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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


雪色のマッチ売り



 街行く人に声をかける。 マッチはいりませんか?マッチを買ってください。
 でも、誰も足を止めてくれない。
 皆寒そうに肩をすぼめ、足早に通り過ぎていくだけ。
 大粒の雪が舞い落ちる中、少女はカゴに入ったマッチを見つめ、かじかんだ指先に息を吹きかけた。
 そして ―――――
「白雪姫は王子様が来ててくれる。シンデレラだって、王子様が助けてくれる。それなのに、私はマッチの中の幻想に夢を抱き、最後には‥‥‥」
 涙が零れ落ちる。 どうして自分は悲しいお話の主人公なんだろう、そう思いながら。
「もう、イヤ‥‥‥」
 主人公の漏らした悲痛な叫びに気づくものは、誰もいなかった。



 壁に並べられた大量の本を見上げながら、この家の住人・世羅は溜息をついた。
「いつかはやると思ってたんだけどねえ‥‥‥」
 マッチ売りの少女のお話から、主人公の少女が抜け出してしまった。
 物語は動かなくなり、他の登場人物が困ってしまっている。
 ――― どうしたものかねえ‥‥‥
 深い溜息をついた時、誰かが家の前に立っている雰囲気を感じ、世羅は口元に笑みを浮かべた。
「良いタイミングで迷い込んで来たものだ‥‥‥」



* * * The Little Match Boy * * *



 不思議なくらいに人影のない街を歩きながら、桐生・暁は乾燥した冷たい空気を吸い込んだ。 マフラーに顔を埋め、鼻をすする。手袋をした手はコートのポケットに突っ込まれており、遠い昔 ――― まだ暁が不幸と言うものを良く理解できていなかった時代 ――― 父親に叱られた事を思い出す。 手をポケットに突っ込んだまま歩いたら、転んでしまうよ。優しい助言に、暁は可愛らしい笑顔で「平気だよ!」と自信満々に答えた。 その直後に足元を捉えた小石の感触は、未だに忘れていない。近付く地面と、ポケットに引っかかったまま出ない手と、顔を擦りむきさえしなかったものの、肩を強打し、膝小僧を擦りむいた。
 だから言っただろう! 痛みに泣きじゃくる暁に、父親は厳しい口調でそう言った。顔は明らかに怒っており、それでも暁を抱き上げると大きな手で優しく頭を撫ぜてくれた。
 失敗をしても、それをまた次に活かせば良い。同じ失敗をしないように気をつければ良い。 父の言葉はいつだって、間違っていなかった。だから暁は、それ以来ポケットに手を入れて歩く事を止めた。‥‥‥最愛の人が亡くなる、その日まで‥‥‥。
 感傷に浸っていた暁の足が、信号によって止められる。黄色く点滅していた光りは、暁をこの先へ行かせまいとでもするかのように、唐突に赤色に切り替わった。
 車すらも通っていない街は静かで、まるで世界中が眠っているかのようだった。
