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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


宵待ちの宿
 それは黒澤・一輝が仕事で完徹する羽目になってしまい、自宅へと帰ろうとしていた時のことだった。ふと気がつくとすぐ傍に見覚えのない、一軒の宿が建っている。
(こんな所に宿なんてあったか?)
 ほとんど毎日のように通っているはずだというのに、見覚えがないというのはおかしな話だった。
 一瞬、怪訝そうに顔を歪めた一輝だったが、とにかく今は睡眠をとりたくてしかたがなった。ここからはまだ程遠い自宅へ帰るよりもこの宿に泊まったほうがよっぽどいい。一休みでもさせてもらおうと宿の戸を開けたとたん、鈴のように澄んだ声がした。
「いらっしゃいませ」
 宿の玄関口、一輝の前には金色の長い髪を頭の後ろで結い上げた女が立っていた。薄紅の着物を着るその女は品の良い仕草でお辞儀をする。
「私はイチ。こちらは宵待ちの宿。人と人ならざる者たちの集う宿でございます。貴方様がいらっしゃるのを待っておりました」
「待っていた?」
 それはつまり一輝がここへ来ることを知っていたということだろうか。妙な話だ。一輝がこの宿に泊まろうと思ったのはついさっきのことだったというのに。
「ええ、私たち夫婦はこの宿を必要とする人が"視える"のです」
 そう言いながら宿の奥から現れたのは同じく金髪の男だった。浴衣を着て腕を組むその男はわけがわからないといった様子の一輝を見て続けた。
「私はミツルギと申します。お客様はこの宿は初めてでしょう。この宿帳に名前の記入をお願いいたします」
「……ああ」
 手渡された宿帳とペンで一輝がけだるそうに名前を記入して放るように男――ミツルギへ返すと、男は「確かに」と言って宿帳を受け取った。
「黒澤・一輝様、お疲れのところ申し訳ないですが、この宿のことを説明させていただきます」
「俺は眠いんだ。手っ取り早くしてくれよ」
「かしこまりました」
 睡眠不足で些かいらついた口調の一輝に、ミツルギはうやうやしく頭を下げた。
「宵待ちの宿には、一輝様のような人間の方やそうではない異形の者達が集います。私達も今はこの形をとっていますが、もとは狐です。元来ならばいがみ合う立場の者達もいるでしょう。ですが、ここでは争いはご法度。決して暴力沙汰はされませぬように」
「……説明はそれで終わりか?」
 ぶっきらぼうに告げる一輝に気を悪くした様子もなく、ミツルギは頷く。
 それならばもう用はないだろうと一輝がずかずかと宿にあがりこむと、今度は女の方――イチが口を開いた。
「一輝様のお部屋はそちらの角を曲がって突き当たりになります。寝床は用意してありますのでごゆっくりお休みください」
「意外と気の利く宿だな」
「ありがとうございます」
 そろって頭を下げる自称狐夫婦を一瞥して、一輝は言われたとおりの部屋へ向かった。
 途中、角の生えた人間とすれ違ったり、後ろ足で立って歩く猫又に出くわしたりしたが、いさかいが起こる様子はまるでない。どうやら狐の夫婦が言う話は本当のようだった。

 一輝が辿り着いた部屋には確かにすぐにでも眠れるよう布団がしかれていた。徹夜明けで睡眠不足のところへ突如現れたり、既に用意された部屋には布団がしいてあったりと、本当に都合のいい話だ。サービス精神旺盛というところだろうか。
 また泊まるのもいいかもしれないなどと考えながら、一輝は上着も脱がずに布団に倒れ込む。そして、襲いかかる睡魔に身を委ねた。

 ――だが、一輝の安眠はそう長くは続かなかった。

 一輝が眠りについてから一時間経つか経たないかという時になって部屋の外が騒がしくなってきたのだ。
 ガラスの割れる甲高い音、何か重いものが落ちるような鈍い音、誰かの悲鳴、どれもこれもが耳障りな音だった。どう考えても揉め事としか思えない。薄っすらと目を開いた一輝はこめかみに青筋を浮かべた。
 のろのろと布団から起き上がり、おそろしくゆっくりとした動作で部屋と廊下とを隔てるふすまに手をかける。
 そして、力の限りでふすまを開けた。

