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<東京怪談・PCゲームノベル>


【江戸艇】きつね小僧 捕物帖・其の弐



 ■Opening■

 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だけど彼らは時間も空間も越えて放浪する。






 ■れいのもの■

 大して広くもないその部屋に、庭のししおどしが乾いた音を響かせていた。
「こぎつね?」
 猛禽を思わせるような顔付きの中年の男が、一瞬考えるように眉を顰め、それから興味のそがれた声音で吐き捨てた。
「……ああ、巷で騒いでるアレか」
 脇息に肘をつきながら、目の前のたぬき親父を剣呑と見返している。
 その視線の鋭さに縮みあがりながら、たぬき親父は畳に額をこすりつけん勢いで言った。
「申し訳ありません。下の者達がいたずらに煽り立てたようでして」
 男は面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
「小童などに用はない。捨て置け」
「しかし……」
 言い募ろうとしたたぬき親父に横から別の若い男が口を挟んだ。
「水疾くして石を漂わすといいます」
 若い男は二本差を腰に佩いたまま、座布団には座らず畳の上に正座していた。目を細めニコニコしているがそこに隙はない。この部屋の外にひとたび人が近寄れば、その気配を察知して即座に斬り捨てん態だ。ただし、表情はあくまで穏やかである。
「焦って追い詰めるやり方は不慮を招きましょう。私にお任せいただけませんか?」
 町人態のたぬき親父にこちらは武士であるにも関わらず物言いは柔らかで慇懃なものであった。
「はっ」
 たぬき親父がただただ平伏する。
「それより、れいのものは?」
 中年の男が尋ねた。
「そちらは、次の手を打っております」