 腕時計に視線を落とす。 既に学校は一時間目が終わり、二時間目に差しかかろうとしている。
 この信号を抜けた先 ――― 緩やかな坂を上がり、右に曲がり、さらにいくつか信号を通り過ぎた先 ――― には暁の通う神聖都学園がある。
 ――― 今日、学校行くのやめようかな ‥‥‥
 憂鬱な気持ちが暁の行動を緩慢にし、思い切って家を出た時には一時間目が始まっていた。直接学校へ行く気になれず、ブラブラと街を歩き彷徨い、やっと決心して学園への道を歩き出したのは良いのだが、やはり気持ちは重たいままだった。
 金色の髪と、赤い瞳。西洋人のように透き通った白い肌に、整った顔立ち。 暁はクラスでも目立つ方で、明るく誰にでも気さくな性格は男女を問わず人気だった。 だからこそ、女の子から告白されることには慣れていた。相手の真剣な気持ちを受け止め、相手が傷つかないよう細心の注意を払って言葉を選び、やんわりとお断りする‥‥‥決して難しくはない事だった。 時には目の前で泣かれることもあるし、逆ギレをされることもあるが、それでも翌日は何事もなかったかのように振舞う事が出来た。 ‥‥‥ただ、昨日暁に告白をしてきた女の子は、少し事情が違った。その子供は、クラスでも仲の良い男の子が好きだと言っていた女の子だった。
 可愛らしい顔立ちをしたその子の事を、彼がどれだけ好きなのか、暁は散々聞かされてきた。 時折こちらを見つめる視線に気づき、もしかして両思いなのかもしれない、一時はそう思った暁だったが、彼ではない友人と一緒にいる時も感じる視線に、彼女が好きな相手が自分なのだと気づいた。
 やんわりと申し出を断り、帰った教室で、夕陽をバックに窓際に立った彼は、掠れた声で暁の名前を呼んだ。 「桐生、どうしてお前、彼女作らないんだ?どうしてあの子の申し出を断ったんだ?」どうして、告白されたって思うの?「俺が今、アイツに告白したら、無理だって‥‥‥桐生君の事が好きなんだって言われたから」どうして、断ったって思うの?「お前はそう言うヤツだから」
 愛が欲しいと言う唇は、即座に恋愛を否定する。 好きと紡がれた音は、即座に嘘だと否定される。
 空を漂う雲が、落ちかけた太陽の光りを遮る。 薄暗くなった教室内で、彼は今にも泣きそうな笑顔を作ると、たった一言だけ呟き、机の上に置いてあった鞄を取ると教室から出て行った。
「お前って、可哀想だよな‥‥‥」
 思いのほか深く心に刺さった言葉に、暁はその場にへたり込んだ‥‥‥‥‥
 ――――― ふと、微かに聞こえた声に、暁は思考を中断した。 顔を上げ、周囲を見渡してみるが、相変わらず死んだような街には人の影も形も見つけられない。
 気のせいかな。 そう思いかけた時、グイと誰かが暁の手を引っ張った。
「もう、イヤなの‥‥‥」
 囁かれた声は甲高い子供の声で、小さな女の子だと思った瞬間、暁の身体は不思議な世界へと引っ張られた‥‥‥。