 すぱーんという小気味いい音がして開いたふすまの向こうには、棍棒を振り上げる二メートルほどの大男が立っていた。頭に角が三本ほど生えているところを見ると人ではないのだろう。
 足元には割れたガラス片。妙に風通しがいいと思えば向かいの廊下の窓ガラスが無残にも割れている。そのすぐ傍にイチが大男を止めようとした格好のまま一輝を振り向いた。
 ――明らかな争いの痕跡。
「ここは争いは法度じゃねぇのか?」
 地の底から這い上がってくるような低い声で一輝が目の前の大男を睨み上げる。
 一輝はとてつもなく不機嫌だった。その理由は二つある。まず第一に安眠を妨害されたこと、第二に目覚めに聞いた音がとても不愉快でやかましいものだったことだ。
 ふすまの開く音で一輝を振り返っていた大男が、般若のような形相をした一輝を見下ろして一瞬怯んだ。だが、すぐにイチを一瞥する。
「人間どもと馴れ合うなんて物の怪の風上にもおけやしねえ!」
「おやめくださいまし!」
「うるせえ!」
「きゃあっ!」
 一輝に向かってこんぼうを振り上げた大男を止めようとしたイチが、大男の腕で殴り飛ばされる。床に倒れ込んだイチに、いつの間にかミツルギが駆け寄ってきてその身体を抱え起こした。
 その様子を視界の片隅に捉えながら、一輝は言った。
「うるせぇのはおまえのほうだ」
「んだとぉ!?」
「うるさい黙れその口を閉じろ……俺は眠いんだ」
 不機嫌の絶頂に立つ一輝はこれ以上ないほどの殺気を発散しながら低く唸るように言った。
 だが、それは大男のお気に召す言葉とは程遠いものだった。
「に、人間ごときが生意気なんだよ!」
 大男が叫んで指笛を鳴らしたかと思うと、どこからともなく異形の者達が湧いて出た。おそらくは物の怪といった類なのだろう。殺意に満ち満ちた無数の視線をその身に受けながら、一輝は一言。
「とりあえず表へ出ろ」
 瞬間、一輝の手から放たれたのは発煙手榴弾だった。手榴弾から噴出した白い煙がたちまち辺りを覆いつくす。突然視界を奪われた物の怪達はひどくうろたえた。
「ま、前が見えね――ぐあっ!」
「おい、どうし――がっ!」
「なんだ!? 何が起こって……!?」
 次から次へと上がる仲間達の悲鳴に、大男の動揺する声が響く。その時、白い煙の中から一輝が飛び出して、大男を持ち上げ投げ飛ばした。
 ちょうどその後ろにあった勝手口の扉ごと大男は強引に表へと叩き出される。その後を追って一輝は宿の外へと躍り出た。
 宿の中で暴れまわっていた物の怪たちは宿の裏庭で無様に転がりながら、声を荒げた。
「なんのマネだ!」
「宿の中は争いが法度なんだろうが。安心しろ、今ここで俺がきっちりけじめつけてやる」
 ばきばきと指を鳴らしながら、一輝が低く言う。物の怪達はその言葉にいきり立った。
「人間のごときがなめやがって! やっちまえ!」
 大男が叫ぶと一斉に物の怪達が一輝に飛びかかる。が、一輝はナックルを装備した拳で怨念を込めて物の怪たちを殴り飛ばした。完全に目がすわっている。
 そんな一輝と不幸にも目が合ってしまった物の怪が、「ひっ」と小さく悲鳴をあげる。一輝はその隙をついて目が合った物の怪に駆け寄って顔面に拳を叩き込んだ。
「ぎゃああああ! 鼻が、鼻があああっ!」
 鼻を押さえながら地べたに転がってのた打ち回る物の怪。しかし、無情にも一輝は物の怪の胸倉をつかんで立ち上がらせると、再び顔面を殴った。
「ぎぇひっ!」
 珍妙な悲鳴を上げながら物の怪は気絶した。一輝がその物の怪をそこらに放り捨てたところへ、騒ぎを聞きつけた宿に泊まっていた者たちが集まってくる。その先頭には宿の主人でもあるミツルギがいた。
 ミツルギは一輝と、対峙する物の怪達とを見比べながら、口を開く。
「貴方も手伝ってくださるのですか?」
 ところがどっこい、一輝にはそんな気持ちはまるでなかった。
「俺は眠いだけだ」
 それだけ言ってリーダー格の鬼を睨み上げた。
「――俺の眠りを妨げた罪は重いぞ」
「ひ……っ!」
 後退りを始めた大男に、しかし一輝は情け容赦がなかった。大男の顔を幾度も殴打し、腹に蹴りをきめて最後にあご下から拳を繰り出す。別に得意の手榴弾を使っても構わないのだが、それでは宿の庭に被害が出るだろう。それに、今は何よりもこの大男を拳で殴り倒したい気分だった。
 さながらジャガイモのような顔になってしまった大男が地面に倒れて動かなくなると、宿を襲った物の怪達は恐怖を露にして一斉に逃げ出す。だが、それを易々と見逃すほど一輝の怒りは鎮まってはいなかった。
 逃げる物の怪達をことごとくなぎ倒し、気絶するまでサンドバックを相手にでもするかのように拳を叩き込み続ける。まるで鬼そのものだ。
 やがて急襲してきた物の怪達が全員地に沈むと、ミツルギが呟いた。
「……私達の出番はありませんでしたね」
 宿の異形達は無言で頷く。結局のところ、ほとんどの暴動者達は一輝の手によって伸びている。
 一輝はミツルギや宿の異形達を一瞥して言った。
「俺は寝る。もう二度とこんなことが起きないようにしろ」
 そして、一輝は自分の部屋へ戻っていく。

 その後、一輝の部屋の前を通る際は、宿の異形達が音を立てないように歩くようになったというのも無理もない話だった。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【7307 / 黒澤・一輝 / 男 / 23歳 / 請負人】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして、諸月みやです。この度は『宵待ちの宿』を発注してくださり、まことにありがとうございます。
 戦闘シーンはあまり得意ではないので、お気に召されるかわかりませんが、このようなものになりました。黒澤・一輝様のお話は書いていてとても楽しかったです。黒澤・一輝様にも楽しんで読んでいただけると嬉しいです。
 もしまたの機会がありましたらば、ぜひよろしくお願いいたします。