   ◆



 日本橋の袂で配られていた瓦版に頭を痛くしながら、慎霰は憤然とした面持ちで言った。
「ちェッ。なんかムカつくぜ。何でどこにも書いてねェんだ」
 彼が期待していたのは『きつね小僧再ビ現ル』の記事。昨日のかどわかしの連中をひっ捕まえてやったのだ。なのにきつね小僧の小の字もないときている。いくら達筆の漢文みたいな文章で、何が書いてあるのかさっぱりわからなくとも、書いてない事くらいはわかる慎霰だった。
「変だよね」
 瓦版を見ながら平太も言った。
 ちなみに彼もまだ殆ど文字は読めない。彼の場合、慎霰が書いてないと言っているから、書いてないのだろうと察しているレベルである。
「それで、昨日のあれは何だったの?」
 平太が尋ねた。
 尤もな話しである。きつね小僧の小の字はどこにも載っていなくとも、かどわかし犯が町奉行所のお手柄で掴まった話しは載っている、と字の読めない平太が思ったとしても、それは別段不思議なことではなかった。その証拠に慎霰も同じ事を考えていたからだ。
 町奉行に手柄を横取りされた。
 ただ慎霰はこの歳になって文字が読めない、などとは口が裂けても言いたくなかったから、後で柊にこっそり教えてもらうことにして、今は平太の質問が聞こえなかった事にした。
「派手さが足りなかったのかなぁ……」
 無視されて、しかし平太は気を悪くするでもなく、子ども特有の話題転換の速さで答えた。
「そうだよ、きっと。今度はドーンと花火とか打ち上げたら?」
「お、花火かぁ……」
 慎霰は想像してみた。打ち上げ花火をあげれば町中の者達が一斉に注目するはずである。せっかくだからきつね面の花火とか打ち上げられないだろうか。
 ―――きつね小僧見参!
「よし。誰も無視できねェようにしてやるかッ」
「おう!」
 勇んで握り拳を突き挙げる平太に慎霰は笑みを返しつつも、軽く頭を叩く。
「だけど、平太は留守番な」
「えーっ」
 ふくれっ面で見上げる平太に顔を寄せて、慎霰は先生みたいな口調で言い聞かせた。
「また、危ない目に遭ったら大変だからな」
 出来れば長屋で大人しくしていて欲しい。結界を張って置いたから、もう、かどわかしは出来ないだろう。長屋にいてくれさえすれば。
「…………」
 とはいえ、ほっとけば何をしでかすかわからない無鉄砲さもありそうだ。自分が平太だったらそうすると思うから。
 慎霰は言葉を継いだ。
「むくれるなよ。それに平太には柊と俺との連絡役って重要な仕事があるんだからな」
「……連絡役?」
 柊の長屋を中継地に互いの情報の伝達役がいれば、入れ違いになってもいい。思いつきで言ってみたが悪くない案だ。町には道路標識や表札がないので江戸に来て日の浅い慎霰は迷子になるのも容易だが、柊には土地勘もあるし、何より遥かに広いネットワークを持っている。
 彼を宛てにしない手はない。
 だが情報交換に、書き置きは鉛筆を使えない慎霰には不安が残る。ついでに柊の達筆を読める自信もない。
「そう、大事な役だ。出来るか?」
「おう!」
 今度こそ、と意気込んで拳を握った平太の頭を慎霰はよしよしと撫でてやった。そこへ見知った声が背を叩く。
「慎霰」
「ああ」
 振り返ると、職人態の柊が立っていた。肩に仕事道具が入っているのだろう木箱を担いでいる。今日は深川の方に商品を届けてくると言っていたから、その帰り道なのだろう。
 慎霰は瓦版を柊に差し出した。読んでくれと目で語ってみる。
 柊はそれにざっと目を通して肩を竦めると返してきた。
 昨日のかどわかしの詳細が聞けるのかと興味津々で柊を見やったが、彼は小さく首を振ってから、それとは別の事を口にした。
「昨夜、下谷辺りの湯屋でも板場稼ぎがあったみたいだ」
 柊の様子から瓦版には昨日の事が一切載ってなかったのだろうと知れる。とはいえ、瓦版に書かれていたのが板場稼ぎの内容で無い事は、入れ込み湯が禁止されている事から簡単に想像できた。
 つまり、別の湯屋での板場稼ぎとは品出しの時にでも仕入れてきたネタなのだろう。では瓦版には何が載っていたのか。
 しかし慎霰はそれよりも彼の話しに興味を惹かれていた。
「別の湯屋で板場稼ぎ? ……ああ、どおりで……」
 納得げに呟く。
「なんだ? 心当たりでもあるのか?」
 慎霰の反応に柊が首を傾げた。慎霰は曖昧に頷いた。
「俺らの監視がなくなったから、さ」
「…………」
 奴らは慎霰を板場稼ぎだと誤解して追っていた。その追っ手がなくなったとすれば誤解が解けたという事である。では、どうやって解けたのか。真犯人の登場。つまりはそういう事だった。
「でもそうすると『れいのもの』ってのは、まだその板場稼ぎが持ってるって事だよな……」
「!?」
 何事か気付いたように柊が目を見開いた。
「慎霰……」
「ああ」
 平太をかどわかした連中は次は本物の板場稼ぎを襲うだろう。
「別にこそ泥がどうなろうと構わねぇェが、れいのものッてのは気になるよなァ」