 目を開ければ深い森の中、すぐ前には可愛らしい丸太小屋が建っている。
 ――― ここはいったい何処なんだろう?
 考え込む暁の目の前で、扉がゆっくりと開き、着物を大分着崩した豊満な体つきの美女が訳知り顔で立っていた。
「おやまあ、随分と可愛らしい男の子だねえ。さ、こっちにいらっしゃい。 なあに、取って喰いなんかしないよ。あたしの名は、世羅ってんだ。ここの書店の店長さ。ま、書店って言っても、誰が来るでもないけどねえ」
 招かれるまま上がりこんだ先は、天井まで届く大きな本棚に囲まれていた。 世羅が木の椅子に腰を下ろし、暁も丸テーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろす。本の匂いと木の匂いが混ざった空間は、どこか心安らげる雰囲気だった。
「丁度良いタイミングで迷い込んできてくれたねえ」
「桐生・暁って言うんだ。えっと‥‥‥世羅さん?」
「そうかい。暁、ねえ‥‥‥良い名だ」
 母親のつけてくれた名前を褒められ、暁は年上の美女に純粋な笑顔を向けた。
「暁、あんたにね、頼みたい事があるんだよ。 このお話、知っているね?」
 マッチ売りの少女と書かれた背表紙を前に、暁は頷いた。 世羅が細い指で本をクルリと回せば、表紙には何も描かれていない。本来ならばそこにはマッチ売りの少女がマッチを片手に座っているはずなのだが‥‥‥。
「マッチ売りの少女がねえ、逃げ出しちまったんだよ。なにせ、悲しい話じゃあないかい?マッチ売りの少女もねえ、精神的に参っちまってるんだよ」
「そうだね。可哀想なお話の主人公だから‥‥‥」
 どこか自分と似ているかも知れない。 その考えを、暁はすぐに否定した。 マッチ売りの少女は、お祖母さんの所にしか行き場所がなかった。誰も彼女に手を差し伸べてくれなかったから‥‥‥。 暁はまだ、両親のところ以外にも行き場所がある。だからこそ、まだ生きている。
「でね、あんたにマッチ売りの少女の代役を頼みたいんだよ。なに、一回分終わる頃には本物を連れて戻ってくるさ。 あんたは物語の中に入り、あんたなりの行動をしてくれればそれで良い」
 お話を止めない限りは何をしても良い。 世羅のそんな言葉に、それでも暁は渋った。
「だって、このお話って最後‥‥‥」
「安心しな。あんたが終わりまで行くのがイヤだって言うんなら、終わる前に助け出してあげるから」
 世羅の力強い言葉に促され、暁はマッチ売りの少女の絵本に手を乗せた。
「ああ、そうそう。これ、御守りだよ。持っときな」
 世羅に手渡された御守りを掌に、暁はすっと目を閉じた ―――――



