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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


トキメキ病人看病 〜 rouge & ruban 〜



 草間武彦はその日、受話器を握り締めたまま必死に脳味噌をフル回転させていた。
 今ではツーツーと言う素っ気無い音が出ているここからは、つい先ほどまで低く落ち着いた男性の声が流れていた。
「おっさん、今からそっち行っても良いか?」
「どうしたんだ神崎。依頼か?」
「あぁ。本来なら俺達がやるべきなんだろうけど、生憎全員が出払ってて、俺も今から出なきゃならない」
 東京下町にある夢幻館。そこに住まう神崎魅琴からの依頼に、武彦は身を引き締めた。
「忙しいのなら、電話で内容を聞こうか?」
「いや、コレを持ってかないと話にならないからな」
 つまり、何か預けたいものがあるのだろうか?
 武彦の頭の中に、いくつかのパターンが浮かぶ。
 曰くつきの品物を誰かに渡す、曰くつきの品物を誰かから守る、曰くつきの‥‥
「とにかく、急ぐんだ。おっさん、俺が行くまで興信所にいてくれよ」
「勿論だ」
 今日は数人依頼主が訪れる予定になっているが、キャンセルする事になるかもしれない。
 すぐに行くと言い残して切れた受話器を片手に、武彦は呼ぶべき人の名前を検索していた。
 こういうことに強い人材となると‥‥
 番号をプッシュする。
「もしもし、俺だが‥‥今から出てこられないか?少し、厄介な事件が舞い込みそうなんだ」



 対の概念が対立することなく自然に存在する夢幻館には、外見年齢高校生の支配人を始めとして、おかしな人々が住んでいる。
 美形ながらもやられキャラで、常識人だと豪語している割には抜けている男。
 整った顔立ちなのに、男女構わず綺麗な人や可愛い子は好きと言って過剰スキンシップに走ろうとする男。
 無邪気な皮を被った悪魔、変なスイッチが入るとぶっきらぼうになる男、病弱なのに体内に恐ろしいものを宿している男。
 そんな中でも、片桐もなは特別に変な子だった。
 見た目は小学生、茶色と言うよりはピンク色に近い髪を頭の高い位置で2つに結んでおり、着る洋服はいつだってフリフリのひらひら。人に抱きつくクセがあり、人の名前にちゃん付けをするのが彼女流。
 天然ボケで可愛らしく、何をされてもシュンとなって謝られれば許してしまおうと言う気にさせる彼女は、普段はロケットランチャー片手に元気に走り回る、スーパー馬鹿力少女なのだ。
 小さく華奢な彼女のどこからそんなパワーが出るのかは疑問だが、未だに解明されていない。
 で、そんな元気な彼女は現在‥‥神崎魅琴の腕の中でぐったりしている。
 ちなみに神崎魅琴は整った顔立ちなのに男女構わず〜と書いてある部分に相当する人なわけで、もし貴方が綺麗な人・可愛い人な場合、道で出会ったしまった時はダッシュで逃げる事をお勧めする。
「おっさん、頼んだぜ」
 上気した顔はいかにも熱がある風で、苦しそうな荒い呼吸は熱い。
 普段ならば膝上スカートをはいているもなだったが、今日ばかりは足首まで裾があるネグリジェを着ている。
 魅琴がソファーの上にもなを下ろし、腕に下げていた大きなバッグから毛布を取り出すと、彼女の上にふわりとかける。
「いや、頼んだって‥‥何を?」
「コレを」
 長い指が、もなの頭に向けられる。
「曰くつきの物は?」
「何の話だ?」
 キョトンとした魅琴の顔を見て、彼が一度も依頼の詳細を語っていなかった事に気づく。コレを持ってかないと話にならないと言っていたからうっかり物だと思っていたのだが、彼の場合は者でもコレで括ってしまう横暴さがある。挙句彼はもなを抱っこしてきたわけであって、彼の中では連れて行くというより、持って行くと言う感覚だったのだろう。ニュアンスで喋る悪い例だ。
 早とちりをしてしまった自分の失態だと、武彦は小さく舌打ちすると気分を切り替えた。
「片桐はどうしたんだ?」
「風邪引いたんだ。俺はよく知らないんだけど‥‥おっさんも関係してるんだぜ?」
「俺も‥‥?」
「この間、迷い猫探しの依頼をもなに回しただろ?こいつ馬鹿だから、雨降ってる中傘もささずに一晩中猫探してたんだ。その働きのおかげで見つかったのは良いんだが、ぶっ倒れてな。冬弥が猫を届けにきただろ?」
「あぁ‥‥。そうか、すまない事をしたな」
 潤んだもなの瞳と目が合う。随分熱が高そうだが、依頼を回したのは3日も前のことだ。
 ずっと高熱にうなされているらしいもなの顔を見て、武彦の胸が痛まないはずはなかった。
「おっさんのせいじゃねぇって。コイツが馬鹿なだけ。『猫ちゃん迷子になって心細いよね、早く見つけてあげなきゃ』とか、意気込みすぎなんだよ」
「分かった、引き受けよう。いつ迎えに来るんだ?」
「明日になんねーと無理なんだ。朝か昼か、誰か迎えに来ると思うから。それまで頼んだ」
 了解したと頷き、魅琴が興信所の扉を出て行くのを確認すると、武彦はもなの頭をそっと撫ぜた。
 結ばれていない髪はだらりと背に垂れており、今日は笑顔もない。
「大丈夫か?」
 武彦が優しく声をかけた瞬間、もなの小さな手が服の裾を掴んだ。
「武彦ちゃん、のど‥‥渇いた‥‥」
「あぁ、待ってろ、今何かを用意して‥‥」
 行きかけた武彦の裾を強く引っ張るもな。振り向いてみれば、涙をいっぱいに溜めた目が武彦をじっと見つめている。
「武彦ちゃん、もなのこと1人にするんだ‥‥おいてっちゃうんだ‥‥」
「え?いや、あのな、俺は飲み物を‥‥」
「あ、そうだ、言い忘れてたけど‥‥」
 ガチャリと扉が開き、魅琴が顔を覗かせる。
「熱が高い時のそいつ、泣き上戸で我が侭で甘えん坊で、傍から少しでも離れると泣き出すから気をつけてな」
「ちょっと待て、それじゃぁ何も‥‥」
 バタリと扉が閉まる。武彦の悲痛な訴えを聞きたくなかったからではなく、単に急いでいるからのようだ。
 1人では世話しきれないと感じた武彦だったが、誰かに応援を頼もうにも電話は部屋の隅、携帯にいたってはデスクの上だ。
 絶体絶命の大ピンチにパニック寸前になった時、突如として興信所の扉が開き、見知った顔が入って来た。
 思い返してみれば、魅琴から連絡を貰った時に早とちりをして数人に電話をかけてしまったのだ。
 武彦はその時の自分の行動を賞賛するとともに、折角やってきた人物を逃がさないためにも、手招きをするともなが倒れているソファーの前に立たせた。
「病気で苦しむ1人の少女がいます。さぁ、貴方ならどうしますか?」
 ―――解説調で言ったのも、勿論作戦の内だ。



