている」
 刹那、数珠が何の前触れもなく強く発光した。
 近づいてきた、というよりは、そこに怪異が突如現れた、といったような唐突さであった。
 身構える。
「あれですか?」
 セレスティが遠目に通りの向こうを指差した。
「あったのか!?」
 慎霰も目を細める。そこに般若の面を付けた女が歩いているのが見えた。
「あれは……あの着物、もしかしてお花さんでしょうか」
「なに!?」
 白地に薄紅をあしらった桜川の内掛け。間違いない。ナンナの着ていた着物だ。
 ナンナは危なげない足取りで通りを曲がっていった。
「まずい。急いで止めないと」
 慎霰が走りだす。
 セレスティはとりあえずナンナを慎霰に任せることにして、自分はゆっくり歩きながら首を傾げた。
「しかし、何故お花さんが……」
 鬼の面に魅入られたのか。とても彼女の性格から、そんなものに魅入られるとは思えない彼であったのだ。
「お花さんがどうかしたの?」
 背後からかかったその声にセレスティが振り返る。
 そこにシュラインとすばるが立っていた。
「何か、わかりましたか?」
 シュラインの問いに答えるでもなくセレスティは問い返していた。
「ええ、般若の面を探して欲しいんだけど」
 シュラインが答える。
「今、彼が追っています」
「彼?」
 シュラインはわずかに首を傾げて慎霰がいない事に気づいて納得げに頷いた。彼らもいずれ般若の面に気付いているのだろう。
 セレスティが歩き出すのに、シュラインは並んだ。
「この色里にはひとつの噂があったの」
 促されるままシュラインが話し始める。
「噂、ですか?」
「ええ。馴染みの客の足が遠のいた女たちの間にだけ、ひっそりと伝わる噂よ」
「何です?」
 それに、すばるが答えた。
「足の遠のいた客を呼び戻してくれる般若の面」
「どうして、それを?」
「“彼”が教えてくれた」
 すばるが後ろを振り返る。
「“彼”?」
 つられたようにセレスティも振り返った。
 そこに一人の男が立っている。肉体を持っていないのか、男は透けていた。
 シュラインが言った。
「はやく“彼女”を止めてあげなきゃ」





『また来ておくんなんし』

 ―――あの人は来てくれるかしら。また、会いに来てくれるかしら。

 女が尋ねた。誰にとはなしに。ただ、独り言のように。

『主さんは来なせんし』

 ―――来るわけがない。だが、お前さまが望むなら会わせてやろう。

 何かが答えた。

『え?』

 女がそれを振り返る。

『されど、その心をおくんなんし』





「後悔しているかもしれませんね」
 セレスティは独りごとのように呟いた。
「それでも自分を止められないでいるのでしょうか」
 鬼の面がそうさせているのか。



 ▼▼▼ ▼▼ ▼



 ナンナは皓に声をかけた。
「ひかるの旦那さま」
 声をかけられ皓が振り返る。
「どうしました、お花さん」
 たとえ面を付けて顔が見えなくなっていたとしても、彼が彼女の声を聞き間違えるような事はない。
「…………」
 ナンナは無言で皓の首に手を伸ばした。
「!?」
 皓は少しだけ驚いた顔でナンナを見返したが、抗う気はないのか。
「…………」
 ゆっくりと首が締め上げられていく。
「かまいま…せん……よ」
 どこか笑って皓が言った。
「いや、何言ってんだ」
 走りながら思わず慎霰は突っ込んでいた。抵抗しろよ。でなければ、彼女が殺人者になってしまう。
「お花はん!」
 妓音が呼びかけた。
 しかし今のナンナに彼女の声は聞こえないのか。
 慎霰が力いっぱい地面を蹴った。それは瞬間移動にも見えるほどの瞬発力だった。しかし、ナンナの手を掴んでも、彼にはそれ以上どうする事も出来なかった。迷いがある
 妓音がナンナの腕を掴んで引っ張った。しかしナンナの怪力の前にはビクともしない。
「犯人はお花……ではない。この般若の鬼の面だ……」
 慎霰はナンナの面をはがすことにした。そうして手を伸ばす。
「わたくしの…邪魔をしないで……」
 皓の首から手を離して、ナンナは振り返ると今度は慎霰の首に手をかけた。
「!?」
 慎霰はナンナの手首を掴んだ。だが相手は女。しかも面に操られているだけの。そう思うと、それ以上手荒な事もできなくて、その迷いが彼を後手へとひっぱっていく。引き剥がそうと腹をくくって両手に力をこめた時には、もうビクともしない。とんでもない力であった。面から力を得ているのか、彼女の元からの力なのか。
 息が出来ない。酸素を求めて足掻く。
「くっ……」
 脳が酸欠で意識を手放しそうになる。まずい。
 ナンナの手首を掴む手に力が入らなくなっていく。
 霞む視界。
 そこに、どこから沸いたのか一人の無頼漢が現れた。
 しずめだ。
 彼は慎霰の首を絞めるナンナを見るやいなや、のたまった。
「む!? わしを抜かして祭りを始めるとは何事か!!」
 どうも何かを勘違いしているらしい。
「また、ややこしい人が来はったえ」
 妓音が頭を抱えた。
 だが、ものは考えようかもしれない。ナンナの怪力に対抗できる唯一の人間かもしれないのだ。
 酸欠で倒れている皓を介抱しながら妓音はしずめを見上げる。
「…………」
 しずめは乱入するやいなや、ねじり易そうな首を捜しにかかった。しかし見つけられないのか、ナンナの面をじっと見つめている。
 どうやら羨ましくなったらしい。自分も面が欲しくなったのだ。しかし手近な場所にはナンナの付けている面しかない。
 だから彼はナンナから面を取ることにした。あれほど慎霰が手を出しあぐねていたナンナの面をいともあっさりと。
「…………」
 そして勿論、自分が付けるのだ。
 ナンナは正気に戻ったのかあやつりの糸から解かれたように慎霰の首から手を離すとその場にくずおれた。
「お花はん」
 妓音が慌ててナンナに駆け寄る。ナンナはぼんやり目を開けて、妓音を見返していた。今まで自分が何をしていたのか全く覚えていないような顔で。
 突然入ってきた大量の空気に咳き込みながら慎霰が数歩よろめいて呼吸を整える。
 それからしずめを、いや、しずめの付けている面を睨みつけた。
 相手は女ではないのでもう容赦する必要もない。うっかり面を突き破って顔に傷が付いても女じゃないのだ、大丈夫だろう。
 慎霰は小太刀『忌火丸』を鞘から抜いた。
 しかし二人のパワーの差は歴然である。巨体に比して意外と俊敏なしずめの動きを封じようと巻きつけた手ぬぐいも屁のつっぱりにもならない。あっさり引きちぎられたのだ。喧嘩上等なしずめを止められる人間など、そうはいないのである。
 ただ、闇雲に人を襲わないだけマシか。彼には約束した相手もない。故に彼の攻撃は、彼の行く手を阻む無機物に集中する。概ね被害を受けたのは、扉だった。
「誰かを探しているのか?」
 しずめの動きに慎霰が首を傾げる。もし探しているのだとしたら、考えられる相手は一人しか思いつかないが。
 そこへシュラインとすばるがセレスティに案内されて駆けつけた。
「どうなってるの!?」
 あまりの惨状にシュラインが絶句する。セレスティから、ナンナが面を付けていた事を聞いてはいたが、それをしずめが付けて、あまつさえ暴れまわっているなどという話しは聞いていない。
 シュラインは一つ溜息を吐き出した。
「お千代さん」
 すばるがしずめに向かってその名を呼ぶ。
 ふと、しずめの動きが止まった。妓音と慎霰が目を見開く。
 しずめに寄り添うように女の霊が立っているのが見えただろうか。