* * *



 真っ白な雪が、世界を覆う。 銀色に染め上げられた世界は美しく、それでいて何処かよそよそしい。
「マッチはいりませんか? マッチを買ってください」
 男性にしては心持ちやや高めの声が、寒さに震え、帰路を急ぐ人々の間から聞こえて来る。
「マッチはいりませんか?」
 金色の髪に、血のように赤い瞳。白い肌は街行く人々のそれよりもやや白く、華奢な身体には薄手のシャツとズボンしか纏っていない。足元は裸足で、先ほどまで履いていた靴は、突然現れた近所の悪ガキに奪われてしまった。
「マッチを買ってください」
 最近の若者風の少年が売るマッチに、足を止めてくれる人はいない。
 彼の派手な容貌を見て顔を顰め、最近の若者はどうしてああも派手なのかと、こそこそと囁き合いながらも去って行く。
「マッチを‥‥‥」
「五月蝿いぞ!」
 ステッキを持った男性が、暁を突き飛ばす。 カゴに入っていたマッチが零れ、暁は冷たい雪の上に尻餅をついた。
 泣きそうになるのをグッと堪え、落ちたマッチを拾い集める。 ‥‥‥濡れたマッチはもう、売り物にはならないだろう。
 周囲の人々は遠巻きにその光景を眺めるだけで、みすぼらしい格好をした彼に手を差し伸べてくれる者はいない。
 こんな寒空の下、薄着で暁を外に放り出した男性の顔を思い出す。 太った身体に、右手には何時もビール。足をテーブルの上に乗せ、いつも人を見下したような横柄な態度の男性は、今日も散々暁をこき使った後で、マッチが全て売れるまで帰ってくるなと言い、外に放り出した。
 刹那だけ浮かんだ恨みを、押し殺す。
 ――― せっかく俺を置いてくれてるんだ。頑張らないと‥‥‥
 吸血鬼の血が混じる暁は、両親が亡くなった後で親戚中をたらい回しにされた挙句、遠い親戚だという男性のもとに連れて来られた。 人望もなく、怠け者でどうしようもない人間だと評されていた男性は、わずかばかりの謝礼と引き換えに暁を家に入れてくれた。 たとえそれが、小間使いとして、奴隷として家に置いてやろうと言うだけだったとしても、親戚中で気味悪がられ、疎まれ続けた暁にとっては幸せだった。
 血を摂取しなければ生きられない暁は、普通の生活は出来なかった。また、普通の生活を望んだ事もなかった。
 お腹が鳴り、昨日の夜から何も食べていない事を思い出す。
 吸血鬼の力を使えばいくらでもマッチが売れる事を、暁は知っていた。 けれども、今は飢えのせいでその能力は使えない。
 寒さは容赦なく暁の体から体温を、体力を奪って行く。
 散らばったマッチを拾い集めたマッチ売りの少年は、人々の視線から避けるように急ぎ足で大通りを後にした。