* * *


 駅前に出来たケーキ屋さんに寄っていかない?と言う友人達からのお誘いを断り、今度一緒に連れて行ってねと明るく言って手を振った後で、真帆はセーラー服の裾をなびかせながら、クリスマスカラーに染まる街を草間興信所に向けて歩いていた。
 電飾の灯ったツリーに、雪の結晶が描かれたショーウィンドウ。商店街の屋根には真っ白な袋を持ったサンタさんが、にこやかに街行く人々を見守っている。
「もうすぐでクリスマスだものね」
 ポツリ、呟いた言葉は白い帯となって後方に流れて行く。
 手に持った鞄から、真帆の使い魔の“すふれ”と“ここあ”がピョコリと顔を出し、キラキラと輝く世界をジっと見つめている。
 見た目は白いウサギのぬいぐるみと黒いウサギのぬいぐるみである2匹を鞄から出し、胸に抱く。
 首に巻きついたマフラーに顔を埋め、葉の落ちた街路樹を見上げながら歩く。
「それにしても、曰く付きの物ってなんでしょう‥‥‥?」
 武彦は、依頼主は夢幻館だと言っていた。
「夢幻館で曰く付きの物‥‥‥うーん‥‥‥」
 そもそも、そう言ったものが何かの弾みにあの館に迷い込んできてしまったとしても、あそこにいる住人達ならば難なく対処が出来そうだ。わざわざ武彦に依頼しなくても良いように思う。
 真帆の頭に、チラリと物ではないモノが思い浮かぶが、フルフルと頭を振った。
 ―――まさか、そんなのって有り得ないですよね‥‥‥
 いくらなんでも、人を物扱いはしないだろう。
「それに、曰く付きじゃないですし‥‥‥」
 ね?と、腕の中にいる2匹の使い魔に賛同を求めるが、つぶらな瞳は何も答えてはくれない。
 そうこうしているうちに興信所の前まで来てしまい、真帆は微かな予感を感じつつも銀色のドアノブを回し、扉を開けた。
 相変わらず整理されているとは言いがたい興信所の中、複雑な顔をした武彦の姿を見つけ、真帆はスルリと中に入ると頭を下げた。
「あぁ、樋口‥‥‥」
「それで草間さん、曰く付きの物って‥‥‥」
「ちょっとこっちに来てくれないか?」
 一瞬だけニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた武彦が手招きをする。
 なんだか様子のおかしい武彦にキョトンとしつつも武彦の隣に立ち―――――
「病気で苦しむ1人の少女がいます。さぁ、貴方ならどうしますか?」
「もなちゃん!!」
「まほ、ちゃん‥‥‥?」
 潤んだ大きな瞳が真帆を見上げる。
 何処からどう見ても病人であるもなの前で大声を出してしまった事を後悔し、両手で口を押さえるが時既に遅し、だ。
「もしかして、曰く付きの物って‥‥‥」
「あれはなんと言うか‥‥‥すまない、俺の早とちりだったんだ」
 夢幻館から緊急の依頼を受けたこと、魅琴が彼独特の言い回しをしたために勘違いをしてしまったこと、確認もせずに連絡を入れてしまったこと、武彦は一気に全てを喋ると、パンと顔の前で両手を合わせた。
「すまん!だが、俺一人では荷が重い。だから‥‥‥」
「友達が風邪をひいていれば、心配して看病するのが当たり前です!」
 押さえ気味の声量で力強く言い、真帆は鞄を足元に置くと膝をついてもなの顔を覗き込んだ。
「もなちゃん、大丈夫?」
 ふぅと、熱い息を吐いてジっと真帆を見つめるもなの顔は、薄ピンク色に染まっている。
「熱は‥‥‥」
 手を額に当て、反対の手を自分の額に当てる。
「‥‥‥結構あるね」
 両掌の温度差が、もなの健康状態の悪さを如実に表している。
「草間さん、ちゃんとしたベッドってあります?このままソファーに寝かせておくのも‥‥」
 言いかける真帆の言葉を遮るように、もなのか細い腕がかけられていた毛布を跳ね除け、真帆の制服の裾を掴む。
「どっか、いっちゃう‥‥‥の?‥‥‥もなを、一人にする‥‥の‥‥‥?」
 普段は一人称は“あたし”のもなだったが、今は熱で錯乱しているためか“もな”に変っている。
 どう見ても小学生程度の年齢にしか見えない彼女が、尚更幼く見える。
「ヤだよ‥‥‥もなのこと、一人にしちゃ‥‥‥ヤだよ‥‥‥」
 ウルリと目が潤み、涙が盛り上がる。上半身を起こしたもなが真帆に縋りつき――― はらりと、毛布が床に落ちる。
「大人しく寝てなきゃだめだよ、もなちゃん‥‥‥!」
 イヤイヤをしながら、もなが真帆の腕をギュっと胸に抱く。細い肩が小刻みに震え、押し殺したような嗚咽が聞こえてくる。
「‥‥‥いなくなっちゃ、ヤー‥‥‥。ひとりは、ヤ‥‥‥ヤだよ‥‥うっ‥‥‥ひっく‥‥‥」
「もなちゃん、私は何処にも行かないよ。ただ、このままここで寝てたら風邪が悪化しちゃうかもしれないから、ベッドに行こう?私も一緒に行くから、ね?」
 よしよしと背中を撫ぜ、武彦に視線を向ける。
「樋口はそこのバッグを持って先に部屋に行っててくれ。奥に仮眠室があるから」
 どうして一緒に行かないのかと聞こうとして、真帆はすぐに武彦の言いたかった事に気づくと微笑んだ。
 ―――きっと、お部屋が綺麗じゃないんですね‥‥‥
 お片付けスキルはどう見ても真帆の方が上だ。ここは適材適所、武彦がもなの相手をしてくれているうちにささっと部屋を整えて、病人であるもなが快適に眠っていられる空間を作らなくては。
 ―――よーし、がんばるぞ!
「箒とちりとりは部屋の奥のロッカーの中に入ってる。雑巾は流しにあるのをどれでも勝手に使ってくれ」
「分かりました!片付きましたら呼びますので、それまでもなちゃんのこと、お願いしますね」
 そう言いつつ、武彦だけでは少し心配だ。
 バッグの上で大人しく成り行きを見守っていた“ここあ”と“すふれ”にウインクする。
 賢い使い魔はそれだけで主人の言いたい事を悟ると、ピョンと跳んでソファーの上に着地した。
「もなちゃん、私のお友達を紹介するね。こっちが“すふれ”で、こっちが“ここあ”って言うの。2人とも、ご挨拶して」
 真っ白なウサギの“すふれ”がチョコンと頭を下げ、隣にいた真っ黒なウサギの“ここあ”が同じように頭を下げる。
 真帆に抱きついたままだったもなが、可愛らしい2匹のお友達に目を輝かせる。
「すふれちゃんに‥‥‥ここあちゃん‥‥‥もなはね、もなって言うの」
 ニコリと微笑んだもなをソファーに寝かせ、落ちた毛布をかける。
「‥‥‥助かった‥‥‥」
 すっかり“すふれ”と“ここあ”に心奪われたもなが、2人を相手にご機嫌になる。
 真帆はゆっくりと、もなに悟られないように注意しながら奥へと移動し、流しで雑巾を濡らしてから仮眠室へ入った。
 カーテンの引かれた部屋は薄暗く、仄かに煙草の臭いがする。
 真帆は窓まで近付くと、カーテンを一気に引きあけた。窓の外は夕暮れ時で、オレンジ色に揺れる太陽は今にも地平に飲み込まれてしまいそうだ。黄昏時の空は、複雑なグラデーションに染まっており、真帆は窓を開けると暫し空を見上げた。
 冷たい風がココア色の髪を揺らし、シャンプーの甘い匂いを漂わせる。煙草の臭いが薄らぐまでは開けたままにしておこうと、窓を開けたまま部屋の奥のロッカーを開け、そこから箒とちりとりを取り出すとササっと床を掃いた。
 興信所内よりも汚れていない仮眠室は、あまり使われていないのだろう。ベッドは最近誰かが寝た形跡はなく、誰かが腰掛けた跡が残っているだけだった。
 ―――これなら、シーツを替える必要はないかな‥‥‥?
 テーブルの上に積み重なっていた新聞や雑誌を綺麗にそろえ、部屋の隅に積み重ねる。少し埃が気になる部分を雑巾で拭き、真帆は壁際に寄ると電気のスイッチを入れた。
 窓の外とは対照的にパッと明るくなった部屋は、ヒンヤリとした空気に包まれている。
 ―――もうそろそろ良いかな?
 真帆はそう思うと、開け放っていた窓を閉め、カーテンを引いた。