   ◆



 最初に慎霰が遭遇した板場稼ぎは、職人町と呼ばれる内神田の中にあった。そして昨夜出たという下谷は神田川を越えた向こう側、外神田から北へ続く市街地だ。その辺りには、他にも男女別の湯屋があるが、狙われたのはどちらも入れ込み湯であった。
 この事から次に狙うのも恐らくは入れ込み湯、場所は神田・上野界隈。
 そうしてあたりをつけた湯屋を、慎霰と柊は2人で張り込みをする事にした。手分けをしなかったのは、慎霰がまだ周辺の地理を把握してなかった事もあるが、単に他に目ぼしい湯屋がなかったというものある。
「何を、考えてる?」
 湯屋には入らず、その向かいにあった茶屋で草団子を頬張っていると、隣で茶を啜っていた柊が小声で尋ねた。
 どこかぼんやりしている風の慎霰を柊が訝しんだのだ。
「俺が、板場稼ぎに間違われた理由を考えてた」
 呟くように答えた慎霰に、柊はそういえば、と考えるように視線を宙へ彷徨わせた。
 身包み全部盗まれたはずの慎霰が、板場稼ぎに間違えられる理由など、柊には皆目検討もつかない。
 しかし慎霰には心当たりがなくもなかった。
 柊は知らない、というより理解しようのない事だったが、慎霰は湯屋に訪れる前、東京という場所にいたのである。もっと正確に言えば、都内の自宅の風呂の中だ。それが突然、湯屋の中に召喚されたのである。つまり、慎霰が湯屋へ入って行く姿を見た者は番台を含めて誰一人いないという事だ。それが何の脈絡もなく湯屋から出てきたとなれば、別の誰かに変装して入り、慎霰の姿をして出てきた、と考えるのは別段突拍子のない事でもない。
 更に、わざわざそんな面倒な事をするのは腹に一物ある奴ぐらいしかいないと考えのも至極自然なことだ。
 だから慎霰は自分が疑われたのだ、と思う。思うのだが……何かが引っかかる。何かを見落としている気がするのだった。
「慎霰?」
 考え込む慎霰に柊が声をかけた。慎霰は我に返ったように柊を振り返る。
「あ…ああ。俺、あの時さ、ちょっとワケあって幻術使って湯屋に入ったんだよな」
「何?」
 柊は慎霰が天狗である事も、妖術を使う事も知っている。だからそれで驚く事はなかった。
「たぶん、そのせいで怪しまれちゃったのかな、って」
「ああ、俺たちがいたせいで出るときは術を使わなかったからか」
「まぁ、そんなとこ」
「……だから、中で待たずにここで見張りをしてるってわけか」
「うん」
 慎霰は頷いた。それもある、と。
 入っていった者たちと違う者が出てきたらそいつが怪しい。だから入口を見張っている。
 だがそれとは別に慎霰には理由があった。
 ここの湯屋も入れ込み湯なのである。入れ込み湯とは混浴の事だ。女性の全裸は思春期真っ盛りの自分にはいろいろ刺激が強すぎる。つまりはそうゆうことであった。
 そうして3本目の団子を食べ終えた頃、ふと柊が目を見張った。
「あいつ……」
 それに慎霰も目を止める。
 あの着物地には覚えがなくもないが、確か白髪混じりの年配の親父が着ていたような気がする。なのに出てきたのは、髷を結わず惣髪をポニーテールにした若い男だった。
「おっちゃん。勘定」
 言いながら慎霰は立ち上がり、小銭を台の上に置いた。
「釣りはいらないぜ」
 なんて言ってみせて男を追いかける。
「柊」
 慎霰が目配せした。
「ああ……」
 柊は振りかえりもせず男に視線を投げたまま小さく頷いた。
 それで慎霰は地面を蹴る。
 屋根の上から先回りして、人気のないところまで来たら柊と挟み撃ちに捕まえる手はずになっているのだ。
 男は柊に気づいて足を速めた。それも勿論計算の内である。
 大通りの人混みに紛れる風を装って、男が小路へ折れた。柊は見失ったような素振りを見せる。
 人気のない裏通りを後ろを確認しながら安堵している男の行く手を遮るように屋根からひらりと飛び降りると、慎霰は男にタックルを仕掛けた。
「捕まえたぞ、板場稼ぎ!!」
 そのまま男の体を押し倒す。
 馬乗りになろうとした時だった。
 ぐにゃ。
 何かが慎霰の手の平に触れた。
 肌蹴た男の着物の合わせに吸い込まれている自分の手の先を目で追いかける。
 柔らかい感触は自分の体のどこをとってもあてはまらないもので。一瞬、何に触れているのかわからなくなって。
 それから―――。
「のォォォわァァァ〜!!」
 思わず大声をあげながら慎霰は男から飛び退いていた。男が着物の合わせを手で押さえながら、きっと慎霰を睨みつけている。
「慎霰!?」
 彼の悲鳴を聞きつけ飛び込んできた柊が、何ごとかと声をかけてきた。
「大丈夫か?」
 だが、悲鳴の割りに慎霰は顔を蒼褪めさせてはいなかった。むしろ耳まで真っ赤である。
「あ……あ……」
 そして慎霰は男を指差しながら言ったのだった。
「こいつ、女だ……」