 別の大通りに来たところで、やはりマッチは一向に売れない。 寒さにかじかんだ手に白い息を吹きかけた時、幸せそうな顔をした黒髪の少年がふっと前を通り過ぎた。
 この街では珍しい、漆黒の髪と闇色の瞳をした少年は、両親の手を握ると嬉しそうに何かを語りかけていた。
「今日ね、学校で雪合戦したんだよ! 他にもね、雪だるま作ったりして遊んだんだ」
「楽しかった?」
「うん、とっても! でもね、すっごく寒くって‥‥‥ママの作ったホットミルクが飲みたくなっちゃった」
「じゃぁ、家に帰ったら作ってあげるわね。あなたも飲むでしょう?」
「あぁ、貰おうかな」
「それじゃぁ、早く帰って暖炉の前で皆で飲もう! あ、そうだ。今日ね、勉強で分からないところが‥‥‥」
「君、ちょっと良いかな?」
 微笑ましい親子に気を取られていた暁は、背後から近づいて来た警察官に気が付かなかった。
 とっさに捕まると思い、手を振り解いて走り出す。
「あ、君っ!!」
 制止の声を振り切って、人々の間をすり抜けて走った先、細い路地の途中で雪に足を取られ、暁は盛大に転んだ。
 擦りむきこそしなかったものの、膝は鈍い痛みを発しており、手も赤く染まっている。
 空腹のためか、血への渇きか、寒くて仕方がない。 降り積もる雪は綺麗で、それでも暁の身体に舞い落ちてきた雪は無情にも体温を奪い、儚く溶けて行く。まるで、私の命を奪ったのは貴方だと訴えているかのように、ジワリと水に戻ると暁の身体を滑って行く。
 細い路地からは、切り取られた大通りが見えた。 過ぎ去っていく人々の顔は皆嬉しそうで、楽しそうで ――― けれど、その全てがだんだんとぼやけていく。 景色が歪み、人々の顔が歪に崩れ、ついには形すらも壊れて行く。まるで子供の落書きのように、主線が波打ちだす。
 雪の上に寝転び、目を瞑る。 凍えきった身体はまどろむことなく、瞼の裏には歪んだ風景が張り付いている。
 紺色のコートを羽織った男性と、マシュマロのような軽やかなケープを羽織った女の子が混じり合い、くるくると踊りだす。その隣からは帽子を被った少年が現れ、歪んだ身体を回しながら彼らに合流する。
 遠くから、楽しそうな声が漏れ聞こえてくる。 大通りでは、母親にお菓子をねだる少年の声が聞こえ、少女の甲高い笑い声が雪を跳ね飛ばすかのように華やかに聞こえてくる。 厳かな聖歌は、おそらく両側に聳えるレンガのアパートのどちらかから聞こえてきているのだろう。
 ――― あぁ、どうして世界はこんなに‥‥‥幸福に包まれているんだろう‥‥‥
 皆が笑い、大切な人達と腕を組み、雪の世界を走り回る。凍えるような寒さも、繋いだ手から温かく溶けていく。楽しい笑い声や、尽きることのないお喋りは白い帯となり、後方へと流されていく。
 暁は目を開けると、カゴの中に残ったマッチ箱を取り、一本擦った。 ポワリと灯ったオレンジ色の光りは弱く、それでいて優しい。 一瞬の暖に薄く微笑んだ時、炎の向こう側に懐かしい顔が見えた。あっと思った時にはマッチの炎は消え、愛しい人達の姿はあっけなく掻き消えた。
 マッチ売りの少年はカゴに残ったマッチの全てに火をつけた。
 揺れる炎の向こう側で、父が、母が微笑んでいる。まだ幼い暁がそれぞれと手を繋ぎ、暖かそうな春の街を歩く。美しく優しい母が暁の頭を撫ぜ、時に厳しく、時に温かく暁を愛してくれた父親が、幼い彼に何かを囁き、にっこりと微笑む。
 無音の映像は、懐かしい声を届けてはくれなかったが、それでも暁は満足だった。
 炎の中の幼い暁の体が、地面から数センチ浮く。グイッと手を引き上げて貰い、ブランコのように揺れる。 今の暁から見れば、折れてしまいそうなほどに華奢な母親は、それでも当時の彼から見れば立派な大人の女性だった。 今見ても優しい父は、思わず見とれてしまうほどに整った顔立ちをしており、親子はどこからどう見ても微笑ましく、幸せに包まれている。
 そう‥‥‥それはよくある親子の、微笑ましいワンシーンだった。 そのたったワンシーンを暁に見せた後で、マッチは儚く消えた。
 先っぽが黒くなったマッチを雪の上に投げ、綻んだような笑顔を浮かべる。
 辛い人生を乗り越えるうちに自然とそうなってしまった、シニカルな笑みは、もうどこにもない。先ほどまで聞こえていた声も、聖歌も、全ては雪の向こう側に隠れてしまい、暁の耳にはもう何も聞こえない。
 鈍色の雲から止め処なく落ちてくる結晶を見上げているうち、徐々に空が白んできた。 視界の端からジワリと消えていく色を前に、暁は目を閉じた。閉じてもなお、侵食していく白に、思い出すのはあの日の雪‥‥‥。
 雪と、赤い血と、始まりの時と、命の終わりと ―――――
 このまま、目を閉じて、意識を白ませ、全ての感情も、感覚も、この世に置いてきてしまえれば‥‥‥
 俺も、貴方達の元へ行く事が、出来ますか ――――― ?