 武彦に抱きかかえられた部屋に入って来たもなの腕では“ここあ”と“すふれ”が大人しく抱かれたままになっている。
 熱い息を吐きながらベッドに寝かされたもなの上に、キッチリと毛布をかけなおす。
 部屋の隅で暖かい空気を吐き出し続けるヒーターを見て、武彦が興信所の方へ何かを取りに入る。
「もなちゃん、寒くない?」
「うん、あったかい?」
 ――― 私にきかれてもわからないんだけどな‥‥‥
 苦笑しつつも、真帆はもなの柔らかな髪をそっと撫ぜた。
 茶色と言うよりはピンク色に近い髪は細く、ダラリとベッドの上に広がっている。
「樋口、ちょっと‥‥‥ドアを開けてくれ」
 武彦の声に立ち上がり、ドアを開けてあげた先、小さな白い機械が目に入った。
 ――― なんだろう?
 首を捻ったその直後に、真帆はそれが何であるのかに気がついた。
「加湿器、ですか?」
「あぁ。ちょうど貰ったのがあってな‥‥」
 パタンと扉を閉めた時、興信所のドアが開く音がした。
 ―――あれ?誰かお客さんかな‥‥‥?
 武彦に声をかけようとしたが、彼はこちらに背を向けて加湿器をセットしている真っ最中だ。
「あの、草間さん‥‥‥」
 呼びかけた時、真帆の背後で扉が開いた。
 驚いて振り返ってみれば、青い瞳をした女性が目を丸くして立っていた。
「シュラインさん!?」
「興信所内にいないと思ったら、ここにいたのね‥‥‥」
 久しぶりね、真帆ちゃんと声をかけられ、慌ててお久しぶりです!と返す真帆。
 シュラインが部屋の中に入り、ベッドの上でグッタリと力尽きているもなを見つけ、眉を顰める。
「風邪‥‥‥なの?」
「あぁ。神崎に頼まれてな、明日の朝か昼まで、うちで預かる事になった」
「熱は?」
「39℃ないくらいだ。樋口にここの片付けを頼んでいる間測ってたんだが、確か38,6℃だった」
「可哀想に‥‥‥」
 シュラインが膝を折り、もなの顔を覗き込む。
「あ、シュラインちゃんだぁー!」
 元気よく言ったもなが、ゲホゲホと咳き込み、“ここあ”と“すふれ”が慌ててその背中を撫ぜる。
 ―――草間さんとシュラインさんがいるなら、少し抜けても大丈夫かな‥‥‥
「あの‥‥‥」
 そう声をかけようとした時、興信所の扉がまたしても開く。今度は武彦も分かったらしく、腕時計を見て「あっ」と声を上げると渋い顔になった。
「依頼人が来るの、すっかり忘れてた‥‥‥」
「確か武彦さん、今日はこの間の事件の結果を聞きに、近藤さんも来るんじゃなかった?」
「あー!そうだ‥‥‥しまったな‥‥‥」
 頭を掻いて、どうしようと呟く武彦だったが、まさか依頼人を追い返すわけにはいかない。
「もなちゃんのことなら、私に任せてください。その代わり、お仕事が終わったら少しもなちゃんのこと任せても良いですか?うちに、風邪に効くハーブティーがあるんです」
 それを取ってきて、ついでに服も替えて来たいと言う真帆に、武彦が目を丸くする。
「‥‥‥それは良いんだが‥‥‥樋口、今日はここに泊まって行くつもりか?」
「ダメ、ですか?」
「いやいや、とてもありがたいんだが、良いのか?」
「はい!明日は土曜日で学校もないですし、大丈夫です」
 にっこりと微笑む真帆に、草間が「すまないな」と声をかける。
 待たせきりでは悪いと言って、シュラインがお茶出しに興信所にとって返し、武彦が部屋の隅にキチンと重ねられた雑誌や新聞紙類を見て、間の抜けた声を出すとその前にしゃがみ込んだ。
「依頼人に渡す報告書、昨日ここで書いてテーブルの上に置いたままだった‥‥‥」
「‥‥‥すみません!」
「いや、樋口が悪いわけじゃない」
 片付けもせずにそこら辺に放っておいた方が悪いのだ。
 それに、ごちゃごちゃなテーブルの上に置いてあるよりも、綺麗に重ねられた中から探すほうが楽だ。
 武彦が無事に報告書を探し出し、時計に視線を落とす。
「今来てる依頼主から依頼内容を聞いて、すぐに報告を受けに2人来る。1時間くらいで終わると思うんだが‥‥‥」
「心配しないでください!“ここあ”も“すふれ”もいますから」
「そうか、それじゃぁ頼んだ」
 はい!と元気よく言った後で、真帆はチラリともなの様子を伺った。
 “ここあ”と“すふれ”に夢中のもなは、シュラインと武彦が行ってしまった事すら気づいていないらしい。
 ――― 熱も高いし、何か飲ませた方が‥‥‥
 興信所の台所にならばお茶があるはずだが、真帆までいなくなってしまって良いのだろうかと、少し心配になる。
 ――― 少しだけなら大丈夫、かな?
 こちらを気にする様子のないもなを見て、真帆はそっと部屋を抜け出した。
 音を立てずに出たのだが、依頼人と武彦には気づかれてしまったらしい。40代後半と思しき紳士が軽く会釈をし、真帆も慌てて頭を下げる。
「どうした、何かあったか‥‥‥?」
「あ、いえ、ただちょっと‥‥‥何か飲み物でもと‥‥‥」
 心配顔で立ち上がろうとする武彦を押し止め、真帆はなるべく2人の邪魔をしないようにと気配を殺して台所まで歩いた。
 台所ではシュラインが丁度お茶を淹れており、お盆には湯飲みが1つとコップが4つ乗っていた。
「丁度良かった。今からそっちにお茶を運ぼうとしていたところだったの」
 もなちゃんに何か飲ませた方が良いでしょう?と言うシュラインに、自分も同じ事を考えていたと返して微笑む真帆。
 小さめのトレーにコップを2つのせ、依頼人の男性と武彦に会釈をしてから仮眠室の扉を開ける。
 高価そうな湯飲みは依頼主の人の前に出されるのだろう‥‥‥そう思いながらスルリと部屋に入り、小さな啜り泣きの声に驚く。見ればベッドの上では三角座りをしているもなを励ますべく“すふれ”と“ここあ”がワタワタとしており、遠目にもその必死さが伝わってきた。
「もなちゃん、どうしたの!?」
 トレーをテーブルに置き、もなの元へ駆け寄る。
 長い髪で顔は見えないが、震える肩が痛々しい。ベッドに腰掛け、真帆は小さな背中をそっと撫ぜた。
 どうしたの?と聞いても、泣いているだけで答えないもなに、真帆はどうしたら良いのか分からなくなっていた。
 ――― どうして泣いていたのかな‥‥‥?
 何か寂しい事でも思い出してしまったのだろうか?それとも、熱が高くて辛いのだろうか?それとも―――
 瞬間、どうしてもなが泣いているのか、理由が分かった。