   ◆



 板場稼ぎは何も男に限ったものではない。事件が起こったのは入れ込み湯屋である。
 だから彼が実は彼女であったとしても全く問題はない。
 しかし慎霰は苦虫を噛み潰したみたいな不機嫌に輪をかけたような顔で舌打ちしていた。
 相手が女だったばっかりに。生で乳を揉んでしまったばっかりに。うっかり狼狽してしまったのである。理由はどうあれ取り乱してしまったのである。天下のきつね小僧が。この屈辱をどうしてくれようか。事はプライドの問題であった。
「ちっ……」
 何度目かの舌打ちをして慎霰は床板を持ち上げて中を覗きこんだ。
 板場稼ぎをしていた女の家である。盗品は床下に隠してあるというので、さっそく床下を開けたのだ。
 中には財布や風呂敷包みに包まれたものがそのまま入っていた。まだ手を付けてはいないのか。
「これで全部か?」
 柊が尋ねた。
「ああ」
 土間に突っ立ってた女が不貞腐れたように答えた。
 慎霰は中のものを引っ張り出して一つ一つ確認する。れいのものとやらは、きっとこの中にある筈だ。
 そうしていくつかの風呂敷包みを開けていると、湯屋に持ってくるには不釣合いな感じの文箱が出てきた。見事な蒔絵の文箱である。手の平より一回りほど大きい箱の蓋を開けると、中には紙と筆が入っていた。
 やはりただの文箱なのか。特に怪しい感じはない。
 だが、湯屋にこんなものを持ってきたら、湿気で紙が皺になりそうである。
 紙と筆を出してみた。それ以外に何か入っている様子もない。
 ―――と。
「!? これ、中の深さと外から見た深さが違わないか?」
 そう言いながら慎霰は底板の隅を指で力いっぱい押してみた。すると反対側の底板がパコッと跳ね上がる。
「開いた……」
 底板をはずすと中からは赤い油紙がいくつも出てきた。化学の授業で習った薬包紙の包み方と同じように包まれている。一つを開いてみると、中に入っていたのは黒っぽい粉だった。
「何だこれ。毒か何かか?」
 柊が粉をつまみあげる。
「…………」
 これが刑事ドラマなら相場は決まっている。覚せい剤、コカイン、ヘロイン、大麻etc.とはいえ、江戸時代にそんなものがあるわけ……そこまで考えたところで慎霰の脳裏を歴史の授業が過ぎっていった。
 この時代にも存在する麻薬。南京条約。イギリスと清といえば一つしかない。
「アヘンだ!」
「何!?」
 だが、確かこの時代のアヘンといえば、麻酔用に蘭学医が持っている程度のはず。それに、今がアヘン戦争の後なら、幕府が輸入を完全に禁止しているはずだ。
 どちらにせよ密売。という事は。
「あの入れ込み湯は、アヘンの取引場所に使われていたんだ」
 慎霰はきっぱりと言い切った。
「…………」
 勿論、これがアヘンであるという確証はない。毒である可能性もある。だが毒を欲するなら暗殺。そのために、これだけの量の毒がいるだろうか。だから慎霰は半ば確信していた。
 何れにせよ『れいのもの』とは、間違いなくこれである。
 町方が動いていたのは、もしかしてアヘンを取り締まるためだったのか。それとも主犯が上の者なのか。
 それからハッとしたように慎霰は顔をあげ、土間に突っ立ったままの女を振りかえった。
 自分が板場稼ぎに間違われた理由。そこにあった違和感に思い至ったように。―――惣髪の若い男。
「おい、女」
 慎霰が声をかける。
「何よ?」
「見逃してやる代わりに一つ頼まれてくれねェか?」
「?」
「慎霰?」
 訝しげに見やる柊に、慎霰は不敵な笑みを返してみせた。