「それは無理だねえ。だって、その世界は所詮、お話の世界だからねえ‥‥‥」


 胸元に入れておいたお守りが、熱を発する。
 急速に沈んでいく意識を前に、それでも温かくなる体と、生まれてくる感情と。 物語から引き戻される時、誰かが暁の頭を撫ぜ、優しく抱きとめてくれた。 それが誰なのかを確認する前に、暁の身体は物語の世界を後にした‥‥‥。



* * *



 薪が爆ぜる音に、暁は目を開けた。 凍てつくような寒さから一転、暑いくらいの部屋に飛び起きる。
「悪かったねえ、もう少しで死なせちまうところだったよ。 ま、物語の中で死のうと、強制的に物語の最初に飛ばされるだけだから、害はないんだけどねえ」
「俺‥‥‥」
「安心しな。マッチ売りの少女はちゃあんと見つけてきたから。 もうマッチ売りの少年は必要ないよ」
 それにしてもアレだねえ、マッチ売りの少年って言うと一種違和感があるねえ。マッチ売りは少女だって固定概念が確立されちまってるからかも知れないけどねえ。でも、なかなかどうだい、マッチ売りの少年でも良いんじゃないかねえってあたしは思うんだけどねえ。 世羅の独り言ともつかぬ言葉を聞き流し、暁は最後に身体を抱き締め、頭を撫ぜてくれた人の事を思った。
 ――― アレは、一体誰だったんだろう?
 父か、母か、それとも全く別の誰かか。
「あんたの生き方って疲れないかい?」
 唐突にかけられた言葉に、暁は暫し言葉を失った。 どう答えたら良いのか分からず、表情すらも作れずに固まってしまう。
「なに、あたしはねえ、世界中の色々な本を知っているんだよ。中にはねえ、未来を見通せる本とかねえ、過去を見る本とかねえ、色々あるんだよ。あたしはホラ、年がら年中暇だからねえ、全ての本は読んじまったし、覚えもしちまったんだ」
「世羅さんは、俺の事を知ってる‥‥‥?」
「知ってるよ」
「じゃぁ、俺の未来も‥‥‥」
「ああ、知ってはいるけどねえ。 暁、良いかい、よく聞くんだよ」
 まるで母親が聞き分けのない子供に何かを言い聞かせる時のように、世羅は視線を暁に合わせると優しく微笑んだ。
「未来を記した本はねえ、必ずしもその通りになるわけじゃあないんだよ。 複雑な感情の変化、人と人との結びつき、そう言うのでねえ、大分変わってきちまうんだよ。未来の本はねえ、たとえお話を間違えたところで、関係ないんだよ。なにせねえ、間違えたと思った時にはすでにその出来事は過去の本に記されちまってるからねえ」
「随分いい加減なんだね」
「ま、未来を記そうって方が、無理な話しなのさ。 せっかく手伝ってくれたんだから、何かお菓子や飲み物でも出してあげたいところだし、もっと話してみたい気もするけど、あんたはそろそろ向こうの世界に帰らなくちゃあならないだろう?」
「そう言えば俺、信号で引っかかってる時に誰かに手を掴まれて‥‥‥」
「マッチ売りの少女だよ。 ああ、そうだ。この本はあんたにあげるよ。マッチ売りの少年なんて個性的な話し、誰が買ってくれるか分からないしねえ。それに、この話はあんたが持っていた方が良いと思うからねえ」
 マッチ売りの少年と書かれた本を受け取れば、表紙には金色の髪の少年が赤い瞳をマッチの炎にジッと向けているシーンが描かれていた。 やや幼い顔立ちをしているものの、それは紛れもなく暁だった。
「さあ、あんたは現実の世界に帰りな。 今日は助かったよ、有難う」
「俺も結構楽しかったし‥‥‥」
 ふっと、本屋の中を流れる風が変わった気がした。 微かな変化を帯びた風は暁の身体に絡みつき、ふわりと意識を薄めて行く。
「世羅さん。さっきの質問だけど‥‥‥。 たまに、疲れる時もあるよ。でも、まだ‥‥‥会いに行くのは、早いから」
 ――― 逢いたくて、温かな腕に抱いて欲しくて ――― けれど今はまだ、逢いに行く時ではない。 精一杯生き抜いて、未来が閉ざされ、全ての道が壁に囲まれ、壁を乗り越えようと足掻き、それでもどうしようもなくなった時になって ――― 出来る全ての事をやり遂げた時になって ――― 初めて、空への道は続くと思うから。
 今はまだ、空へと続く光りの道は雲に覆われているから‥‥‥。
「そうかい。つまらないこと訊いちまったみたいだねえ。 それじゃあ、お詫びと言っちゃあ何だけど、あんたに一つ良い事を教えといてやるよ。 現実世界に帰ったらねえ、今あんたが悩んでいることが、解消されるよ。憂鬱な気持ちが、吹き飛ぶはずだよ」
 世羅の声と、悪戯っ子のような三日月の唇を最後に、暁の意識は沈んで行った‥‥‥。