「ごめんねもなちゃん、一人にさせて‥‥‥喉渇いてないかなって思って、お茶を持って来たの」
 もなが顔を上げ、涙に濡れた瞳をジっと真帆に向ける。
 頬を流れる涙を拭い、優しく頭を撫ぜる。もなが足を抱えていた手を解き、真帆に抱きつく。
 ――― それにしても、どうしてもなちゃんは一人にされるのを嫌がるんだろう‥‥‥?
 微かな疑問が浮かぶが、もなに聞かないことには分からない。
 ――― 今のもなちゃんにそんなこと聞けるわけないし‥‥‥
「‥‥‥のど、かわいた‥‥‥」
 掠れた声に、思考を中断する。
 真帆に抱きついているうちに落ち着いたのか、顔には笑顔が浮かんでいる。
 程よく冷めたコップを手渡し、自分も一口番茶を飲む。
 ―――良かった‥‥‥
 ご機嫌でお茶を飲むもなに安心する。それは“すふれ”と“ここあ”も同じようで、胸を撫で下ろしているのが分かる。
「おいしー‥‥‥」
「もっと飲む?」
 ふるふると頭を振り、途端に瞳が潤み始める。
「いっちゃ、ヤー‥‥‥」
 消え入りそうな声に、真帆は慌ててコップをテーブルの上に置くと、どこにも行かないと力説した。
 クシュンと可愛らしいクシャミをしたもなをベッドに横たえ、肩までキッチリ毛布をかける。
 ボーっとしていた瞳がだんだん濁り始め、ウツラウツラし始める。
 トロリとした目がゆっくりと瞑り―――――パっと開くと、目をこすった。
「もなちゃん、寝た方が良いよ」
「イヤ!」
「どうして?」
「‥‥‥おきたとき、誰もいないから‥‥‥」
 頑なな瞳は、微かに悲しみを宿している。
「ちゃんといるから、寝よう?寝ないと、良くならないよ?」
 イヤイヤをするもな。
 どうしようかと考え始めた時、もながモソモソと起き上がった。
 キョロキョロと周囲を見渡し、考え込むように目を伏せると何かを言いたげに真帆をジっと見つめる。
「どうしたの?」
 声をかけてみても、反応はない。少し困ったようにジーっと真帆を見ているだけだ。
 ――― もしかして、お手洗いかな‥‥‥?
「もなちゃん、お手洗いなら興信所の‥‥‥」
「シュラインちゃんと武彦ちゃんは?」
 真正面からの質問に、真帆は思わず視線を逸らしてしまった。
 何か良い言葉が浮かばないかと考えるが、視線を逸らした時点で答えを出してしまっていた。
「どうして‥‥‥みんな、ひとりにするの‥‥‥?」
 押し殺したような声は、悲しみだけでなく―――強い憎悪も滲ませていた。
「もなちゃ‥‥‥」
 立ち上がり、フラリとよろけながらもドアに向かう。
「ダメだよもなちゃん!」
 覚束ない足取りのもなに近付き、咄嗟に足払いをかける。思いもよらない攻撃にもなの身体がグラリと傾き、真帆がしっかりと受け止めると、ひょいとお姫様抱っこした。
 小柄で細身と女の子らしい体型の真帆だが、もなは彼女以上に背が低く、そして驚くほど軽い。
 軽々と抱き上げられるほどではないが、もなを抱えながら歩く分には問題ない。階段を上がるとなると少々不安だが‥‥
「ま‥‥真帆ちゃん!?」
「大人しく寝てないとダメ」
「でも‥‥」
「でもじゃないの」
 お母さんのような口調になっていると、内心で苦笑しつつ、表情だけは“メッ”と言っているような厳しいものを作る。
 もなを抱いたままベッドへ行こうと歩き出した時、扉が開いて武彦が顔を覗かせた。
 視線がベッドのあたりを彷徨い、真帆ともなをジっと見つめ、眉を顰める。
「‥‥目の錯覚か?」
「なにがですか?」
「‥‥樋口が片桐をお姫様抱っこしているように見えるんだが‥‥」
「えぇ、してますよ?」
 それがなにか?そう言いたげに首を傾げる。
 武彦が天を仰ぎ、目を瞑ると目頭を押さえる。
「もしかして、お前も片桐と同じで‥‥見た目と違って力が強いとか、そう言うオチがあるのか?」
「えぇ!?ち、違いますよー!」
「もなちゃんくらいなら私も抱っこできるわよ」
 シュラインが武彦の後ろから顔を覗かせる。
 確かに片桐が軽い事は知っているが‥‥と武彦が呟くのを聞いていた時、真帆の肩にふわりと“すふれ”と“ここあ”が乗っかった。2匹は何かを言いたげに手を上げ下げすると、もなの上にピョコンと降り立った。
 見れば顔を真っ赤にしたもなが、虫の息でグッタリしている。
 慌ててベッドに寝かし、毛布をかける。真帆の素早い行動に武彦が心配になってもなの顔を覗き込み――― 意識が朦朧としているらしきもなが、細く目を開けると毛布を跳ね除けて右手を出し、武彦の袖口を掴んだ。
「‥‥‥ぱぱ‥‥‥」
「パ‥‥‥」
「武彦さん!」
 病人の耳元で叫び声を上げそうになる武彦を、シュラインがキツク、けれど小さな声で諌める。
「ち‥‥違うんだシュライン、片桐は俺の隠し事か、そんなのなくて‥‥」
「なに焦ってるのよ武彦さん。もなちゃんが武彦さんの子って、そんなことあるわけないでしょう」
 呆れたと聞こえてきそうな溜息をつきながら、シュラインが前髪をパサリと横に払う。
 あまりにも必死な武彦が可笑しくて、笑ってはいけないと思いつつ、真帆はついつい吹き出してしまった。
「く‥‥草間さん、も‥‥もなちゃん、じゅ‥‥16歳、ですから‥‥」
 もし武彦がもなの父親だとしたら、14の時に生まれていなくてはならない計算になる。中学生で一児のパパ‥‥早すぎる。
「ち、違うんだって!ほら、片桐は見た目小学生だし、その‥‥なんと言うか‥‥」
 顔を背ける。耳まで赤くなっているところを見ると、相当照れているらしい。
「とりあえず、もなちゃんは眠っちゃってるみたいだし‥‥ここは武彦さんに任せても良いかしら?」
「あぁ、別に良いけど‥‥2人ともどこか行くのか?」
「真帆ちゃんは一旦家に戻らないとでしょう?私は買い物しないといけないし‥‥そうだ、もし良ければ真帆ちゃんも一緒に来てくれる?」
「はい、勿論!」
「良かったわ。今日は特売日だから、沢山買わないといけないし‥‥卵が安いんだけれど、お1人様1点限りなのよね」
「分かります!牛乳とかも、お1人様1本限りなんですよね!」
 そうなのよねと、話が合う2人。シュラインはいつもならば零と一緒に行っているのだが、今日は彼女の姿は見えない。
「それじゃぁ、まず真帆ちゃんの家に寄って、それから買い物に行きましょう」
 はい!と返し、真帆はシュラインと一緒にそっと興信所を後にした。