   ◆



 きつね小僧にゃ、稲荷神社がよく似合う―――かどうかはともかく。
 罰当たりにも小さなお稲荷さんの入口にある鳥居の上に腰掛けながら慎霰は彼らがやって来るのを待っていた。
 小路の向こうに板場稼ぎの女が男装で駆けてくるのが見えた。
 その後ろを3人の男どもが追いかけてくる。
「ビンゴ」
 口の中で楽しげに呟いて、慎霰はきつねの面を被った。
 そこには1つの違和感があった。何故慎霰が疑われたのか。慎霰が中に入っていくのを誰も見ていないと気付くには、ずっと入口で監視していなければならない。だが板場稼ぎが現れる前、『れいのもの』が盗まれる前から奴らがそんな事をするだろうか。する理由がない。
 だとするなら慎霰が湯屋に入っていない事を知っている者は1人しかいない。
 湯屋の番頭。
 江戸に何十件もある湯屋を全部張り込むより簡単な方法だろう。彼らから聞く。キーワードは惣髪の若い男。
 つまりはそういう事なのだ。
 そしてここでもう一つ。湯屋を張り込んでいる時、慎霰達の他に湯屋を張り込んでいる者はいなかった。勿論、女をつけている者もいなかった。
 だから慎霰は、奴らが盗みの翌日以降に彼女に接触する、と考えた。
 番頭に聞き込みをして、相手を探す。
 だが実際には湯屋の言う惣髪の若い男など存在しない。彼は普段は女であり、湯屋から帰るひと時だけ男装をしているのだから。張り込みをしていない人間が、町中で真犯人を見つけるのはまず不可能だろう。今まで彼女が掴まらなかったのは、たぶんそういう具合なのだ。
 だから、彼女に奴らを誘い出すための囮を頼んだのである。普段にも男装をしてもらい、昨日板場稼ぎをした湯屋の前を歩いてもらった。
「ご苦労さん」
 鳥居を駆け抜ける女に労いの言葉をかけて、きつね小僧はひらりと舞い降りた。
「こんにちは」
 女を追っていた男が3人、ハッとしたように足を止めた。
 その男たちをゆっくり見渡す。
 無精鬚の男にも、他の2人にも見覚えがあった。平太をかどわかし、慎霰に風呂敷包みにされた男どもだ。
「これはこれは、この間はどうも」
 慎霰がきつね面の内側で笑みをこぼす。この笑顔が見せられないのがちょっと残念な気もした。
「貴様にはもう用はない、どけ!」
 リーダー格らしい無精鬚の男が怒鳴りつける。威勢がいい。彼らにとって風呂敷包みは大した事ではなかったのか。しかし彼らは町方に掴まったはずである。
 首を傾げてみせて。
「ああ、平太が告訴しないとダメなのかな」
 なんて嘯いて、慎霰は胸元から文箱を取り出した。
「もしかして、探してるのはこれ?」
「!?」
「いやぁ、こないだは知らなくッてさ。悪かッたね。何度もご足労かけて」
「…………」
 それをどこで、などという愚問を彼らは口にはしなかった。ただ慎霰を取り囲むように分かれただけだ。
「返してもらおうか」
「これがお前さんらのもんだって証拠があるなら、考えてやってもいい」
 慎霰はとぼけてみせる。
 目の前の男が隙なく匕首を構えた。
 3人散らばれば風呂敷には包まれないとでも思っているのか。
 それしか芸がないみたいに思われていたら嫌だな、と慎霰は面の下でペロリと舌を出す。
「おいおい。丸腰相手にそれはないだろ」
 手の平を男に向けて大仰に振ってみせた。だが効果は大して得られず、男は落ち葉を蹴散らして一気に間合いをつめてきた。
 1人だけではない。3人が一斉に。
 これが時代劇なら間髪いれず次々に襲うことはあっても、一斉にというのはあまり見ない。多勢に無勢は武士道が許さないからか。あれだけ悪どい事をしていても武士道精神は忘れないらしい。多勢に無勢は悪巧みより卑怯なのだ。
 慎霰はひらりと上へ飛んでかわした。
 あれは殺陣ゆえなのだろう。しかし。武士道を忘れた悪党の方が悪党らしくていいじゃないか。
 五条大橋、牛若丸のように、ひらりと匕首の上に降り立ってみせる。刹那、着いた足を軸に軽やかに一回転した。3人の横っ面に蹴りを叩き込んで軽く上へ飛ぶと、吹っ飛ばされる3人の真ん中にゆっくり降り立つ。
 3人がそれぞれに地を這っている。起き上がってくる気配はない。
「あッちャー。ちょッと力入れすぎた? 気を失われちャ困るんだよねェ。いろいろ聞きたいことあるのにさ」
 そしてしばし3人を見やっていた慎霰だが、ふときつね面に隠された顔を酷薄な笑みに歪める。平太の頭を撫でていたときとは別人のように。
「いい事、思いついちャッた」


 気絶した人間を起こすには? ―――水をかける。
 水をかけるのも汲んで来るのも面倒くさい時は?