 街の雑踏、車のクラクション、通りを一本抜けた先にある商店街から低く聞こえてくる音楽。 暁は洪水のように押し寄せてきた音に驚くと、いつの間にか青に変わっていた信号を渡った。
 死んだように横たわっていた街はどこにもない。先ほどまで誰もいなかったのが嘘のように、街は生き生きとしている。
 ――― さっきの事は、夢だったのか ‥‥‥?
 首を傾げた時、手の中に違和感を感じ、広げてみればそこには世羅が渡してくれた御守りが入っていた。
 ――― 夢なんかじゃ、ない
 そう確信した時、ポケットの中に入れっぱなしだった携帯電話が震えだした。 学校に持って行く都合上、面倒臭いからと最近はマナーモードに設定しっぱなしにしている時が多い。学校で着メロが鳴って教師から雷を落とされることはなくなったが、家にいる時に鳴ったのに気づかなく、放置してしまう割合も増えた。
 携帯電話を引っ張り出し、液晶に浮かんだ友人の名前に素早く通話ボタンを押す。
「アキー!遅刻ー!」
「あぁ、ゴメン。ちょっと寝坊して‥‥‥」
「ンモー、だからアタシが毎朝起こしてあげるって言ってるじゃなーい! ほら、幼馴染の子みたいにさ」
「えー、男に起こされる朝はちょっと‥‥‥それにお前、駅一つ違うじゃん」
「大丈夫、暁が女の子になれば良いんだって! あと、家の遠さは同棲で解消よ!」
「俺が女の子になったって、男に起こされる朝って言うのは変わらないじゃん!」
 バレたかと、ケラケラ笑う友人に、こちらも思わず笑い出す。 こういう馬鹿話が出来る相手は、好きだった。
「アキさぁ、風邪って訳じゃないっしょ?なんか後ろ五月蝿いし、外?」
「うん、まぁ」
「‥‥‥アキさぁ、昨日のこと、怒ってる?」
「え?」
「アイツがさ、アキ来てないの心配してて、俺に電話かけてみろっつーからさぁ」
「何でそんな情報回るの早いわけ!?」
「女子の噂は回るの早いし、アイツだって自分から言ってたし。 どっちもさぁ、アキ来てないの心配してるよー。二人とも、結構泣きそうっつーか、自分のせいかもって責めてるっつーか。 アイツさぁ、アキ来たら謝りたいって言ってたんだー。昨日、可哀想とか言っちゃってーって、ずっと気にしてるんだー」
「ただの寝坊つっといてくれるか?」
「うん。もうそう言っといた。アキは低血圧だから、今頃寒さに文句言いつつゾンビのようにベッドから這い出てるんじゃないかーって」
「‥‥‥まぁ、何でも良いや。学校、もうすぐで着くよ。 てか、三時間目って何だっけ?」
「三時間目はー、古典でーす。先生の魔法の呪文で今日も暁は眠りに落ち、怒鳴られる‥‥‥」
「やっぱ四時間目から行こうかなぁ」
「うーわー、サボリだサボリだー!善良な生徒である僕は、先生に報告する義務を感じます!」
「わーわーっ!!分かったから、ちゃんと行くから!」
「んじゃ、待ってるねぇん、ハニー!」
「はいはい、ダーリン?」
「‥‥‥アキは、可哀想な子なんかじゃないからな」
 最後にそうとだけ言って、電話はプツンと切れた。
 素っ気無い長音が流れる携帯電話を見つめながら、暁は背伸びをした。 バッグの中に入っているマッチ売りの少年の絵本は、きっと誰にも見せることはないだろう。 でも、マッチ売りの少年って話があったらどうかな?と訊いてみるくらいはするだろう。
「絶対あいつら、全否定しそうだよな‥‥‥」
 マッチ売りは少女だから良いんだ!とか、凄い勢いで主張しそうだ‥‥‥。 暁はその場面を想像すると、苦笑した。
 明るく楽しい仲間達が待っている学校に向け、自然と足が速まる。 朝に感じていた憂鬱はもうなく、今はただ、これから始まる楽しい一日を思い、自然と頬が緩んだ。



END


 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  4782 / 桐生・暁 / 男性 / 17歳 / 学生アルバイト・トランスメンバー・劇団員


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 雪色マッチの雪は、実は幸とかけていました。
 幸色のマッチなんて、本当にあったら欲しいです!マッチに炎を灯すだけで幸せになれそうですよね。
 前半は暗い雰囲気で、後半は明るい雰囲気を目指して書きました。
 今回も、暁君のお友達との会話を書くのが楽しかったです!
 幻想的で悲しい、それでも優しいお話になっていればなと思います。
 この度はご参加いただきましてまことに有難う御座いました!