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蝶屋敷にて
1.
軋んだ音を立てる扉を開いて黒川が馴染みの黒猫亭の中へと入ったとき、おや、と小さく呟いた。
彼の指定席とも言えるカウンタの隅にひとつの封筒が置かれており、どうやら自分宛らしいと判断した黒川は、やや眉を潜めながらカウンタに近付きその封筒を手に取った。
「……ふん」
中を見れば、招待状らしき文句が述べられている手紙があり、また黒川は軽く眉を潜める。
何かしらの招待を受けたものの態度としては些か妙なものだ。
手紙に書かれていた内容によると、招待主は蝶のコレクターだという。
蝶屋敷と自ら名付けた屋敷に棲み、自慢のコレクションを是非黒川に見せたいというのがくどくどと何処かねちっこささえ感じる文面の概略だった。
「どうも、こいつはきな臭いな」
普段ならば奇妙な誘いを断ることなどしないどころか、招かれていなくとも姿を現すこともある黒川がそう言ったのは珍しい。
招待主に覚えはないが、向こうはどうやら街中か何処かで黒川の姿を見かけ、是非屋敷に訪れてほしいと思ったためこうして招待状を出したということらしい。
しかし、その顔にやがていつもの不敵な笑みが浮かんだ。
「まぁ、良い。ご自慢のコレクションとやらを拝見しに行こうか」
しかし、と黒川は考えた。
「僕ひとりで行くのもつまらない。手は大いに越したことはなさそうだ」
そのほうが、僕は手を抜けると付け加えたのは普段の黒川の口調そのものだった。
黒川のその言葉に応えるように、軋んだ音と共に扉が開き、ひとりの男が黒猫亭へと入ってくる。
「やぁ、お店は営業中なのかな?」
愛想の良い笑みを浮かべながらそう尋ねてきた男、屍月に対し黒川は店主の代理を務めるように軽く会釈をした。
「ようこそ。店は見ての通り営業中だよ」
「それは良かった。たまたま通りがかりに見かけてお邪魔したけど、もしお休みだったら勿体ないものね」
そう言いながら鎖姫は初対面だということを気にした風でもなく黒川のほうへと近付くと、その手にある手紙を指差した。
「その、面白そうな手紙のこととかね」
黒川が何かを言う前に屍月はカウンタ席へと腰かける。
「自己紹介をしようか。僕は屍月・鎖姫っていうんだ。君の名前を教えてくれるかな」
「僕は黒川夢人だ。この店の馴染みでね、お会いできて光栄だ」
にやりと笑いながら黒川がそう言い、屍月も笑顔を返す。
「呼ぶときは黒川さんでいいかな? 僕的には夢人ちゃんでも全然いけると思うんだけど」
屍月の言葉に黒川は機嫌を悪くすることはなく、むしろ愉快そうにくつくつと笑った。
「好きに呼んでくれて構わないが、いまは黒川で勘弁してもらいたいね。一応、僕らは初対面であるわけだからね」
「それは残念。じゃあ黒川さん、その手に持ってる面白そうなものについて教えてもらえるかな?」
わざとらしく黒川さんと付け加えて尋ねられた内容に、黒川は笑いながら事と次第を簡単に説明した。
店に入ったときからずっと浮かべている笑顔のまま、屍月は話を聞き終えさも当たり前のように黒川に尋ねる。
「それ、僕も同行させて貰っていいかな。昆虫は結構好きでね。珍しい蝶とか、そういうのがいるのなら是非お目にかかりたいよ」
そこまで言ってからやや間を置いて、屍月は言葉を続けた。
「その正体が何であれ、ね」
屍月の言葉や態度に、黒川はくつくつと心底愉快そうに笑って立ち上がると出かける準備を始めた。
「キミとは気が合いそうだ。是非、一緒に行こうじゃないか」
どういうことが起こるのか非常に興味があるという表情を隠さないまま、黒川と屍月は招待主の元へと向かった。
2.