* * *



 チョコレート色の制服を脱ぎ、真っ白なセーターと赤いチェックのミニスカートを穿くと、真帆は机の引き出しに入っているプチ旅行セットを取り出し、小振りの手提げバッグの中に入れた。
 依頼などで短期の遠出をする時―――1日は外にいなければならない依頼の場合 ―――に大活躍しているプチ旅行セットは、歯ブラシやシャンプー・リンスなど、必要そうなものがミニセットとなって入っている。
 パジャマも持っていく必要はないし、明日の朝か昼には帰れるため、特に替えの洋服もイラナイだろう。
 真帆はそう判断すると、プチ旅行セットとハーブティーの缶、そして来週の月曜日に提出期限の課題をバッグの中に入れ、部屋を後にした。
 家の前の路地では、マフラーに顔を埋めたシュラインが静かに待っていた。
 入りませんかと勧めたのだが、着替えて必要なものを揃えるだけなのだから、わざわざ上がるのも悪いし待っているわと返されてしまい、真帆は超特急で支度を整えた。
「すみません、遅くなりました!」
「全然遅くなんかないわ。むしろ、早くて驚いたもの」
 腕にかけたままだった白いコートに袖を通し、シュラインと並んで繁華街を通る。
 相変わらずクリスマスムード一色の町並みをボンヤリと眺めていると、ふとシュラインの足が止まった。
「真帆ちゃん、ちょっとココ見て良いかしら?」
 ショーウインドウには雪の結晶と真っ白な羽の天使が描かれているそのお店は、一見すると何のお店屋さんなのか分からなかった。ウインドウ越しに見える中には、男物のコートを羽織ったマネキンが立っており、洋服屋さんかと思えば、その隣にはシステム手帳やファンシーな雑貨が置かれている。
 強いて言うならば、何でも屋さんと言った感じだった。
「えぇ、良いですよ」
 自動ドアから中に入れば、暖められた空気が優しく真帆の身体を包み込んだ。甘い匂いに視線を左右に振れば、おいしそうなケーキやクッキーがガラスケースの中で大人しく座っている。
「クリスマスが近いけれど、真帆ちゃんは誰かにプレゼントあげたりしないの?」
 唐突にかけられた言葉に、真帆は「えっと‥‥」と言ったきり口篭った。シュラインはショーウインドウから見えた男物の黒のロングコートを見ている。シンプルながらもボタン部分や襟部分にデザイナーのこだわりが感じられるコートは、クールでお洒落だった。
 ――― あっ、草間さんにあげるんだ‥‥‥
 真帆は直感的にそう感じ、ふっと表情を緩めた。
 シュラインが眉を顰めながら振り返り、慌てて俯くとしどろもどろに言葉を紡ぐ。
「私は‥‥特にあげる人もいないですし‥‥あっ、でも、学校の女友達数人でプレゼント交換しようかって話は出てるんです。そっちはもう用意してありますし‥‥」
 真帆お勧めの紅茶セットは、既にラッピングして部屋の机の上に置かれている。
「そう言うのじゃなくて、真帆ちゃんは‥‥気になる男の子とか、いないの?」
 チラリと頭を掠めた顔に、首を振る。
 ―――気になるって、別の意味よ、きっと‥‥
 不思議な雰囲気だから、思わず見てしまう、気にしてしまう―――真帆じゃなくたって、誰でもそうだろう。
 彼、夢宮・麗夜は、双子の姉の夢宮・美麗と同じく、一度見た者は、まずは彼らの美しい顔立ちに、次にその身に纏っている不思議でやや色っぽい独特の雰囲気に惹きつけられる。
「いっ‥‥‥いませんよ!それに、クリスマスになんて会えないでしょうし、そもそも、いっつも忙しそうですし‥‥」
「誰が?」
 はっと口を両手で塞ぐが、声となって外に飛び出していった言葉を押し込める事は出来ない。
「違うんです!その、あの、えっと‥‥ちょっと思い出した男の子がいて‥‥何で思い出したのかは分からないんですけど、その‥‥‥あっ、そうだ‥‥‥もなちゃん!もなちゃんにクリスマスプレゼント買おうかなと思うんですけど!」
「そうね。私も武彦さんと零ちゃん、それからもなちゃんに何か買おうかしら」
 クスリと全てを理解した表情で微笑んだシュラインが、ぬいぐるみが置いてあるコーナーに歩いて行く。
 ―――変な態度とったの、おかしく思われちゃってるよね‥‥‥
 顔を赤くしながら、すふれを思い出す真っ白なウサギのぬいぐるみを手に取る。
「零ちゃんにはエプロン、武彦さんにはコート。もなちゃんには‥‥あぁ、このネックレスなんて可愛いと思わない?」
 シルバーの天使の羽が、蛍光灯の光りを鋭く跳ね返す。少し大人っぽいデザインだったが、もながしているところを想像し、真帆はにっこりと微笑むと「凄く可愛いと思います」と告げた。
 真帆は可愛らしいぬいぐるみ達の中から、真っ白な犬のぬいぐるみを手に取った。ふわりとした毛並みは柔らかく、抱いているだけで幸せな気分になれる。
「‥‥‥ねぇ、真帆ちゃん。少しでも気になる人がいるなら、何か贈ってみたらどうかしら」
「え‥‥‥?」
 優しい声に、顔を上げる。
「行動を起こさないで後悔するのと、行動を起こして後悔するのだったら、後者の方がずっと幸せな後悔の仕方だと思うの」
 寂しそうな瞳を見上げ、真帆は少し迷った後で、コクリと頷いた。
 ――― もなちゃんに渡してもらうように頼めば良い‥‥‥かな?