 3人の男を風呂敷に包むと、慎霰は天狗の一歩で河川敷に出た。
 ほったて小屋に水車が回っている。
 気を失ったら水につければいい。何とも合理的な拷問である。自分の閃きに満足しながら慎霰はさっそく無精鬚の男を水車に括り付けた。
 他の2人は風呂敷の中である。
 流れる水に水車が動こうとするが、男の体重で回りにくい。慎霰が少し手を貸すとゆっくり水車は回りだした。
 男の体が上へ登ると、その重みで水車の速度が増す。男はさかさまに頭から川の中へ落ちた。程なくして浮いてくる。
「げっほげほ、ごほごほごほ……」
 意識を取り戻したらしい男が水をしたたか飲んで咽返る。その男の髻を掴んで慎霰は辛辣な笑みを近づけた。
「さァ、教えてもらおうか」
 男は肩で荒い息を吐いてるだけだ。
 水車にゆっくりその体が登っていく。慎霰は手を離した。
「や…やめ……」
 男が息も絶え絶えに声をかけたが、水車は水の流れに逆らう気はないらしい。
「げぇはっ……げほっ……」
「喋る気になったかな? うーん?」
 慎霰は再び男の髪を掴んで上向かせた。腕で押さえて水車を一時停止させてやる。
「中身は、何だ?」
「知……知らねぇ」
「じゃぁ、なんで返せなんて言うんだ」
「た……頼まれたんだ」
「誰に?」
「知……知らねぇ」
「そーか、そーか」
「…………」
 慎霰は楽しそうな笑みを浮かべて手を離した。
 水車が回りだす。
「うわぁぁぁ!!……や……やめてくれ……」
 ざぶーんと水飛沫があがった。
 げぇげぇと水と息とそれ以外のものも吐き出しながら男が川から顔を出した。
 慎霰が男の顔を覗き込む。
「ほ…本当に……なにも……しら……」
「それで、はいそうですか、なんて言うと思ったか?」
「と……とばのしゃっきんを…かたがわりして…くれるっ……」
「ふーん。賭場の借金ね。金で動いてたってわけか」
「……ほんと…だ……」
「それで肩代わりしてくれるって言ったのは?」
「な…なまえは……ほ…とにしらね……だ。にほんざしで……むらさき…て」
「二本差ねェ……」
 二本差といえば武士のことだ。このならず者たちがどれほどの身分かはわからないが、身分差別の激しいこの時代。本当に知らされていない可能性はある。
 慎霰は眉を顰めた。
 この蒔絵の施された文箱を取り返せ。或いは、中の赤い包みを取り返せ。そんなところか。いずれにせよどちらも湯屋に持ってくるような物ではないから、確かに『れいのもの』で通じるだろうし、中身が何であるのか知らなくても、回収は可能というわけだ。
 つまりこいつらはとかげの尻尾。
 ただ1つ手掛かりになりそうなのは。
「むらさき?」
「あ…ああ……」
 どうやら『むらさき』というのは呼び名のようだ。名前というよりはこの場合、あだ名のようなものだろう。
「そーか、そーか」
「…………」
 慎霰はうんうん頷いて、ひらりと手を離した。最終確認のつもりで。
 奴らがとかげの尻尾を切れば、次を送り込んでくるはず。ならば出来る限り痛めつけておいて更に上物を派遣してもらおう。それを次々に撃退していけば、いつか黒幕まで辿りつけるはずだ。
 水車が回りだす。
「なっ……」
 慌てる男にきつね面の下で辛辣な笑みを返した。
「そこまで甘くないのよ、俺。どうせ、かどわかしなんかやっ……」
 言いかけた言葉を慎霰は反射的に噤んでいた。人の気配にそちらを振り返る。
 いつからいたのか、こんなに近づかれるまで全く気付かなかったのか。
 そこに1人の若侍が立っていた。仕立てのいい紫の羽織に二本差。細身の男が、開いているのか開いていないのかわからないような細目で人をくったような笑みを湛えている。
 そしてやっぱり人をくったように男が言った。