「招待を受けたっていうことは、黒川さんは蝶が好きなのかな」
「綺麗なものを眺めることは嫌いじゃないね」
「じゃあ、招待された理由はご主人が黒川さんにそれを見てもらいたかったっていうことになるのかな」
屍月の何処か含みがあるような言い方に、黒川は笑いながらわざとらしく肩を竦めてはみせたがそれに答える代わりに薄っすらと見えてきた建物を指差した。
「やぁ、見えたね。あれがそのようだよ」
「建物の趣味は悪くないみたいだね」
そう言いはしたが、目の前に見えている屋敷の全体からは何処かじっとりとした空気が吐き出されているように感じられ、中からは屍月と黒川に対してねっとりとした視線が投げかけられていることにふたりとも気付いていた。
「どうやらキミも気に入られたようだぜ」
「なら、招待していないから帰れとは言われないですみそうだね」
帰れと言われたらどうしようかと思っていたんだ等と言いながら、率先して屍月が屋敷へと近付き呼び鈴が見つからないので扉を直にノックする。
ふたりがやって来たところを見ていたためか、扉はすぐに開き枯れ木のようにやせ細った男が笑みを浮かべながらふたりを出迎えた。
「ようこそ、いらっしゃいませ。招待を受けていただけて嬉しいです」
「こちらこそ、貴重なコレクションを閲覧する機会を与えてもらえて光栄ですよ」
心にもない礼を笑みを浮かべながら黒川が述べるのを聞いてから、主は横に立っている屍月へと視線を移動し、何かを問うてくる前に屍月のほうから口を開いた。
「初めまして。僕は招待状をもらってないけど、黒川さんから聞いて是非見たいなって思ったから同行させてもらったんです」
「そうでしたか。それはよく来てくださいました。貴方のような方ならば心から歓迎しますよ」
そう言いながら主はにたりとあまり好感を持つことができないどころか向けられた者によっては嫌悪すら抱くような笑みを浮かべて屍月に手を指し伸ばした。どうやら握手を求めてのことらしい。
屍月もそれに対して拒絶することはなく笑顔のままそれに応じた。
「では、早速ご案内しましょう。狭い屋敷ですがコレクションの数は多いのですべて見ていただくには時間がかかります。勿論、今日中に全てを見ていただく必要はありません。よろしければ泊まっていってくださっても一向に……」
身体に纏わりつくような笑みを浮かべながら述べられていた口上に、屍月も黒川もただ笑みを返しているだけだった。
3.
やや奥に足を踏み入れた途端、屋敷の外見からは想像もつかない色彩がふたりの周囲を取り巻いた。
屋敷の明かりは展示物を傷めないためにだろうか、控えめに灯されているだけであったが、それでも異様にも見える屋敷の内部を見るには十分だった。
壁という壁は同じ材質のケースで埋め尽くされ、その中にある『蝶』が屍月と黒川の視界に嫌でも飛び込んでくる。もっとも、ふたりは笑みを浮かべたままそれらを鑑賞していたのだが。
羽の大きさ、形、色など、細かく分類され展示されている。ぐるりと見渡せば夥しい蝶の羽の色で壁にグラデーションが作られていることもわかる。
「この蝶は羽の色がやや薄いですが大きさは申し分ないでしょう? こちらなどは血のような赤が美しい。無論、羽の形が美しいということは絶対です」
ゆっくりと歩きながら、主はにたにたと笑みを浮かべたままふたりにひとつひとつの蝶の自慢をしていった。
確かに飾られている『蝶』たちは全て美しい羽をし、ひとつだけでも見る者を魅了させるには十分なものばかりだった。
だが、それらひとつひとつをしつこいほどに自慢し続ける主の姿にはあまり好意を抱けそうにはなかったが、屍月も黒川もそのようなことを気にするわけでもなく主の自慢話を聞きながら『蝶』を眺めていく。
「あ、黒川さん。あの蝶なんてどう? 光の加減で羽の色が違って見えるところなんてなかなか良いよね」
「そうだね、僕はあちらの蝶も良いと思うな。ああいう深い黒はなかなか出まい」
「えぇ、えぇ。そうでしょう。おふたりとも素晴らしい審美眼をお持ちだ。あの蝶は……」
まるで主を誘導するようにふたりはいろいろな蝶に興味を示してみせては、主がその蝶に対する自慢をするのを聞いていく。
如何にしてその蝶を手にいれたのか、何処が素晴らしいと思って手に入れようと思ったのか、これらを集めるまでにどれだけの時間を要したのか。
主の話はとめどなく続き、ふたりはそれを聞きながら屋敷の中をひと通り見て回った。
「どれも綺麗な蝶ばかりだったねぇ」
全てを見終えた後、笑みを浮かべながら屍月がそう言い、主がそれに対する礼を述べようとしたそのときだった。
「……でも、人の魂をこうして閉じ込めてるっていうのは、僕的にはいただけないんだよね」
屍月の顔は笑顔のままだが、主の顔からは始めて笑みが消えた。その顔を、屍月は笑ったまま見返した。
「あれ? 僕らが気付いてないと思ってたのかな? あの蝶は全部人の魂が姿を変えたものだよね。そのくらいはひと目見てすぐにわかったよ」