* * *



 夢幻館のお財布と言う魔法のアイテムを手に入れていた真帆とシュラインは、それでも慎ましく大特価と書かれた物を選んで買い込んだ。たとえどんなに高いお肉を買おうが、金銭感覚が狂っている夢幻館の住民達は文句など言ってこないだろうが、魔法のアイテムはいつでも手元にあるわけではない。彼らの金銭感覚に侵されてしまえば、破産することは目に見えている。
 興信所へと帰ってみれば、仮眠室の方からは何も音はしていない。まだもなは寝ているのだろうかと、そっと覗き込んだ先、可愛らしい光景を目にして思わず顔を見合わせて微笑む。
 ベッドですやすや寝ているもなと、大人しく抱き枕状態になっている“すふれ”と“ここあ”に、もなに手を握られながらベッドの脇で顔を伏せて眠っているらしい武彦。
「武彦さん、昨日は依頼結果の書類作りをしていて、寝るのが遅かったのよ」
 台所に買ってきた食材を並べ、シュラインがどこからか毛布を持って来ると武彦の肩にそっとかける。
「さぁ、もなちゃんと武彦さんが目を覚ます前に夕飯を作っちゃいましょう。真帆ちゃんはおかゆを作ってくれるかしら?」
 シュラインが出してくれた真っ白なエプロンを身に着け、お米をざっととぐと炊き上がるまでの間夕食作りの手伝いをする。
 お肉を5cm間隔で切り、片栗粉をつけて焼く。焼きあがったらみりんにお砂糖、お醤油にお水を加えて味を確かめ‥‥‥
「真帆ちゃんはプレゼント、何を買ったの?」
「手袋とマフラーです。ありきたりですけど、それなら使ってくれるかなーと思いまして‥‥」
 キャベツとシソの葉を千切りにする。シュラインほど手早く切れはしないが、真帆もなかなか上手かった。
「きっと使ってくれるわよ。‥‥私はプレゼント、今日渡しちゃおうかしら‥‥クリスマスはどうなるか分からないし‥‥」
 怪奇探偵・草間武彦の周りには、不可思議な事件が多々集まってくる。それらの事件はクリスマスだろうがお正月だろうが、来る時はこちらの都合などお構いなしに来てしまうのだ。
 ご飯が炊き上がり、真帆は冷蔵庫から牛乳を取り出した。
「牛乳粥を作るのね?」
 はい!と元気良く答え、真帆は牛乳とご飯、薄めのダシを加えてコトコトと煮込み始めた。
「‥‥今日の依頼結果を報告するの、辛かったわ‥‥」
 ポツリと呟かれたセリフに、反応して良いものか迷う。チラリと見上げてみれば、寂しそうな笑顔を浮かべたシュラインが真帆を見つめていた。
「高校生の時に好きだった女の子が、毎晩夢に出てくるんですって。とても苦しそうな顔で、助けてって‥‥」
 高校を卒業して5年、没交渉になっていた彼女は実家から離れ、東京に出てきているというのだが、1年ほど前から行方が分からなくなっていた。彼が言うには、彼女は夢の中で暗くて少し湿った、冷たいところにいるらしい。
 土の中だ‥‥‥直感的にそう思ったシュラインと武彦は、山中で他殺体となって埋められていた彼女を見つけた。
「‥‥‥彼女もね、ずっと彼の事が‥‥好きだったらしいの」
 言えば良かった。戻らない過去への後悔は、聞いていて辛く悲しいものだった。
 シンミリとした空気を溶かすように、甘い良い香りが漂う。真帆は出来上がったお粥を味見した後で、丼の中に移した。
 カチャリと仮眠室の扉を開けてみれば、やや顔色の良くなったもなが“すふれ”と“ここあ”そして武彦と一緒になにやら作っているところだった。一生懸命のその背中は扉が開いた事にも気づいていないらしく、真帆はなるべく驚かさないように気をつけながら声をかけた。
「なにをしてるんですか?」
「ん、あぁ‥‥折り紙をな‥‥」
 鶴や奴、風船などがテーブルやベッドの上に無造作に並べられている。
「武彦ちゃんね、鶴の作り方わかんなかったんだよー!」
「もう何年も作ってないんだから、仕方がないだろ」
 苦々しく言いながら頭を掻く武彦に、ご飯が出来ているから先に食べてきてくださいと告げる。
「私はもなちゃんにお粥を食べさせた後で行きますから」
 頼んだと言って出て行く武彦を見送った後で、真帆は折り紙で作られたものをひとまず邪魔にならないところにどけると、ベッドに腰を下ろしてもなの額に手を当てた。大分熱は下がっているようだが、それでもまだ高い。
「もなちゃん、牛乳粥作ったから、食べて?」
 真っ白なお粥をスプーンですくい、ふーっと息を吹きかける。
「‥‥食べたくない」
「気持ち悪いの?」
 フルフルと首を振る。理由を聞いても、ただ食べたくないしか言わない。
 ――― 食べられないなら無理に食べさせちゃダメだけど、食べられるんなら食べさせないとダメだよね‥‥‥
 どうしようか‥‥‥
 悩んだのは一瞬だった。真帆はすぐに作戦を思いつくと、あえて寂しそうな顔を作った。
「もなちゃんが早く良くなってくれるように頑張って作ったのに‥‥‥食べてくれないんだ‥‥‥」
 もなが困ったように視線を左右に振るが、まだ口を開けてくれる様子はない。
 オロオロと考え込んでいる様子のもなに、あともう一息で食べてくれるかもしれない、そう思った真帆は立ち上がった。
「もなちゃんが食べてくれないなら‥‥‥」
 ウルリと瞳を潤ませ、お粥をテーブルの上に乗せるとドアへ向かう。
「行っちゃヤダーっ!!」
 もなが必死に真帆の後を追い、ギュっと背中に抱きつく。
「‥‥‥じゃぁ、お粥食べてくれる?」
 コクコクと頷くのを背に感じ、真帆はにっこりと微笑んだ。
 もなをベッドに連れて行き、あらかじめスプーンの上で冷ましておいたお粥を口元に運ぶ。もそもそと咀嚼したもなが、ゴクンと飲み込むのを待ってから次のお粥を口元に運ぶ。
「おいしい‥‥‥」
 ありがとうとお礼を言い、真帆はそっともなの頭を撫ぜた―――