『お前か……お前か……』
 女は半狂乱で掴みかかった。
 そして気付く。
 愛しい男を殺したのは。
『ああ、わっちが……わっちが……』
 泣き崩れ、後悔の念に押しつぶされるように握り締めたのは短刀。
 憎いその指を切り落とす。
 だけど愛しいあの人は帰ってこない。
 だから簪を握り締めて。
 喉を突き刺した。

 ただ投げられるのは疑問。
『なにゆえ、わっちだけがこんな目に……?』

 落ちた能面に、赤い血が飛び散った。
 その唇を赤く染めあげるように。


 指切リ 拳万 嘘吐イタラ 針千本 飲マス 指切ッタ


『お前さまもユビをおキリなんし』


 ―――そうして独り待たねばならぬ哀しみから解放されましょう。


 それは面の記憶か、女の記憶か。





 シュラインは着物からそれを取り出した。
 投げ込み寺から持ってきたのは一通の恋文だった。金がなくてここへ来られなくなった男から千代に宛てられた手紙。
 いや、そこに立っているのは。
 愛しい男。
 文から離れられなくなった男が、すばるとシュラインに頼んで、ここまで文ごと連れてきてもらったのだ。
『ど…して……』
 女の霊がゆっくりと彼の元へ向かう。
 だが、その動きが止まった。
 しずめが後ろに退いたからだ。
『あ……』
 女は面に囚われているのか。
 しかし、更に後退しようとしたしずめの動きが止まった。
『!?』
「誰があのあわてんぼう将軍を止められるのよ」
 シュラインが肩を竦めてみせる。
「あなたにも無理です」
 すばるが頷いた。
 しずめは、自分の体を勝手に動かそうとする力に抗って、うざそうに面を取ると投げ捨てた。
 落ちた面に慎霰が小太刀を突き立てる。
 面が二つに割れる音は鼓膜を破らん勢いの強音で。
 般若の面に宿った女の“思い”を糧に力面と、男を思うあまり暴走してしまった千代の念が、悲鳴をあげる断末魔の叫びのように轟いた。

 彼女は知らなかったのだ。
 男が来てくれなくなった理由を。それをしたためられた文を見る前に千代は自らの手で愛しい者の命を断ってしまったのだから。

 悲鳴をあげる女を男が抱きしめた。


 それを、シュラインもセレスティも慎霰も妓音もナンナも見ていた。皓が目を覚ましていれば、千代をナンパしてまたややこしい事になっていたかもしれない。
 すばるが淡々と促した。

「それを抱いて行きなさい。あなたたちの帰るべき場所へ」






 指切リ 拳万 嘘吐イタラ 針千本 飲マス 指切ッタ



 ―――必ずまた逢いに来ると、約束してね。





 ■大団円■





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【5151/繰唐・妓音/女/27/人畜有害な遊び人】
【6962/ナンナ・トレーズ/女/22/フルート奏者】
【1928/天波・慎霰/男/15/天狗・高校生】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2748/亜矢坂9・すばる/女/1/日本国文武火学省特務機関特命生徒】
【4621/紫桔梗・しずめ/男/69/迷子の迷子のお爺さん?】
【6262/姫川・皓/男/18/自称国際弁護士】



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■         ライター通信          ■
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。

 またお会い出来る事を楽しみにしております。



  ◆緋烏(IL)との連動企画です◆

 また一つ、事件は解決の運びとなりました。
 改めて御礼申し上げます。

 さぁ後は元の世界に戻るだけ。


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