同意を示すでもなく、黒川は薄ら笑いを浮かべながら主と屍月のやり取りを眺めていた。
この屋敷に展示されている『蝶』の正体が何かなど、ふたりはすぐにわかっていた。此処にある『蝶』たちは、いま屍月が言った通りすべて人の魂がその姿を変え、捕らえられているものだ。
歌うような口調で屍月は言葉を続ける。飄々としたその態度が、却って何処か背筋に冷たいものが走りそうだ。
「最初はさ、見たら帰ろうと思ってたんだ。昆虫が好きなのは本当だし、綺麗なものを見るのは楽しいしね? あ、ご主人の自慢話もとっても楽しかったよ。だけどさ、ここに閉じ込められたままの魂がこれだけあるっていうのは……ね」
閉じ込められているということは、彼らの魂は転生できずこの屋敷に永久に閉じ込められてしまうということだ。それは屍月にとってあまり愉快なことではない。
「僕はね、ある人を探してるんだ。その人の魂も、もしかするとこの中にあるかもしれない。まぁ、そんなことはないと思うけど、もし、そうだとしたらって考えたら……あはっ」
初めて、屍月が声を出して笑った。だが、それを聞いた途端主の顔から血の気が引いた。
「そう考えたら腹立たしくなっちゃった。だから、ちょっと大掛かりになるけどこの屋敷ごと『分解』させてもらうよ」
その言葉と共に、黒川は何処からか小さな音を聞いた。
かちり、と何かが外されたような金属音。
まるで鍵穴が外されたようなその音と共に、その場が『分解』されていく。
壁にかかっていたケース全てがいつの間にか開いている。ケースには髪の毛ほどの傷もなく、無理矢理開けたような痕跡もないのに、全てのケースが同時にばらばらと崩れ形を失い床に落ちていく。
しかし、それによって中に閉じ込められていた『蝶』たちが傷付いた気配はない。まるで最初からケースになど入れられてなかったかのように彼らは羽ばたき、宙へと舞っていく。
そして同時に屋敷自体の『分解』も完了していた。
力によって無理やり破壊されたのではなく全ての繋ぎ目を器用に外されたように、屋敷はパーツごとに分かれ、地に崩れる。
「ふむ、見事なものだね」
巻き込まれては敵わないと思いながらもことの成り行きを眺めていた黒川はそう呟いてから主の方を見た。
全てを瞬く間に失うこととなった主は、しかし怒ることはなかった。
身体には先程のケースや屋敷のような目立った変化はない。だが、その目の焦点は合っておらず虚ろな光が灯っているだけだった。
まるで、魂をばらばらに分解されてしまったかのように。
4.
「ほう、傷ひとつなく綺麗に分かれてる」
しゃがみ込んで分解されたケースのひとつを手に取りながら黒川は感心したようにそう呟いた。
「いやだなぁ、壊したんじゃなくて分解したんだから傷なんてつかないよ」
すっかり元の姿を失った屋敷の跡に立ちながら黒川と屍月はそんな状況など気にせず会話を続けていた。
「僕は、鍵を外すだけだよ」
「魂の檻の鍵もかい?」
くつりと笑いながら黒川がそう言っても屍月は飄々とした態度を崩さない。肉体だけが残されている主になど、すでにふたりとも興味をなくしていた。
「だが、行き場のない彼らは何処へ飛んでいったのかな」
「さぁ? 何処へ行くのかは知らないけど、少なくとも自由にはなれたでしょ?」
屍月の言葉に、黒川もそれは同感だとでも言いたげな笑みを浮かべて頷いた。
「今日は珍しいものを随分と見ることができて楽しかったよ。キミとは是非、また何かで会いたいものだね」
「こちらこそ。夢人ちゃん」
黒川の言葉にそう屍月は言い返し、屍月はその場から立ち去った。
立ち去る間際、屋敷の中で見かけた蝶の姿が見えた気がしたが、屍月はそれに対し小さく片目を瞑ってみせただけだった。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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2562 / 屍月・鎖姫 / 男性 / 920歳 / 鍵師
NPC / 黒川夢人
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■ ライター通信 ■
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屍月・鎖姫様
初めまして。この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
飄々としたどこか掴み所のない屍月様の雰囲気が損なわれないようにと思って書かせていただきましたが、お気に召していただければ幸いです。
黒川はどうやら気が合うタイプだと判断したようです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。
蒼井敬 拝
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