* * *



 台所の片付けを終え、もなを寝かしつける役を買って出たシュラインに家から持ってきた風邪によく聞くハーブティーを渡すと、真帆はバッグの中から数学の課題を取り出した。
 デスクで書類を作成している武彦の前にエキナセアとリコリスをミックスしたハーブティーを置き、ソファーに座ると一口飲む。独特の香りと甘みにそっと目を瞑り――― 数学のノートを開く。
「勉強か?」
「えぇ、明後日提出期限の課題があって‥‥」
 難解な数式に悩んでいる真帆を見かねて、武彦が家庭教師を申し出る。
 意外と分かり易い教え方に、縺れた糸がスルスルとほどけていくのを感じる―――
「そう言えば樋口は夢幻館の連中と面識があったよな‥‥?」
「はい。皆さんにお会いした事はないんですけど‥‥」
「気になるヤツとかいないのか?あそこ、性格はアレだが見た目は良いだろ?」
 見た目だけで人を好きになるほど惚れっぽくはないと反論しようとし、真帆はハタと口を閉ざした。
「武彦さんこそ、シュラインさんのことは良いんですか?」
 少々意地悪かなと思いつつ、真帆はチラリと横目で視線を向けた。
 明らかに慌てているらしい武彦が、灰皿を引き寄せると煙草に火をつける。
「シュラインさんって美人ですし、性格だって素敵ですし、良い人ですし‥‥‥」
 他の人に持ってかれちゃっても知らないんですからね!
 そう続くはずだった言葉は、仮眠室から聞こえてきたもなの声でかき消された。
 激しく泣くもなを宥めているシュラインの声に、ただならぬものを感じた真帆が慌てて扉を開ける。
「どうしたんですか!?」
「あぁ、真帆ちゃん‥‥どうやらもなちゃんがね、怖い夢を見たようで‥‥‥」
 背中を撫ぜて何とか落ち着かせようとするが、なかなか上手く行かない。
「お人形、が‥‥‥追っかけて‥‥‥夢幻館、真っ暗で‥‥‥だれ、も‥‥‥いなく、て‥‥‥」
 泣きじゃくるもなの背中を優しく撫ぜていると、やがて彼女の嗚咽が聞こえなかった。落ち着いたもなに安心し、シュラインがそっと部屋を出て行く。
「‥‥‥もなちゃんは、どうして眠るのがイヤなの?」
 まだ濡れている頬を指で拭ってあげながら、真帆はもなの華奢な身体をベッドに寝かせた。
「怖い夢を見るから?」
「‥‥‥それも、怖い。でも、もっと怖いのは‥‥‥目が覚めると、必ず、思い出すから」
 茶色い――― どこまでも澄んだ瞳が、真帆を見上げる。
 複雑な感情に染まる瞳は、パチリと大きく瞬くと、滲みそうになる涙を隠し、微笑んだ。
「ママとお兄ちゃんはいないんだって、思い出すから。暗い部屋で一人でいると、思い出すから。死んじゃったんだって‥‥‥」
「もなちゃん‥‥‥」
 泣いても良いんだよ。
 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。必死に涙に耐えているもなの心を、砕く事は出来ない。その必死さを否定する事は、出来ない。
 手を繋いでも良い?
 そんな可愛らしいお願いに、真帆は頷くとそっと小さな掌を包み込んだ。
 優しく髪を撫ぜ、もう怖い夢なんて見ないからと言い聞かせ、子守唄を歌う。
 トロリ、トロリと瞳の光が失われて行き――― ふっと、もなの瞳が閉じられる。
 ――― 楽しい夢を見てね、もなちゃん‥‥‥
 もう怖い夢なんて見させないから。だって、見るなら楽しい夢の方が良いでしょう ―――?
 シンと静まり返る12月の夜、繋いだ掌から伝わってくる柔らかな体温と、聞こえる優しい歌声。
 いつしか真帆も目を瞑り、夢の世界へと旅立った――――――