「彼らは本当にそれ以上何も知りませんよ」



   ◆



 暮れ六つの鐘が鳴り、西の空に陽が沈むと東の空から夜の帳がゆっくりと降りてきた。
 それを切り裂くようにオレンジ色の閃光が空に向けて舞いあがる。
 家路を急いでいた人々がふと、足を止めて光の方を振り返った。刹那、オレンジ色の大きな光の花が夜空に大輪を咲かせ、それに連なる音に、何ごとかと家にいた者たちも外へと顔を出した。
 誰もが無視出来ないほどの花火が次々にあがる。
 その袂できつね面を付けた慎霰は大声を張り上げた。
「板場泥稼ぎに自分のものを盗まれたッてェ奴はご必見! さァさ集まれ、寄ッといで! このきつね小僧様が取り返してやッたぜェ!!」
 茣蓙を敷いたそこに、ひょっとこの面を付けた平太が長持ちから一つづつ財布だの風呂敷包みだのを並べていった。
「自分のがあったら取りに来て」
 そこへ、花火に誘われて来た野次馬どもの中から数人が前に出て御座に広げられた盗品を覗き見る。
「あ! それ俺の財布だ!」
「私の着物よ!」
 なんて、瞬く間に御座の周りに人だかりが出来た。
「ふふん。きつね小僧さんのおかげだってとこ、ちゃんと覚えておいてくれよ」
 なんて、胸を張りながら慎霰は盗まれたものを元の持ち主に返していった。
 礼を言われるのも感謝されるのもなんだか気持ちよくて。
 だが。
 花火の後始末をしている柊を見ながら、慎霰は昼間の事をぼんやり思い出した。



 あの、水車の回る川縁で。

『彼らは本当にそれ以上何も知りませんよ』
 そう声をかけてきた男。
 むらさきと呼ばれる男は、慇懃な口調で言った。
『彼らからは何も出て来ません』
『なんだ、てめェ?』
『さて?』
 男はとぼけたように首を傾げてみせた。
 それから、やっぱりとぼけたように話題を変えた。
『そういえば、知っていますか?』
 不審に睨みつける慎霰の眼差しを、男は気にした風もなく勝手に喋りだす。
『盗人は、盗品が十両以上になると死罪なるんですよ』
『…………』
 江戸時代、元々、盗みは極刑だった。確か8代将軍吉宗の改革で罪が軽くなった筈だ。
 しかし、何故そんな話をいきなり持ち出したのか。慎霰は無意識に身構えた。
『ところで……』
 男が再び話題を変える。
『きつね小僧さんには、お友達にねずみ小僧さんなんていませんか?』
 まるで脈絡なく話しているように見せかけてはいるが。
 ねずみ小僧の盗品は十両未満どころの騒ぎではない。ついでに言えば貧乏人たちにとっての英雄である彼に、義賊だからといって武士たちが情状の余地を与える義理もないだろう。
『……貴様ッ』
 相手の意を悟って慎霰は男を睨みつけ低く呻いた。
『いい声だ』
 男が呟く。
 それから先ほどの礼儀正しいもの言いに戻って。
『あなたとやり合う気はありません。あなたは犯罪者ではありませんから。ああ、でも……盗人を知ってて匿ってるなら、同罪ですね』
『…………』
『冗談ですよ。別にあなたを脅すつもりはありません。これはただの忠告です。それでは失礼』
 男はすっと踵を返した。
『…………』



 慎霰の視線に気付いて柊が顔をあげる。
「うん?」
「柊……」
「なんだ?」
「…………」
 お前は必ず俺が守ってやる。そんな言葉を飲み込んで、代わりの言葉を探すように俯くと柊が言った。
「結局、お前さんの盗まれたものは一つも見つからなかったんだよな」
「あ…あァ……」
 見つからないのは当たり前だった。だが慎霰が少しだけ暗い顔をしているのを、柊はそのせいだと思ったらしい。
 彼は優しい笑みを浮かべて言った。
「また、作ってやるよ」
 きつねの根付。
 沈んでいては心配をかけてしまう。
 慎霰は、ゆっくりと深呼吸を一つして、元気よく応えた。

「おう!」






 ■■End or to be continued■■





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1928/天波・慎霰/男/15/天狗・高校生】


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■         ライター通信          ■
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 《突然次回予告。》


「来てくれると思っていましたよ。きつね小僧さん」

 ―――紡がれ絡まる傀儡の糸。

「これで江戸の町は我らの者となりましょう」

 ―――飛び込んだ先は蛇の穴か狼の群れか。

「ねずみ小僧が捕まっただって?!」

 ―――幾重にも張られた巧緻の罠。

「約束が違うじャねェか! 俺を怒らせた事、後悔させてやる」

 ―――きつねの面を被った天狗が暴れまわる。

「後は任せた、慎霰」

 ―――果たして、奴らの悪事を暴けるのか!?

「柊ーーーーーーーーーー!!」



 ―――『きつね小僧 捕物帖・其の参』 Coming soon...


 ※注:という展開になるかは、プレイング次第。



 というわけで。。。
 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。