* * *



 カーテン越しに差し込んでくる朝の日差しに、真帆は目を開けた。
 いつの間にか眠っていたらしい真帆の身体はベッドに横たえられており、スヤスヤと気持ち良さそうに眠っているもなは大分熱が下がっているようだった。
「おはよう」
 聞こえた声に振り返る。
 黒いさらさらの髪に、深い漆黒の瞳。部屋の隅に立っていた麗夜は、壁から身体を起こすと微かに微笑んだ。
「えっ‥‥‥れ、麗夜さ‥‥‥」
「静かに、もなが起きるだろ?」
 眉を顰められ、慌てて口を噤む。
「でも、どうして麗夜さんがここに‥‥‥?」
「迎えだよ。冬弥が俺の仕事を代わってくれてさ‥‥‥」
 何でだろうな?と問われても、真帆にだって分からない。
「うにゅぅ‥‥‥あしゃ、れしゅかぁ‥‥‥?」
 モゾモゾと起き上がったもなが、目を擦りながらトロリとした瞳を真帆と麗夜に向ける。
「あ、れーやちゃんだぁー」
 ヘロリとした無垢な笑顔を向けられ、麗夜が今まで見たこともないような可愛らしい ――― 男の人に可愛らしいって使っても良いのかな?と、真帆は一瞬悩んだが、それ以外の形容の仕方が分からないのでしょうがない ――― 笑顔を浮かべ「おはよう」と囁く。
 ジーっと見つめる真帆の視線に気づいた麗夜がはっと顔をこわばらせ、わざとらしく咳払いをすると興信所の方へ出て行く。
「まほたんも、おはよー」
「おはよう、もなちゃん」
 ろれつの回っていないもなが、真帆に抱きついて――― コックリ、コックリと舟をこぎ始める。
「2人ともお早う。‥‥‥あら、もなちゃんはまた眠っちゃいそうね」
「外に迎えの車も来る時間ですし、エマ様、もな様の着替えをお願いできますか?」
 穏やかな微笑を浮かべ、丁寧な物言いでシュラインに頼む麗夜の姿に妙な違和感を感じる真帆だったが、彼は本来ならばこの口調であり、純粋無垢で無害な大人しい男の子なのだ。
「今って、何時ですか?」
「7時半よ」
「仕事が早く片付きまして、早朝にご迷惑かとは思いましたが‥‥‥」
「いや、今日はこっちも予定があったから、早く来てくれて助かった」
 それは良かったですと安堵した表情を浮かべ、麗夜が真帆の手を引いて興信所へと出て行く。代わりにシュラインと武彦が部屋の中に入り―――パタンと、扉が閉じられる。
「‥‥‥麗夜さんって、演技がお上手ですよね」
「遠まわしに非難されてる気がするんだけど‥‥‥」
 そんなつもりはなかったです!と言ってはみるものの、麗夜は呆れたような顔をして黙っているだけだ。
 ――― はぁ、どうして私ってこんな麗夜さんに嫌われてるんだろう‥‥‥
 何か気に障るようなことでもしたかな?と考えてみるが、思い出せない。
「あ、そうだ。ちょっと目瞑って」
 興信所のソファーの上に置かれたもなの荷物を片付けていた麗夜が、唐突にそう言うと真帆の前に立った。
 どうしてですか?と聞こうとしたのだが、何となく麗夜の迫力に負けて素直に目を瞑ってしまう。
 暗闇の中、サラリと髪を触られ――― こめかみ部分の髪が、スルスルと三つ編に編まれる。反対側も三つ編にし、もう良いよとの声に、おそるおそる目を開ける。
「魅琴からさ、髪の毛の長い可愛い女の子のクリスマスプレゼントには何を買えば良いかって聞かれたんだよ」
 髪を見る。普段と同じに編まれた髪の下、真っ白なレースのリボンが結ばれていた。
「適当に答えたら、じゃぁ明日もなを迎えに行く時に持って行って欲しいって言われてさぁ‥‥‥」
「あ‥‥‥有難う御座います!私もクリスマスプレゼント用意していて‥‥‥」
 ソファーの上に置いてあった、マフラーと手袋の入った袋を手渡す。クリスマスカラーのラッピングに麗夜が眉を顰め、困ったように真帆を見つめると口を開いた。
「魅琴に渡せば良いの?」
「いいえ、それは麗夜さんの‥‥‥って、魅琴さんに頼まれてのプレゼントなんですよね、コレ!?ってことは、魅琴さんにお返しをしなくちゃならなくて、でも、それは麗夜さんのために‥‥‥」
 パニックに陥った真帆を見て、麗夜がクスクスと笑い出す。
「――― わ、笑わないで下さいよう!」
「だって‥‥‥‥‥」
 ひとしきり笑った麗夜は「魅琴にはお前が言ったとおりだったって言っておくよ」と意味不明の事を呟くと、仮眠室から出てきたシュラインにお礼を言い、もなを抱いた武彦と一緒に外へと出て行った。
「真帆ちゃんは家まで送ってもらったら?」
「え、でも悪いですし―――」
 言いかけた真帆の言葉を制するように、扉が開く。
「樋口様、家までお送りいたしますのでどうぞ」
 有無を言わせぬ麗夜の調子に、ついつい引きずられてしまい、黒塗りの高級車に乗り込む。
 見送るシュラインと武彦に手を振り――― 車が発進する。
「最初に夢幻館に寄って良いか?もなを置いてから、家まで送る」
 運転する黒服の男性にそのように伝え、麗夜は背もたれに身体を預けると窓の外に視線を向けた。
 黒い髪に、黙っていれば大人しそうに見える顔立ち‥‥‥真帆の1学年下にいる、女の子に絶大な人気のある“王子様”にに少し似ている気がする‥‥‥。
「そう言えば、ウチの学校に麗夜さんに似た雰囲気の子、いますよ。1学年下で‥‥‥」
 にっこりと微笑んだ麗夜だったが、目は笑っていない。
「真帆ちゃん、俺、君よりも1つ年上なんだけどな‥‥‥年下に似てるって、何?」
「べ、別に麗夜さんが子供っぽいとか、そう言う意味じゃなくて―――!」
 ムギューっと頬っぺたをつねられる。両頬が引っ張られ「いひゃいれすー!」と叫ぶが、止めてくれる気配はない。
 暫くジタバタした後でようやく解放された時、真帆の頬っぺたは桜色に染まっていた。
「んもー!暴力反対です!」
 確かに、年下に似てるなんて言った私も悪かったかもしれませんが、だからってこんなことしなくても―――
 プリプリと怒る真帆の膝の上に、コロンと何かが乗っかった。長方形のソレは、真帆の勘違いでない限りは口紅で‥‥‥
「おまけ。って言っても、真帆には似合わないかもしれないけど?」
 薄い桜色の口紅の可愛らしい色合いを前に、麗夜の憎まれ口は少しも気にならなかった。
「有難う御座います!大切にしますね!」
 真帆は元気良くそう言うと、もなの看病に疲れてバッグの中で大人しくしている“すふれ”と“ここあ”の隣にそっと口紅を滑り込ませた。



「麗夜君、どんなプレゼントをあげたのかしら‥‥‥」
 シュラインの呟きに、武彦がコーヒーをすすると顔を上げる。
「夢宮がプレゼント?」
「えぇ。冬弥君情報によると、真帆ちゃんがプレゼントをあげる相手は麗夜君みたいなの。でも、彼はそう言うのしないタイプだって聞いたから‥‥‥」
「聞いたから?」
「魅琴君に頼んで、麗夜君を説得してもらったの。真帆ちゃんにプレゼントをあげてねって」
「それは随分‥‥‥」
「大きなお世話だったの、分かってるわ。でもね、クリスマスも近いんだし‥‥‥皆笑顔になれれば素敵でしょう?」
「まぁ、夢宮の性格上、樋口がプレゼントを用意してるって分かったら、自主的に買いに行くだろうけどな」
「え!?そうなの?でも、冬弥君が‥‥‥」
「興味ないヤツとかどーでも良いヤツ以外には基本的に優しいぞ。気分屋だし、口は悪いし、不器用だしで、分かりにくい優しさの時が多いけどな」
「そうだったの‥‥‥」
 シュラインは小さく呟くと、窓に手をつけ、今にも雪が舞い落ちてきそうな空を見上げた―――――



END


 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  6458 / 樋口・真帆 / 女性 / 17歳 / 高校生 / 見習い魔女


  0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員


  NPC / 片桐・もな

  NPC / 草間・武彦

  NPC / 夢宮・麗夜


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 お届けが遅くなり、申し訳ありませんでした。
 少々途中、百合になりそうな危機を感じつつ、なんとか最後まで妹(もな)と一生懸命看病する姉(真帆ちゃん)のようになっていればと思います
 最後に麗夜が登場していますが、相変わらずで申し訳ありません‥‥
 もう少し可愛気があれば良いのになぁと思いつつ、頬っぺたつねったりの暴力男です。
 きっともなか美麗に泣きつけばなんとかしてくれるでしょう‥‥‥!
 今回も、真帆ちゃんの可愛らしさが出せていればなと思います。
 ご参加いただきましてまことに有難う御座いました!